2010年05月31日

明日香で思う

 週末は@飛鳥(明日香)。かろうじてギリギリ五月の「五月晴れ」。からっと晴れて、気持ち良きことこの上なし・だった。二日間通ったが、どこを廻るとかよりもまずその地形を把握したかったのだ。

 いろんな遺跡・史跡の発掘が相次いで、しかも今年は平城遷都1300年ということもあり、飛鳥もまた「観光」のニュアンスは濃く、そんな場合、あまり乗り切れないのだけど、気候の良さと、それまでの三週間からの解放感により、充分意義があった。楽しかった。

 やや「作り過ぎ」の感も無きにしもあらず。もっと素朴でいいのに・とは思うが、なんせ一回目、本で読んだ知識の裏付けのようなもののかけらでも感じれば「良し」だったりする。歴代天皇の墓(古墳)も多く、それがまた気になる時代の天皇だったりもする。欽明・天武に持統に文武。熊野ほどの善男善女ではないがそれでもまあ善男善女がやってきている。熊野ほどマニアックではないのだ。なんといっても天皇絡み・だから。

 しかし、8世紀に書かれた日本書紀を事実と受け止めるほどおれも今やナイーヴでもなく、したがって、パンフやらおっちゃんの説明やらに「はぁー・へぇー・ほぉー」と感心してばかりもいられない。

 明日香という地域を、その善男善女はどんなつもりで訪れているのだったか・訊くのを忘れた。訊く機会を持てなかった。というのは、明日香を廻れば廻るほど、「正史」の影は薄くなっていくのだ。正史とは日本書紀であるが、それが「ほんとに?」といった気になってくるのだった。

 はっきり言うと「飛鳥(明日香)は蘇我氏のエリア」なのである。

 いろんなところに行けば行くほど、歩けば歩くほど天皇家とカテゴライズされる人々よりも「蘇我の馬子・蝦夷・入鹿」の場・であるという思いを強くする。大体名前が悪いよな。「馬子・蝦夷・入鹿」だもんね。人間の名前じゃない。魏志倭人伝や隋書東夷伝における中国からの辺境に対する・たとえば邪馬台国や卑弥呼の「邪や馬や卑」の字の選択と変わらない。そこにある感情は「蔑視」であって、それを日本書紀がパクったのではないか・とおれは見てる。

 飛鳥寺は蘇我馬子が作らせた「仏教のための日本最古の寺」である。中には飛鳥大仏が鎮座し、その背丈は3メートル。規模では東大寺の大仏には到底及ばんが、それでも、後発もんと「最初」はちょっと違う。3メートルしかないと言えども銅15トンを使って作られ黄金30キログラムでコーティングされた飛鳥大仏は、初めてそれを見たものにとってはまさに神々しい「新しい神のイコン」と映ったろう。その場には馬子はじめ推古(ほんとにいたなら)そして聖徳太子(ほんとにいたなら)が同席していたのだった。そしてそこには宗教と同時に「呪術」としての仏教の意味を感じた。

 馬子のというか蘇我氏の執念がそこにはある。それまで数度に渡って「仏教」は「神道(ここんとこ敢えて雑に)」に対して「邪教」とされ、廃仏・つまり難波の津に仏像は流され捨てられたのだった。

 飛鳥寺と小墾田宮、見瀬丸山古墳(蘇我稲目)・石舞台古墳(蘇我馬子)、嶋宮の馬子の邸宅、飛鳥寺を見下ろす甘樫丘の蝦夷・入鹿の大邸宅。河内から移って来て、新たな王国が飛鳥に建設された。もちろんその主語は蘇我氏だった。

 日本書紀によって「稀代の悪者」として描かれ、その実、天皇家(なんてものは当時はないのだけどね)を凌ぐ権力=大王の地位にあった蘇我氏の地が「飛鳥」なのである。

 また行く。すぐ行く。秘密のサナトリウムも発見したし、その路はスコットランドのラウンドアバウトから延びる田園を横目に見るような路(実際は田んぼ・だが)走って楽しいし、民宿も見つけたし、昼メシスポットは無限にあるし、次の試験明けには2泊ほどしてもっと歩いてみようと思ってる。

 近辺には、当時、なんかあれば遷都していた「宮」の後がわんさか。それもクルマだったら5分の距離であって、レンタサイクルもあり、おれにはもってこい。

 週末だったから観光客もそりゃ多かったんだけど、飛鳥寺の前の入鹿の「首塚」の目の前で東京からやってきたというおばちゃん3名とおっちゃん1名のグループが「ええっとだれだったっけ・大化の改新で殺されたひとってえ」と悩んでいらっしゃった。「いや・それが入鹿だって。あんたらの目の前にあるのがその記念の首塚」とお教えしようかな・と思いながらヤメた。飛鳥寺のこととか、どう脳内でリンクしていたのだろうか。わからない。
100528_1518〜01.jpg「飛鳥大仏・アルカイック・スマイルとなぜか少し向きが正面からズレている」

100529_1007〜01.jpg「甘樫丘より、蝦夷の気持ちになって飛鳥寺を眺める。視線の先には中大兄と鎌足がいた」

100529_1124〜01.jpg「馬子の墓と言われる石舞台古墳。気持ちよ過ぎるロケーション」
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2010年05月30日

かんけーないけど繋がって

 デニス・ホッパーがなくなった。最も好きな俳優だった。

 アメリカで好きなのはデニス・ホッパー。
 イタリアではマルチェロ。
 フランスではジャン・ポール。

 旧い・と今では言われるだろう。しかし、旧いも新しいもないのだ。さらに言うなら新しいことが価値だった時代はもうとっくの昔に「終わっている」。それがわかんなくって表面だけ見て「ふっるぅー」とか、言ってるやつは「さる」なのだ。森へ帰れ。

 もちろん始まりはEASY RIDERなのであるが、ごく簡単に言うなら彼はその60年代のカウンターカルチュアの精神を持ち続けた俳優=監督だった。ジェームス・ディーンを限りなく尊敬し、しっかりヤク中になって沈み続け、クリーンナップして甦ったと思えば、リンチの「ブルー・ヴェルヴェット」のあの怪演なんだから。「ブルー・ヴェルヴェット」はフェリーニやゴダールやアルトマンそしてキューブリックの映画ほどのランクの高みにある、おれにとっては。

 リンチもエラいが、あのデニス・ホッパーの代わりは誰も出来ない。あの「狂気に激しく切なさの混じる」演技は彼だけのもので、その心象風景は「他人事」とは思えず、1950年代までに生まれた人間ならば、誰もが何かしら感じる、何かに敗北することから狂気が
内に籠り、変態は抑圧の産物であり証拠である・なんて複雑さをあのまなざしだけでも表現出来たヒトだった。個性派俳優などと言われているが、バカ言うんじゃないの、彼こそは「真の正統派の俳優」だからね。正統派の俳優がいなくなっちゃっただけの話なのね。

 ちょっとシブいがそれ以外の忘れられない彼の出演作、ヴェンダースのアメリカの友人でのブルーノ・ガンツとの絡み。あと痛快極まりないアメリカン・ウェイ。今ふっとアタマに浮かぶ。

 ありがとう、デニス・ホッパー。Hope that he walks close with God.


 そして、アメリカ盲従政権から別のアメリカ盲従政権に替わっただけだった・ということがもうはっきりしてしまったかな。残念ながら。第三極が必要ということだね。いろんな考え方があったはずなのに、冷戦後、考えのフィールドが狭まり窮屈だった。社会主義とか大上段に振りかぶらなくとも、この新自由主義の世での「より平等な」「より公平な」という形容を掲げることがなんとなく憚られる・そんな空気が蔓延していたけど、誰かが誰かよりセコく得することがすべて・ということに対するアンチが政党の中にあってもいいし、それはもっとチカラを持つべきだと思う。メディアも含め、敵はものすごく多く、またおれたちも「得」なんてことに敏感過ぎるからなんだけど、しかし、自民党と民主党しかない選択肢ではいかん。

 普天間の基地問題ではいろんなことが表面に出て来た。みんなが知らなかったこと、知らなくてもよかったことが表面化し、自分の身の回りの「生活」のことしか考えてなかったヒトたちもその視線がやや社会的になったと思う。

 よく竹中平蔵なんかがTVで言う「それじゃ社会主義になれってことですかー」なんて発言は、目くらまし効果・大なのであって、それはみんなを「カネがなかったら何にも出来ない・不幸になる」というフィールドに留めておくことが、「彼ら」にメリットがある・ことの裏返しだから。

 資本主義社会の中で、あるいはアメリカの軍事の傘の下で、ある方向ばかり向かされてることへの「不審感」が芽生えたはずなのね。ながーい「集団催眠」にかけられてた・そんな気がする。約20年間もの間。物心ついたときから催眠状態にいた・なんて30代・20代もいる。

 今はカネがなくては「自由」さえ手に入りづらい世の中だったりする。それが「自由主義」陣営の結果とも言えるわけで、デニス・ホッパーやニール・ヤングが「描き・求めていた自由」をもう一度「特定」してみないといけないと思う。



 あそこではないけど(あえてね)

 
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2010年05月29日

遠足 かな

 よれよれのまま、出かけた。そして今、天理のホテルにいる。天理はうちの家族にとって大きな意味を持つ街だったりする。家族の何人かがこの街で生まれたことになっている。

 天理の街は、相変わらずの落ち着いた「宗教都市」である。天理教の詰め所がありとあらゆる所に存在し、「おかえりなさい」の文字がそのそれぞれの玄関にある。

 ゆうべは社民党、福島党首の罷免で大騒ぎだったね。まあ鳩山くんの変容はあのひとの資質の問題ではなく、これから30年後に「アメリカから」開示されるであろう「密約」の内容を待つしかないと思う。それが「これから」10年の間、世界のパラダイムの変化に対応するものということよりも、これまで数十年の世界情勢に対応してきた、という事実を選択せざるを得なかった、まだもすこし、「ひょっとしたら」があるかも知らんし、ということなのかな。

 ただ、民主党になってから、なんだか「そんな匂い」があちこちですることを周知の事実にしてるのは評価してもいいと思う。政治とは「意外に」身近な気もする、みたいなさ。

 「抑止力」が何を指すか、そこんとこはっきりさせないことには議論ができない。でもホントのことは言うわけにはいかない。だから情緒的な見解の応酬になる。なんだかすごいな、と思う。「国家」ってそんなに「アンタッチャブル」なのか、と。いや、国家じゃなくて「権力」かな。

 「アンタッチャブル」なんでしょうね。

 昨日は「飛鳥寺」でぼーっとしてたのだが、というか飛鳥大仏の前でぼーっとしてたのだけど、当時の「実は大王」とも言われる馬子が作らせた最初の仏教寺院と大仏の前で、金箔を施された大仏は「新しい神」のイコンだったろうな、と思うに充分だった。巳支の変では飛鳥寺側に中大兄と鎌足、向いの甘樫の丘に蘇我蝦夷が対峙して、その甘樫の丘は目と鼻の先だった。

 蘇我氏のポジションにスルリと滑り込み、その後実際の権力を乗っ取った藤原氏はその後、歴史を書き換え、いや「創り」その後400年にわたって、権力の座にあった。意識のレヴェルなら1300年であった。

 権力の持つ「業」のようなものを感じたりスル@明日香の一日。
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2010年05月27日

FAKEはFAKEでもない

 昨夜は、大阪の誇るエンジニア・前川くんがピエロ・ハーバーでのクラムボンのライヴに来ていて、そこから流れてトドムンドへ来てくれた。そしてクラムボンチームもあとで合流し、激注文が入っていた。おれはアーリオ・オーリオを乱入製作して、過労により途中退場したが、その後大丈夫だったろうか。

 クラムボンもS-KENがらみだったのね・最初。共通の話題がなくもなかったわけだ。全国ツアー中みたいだね。なかなかシブい場所でやっている。

 さて、本日で長かった試験ウィークも終了である。今最後の2人が始まったところだった。豊津から一人は電車・一人はチャリで通って来てる。2〜5時まで教えて、別の中三を2時間教えて、中津の子たちとの面接にて解放!!!だ。明日は飛鳥周辺を探検する。愉しみだ。晴れて欲しい。

 W杯も本格的に近づいて来た。日本代表のことはまあ置いとくとしても、ベスト4の第一予想。スペイン・オランダ・イングランド・ブラジル。ベスト8となると、それにポルトガル・セビリア・イタリア・アルゼンチンかな。今回のサプライズはどこだろうか。アフリカ大陸であるからカメルーンか開催国の南アフリカか。韓国もいい線いきそうだ。あ、ドイツを忘れている。バラックは惜しいことだったが、今年のドイツはまあ悪くない。SBのラームがいい。となるとアルゼンチンが脱落だろうか。

 マラドーナの采配(というものがあるとするなら)をこの目で見てみたい。個人技で戦況を打開するようなサッカー・おれは嫌いではない。それがこの21世紀にどれだけ通用するのか(しないのか)が興味がある。一次リーグ敗退も考えられるような暴挙とも言える戦術だから、見てみたい。

 そしてあの2008ユーロで完璧なサッカーを創り上げたスペインの完成度をもう一度見たい。ポゼッションサッカーの極み・とでも言えるものだ。面白くて美しくてそして強い。ポルトガルが成し遂げようとして成し遂げられなかったサッカーなのだが、ブラジル戦を見てみたい。今のブラジルはドゥンガの元、退き気味であるから、もし闘えばこれまでの南米vs欧州がひっくり返ったような試合になるだろう。

 オランダvsイングランドもおもしろい。ハードパンチャー同士のしばき合いにたとえられようか。今のオランダはハードにものすごく強いと思う。スペインの柔らかさには負けるが、柔らかさはあることはある。ファンペルシーがいいね。かれがそんなアクセントを持つ。しかし、その全体の印象は「鋼鉄」の強さだ。ロッベンの爆発を見たい。かなりマークキツそうだが。イングランドはランバートとルーニー。イングランド・チームは全員が国内リーグのプレイヤーである。さすがにサッカーの母国だったりする・そこんとこ。

 ずっと応援して来たポルトガルは魅力が半減した。今はクリスチァーノ・ロナウドのチームになっていると思うが、フィーゴ、ルイ・コスタのいたあの泣けるチームとはまるで別だ。ひたむきな美しさに欠ける。いまやその形容はスペインのものだ。

 日本代表は2敗1分け・という感じだろう。良くて一勝一敗一分け。悪ければまた0勝3敗。しかし、過大な期待がない今回、気楽にやってくるといいのでは。90年代にブラジルを理想としたところにボタンの掛け違えがあったような気がする。資質が違い過ぎるもんね。日本人の表面的な物真似のうまさってのは認めるが、物真似は必ず本家を乗り越えられない。それはサッカーもボサノヴァもブルーズもおんなじ。オシムが言っていた「日本化」されたサッカーをこれからでもいいから追い求めていただきたい。変なフェイクを作っていかないとあかんわけよ。50年かかってもいいのではないか。おれは見ることは出来ないが。まちがってもアメリカのような負けないが想像力の欠片もないようなサッカーからは距離を置く方が良い。醜いのはあかん。それなら理想を追い求めながら弱い方が良い。勝利をキモいナショナリズムと結びつけてアホを騙すメディアに浮かれさせられちゃいかんのね。しかし、最近さすがにそっち方面のアホは減って来たですね。よかったよかった。


 FAKEでかっこいい。FRIENDS IN DENTON,TEXAS

 
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2010年05月26日

おえー・だった

 ひさしぶりの激しい二日酔い。昨日はウルソ飲まずに呑んでしまったのね。ばかね。

 朝起きて、よれよれのままTUTORへ。久しぶりに「愛のスコール」などを飲んでしまう。なんか味覚もよれよれなのだった。おやつで出たヤマギシのプリンを食べたあたりから、ちょっと「オエー」な気分となり、生徒を放置してトイレに籠る。

 その後アルコール・チェッカーで残留アルコール度を計測すると0.35と出て、高三にウケる。免取り・である。運が悪けりゃ。しかし、徐々に立ち直り、帰りには0.05まで回復する。

 ちょっと弱くなってるなあ。こないだのエコー担当の女医のセンセイには、「そうですね。今年の結果は「ビミョー」に悪いですもんねー」と言われていたことを思い出す。「飲まんデー」を作ろうと思った。そういいつつも夜になるとついつい・というのがこれまでだ。さて、ヒトは・というかおれは・進歩するんでしょーか?

 昨日はそもそもヨレヨレだったのに、年に一度のアルフォンソの来日であったから、無理矢理に出勤したのだった。しんどい時に無理矢理盛り上がると後のダメージが大きい。しかし、カルメンおばさんとルンバ・フラメンカを奏でたり、アルフォンソのヘタウマブルーズに付き合ったり、下の雑貨屋のにーちゃんと初見だったりと、まあ楽しい時だったのだが、本日のダメージは大きかった。もうそろそろ本格的回復を見るだろうけどね。

 アルフォンソとは「同級生」でもあって、お互いまあまあエー年こいてるわけなのだが、おれらの世代がどのような目で見られているかということに関して、あるヒントをそこに感じるわけだった。ある場面では「年相応」というのはやはり必要だよな・と思う。モノゴトのイニシアチブを取れないからね。

 さてちょー長かった試験ウィークも明日で終わり。そんなこともあり昨夜は痛飲に走ってしまったと思われるが、もう2日気合い入れていきましょうなのだ。そうなのだ。


 
 昨夜の一曲。

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2010年05月25日

長〜い日

 ハーデストな一日だった。移動しながらの三階建てとは初体験。

 しかし、なんとなくストイックな日だったから、やれた。いや・やれるんだけど、まあやったからどーちゅうこともないが、良く寝れそう。

 昨夜はチャンピオン・リーグのファイナルの録画を見ずにはおれず、結局寝たのは朝の五時だったが、元気に八時に起き、ゴミを出す。しかし、本日午前中はよく降ったね。

 ルックス重視で、かわいい方の傘を持っていったが「失敗」で、なぜかというと本日の「雨」を甘く見てた。可愛い方の傘は「幼児用」で、半径が30センチほどしかなく、本日の瞬間的豪雨には荷が重かった。けっこう濡れてしまう。

 いつものコーヒー屋でホットをテイクアウトし、学校へ向かう。外国人生徒は今日もさまざまで、おもしろい。全然勉強しないヤツがいて「なんで?」と訊くと、「数学いらないの」と言う。数学は要らないのに、授業は聴きに来たい・とは何なのか。嬉しいような・困ったような「複雑」な心境・となる。そんなのが男女一人ずついて、そーいった系列の人々に必ずどんな場でもなつかれてしまうというのが、まあこれまでの経験なのだが、だから慣れてるのだけど、今日は「スポーツ・チームある?このへんに」「スポーツ・チーム」と言うから「何のチーム・サッカー?」と訊き返すがなんとなく話が噛み合わない。「5キロ太って、ダイエット」という「それでなんでチームなの?」と詰めていくと「チーム」ではなく「ジム」だった。おれの来週までの「宿題」になった。しかし、朝の7:30から泳ぎたいなんてあるかね・そんな早くから開いてるの? 

 まあ中国人も日本人同様自分勝手ではある。

 そこから日本橋へ電車乗るのもかったるく、雨もやんでいたので歩く。国立文楽劇場へと向かう筋、韓国・中国系飲食店だらけである。時間がある時に一つずつ入ってみようと思うが本日は時間なし。

 TUTORでバカ二名の相手。こやつらは小学校以来私立付属であって、ゆる〜いわけであるが、その割に母親は野心的であり、その野心的な願望が「保険」コミの小学校からの私立通いになっているのだが、いまや「保険」が肥大化して結果・超ゆるゆるのぐずぐす・という惨状でもある。

 コドモが路から溝に落ちようとする前に溝をコンクリで固めるかのような親の態度に慣れてしまうコドモはショーミの危機感に出会ったことが他より少ない。したがってゆる〜いことが「極普通」であるから、今更母親が「ベンキョーしなさい!!!」と切れてもなかなかそれは無理である。だからゆる〜さの中で醸し出される「いいとこの子」としてのほんわかした部分をなるべく保存しながらやるしかないのだった。そのほんわか・は対人関係に於いてはネガティヴではないから。行った先できっとおかんみたいな存在もいたりするわけで。

 日本橋〜難波まで歩いて帰る。新大阪行きが来て空いている。ラッキーなのだった。座って「街道を行く」を読みつつ帰る。本日は「壱岐・対馬のみち」。壱岐には5年ほど前に訪れた。麦焼酎発祥の地・壱岐なのだが、たしかに麦はあんまり好きではないにも関わらず飲めたし旨かった。絶品のイカさしやら「民宿ささき」のおかあさんやら、その行き帰りのフェリーのことやらそのあとのシーホークやらやまちゃんのサガリやらワイン飲み過ぎで飛行機に遅れそうになる・やら、過ぎてしまったことはなぜこう「甘美」なのだろうか。まあそんなことを思ってるうちに「おシゴトおシゴト」なわけで、帰って洗い物をしていると「ピンポーン」と「ちょっと早過ぎた・でへへ」と中三が来る。

 そのうちに中学入試通り立ての中一も来る。なんかしらんがもう仲良くなってしまっていて、9時ぐらいまでいる。「もうキミら帰らなあかんで」と言うと、「うん・だから待ってんねん」「ん・何を?」「この子が終わんの」「なんで・また?」「せんせー・クルマで送ってくれる言うたやん」

 完全に忘れていたわけで、まあ・おれの物忘れはいろんな場で「有名」ではあったが、本日朝からの労働でぐったりなところにもう一仕事・なわけだった。中津の中一を帰して、豊津まで中三チームを送る。

 帰って、もうそない食欲もなかったが、茗荷と胡瓜でうざく・男前豆腐・と土佐鶴で「日韓戦」のVTRを見ながらやっと晩メシ。前日チャンピオンズ・リーグのファイナルを見てしまったから、失笑が漏れてしまう。ちょっとなにもかもうまくいっていない時というのはあるが、正にそれが今・な代表チームではあった。世界の超一流がいつも見れるというのはなかなか残酷ではあるなあ・と思う。コドモでも・というかコドモだから・かな、その「差」なんてのがよくわかっていて、コドモこそなぁんにも日本代表に期待していない。そんな空気はおれは歓迎している。しかし、そんなコドモもJPOPにはまだ騙される。そこんとこもひとつである。成熟・にはヒトの一生の1.5倍ほどは要るみたいである。


 
 魔女度が増している。

 
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2010年05月21日

ANTICIPATIN'

 ほとんど果物を食べないのだけど、本日ぺろのレトルト・シェルフにあるものすべて買いついでに「びわの衝動買い」をしてしまって、いま衝動食いがおわったところである。

 果物はやはり「剥いていただかないと」が基本で、不思議なことにこれまで暮らした女のヒトたち、みなさん「剥いていただけない」タイプばかりで、そればかりか料理も「していただけない」タイプばかりで、こちらが「してあげる」ことがあまりに多過ぎたわけである。好きな女にそういうこと「してあげる」のは別に苦にはならないから、自然とその手のことは担当おれ・ということになってしまってたのだけど、よく考えるとそれは「おかん」ではないのか。

 おかん・いかん。
 
 痴漢・アカン、みたいだが、いやほんとにそうだ。

 スペンサーが好きで、全部読んだのだけど、彼・ほんとに料理が上手である。ロバート・B・パーカーも当然料理好きと思われるが、おれの料理も基本は「オトコの料理」なのだけど、まあ言えば、休日に厨房に籠って夕方をターゲットに仕込みに数時間かけてビールやワインを飲みつつメシを作るわけである。そんなのが理想で、しかし、横にハラ減ったかわいいオンナがいるとする。すると勢い、そんな呑気なことを言ってられなくなり、冷蔵庫とストッカーの中身を吟味し、ちゃっちゃっとその場しのぎながらも、ビールやワインの友を作るのだけど、そいでもってヴェランダにていい時間を過ごせればそれはそれで良かった。

 ただ、やっぱり休日の午後などは夕方を目安に料理を作りたい。カルパッチョから初めて煮物・焼き物、ワインも白〜赤・と自然に移行し、録り溜めのVTRに刺激され、異常にアタマが廻った・と思えば「幻想」かもしらんのだが、7 of 9のウエストのくびれであるとか、ブレイク・ライヴリーの太腿とかが廻ったアタマを上塗りしてしまって、それでもいいのでそしてまたまたソファで寝てしまうわけ・ね。

 そんな「完璧な休日」はまだまだ遠いわけだった。


 それにはこんなBGMがよいですなあ。実際に鳴ってなくともいいのね。アタマん中で鳴ってれば。

 

 

 

 
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2010年05月20日

ルーツへの視線

 さて、あと一週間。一週間も〜。そう一週間。

 ちょっとムチャしたくなっている。しないけど。これまでなら、こんなとき終わって熊野へとひゅ〜と向かってたのだが、今の興味は奈良だったりする。まあ熊野は豆腐みたいなものです、おれにとっては。

 奈良である・ということは、その奈良にあった政権の成立の経緯が問題になる。大きく言って、倭国の稲作を基盤にした文化が最初に栄えたのは九州に於いてである。北部九州。それがいつの間にか(ほんとにいつの間にか)ヤマトが中心となっていく。今・なって行くと言ったが「なっていた」ほどのリンクのミッシング度である。

 それは中国の史書のミッシングがあるからなのだけど、それは3〜4世紀のことだが、だからと言ってその後のことが確定されているというわけでもない。

 古事記も日本書紀も8世紀に編纂されたからだ。そしてそこに書かれた事柄の信憑性の問題もある。すべてウソではないだろうがウソも混じっているわけだ。例えば「神武天皇」は架空であるが神武天皇のように南九州から奈良を目指し熊野から攻め上がってきた「誰か」はいた・とか、厩戸皇子は存在したが「聖徳太子」は何人かの人格による集合的人物であるとか。初級はこんなことから始まってさ。

 すべてがウソではないがウソも混じっている・という態度とウソも混じっているだろうがウソばっかりでもあるまい・というような態度をシーソーのように揺らせながら想像していくのがなかなか楽しい。そしてなぜそのウソはつかれなきゃいけなかったのか・ということを考えるのもこれまたおもしろい。

 カムヤマトイワレヒコは神武天皇の名でもあるが崇神天皇の名でもあり、だからと言って「そのような」人物が100%いなかったとは言えず、それは古事記・日本書紀の性格上、各豪族の神話を集めて再編成されたこともあり、みんな「ちがうちがう」と思いつつも「万世一系」の呪縛からなかなか逃れられないとこもあり、こないだ「アースダイバー」を聞いていて思ったのだけど、関西が東京と違って難しいのは、過去の「都」の存在と歴史の真偽が関わってくるのではないかな・ということだ。大阪だけ・ならまだいけるのかもしれないが。長柄豊崎宮や難波宮の存在は確定しているのだけど、河内方面なんて特に面白いと思ってて、物部氏の本拠であったりするから、となるとそれはかなり古代からの話になるしね。厩戸皇子の時代もそうだし、それから遡ってニギハヤヒのカミの時代まで行く、ということは、神武東征にも関わる。ふりだしにもどる。

 紀・記の編纂された720年頃、すなわち「女帝の時代」そこからは紀・記以外の文献があるからまあ大丈夫なのだろうが、その後となると急に「面白くなくなる」のね。

 アマテラスとニニギをプロトタイプとした(そのプロトタイプは持統と文武だけど)権力のあり方、特にこの時代は、そこで日本の「過去」を決定し、政治と宗教の補完性までも一気にやってしまおうという野心的な試みがおこなわれたのであって、いいわるいは別としてダイナミックなのだった。

 奈良時代も中盤以降になると何だか急に興味が萎える。

 なぜ再度(大失敗をしておきながら)仏教に頼ったのか・というのが女帝後の聖武時代の謎ではあるが、個人的には。そんなことぐらい。

 それよりもなによりもその前がおもしろい。わからなさすぎて。妄想の入る余地は満載だから、そこがいい。


 GRASS ROOTS
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2010年05月19日

検診で・・それはあかん

 来週末まで休めないが、一日内においてうまく「精神的やりくり」をしないと気が狂う。

 なんだかTODO O MUNDO周辺ではいろんなイヴェントが進行中みたいなのだが、おれだけ一人不参加で、まあ積極的に参加したいというわけでもないのだが(仕事がなけりゃ参加するけどね)、目の前のことをクリアしていく方が今は大切で、オノレの確認が出来る。

 楽しみの質には個人差があって、多分おれの楽しみってあまり共感されないタイプのそれなのかな・と思ってる。一向に構わないんですけどね。世俗的なことの連打ではやや飽きる。世俗的なことが全くないと詰まるけど。

 中津に来てから、これは自分の「隠遁生活」のような時期なのだな・という認識がどんどん確定してきて、今までそんなアンダーグラウンドな生活をして来なかったから、中津で知り合った方々には全人生的な誤解を与えてることになるのだが、過去のことは「見ることはできない」し、それをこーだった・あーだったと言うことの虚しさもおよそわかっている。生存期間の長さゆえ「浮いたり沈んだり」というのはあり・だなと思う。

 そろそろ中津在住一年となるが、少しずつ馴染んできたのだろうか。昨日は豊津まで検診の結果を訊きに行ったが、「残念ながら」肺にも前立腺にもガンはなく、ただ肝臓がエコーを撮らないといけないということになり、また週末に行くのだが、確かに酒は絶頂期からするとやや弱くもなっており、この際調べておくのがよかろうと思った。まあいろいろと苦労をかけているわけだし。

 アセったのは「メタボ」にひっかかったことだった。腹回りが2センチ・血圧の高い方が4mmHgオーヴァーしていたのね。だはは。生活改善の教室に通わねばならなくなった。今現在は血圧はわかんないが腹回りは大丈夫なのだけど、看護師のおばさんに「そうは見えへんのにねえ」と気の毒がられたが、瞬間的にピン・と数値オーヴァーしちゃったんだからしょうがない。待合室で長崎屋のおかあさんに会えたし、ま・いいか、と思ってる。去年の最辛・な時期の体重から5Kg増えてしまってたしなあ。しかし、あの最辛・な時期には戻りたくないなあ。体重は戻りたいがなあ・と複雑なおっちゃんのキモチ・である。

 まあ豊津時代はよく歩きに行ってたな・と思う。歩きたい(歌にもしたことのある)路が目の前にあったというアドヴァンテージは大きかった。みなさんからウォーキング・ウェアを貰ったにもかかわらず、どーも中津を歩こうという気になかなかなれない。そこはやはり「郊外」の良さかもしれない。なんとなく中津は路が生々しかったりする。淀川を歩く愉しみにまだ目覚めていない自分がいて、そこがわかればな・と思う。あと大川方面かな。しかし思わずチャリのヒトになるんだよな・これがまた・毎回毎回。

 試験が終われば・とも思うが、梅雨かー、ま・しかし、この時期ならカッパ着ててもいいけどね。ルートの確立ですかね・まずは。

 さておシゴトの準備にかかろう。


 タイの例を現実を見るまでもなく、軍隊が最も発泡しがちな的とはその国の国民である。

 「ちまちましたことやってられん」とは我が国の農水相の発言だが、どーせ殺されるんだったら「喰ってほしい」と牛や豚が言っている。浮かばれん・とも言っている。お坊さんの見解を聞きたい。タイも仏教国であるが。

 
 DEMONS

 
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2010年05月16日

五月晴れ!!!ながら

 まさにカラッと晴れた「五月晴れ」というのに試験前ゆえ、仕事だった。ざーんねん。

 しかし外の空気を体感すべく、コーヨーへと向かう。ぺろ用のメシがなくなっていてぺろが怪獣のような声で迫ってくるからだ。もう最近は高齢ネコ用の「ずるずる」になったレトルトしか喰えなくなっている。缶詰の・まだテクスチャーのはっきりしたものをあげると・即ゲロであって、あちらこちらゲロまみれになるのは好ましくなく、そーかい・それぢゃあ・ということで高齢ネコ用しかあげてない。

 ゲロしたあとすぐ・めしー・と迫ってくるので「あんたはローマの皇帝ですか?」と訊いたことがあったが、その答えは「怪獣語」で喋っていたから聞き取れなかった。

 尿漏れというか、男子でいうなら「切れ・が悪い」というか、そんな症状もあり、どーも部屋の中が「おしっこくさく」もある。ファブリーズもやりすぎでお金がかかる。で、アンモニアには酸はどーなのだ? と思っている。お酢を薄めて使ってみようかとも思っている。中和反応・だね。H+とOH−でH2Oができるはずである。めでたしめでたし・のはず・なのだが。さて・どーでしょー。

 この時期はいそがしい。一学期の中間テストはものすごくバラけてしまうのだ。最近・各学校が、修学旅行の時期を「個性的」にしようなんて、思わんでもいいのに思ったみたいで、ある学校は修学旅行行ってからテスト、別の学校はテスト終わってから修学旅行。ほんまに「勝手」である。だから、おれのように28日まで「休みなし」の可愛そうな人生となる。しかし、可愛そう・とだぁれも最近は言ってくれないので、そこは泣き言を「ごっくん」しないといけないのだが、試験が終われば「飛鳥〜奈良」への今最も興味のある場所を歩いてみようと思っている。おれ・奈良のこともなぁんにも知らんのよね。本で読んだ知識ではない知識のことだけど。

 いい旅館も確認済み。こう・なんていうか・その・構想のようなものがぶわーっと広がるといいんだけどね。今の興味は5〜8世紀の倭〜日本だったりする。

 みんなは「天照大神・アマテラス」のことってどう思ってるんだろうか?

 あの伊勢に祀られている皇祖と言われるアマテラスなんだけど。あと八岐大蛇やいなばの白兎の話って知っているのだろうか?

 大国主のことはどう思っているんだろう。アマテラスはなぜ子ではなく孫のニニギに多くを託したのだろう。稗田の阿礼って誰? 古事記や日本書紀はなんのために書かれたの?

 律令との関係は? なぜ聖徳太子の一族は根こそぎ殺されなくてはならなかったの? 推古天皇の御時にやってきた隋の使者が「100人の側室」を侍らせた「大王」に会ったんだけど、それってもしかして蘇我の・・・・? 橿原神宮って出来たん明治時代やん。

 などなど、おれたちの「非常識なる常識」まあ・ええ加減なもんなんですが、浅学からくる「アホの思い込み」に満ち満ちているのが現実だったりする。

 ものすごくこんがらがって、過去のことだからそう簡単にすっきり数学の答えみたいには出ないのだけど、そこがまあ歴史の醍醐味だったりする。どう転んでも「ほんとのこと」はわかんないよってとこがね。

 それをあれこれ妄想するのが楽しい。

 昨夜TODO O MUNDOで聴いていた。中学生時代のFAVORITE。シブい中坊である。


 
posted by 浪速のCAETANO at 17:27| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月13日

DISAPPOINTED

 民主党もやはりアメリカに対して「盲従」ですか、そーですか。みんな失望しているよ。

 それになんだか、沖縄以外の他の日本の地域も負担を共有すべきだ・なんて意見もやみくもに出てきた。それは順番がおかしいっていうの。

 もう今や・数多くの人々が、ほんとに米軍基地が要るの?と思ってきてるし、オバマになったアメリカに「正当な・言うべきこと」を言うとほんとにえっらいことになるの?と思ってるし、海兵隊の抑止力ってほんとにあるの?と思ってる。

 海兵隊は上陸部隊だけど、イラクの例を見ても、イラクのミサイルの射程からもっと離れたところからミサイルを撃ち込み、空からきっつい爆撃をし、ほとんどイラク人の戦意がなくなったあげくに上陸するらしいぢゃないの。そんなものを「抑止力」とは言わんのね。そしてそれは「抑止力」にはなり得ないのね。

 前から言ってるように「戦争は起こりません」。すくなくとも東アジアでは起こりません。アメリカとイラクの地理的・精神的な距離、その両者を満たすぐらいに「感情移入できないほどわけわからんニンゲン同士」でないと戦争は起こらない。意外と入場者のしょぼい上海万博でも日本パビリオンは人気である。中国人たちも「嫌い」といいつつも日本のことは好きなのだ。どこにでも「右翼」はおるからね、皮肉なことに。そんな人々のデモや暴動を、これは日本のメディアの恣意的な選択だと思うが、「嫌中感」を煽った方が「儲かる」ヤツらがいるから煽っているわけで、それをするとメディアがなにがしかの「利益」があるから恣意的な選択をしているわけで、そこには「武器」を造り、輸出して儲ける日本企業・それはアメリカや他の国の軍需産業とも結びついているわけで、適度なテンション張ってないと、つまりどこかで戦争が起こるかも・みたいな情報を常に流しとかないと、世界平和になっちゃったら「ショーバイあがったり」になるからね。

 思い出そう。それが顕著なアメリカが、不況になったら「戦争」仕掛けていたことを。

 沖縄のヒトたちとは、人類学的に見ても「稀に見るほど平和」な民族なのだ。それが、アメリカに蹂躙され、支配され、本土復帰はしたものの、日本からもダブルで支配され、その複雑な支配構造に混乱し、失望し、その「うをををー」な表現を成人式の「イマドキ」なヤンキーに見る。闇の社会もかなり広がっていることだろう。

 やさしくてひとなつっこくて、あんないいヒトたちにそんな思いをさせ続けて、だからわしらも少しずつ負担を共有しないと・・・・、そんな空気になってるけど、違う。

 「基地なんていらないっ!!!!!!!!!・・・んぢゃないかな?」とだれか「影響力」のあるニンゲンがメディアで声を上げるべきなのだ。おれは、鳩山ちゃんがそんなこと言うんぢゃなかろーか・と期待してたよ。空気を読まないんなら、その特技はそっち方面に使わなきゃ。今・敢えて空気読まない・ことがとっても大切。特に永田町の空気をよ。

 岡田くんとかはもう最悪で自民党の政治家と変わんない。多分何度も訪米して「次・チミ・ね」と言われてるんだろうと思う。彼ら・前原くんとかも含んで・「次」があるからね。カクシテモカクシテモその「欲」が透けて見えてるよん。

 亀井ちゃんとか言わないかなあ・そんなこと。弱者の味方でしょ。それは本土の弱者限定ですか?

 なぜ米軍が日本にいなきゃいかんのか・ということをあらゆる観点から・そしてあらゆる(含むアメリカ)意見を並べて検証した後でないと、基地負担をじゃあ全国で、みたいな話は誰が考えてもおかしい。

 基地の話になると「それはそういうことだから」論が多過ぎる。イシバとか、最近かなりムカつく。同い年だから余計にかな。ああいうオタク・クラスに必ずいたもんね。あいつ必ず写真に写る時、「にかー」ってカオするでしょう。あの「にかー」は「瞬間用」のカオであって継続してするカオではないのである。ヤツは「悪人」です。

 日米安全保証条約がいつのまにか「日米同盟」になってるんだもんね。一体誰が言い出したのだろう。小泉かアーミテージか。こういうの「ずる賢い・なし崩し」手法よな。これを定着させたメディアもほんとにカスである。 


 脱構築の罪もあると思う。脱構築以前のヒト。
posted by 浪速のCAETANO at 20:57| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月11日

雨はや〜ね

 雨だと疲れる。

 昨日はおそとで二階建て・だったのだけど毎回間が空いて、そんなとき天気が良けりゃチャリンコでふらふら〜・うろうろ〜して、外でビール飲んで快適なのだが、昨日は雨。雨の中ロッテリアのハシゴしながらほふく前進にて二時間かけて心斎橋から日本橋へと静かに近づかないといかんわけで、ほら・そのなんていうか、ある程度の速度を保てないと・失速すると余計に廻んなくなることってある。クルマでも延々1000回転のまま走らせると機嫌悪くなるもん。そんな感じ。

 十五分で早足で歩きなさい・の方が快適よね。

 意外に昨日は気温が上がらず、それも不快指数を上げていた。不快指数の適用が違うが。天候がこう乱れるとチョーシ狂う。野菜も高いはずである。

 スーパーもデパ地下も大好きなので二日に空けずに通っているがいや・野菜がホント高い。それもなんつーことなかった野菜類が高い。キャベツなんていつだって安くて第一ビンボー時代の友だったのにね。そんなことからふと感じるのは、なんか、いままでフツーにやれてたことがやれなくなっていく・そんな示唆があるような気もしている。

 それはまあ野菜からの示唆だけに留まらず、生き続けることは更なる不自由を内在していくことでもあるな・と思う。そんなことはないぜ・とおっしゃる方もいらっしゃると思うが、それは「幸運な方」だと思う。

 その不自由さは、たとえばiPad を手に入れたところで関係なく、あるいはその分余計に感じてしまうかもしれない類いのものだったりする。iPadはすばらしいツールだと思うが
それは不自由が大前提として既にあり、それをいかにそう感じずにいられるか、ということに奉仕するツールかもしれない。

 テクノロジーの発達が臨海点に達した「スタートレック世界」に於いては、テクノロジーはあくまでもツールとして扱われ、当然なものとして扱われ、その上に更にヒトの精神の活動があり、それは相も変わらず「そういうものとして」あり、つまりテクノロジーとヒトの関係がゼロサムではなく、まあそれがジーン・ロッデンベリイの思う理想郷なのだと思うが、iPad予約に嬉しそうに並ぶ人々の、ごはんを貰うときのイヌみたいな邪気のない物欲全開というよりも清々しいほどのストレートな憧れ・のカオを見てると、そこにはモノとニンゲンは対等である・ほどのサイバー・パンク以降の世界が現実になっていることを知る。

 ほんの2000年ほどの間にこんなに周辺を発達させていいもんなのだろうか?

 そりゃもうドライヴかかってるからしょうがないと思うが、その発達展開するテクノロジーに値するニンゲンの数は実際にどれほどいるのだろう?

 テクノロジーの発達はある現場では「手」の能力とトレードオフである。危惧するのは「手」でできることの訓練以前にその代替物としてのテクノロジーがあることだったりする。もちろん、そういう方向性が主流になっていても「手」でやることを選ぶ人もいるのだけど。

 おれもかなり「個性的」なギターを弾くが、その、他との有為差は汎用性のあるテクノロジーを使って出す有意差よりも絶対値において「大」だと思う。どんなに物真似の上手い人でも、何かしら当事者の個性がでてしまうものだ。それはその本体の持つシステムの緻密さ・というか柔軟性によるのではないか・と思う。機械はその柔軟性に於いて目指すものとはヒト・であるが、ヒトは正確性に於いて目指すものが機械である必要はない。しかし、なんだか、そんな指向性が垣間見える。世に氾濫しているものはTOO MUCHな論理性だったりする。いや、ある部分に於いてだけ。そこでは論理性に於いての丸投げがなされていて、まあそれに対応出来る御用学者や御用弁護士などが重宝されるわけだけども、それはわけのわからんおっさんおばはんとうまく相殺されてバランス取るように出来ていて、そのパッケージが気持ち悪い。

 こんなになにもかも「対象化」しなくてもいいんぢゃないの・といつも思ってるが、それは「不自由」に更なる加速を与えてしまうからだ。大阪は「まだまし」かもしれないが。しかしそれもどうなることやら。

 自分なりの対処として、少数派の側に立ってみたりするわけだが、なんだかこの国は全体の問題から一部を取り上げて、矮小化した後拡大するみたいなフェイクがほんとに上手で、最初から間違ってるのにそれが時間軸とともに変な論になっていく。ただ、それでもなにかが根本的におかしいな・と思い始めてるヒトたちも増えてきている。

 相変わらずとっ散らかる。


 LOST CONTROL

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:08| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

二択はや〜ね

 二者択一ってやーね、といつも思っていて、「あたしとあの女とどっちを選ぶのよ!!!」と迫られた場合、前提としてこの場合は「あたし」の方がなんとなく「近い関係」に思えるのだが、しかし、その問いかけるトーン・から察するに、「あたし」はかなりの怒りと不平不満をお抱えになっていることがわかるわけで、あたし・を選んだ挙げ句の「関係内基本的人権」の回復には長い時間とそれに伴う努力・が必要だと思われる。しかし、かといって「あの女」を選んだ場合、ここはもうある意味の政権交代・みたいなもので、今までの既得権をすべて放棄することを意味し、四畳半一間からの出直しに喩えられる・そんな人生が待っていそうである。

 いや、四畳半一間が悪い・ということではない。選択には責任も伴うし、あの女は「あたし」となり、また一から出直し・も悪くないものだったりする。第一「新鮮」だし。

 問題は、そーゆーことは「クセ」になる・ってことなのね。一旦、変化を選択したら、あんなにびびってた変化が怖くなくなる。ニンゲンは何にでも慣れてしまうのだが、多分それは進化の中で選び取った「プラスの」精神的形質であると思われるが、そんな大昔と本能の崩れてしまった今とでは同じようには論じられない。

 あの女・を選ぶ場合・って、「あの頃」が懐かしいのだってことも言える。あの頃・とは互いに何物でもなかった時期にお互いのチカラで「何か」を創り上げていく。その時ヒトは「いたいけ」だったりする。いたいけなぼく・いたいけなきみ・ってのが好きなのかもしれない。

 おれはそういうの・嫌いじゃないな。現実に「あの女」を選んだこともある。まあ・そんなことの連続が一つの原因でこのザマ・であったりもするのだけど。ま・それは置いといてー。

 日本は選択肢が延々なかったあげくの選択肢の登場で政権交代で、そのテキストである英国は「選択肢はあったけど、その選択肢のどちらにも新味がなくなりつつあって」労働党・保守党以外の「自由民主党!!!」が議席を伸ばしたりしてるみたい。英国の自民党は「中道左派」らしいけど。

 最初に戻るけど、「あたしとあの女」だけではその選択はやや不毛だと思う。ウルトラCで、どっちも選ばずどっかへ逃げる・というのもあるが、それは「棄権」てことだからこの場合は現実的ではなかったりする。だからあたしでもあの女でもない第三極も要る・と思う。経済生活に於いては、たとえば今日どこでメシ喰おうか・という需要に対しても「供給過剰」で選べないくらい選択肢があるのに「政権」なんてことに関して「二者択一」しかないのはもひとつじゃない? ものすごく・もひとつだ。日本語的におかしいけど。

 選択肢がないっちゅうことは、その選択はもんのすごい「雑〜い」ものを含むことになるから、結局痒いところには手が届かなくなるのもしょうがない。しかし、その選択肢さえも最近までなかったわけで、うーん・この先も道のりは長い。



 というわけでANDAR COM FE

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:54| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月06日

更新よりはじめて

 免許の更新でミノヤホールへ。懐かしいじゃないの。カオリーニョ藤原&マルタニカズ・ゲスト(っていうか乱入)HONZI、っていうトドムンド始める直前だったから14年前にもうなりますか・かなり完成度の高いライヴを敢行しました。

 聴きに来てくれて今も親交のある方々もまあいるので、思い出してみましょうね。良かったよね。

 最近の「点数」きびしくなってるねー・また一段とね。6点で短期免停ってのは変わらずだが、あれして、こんなことして、そのまま逃げたりとかしたら「60点」とかあったぞ。もちろん「一発免取り」で、もう欠格(免許取れない)期間10年とかさ、クルマに関わる気がなくなるほどの罰則のきびしさだ。時代ですね。

 もう抜けてるかなあ・なんてヒヤヒヤしながら「はぁー」してた時代が懐かしい。トドムンドからの帰りはほぼ「○○運転」だった身といたしましては、いけないのはわかるが、ヒトによるし・なんてことも言わないが、行動が随分大胆ではなくなってしまった。ヒトの裁量と能力は関係なく、賢者の過ちが愚者の規則にもならず、どちらかと言えば逆で「一番アホな子に合わせた授業」みたいなのが日本の世の中だったりする。しかも、そこんとこだけ。

 だから規則には明言されていないことは別に倫理感さえあっちやっちゃえば、例えば村上くんのような「金儲け・どこが悪いの?」なんていう、アホのフリした「素朴な疑問」が発言されたわけで、酔っぱらい運転と株で儲ける・そんなの比較対象にはならないはずなのだが、なんだか比較できるような気になっとったよね・ニッポン人。そこいらの精算・済んでない。済んでないまま、みなさんいろんなことをお忘れになっている・と思う。

 つまんないことでも情報として一面トップみたいな扱いをするなら、いくらでも意識の上塗りができる。完全に情報は操作されてしまっている・わけだった。残念ながら。ほんと残念やわ。

 過剰な情報を避けて意識の地下に潜らないといかんよね。戦場に於ける塹壕みたいな場所かしら・とイメージする。銃弾がひゅんひゅん飛んでいくのを上向いて眺めながら、とりあえず身を隠す。問題はそこは安全ながら、決して第一線には復帰出来ないってことね。そこにいる限りね。

 民主党の政党支持率は10%切るんじゃないだろうか。まあでも鳩山くんの手法のマズさはもうちょっと取り返しつかんでしょう。小泉くんではないが、沖縄と本土とアメリカの・それこそ三方一両損と「抑止力」の意味・無意味、そしてこの時代に米軍が駐留する意味とメリット/デメリット、さらには米軍が駐留する体制はだれがそれによって利益を得ているのか、そんなことをもっとどばーっとディスロージャーしてそれこそ大阪のおばちゃんにもわかるように右左双方からのディベートがあっても良かったのに・と思う。いいチャンスだったのに、そのチャンスは失われてしまったかのように見える。

 政権交代の貴重さに感情移入するあまり、鳩山くんを庇う意見もいまだにある。しかしなあ、どーだろーなー? おれもどちらかと言うなら、そんな目線で見ておきたいとおもってたけど、うーん・どーかなー? ちょっときびしいな。次は岡田→前原ってことだろうか。小沢くんが消えて彼らが首相になるとすると、完全に自民党と同じになるね。それは清和会系の「アメリカに物申さない」という意味で自民党と同様となる。

 だから言わんこっちゃない。「アメリカ盲従」の方がいいんだよ、なぁんも考えんでもいいし、沖縄のことももうすぐ忘れるさ・という意見が主流になってきそうな気配だ。

 いや・忘れちゃいかんし。


 TE VI

 
posted by 浪速のCAETANO at 21:05| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

機会は失われつつあるが

 天候に恵まれた黄金週間も本日で終了。おれは休みでも平日でもそんなに暮らしに変わりはないのだけど世間の様子がやはり休みだと空気にある種の諦観が漂っていてその分気が楽だ。

 規則正しい生活が出来ていて、それは優等生ポイ意味ではないんだが、いいこといけないことをそれこそ規則正しくやって過ごしていた。連休が明けるとこれがまたあれやこれやとお金には(まだ)ならない忙しさもやってくるのでそしてその際には精神的にもやや圧されてしまうのでそんなことを考えるなら、やはり世間的な休みはありがたい。

 一昨日は大淀北公園、昨日は大淀中公園、とするなら本日は大淀南公園かと思われるがそれがあるのかどうかもわからない。店用に作った「絶品のカッスーレ」がタッパーに入りきれなかったのでそれとトーストでも持って行くか・と思っている。

 タイムとセージとクローヴ、鴨に豚、カッスーレは香辛料といろんな肉の脂のマジックであるが、作るのも食べるのも好きな料理である。ほんとうはインゲン豆なのだがおれは大豆を使う。南仏のオフクロの味である。

 鳩山くん、ダメだった。困難なことに挑むにはやはりぼんぼんは向いとらん・ということだろうか。どうせそんな「安易」を選択するくらいなら、「本当に必要か・なぜ必要か・どの程度必要か」という国民的ギロンを焚き付けて欲しかった。それは現実としての金正日の暴発の確率や、中国の領土的野心の可能性について、どの程度の人がどっち方面でどう考えているのか・ということが露見することになるからだ。

 民主主義のなさをアメリカは感じると思う。さらに、やっぱり日本人は「人類学的素材」として「興味深い」ということにもなるかと思う。アメリカ側にもある程度の譲歩の準備もあったはずなのだけどね。何が来るのか・と身構えて待っていたら「やっぱりいいです」だった。

 「やっぱりいいです」ってなんなのよ。おれたちは「包茎民族」か? と気持ち右カーヴする。しかし、そこには真の憂国の士はいない。その内気のブスの愛の告白・のようなものには何かウラがあるのかもしれないが、何かおれごときのテーノーにはわからん壮大で深遠なる策略・のようなものがあるのかもしれないが、なんだか橋元くんのヒットラー化を準備することにしかならない気がするんだけど。

 沖縄の人々が気の毒だ。これはものすごく情緒的な感想ですけど。あの土地は沖縄が「アメリカ」だった時代に人々が米軍から「しっしっ」されて「奪われた」ものだからね。

 自民党はもう没落するしかないが民主党が自民党的なるものを代わって体現してくれるのならば、別にそれでオッケーと思う人々は多いはず。今みんなのなかに求められていながら実現していないのは「カタルシス」かもしれないから、それが「おあずけ」になることのオトシマエはきっとエラいことが待ってそうな気がしてる。

 そもそも今回の事態は、米国が隠れ多極主義の方向に走り、日本の対米従属の国策が破綻しているのに、日本政府(官僚機構)が国策を変えず、日本を危機に陥れているところから起きてるんだからね。やっぱり日本を喰いものにしている官僚っていて、「お願いだから日米同盟を続けてください」とアメリカにお願いしてる元・現外務官僚もいるほどだし。

 日本人の誇り・が傷つけられた・と思う人々は多かろう。そしてなんちゃって保守・なんちゃって右翼の人口が増える。その移ろいやすく気分は右翼・ってのが色々厄介なのである。ほとんどモノ考えないからね・彼ら。ノリ右翼とでも言おうか。彼らはホントは沖縄のこと・どーでもいいのよね。イシバとかオカザキとかのアメリカにひたすら奉仕する人々も実はそうなのだけど。

 しかし、ほんとにその「抑止力」はどれほど確かで、あるいは不確かで、もし仮に確かであるとするなら、それを非沖縄である地域とどういうプロポーションでシェアするのが「フェア」への道なのか・ということを、ここは政治が「提案」していただきたかった。非沖縄の地域の「見て見ぬふり」というのも、抑止力が「ほんとにほんとに確か」なら、そこはみなさん疚しい気持ちを持つべきなのだ。日本の他の地域の沖縄に対するまなざし・も同時に問われている。沖縄の人々にとっては、そちらの見て見ぬふり・の方が「情けなさ」は上だと思うが。

 沖縄からはじめて、モノゴトを世界を考えるいい機会だったのに、と思うと残念だ。いや・まぢで。しかし、まだウルトラCへの期待があったりする。お人好し過ぎる?

 ゴールのオトコ。専守防衛。
posted by 浪速のCAETANO at 11:53| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月04日

絵になるはずが

 ほとんど半パン・な気分だ。夏日。おあつらえ向きの黄金週間なのだけど、TODO O MUNDOは開けてます。昨夜も久しぶりのバカ来店により大騒ぎの巻。

 今・野外昼メシ・しかない、おれの人生・というぐらい天気のいい日はお弁当作って外へ出るのだが、ちょっと前なら陽射しがありがたく、淀川の土手でOKOKだったのだが、昨日、そうしようと思えばかなりのアツさで日焼けしそうで、大淀北公園へと急遽非難したのだった。

 ベンチが3つあり、一つはおじいさんが座っていたのでそのトイ面はよして、90度の角度の方に座り、マホービンに入れてきた焼酎のロックをぐびぐび飲みながら、遅い昼メシにかかる。卵焼き・ビフカツ・ポテトサラダ・がんもと白菜と結びコンニャクの煮物をつつきながら。

 イヌを連れたオンナが次々とやってくる。「彼の他に 誰もいない 犬を連れた 日傘を持った 女の足取り 風景に溶ける」という浪速のカエターノの初期のジャズの名作があるが、現実はそう甘くはない。

 確かに女と犬の組み合わせは、絵になる・と言える。ただし、女の質が問題ではある。

 「キミの首輪はどーしたの?」というレヴェルでは、大変さみしい思いを周囲に与えてしまうわけよね。

 「キミの首輪はどーしたの?」

 「そして放し飼いを誰にユルされた?」

 来るカップル来るカップル、見事にそんなので、ここらの地域はひょっとして・・・、いや単に呪われただけなのか、それとも・・・・いろんなことがアタマをよぎる。

 ま・いいんだけど。5組来たが5組ともそんなんで、T瀬がトドムンドで寝る確率より高いやんけ。10割ってさ。一組ぐらいドキドキさせて欲しかった。いや・まぢで。

 イヌの気持ちになったら、やるせなかった。

 本日もこれから出かける。今日はどこかでロング缶を買おう。本日・日陰がいいね。

 Dave Edmunds が好きである。
posted by 浪速のCAETANO at 12:59| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月03日

甘い衰退

 もうtwitterがあればたいがいのブログはいらんのぢゃないだろうか。

 そんな気がする。そんな気がする以上に、そんな人々が増えている/いた。

 そうねえ。そうかもねえ。かと言ってそないtweetしない自分はなんなのか・っちゅう話にもなるが。

 safariの調子が悪くて、tweetできなかったりする。それをメゲずにfirefoxを立ち上げてみたいなガッツがないだけなのだった。まあ、どーでもいいか。昼酒の後ゆえ。

 上海万博が始まった。今年は冬季五輪から万博・W杯・とイヴェント満載の2010だったみたいである。最近気付いたけど。しかし、今やイヴェントはアホをさらにアホにするだけのものだった。イヴェントのときはアホなのである。日本の祭りがそうなのであって、それが違った主旨で色々あれば人はアホ脱皮のヒマなくアホ継続なのだった。あらら〜。

 今はそれを増幅する装置がテクノロジーを根拠にのさばっちゃってる。もひとつあらら〜・だ。幸い今の日本代表は「弱」だから、それは良し・だ。どちら方面から見ても「弱」であるから、変なバブルはなくてそこんとこはいい。

 中国はバブルのようだ。最後のバブル・だ。躁状態にいる人々はなんだか楽しかったりする。楽しさは一瞬なのでそれもいいのでは。大いに楽しんで・と言っておきたい。ただ発展が急速過ぎて、だから楽しみも急速に終わるだろうな・というのが若干「お気の毒」ではあるが、時代は加速しているからそれも「しゃーない」

 そして全世界的に「衰退」していくのだが、それでいいのね。

 「発展」を経験せずに「衰退」って国もあり、それも「お気の毒」なのだけれど、もう「しゃーない」。幸せが誰にでも・という時代はほんとに終わっちゃったのだ。

 テクノロジーの発達はまさに「幸せは誰にでも」を体現する根拠になるかのような錯覚を与えるが、ちょっと待って、幸せ・とは特権的なものだった。もっというとそれは「相対的な」ものだった・そんな気がしてる。

 そんな幸せなら、いらんよ・と思っていた。誰かより幸せ・ってなんやねん・って話。あんまり興味はない。そんなことより「自分が幸せ」ということも方が大切なのだが、その自分が・・・に関してスタンダードを持つ日本人があまりに少ない。少なすぎる。そんな設定さえも他との比較をせずには出来ない方々が多過ぎた。そして、稀に他との比較なしの幸せを享受する人々のマナーも悪すぎた。サンプルとしては環状線のブスカップルの人目憚らないいちゃいちゃ・など。おもに90'Sの出来事だね。

 その時代よりも更にぐーんと貧しくなって、いいかんじ。

 今のキーワード・は「衰退」である。やっと「デカダン」な時代がやって来たのではないか・と思う。オリジナル・デカダンスとはやや異なるよ。ほぼ1世紀の差というのは、テクノロジーの底上げという意味では確かにレヴェルが違う。違うんだけど、そして表現の枠もかなり狭まってはいるけれど、でもデカダンはデカダンであることは間違いない。

 意識の拡大とは裏腹に、オノレのパワーの小規模にがっくりきてるのが現代人なのであって、その実情は口だけ番長・なのであるが、いやー・見事に衰退の一側面を体現していて笑えるくらいによろしい。まあ・みなさん「ズルく」ならずにこの衰退局面をおもしろおかしく生きていこうぢゃないの・と言いたい。そのズルさはセコさであって、そのセコさは右肩上がりの時代にはやや通用もし、そこそこおいしい思いもついてくる・ほどのものであって、しかしこの衰退局面にはあまりにもアウト オヴ デイトな戦略であることがオノレのセコさゆえわからない。御愁傷様。おれたちは「今以上のもの」には成り得ない・のだから。それが「衰退局面」ということなのである。

 発展を体験することもまあ大切だとは思うが、そんなものは天井があるもので、まだその「青い」ものであって、そんなことより、「衰退の局面」の方がなかなか味わい深かったりするものなのだ。だってどこが「底」かわかんないんだから。


 フフフ
posted by 浪速のCAETANO at 18:01| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする