2006年12月30日

年末'06-5

 穏やかな日だ。新しいMTRも来たことだし、先のことを考えながら過ごす。

 年賀状はもう何年も出していないのだが、オヤジとオフクロに手紙を書き、吹田の本局まで愛車(チャリ)を飛ばして、帰りに豚丼を喰ってしまった。このマヌケさが穏やかさを象徴するというものだ。

 ミーツから今日次の号が送られてきて、思ったことだけど、締まってるぢゃん、おれのおかげで・と思ったが賛同の方きっと少ないのかな。でもね、あのようなアプローチしかリアルじゃないと思うのよ。読者を変な「躁状態」にすることの罪も考えなあかんわ。それでもちゃんと曾根崎のページには情報もあるし、いきたい店も満載である。それはそのお店が素晴らしいということなので、そこはおれの功績ではなく、だからだね・そんなにむやみにノリを作んなくてもいいエリアもあるっちゅーことよ。来たこともないヤツがわかんないくせにガタガタぬかすのはよろしくない・ということなのである。デッドエンドストリートに今から人が溢れるなんて考えたら違和感ありすぎるもん。できればみんなちゃんとちゃんと読んだ方がいいと思うよ。

 マルタニカズが明日のライヴに出演するかどうか・のハナシ。
 わからない。そんな義務はない。自分の店なのである。おれはコロコロ転ぶ大の気分屋さんでB型で魚座であって本日やっとおシゴトから解放され、その自由を今から満喫しようかなと思ってるぐらいのターニングポイントちょいと曲がったくらいの現実の中にいるに過ぎないから明日の夜・2006年の最終数分のことなんて「わからない」ということがおれにとっての「誠実」なのね。それを非難囂々されたとしても「屁」でもないのである・別に。なぜか? 自分の店だから。責任はおれが取るから。責任取れもしないヤツはいちいち確認が必要なのだ。なにもかもがカル〜いのだ。アタマも存在も認識もなにもかも。もう・いやんなっちゃうよ。ですから、今言えることはTODO O MUNDOの年末の空気を吸いにいらっしゃい・これだけ。でもこれはわざわざ来て五官に刻み付けて欲しいって思う。それだけの値打ちはきっとあると思います。まあ・おれとおれの店で飲もうよ。

 今というものはすぐに過去となるが、人は過去の集合体であり、その免疫があるから未来を生きることができるのである。すべての今はすぐに過去になる。すべての未来さえもが過去になるのだ。だから曾根崎の偉人は「記憶とか思い出だとかなんの役にたたない・ってこともない」と言うわけだ。明日もすぐに過去になる。そして一年経てばああ・そう言えばあの辺りに「変な店」あったよな・となるのである。モノもヒトも(まあモノのほうが100倍ほど)はかないのだ。しかし、ヒトの思い・例えば芭蕉の句であるとかお初の言語化されないほどの狂おしい思い・はその後フェイズを変えてしまうのだ。おれがTODO O MUNDOを続けた思い・というのもその「効果」は今イチあがっとらんが・いまんとこ・しかし、わかんないよ、トドムンドがなくなった頃に「路地路地」ってばかの一つ覚え・あるいはサルのオナニーのようにヒトはその言葉に「安心」を感じ、唱え出すのである。きっとそうなるんだから。
seven3.jpgお前の予測はたま〜に当たる

 
 

 

 

 

 

 

 
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2006年12月29日

年末'06-4

 もうこれで終了!!!と思ってもまだまだ出てくる請求書

 なんでかな? なんでかな・といっても請求する側もまあ穏やかな正月を迎えたいわけだからお互いサマ。なんでも払うでー。年の最後になって「あ・忘れてた」という感じで寒くなる。寒さが沁みるね〜いろんなとこに。

 TUTORは昨日終わり、塾も今日で終わり。昨日本年最終ゴミだったのだが、TUTOR帰り・電車で行ったから黒門の中を歩いてるとき寒くて寒くて、帰ったらブリ照りと作っておいた煮物で酒を飲むこと以外のことは見事にアタマの中から消え去り、ワインのハコが大量に年越しすることになっちゃった。失敗やー。

 駐禁に関して道路交通法がどう変わったのかな、と思っていたら、こないだ天六で貼られとったのだが封書が来た。所有者宛に来た。とりあえず所有者が1万円払えば運転者は免責されるみたいである。点数引かれないみたいだ。払わなかった場合はそのクルマ車検受けれんようにしたんでー、等脅し文句が書いてあった。飲酒運転の罰則もどうも50万円に引き上げられるみたいである。ほんとに「ばかの国」だ。罰によってヒトが根本的に変わるなんて有り得ない。しかも大変重い罰則を科してヒトをコントロールしようとするなんておれたちは「幼児」か。そもそもアホのワカモノが大変な事故を起こしやがるからこんなことになる。「賢者の失敗は馬鹿者の規範」になるが「馬鹿者のミスが賢者とまでは言わんが普通のヒトビトのルール」を作るってのはなんちゅーこっちゃ・と思う。これはそもそもバカをイチ消費者として賢いニンゲンと等しい人権を与えたことが根源にあるんだぞ。おれが言ってることは「暴論」やで。暴論やけどなあ、それによって賢いニンゲンの行為が制限されることのデメリットを考えんのか・オマエらは。こんだけ現代文明にどっぷり浸かってスポイルされてしまったバカ達を基準に法律を作って(法治国家の法律は重たいぞ)それによって不自由な思いをする・次代のためにイノヴェイティヴなことをする可能性のある賢者の手足を縛るって何事やねん。そんなとこからしか次代のニンゲン全体が恩恵を蒙る発想なんか出てこないんだぞ。そんなヒトビトのヤル気をなくさせる法律(道路交通法のみならず)ばっかり作ってどーすんの? ほんまに人生の楽しみを知らんお勉強しかしてこなかった東大出は使い物にならんのの証明じゃないの。ばか。

 世の中の親たちもほんとにばかだから、今言ったような東大出のミニチュアみたいなものを作ることに懸命だ。もうロクなことにはならんよ・この国は。小賢い=小ズルいワカモノしかできないでしょ・その結果。こんな大衆の国はごめんだけど大ッ嫌いである。しかし世界はこの大衆の国を追従している。資源が時間とともにより少なくなるからそこではもっと殺伐としたものになる。中国を見たらそんなことはすぐにわかる。おれなんかはもうギリギリのところで生まれたな・と思うわけよ。楽しいことも特権的なことももう充分やってきたし、いつ死んでも構わないと思うことだってある。ヒトは過去のイメージを再現しようとするが、それは未来において不可能であるとあるとき悟るのである。自分も中途ぱんつなエゴイストだったな・と反省をするのだ。そして自分のモードをブリリアントなエゴイストに再設定するしかない・という結論になる。大衆社会を超えるにはそれしかないだろうな・と思う。

 明日はやっとほえー・な日だ。何もかも・時間さえも忘れてしまいたい。もうどうだっていいがどうだってよくないのだ。
seven3.jpg論理矛盾だ
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2006年12月28日

年末'06-3

 残り4日となった・2006、この年末をみなさんはいかがお過ごしか?

 特に変わらないというのがおれの実感なのだけど、今年は中学生の冬期講習がない分時間があり、その分しかし他のことでやることは増えているから、プラスマイナスゼロという感じ。まあ何度も言っているけどこの一年は波乱に富んでいて、よく最後(まだちゃうが)までSURVIVEできたものよのう・と殿様的な詠嘆を禁じ得ない。おれの場合バカなのでその際には「バカ殿」ということになり、いささか不本意な始末。

 なんか結構必死やった気がするのが自分でおかしい。最初の3/4は自分の絡みで、あとの1/4は実家の絡みで。なかなかそのようなインナートラブルに遭ってばかりだと、「外」へは出て行けないのだが、ただただ外へ出ることがよし・ってわけじゃなく、その前にやることというのは中の充実とまではいかないとしても、中のトラブル解決なんてことは必要条件だったわけである。

 いろんなヒトビトとの出合いや再会もあり、それはそれで良かったのだが、ある程度仲良くなるとそのヒトはその「場」を離れてしまうことも多く、結局さほど自分にはメリットもなく「はい・もっかいはじめからね」ということになるのももう慣れた。

 来年はトドムンドの去就が第一の問題で、しかし、それと平行して「録音」がある。普通考えたらなかなか大変だ。しかし、今年のヘヴィさを経験した後では、まだ生産性のあることでアタマ・カラダを使えることの幸せを予測してる。今年は放っとけばマイナス化していくことをいかにだましだましロスを最小限にするかみたいなことばっかで、さすがに元気なくなった。それに比べるとね、自分の能力を正当に使うチャレンジであるから、それはしっかりやらんとな。みんなにもしっかりやらせないといかんし。

 さて年末は恒例のオールナイト・ライヴ@TODO O MUNDOだけど、来年の大晦日にはトドムンドは更地化していると思われますので、あの「場」とあの時間を記憶の中に留めておきたい方は来た方がいいのではないか・と思います。まあ・トドムンドでのライヴは店が存在している限りちょこちょこやろうとは思っています。(現実に1/14もある)ただ、あの大晦日から元旦という特殊な空気でのそれは多分・上町断層が動かない限り、「最後」と言ってしまってもいい・と思う。最後のおれ@トドムンドon the last & first day over the yearsだから自分おつかれさまの意味も込めてCHARGEを頂こうかと思っていたら、ユルフンコックがnon-chargeと勝手に告知してしまいよったので(なんやねん・non・って)、それじゃあナニかい? おれの歌はチャージに値しないってことかい? そう思うんならそれでいいが。というわけで、今回他のヒトビトにがんばっていただいて、おれはおいしいとこだけ頂き、かる〜く流して終わっとこう・という予定です。ヒトのヤル気を殺ぐことに関してはその才能ピカイチのユルフンコックですが、最後まで自分の裁量の質を理解できなかったかな。反省もズレとるし。まあ・まだまだっちゅーことやな。

 TIME TABLEですが、
「ラフレシアン・コムプレックス3.5 2006と2007を跨いでうんこしちゃうぞ・まだ出るぞVIVO」(マルタニカズライヴではありません)
22:00 LESS THAN ZERO
23:00 スっぽんぽん'ズ
23:20 KATO AQUI
23:50 浪速のカエターノ
1:00 MCラムパンペイロ

ということになります。
 では、みなさん大晦日にお会いしましょう。NON-chargeです!!!!
jolene_blalock020.jpgフランス人だったのぅ? おーアラブ系移民ね。
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2006年12月27日

年末'06-2

 なぁんにも責任もないやつならいいけども、バカ社長という立場上、年末はものすごく・そのムードに浸るとかなんとかそんなこととは全く関係なく意識せざるを得ないのである。

 今年は・・・だったよなあ・うんうん・などという詠嘆のキモチからはほど遠い殺伐とした「お金の計算&工面」という人生が待っているのだ。そんなことを神経細らせながらやれてるヤツは周りに誰もおらんのにもかかわらず、それ以外のことを「やれーやれー」とカビスマシイ。なんだかそんなことが鬱陶しくなってきたりもする・ちゅうことなのだ。支払いなどはやはり、年を越さずなんとかお支払いしておきたい・と思う。こんな人生がいつまで続くのかしらんが、もうちょっとな気もするが、もうちょっと飽きてきた。なんでも自分でやるのならそれは自分の責任で明確なのだが、人任せの場合、おれの指示を、言っても実行しなかったり、実行してもどひゃーなタイミングだったり、言わなかったら見事になぁんにもしなかったり、そんなことばかりであるからメゲてしまうわけよね。

 まあそんなものも含めましてオノレの生活・一生・生命・人生(LIFE4大意味)なんでした。そうこうしているうちに塾が始まりそうで中途ぱんつなまま筆をおくのだ。
seven.jpgフッ・中途ぱんつだと?
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2006年12月26日

年末'06

 クリスマスも終わり、一気に年末ムード&モードですが、さっき鍋焼きうどんを作ろうと思い下にいったら本日のBGMは「ミュゼット」だったから、買い物してるうちにクレープのハムチーズ巻きなど喰いたくなったが、初志貫徹で鍋焼きうどんにGO!!!の年末午後であった。スーパーマルシェなムードは微塵もないが、そこにパリのスーパーを幻視しながらかき揚げなどを買うのは別に悪い気はしない。いっそのことその有線永久にかけといてよ。豊津のおばちゃんが「マダム」化するかもしらんで・ってそんなことは有り得ないが。かけるチャンネルに困っての苦し紛れの行為だとは思うが、そんなとんちんかん・がおれは好きよ。

 普段のBGMなんてひどいもんだから・さ。「おえーな曲に泣きのギター」とかもっとも食欲なくなるコンビネーションだし・ね。

 TODO O MUNDOの選曲は10年間やってきましたが、ま・最新の曲なんてのはないが、大雑把なところでは1930から90's初頭までの自分が愛した曲の「群れ」のオンパレードがそこにはあって、それ以降がなんでないかと言うなら、そこまでで楽曲のアイディアが出尽くしとる・とおれは思うわけで、それ以上に新しいものは「ない」なんていささかゴーマンにも結論づけてしまうからなのだ。それはポップの形成に関する「一回性」に注目するからなのであって、厳密に言うならおれの好きなポップはもうそこで終わってくれていいのである。もちろんコドモはどんどん育ってくるのは分かっとるよ。その同時代音楽が必要なのもわかっとるよ。だからコーダクミなんてねーさんが「おる」っちゅーのもわかっとるよ。コーダクミだけじゃなくっていろいろ「いる」っちゅーのもわかっとるよ。ただフェイクはフェイクでフェイクなのよ・ごめんちゃい・って態度はないと。こいつらの態度は「THIS IS 'THE' MUSIC 」という態度なのが気に入らんだけなのね。一週間前のコーヒーをもう一回抽出して黒い色つけたような「おえー」な代物をありがたがってバカコドモに聞かせてる・そこが気に入らんだけなのよ・忘れてね。器材の発達もそんなところに貢献しちゃ本末転倒ぢゃん。

 そういうわけでおれたちがコドモだった頃のロックやソウルはなんだかちょっとヘンテコなものになってしまっているのだけども、というよりか、そんなフィールドは日本にはそもそもなく、すべて「歌謡曲」になっとる・なんてことをいうと本家歌謡曲のみなさまには・そんなつもりじゃありませんなのだけど、早い話、曲書くヤツが「ぷー」なだけなのよ。本家歌謡曲の曲を書いてた作曲家はみなさん素晴らしい作家だった。服部センセーはじめ。それにひきかえ、今のコーダクミとかの作曲のやつなんて曲書けとらんよ。早い話・音楽で曲書けんなんてのはダメ・文章書けない小説家とおんなじぢゃん。

 そんななかでの同時代音楽なのだけど、見通しは「真っ暗」だがやるしかあるまい。来年上半期というか、その流れでプロデュースに専念するために、自分のライヴは封印しようと考えてる。まあ自分がそんなことして「戻って来れるのか/」という懸念もあるこたある。どうなんだろう。わからない。ただ、このザ・レーベル・ラフレシアのメンツの各個体をおれの手にかけて、世に出したい・という希望を達成するには、自分の事にかまっているヒマははっきり言ってもうないからね。それが達成したあかつきには、自分の事をメいっぱいやろうとは思うが。
seven.jpg我慢できるのか?

 
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2006年12月25日

ジコチュウのすすめ

 HAPPY X'MASを聞きたくなってCDを探すがない。「ん〜ん・もう」だったのだが、iTuneに入っとるやんか・バカね・あたし。

 で聞き始めながらこれ・書こうと思ったのだが書けない。「ながら」が出来なくなってしまっている自分に気づきしばし唖然とする。そう言えば音楽聞きながら文章書いてなかった。自分が聞く音楽とははげしく感情移入しているものばかりだからかな・と思い当たる。

 なるほどね・おれも「誠実」になってきた・というわけではなく、脳の使い方の「くせ」の問題なのね・これがまた。今読んでる本が刺激的なのだが、またこれが説明できるぐらいによくわかったらかいつまんでここに書いてみようと思う。その本はモノ事の始まりと終わりの間・つまり「いったいどのようにして、ニューロンの発火から主観的な感覚や思考や情動が生まれるのか?」をできるだけ形而上学としてではなく解き明かそうというノーベル賞学者の本なんだけど特に「意識」というものに焦点を当ててお話が進む。「意識は常に変化しながらも、連続している」この言葉が今とても気に入っている。自分の・・・に対する意識のことを言われたような気がしたからで、その・・・ってのはちょい・ほら・照れるから言わんとくが、これは誰にもあること。その各人の・・・がそのヒトにとっての一生のテーマだよね・そうだよね・パパ、どうして夕焼けはオレンジ色からドドメ色までいろんな色があるの? と厄介なコドモになったとしてもその本は答えてくれるのかな。

 しかし・意識=おれ・と言い替えられるわけで、そんな難しいこと考えずとも、物心ついたときからおれたちは「常に変化しながらも、連続している」わけでそのダイナミズムが「おれ」なわけで、なんだかそんなことを改めて聞かされて元気が出た。単純バカの典型的現象とも言えますが、しょーがねーじゃんよう・バッカなんだからさぁ。

 今年も一週間を切り、もうこれからは年末ムードなのだけど、なんかそんな盛り上がりに欠ける日常なのでしたが、これってしょうがない。おれたちは加速された時間を生きているからなのね。今過ぎ去った時間を吟味し、余韻に浸っている間に次の出来事が起こっているということがそこでは起き、世の中の摩擦ですり減るか、引いて「浦島太郎」なるか、どっちかみたいな不毛なる選択を迫られているのである。つまんないぜ。

 しかしだれもが「常に変化しながらも、連続している」と考えれば、世の流れを作っているものとは非常に恣意性の高い・たまたまそんな立場にいたニンゲンの変化と連続に追従させられているなんてことがすぐにわかるだろう。だからあんまりTVとか見ちゃうとわっかりやすいバカになるといった話。もっとほんとに別の意味で「自己中心的」になれば・なれよ・みなさん。
tn_q_004.jpg崇高なるジコチュウ・「Q」
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2006年12月24日

SO THIS IS X'MAS

 聖夜などと言えば何かがこっぱすかしい。家は浄土宗だった。

 ただ、X'masはキリスト教徒の祝祭日を超えた何かになってしまっている。インドネシア(イスラムとヒンドゥーの国)にもサンタの格好したおっさんがいる。日本のコマーシャル・クリスマスも、溜まっちゃって溜まっちゃってしょうがないワカモノ男子と疼いちゃって疼いちゃってしょうがないワカモノ女子のタメだけのものではなくなってきつつある気がしている。格差の上の方ではきっとまだそんなんなんだろうが、おれたちゃカンケーないもんね・なヒトビトのクリスマスはなんか質素に世界平和を祝う日になっていきつつある・と希望的観測もこめまして思う次第。

 そんな気に昔からなっていたのはジョン・レノンの「HAPPY X'MAS」の存在が大きい。非常に完成度の高い素晴らしい歌だと思う。発表されたのはベトナム戦争末期だったろうか。副題の「WAR IS OVER」が切実で、チビながら激しく感情移入したことを覚えている。

 ジョン・レノンの訃報を聞いた時のことも忘れられない。大学5年の冬、いやいや就職を決めて、「パンクとレゲエ」の卒論を書いていたときにFMラジオからそのニュースを聞いた。当時はオノ・ヨーコさんの垂れチチがひどく日本人全体の美意識&プライドをキズつけ、なんと醜い・と思い、ジョンはなんでそんな垂れチチと結婚したのだ? とおれたちも「?」だったのだが、オトナになるにつれて、彼の平和を求める気持ちと当時の小野さんたちの世代の持つ日本女性の奥ゆかしさの中に何かがスパークしたんだろうな・なんてことが少しずつ分かってきた。

 リバプールの悪ガキが平和をまず内的に訴えるヒトになるというのは、動物虐待のコドモが動物愛護のオトナになることと似て(これには異論ある方多いと思うが)ヒトのこころの同一性とは一体なんや・どーなっとんねん?という話になるが、コドモのままオトナになるとは限らないという素敵な臨床例がジョンである。世界を変えるなんて言わず、オマエの心の中を変えれば?なんてとこも、ものすごい素敵な話で、資本主義社会を革命によって倒し、社会主義社会を作り、それがバラ色どころかもっと悲惨な社会にしてしまった、中国・ソ連・東欧の指導者達に対する、唯一そして暗黙のアンチ・テーゼになっていたことも忘れられない。理想を訴えるための知名度は功を奏したかに見えたが、それが仇となり暗殺という結果に終わるのだが、ジョン・レノンは20世紀の生んだ最大のポップ音楽家の一人ってことは間違いない。ジョンにあやかろうとする低能ミュージシャンもどきが後を絶たないが、それもまあしょうがないか。

 HAPPY X'MASはラヴ&ピースに溢れ、途中からヨーコやコドモ達の声が聞こえてくる辺りから、急激に幸福感に溢れ、こちらの涙腺もユルくなってくるのだが、その幸福感は現実からはどんどん遠くなって行くが故に、聞くものの心の中にジョンの魂を共有する場所の面積は増え続けて行くのである。

 HAPPY X'MAS(FELIZ NATAL PARA TODAS AS PESSOAS DO MUNDO)
 
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2006年12月23日

ヴァルナラビリティ

 なんだか最近店に行った際、みんなでおれを責めやがる。

 話の流れでなんかいつも「おれが悪い」というようなことになる。
 「なんで・っそーーなるのっ」
 攻撃を受けやすいタイプって必ずあり、どちらかというと、自分もそうだったかな・と思う。今で言えば「いじめ」の対象かもしれない。コドモの頃実際そんなこともあったような気がする。ただ、臨界点を超えたら、もうほんとに大暴れをしていたから、そいつらが屈辱的に赦しを乞うまで絶対に許してあげなかったから二度とそんなことはなくなるのだった。よく警察ザタにならなかったものだ。

 もし・いじめ・それも不当ないじめに合ったときは、いじめてるやつの人権などはちょいと忘れて顔の中心を殴ってやればいいのだ。それはレジスタンスなのだ。でもそんなことが嵩じてテロリストになったやつがいたとしたら、それはコドモの喧嘩とオトナの喧嘩を混同し過ぎである。そうとも言えないかな。イエスorノーだ。テロのすべてが「悪」ではないとは思うな。ただ、関係のないニンゲンの安全を脅かすのはどーか? 決定権を持つただひとりのニンゲンをターゲットにするなら、それは「悪」とは一概に言い切れないような気がする。それが悪だったかどうかは歴史に委ねてもいいのかもしれないでしょ。

 酔っぱらっていたからなのだけど、パワーショベル御一行のおっさんらにその系統の怒りがこないだ突然盛り上がってしまって困った。家が崩されるということは象徴的なことだし、それを仕事とは言え、事務的に効率なんてことを考えながら、「今日は昼飯なんにしようかな」なんてことを考えながらやってるおっさんらにムカついたわけだった。

 最近酒が少し弱くなってきたな・と思う。もうズブロッカの痛飲はヤメよう。ていうか散々他のもの飲んだ後にズブロッカの「飲み直し」はヤメよう。ヤメとったんだけどね、ちょっとノリに流された。もうデッドエンドストリートはおれが天皇陛下ではないのだ。それぞれの関わりの深さがそれぞれの大きさを持ちつつあるのだ。
seven.jpgやっとわかったのか。
posted by 浪速のCAETANO at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月22日

痛飲・いたいし

 久しぶりにびっくらこいた。目が覚めて、ケータイの時計を見ると16:48。なんや16:48かい。ン? ・・・ええええー!!!

 今日初めてヅラ被ったおっさんに「おはよーございます」とフツーに挨拶して、ン? ・・・ええええー!!!と似てるかな・似てないかな。

 昨日久々にズブロッカ漬けの刑に(自らすすんで)なったのだった。ナチュラリーに行ったのが間違いのもと。その前におみつでさんざん立山飲んだ後だったから帰りもうふらふらだった。 
 FANDANGOの豊島とディベートして、それをはやすa美ちゃんのアタマをはたき、SK原のブログの悪口をいい(以上すべておれのバロックな愛情表現である・わかんないと思うが)帰ろうとしたら、曾根崎コアから委託されたと思える、パワーショベル隊御一行がまさに家を崩していた。おっさんに因縁をふっかけ、罵倒しているうちに「ほんまにシバいたろか」「パワーショベルにドンキホーテ」しようか、等反社会的行動を取る寸前のとこでユルフンコック&T坊がやってきて我にかえった。

 いやーまいったまいった。ほんまにまいった。そしてはげしい二日酔いの中塾は進行するのだった。今日はまったく使いもんにならん・おれながら。
seven.jpgばかか・お前は。

posted by 浪速のCAETANO at 20:31| Comment(1) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月21日

ブレラに乗った・が

 アルファ・ブレラに都合3日乗ったのだが、うーん・どうかなあ。おれは買わんな。(買えんくせに)

 いやでもね、取材のおじいさんがどこかで当てたら、「いやー申し訳ない。責任とって買うわ。200万ほどまけて・そのかわり」なぁんて交渉する気もあったのだが。(どっちやねん)

 もういっかい・いやでもね、アジがないのよ・アルファの。ドイツ車に近いかなあ。(ドイツ車乗ったことないくせに)いやそのう、想像上のドイツ車ね。不肖おれは過去5台のフランス車・4
台のイタリア車・2台のスウェーデン車所有と言う変態なのだー。わかったかー・パンツ脱ぐぞー。

 というわけでクソ日本車・クソドイツ車のことは知らんし・っどーでもいいのだが、ブレラはアジがうっすいうっすい・だった。いいクルマではあったけど。155が欲しくなった。さがそかな。

 西大橋のアルファ心斎橋までクルマを返しにいって、長堀鶴見線かー、と思い大正まで散策に行く。うーん・ガード下とか濃いい。ウチナンチュー店多い多い。ソーキそばとか喰いたくなったが、問題集買わなきゃいかんのを忘れてて、バスで大阪まで引き返す。バスは好きなのよ・まあまあ。地下鉄は降りたり上ったりがタルい。バスならヒトの視線も気にならんしね。

 そして新梅田食堂街をうろうろ。問題集が重くていやんなったが、うろうろ。サラリーマン時代よく行った鰻屋の前をうろうろ・洋食屋の前をうろうろ・昼酒の誘惑もあり・手作り御飯屋も惹かれる・奴の炊き込み・きじのお好み・串カツ・普通の居酒屋・もーどーすんの!!!

 結局そういうときは結果的にスカ引くというのが正しい成り行きで・新梅田の中にもマズい(というか・店自体が・働いてるねーちゃんがダメ)店もあるという教訓を得た・収穫多き1時間だった。お店って難しい。向いてないね。

 もう街は年末独特の慌ただしさが満ち溢れていて、そーや・おせちも頼まないといかんなあ・と思う次第。これが・しかし・また迷う。迷ってロクなことないとわかっていながら迷う。ひょっとして楽しんどんのかい・アンタ? ともうひとりの自分がまたもや右ナナメ前方からもの申すわけだが、「そうかもしんない」。しかし、ごっつい庶民的やぞ・その楽しみ。最近ちっちゃいね・アンタ、という自分ツッコミにももう慣れた。どーせそんな程度なのよ。ほっといて。
seven.jpg放っておくとしよう。
 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月20日

予想ってさ・よりはじめて

 そう・予想は必ず外れる。

 もすこし正確に言うと、「事前の予想はあくまでも予想でしかない」ってこと・ね。予想を現実にするためのエネルギーはものすごく要ってその際に体調や天気や風向きや朝何喰ったかや地球と月の位置関係や彼女の生理周期や前日の酒の強さや日経平均TOPIXやなんやかんやが・これはすべて不確定要素なんだが・関係して結果になる・という話だった。

 バルセロナもそうやって負けるわけだし浅田真央ちゃんもそうやって転んじゃうわけだった。

 デットエンドストリートにもこれから何が起こるか・やっぱりよくわからない。曾根崎コア自体が立退料のために金融屋から借りてるカネ返せずに、「倒産」なんてことになるかもわかんないし、上町断層が動くかもわかんないし、おれやナチュラリーのおっちゃんじゃなくゴジラやキングギドラが曾根崎でアバれることだってあるかもしれない。

 久しぶりに大阪に帰ってきたら、マンション水漏れのため一日中断水だってさ。当たり前のことは突然当たり前ではなくなる。おれたちの日常に関する想像力って現実にはそんなもんにしか過ぎない。なるべく冷静に自分より大きな存在の意向を受け入れてへらへら生きていくしかないのだよ。誤解なきよう言っとくが大きな存在というのは権力とかではなく、例えて言えば「熊野のカミ」のようなことをおれは言ってるのね。誤解なきよう言っとくなら。

 安倍ちゃんの支持率がダウナー系だ。どこまでも下がればいいのでは。

 既成事実があるからと言ってキヴアップする必要はないと思う。なんらかの方法はあるはずで、そこを考えるのが「貧乏人の知恵」だ。ほんとうの想像力はそこで必要となる。なんか既成のイメージで何かを改善しようとしてもそれが「既成のモノ」であるという一点で想像力が働いていないのと同じである。モノ事は一件一件事案が異なり、あんまりイージーに他のモノ事からの応用って利かないことが多い。そんなことを来年はいっぱいしないといけない。試されるのだがおもしろいと思う。

 モノの見テクレ・ばかりに気を取られているとみなさん「えっらいことになりますよ」最終的にはエネルギーの大きさと持続度なんていう・マラソンでハイペースでぶっちぎって最後までなんていうパワーが必要になってくるというシンプルな話。今年も母校が花園に来る。新年いいところまでいったら観戦に行きたいものである。

seven.jpgオマエの予想は無意味だ
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2006年12月16日

エトー・メッシいないが・よりはじめて

 エトーとメッシがいなくても、ものすごくマタドール的に強いバルサだ。

 マタドールがバルサでクラブ・アメリカは牛だった。世界最強かどうかはわかんないが、世界で一番楽しくてスペクタクルなサッカークラブってこと間違いない。なんだかバルセロナの場合は勝ち負けを気にせずプレーを見ることに集中できる希有なチームという気がする。たとえ前半で0-2でリードされていたとしても、勝ち負けのことを気にしなくていいという変なチーム。

 見るべきところは山ほどあるのだけど、エトーの「あの」速さが実は一番見たかったのだけど・いや・もんのスゴいよ・エトー。エトーというと江藤さんみたいでくくく・なのだが、江藤さんにあんなエトーはおらん。ニッポン全国10万人ほどいらっしゃったとしても・江藤さん。

 年末まであと2週間、ここからはもうあっという間に終わる。何度も言うがはよ・終わって。もう一度今年のおみくじの「吉凶相半末大吉」を唱える日々である。運命なんてのを予言することって考えただけでも大変でにわかに信じ難いが、今回に限り、どーなのか・と最後まで見極めたい気分だ。吉凶相半んとこまでは合ってるからなのだ。その先がこの2週間というところで、信心深くなくもないが・神秘主義ではないオトコがみょーに気にするのは現実の重たさからやっぱ来てんのよね。

 来年はデッドエンドストリートにとっても「正念場」だ。知名度という点ではいまだ「全然」であるということが判明したが、それは雑誌編集者の「怠慢」だって少々ないのかい? ミーツの編集者だって最初永友くん(だったっけな)が取材に来て、この2年ほど袖岡が数回来て、最近は西村さんがムチャ来てるが、西村氏が初めてこの露地の魅力に気づいた・という現実ってあってさぁ。前・現編集長およびそれ以外の方々・よく10年間「無視」できたね・と正念場を前に皮肉のひとつも言わせてね・と。露地がなくなるかなくならないか・その時期になって初めてイラワレた「曾根崎デッドエンドストリート」だけれども、表面に浮上するときは生死の境目・という世の無常。ま・そんなことは現場のニンゲンにはどーってことなく、だからどーなのよ・ということなのだけども、来年はまさに「正念場」であるから、ストリート住民に「気合い入れていこーぜ」と檄を飛ばしたい。「正念場」のほんとの意味はいずれわかる。そしてこの露地はおれたちの露地なのだ。だから他人はどーだっていい・のね。

 そっちのほうに気を取られてて、録音に関するスケジュールをまったくさぼってるおれなのだけど、そっち方面のこともちゃんとやるからね。年が明けるとすぐ始めます。なんだかんだ退屈せずに生きてきたからね。これからも退屈せずにやろうじゃないの。

 ほんとに楽しむということをわかってきたデッドエンドストリート住民のみなさまへ。

 P.S.営業もがんばってね。
heroesjk.jpg一日だけならヒーローになれる・らしいぞ。

 
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2006年12月15日

ふっかつの巻

 マル一日なぁんにもしなかったら回復した。いやーほんまに。ヒトのしんどさはまさにその当人しかわからないから別に他人にシムパシィ求めてもしゃーないから(わかんないから)そんなことしないのだが、時間の密度を上げていこうとする時、あるモードでは臨界点がすぐにやってき、そのモードの中では行き止まり(デットエンド化し)そこでモードを等比級数的に変えていくのだが,今回それをちょっと失敗したかな。上がってるつもりが上がりきってなかったかもしれない。両親の事故とデッドエンドストリートの運命という急激な変化にいつもながらの試験の大混乱はかなりタイミング悪く、情緒的になるまいとするなら、似合わん頑なさが表面化し、戻そうとするならこれがまた超情緒的になり、微調整が利かなかった。初めての体験は初めての体験を誘発し、まあありふれた結果をもたらす。でもまあ済んだことはもういい。

 基本的に自分は内部の「ルサンチマン」度は低い方だと思うから、モノ事の執着もさほどなく、それなのに(だからかな?)どうしてそんな誤解の嵐に巻き込まれるのか・よくわからん。ヒトの違いを認めないことにはどうしようもないことは多々あるが、しかし、人は安易に同調性だけに喜び過ぎではないのかい・と空気に向けてツッコンどく。

 デッドエンドストリート問題は第二幕に入った・と思う。第一幕がどうで第二幕はなんですか?と訊かれても答えない。これはおれだけの問題だからだ。トドムンドという店は「単に素直で善良な人たちが店を仕切っている」だけの話でそれは本当にイマドキ珍しい話で、それをみなさん普通に受けとろうよ・と提案しときたい。

 17(日)DOMINGO VIVO@TODO O MUNDO vol.1 KING&THE HEARTBEATSが登場します。ザ・レーベル・ラフレシアのヘヴィ級チャンピオンです。今回はアンプラグドですからシブい級チャンピオンです。19:00オープン・20:00スタートとユルフンコックがトドムンド日誌に書いていました。

 31(日)大晦日はザ・レーベル・ラフレシア・オールスターズによるDOMINGO VIVO@TODO O MUNDO vol.2 恒例「年忘れ2006と2007を跨いでウンコしちゃうぞ・まだ出るぞVIVO」です。浪速のカエターノも出演交渉中です。

DSC_2577.JPGキングちゃん

DSC_2796.JPG浪速のカエターノ
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2006年12月14日

空白の一日

 あまりに忙しすぎた反動でなぁんにもしたくない。TUTORも休みにする。ただメシを喰って酒を飲んで風呂入って寝るだけの生活をすることにした。サッカーを見たいがうちのバカTV映らない。まあいいか。ビデオでも見ようか・と思う。まあなんだか本日ふらふら・なのだ。
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2006年12月13日

おじいさんの・・よりはじめて

 おじいさんの放尿のように、終わった・・かな、あ・まだ出る・・・よし終わり・・・というかもちょっと・・・・今度こそ終わった・・・と思う・・あれ・・・・・・・・・・・・・・・・・ええかげんせえよ!!!!
と云う感じで「ここを直せ」「あそこを直せ」「ここちょっと足らん」「そのつながりは・・・」とチェックされ続けるおれだった。肉親を司法解剖しないといかん医者みたいな気持ちでなかなかツラいのに・ツラいのよ。

 昨日アオミタキチームとある場所へ行ってきた。ユルフンコックはやはり精神もユルフンで、寝坊し、追いかけたみたいだが結局本人が道に迷ってしまいアスホールはいつまでたってもアスホールのままである。しかしあのカレーぼったくりじゃない?

 今日は前取材がてら小旅行というほどでもないがある場所におじいさんのお話を聞きに行く。次回のクルマは心斎橋で借りて京都まで運転して行くのだが、こ・れ・がかなり楽しみなクルマである。スピード違反でまた捕まっちゃわないかな。とドライヴァーゴコロをくすぐる・いやーんヤメてグルマだったりする。

 ファックな現実を工業製品で癒す倒錯を感じるが、その工業製品がラテンの粋(すい)が凝縮された逸品である場合、また違ったりする。ニンゲンのアホ女100人以上の値打ちがあったりもする。変な比較やな・それ。
crsm0000000001.jpg


 
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2006年12月12日

わっけわからん・よりはじめて

 なんかわっけわからんような日々だった。

 期末テストが長かった・これが。マルマル2週間。うちのバカたちもそこはちょいマジになるからちゃんとつきあったらないとあかんのよ。時間もたっぷりとってね。事故がらみの弁護士との折衝に(これが離れとるから厄介で、誤解も生じた〜いへん)、ミーツの曾根崎の記事もそんなわけで、普通の時ならすっと行くものが、地上げ屋との最初の接触などあってココロは乱れ、そんな中でアホは「わからんわからん」といい、ミーツは「まだかーまだかー」といい、弁護士は「費用前払い」と電話がかかって来、地上げ屋は「・・・・・・・・」(これは言えん)。

 まあ・しかしだね・「明けない夜はない」「春の来ない冬はない」わけで、それも終わろうとしている。終わると、このアホ(不肖おれなのだが)はすぐ忘れてしまう。そんなことでええんか? というちょっと賢いもう一人のおれが、右ナナメ前方から眉間に皺でもの申すわけだが、「終わった・終わったー」のアホアホパワーには所詮勢いという点で歯が立たないわけだった。

 気がつけば「冬」の到来だった。気がつかなかった。能力総動員の際には環境の変化があまり気にならんのよね。
 気がつけば「年末」だった。あと20日・もうなぁんにもなく終わってくれえ・とお願いしたい。もうトラブルはヤメてもらいたい。すべての肉親・友人・知り合いに至るまで、健康で事故などに遭わず過ごしていただきたい。

 露地のことを考え書いていたら、皮膚感覚のことをうまく云えなくて、もどかしかった。露地で感じる皮膚感覚というものは独特で、やっぱそれを心地よく思えるためには「少し疲れる」ことが必要なのかな・と思う。侘び寂びともちょいとちがうのだが、それを云おうとするとどーも程度の大小はあれ、安倍ちゃんのいう「美しい国」なんてことに奉仕してしまうことになるのを直感するとそれはなかなか書けない。綱渡りなのだが、自分の中でそのスレスレを攻めるには少し今回余裕がなかった。

 そんなこんなで久しぶりに昨日地上げ屋との話でトドムンドへ行ってみたが、デッドエンドストリートは「びんぼっちゃまくんのウシロ姿」だった。なんかすーすーしてる。新御堂から入った時にえのもとが店のドアのとこに立っていたのだが、その姿にプッときた。もちろん本人の前では笑いは堪えたが、要はいかついつるつるが道曲がった途端所在無さげに立っているのがおかしかったのだ。露地の中の露地を標榜してきたデッドエンドストリートの「非露地化」はこりゃやっぱり深刻である。そんな時になっても「デットエンドストリート」自体が説明がないとわからん・などとミーツ編集部からクレームが来たりする。温度差・というのはこんなことなのだなあ。あの「非露地化」の現実がおれの筆を遅らせる原因の一つだったのだけど、社会的ということでいうと、そこまでのポピュラリティを持ち得なかったおれたちの負けなのだろうか・とも思う。

 いやまだわかんないぞ。未来は何が起こるか予想しても必ず外れる・だから。
map.jpg地図ではわからんが。
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2006年12月09日

やるせない

 今日・朝出たついでに「中津」や「天五」や「中崎町」状況の視察に行って来たが、今のおれたちの拠点である曾根崎の露地のような「恵まれた」土地はない・と確信した。今まで10年間ほんとにおれらは「甘やかされて」育ったなあ・と思う。デッドエンドストリートの存在の「有り得なさ」が身に滲みた。

 10日(日)はVOCEのレコ発@RAINDOGS。HONZIとの再会もちょっと楽しみ。どんだけ「魔女化」してるか・とかね。そのあと、ひょっとしたらサンデー・イヴェント@TODO O MUNDOでマジック・ショーがあるのかな? ないのかな?

 17日(日)はザ・レーベル・ラフレシアの重量級チャンピオン「KING&HEARTBEATSマイナスONE」ライヴです。詳細は追って告知します。
posted by 浪速のCAETANO at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

・・・ホリック

 さて、気分転換に最も愛すべき場・熊野のこと。

 よく「海外が切れる」という表現ありましたね。バブルの時代に。当時OLのねーさんたち、円高を背景に海外行きまくってた頃のこと。それから世界はマッチモアディンジャラスになって、そして日本はデフレなんかになっちゃって、これらはどちらも「初体験」な出来事で、さらに日本人の自信喪失なんかとも関連して、出不精になっちゃったりしたのだけど、その当時の海外が切れる・という言い方・言い得て妙であると思った。日本に刺激がないことの証拠だったからね。その後、国内のワカモノを「バカ化」させ、共同体を消去させ、人を孤立化し、そのバカに見合った文化・スポーツ・芸術・ケータイなんかを与え、それで儲かることに気づいたメディア・レコード会社・メーカー(つまり経済界)は、もう暗黙の了解で、政治とも絡み、日本のスキューイング トゥ ライト(これは世界の各民族の右傾化とも関連した「傾向」だったが) 見事に「別のバカ国家」に日本を作り替えてしまった・というわけだけど、おかげで日本全国右へ倣え状態が続き、どこへいってもあるものといえばチェーンとフランチャイズだらけで、やっと最近になってその地方ならではの個性を没にする事にやや危機感を覚えた方々が草の根的に小さな運動体となって活動してらっしゃるが、そんなことが「ビンボー臭く」見えることまでおカミの方では計算ずくなのであって、何か大きなモノに反抗する事がダサく、暴力的な情熱を持って何か既成のものを護ることの方がムネにジンと来る・なんて設定までやってくれてる・という念の入れようである。

 で、日本が変容する前に「キンタマ元気」時代を送った身としては、どーもこれ・生きにくい。
いや・まじで。まあ世の中ワカモノだけじゃなく、オトナだってそれ以上に「金のドレイ化」してやがるから、ワカモノがそうなるのもわからんではないんだが、サンプルがしょーもないのしかないんだからね。不毛なのに究極的選択を迫られる。(1)〜(3)のどれか選んでちょーだい。「えー?おれ・(4)」なんてさらにバカならかえって救われるのだが、ほら・そこは、ちっちゃくても反抗ってダサイことになっちゃってるからさ。

 そんなウンコまみれの時代に、まだまだ何度も行きたい場所がある。それが熊野である。おれの場合,「熊野が切れる」とどんどん世俗化していく。それを引き戻してくれるのが熊野なのであって、高い山と緑の熊野川とラ・メールな大洋とついついぶっ飛ばしたくなるぐりんぐりんカーヴと海・山の幸と柔らかいお湯とやさしいヒトと温かい気候と霊験あらたかな自然とエネルギーそのもののカミとその棲み家のあるトポスなのだ。
 本格的に行き出したのは20年ほど前で中上健次の「岬」読むのを10年間タメ、熊野で読み切る・なんて手が込んどったのよ。なんだかんだで30回ほど行ったかなあ。まだ後鳥羽上皇にはかなわないが後白河法皇とは競ってきたと思う。熊野本宮のありがたさは云うにおよばずだが、熊野という土地は神社だけではなく、森の中に一歩足を踏み入れた途端わかるのだが、熊野大権現がどこにでもいる・と感じるのね。不思議な場所だ。熊野古道の一部を歩いた時にもそれは感じた。古道と言うが路ではなく、それはトンネルに近いものだった。ほんとに素晴らしい空間で、過去の参拝者は熊野本宮に到達する以前にその古道を歩いている時に「エクスタシー」をすでに感じていたのだということがよくわかった。おれのボログルマたち(フィアット・シトロエン・ランチア・アルファプジョー・ルノー・サーブ)もよくがんばった。熊野川の緑色を横目で眺めながらぐりんぐりんカーヴを高速でクリアしていく時、熊野灘の碧を横目で眺めながらR42を流す時、生きているという実感に包まれ、その自分の第一級の喜びがどうしてみなさんの第一級の喜びではないのだろうか・とふと思った事がある。今・人がスポイルされることがこんなに簡単な時代もないと思う。おれだってスポイルされてもいい部分はもう立ち直れないぐらいスポイルされている。しかし、まだ熊野の自然(それはカミそのものなのだが)に包まれる時に感じる「至福感」があると「まだいける」と確認する。

 随分楽になったとは言えいまだに熊野にいくにはパワーが要る。それは中世の熊野詣でとちっとも変わらないと思う。後鳥羽上皇・後白河法皇も今のおれのこんな感じだったんだな・と分かる。
「熊野が切れとんねん」
 そんな場所を持つことはこの上ない幸せかもしれないと思う。こんなウンコまみれの日本の中で。
takiaki2.jpg那智の滝をよく「巨大お○んこ」と形容するが、それをカミというのはたいへんわかりやすい・と自画自賛。
タグ:熊野
posted by 浪速のCAETANO at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊野大権現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月07日

進行しつつあるもの

 昨夜デッドエンドストリートを訪れると、えのもとの手前まで破壊されていた。廃材の山が暗くてよく見えなかったのだがうずたかく積まれている様子はデッドエンドストリートにすぐ訪れる未来の図か・と思えば、哀しみと怒りで誰かを殴っちゃいそうになるのだが、それ自体なぁんにも意味がないことで、ここは抑えるしかないのも現実なのだ。その情況と今やってる曾根崎の記事のダブルバインドにやや引き裂かれるキモチをミーツの西村さんに言ってみた。

 まだ「コア」のおっさんとは話をしていないが、えのもとの様子を聞いても、ハイボールのマスターと話をしても、条件闘争にしかならないんだろうな・というムードしか漂ってこないのが、これまた「んーん・もう」なのだ。聞けば,ナチュラリーなどの管理をやってる曾根崎不動産も「コア」に「協力体勢」を敷いているというじゃないの。なにをかいわんや・である。そしてミタキらには何の一言もいまだない・っちゅーのも、礼を失した話だよね。

 おれはヒトのいないとこでは「目が潤んどる」のよ。情けない話じゃないの・いや・ほんと。おれらは「場」「生活」「自由」「解放」「友情」なんてコンセプトをも失おうとしている時にオノレの無力が原因なのだけど、話が社会性をどーも持てないというか、ヒトを巻き込めないと言うか、麻酔されて手術を受けるというか、ヘルメットの上からアタマ掻いてるというか・コンドーム3枚かぶってセックスするというか、あえて冷静を保とうとするとその熱が誰にも伝わらないことへの「んーん・もう」感がもどかしすぎるのだ。では、わーわー騒げばいいのかっていうとそんなことでは決してなく、そう思えばどっと疲労してしまうわけなのだ。

 今週はきっと考えても考えても答えなんか出ないんだから、最後のゆったり感を味わっておこうか・と思う。あ・ちがうちがう・試験中や・そんで試験が終わりかけの頃に「コア」との話やんか。そして結局ココロの安まるヒマはなし・とくるか。うまくできてること。たのむでしかし。
240x320.jpgたのむでしかし? その言葉は非論理的ではないのか。
 
posted by 浪速のCAETANO at 14:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月06日

WINTER HAS COME

 冬になってきた。セーターとネックウォーマーだけでスーパー行ったら寒かったぜー。

 鍋は冬の楽しみだけど、先日の2Fでのお初鍋・旨かったし、まあ久しぶりに味の確認もできたが、後味悪しだった。リベンジで翌日すき焼きしてしまった。だから言ってるでしょ・感情押さえてた分、感情的にもなってきてるってさ。ヒトの地雷をポンポンポンポン踏むのはヤメてくれ。ただでさえみんなの忍耐が必要な時に、それに対して「ごくろうさん会」の意味が台無しである。まあどっちにしろおれの今年なんてちょいと「ヤバい」年だったからそんなことを象徴する「忘年会」であったとしても口惜しくも何ともないけどナ・べつに。

 夜に酒と肴だけのメシを喰ってると、朝がものすごくハラが減るのだが、こう冷えますとですね・大体おれの一食目というのは・まあ分かりやすい時間帯で言うと「痛快エブリデイ」の時間帯であるわけでお昼前というにはまだ昼飯屋は開いとらんという「んーん・もう」なとっても中途ぱんつな時間帯でしたのよ。そしてなんだか温かいものを喰いたいわけだな・これがまた。

 で・よくあるパターンとしてはスープにローマンミールにソーセージエッグにマンデリンなんてことやトーストサンドなんてことや・がんばってコメといで野菜とアゲの味噌汁作って干物・出汁巻き・納豆・白菜のお漬け物なんてことなんだが、最近もっとしっかりあったかいものが欲しいという衝動に駆られる場合は、スーパーでうどんを買ってくる。下の百均で買ったしょぼい鍋がここで活躍するのだが、それが深さ・サイズとも一人用鍋焼きうどんにぴったりなのね。出汁は買う場合も自分で作る場合もある。出汁にうどん放り込んで、小松菜とか白菜を適量ちぎって切ってアゲも放り込んで、かまぼこも放り込んで卵割ってネギを刻んで、ぐつぐつ。最後にエビ天かかき揚げ・そしてとろろをぐるりと入れて出来上がり。七味と山椒を「アナタ・びょうきですか」と思われるほど振りかけ、テーブルへ。で鍋ごと喰ってしまう。これが今旨い。ポイントは安物の鍋だった。このサイズね。鍋焼き用にしてはちょいと深さがあるから具沢山にしてもおつゆとか吹きこぼれずいいわけよ。

 冬になるとうどんの存在感が増す。別にコシなんてことにこだわらない・鍋焼きなんて特に・ね。この時期せいろそばもたいへん旨いが、それは出かけて食べるものであり、酒とともにあるものであり、だからそれとは違う。おれがやってることは「自堕落」なことという自覚があり、しかし、その自堕落が旨いのよ。真夏・真冬は自堕落が似合う。本日もう空調だけでは無理かなと思い
ファンヒーターを出した。ヴィックスの加湿器は作動して2週間ほどになる。冬はその寒さゆえ、ヒトにも優しくなれるはずの時期である。まだ冬は始まったばかりで、それに馴染むのもタイミングの問題よ・きっとね。今日やっとふたヤマ目が終わるから昼・夜のばたばたはしばらくなくなる。よかったよかった。しかし、油断大敵。中間テスト全科目欠点というおそるべきアホをなんとか処置しないといかんのね。前回はおれ途中でぶっちぎってしまったから、その責任も少々感じとるわけだったからね。

seven3.jpgそのような抵抗は無意味だ。
 
 
posted by 浪速のCAETANO at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月05日

この小さき存在

 ヒトには言えなかったが、大変な懸案事項がやっと一つ解決しそうで、ほっとしてる。自分の事ではないから余計にココロが痛むことってあるじゃない。この一ヶ月半というもの・疲れた。疲れた疲れたと言ってる間もなく、今度はこちらの大変が待っとるのだが、とにかく試験を終わらせて、一休みしたい。とは言うもののふたヤマ目が終わるのがやっと明日という時間の進み方であったりもして、現実はTUTORへの行帰りの電車内での読書ぐらいしか「あっち」いくことも出来んのが現状かな。夜のワインの酔いの中に堕ちていくこととね。風呂で本読んで30分ほど時間を過ごす・なんてのもあった。そう言えばトイレの時間も本読んでるな。まあ本家「束の間の癒し」の一例なのですが、まあそんなことを多用しながら生きていってるわけだけど、こう楽しいことばかりやってきた身としては日常の中で何か外部の些細なことと自分の内部を反応させてしばし、時間を忘れるなんてことはお茶の子さいさいなわけで、そのための知識・教養はカラダ全身隅々にいたるまで散りばめられている。

 ずーっと遊んでた・という感じがある。ずーっと遊んでいたいという希望もある。ホモ・ルーデンスである。なんだって楽しみに転嫁できる。楽しめないかわいそうなヒトビトが新興宗教や種々のセミナーにハマっていく。ごくろーさん・ではあるが、そんなものでお金儲けをしているやつは多かれ少なかれ「リトルホリエ・タイニームラカミ」だ。ヒトのヨワいとこ(文字通り弱い・そして欲の部分)につけこむなんてのはアンタがいやらしい人間であることの証明なのであるがあまりに教養のないワカモノは「欲と弱み」が突出しているから簡単にそういう世界に取り込まれていく。結果を前提にモノ事を進めるなんてのも、ゲスである。結果なんてどーでもええっちゅうのよ。

 うちの近くにR塾が新校舎を建てて、北野148名・茨木125名なんて看板が踊っている。たかが
北野高校・茨木高校行っただけでプライドを持つ親子の存在があり、それをどーだ・と思う塾の存在がビタっと合致してそんなものは成り立っているのだが、そんなことが一体なんなのだ? 実感の伴わない知識をペーパー上でいかに正答率を上げるかを競うことが(正確には・ことだけが)なんか役に立つのだろうか?

 みんな勉強ができる・なんてことに過剰に反応し過ぎである・コンプレックスも含めて。勉強できる=魅力的である・ならいいが、今はそんなことは誰も教えてくれない・どーやって魅力的な人格になっていくか・なんてことを極力排さないことには勉強ができるようにはなれん・のが現状。
勉強だけができたあげくに、自分に魅力がないことを気づくバカはそこから魅力的になるためのHOW TOをまた「お勉強」することになる。滑稽とはこんなことを言う。

 自分が知らないことの絶対量に気づくべきなのだ。じゃあもっと謙虚にもなれる。もっと謙虚になれ・と言いたい。謙虚にならないことが何かから脱落しないでいることみたいなバカ勘違いワカモノの多いこと。こないだもどう考えてもそいつが喋り続けてるのを聞いてるだけでシバき倒してしまうような未来の自分を予想させるバカがひとりおったが、まあそうならんように店からは早めに退散したのだが、そいつなんてカッコだけキメてはいるのだが、こいつきっとコンプレックスの塊に違いないと踏んでたが、後から聞くに「チビ」だって・くくく。一生「背伸び」しときなさいね・そのうちアキレス腱キレんで。

 まあいろいろ大変なことが降り掛かってくるものだけど、「驕れるものは久しからず」である。そして未来は計算できない。予想は必ず「はずれる」・ちょっとぐらい当たっても必ずはずれる。何が起こるかわからないから「人生は実験」なのである。ほんの100年でメンツはすべて入れ替わるという時空に生きとるわけよ・おれたちは。知り合って交友深めた人たちとまあ最大限仲良く・何か協力してやれたら・それでよし。運命なんて人間如き小さいものが「語る」なんかおこがましい・と思うわけである。
seven3.jpgわたしの運命はジェインウェイと出合って変わった。

 

 
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2006年12月04日

そろそろ・なのかな

 なんだかもどかしい。こんなにデッドエンドストリートへの愛おしさの中にいる自分を発見するのだが、その最中の酒の席でも最重要課題ではない方へない方へと話が進む。そんなどーでもいいことにエネルギーを使ってる場合じゃないのだ。ハイボールのマスターによると2月までの「整理」をコア再開発は目論んでいるとのことだった。え・2月? びっくりするっちゅー話だよ・それ。

 なんなのだ? と思う。そんな時に、普通の店みたいな感覚でクレームをつけてくるやつもいる。なんなんだよ。
 おれは「露地」がものすごく好きなだけなのだ。その露地の地場としての値打ちをわからずして何を言うとんねん。
 あの露地でおれたちが得た自由というものの恩恵を受けてきた人間達の意識の低さにも愕然とすることもあるのだけど、情報がそこまで届いていないかもしれないし、正しい情報をまずこちらが整理してからの話だから、そこへの非難はまだちょいと置いとく。

 まあとにかく、落ち着こう。落ち着いて、コア再開発とも話せんとあかん時期が来たということなのかな。
 
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2006年12月02日

曾根崎デッドエンドストリート住民へ

 1/1'07発売のミーツに「入魂の一文」を今書いとるからな。外部はどうあれ、中でしっかりやれ!!!年明けとともに何かを変えるぞ。

fellini_prof.jpgすべてがある。そんなものしか興味がない。とフェリーニもいう。
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2006年12月01日

師走

 おー11/12過ぎちゃった。3/4、5/6と一年の時間が過ぎて、とうとう11/12終わったな。

 変な・そして大変な年だったな・とまだ終わっていないが振り返りたい気がする。その時点では最大の災難がどんどん更新されていく・こんなこと立て続けに起こるもんかね。ツラいというよりも不思議な気がする。想像を超える現実の中にいるとヒトは感情的にならずに済むというのは発見だった。今は少しずつ落ち着いてきているから少しずつ感情的なおれにもどりつつあるけど・へへへ。

 今曾根崎のことをずっと考えているから、パワーショベルの接近が我が身を削られるような感覚である。えのもとの隣・つまりデッドエンドストリートの入り口まで「これからここ壊すよシート」が掛けられていた。あの家並みがなくなることはデッドエンドストリートが隠れる場ではなくなり、迷い込む場でもなくなるのではないか・と危惧している。中途ぱんつに白日の下に晒されることになるんじゃないか・と心配している。びんぼっちゃまくんのウシロ姿みたいなのは厭だなあ。新御堂方向からの眺めは「絶望」である。外堀をどんどん埋められているな・といった感覚だ。なんでこうなっちゃうかなあ。

 モノをヒトを知識をいろんなものを手に入れることが生きることと同義であったはずなのに、ある時からいろんなものを失っていくことが生きることになりつつはないか。いや・得つつも失う・失いつつも得る・新陳代謝かな・健康的なことなのかね・これって・あるイミ。なんだかめまぐるしいのね。ダイナミズムといえば聞こえはいいが。まあなんでもいいのだが、いろんなもんがもうこの際おれの上を通り過ぎていってくれえ・なんて思う次第である。ちょいと本日疲れている。朝帰りの上、九時にワインの配達で起こされてしまったからか。こういった社長のちっちゃな災難・ばかたちには想像もできない。

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする