2019年12月11日

もういや

今週はちょっとあったかいね。

暖かさでは人は死なない。寒さ・暑さではそんなこともあるが。harshnessで人は死ぬのだ。尤も、おれは死ぬのは「暖かさの中」がいいんだけどね。春に生まれて春に死ぬ・理想的だと思う。

バカが閣議で「そんなことまで・・・・は?」なことまで決めている。幼稚園児の集団なのか?「でちゅね〜」なのか?

呆れている。ま、そこが「手」だったりもするから。醜く・恥を知らない集団、そのメンタリティにこちらが目を背けたくなる・そこが彼らの「手」なんだね。その醜悪さを直視するのが嫌で、おれたちは俯く。それが思う壺。キミらが「反社」だよね。反社に反社を定義しろっちゅうのは無理ね。

昨日京都からの帰りにセメント屋の記者会見を見て呆れ、不機嫌になり、「いかんいかん」と思い、まだ仕事が残っていたし、なんとかおのれのご機嫌を戻さなくちゃ・とmarisaのao vivoを呼び出し「tribalistas」3連発でやっと持ち直す。

しかしこういうのって「徒労」ね。人を不機嫌にさせる・も奴らの「手」。こうやって好きは「好き過ぎ」に、嫌いは「憎悪の対象」になって行く。「別に」や「どっちでも・・・」なんてのがなくなって行く。

中庸が多ければ多いほどおれはいいと思うのだが、もうしかし、人は「どちらかの側」の選択を強いられる時間帯になってきてるのを感じる。対決とか先鋭化とか、遅かれ早かれそういう局面が待っている。その手前には「分断」があるのだろう。あんまり幸せなことではない。意識の上の「civil war」だからね。

ルワンダの「フツ」vs「ツチ」、旧ユーゴ、そんなことになっちゃ嫌だな。こちらの国に限らず、「空気」の醸成は政治勢力の常套手段だが、それにまんまと乗せられるおれたちも相当「バカ」であることの自覚が要る。それでも「ひどいバカ」とはやっぱり戦わなくっちゃいけないのだろう。わかりやすくも「悪」であるからね。

ポルポトのカンボジアとかにも似てきている。ポルポトは知性を持った者たちの生存を許さなかった。大げさなこといってる?でもね、「事態」は加速度つくとあっという間にとんでもないとこまで進むよ。今現在が実はその「過程」だよ。渦中にあるときは客観性を失うのね。「馬鹿げた閣議決定」の連続をもっと深刻におれたちは受け止めたほうがいい。「狡猾な幼稚園児」に支配されていっている過程を注視した方がいい。公文書の改ざん・破棄はとんでもない出来事で、国会も「形骸化」してる。この政権は枝葉部分を「いじり倒して現状を変える」という「邪道の政権」です。「正々堂々」なんて言葉は彼らの辞書ではそのページは破られてるのね。

どうだろう?何割の人が次々に浴びせられる「狡猾さ」にやられてしまったのだろう?半分超えたら本当の終了。選挙ではすでに3割。皆さんの良心はどこに隠されてしまったんだろうね?


こうも「盛大に」国の「リソース」を売られるなんてことが今までにあったんだろうか?そして多くの人々がそれを横目で見てまるで他人事であるかのように素通りするなんてね。「わたしたち」のことなんですけど。目の前に突きつけられれば「反応」するんだろうか?ぼーっとした表情で「受け入れる」ような気がして「怖い」。「家畜願望」でもあるのだろうか?沼正三先生は「絶対的に正しかった」のだろうか?

戦後が実はずーっと続いてきていて今回本当に「負け切らないと」次がないのだ・そんな国家的無意識が潜在してるんじゃないのか?そんな疑いさえ持ったりする。例によって勘で言ってるけど当たらないで欲しい。だって「次」はもう無いからさ。

















posted by 浪速のCAETANO at 14:03| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

12月句会

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posted by 浪速のCAETANO at 12:14| 大阪 ☀| Comment(0) | 丸谷たきこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月10日

酔っぱらいですが

果たして、いつから「金持ってる」奴が「偉い奴」って認識ができたのだろう?とか思う。

振り返るに「清貧の渋さ」って確かにあった。実感としては80s初め〜半ばぐらいまでは確かにあった。そう思う。

「清貧の美しさ」と言ってもいい。「カネなどは二の次」ってのがカッコ良かったりした。おれより年下の人々には「失笑」される可能性も否めないが。

いまのもうなんというか、ひ弱なガワだけで「モってる」ような社会ではなかったというのがその前提としては大きい。そんなんと違って植物の「細胞壁」のようなセルロースというか・外骨格のような倫理観といってもいいんだろうと思うがそんな感覚が人々を社会横断的に支えていた・と思う。

やっぱ『プラザ合意』かな?

1985。pmは中曽根。蔵相はDaigoのおじいちゃん。


新自由主義の幕開け・だった。ちょっと怖いことに気づいた。bubbleを知らんって奴も多いのだけど、pre-bubbleを知らんなんてもっともっとっていうか、おれが普段話してるやつにはほとんど誰もおらん・ということに。

bubbleかpost-bubbleの世代しかいない・まあいないこともないのだけど、そんな話ができるのは同窓会た・@長崎、しかもうないのかも知らんなあ。


おれは自分の体が「超・元気」やったときにかなりカネ持ってたので散々いい思いもしたんだけど、なんかいまのビンボーって体力とか欲望との相関でいうなら「ちょうどいい」のね。だが、それはダイナミズムを実感していたからなのだろう。浮き沈みの「可能性」だけで人は生きれるものでもある。そしてまさに可能性は現実だったしね。


中曽根が「新自由主義」をこちらの国に導入して、これは善悪を通り越して(というか・それがおれの軽薄だと思うが)、それにいち早く「反応」するのが自分だったりする・ってのはよくわかっている。トレンドがトレンドになる前の「一番美味しいとこ」をセンスと小銭でいただいてきた。トレンドなんて言葉自体・誰も使ってなかったよ。まあつまんない話であるが。

つまんない・で言うなら、皆さんがそれを知ってざわざわしだす頃には、こちらはもう「飽きている」のね。モノが個のパーソナリティを代弁する・なんてつまんなくもダサいことになりだしたのは90sからかな?もう嫌気さしてたけどね。で、そのモノが、ステイタスとして機能しだすことに関しても「ダッサ」なんて、これは今でも思ってる。


だから「雑誌」が嫌いだったもんね。とか言いつつ、savvyやmeetsに連載してたりするんだが、これはだいぶ後のこと。人の繋がりがあった・と言うだけ。雑誌の存在とかって、まあ大阪も「文化的」にならないとあかんし、ってのもあったろうし、だが若い頃は「プガジャ派」だったから、そこを「乗り越えて」いった雑誌というのには「斜視」・基本的に。まあそこにしか雑誌の存在領域はなかったんだろうけれど・今思えば。部外者の発言です。気にしないで。


まあ基本的に「群れることが苦手」。リーマンには一生なれないタイプ(実験済み)。


でね、そんな時代の変遷(というか誰もが金を求めるようになって・誰もがギスギスになっただけ・という凄まじい世の中・そして誰もそれを乗り越えようともしない・というかそのアイディア自体もfuckin'経済合理性などという『造語』によって無きものとされるかのような)の中、今ビンボーがtrendです・inです。

それはおれが85年「プラザ合意」体制を敏感に察知したのと「同様」な時代の先取り感です。もしそれがそう見えないのであるとするなら、それは「金持ち〜貧乏」の二元論でしか物事を見れなくなっているあなたの大脳新皮質の不調による・としか言えません。ごめんね・小銭持ち。まあ社会のせいでもあるけどね。

だけど、今の小銭持ちが後生大事に「保全」しようとしてるその小銭・おれはその何倍も持ってて浪費しちゃったからね。おのれが「ギンギン・ビンビン」の時代に。ごめんね。イッツ(時代もカネも)gone behind.



で、今おじいさん一歩手前。もう突入してるといったご意見もありますが、ビンボーがいいっすよ。でなけりゃ、太郎ちゃんにここまで心揺さぶられないとおれは思う。プチブルの「お遊戯の対象」としての山本太郎もあっていいとは思う。だけどね、一般の方にはその子どもたち、おれの場合なら「生徒たち」の未来をアベ一味の「アホなのになぜか権力を持ってる」低脳の群れの好き勝手にさせるわけにはいかんのでは?


おれももはや「弱者」である。そこ・実感するもん。その弱者が、もうそんな贅沢は言わんよ・普通に暮らせればいいわけよ、そのわずかな原資までも懐に手突っ込んで強引にかっさらって行くようなシステムを憎んでるだけのことね。それはやっちゃダメでしょう。


守りに入ってる「つまんなくもダサい」人たちさあ、もうちょっと視野を広げようよ。守るもんがあるっちゅうことはキミらもう「ええ歳」やで。小銭持ってても体動かんようになったら、その小銭は施設に全部管理されちゃうのよ。なんだかそこ「本末転倒」な気が。自分を育んでくれた社会と周囲をカウント敢えてしないのは礼を失することになるよ。何を怖がってるんでしょう?

おれのこと放っといてね。仕事できなくなったら、死ぬから。


ほんと、なんていうのかなあ、「自分に正直になった人間だけ」にどうも「真理」は見えるようである。いつまであなた・おのれを偽るんでしょう?人は・っていうか生き物すべてだが「何も持たずに生まれ・何も持って行けずに死んじゃうよ」














posted by 浪速のCAETANO at 07:08| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

だから変わる・変えるもできる、と

現在の社会は決して固定した結晶体ではなく、変化することの可能な、そして常に変化の過程にある有機体なのだ。


カール マルクス
posted by 浪速のCAETANO at 05:30| 大阪 | Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月09日

反面教師かい

「米国から命令を受けているだけの衛星国だとみなされれば当然、日本の影響力は弱くなる」(日本に学ぶことはまだある?)「ありますよ。特に日本の失敗からですね」


マハティール マレーシア首相 94歳
posted by 浪速のCAETANO at 17:12| 大阪 ☀| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海の向こうから崩壊を

学校終わりでクリスタ長堀にいる。

昼メシ食って、輸入食料品の買い物をして、キーフェルで大学用の予習しながらコーヒータイム。消しゴムがなかったが、向かいの7/11で調達できた。

literally convenient!

三人掛けが空いていて、「ちっちゃなラッキー」に包まれる。

また朝、寝過ごした。

もう油断を感じる。学校も来週で終わりである。学校の終わりが近づくと年末感が増してくる。最近は「史上最低の年だった」という感想ばかりで、その最低は年々更新されている。

数年前までは、そのうち「底打って、、、」など甘い期待を思っていたが、知らん間に「底が破けとった」わけだった。そんなわけでgetting worseは止まらず、worstまで行ったとしても、更なるworstがおれたちを待ち受けている、といった、もうこれは「運命」ね。ジャジャジャジャーン、なのだが、そのジャジャジャジャーンはクレッセントであって収まる気配がどこにもない。可哀想、おれたち。


民主党の悪夢より、アリ地獄じゃなかったアベ地獄の方がはるかに地獄であるからね。
別に民主党時代は特に鳩山ちゃんの時など、悪いことは何もなかったよ。菅からはそれなり、で、チャーシューは現在のお膳立てだったが。最低のブタ。同い年なんですである、恥ずかしい。

報道の自由度だって、栄光の11位だよ、まだ民主国家だったわけね。分かります?中国やロシアやnorth Koreaに眉を顰める資格もあった。それが今や、ほぼ同値ぢゃん、情けなくも。


富裕層の脱出、もう始まってるからね。そいつらもバカ政権のやつらと同罪だからね。

しかし、彼ら、母国の崩壊を遠くから眺めて、どんな感想を持つかな?

海外に行くと人は大抵右翼入る。

右翼のフリしておいしい目に遭い、逃げ出した後、その国が音を立てて崩壊するさまを見て、周りの外国人たちからは同情と罵倒の言葉をかけられ、その中でホントの「右翼的情緒」に支配され、だが、もう帰る場所は永遠にないのである。

おれなら「バカだったよ、おれはー」と号泣すると思う。その感情は「親不孝」に極近いと想像する。きっと当たってる。



posted by 浪速のCAETANO at 15:53| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

さほど変わりはなく

泥棒、詐欺師、乞食、餓えた労働者、貧しい犯罪的労働者、こうした連中はブルジョワ経済学にとって存在しない。彼らは、医者、裁判官、墓掘り人、乞食をつまみ出す警察にとってのみ存在する。彼らはブルジョワ経済学にとって亡霊なのである。


カール マルクス
posted by 浪速のCAETANO at 13:19| 大阪 ☀| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月08日

Sunday Afternoon

tutor終わりで「ほっ」とする。

やっと「ゆっくり」できる。つかの間だけどね。つかの間で十分よん。

クソ・な人間を目撃することが多すぎて辟易とするなか、『中村哲氏』や太郎ちゃんのような人間の存在がおれを救ってくれる。中村さんは過去形となってしまったが、その業績と動機・そのエネルギーは保存される。小さくbreak downされて多くの人の中に。

困っている・弱いとされる人に寄り添うことにその人生を捧げる。そういうことをできる人間の数は「ごく少ない」が、いる。社会のヒーローである。

だが新自由主義mindの浸透した社会ではおのれのこと「だけ」を考えて小銭のために生き、人生においてリスクを取るなんてこともなく、そんな「セコイやつ」が、ポジショントークをし、いっちょまえの意見を述べ、「現状」を良きものと判断し、変化を好まず、当然だが弱者のことは見て見ぬ振りをし、あとほんの数十年に備えている。社会の上から下までまあそんなことである。下はそんな余裕ないかな?

うんざりだ。

そういうのに「面白いやつ」なんて0人だから、付き合うこともないのだけど、すれ違った際に、彼らは小銭でpride持ってるから勘違いも甚だしいのだが、めんどくさいものだ。

まあいい。divided states of Japan.


しかし、まあおれもダメだな、小さいな。人の悪口言ってる間があったら自分のことしろよ・である。いや。違うな。まあありがたいことに、自分のこと・が割と「社会的」であったりすることがおれを救ってくれてるのだよね。だから、「全く個人的なこと」というのはあんまりないのね、自分がやってることにはね。


一般論だが、「能力」はみんなのため・社会のために使わないといけない。そう思う。無意識にそうなることが最も理想的であると思う。その人は人生へのリスク・を取りながらやっているってことね。大成功するかもしれないし、大失敗するかもしれないね。どっちでもいいんじゃないか。リスクを取ってやる・が楽しいんだから。安穏な人生を送りたい方には「どうぞどうぞ」とダチョウ倶楽部になるしかない。


今日は「John Lennon」「真珠湾」の日だったね。長崎のuncle Harrisonの井手さんはもう何年になるのかな・この日にずっと「平和祈念像」の前で「Imagine」を歌い続けている。こういう「一見何にもならないようなこと」が実は大切なことなんだね。


おれも40年前のことを思い出すよ。元奥さん家に居候しながら「punk&reggae」の卒論書きながら「John was shot」の報を聞いたからね。
posted by 浪速のCAETANO at 16:45| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中村さんの最後の寄稿

我々(われわれ)の「緑の大地計画」(※1)はアフガニスタン東部の中心地・ジャララバード北部農村を潤し、二〇二〇年、その最終段階に入る。大部分がヒンズークシ山脈を源流とするクナール川流域で、村落は大小の険峻(けんしゅん)な峡谷に散在する。辺鄙(へんぴ)で孤立した村も少なくない。

 比較的大きな半平野部は人口が多く、公的事業も行われるが、小さな村はしばしば関心をひかず、昔と変わらぬ生活を送っていることが少なくない。我々の灌漑(かんがい)計画もそうで、「経済効果」を考えて後回しにしてきた村もある。こうした村は旧来の文化風習を堅持する傾向が強く、過激な宗教主義の温床ともなる。当然、治安当局が警戒し、外国人はもちろん、政府関係者でさえも恐れて近寄らない。

◆忠誠集める英雄

 ゴレークはそうした村の一つで、人口約五千人、耕地面積は二百ヘクタールに満たない。これまで、日本の非政府組織(NGO)である日本国際ボランティアセンターが診療所を運営したことがあるだけで、まともな事業は行われたことがなかった。PMS(平和医療団・日本=※2)としては、計画の完成に当たり、このような例を拾い上げ、計画地域全体に恩恵を行き渡らせる方針を立てている。

 同村はジャララバード市内から半日、クナール川対岸のダラエヌールから筏(いかだ)で渡るか、我々が三年前から工事中の村から遡行(そこう)する。周辺と交流の少ない村で、地域では特異な存在だ。圧倒的多数のパシュトゥン民族の中にあって、唯一パシャイ族の一支族で構成され、家父長的な封建秩序の下にある。

 パシャイはヌーリスタン族と並ぶ東部の山岳民族で、同村の指導者はカカ・マリク・ジャンダール。伝説的な英雄で、村民は彼への忠誠で結束が成り立っている。他部族にも聞こえ、同村には手を出さない。

 十月中旬、我々は予備調査を兼ねて、初の訪問を行った。クナール川をはさんで対岸にPMSが作った堰(せき)があり、年々の河道変化で取水困難に陥っていた。ゴレーク側からも工事を行わないと回復の見通しが立たない。ゴレークの方でも取水口が働かず、度重なる鉄砲水にも脅かされ、耕地は荒れ放題である。この際、一挙に工事を進め、両岸の問題を解決しようとした。

 最初に通されたのは村のゲストハウスで、各家長約二百名が集まって我々を歓待した。他で見かける山の集落とさして変わらないが、貧困にもかかわらず、こざっぱりしていて、惨めな様子は少しも感ぜられなかった。

 ジャンダールは年齢八十歳、村を代表して応対した。彼と対面するのは初めてで、厳(いか)めしい偉丈夫を想像していたが、意外に小柄で人懐っこく、温厚な紳士だ。威あって猛からず、周囲の者を目配せ一つで動かす。

 PMSの仕事はよく知られていた。同村上下流は、既に計画完了間際で、ここだけが残されていたからである。

 「水や収穫のことで、困ったことはありませんか」

 「専門家の諸君にお任せします。諸君の誠実を信じます。お迎えできたことだけで、村はうれしいのです」

写真

◆終末的世相の中

 こんな言葉はめったに聞けない。彼らは神と人を信じることでしか、この厳しい世界を生きられないのだ。かつて一般的であった倫理観の神髄を懐かしく聞き、対照的な都市部の民心の変化を思い浮かべていた−約十八年前(〇一年)の軍事介入とその後の近代化は、結末が明らかになり始めている。アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、忠誠だの信義だのは時代遅れとする風潮が台頭している。

 近代化と民主化はしばしば同義である。巨大都市カブールでは、上流層の間で東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。見たこともない交通ラッシュ、霞(かすみ)のように街路を覆う排ガス。人権は叫ばれても、街路にうずくまる行倒れや流民たちへの温かい視線は薄れた。泡立つカブール川の汚濁はもはや川とは言えず、両岸はプラスチックごみが堆積する。

 国土を省みぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ−終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方(かなた)を見つめる。

※1 用水路を建設し、砂漠や荒野を農地に変えるプロジェクト

※2 非政府組織「ペシャワール会」(福岡市)の現地団体

 
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2019年12月07日

Free from superstition


「アフガニスタンで事業行うことで私は世界中を席巻する迷信から自由だ。武力・軍事力があれば自分の身を守れるという迷信。武力が安全をもたらすか、丸腰で行う用水路建設での私達の経験が教えてくれる。私たちは幸いにも、この強力な迷信から自由です」


中村 哲
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2019年12月06日

ホントに

「日本の政権について、こんなバカな政権はない。向こうではみな権力に対して従順でない気風がある。対照的に日本人ほど権力に弱い国はないと感じる。‥‥個人的なことをいうと憲法に従う義務はあるが、政権に従う義務はないと考えている」


中村 哲
posted by 浪速のCAETANO at 23:14| 大阪 ☁| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生太郎

たまたま(後で聞いたら、身内の葬式で)帰ってきてた友人と待ち合わせて、太郎ちゃんの話を「チョク」で聴いていた。

ちょっと寒かったから、あちこち移動しつつ、3次元的に角度を変えつつ聴いていた。籠池ちゃん夫妻もいらしてた。早よから。


千人じゃきかんな、数千人は集まってたな。だが数万人はそれを横目に・あるいは無視して・あるいは気づかず家路を急いでたな。これも・それも「現実」であるね。


その後に彼女と飲んだ熱燗がうまかった@新梅田食道街。


『虐待survivor』という言葉が衝撃的だった。鳥居ちゃんの告白も戦慄だった。まあゆっくりまた考えてみよう。

closed空間というのは「どっちにせよ」マズい。悪事は大抵「closed空間」で企てられるからだ。実行もclosedな中で行われるから虐待はさらにヤバいが。

「何でもかんでもdiscloseします」という太郎ちゃんの戦略は、それゆえ、好ましい。

最終盤の「経済論」・パネルも増え充実してきたが、そう簡単には一般の人が理解できるものではないだろう。おれもそうだが、早い話ミクロ経済とマクロ経済がそのコンセプトを「異」にするものであることを十分分かってる人間がすくないことによる。

「税金の意味」に関しても、おれたちは随分長い間・騙されてきたんだなあと思うもんね。だから、そこが(少しずつでも)周知されることになれば、みんなにとって「merit」であることは間違いない。おれたちは、ええ年になると余計に「おのれの経験則」に縛られることになる。おれたちの経済に関する経験則など大抵は「家計レヴェル」のことだ。ちょっとだけ規模が大きくなったところでおれなら「有限会社レヴェル」だしね。そこ「しか」知らないで、マクロ経済や国家的マネーの話を理解するのはなかなか簡単じゃない。

まあそんなこと。

国会議員でもよく分かってない。枝野の態度を見てればわかる。小川淳也くんでさえ、そっちである。

立憲も国民も5%には乗ってこない。

れいわは「独自」でいいんじゃないか。太郎ちゃんもそろそろ腹決めていると思う。それでいいんじゃないの?私見ながら。

音楽がそうであるように、政治もまた「人となり」である。最後はそこ。いまの社会を変えるには文字通り「左翼的」「保守的」その両方を持ってないと苦しい。そして「新自由主義」のことを『ウンコである』とちゃんと規定できないことには信用されないと思う。この3点は「絶対に必要」。

「右翼的」「売国的」「新自由主義者」のなんと多いことよ。その「右翼的」は真の右翼ではないよ。真の右翼は国売りません。

好きな外タレの全国ツアーみたいなもの。かつてSt.Vincentのworld tourを全部ネットで追っかけてたけれど、それに匹敵する。

今日は京都だね。そして明日からは関東に入る。初日は小泉の地元・横須賀だね。15・18の東京までに人がどんだけ増えるか・見ものである。

まあ自分のこともやんなきゃいかんのだけど、いろいろと。まあそれはそれ。









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井戸を掘る際の言葉

『ワクチンでは子供の命は救えない。水です。水なんです』



「生きておれ、病は後で治す。」



中村 哲
posted by 浪速のCAETANO at 12:46| 大阪 ☁| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月05日

ホンモノは、、、

日本の富を外資に売り払う日米貿易協定がついに参院で可決、元日に発効する。日頃「自分の国は自分で守る」と息まく政権与党こそ売国的で、ネトウヨから「反日」呼ばわりされている野党政治家こそ国民思いなのは奇妙だ。不平等条約であった関税自主権を取り戻した明治の先人に申し訳ない世の中である。



一水会。
posted by 浪速のCAETANO at 11:34| 大阪 ☀| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Rest In Peace

『そうなんです。本当にそうなんです。僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えてくれている。これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた思いです。』


『武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の方たちも分かってくれてるんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ守ってくれてるんです・』


『9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが本当の日本の強みなんですよ。』


『具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさをつくづく感じるんです。』


『日本は9条に則った行動をしてきた。だから。アフガンでも中東でも、今まで親近感を持たれている。これを外交の基礎にするべきだと、僕は強く思います』



中村 晢。


偉大な方がお亡くなりになった。悔しい。
posted by 浪速のCAETANO at 11:27| 大阪 ☀| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

will be BIG TIME on 12/5 @大阪梅田

ビックリしたね。

今日は京都だと思ってたが「日本記者クラブ」におったね・太郎ちゃん。

本日も「真っ当な」ことを言い続けてた。それでいい。

政治は政治・生活は生活。こういうのが一般の感覚なのではないのかな。そこに「無意識の壁」を設定して「痒いとこに決して届かない」ことを前提としている。

「そうじゃないんだよ」と太郎ちゃんは言っている・

そこが「これまでにない」ってことをみなさんわかってますか?

政治の「遠さ」を否定する山本太郎はそれを身近にすることを考えている。全国ツアーの目的もそれ・である。追っかけてるが、リアルな政治のグタグタ・とはまた異なったストリームがその幅を広げてきてる実感がおれにはある。「貴族感」のなさ・と言ってもいいが「政治家の先生」「住む世界がちゃうねん」そんなものからは遠く、リアルな「代理人」としての政治家(それは民主主義の前提なのだが・実はね)という存在に「生まれて初めて」なれるかもね・そんな期待もある。それが「当たり前」と思えないのであるとするなら、これまでおれたちは「民主主義未経験」だったんだよ・と言って差し支えない・実は。


pm一味(売国奴集団)が最も恐れるのは「太郎ちゃん」である。枝野や玉木は「職業政治家」である。怖くない・な〜んにも。


山本太郎は「身辺に」気をつけてほしい。もうその勢いは「止められない」。LDPと直接対決する日も近い。しかし、その「土俵」はpm一味のhomeである。気をつけて欲しい。


太郎ちゃんが「経済政策」の理論武装を固めてきていること、好ましい。「伸び代のある」分野に投資しろ・という点が、ただ市場にマネーをばら撒くだけのアベノミクスとはちょっと違うのではないかな。経済学者のサポート、よろしくお願いしたいね。記者ももっと勉強しろよ・と思うけどね。

ハイパーインフレを、デフレ解消の前に心配することの「滑稽」に気づくべきだ。

ハイパーインフレは「供給能力」が失われたときに起こる。デフレの連続で、需要が下がり、「それにより」供給能力が失われることが怖いんだよね。

日本記者クラブの会員たち。太郎ちゃんに「意地悪な」質問ができるのであるなら、それを「安倍晋三」にもぶつけてみ。ちょっとした「いじめ」っぽかったぜ。奈良のクソジジイとメンタル変わらんな。

経済のことがわからない枝野(弁護士の限界)が経済をわかるには「貧乏」しないと無理。共感能力のない枝野の限界。太郎ちゃんにはcompassionがある。ハートの問題ではなくこれは「能力」の問題。山本太郎は「能力」があるのだ。おれは認める。おれから認められても何の「権威」もないけどね。


FTAが締結され、早くも農業分野以外の(薬とかね)FTA22項目を前提とした国の「国民イジメ」が始まっている。ロキソニンは薬屋で買いましょう・とかだけどね。もうこれで、こちらの国は「終わる」ってこと、みなさん、お分かりになってない。明日はまだ大丈夫だろう。そう思う気持ちは良くわかる。そうやってこれまでおれたちは生きてきて、少しずつは悪くなってきた実感はなきにしもあらずだが、まだもうちょっといけるやろ・そう思ってる人が大半だと思う。

今までの「常識」はもう通じません。残念ながら。覚悟を持って生きていかなきゃいけない。覚悟を持って「死ぬ」が正しいかな?


明日は「大阪街宣」だよ。籠池ちゃん夫妻も来るって。big timeだと思うけどね。




























posted by 浪速のCAETANO at 01:23| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月03日

潜在して進行するもの

「thin client」ーーーー官僚の罠説がある。ちょっと面白い。

おそらく、なんのこっちゃわからずに棒読みしてると思うのだが、墓穴ではないんだろうか?嘘という自覚さえないのだろう。メインシステムにバックアップ。

ただ、時間がもうない。臨時国会はあと1週間。今回も逃げ切った・と思ってるかもしれない。


「桜を見る会・合同ヒアリング」が行われ、「外交委員会でFTAの採決間際」、太郎ちゃんは「関西にやってきた」、いろんなことが「同時進行」している。『・・・・・前夜』という気がせんでもない。『・・・・』にはお好きな言葉をどうぞ。


奈良では「クソジジイ」・和歌山では「19歳のクソウヨ」が絡んできていた。どちらもタチが悪かったな。太郎ちゃんがやっていることの「凄さ」、これは「テキスト」がないことだから、そのすごさがわかりにくいんだね。誰でもいい。初見の人からの「(わけのわからん・時には悪意を含む)質問」に答える・をやってみたらいい。すぐに「いや・無理・やめます」ということになるだろう。その「hard work」度・は、テキストがないだけに・ということは比べるものがないために、ぼんやりとしてしかわからないだろう。「別に」と無視して流すことも可能。だが、おれは見ている・ちゃんと見ている。(暇なんか?)。

値打ちのあるものだから。真に価値あるもの・は見なきゃいけない・というか付き合わないとね・ということだよ。

5日にはヨドバシ前にやってくる。塾を日ずらして行ってみようか・と思っている。すごい群衆になるのでは・と想像する。維新からの「刺客」もくると思われる。奈良のクソジジイの「壮年版」もいると思われる。だが、その現場(現在最もhotな)に実際に足を運んでみたい。

阪急とJRの歩道橋かな・と思っている。みなさん「ご一緒」しませんか?別に「ご一緒」じゃなくてもいいんだけど。


明らかに善意と悪意が形となって地下で進行している。


『ライフルマンが病気の者と障害を持つ者を付け回している。宗教者も同様に。どっちが先に追いつくかはわからない。警棒・高圧放水砲・催涙ガス・南京錠・火炎瓶・石飛礫が全てのカーテンの裏に隠されている』

[Joker Man] Bob Dylan


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2019年12月02日

the LABELRafflesia

危なかった。起きたら8:30。顔も洗わず、ヒゲも剃らず(大したヒゲではないが)地下鉄中津へ向かう。

留学生たち、ぼちぼち大学決まりだしているが、決まってない子たちもいて、「次・どーする?」そんな話に終始する。

ちょっとタンマ。ちょっと待っててね。で、今度配信が決まっている自作のラインナップを確認していた。

ちょっと感動した。まあ、おれの30〜45歳ぐらいまでは「ホンマのGenious」やったな・と思う。もう細胞なんども入れ替わって「別人」ですが。

だいたい15〜30年前の曲たちなのだが、「よくもまあこんな多様な作品群」作ったな。ひねったニュアンスもありつつ本質的にはストレート。指のひっかり加減で右へ左へ下へ時には上へとナチュラルに曲がる変な球種である。どの曲も愛着がある。「我が子たち」だね。

おれのvozも「魂入ってる」。gはもちろんだが、keyの変態性、アレンジも今でもカッコいい。共演の人たちもいい。北林・カオル・友野・HONZI・Sheila・アンツ。自分のプロデュースは「間違っちゃいなかったな」。

mixもzakに杉山に前川くんに自分mixも悪くない。


なんども言うが、もう細胞数度入れ替わってます。「別人」です。ファンになった。みなさんもそうなっていただければ嬉しい。応援してる。別人だから。

全部で今んとこ8itemあるかな。最初の「no significant difference」「最前線物語」がunavailable.。モノがどこかに埋もれている。おれん家のどこかに。


それでも8ITEM. 正確には「すっぽんぽん'ズ」「ザ モルモッツ」以外には6アイテム。

今年中には・てことは今月中には配信開始できると思います。



the LABELRafflesia












posted by 浪速のCAETANO at 15:58| 大阪 ☁| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月01日

もういっちょう

怒りは常に最高のエネルギーだ。怒りをうまく上手に使え。怒りは素晴らしい卓越したツールだ。人の心を解放する。憎悪はエネルギーではない。憎悪は閉ざされたドアのようなもので、自滅的になるのは酷く、物凄く自己破壊的な行為だ。


John Lydon
posted by 浪速のCAETANO at 17:50| 大阪 ☀| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月30日

「not liberal ,but progressive」

初めて出たライヴハウスって、どこだったかな?あ・『拾得』だった。奥に和可(北山)さんの古着屋があった。

バンド名は「TANKS」。vo.はキングちゃんで、dr.はもちろん北林純、b.は三森、バッキングの(ちゃんとした)g.が朗さん、フリーキー担当がおれ・でした。『ギターの弾けないギタリスト』@北山和可。光栄だ。


店員に「どんと・タマキ」がいて、しかし、おれの「コントーションズ」みたいなギターで踊り狂ってた。1980ぐらいの頃。まだ阪大生だった。

ノーコメンツはもうデヴューしていた。外の人間であるおれたちにとっては「京都らしい京都」だったね。おそらく幻想入っとるが。

当時は「もろに受けてしまったPunkの熱を」どうおのれの中で消化して、体外に出すか?そんなことを無意識に考えていたように思う。おれの中では、同世代でpunkをスルーした奴らって、ゴミもゴミ・カスもカス・イモもイモ。今でもそこ無意識に「差別」してるかもしらんな。意識は「プログレッシヴ」なので、他意はないのよ。

おれはpistolsの音には「特に?」だったけれど、その時代におけるピンポイントの存在感・存在理由、存在の必然、そんなものに「いたくやられて」しまった。

今の日本の政治状況が当時の音楽状況で、山本太郎の立ち位置がジョン・ライドン(当時はジョニー・ロットン)みたいに見えなくもない。

表面化している・一見対立軸を持つ二つの勢力。見事に対立しながらも、テーブルの下では「握ってる」。そしてそのどちらにも属さない(属せない)人たちは「いないことに」されている。

そんな中の「Punk Movement」だった。そんな中のジョン・ライドンだった。そんな中の山本太郎なんじゃないのかな。


「リベラル」は階級である。そんな意見がある。目から鱗・とはこのことだ。目・曇ってるなあ・おれ。金持ちは論外だが、例えば「守られたリーマン」は実はどーなのよ?という気はしてた。「守られ度」にもよるが。まあ勝手に守られとけばいいのだけど、「守られていない」人々とはまたちょっと様相が異なる。そんなザックリ分けれるもんではないのだけどね、まあ最終的には各人の「心根」次第だとは思うが。あとは客観的な社会正義の視点を持ちえるかどうか・ぐらいだろうか。

どう生きようがお一人お一人の「勝手」なのであって、そこをどうこう・ではないのであって、ただ好む好まざるにかかわらず当人の与えられた環境が決定的なのね。そして人は与えられた環境の改善に従事することになるのだ。当たり前。そこ、あまり屈折しちゃいけない。


今大事な感情とは「切実」ではないかな。ホンマに「痛い」のだけど、山本太郎への「バカ質問者」にも「切実さ」は感じる。あまりに「論理破綻」しすぎて「一人でイクtype」なのでどうしようもないが。

もうしかし、これからは「プログレッシヴ」。これはBernie Sandersの支持者の中から出てきた言葉。「not liberal anymore,but progressive」なぜなら「liberalはclass」だから。

なんだか、精神にも地殻変動が起こり、「新しいマグマ」が下から出てきている。そう思える。


環境が変容(toward Worse)していく中、そこに対応する精神が旧態依然のオオアマな区分けじゃあ対抗できない。まあそして、まとまる際にはまた大きな区分もありなのだ。

で、progressive。


拾得の「玄米定食」を食いたくなって、玄米を炊いて「ごま塩・バター」と大丸の鮭と味噌汁で朝メシだった。






posted by 浪速のCAETANO at 12:39| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

out of the blue into the black

貧乏がもたらす絶大な原動力を絶対に甘く見ないでくれよ。全てを否定され、全ての機会を奪われるんだ。政府が、学校が、運命が、お前など何の値打もないと言う。お前は人間のクズだ。おとなしく従えってね。それはものすごい原動力になる

John Lydon

パンクは偽善や独占に対抗するものだ。資本主義の醜悪な面やカルトなどの全ての悪に刃向かうものなのさ

John Lydon
posted by 浪速のCAETANO at 11:35| 大阪 ☀| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

rip(just joke)

『三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものや博打にふけるものも出てきた。そんな彼らのために、私は苦心して、慰安所を作ってやったこともある』


衆議院議員・中曽根康弘(海軍主計大尉)

posted by 浪速のCAETANO at 11:29| 大阪 ☀| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月29日

逃すな

ニュートラルだった方々・がだいぶ、あの人たちマズイね・ちょっとね、そう思い出してきてないのだろうか?

国会の「桜を見る会・ヒアリング」の内閣府の役人・なんちゃら課長のあの「情けなさ」、別のなんちゃら課長の「傲慢なままアホのふり」、ダイジェストで地上波に流れる分だけでも、メディア・リテラシーの有無に関わらず、「何か」は感じるのではないだろうか?あとSecretaryの望月さん以外の記者たちの質問への回答を見たら・ね。

国内の壁とまでは言わんが、「膜」があるね。それは「半透膜」なのであって、水は通すが溶質は通さない。水が一般人の意識のようなもので、溶質を薄めようといった「受動輸送」だけではなくある種のパワーというか意識を伴った「能動輸送」でその水浸透速度は増す。

「ウンコ」の溶質を排除はできないから(できればもっといいのだが)それを薄めることで「正気」を取り戻せれば・など希望的観測。

何度も言うが「アホの思いつき(それも苦し紛れの)」の根拠を考えざるを得ん・と言うバ官僚・お疲れ〜。

全ての会話記録は「外国人記者」によって翻訳され、本国へ送られている。それを忘れちゃいかんのよね。官僚が「アホに付き合う」「アホのために働く」その度合いが過ぎればすぎるほど、こちらの国の「信頼度」がダダ落ちしていってることへの危機感はないのだろうか?上級国家公務員総合職。


昨日も「ヒアリング」でいっぱい宿題出されていた。この宿題・難しいで〜。学校では習わんタイプの宿題やで〜。答えがある問題ばっかり解いてきた「秀才たち」頑張れ〜。て・言うか、「やってられるか〜(怒)」と『切れてしまえ』。


今速報で「中曽根元首相」の死去が伝えられたが、中曽根氏といえば「日航機」である。御巣鷹山である。その真相を間違いなく知っている「証人」が何も言わないまま逝ってしまう。


墓場まで持って行く・の意味は「悪けりゃ米軍」「最低でも自衛隊」あるいはその複合的な、そんなことである。それが検証できなくなると言うことだ。

その意味でも「公文書」は大変大事なものであるわけだが、その公文書を「はいおわり〜・破棄」と言うのが最近の「流行り」である。means:残しちゃヤバいことをいっぱいしてしまいました・であるね。それに対して、つい先日の公文書に書かれてあったことがよくわからない・と官僚は言うのね。偏差値なんぼやった〜?

『哀れ』である。

これじゃあ、国の体をなさない・と言う自覚はあるのだろうか?「サラリーマン」のような官僚・政治家って要らない。


『佐川』の前例が悪しき前例となっているね。二浪の佐川。外歩けてるか〜?

Secretaryの「会見」がどんどん苦しくなってきてるね。逃げ切れるかな〜?悪意を持ってwatchしている。





















posted by 浪速のCAETANO at 13:05| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月28日

もうやめよ、Capitalism

プロレタリアにおける最大の不幸は何か?それは生存は保証されず、生産手段をもたない裸の存在であり、その代わり売るものは唯一つ、“労働力”であり、生きるも死ぬも、これにすべてがかかっている。

カール マルクス
posted by 浪速のCAETANO at 21:27| 大阪 ☀| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バタバタしつつ

太郎ちゃんの全国ツアーで、時々、「すごい瞬間」がある。

昨日もあった。@浜松。

酔っ払いのバカ・へのチャレンジ。本人は本人で、一生懸命生きてるんだが思うようにならない。「もうどうでもいい」or「自虐的冷笑」そのどちらか。「負のエネルギー」に支配された人間の相手は一般的にはひどく消耗する。それを克服するには「絶対的なエネルギー量の差」を「感情を排して」見せつけるしかない。太郎ちゃんはいまそれをやってるし、やれてる。

息切れ間近の国民国家の「最後の救い」。


市民との対話・これは政治家を鍛える。「Road」が彼・彼女を鍛える。バンドがライヴで鍛えられるのと相似だね。


タウンミーティングは文在寅もやっている。立派だと思う。pmできるかなあ?どっかなー?

その段階でもう月とスッポンではないのか。

『月とスッポン』


人のスケールもよくわかる。人は「晒されて」なんぼ。何をする人かによるが。

晒される・ということは「貶められる」とも紙一重で、そんな瞬間に人は好む好まざるに関わらず「能力総動員」を強いられる。能力総動員・となるともう普段、余裕こいて考えてたことに想いを馳せる余裕もない。髪のセットがイマイチやったな・とか鼻毛切ってたかな・とかゴマが歯に挟まっとったのブクブクすんの忘れた・とかパンツちょっとヨレてポジショニング悪い、う〜んもうっ・とかまあ卑近な例ばかり上げて恐縮ではあるが、平常時には些細な「気になること」にかまってるヒマもない。忘れる。

そんな「ちょっとした〜ホンマに大変な」修羅場は、だが人を鍛える場でもあって、脳内物質もピュンピュン出て、ある時からそれは自分にとって「快感の現場」となる可能性もある。後天的な「アウラ」や「カリズマ」はそういう時にポッと出現したりする。


昨日まで、中坊の期末テストで、「塾やって女子大行って帰って塾」が二日間あり、1日目の夜は店で午前様だったから「死ぬか」と思った・昨日。今日は10時まで寝た。珍しいことだった。おそらく頚椎からきてると思うのだが、以前は左手だったのが今回は右手がずーっと痺れている。ちょっとひどいので、しかし、どこへ行くべきか迷っている。だいたい、おれの2番目の頚椎は「ローリング」していて、それをレントゲンで初めて見たとき、「エズきそうに」なった。しかしどうしようもないのよねえ・こればっかりは。


年齢とともにいろんな不調が現れてくるが、これも「しょうがない」。この変容(劣化とも言えるか)もまた「楽しむ」べきことなのだろう。体力のピークって自覚のないままに「通り過ぎて行ってる」。

もう・そのピークにはないことは明らかなのだが、そこへのノスタルジアとアクセプトの狭間でカンペ〜するのがいいのね。歳をとる「愉しみ」なのかもしらんな・など思う。


おいおい、バタバタしてる間に11月終わっちゃうよ。師走ですね。あっという間に時間が過ぎて行く。今のままじゃ「長く生きる」=「苦しむ時間が長い」が必然である。あっという間に死にたいね・バタバタしつつね。



























posted by 浪速のCAETANO at 12:35| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月27日

勝新や

Secretaryは「勝新」ファンなのだと思う。

パンツの中にコカインが「入ってた」。お客の中に反社会的勢力が「入ってた」。

勝新は「怒られた」よね。キミも「怒られとくか〜?」


怒られるはresignですかね?それを強いるのはしかしpmしか居ず、こちらもまたバスの領収証、見つかったりして、脇・甘々だったりする。誰からも批判されない・がデフォルトとなると、そりゃアンタらだけじゃなく、誰でもユルむだろうけどさ。


おれは何よりもFTAを恐れているから、何とかならんもんか・と考えるが、どーなの?もう無理なの?衆院は通ってしまっている。「予算」と「条約」は衆院だけでも成立するんやったよね。と・なるとやっぱり・「チーン」なのだろうか?


完全に「WTO違反」の条約がなぜそんな「憲法よりも上位法」として君臨することになるのか?おそらく、80000000人ほどの「呑気」な人々・わかってらっしゃらないと思うし、であるから危機感も持ってないと思うし、おれが騒いでも「は?」だと思うのだが、いややっぱり「騒いでおく」。


資本主義の終焉を飾るに相応しい「条約」である。「同盟国の人々の懐」へ手を突っ込むわけだから。まあ資本主義自体も悲鳴をあげてるわけであり、悲鳴をあげつつも、さらなるマネーを求める以外に「資本主義」は生きる道がないわけであるからそうせざるを得ないわけよね。不憫だと思わないかなあ?

システムっていうのはそんな「不憫さ」を本来持つ。環境が整っているときなら、まあ正しく・というかreasonableに機能する。ところが環境が変化する・あるいはシステムそのものが環境崩壊の原因となる場合においても闇雲に原初の目的を遂行しようとしてしまう。まるで壊れたロボット兵器が「バカボンの本官」で乱射しまくっているようなものである。アタマ悪い。その際にかける言葉は「やめんか・ボケ」でいいとおもう。


FTAでまだ手をつけられていない項目は20もある。おれたちはゆっくり・だが確実に「殺されていく」そんな俎板の上に乗せられてしまってる。今日も、女子大で、早く「海外へ」あるいは「公務員」に・と、言ってきた。

posted by 浪速のCAETANO at 21:03| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月26日

にぶい人間だけが

「ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉は大嫌いだ」


Taro Okamoto
posted by 浪速のCAETANO at 22:13| 大阪 ☔| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クソガキ以外にどう・・・

もう言い逃れできないとこまで「言葉」では追い詰められている。のだけど、意地はってるのか・権力の安定を信じ切ってるのか・メディアの忠誠がそんなに説得力があるのか、なんだかわからないが、小学生の言い訳を続けている。

あ・分かった。「牢屋に入れられるからだ」

ただの辞職じゃ面白くないもんね。ここ「ビンボー人のルサンチマン」でも「いい」のではないかな・そんな気もするのね。

だから、余裕こいてるフリはしているが内心穏やかではない・と見てる。「シュレッダー見せて」「いや」クソガキ以外に形容が思いつかない。

法律の公正という点から見ても、ルサンチマンでも「お釣りがくる」だろう。


田村智子議員の追及は今・とっても見応えがあって、「わかりません」「知りません」「捨てました」のクソガキの言い訳をどんどん詰めていて、「60番台」は・・・・など推理小説の趣も加味され、興味深い。70人規模の「追及委員会(委員は全て国会議員)」も結成されて、「ごめんちゃい」とクソガキが言うかどうかは別にして、真実を白日の下に晒すことは絶対に必要。それで「もうしません」とクソガキが言ったからっつって、「許してあげる」かどうかは「また別のこと」。


国会議員・「仕事してください」。


pmがフランシスコ教皇と会談をして、またまたそれを人々へ「いい人」のふりをして見せてる。天皇もそう利用した。olympiadはもとより、サミット、ノーベル賞、国民栄誉賞・ことごとく毎日tvに出るのはpmで、一般の、お仕事に疲れた皆さんはpmが・pmこそが「こちらの国の政治アイコン」として刷り込まれる。もしsupport rateが「リアル」だとすると、おそらくそんなベースがあると思う。尤も、地方紙のrateは大体「25〜ひどいものでは3%」なんてのもあるから、基本、おれは斜視にはなってるけど。


香港の逆転は、あれこそ「小選挙区制の奇跡(って言うか当然)」なんだけど、pmは「どうしたらいいのかわからん」だろうね。pm一味・ね。

え〜・とか思われるかも知らんが、pmはこちらの国を「中華人民共和国」のような体制にしたい。

「国家資本主義」の効率と「独裁」の快適が彼らにとって理想だからだ。「ウソ〜」と思われるかもしれないが、ホント。実際もう一歩のとこまできてる。わかんない方はおめでたい方。「シンガポールみたいな」って言ってんじゃん。シンガポールは「野党」がいない。あと「鞭打ちの刑」もあるよ・ふふふ。

中国人留学生に確認すると、Chinaは経済活動はなんぼやってもいいが「政権・体制批判」は絶対許さない・そんな国である。ちなみに国民のフラットな意識として「香港・マカオ・台湾」は「parts of China」である・と。

だが、中国は「広い」。アメリカもそうだが、広い。だから、中央政府の意図が末端まで浸透するには「時間がものすごくかかる」。だから北京・上海・天津・重慶などの直轄地ではなく、特にちょっとした田舎なら、まだ「手付かず」の「自由らしきもの」が存在するみたいである。ここがこちらの国との大きな相違かな・そう思う。習近平よりpmの方が「エグい」支配者になりうる・ことをこれは意味する。まあ「アイドル」の一人だし。しかし、取り巻きの(極右は)仮想最終決戦相手は中国だけどね。

隠れられない国・これがおれたちの国。大阪はまだ、伝統的にマークが甘い。維新の存在はそこを逆手に取ったもの。


衆院選・あるのかどうか?olympiad後・というのがreasonableとは思うが、どうなることやら。「桜」のことももう忘れてるだろうからね。おめでたい。










posted by 浪速のCAETANO at 09:45| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月25日

@hiroshima

教皇のスピーチ
広島の平和公園にて
2019年11月24日

「わたしはいおう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」(詩編122・8)。

あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。

ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、なかには、異なる言語を話す人たちもいました。そのすべての人が、同じ運命によって、このおぞましい一瞬で結ばれたのです。その瞬間は、この国の歴史だけでなく、人類の顔に永遠に刻まれました。

この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめます。また、あの時を生き延びたかたがたを前に、その強さと誇りに、深く敬意を表します。その後の長きにわたり、身体の激しい苦痛と、心の中の生きる力をむしばんでいく死の兆しを忍んでこられたからです。

わたしは平和の巡礼者として、この場所を訪れなければならないと感じていました。激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、静かに祈るためです。とくに若者たち、平和を望み、平和のために働き、平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望みです。わたしは記憶と未来にあふれるこの場所に、貧しい人たちの叫びも携えて参りました。貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです。

わたしはへりくだり、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です。それは、人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です。

確信をもって、あらためて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。2年前に私が言ったように、核兵器の所有も倫理に反します。これについて、わたしたちは神の裁きを受けることになります。次の世代の人々が、わたしたちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。平和について話すだけで、諸国間の行動を何一つしなかったと。戦争のための最新鋭で強力な兵器を製造しながら、平和について話すことなどどうしてできるでしょうか。差別と憎悪の演説という役に立たない行為をいくらかするだけで自らを正当化しながら、どうして平和について話せるでしょうか。

平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」に過ぎなくなると確信しています。(聖ヨハネ23世回勅『パーチェム・イン・テリス――地上の平和』37〔邦訳20〕参照)。真理と正義をもって平和を築くとは、「人間の間には、知識、徳、才能、物質的資力などの差がしばしば著しく存在する」(同上87〔同49〕)のを認めることです。ですから、自分だけの利益を他者に押し付けることはいっさい正当化できません。その逆に、差の存在を認めることは、強い責任と敬意の源となるのです。同じく政治共同体は、文化や経済成長といった面ではそれぞれ正当に差を有していても、「相互の進歩に対して」(同88〔同49〕)、すべての人の善益のために働く責務へと招かれています。

実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。「武器を手にしたまま、愛することはできません」(聖パウロ6世「国連でのスピーチ(1965年10月4日)」10)。武力の論理に屈し、対話から遠ざかってしまえば、いっそうの犠牲者と廃墟を生み出すことが分かっていながら、武力が悪夢をもたらすことを忘れてしまうのです。武力は「膨大な出費を要し、連帯を推し進める企画や有益な作業計画が滞り、民の心理を台なしにします」(同)。紛争の正当な解決策であるとして、核戦争の脅威で威嚇することに頼りながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。真の平和とは、非武装の平和以外にありえません。それに、「平和は単に戦争がないことでもな〔く〕、……たえず建設されるべきもの」(第二バチカン公会議『現代世界憲章』78)です。それは正義の結果であり、発展の結果、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の世話の結果、共通善を促進した結果生まれるものなのです。わたしたちは歴史から学ばなければなりません。

思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる真の道を切り開く力があります。したがって、現在と将来の世代が、ここで起きた出来事を忘れるようなことがあってはなりません。記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。すべての人の良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶です。わけても、国々の運命に対し、今、特別な役割を負っているかたがたの良心に訴えるはずです。これからの世代に向かって、言い続ける助けとなる記憶です。二度と繰り返しません、と。

だからこそわたしたちは、ともに歩むよう求められているのです。理解とゆるしのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、わたしたちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。

神に向かい、すべての善意の人に向かい、一つの願いとして、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と。わたしたちの時代に、わたしたちのいるこの世界に、平和が来ますように。神よ、あなたは約束してくださいました。「いつくしみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます」(詩編85・11−12)。

主よ、急いで来てください。破壊があふれた場所に、今とは違う歴史を描き実現する希望があふれますように。平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!

私は、君とともに平和を唱えます。

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@nagasaki

長崎 爆心地公園でのスピーチ

教皇の日本司牧訪問
教皇のスピーチ
核兵器についてのメッセージ
長崎・爆心地公園
2019年11月24日

愛する兄弟姉妹の皆さん。

この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさったかたとそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。

人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。

国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。

ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です。

核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。

今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。

カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。

核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。

こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。

心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指す中で、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。

ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でないかたもおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみがあるところに愛を、
いさかいがあるところにゆるしを、
疑いのあるところに信仰を、
絶望があるところに希望を、
闇に光を、
悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。

記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。

皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。

(ローマ教皇庁が発表)

posted by 浪速のCAETANO at 16:09| 大阪 ☁| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする