2010年09月29日

「ひとり」ではさみしいぞ

 日本人は目先の借金に追われながらも欲望を満たす・そんなことで忙しく、いわゆる餓鬼化しちゃってて、気づかないと思うけども、それはメディアが熱心に取り上げないことが大きい理由か、または、そんなことのもひとつ奥の意味を知ってしまうと、またまた大騒ぎになるかもしらんなあという「配慮」かもしれないが、大きなお世話だけど、ちょっと気になることが極東で起こっている。

 中国とロシアの接近だ。右翼ではないけれど、この領土がらみの日中のごたごた時での接近は少しいやーな感じってないかなあ。利害が完全に一致するもの同士の「だよね」「うん・だよね」って。

 誰でも・はっ・と気づくのは、日ロには「北方領土」という大懸案事項があったんだもんね。

 一昨日の共同声明では明らかに日本に対して領土問題でタッグ組むんだもんね・とほのめかしている。メドヴェージェフは本当に択捉・国後へ今日訪問するのだろうか。

 もう一つ、ロシアあるいは中国が日本を領土問題で包囲しちゃおっかなあ・と思うなら、組む国がある。

 おわかりですよね。そう韓国だ。竹島=独島ね。三人タッグになるとなかなかきびしい。トリオ・ザ・領土問題。

 「いや・アメリカいるから大丈夫やん」という人がいるだろう。まさにそんな風に物事は展開していってるのだが、でもさ、鳩山君は東アジア共同体・なんてことを言っていたじゃない。なのに一年でその共同体を構成するはずであった仲間たちに包囲網・って「なんぢゃ・それ」よね。

 鳩山首相時代には抑えられていた(by小沢/鳩山)民主党の中の安倍晋三と同様の考えの人々が、質量のない管くんでは抑止が効かずに好きなことをやりだしている・ということなのだと思う。小沢つぶしを目論んでいた人々がやりたかったことはこんなことだったわけね。

 極東での緊張感を高めることがアメリカ依存を高めることと同義であって、それは自民党内の「清和会」つまり森・小泉・安倍と続くラインを再現することが、アメリカの支配層の懐を潤し、そしてそのおこぼれを彼らが(彼らだけが)受け取る・なんてシステムがおいしすぎるからなのだけど、彼らを潤すそのお金・とはみんなの税金ってのをみんなホントにわかっとるのかなあ。彼らというのは「アメリカ盲従の政治家・官僚・メディアの人々」なのだけど、まあ国の中枢が「餓鬼化」しているわけでしたから、みんなが餓鬼なのはしょうがないけれど。

 民主党の内部も構成は自民党とさほど変わりはしない。小沢くんのいる民主党なら自民党のオルタナティヴに成り得たのだが、今は無役。やっぱり政治はもっとリアリスティックに「従米」vs「独立」という構図にしないとアホなひとたちいつまでもメディアに騙され続けることになる。

 従米の急先鋒が今は前原くんで、ヒラリーに「あそこんとこも安保の対象になるよね」なんて確認・ホント・ばっかぢゃないのか。せっかく過去にケ小平が「まあ・そこんとこ「棚上げっちゅうことで」」と東洋的大人(たいじん)の手法でなんとか荒立てずにという提案をしていたのになあ。それがお互いの領有権主張の立場に踏み込まない唯一の外交的知恵・だったと思う。

 その数十年にも渡る先人の知恵を国粋主義者の前原くんは一瞬で台無しにしちゃった。そしてそれに喝采を叫ぶ日本人も多い。こちらも数十年かけた「嫌中国」プロパガンダの成果がでてるのだけど、でもね、その先には何が待っているのだろう。

 今のメディア、70年前の大本営との類似を言う人も多い。鬼畜米英という言葉もかつてあった。現在の米英・とは大きくなった中国だろう。少し、冷静になった方がいいと思う。前原くんも温家宝の目の前で同じことが言えないのなら、庇護された中で言うのは止めたほうがいい。

 TVメディアでは今・中国がアジアのあちこちで領土問題を抱えている。そして中国こそが「包囲」されているのである・なんて言ってた。そうだろうか。中国人はアジアの各国に「華僑」「崋人」がいることを忘れるべきではない。その国の経済の中に中国は深く浸透している。そしてGDP世界第二位となった中国とモメたい国がそうたくさんあるとは思えない。経済的にみんな中国を当てにしているのだ。

 「包囲」されつつあるのは日本だと思う。そしてわずかな望みを「アメリカ」に依存することで繋ぎ・という状況だ。ABCD包囲網なんて言葉もあったぞ。

 だからお隣とは「うまく」やんなきゃいけないんだって。そこをやるのが「外交」なんじゃないのかい。隠れて国内向けに勇ましいことばっかり言うんぢゃなくよ。ねえ外務大臣。


 「ONE」は一番さみしい言葉。「NO」は一番悲しい経験。

 

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:18| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月28日

Look Back in no ANGER

 昨夜久しぶりに布団で寝た。夜はまあまあ冷える。

 Pro tools用に買っていたノートにG5のデータを移している。G5はなーんかダメね。なーんかダメよ。なんでも当たり外れ・あるけど、久しぶりの大ハズレ。あのファンがいやーな感じするのね・さいしょっからね。

 だいぶ移したのだが、iPhotoの写真がどうも移らない。

 まあそのうちなんでかわかるだろう。でもご親切な方、教えてくださっても全然受け入れる準備はできてます。

 ノートのキーボードは快適。おれの一本指かな入力も冴えるってもんである。

 今年はじわじわと夏が終わっていく際の「初秋のムード」がないまま、ど真ん中の秋が今である。

 夏の放蕩を、朝晩少しずつ冷えてきた空気の中、それをきっかけに、少しずつ「反省」なーんかしちゃったりなんかする・というのが、正しい夏の終わり〜秋の始まりだと思うが、それが「いっつまでもなんで35℃やねん・おい」と目の前にいるヤツに八つ当たりしたくなるような日々を続けておきながら、「はい・どーそー」っていきなり空気入れ替わっても、パンいちで山の頂上で「イエィっ」みたいなことはできんのだ。

 ドラスティックな変化って多いよね。リーマンの頃から、一晩寝たら何もかもが「過去」となる・みたいなこと、個人的にもようあったが、それにしてもそれらはおれだけの話でもなかろう・と思う。

 若者なら、経験総量が少ないし、こんな時代に育ってるから、「そんなもんぢゃね」で済むのか知らんが、おっちゃんらは意外とね、特に戦後生まれのおっちゃんらはね、「根」が能天気にできてるわけね。コドモの頃は洟たらしてても、なんだか周りは「いいように」なっていってたんだからね。耐性がないのね、不幸にたいして。

 
「おめでたい」わけ。おれは自分がバカだと思うのは主にそんなところだったりする。いまだによく人に騙される。それが「薬」になかなかならない。また一周回ってバカのままだ。しょうがないですね。状況が・ではなくおれが・ね。いや・でもね、バカにしか出来んこともきっとあるはず。

 発音が特権的なある国の曲に延々囚われていて、最近あかんのよね。最初あんまりすごい気がしないのだけど、奥が深い。京の街やのような・一曲内に「うなぎの寝床」内蔵なのである。さすがに姉妹都市。ポップ音楽後進国だったというのが大きいかな。いろんなポップ音楽・そしてそのアレンジを国内でまたさらにアレンジ・ということなのだが、それがスバラしい。

 ポップという感覚は大変大切なのであって、おれもずっとそれは気にしていてて、そうやってきてたのだけど、ちょいと5〜10年ほど早かったみたいでした。しかし、迎合してないおっちゃんの作品はそう簡単に今のシステムの中で「消費」されない。以前はあまりに先を見ていたこともあり、相殺する上でも少し後ろを振り返るのだ。怒りを持たないで振り返るのね。


 こちらは「怒ってる」方である。それの新録。どっちがいい?

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:49| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

失禁前に

 久しぶりにクルマに乗る。右脇腹が痛々しい。見積りだけでもとろう。

 でもフィールは・やっぱりものすごく好きだなあ。ツインスパークエンジン。人は相変わらずの快感を反復しながら生きていく動物なのかしら。

 朝までナメてれば・になりかけた白熱教室、最後のサンデル先生の「総括」によって見事な大団円となってた。司祭であり客観的な説教師であり見事でした。落としどころはわかっていながらも思わず見てしまうもんね。

 現実のところ、人はオノレのことを「・・・・スト」とは規定するには自分に関する情報不足だ・と感じている。「ミラニスタ」「インテリスタ」ならワンシーズンに限りどちらかの立場を取れそうな気がするが、オフの移籍情報いかんによっては、反対の立場にころっとなる自分に「自信」がある。現実にどちらのユニフォームもうちにはある。

 おれはある意味、「阪神ファン」が不思議でもあり、羨ましくもある。「巨人ファン」でも別にいいんですけど、ただ伝統的にジャイアンツは大メジャーだし、体制でもあったから、少し違うと思う。「今年の阪神」は好きである。何故か? マートンと城島がいるからだ。どちらも移籍組。だから、自分が「阪神ファン」であるとはカムアウトできないし、来年そうであるという自信もない。非常にデラシネ的であり、さまよえる日本人である。

 おそらく、ファン・とは「である」ものではなく「になる」ものなのだろう。その際、周りのオトナがインセンティヴを用意してくれてたとか、そしてたまたま応援したチームが勝ったとか、そんな小さな成功体験の積み重ねで離れられなくなるのだろう。それを馬鹿げたこととはおもわない。ただ、不思議・と羨ましい・その背反的な感情をもってしまうというだけなのだ。

 そういう意味で自分の事を「・・・・スト」とは言えないなと思う。というか延々「・・・・スト」であった。元より「・・・スト」であったとは言えない。みなさん言えないのかもしれないが、「・・・・スト」寄り・だった・とは自分は言える。そしてそれは時代によりポートフォリオの中をゆらゆら揺れていたように思う。

 まあまあ不思議なのは、例えば、ウォールストリートのすべての人間はリバタリアンなのだろうか?

 それは、その仕事を遂行するためにはリバタリアンでなければ、とても「出来ない」というだけではないのか。であるなら、にわとりとたまごだが、仕事がそのヒトの主義・主張を形成していくことはあながちウソでもないみたいだ。偶然の産物とも言える。もちろん・道徳的に・それに堪えられない方々は「離脱」していくことになるから、ということでほとんどすべてがリバタリアンという情況がウォールストリートにはあるのだろうか。

 問題なのは、それが世界の金融をめちゃくちゃにしてしまった・という現実の話だからだよね。20世紀末に、リベラリズム(ロールズ)が大流行で、ネオリベラリズム(フリードマン)、リバタリアニズム(ノージック)、コミュニタリアニズム(サンデル)を対比して論じていたように思う。「自己責任」などという言葉が「無責任」に語り出された時期だったかな・と思うのだけど。

 確かサンデル教授は旗色悪かったように思い出す。刺身のツマぐらいの扱いで、リバタリアニズムの可能性をそれによってより高めるみたいな役割をさせられていた。まあ、日本のなんかの雑誌上での話だから、ええ加減な編集だったかもしれないし、うろ覚えで申し訳ないのだけど、そんな記憶がある。もちろん情況はずっと「楽観的」だったしね。

 で、なかなか日本人って、自分の事を「・・・・スト」とは規定しづらいのではないか・と思う。「今ならこんな環境ゆえ・・・スト」みたいなことがいっぱいいっぱいかな・と思う。と・言うより、もうちょいと「極東の島国」に即した何かってないのか・とも思うのだ。ベースにグローバリズムがあり、それに対抗でもないんだが、それを少しずらすようなローカル・な何かがないのだろうか。あるような気がする。

 それはもう少し柔らかい性質の・「女性的」と言ってもいいかとも思うが、決してハーシュなニュアンスではない考え方。何か独自なもの。「終身雇用」なんて考え方はかなり「非西欧的」だもんね・例えば。多分、厳密に規定される傾向の西欧からのそれぞれの「・・・・スト」に収まりきれない、何かたちを拾い集めたようなそんなフィールドが存在し、それは結果的にそれぞれの考え方を横断するようなこととなり、個人の自由と共同体を同時に成り立たせるような「知恵」の集積を元に、たとえば、初期道教なども視野に入れたものなのかな・とぼんやり思う。「硬直」はいけないのだけど、硬直って、思考停止で、何かを盲目的に「輸入」したときにそれについてまわるもんだったりする。やっぱ・アレンジっているのよね。その柔軟性が今・なかったりするでしょ。だから。

 お・時間だ。

 本日・狩りと狩人の日。
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 10:53| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月26日

隣同士だし・・

 昨日は、店で店長のお誕生会。

 カオリーニョも来てくれ(ライヴの狭間で)、新作のラフミックス披露。詞を書いた曲、少し歌唱指導したい。しかし演奏はさすが・である。店長のために、6・7曲二人で演る。FELIZ ANNIVERSARIO. いた方々・幸運でした。

 中国のことを考えてみる。明日・二学期のテストでこれから問題を作るのだが、教えている中国人学生と映像で放映される「愛国者」の方々が違い過ぎる。国の利益を代表している人々と、外国に来てほえー・と生きてるやつらは環境が違い過ぎるというのはわかる。

 「矛盾」が噴出してきているのだな・それも激しく。その激しさは、本格的成長が21世紀初頭であったこと(日本の場合は1960〜70年)はその4・50年の差が決定的にその矛盾の緩衝剤の準備不足を招き、ひどいことにならないか・と心配する。80年代に訪れた上海のあの駅のホームでのカオスを思い出すが、日本の戦後間もなく・に近いものがあったはず。そこんとこVTRでしか日本の戦後の混乱は知らないが、上海にあったものはまさにそんな「混乱」。すし詰めの車内へ、早い話「窓は出入り口」であった。そして脇目もふらず、人目も一切気にせず、オノレの目的のために突き進む様は「動物的」な印象を持った。そして当時、上海でもあの伝説的な「公衆トイレ」も経験した。今でもドアのない仕切りのみで待っている人と「ニーハオ」とお互いの目を見てウンコする・そんな情況みたいだが、それもまいったな・ながら、当時はそんな仕切りさえなく、ただの「溝」である。それを跨いでウンコするのだが、これには参った。いや参るし。一列縦隊。アタマ・ケツ・アタマ・ケツ・・・・・・・・もうスカトロである。凄まじいものがあったよ。

 そんな数十年前の現実を持つ人々が(上海は今も「昔」も大都会)一億人ぐらいがかなりの金持ちになってしまってるわけだから、かつて日本にもいた「貧しさを知り、そしてそこから急に成り上がったお金持ち」というヨーロッパのお金持ちには絶対有り得ないタイプが出てくるのは当たり前だもんね。その人たちの存在そのものが「矛盾の表現」と言えるが、社会主義50年の反動はこれもまた凄まじく「拝金的」なわけでそして社会が成熟しないとなかなか思いつかない公共などという意識も極力低い。

 早い話、純粋に自分と自分の家族のことしか考えとらんわけで、そして一旦手に入れた贅沢からはもう戻れない。だから、彼らはトラブルを望んでいないはず。おれたちが中国・というとき政府と人々は分けて考えないとね。国・は基本的にナショナリズムを昂揚させた方が国内の「矛盾」を誤摩化せる。ただ、それが行き過ぎると、今の中国の場合だと「帝国」になる危険性もある。中国4000年・という言葉におれたちは目を眩まされていると思うが、共産中国というのはたかだか65年の歴史しかない。ある意味アメリカより若い国とも言えるわけで、国として幼いという言い方さえ出来ると思う。

 GDPが世界第二位になったこともあって、オリンピック・万博ときて、まあチョーシ乗ってるということも考慮に入れる必要もある。しかし、資本主義の矛盾は日本の数倍の速度で表面化してくる。というかすでにしている。マネーは更なる「自由」を求め、政府はもっと困ることになる。注意を日本に向けさせる・とは常套手段だけど、今回はちょっとやり過ぎ。

 そして日本政府が、その処理に失敗したために余計にややこしくなってる。「屈辱的」と海外のメディアは報じてるものもあるが、筋を通さなかったという意味で日本の外交は情けない。水面下のルートとかだってあるだろうに。自民党にあって民主党にないものが、それ・かも知らんけどね。小沢くん外しがこんなとこでミソつけたね。

 今・国内の中で「中国めー」ということは何かのカタルシスがあることはわかるが、結局酒場の会話レヴェルなら、日本政府と相似であって、どーも日本の国内も中国政府と同じ手法を取ろうとしてる。困ったときのナショナリズム。前原とか岡田とかそして仙石とかが言うてることに乗っちゃダメよん。安全な場所で「ばかやろう」と言っても「意味がない」のね。前原くんとかは外交をナメてるフシもあるもんね。次期首相候補。

 パトリオティズムをナショナリズムに格上げすることは本質的な意味はボケるが、そのぶん実態があるようで良くわからない国家という幻想の中に人を収斂させる。ないものが見えてくる気・がする。日本はメディアの影響が大きくちよっとしたことであっちへダー・こっちへダーだが、ホントのパーの人以外は、そんな「めんどくさい」事に関わり合いたくないはずだと思う。右に曲がるにもエネルギーが要る。

 救いは、中国も一枚岩ではないということだと思う。ニッポンに対して「主張」をし続けないと誰かに「アホか」と言われるとか「暴れるぞ」と威嚇されているのだと思う。そんな勢力を抑制するのがスポークスマンの役割だし。思うのだけど、そんなに戦闘的な人々の絶対数はきっと多くない。そんな人の声がまるで幅と深さをもったように「報道」されることの方が問題で、ここんとこメディアの仕組みの根幹の問題にかかわる。何か普通でないことを報道せざるを得なく、そしてそれは連鎖的に別のメディアにバトンリレーされていく。そんなこと。

 それを思うと、一般のノーマルな人々の関係とは異なった次元で、「アホか」「アホてなんやねん・ていうかお前がアホやんけ」「なんやとー」みたいな応酬がなされていることが、俄然リアルでなくなる。個人的に知り合った中国人たちはみんなかわいいけどなあ。今日も朝ご飯に、里帰りのお土産で貰った香辛料の異常に利いたシナチクを乗っけて食べた。うまかったよ。それよりも、2億五千万年経たないと、大陸は御破算にはならんのよね。じゃあ、モメ事はあるにせよ、なんとかやっていくしかないんだから。


 POSSIBILITY OF HUMAN BEINGS
 
posted by 浪速のCAETANO at 13:32| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月25日

いや・まぢで

 微妙なことは、飲んで話すべきではないね。ちょっと酒ヤメようかな・と思ったりする。

 飲んで昂揚、これは悪くないのだが、滑る口がいかん。で微妙な言葉の選択が「雑」になる。雑ではいかんね。それにストッパーが掛からない。抑制が利かない。

 やっぱ・どんどんパーになっていってる。さらにこの数日・アタマおかしかったです。この数日・会話をすることになったミナサマ、失礼の数々・ご容赦ください。間違いなくアホ・でした。ほんとに・ごめんちゃい。

 と言うから、マジメにやっとらんと思われるわけで。
 ちがいます。いたってマジメに、ほんとに・ごめんちゃい。もーしません。

 などと言うから、マジメにやっとらんと思われるわけで。
 それもちがいます。ほんとに悪かった・と思っているので。

 プラス・音楽で「アタマ」イってしまってました。脳内物質・ってヤバいですね。
 
posted by 浪速のCAETANO at 16:59| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月24日

正義の不在

 大阪地検のおっさんによるフロッピーの偽造。おそろしいね。

 被疑者は「役者」なんだね。

 村木さんはほんと良かったと思うけど、その経験した屈辱に対するオトシマエはどうつけるのか・気になる。「ごめんちゃい」で終わり・なのだろうか。

 そして誰でも、ここで思わなきゃいかんことは、「正しいはず」の検察が正しくなかったことで、その正しくないかもしれない検察がしつこく追っかける小沢くんのことだ。メディアが延々垂れ流していた「小沢・悪」といった説は「常に絶対に正しい」検察という前提が不可欠なのにね。ムネオちゃんも可愛そうだった。植草くんもだ。これで、何にも動かされない日本人なら、「存在しない方がマシ」なんじゃなかろーか。

 検察って未だに「江戸時代」ほどの後進性である。もっとかな。古代・民は奴(やっこ)と呼ばれ、人権もなし、律令ができてからはさらなる搾取に遭っていた。その頃の貴族の感性を今の官僚たちには感じる。おそらく当たっている・と思う。ほんとに「こわい」ですね。

 よくおれは口癖のように「死ね・シネ」と言うが、かといって、その誰かを死に至らしめることなんてできない。出来ないからこその「愛情」の死ね・なのだが、検察は、被疑者を「死ね」と思ったらそのシナリオを書ける・ということが今回判明したわけで、つまり検察はだれかを「合法的に」死に至らしむることが可能である・ということだから、それは「あんまり」だ。権力のそんな使い方は間違いだよね。言うても聞かんと思うのだけど。

 巨悪・とはそれを正すべき場所に有ったとは、笑えないのだ。

 その壊れ方のわかりやすさはもっとこわい。
posted by 浪速のCAETANO at 14:40| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

他人のフリ見て我がフリ・・・

 前線の北側の空気はシベリア由来の冷たい空気。昨日で空気入れ替わったね。

 しかし、一昨夜明け方なのかな、あの雷・すごかった。近くに落ちとるね・あれ。雷神である。一昨日の場合は「かなりの祟り」と古代人なら思ったはず。タイムリーなのは「小沢くんの」祟りでしょうか。この「トーン」多いですね・最近。しかし、すごかった。

 外に出ないから、半袖で長堀まで行って失敗しました。勘狂ってた。

 他人の音楽を聞くことはいろんな意味で興味深い。批評がそこには生まれるし、おれのばやいそれが「批判」と取られること多し・だけど、それは間違いなく批評なのだけど、演ってるヒトの歳が近けりゃ、今・演奏している音楽へと至る道までわかる。

 あるとき、音楽は、現在の音楽のつまらなさに至る三叉路の選び方を間違えてしまったのだけど、間違いの一つ目は技術至上主義の路を選ぶこと。70年代終わり〜80年代初めは、おれは「パンクの時代」と言ってしまってるが、別宇宙には「クロスオーヴァー=フュージョン」と呼ばれる「安モンのジャズ」が存在し、スタッフとか・スタッフはその時だけそんなに悪くなかったが、それをやり続けると退屈極まりないことにしかならない人たちだったが、もっとアカンのはラリー・カールトンなんて耳障りのいいフレーズを連発するバカギタリストがいて、そんなのが、おれたちの裏宇宙では(おれたちが裏・だったのかもしれないが)ちやほやされとったわけ。

 その時点で「大衆音楽」なんてニュアンスは払拭され、その証拠にそんな路を選んだ人々の音楽の根拠は「上手い」ということしかなくなってしまう。「おもしろい」ではなく。いつか来た道のチープな焼き直し・なのだね。その代わり、音楽はわかりやすさを求められるようになり、深さ・を失っていく。

 ただ、その人々も「使いよう」はあるのだね。今のR&Bやジャズ系のVo.のバックのリズム隊としては使える。そんな音楽がどれほどの値打ちがあるのか・おれはわからんが、業界の音を支えることになってる。だいたい、彼らは目線はアメリカだったりする。

 脱線するが、イギリスのロック(今でさえ)がおもしろいと時々思うのは、そんなに技術に頼らずに、おもしろいアイディア(それはギターのリフだったり、ギターとベースの絡みだったりするバンドの原点みたいなことなのだけど)だけで、いってまえ・という気概のある音楽が存在することだったりする。バンド・というのが、彼らにはやっぱり大事で、それは地元のサッカーチームほどの存在感で彼らの中に延々あるのだな・ということがわかる。

 戻るが、おもしろさと上手さの両立というのは、おもしろさ→上手さの順でないと成就しない・ということなのだ。早い時点で上手さを追及することはおもしろさの犠牲の上にしか成り立たないということなのね。残念ながら、いや・実に。長くやってりゃそれなりに上手くはなるので。ピュアな精神の方が大切ね。

 まあ、どんな形でも音楽の存在はあっていいのだけど、自分ならそんなことはしないな・というだけで。その方が楽しいというわけで、ただ、最初の三叉路間違えた人も、自分を正当化しないことには首吊りたくなるから、そんな中なんとかやっていかないといかんてのはわかる。また、こんなにジャンルが多様になっちゃった挙げ句、ひとつひとつそれはこーで、これはあーで・と、いちいち解説するのも無理なのであって、ここんとこ「ほんとの楽しさ」とはなんなのか・をお見せしていく以外にないわけ。ここでも言葉なんてあんまり能力ないのだった。使い手にもよるが。


 昨日・こんなバンドがボサ姫のバックだった。正直退屈なのだった。当時は一瞬・お・と思ったのだけどね。

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:54| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

十五夜だった

 十五夜お〜月さんは見えるだろうか。

 待宵(まつよい)か十六夜(いざよい)の方がシブいのだ・という意見もあった。完璧にちょっと足らん・という方に美・というか趣を感じるnot O型もいたのだね。「この世をば わが世とぞ思う望月の 欠けたることも なしと思えば」とは藤原道長の歌であるが、鎌子から始まった藤原一族の陰謀は、蘇我氏を追い落とし、天武の血を、長屋王を、弓削の道鏡を、菅原道真を排し、道長とその子頼通の時に絶頂を迎えるのであるが、ほんとはもっと排除された人々はいて、挙げていくとキリがないのだ。大津皇子とか有馬皇子とか。根も葉もない「謀反」の罪で。

 彼らのやり方は天皇の外戚になる・というやり方で、それは天皇に自分の娘を嫁がせる、そして男の子を産ませる。天皇の子は天皇になる。すると彼らは天皇の「おじいちゃん」になるわけね。そして当時は、子は母方で育てられる。悪人でさえ、「いいおじいちゃん」にはなれるわけで、いや・悪人だからこそ、オノレの血にだけはものすごい執着があるわけで、そして見事に「藤原の天皇」が作られる。

 上に揚げた人々は藤原氏にとって「脅威」だったから排除へと向かったわけだが、でもたまにnot藤原の天皇がひょっこり出てくる。
実に170年ぶりの後三条がそうなのだけど、天皇家はホントはアンチ藤原な人々もたくさんいて一旦天皇親政が行われると、今度は藤原外しへと流れは向かう。そこから白河・堀河・鳥羽・崇徳・近衛・後白河と続くのだけど、このヒトたちは藤原の血は入っていない。

 後白河の頃になると、今度は完全に世の中は武士の時代へとスキューしていくわけだけど、その後短いながら我が世の春を謳歌した平氏も、取った手法は「藤原式」だった。「オギノ式」みたいだけど。

 白河が始めた「大上天皇」つまり上皇による「院政」というのも「悪知恵」の一つで、天皇という「縛り」を解いて、好きなことが出来る。熊野御幸もその一つで、ほら、天皇というのは「伊勢神宮御幸」しかできないわけよ。アマテラスが祀られてるからね。アマテラスは天皇の始まり。これウソなんだけどね。そして上皇は出家して「法皇」となり、さらに立場を脇に「ずらし」て、更なるフリーハンドを得、その頃の末法思想もうまく利用して、実質的にストレスなく支配するわけ。ここもまたオギノ式じゃなく藤原式であるよね。

 後白河という人物はしかしなかなか興味深い人で、歌にしても「今様」と呼ばれる可憐な男装の白拍子(今で言うならキャバ嬢だろうか・ちょい違うな、ポストモダンの時代はこんな例えに困る。まあ遊女)の身内で流行っていた結構決まり事のない歌に夢中になって、喉三回もイワしたり、その歌をまとめて「梁塵秘抄」という歌集を作ったり、まあ天下の遊び人なのだけど、ドたぬきでもあって、でもおれは藤原一族なんかより好意的に見てる。脇の甘さも大いにあったりするから。藤原って今の「官僚」のメンタリティそのままだ。陰に隠れて、こそこそして、もう最低。

 その頃の仏教界はかつての聖徳太子の理想からは遠く離れ、もう一つの俗界となってしまってた。後白河が法皇だもんね。でも善き僧も数多く現れる。市聖と呼ばれた空也とかね。遁世した僧たち。西行もそうね。

 月を愛でるようになったのは、平安時代からなのだろうか。そんな気がするのだけどここ・定かではない。何となく「余裕」が要るからな・と思ったのだ。チョクで月を見ずに、船遊びしながら水に映った月を見るのがシブかったともいう。まだここらへんアミニズム的よね。同じ月でも後白河が見た月と西行が見た月では質感が異なったに違いない。

 本日見れなくとも明日が十六夜だから。


 このヴァネッサは良い。すきっぱ。

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:04| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月21日

秋へのマニフェスト

 明後日はお彼岸である。「・・の秋」「・・」にはどんな言葉が入るだろう。

 食欲はさすがに夏よりはある・とは思うが、もうバカ食いはできなくなった。旨いものを少し喰いたい。で・却下。
 スポーツは、まあチャリ乗るぐらいだが、それは酷暑の夏でも乗っていた。敢えて秋だから・というのもちょいと違う。
 読書も年中・な話で、と・いうか、酷暑の外気から逃れてキンキンに冷えたコーヒーショップなどでよく読んだこの夏のことを考えると、秋の夜などワインなどを啜りながら夜に読むと、ある程度のノリが発生しないと眠くなってしまう。以前はヴェランダでそのようなことがあったが、今のうちはそのようなものはない。いや・なくもないのだが、そういう仕様にはなっていない。で・却下。

 キャンプなども気の置けない連中と行きたいが、今・人数が増えると足がない。今年は紅葉は遅そうだ。ま・団体行動はややストレスフルです。飲んで喰う・なら店で出来るしね。しかし、急に赤が旨くなってきたね。この秋のトドムンドの赤は値打ちあるよ。いや・実に。

 ライヴはきっつーいのを月イチで。そして製作。「製作の秋」がいいね。で、レコ発をレインドッグスかどこかでやる。それがコムプレックスの13回目となる。

 今は、「情報」という名の皮相な言葉が蔓延している。言葉の「あまりに不完全」なパッケージの中に現実が押し込められている。言葉を超えるもの・あるいは言葉以前のもの、そこにアクセスすることが表現である。実は音楽はそこが可能で、それは「音楽による」のだけれど、言葉で表現している方々か羨むところでもあるわけ。被差別部落民のリヴェンジだね。それ・おもしろそうなのね。

 そろそろ受験のムード/モードの季節にもなる。

 まああれこれやることがあるってのは幸せなのかもしれない。大阪に住み続けることの限界も見えてきた。いる間になんとか道筋をつけたい。

 
 秋は落ち着いていい歌を聴きたい。
posted by 浪速のCAETANO at 13:22| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月20日

うーん満足満足

 19日・来ていただいた方・どうもありがとう。あんなぐらい人がいると熱気感じるね。食べ物も充実してたね。カスレどうでしたか? おれの作品でした。グースファットは入れてないけどね。A美店長もMタキもごくろうであった。そして客なのに店員にさせられた方々、ごめんちゃい。まあそこんとこご愛嬌でね。一人三役ギターもかなり冴えてたのではないでしょうか。みなさんのおかげです。また店では11月にね。Hi!!!デイヴ・ハンフリー、またおいでね。ギター教えるよ。

 記録しとくのはいいかなと思って:

 FOTHERINGAY
 WHO KNOWS WHERE THE TIME GOES
 LONG BLACK VEIL
 以上アイルランド

 DEVONSIDE
 WALTZIN' FOR DREAMERS
 TIME TO RING SOME CHANGES
 以上スコットランド

 HARD DAYS NIGHT
 以上リバプール

 SECRET
 以上ドイチェランド

 POWDERFINGER
 UNKNOWN LEGEND
 以上ニール・ヤング

 SUNDAY MORNING
 以上ルー・リード

 JE SUIS VENU TE DIRE QUE JE M'E・・・・
 LA DECLARATION D'AMOUR
 以上おフランス

 MON ILE
 以上レユニオン

 CASA PORTOGUESA
 MAE PRETA
 以上ポルトガル
 
 FINA ESTAMPA
 RUMBA AZUL
 MI COCODRILO VERDE
 LA BAMBA
 以上スパニッシュ・ラテンアメリカ

 EQUATORIAL
 SAO VICENTE
 DEBAIXO DOS CARACOIS DOS SEUS CABELOS
 AMOR I LOVE YOU
 SORTE
 ASA BLANCA
 ROSA
 以上ブラジル

 LEONZINHO
 BELEZA PURA
 MIMAR VOCE
 O CIUME
 SUPER BACANA
 TERRA
 以上カエターノ

 MY FUNNY VALENTINE
 THE LAST WALTZ
 以上スタンダード(この言い方若干違和感あり)
 

 SUNDAY SUNNY MILL VALLEY GROOVE DAY
 以上南部

 赤いマーブル
 葡萄
 2001の小心者
 WOUNDED WHALE
 以上浪速のカエターノ

 40曲。意外とやってないな。まあ未遂に終わったのもあって、カウンター内が忙しかったから「部下との共演」ができませんでした。TEAR STAINED LETTER、やりたかったな。いや・実に。また今度。

 次は10/18@パラダイス・カフェでボサ姫と・の予定です。

 
 気分はフレンチだった。ジャック・タチの映画のようなおじさん2名。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 17:08| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月19日

120分世界一周ライヴ@TODO O MUNDO

 今・「つけ麺」の取材のバックに「ライク ア ローリングストーン」と「シナモン ガール」が流れてて、「TBS今すぐ死ね」と思う。

 ボブ・ディランやニール・ヤングは「まだ」生きている。なのに・そんな・だ。

 いつ頃からだろうか。過去の名曲をつまんない映像のバックに「使い散らかす」ようになったのは。

 80年代の終わり頃だったかなあ。「ラブホ」の宣伝・それも2分ぐらいの長いのに「ホテル・カリフォルニア」が使われてた。「ホテル・カリフォルニア」に乗せて「ラブホ」の紹介がされてた、という方が近い。「ホテル・カリフォルニア」自体はあまりにもヒットしすぎて「ちょ・ごめん」とおれは思ってたから、イーグルスがそんな目に遭わされても「ふん・自業自得」と思っていたのだが。

 ただ、当時のLAの精神の退廃を歌った名曲ではあって、おれは「ちょ・ごめん」ながらもよく出来ている曲だとは思う。しかし、ラブホよ・ラブホ。ミーツがある時、ラブホを宣伝で載っけてた時期があって、「終わりや」と他人事ながら思ったことがあったけど、それと近いかな・遠いかな。ま・いいんだけどさ。

 おれの往年の名曲「ワタシ誰ある?」も「このヒトは誰?」みたいな番組で使われていたと人づてに聞いたことがある。「なにすんねん」だ。

 ただ、ビートルズの曲はそんなに使い方が荒くないように思う。まだ僅かながらその使い方に敬意を感じることがある。「使い捨て」感には少し遠い。それに比べて、アメリカのロック・スターたちの曲の使われ方はかなりの荒井注だ。

 おれたちは非差別部落民か? 昨日も書いたことにも関連するが、あのサウンドを製作するのにおれたちがどんだけ苦労してるか知ってんのか・マスメディアの「他人のフンドシチーム」の人々よ。詞を書くのに七転八倒してることを知ってんのか。

 モノを製作する人間より、媒体の人間の方がエラいっておかしくない?

 それが現実だったりする。情けないことである。

 そもそも、言葉を超えるチカラを持っていた音楽が言葉の中に押し込まれてしまったような最近の情況に不満と不安を抱いている。言葉が大手を振ってまかり通り過ぎ。だからモノゴトを説明できるひとが重宝されるんだね。わかってたつもりのものが「またわかんなくなっちゃった」そんな新たな疑問を問いかけるようなものがおれは好きです。

 解釈を確定するようなこと・もうそんなのにうんざり。そんなんじゃ「俳句」なんて成り立たない。そこから何かが広がっていく・そこに人の精神を自由にさせ、元気をもたらすものが内在していると思うのだけど、今はその広がっていたものを「収束」させるような作業ばっかりだ。

 時代が閉塞感に満ちているのかどうか・それはそのヒトの今居る場所によって異なると思うから、その問題の立て方自体は「問題」だとは思う。ただ、今まで出来ていたことがやりにくくなっていることだけは確か。そしてそのやりにくさは元へと戻る気配はない。だからそれを閉塞感と捉える人が居てもしょうがないと思う。人口が減りつつあるのに息苦しさが増す・というのは何かがおかしい。これから息苦しさが減っていくかどうかはしばらく見ないとわからない。それもこれも「自分の感覚」です。バカにはバカなりのやり方・ってあると思うよ。

 音楽の復権を目指して、ドン・キホーテ、本日もやっときます。20:00ぐらいから。


 長く走れますように。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:39| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月18日

バカはやる・か?

 これまでの「甘く・息苦しく・このまま死んでもまあ良い」と思えるような数々の愛情場面の記憶の集積のような曲があって、それに包まれた生活をしていて、ちょっとアタマおかしいわけだった。

 世の中には「音楽」がきっとよくわからないままオトナになった方々が大変多く、まあ時代も時代なのであるが、音楽なんて詳しくなくたって生活出来るし、仕事に差し支えないし、さらに言うなら音楽そのものの全体性がかなり損なわれている時代というのもひとつあって「刺身のツマかなんか」のような扱いなのであって、ほとんど小沢くんである。

 やや飛躍もあるが、そんなもの・である。

 もう業界はほとんど「冒険」はないから、どんどん過去に音楽・であったものが「ちいちいぱっぱ化」している。秋元某なんてホント死んだらいいと思うが、おたくの大量発生がもう何年も前からそれを支えるし、これからも支え続けることになってる。

 それとあまりにもわかりやすい帝都集中で、ほとんど大阪には業界が「ない」。空気に向かってライヴするというのは非常に効率悪い。そんなもん普通の効率の悪さぢゃないのね。ある時から、売れるための音楽・というジャンルが「露骨に」出来てしまって、しかもメディアにアタマ下げないと使ってもらえないような情況も出来、メディアに支配される・なんて意味では「民主党の代表選」と同じである。

 それでもどこかに「良心」のかけらみたいなものもあるとは思うのだけど、そこに行き着くまでに5回はイヌのうんこ踏む。

 過去には「間違いなく」いい音楽が流通し、そしてそこに絡んだ人間が正統な報酬を受けとる・なんて仕組みがあった。真摯な作曲家・真摯なプレイヤー・そして真摯なリスナーがいた。音楽は希望だったし、音楽でモノを考えるということが成り立っていた。それも80年代のアタマで、すごくいい情況になったのも束の間、そこから雪崩のように崩壊していった。儲かると思えるものは大変お金をかけられ、そうでないものは放置・思えば音楽は新自由主義の学校だったか。実権場と言うか。

 なぜ・過去の曲は「いい」のか?

 それは、だれでもできることはやっぱつまんない・からだと思う。誰でも出来ない事を誰でも出来ないマナーで作っていたからだ。今は誰でも出来るマナーに溢れている。録音技術の発達はありがたいことなのだが、ややもすると、そればっかり・な音になってしまう。コムロくんの音やドリカムとかの音の「今聞いたらおぞましいこと」この上なさ・はそんなことが原因で、そんな音楽のギターソロなんてブライアン・メイがスタンダードである。あ・なるほど・だからクイーンは「定番化」しているわけか。凄い間違いを犯してしまってるわけだった。

 そう言う音を軽蔑して、オルタナティヴを探している人々もいる。ただ、「過激」なんてことをモチーフでやってるとなかなか「凄い衝撃・しかし直ぐ萎む」ことになり、がっくりだ。DJの作る音が「一瞬だけですぐ消える」のはそんなことに原因がある。すごく大雑把に言ってるが。

 最近は中年男女の「昔の歌謡曲」志向があるが、それもよくわかる。おれも昔の歌謡曲は好きだ。ただ脱国境音楽家としては、その歌謡曲は全世界の国にあるという事実から目を背けることはできない。ブラジル歌謡なんて泣けますよ。ケルト歌謡も。

 印象で言うが、「歌詞がわかる」ということに「あまりにも依存」していらっしゃらないだろうか。歌詞がわからない・という時点で思考停止あるいは拒絶・なんてことになっちゃいないのだろうか。そんな印象です。おれは世界各国の歌を日本語の歌と同列に歌っていて、明日もそうなのだけど、なんだかね「これは全地球人の財産だな」と思えるのね。それを知らないなんてのも「やや同情」します。

 「音」の素晴らしさがわかるのが「特権的」かもしれないが、だからといって、言葉だけが頼りの方々にそこんとこ譲るわけにはいかない。とはいうものの喧嘩売ってる・というわけでもなく、説明したい。体感していただきたい。馴染めば絶対みなさん好きになると思う。それはなんといっても平均を取ると「音楽的」に日本のものより「高度」だから。ボサノヴァなんてジャンルが哲学みたいだしね。

 それでいて「ポップ」でもある。そこんとこが「高度」なんだね。決して「高級」ではないので。

 歌詞も「高度な演歌」「普通の演歌」いろいろです。お国柄・いろいろでおもしろいです。

 そんな脱国境音楽をベースにしたラフレシアの「オムニバス」製作にもやっとかかれそうな今日この頃、音楽の復権を目指したい。音楽全般の責任はとれないが、自分のレーベルのことぐらいはやらんといかんですね。音源はたいへんたくさんある。「音楽」がわかってる人には「フルえる」音源の数々です。実際に「わかってる」人がフルえてました・こないだ。

 明日は明日の風が吹く。決まり文句ですが「ヒマで狂いそうな方・120分世界一周ライヴ@TODO O MUNDO」へ。お待ちしてます。これも楽しいよ。


 反・エコ・SONG。I also WANNA LIVE IN A DIRTY OLD TOWN.
posted by 浪速のCAETANO at 20:13| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月16日

涼しくなってきたので

 昨夜の雷と豪雨。奈良時代なら「誰の」祟り・と認識されたろうか。なんにつけてもオノレの悪行を顧みて「どきっ」としていた古代の人も大変だったろうなあ。そういう関連を無視するというか、関連が「全然わかりません」という今も「どうでしょう」ながら。

 「くせ」で半パンにTシャツだが、久しぶりのヒンヤリ感がセクシーだ。センティミエント。こんなんだったらほんとにどこまでもチャリで走れそうだね。

 いつまでも暑いと言われていますが、まあツンドラ地帯のような寒さよりはマシ。で、もうあまり日もないのだけど、「この・最大にクソ暑かった2010年の夏の終わり」を記念して、お店ライヴを今度の連休の日曜に予定しています。19日です。

 「脱国境音楽で120分世界一周」時間・チャージなどはTODO O MUNDOの日記とかで確認してください。また今回もQUASI-PLUGGED。世界音楽 : 個人音楽=7 : 3 ぐらいで考えてます。あれやあれ・最近ヤってないもんね。

 コンピューター第3号。どひゃー。

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:04| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月15日

マーブルな空気

 携帯問題でがっくりとして、コーヒーを買ってふらふらチャリを走らせていたらユウラク座が花と蛇3・をやっているからふらふらと入り、こんなチチでかすぎるオンナは団先生の原作映画には向かんな・とわかっちゃいることを再確認して、ふらふら入ったおれも相変わらずバカだった・も再確認して、冷房の風でちょっと寒くなり、外へ出たら小雨が降っていた。

 で、天六から返る途中、久しぶりに「寒」と思ったのだった。で、まあ新鮮でもあったのだが、寒・と思って走っていると「もわ〜」
とした空気に包まれた。ん? と思い走っていると「寒」となり、またしばらくすると「もわ」がやってくる。で「寒」「もわ」「寒」「もわ」と続く。

 前線(おそらく寒冷前線)を前線に平行に走っていたんだな・と理解する。

 寒冷前線は暖かい空気の下に潜り込みながら、東へと進む。その前線の縫い目状になった箇所を寒気に入り暖気に入りながら走っていたんだな。温度は5〜10℃ほど違った。「寒」と「もわ〜」なのだからね。温度の異なる・空気・水はそう簡単には混じり合わない。海で泳いでいる時にもそんなことはそういえばあった。思い出す。別の生き物・に包まれる感覚が少し「気味が悪い」気がするのだった。

 この数日で「空気は入れ替わった」感がある。しかし、去年よりも20日ほど遅れている。もうすぐお彼岸よ。

 小沢くんの「演説」はなかなか良かったと思う。かなりの差がついた「党員・サポーター票」なのだが、全党員・サポーターの6割強の数しかなかったらしいよ。もちろん3割の方々は送り返さなかったのかもしれないし、党員・サポーターとは言え、別に・だったのかもわからないし、上にテープも貼ってないから、誰かが小沢一郎と書かれたはがきを「処分」したのかもしれないし、まあそんなことはないことを望むけど、それでも獲得票比は管 : 小沢=6 : 4といった感じだった。あれだけの「ネガティヴ・キャンペーン」の中、悪くない・んじゃないか。この閉塞感に「いいいいっ」てなってる人もいると思うし、現代の「蘇我入鹿」=小沢くんには「捲土重来」を期して、まだ政治生命を終わらせないでいただきたい。まあ・おれのような精神ひ弱な人間が心配するよりは「ずっともっとタフ」であることを信じよう。

 しかし、この国の悪性新生物とは奈良時代に設定された「藤原氏的なるもの」なのだな・ということがよく見えてきた。小沢くんへのネガティヴ・キャンペーンをずっと見ていて、そこまで権威と権力を一致させることを怖れるということは、その二重構造・それこそが藤原氏の「成果」なのだけど・は思った以上に「底が深いな」と感じた次第。

 寒気と暖気のように相容れないものはいずれ、もっと本格的な対決があるだろうなということの予感を持った。


 ほくのすきなおばさん。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:46| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

やられたね

 自分の事はともかく、小沢くん負けてしまいましたね。

 ネットではメディアにまだ勝てない・ということの証明でもあるかと思いました。メディアは小沢くんに対して「リンチ」だったと思う・ほとんどね。

 一つ気になったのは、高名な学者先生や言論人で「ちょっと」小沢くんに触って、直ぐ元のいちに戻った方、わりと多かったな・との印象があることかな。「高みの見物」。あの方やこの方が「管より小沢」と言っていたら、みたいなことも思いましたが、それは個人の問題なのでツッコむこともできないけれど、やや失望しました。

 ひとつ心配なのは、杞憂に終わればいいのですが、それは小沢くんの「自殺」です。杞憂に終わればいいけど。

 「政治生命」を・・・だけではなく「このイノチを・・・・」とまた今日もリフレインしていたでしょう。

 加藤さんやコンちゃんとは似ても似つかない風貌ながら、最近は特に同様の「弱さ」が垣間見えていた気がするから。

 彼が言っていたことで、他の最近の首相で決して言えなかったことは「責任を自分が取る」ということだ。仮に勝って首相になり、国会が自分のせいで行き詰まった時でさえ、その選択があった・そんな気がする。これも杞憂であればいいですが。

 そんな単純な話ではなかろうが、「盲目的追米の右」より「反米の右」の方がみなさんの「誇り」は回復出来たのではないか・と思ってる。大変残念でした。
posted by 浪速のCAETANO at 18:07| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

またまたみなさんにお願い

 携帯を洗濯したバカはあまりのショッキングさに「甘えたブログ」を上げてしまっていた。あぶないあぶない。自分が読んでびっくらこく。ぼく・だって。ボク・ぢゃなくて良かった。致命傷になるとこでした。

 洗濯した方の電源がどうしても入らず、データは「水の泡」と消えてしまいました。友人のみなさん、用事メールはもちろん・空メールでも結構なので、「SEND ME E-MAIL、プリーズ、プルファボール、シルブプレ、ポルファボール、来々」

 また、そんな系のジーニアス・おりませんか? データが復活するなら「1万円あげる」ってしょぼい?

 孤島に放り出されたようなものであって、コトは深刻だ。みなさんに連絡が取れない。メールも出来ない。凄く大事なことを「メモ」に残していたのが、それが何だったのかがわからない。データフォルダーの貴重な写真も消えてしまった。トドムンドの店長にさえ連絡が出来ないのだ。

 なんだか周囲が壊れていっているのだ。パソコンのメールの受信が出来なくなり、今度はケータイでしょ。クルマを見えないポールに当てるし、ギターにいたっては修理に出さないとイカンものが3本もある。モノが「身代わり」になってくれているのかもしれないが、それもなんだかコワいじゃないか。

 多分これから、本格的な不自由がやってくるのだろう。ああ・おそろしい。
posted by 浪速のCAETANO at 17:36| 大阪 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月13日

もう少しで空気入れ替え

 夏〜秋への変化は「空気が入れ替わる」感じがするのだが、陽射しにもう悪意はないがまだ空気は入れ替わってはいない。

 土日はタバコとスーパー以外、休みは外へでないから、数分の経験しかないが多分そんなとこである。東京は一足先に「秋化」したみたいだけど大阪の夏はなかなかしぶとい居直り強盗だった。

 沖縄・名護市の選挙では辺野古移転反対派が過半数だった。辺野古の移転はさらに確定的に難しくなる。「日米合意」というマクロ決定事項がピンポイントのミクロの抵抗を押し切ることは出来ないと思う。「知恵」を出して、腹割って「話合う」しかないのでは。

 名護の町は、那覇とは違って、アメリカの田舎町のようなニュアンスがあった。夜の街の暗さはその奥にさらに広がる「闇」を感じさせた。沖縄の女はよく働く。「まあさむんや」というふと入った店でも「ねーねー」が明るく働いていた。懐かしい。沖縄では泡盛が(ザングロ)がやっぱり旨い。

 沖縄は紛れもなくおれの言う「南部」であり、そこに更なる「運動法則」を当てはめると、その先には南シナ海や高砂族の台湾がある。南方系のカミは「海の向こう」からやってくる。死者と言ってもいいか・と思う。水平の視点。

 天孫族とされる今の天皇の祖先。ここは垂直の視点である。ただ神武の祖先の天孫はそれ以前の出来事の焼き直しだろう。饒速日尊の降臨がヒントであろう。その垂直に降りてくるイメージとは異なるカミが「南方」にはあったりする。

 南方系の人々の穏やかさはきっとここんとこ関係深いと思っているのだが、その根拠が「暖かさ」と「食糧の豊かさ」にあるとしたら・とか思う。北の方は食糧がどうしても乏しいから、モンゴル人や古くはゲルマン人見てもわかるように「武装」し「略奪」に走る。寒いと「変な」ヤル気も出る。逆に暖かいと・までならいいが、アツいとヤル気もない。ヤル気のない人々は空を真剣に見上げたりしないと思う。そしてそこにはどこまでも続く海がある。上を見上げるよりも前を見る方が「何かある」という確信を持てるのだね。または「何かがやってくる」。それを渇望するのではなく「気長に」待つ。

 日本列島に住んでいた人々も「そんな感じ」だったと思われる。それが紀元後1世紀ぐらいから徐々に変化するわけ。大陸・半島の戦乱・混乱から逃れ、受け皿としてほんといい感じの「弧」である列島へとぽろぽろ「落ちてくる」。初期道教なんかもついでに入ってくる。卑弥呼が使っていたとされる「鬼道」も初期道教の影響を受けるとも言われる。対馬にそんな家が多くあったとも聞く。ただ、ありがちなことだが、「蔑視されつつ崇拝される」というアンビヴァレントな感情を民衆はもっていただろう。

 三輪山の西に広がる纒向遺跡は三世紀半ばとされるが、そこを邪馬台国とする意見もあるがどうだろう。おれは邪馬台国は北九州だと思う。纒向の遺跡からは吉備・出雲・遅れて北九州・そんな埋蔵物が見つかっていて、大陸・半島の影響が極めて少ないからだ。それよりもそこにすでに「ヤマト国」があったのでは。

 大和朝廷と邪馬台国の間には「断絶」があり、それは中国の史書に140年ほどトヨの話の後、倭の国のことが載っていないからなのだが、そこらへんのことがいろいろ解明されてきていて、そこで語られるダイナミズムがなかなか興味深い。神話は神話ではあるが、「シュリーマン」のことだってある。だからおもしろい。

 相も変わらずとっちらかるが時間切れ。学校です。

 空気はまだ入れ替わってはいないが、温かいコーヒーもそろそろ旨い。おれも「自然」なのだなあ・としばし詠嘆・・・してる場合ぢゃなく、失禁ではとうぜんなく・出勤。



 秋を先取る。
 
posted by 浪速のCAETANO at 10:51| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月09日

少し逆風が

 みなさんが気付いているかどうかわかんないのだが、今小沢くんが負けてしまうことは、「日本書紀」が正史となってしまうようなものです。

 去年の衆院選で民主党は大勝したけど、それは三叉路を左に曲がっただけのことで、その後、政権という席はひとつなのだけど、もっと大きな権力は、民主党を小泉時代の自民党化する・という戦法に出てきているわけよね。で、免疫のなかった鳩山くんやもっと免疫のない管くんは転んでるというわかりやすさ・だと思う。思うツボだったりする。免疫がない分、総論としての新自由主義には反対を唱えていても、一つ一つの政策における官僚の揺さぶりには「あら・そーお?」とハンコ押しちゃって「気がつけばもっと自民党」というのが現状。

 メディアの小沢くんイメージのダウンダウン戦法は奏功している。ただ、その際、まことに失礼な態度で小沢くんに接する学者・コメンテイターの「品性下劣」も見ているとよくわかる。メディア=権力は「非小沢」であるなら誰だっていいわけよね。だからとりあえずの「管くん」なのであって、管くんも「使い捨て」は目に見えている。その後の「本格的新自由主義政権」には「前原」と思っているのだと思う。

 ただ、そこまで行ったらもう引き返せない。権力は弱っていくメディアを通じて更なる支配を強める。ここんとこが重要なのだが「弱っていくメディア」を通じて支配を強める・とは矛盾があるもんね。媒体は弱まるのだからそれに相反して効果を上げるには「強いメッセージ」が必要になる。一見強くなくとも「より狡猾に」なっている。人の心理の弱いとこを突いたり、何かを「気付かせ」たりするセッティングをしてくる。それに「役立つ」ものは「お笑い」と「気づき」である。

 人をより「自覚的」にさせることが果たして「どういいのか」おれはちっともわからんが、それを人に教えていただくなんてのもさらにちっともわかんないが、そんな「かわいくない」人間ばっかり作ってなにが嬉しいのかほんとに「全然わかりましぇん」なのだが、まあ、それはおれが「アホ」ということなのだろうが、そんなときは長年の塾経験より「どーせ・アホやも〜ん」とアホたちに教えていただいた「開き直って相手のヤル気をなくす」そんなストラテジーを採用したい。

 「お笑い」「気づき」でメシ喰ってるヤツにロクなもんはいない。それこそオノレの立ち位置への俯瞰がない。せいぜい小金稼ぎなさいね。

 日本書紀の罪は限りなく大きく、それは現代の「靖国参拝して何が悪い」「北方領土返せ」まで繋がっているのだが、今そうアジってる人々のマナーのいびつさは「日本書紀」の成り立ちのいびつさに端を発す。

 飛鳥時代の「小沢くん」を葬って、それを大悪人として1500年以上やってきたからである。もっと以前の古代・ならマキァベリズムも「しょうがないか」かもしれないが、当時は「祟る」ことも自明で、さらに「仏教」も入っていた中での、それでも「やっちゃえ」というのと今の情況は酷似している。倫理観より欲が最終的には勝っちゃう。今と巳支のクーデター前夜との類似を言っているのですが、言うまでもなく「小沢くん=蘇我入鹿」ということなのですが、流通しているイメージとしてはよく似てる。ていうか、権力に都合悪い誰かはすべて「蘇我入鹿的」な方向へと持って行っても「正しい」とされるわけね。なんでかと言いますと「日本書紀」が「正史」だからなのね。

 小沢くんがダーティかどうかは「検察」が起訴出来るかどうか・でしか決まらず、これまで「権力」に奉仕してきた自民党の中でも真の巨悪(清和会の中にいる)は摘発されることはなく、小物ばかりがスケープ・ゴートにされてきたのだけども、今回もムネオちゃんがそうなったけども、今回小沢くんが負ければ、そういう「ダーティとされるもの」「旧い政治とされるもの」を小沢一郎という存在の中にパッケージして葬り去る・という作業が行われる。そして「純・新自由主義」だけが残る。

 税金のホントの無駄遣いの現場は「放置」され、内部留保たっぷりの大企業は「法人税減税」でさらに潤い、おいおい・お金足んないよー・または、福祉費がないよー・あるいは、子供の世代に借金残していいのかー・という正に管くんがビビっているそんな心情を国民は共有させられ、消費税増税へと導かれていくわけよね。「富の再分配」にはほとんど気を使われずに。リバタリアニズムでは潤ってる企業や個人から税金をたくさんとることを「ドロボー」だ・というわけで、しかし、元社会主義(6・70s)のニッポンのというか、おれたちが育ってきた環境から感じる常識から言えば「それ・ちがうんじゃ・・・」が、いや・そーゆーことですよ・と、木村剛みたいな血も涙もないような東大卒から言われるわけ。あーゆーのが悪人でしょ。アホの人が、小沢さんとかホリエモンとかー・といっしょくたにして、なんかかわいそーだと思いまーす・なんてことをネットに書いてたが、もんのすごい「こんがら状態」なのだな、今ね。小沢と堀江はちがうからね。

 そんなんじゃだめだったでしょ・が、コンセンサスとならないことがやっぱりおかしい。直近の失敗(リーマンとかよ)からも学べないようじゃ、身近な生活の中での小さな「気づき」に驚いててもしょうがない・というか、気づき・チームはそのような、人を大きな視野から遠ざける「装置」になってんぢゃないの・と斜視になる。

 日本書紀は、直近の「ウソ」を隠すために「壮大なるウソ叙事詩」をでっちあげたし、「文学作品」としては凄く面白いのだが、それは「正史」ではない。翻って現代を見た時、誰もがストーリー・テラーのこのご時世に於いては、「何かホントでも・あるいはウソでも」構わなくなってるのかも知らんですね。だって「正史」のウソが出るわ出るわ・とそれは無意識でカンケーないですかね。

 今の民主党はかつての自民党とまるで同じであって、小泉が勝った時のような経済状態とはまるで違う・こんなに救いがない時期に、小泉的なるものが勝つようでは、ホントに日本人は「救い難い」人たちで、そんなものは消えてなくなってもしゃーないか・とも思う。だけど、小沢くんの主張はマイケル・サンデル教授の言ってることに「近い」ですよ。サンデル教授を「商売」としてもてはやす同一人物が「アンチ小沢」だったりするから、日本なんかにもう来なくていいよ・データ少佐。そんな程度のひとたちなのよ・きっと。 


 KARLA, WE CAN MAKE IT!!!TRY!!!
 

 

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 11:46| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月08日

業務連絡とごめんちゃい

 多分、いろんな方に「失礼こいてる」と思うのだ。

 メインにしているメールアドレスが「受信」できなくなっていてもう2ケ月ほどになる。macのアドレスなのだが、「なんで・そー・っなるのっ」なのだけど、御用の方は monile9@gmail.com の方へお願いしますね。

 頼りになるマック・ジーニアスは、マック・ジーニアス以外のパートが「かなり不安定な」ジーニアスであって、連絡も取れない日が年に300日ほどある。だからくれぐれもメールは「monile9@gmail.com」へとお願いします。全世界のミナサマへ。
posted by 浪速のCAETANO at 13:00| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月07日

間違いの日

 いやー・びっくりした。

 昨日は最初っから「間違いだらけ」の日だった。

 シブー・な用事で豊津まで行き、そこで久しぶりに「元ユルフン・コック」に遭ったのが、そもそもの間違いの元か。

 わかんないけど。

 学校から11:43に電話があった。学校の授業始まりは11:45だった・そー言えば。

 しかしながら、自宅のカレンダーに授業再開は9./13となっていたから、本日はシブ専な用事を優先していたのだ。何度も電話・ってうっとーしいし。学校からの電話には、電車内だったので「はいはい・あとでね」と流していたのだ。

 いやな予感というか、おれの勘違いの「確信」みたいなものを持って折り返す。やっぱ・そーだった。その時11:55。

 初めの2時限は「ごめんちゃい」するしかなく、後半のバカチームには間に合う・という旨を言い、電話を切る。

 シブ用事を済まし、ホームへ上るとユルフンがいた。

 時計を見る。昨日そのまま寝てしまったのでシャワーを浴びたかったのだが、「時間がない」。

 とりあえず、Tからポロへと着替え、「あ・こんなときは銭湯へ行こう」とヒラメいた。かおるちゃんのかつての性癖「ライヴ前には風呂に行く」がアタマの隅っこにあったのかもしれない。トランクスをバッグに押し込む。数学の問題の横へ押し込む。

 ちょっと待てよ。洗い立てのパンツはまあよろしいが、着替えた後のパンツはどーすんねん・である。いささか問題あるのよね・それ。  

 ヒラメいた!!!

 「ノーパン」である。その時は半パンだったのだが、ノーパンで半パンでさらにユルパンであるならかなりの問題発生の可能性があるが、ノーパン・半パンではあっても、どちらかというとピタパンに近ければ、「放送事故」みたいなことは起こらんだろう・と思う。

 自信満々でアヴァランシェ号を駆って長堀へと向かう。

 「せんせえ〜・もーう」と主任に一発かまされたが、時間がない・を理由に教室へと逃げる。

 久しぶりのバカたちで「おーおー」である。全員出席。聞けば・2名は里帰り(to CHINA)していたみたいで、カンライが「せんせい・おみやげ」と中国製のたばこを「一本」くれた。一限目ははげしいバカ話をして二限目は二次関数の授業。

 夏休み中に参加すれば15限分の出席になるというキャンプがあったみたいで、6名ほど参加していて、その写真が切り貼りされて、額縁に入って壁に飾られていた。だいぶおもしろかったみたいで、チャンくん(from VIETNAM)はそのルックス(でぶ)も奏功して日本人学生にかなりの人気を博したみたいである。もう出願が始まっていて、びっくりする。留学生は勝負早いのだった。

 授業終えて、スケジュール表の見方がやっとわかった。一生懸命日本人用のスケジュールを書き写していたのだった・おれ。だはは。話題を無理矢理、今月末の試験のことに持って行き誤摩化す。さらに半パンに主任の目がぎらっ・とキタのを見逃さなかったが、非常事態故ね・もーしません。そそくさと学校を後にする。

 そして九条へ。

 ブラジル音楽映画三本立て・なのだが、シャメ・ジェンチ、カルトゥーラ、ミステリー・オヴ・サンバ、これ全部入れ替え製・なんてセコいこと言うなよー、と言っても「ダメ」とはシネ・ヌーヴォのにーちゃんセッズ。レイトショーゆえ、おれも本日しか時間がないのよね。んーー・困った。

 ま・メシでも喰お。九条ら辺の居酒屋・探すが、やや本日テイストが合わず。で大正の方まで足を延ばす。すると「へーこの辺り住所って「南堀江」なんやね」と妙な感心していたら、成金屋食堂・という暖簾が目に入る。「ネーミング」って大事ですね。迷わず吸い込まれ、冷や奴・メンチカツ・茄子の揚げ浸しで・ビール・酒と飲み進む。

 メンチにはテーブルごとにあるソース・どばどばにて失礼する。たまに喰うソースは下腹辺りを「キック」するよね。

 九条まで来たら次の楽しみは「純喫茶」なのだった。昔ながらの喫茶店、かつて「茶ーしばいた」ような喫茶店を探す。いっぱいあるのね。シブいのを当然探す。アイスコーヒー飲みながら「蘇我氏」を読むわけだけど、いい時間である。BGMはパーシー・フェイスかヘンリー・マンシーニかポール・モーリアか・という感じであって、「名曲」がストリングスの調べに乗って「流れ」ていく。この「流れる」感じがたまらないわけで、JPOPなど流れていたなら、人質取って立て篭ってやるが、そんな気に全くならないわけだった。「流れてる」からね。

 店の「ママ(推定80歳)」に「この辺にお風呂屋はないですか」と訊けば、「こっちにはないがあっちにはある」という。なるほど。大体わかった。で、あっちまで行っておばあさんに訊く。「こっちにはないがそっちにはある」という。ま・大体わかった。そっち方面へ行ってみる。あった。

 一体今いくらなのだと思えば410円でした。奇しくも「次」のタバコの値段である。もう何か高くて何が安いとかよーわからん・くないですか?

 まあ・汗をかいているのである。こないだの温泉以来、大きな風呂は良いな・と好意的なのであって本日もそうなのだった。

 しかし、一般の風呂屋の欠点・それは、シャンプーとかが置いていないことだった。あいたたた。で、ひたすらお湯をかける。まあ頭皮なんて、お湯だけでほとんど汚れは落ちるのよ・と言われたこともあり、そうそう・と思い直してひたすらお湯お湯お湯・である。この三回繰り返し・つて今、管くんも連発しているが、言った本人が一番「言った気に」なるのね。言われた側はほとんどトゥーマッチなのにね・三回目が特に。

 ところがおれの現状は・と言いますと、トゥーマッチでもまだ足らんというか、でありますから、延々お湯お湯お湯お湯お湯お湯お湯お湯お湯お湯お湯・となるわけ。ふー・もうよかろう。で湯船へ。

 アツい。アツいの苦手なおれは急遽風呂屋ジプシーとなり、うろうろ。すると、奥のサウナの横に「季節風呂」というのがありました。手を浸すと「おー適温」良かった。で浸かっていると、誰かがやって来た。独占するのもなんなので横にずれる。そのオトコが入ってくる。すると「絵」が目に入った。「ん? んー」と凝視すれば「もんもん」の方だった。久しぶりに見た。まあ風呂屋自体久しぶりだからね。まあ普通にそのまま入っていると、もう一人やってきた。

 「もんもんNo.2」だった。もんもんに囲まれる・の図であった。まあ、でもね「すっぽんぽんの法則」から言えばなんつーことはないのね。

 上がって、脱衣所はひえひえで気持ちがいい。ミステリー・オヴ・サンバにはまだ1時間ほどある。で、あんま器である。シブいの。何十年前? というあんま器は値段も何十年前なのである。一回30円!!!150円両替して5連続で揉まれる。

 蘇我氏を読みながら待つ。で、観る。マリーザ・モンチは意外に小柄で華奢に見えた。一緒に観ていたおじさんにおじさんが店の名刺を渡して、店へと戻る。

 その後「DEVO」好きのスケボー乗りがやってきて・みたいな、なんだか間違いの多い一日だった。ま・そんな日もあるって。


 間違いついで。私見だけど、DEVOの革新性はこのアレンジとパフォームに尽きるような気がする。
 

 
 
posted by 浪速のCAETANO at 13:00| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月06日

ずっと過去と繋がって・・

 「韓人 豊浦大臣を 殺す」
 
 巳支のクーデターの記録なのだけど、この韓人こそ中臣鎌足であったかもしれない・という説があって惹かれている。蘇我氏がその出自を不当に貶められている事に対して中臣(藤原)氏は宇宙人のように突然現れ、藤・が他の植物に蔓をはわせ、その養分を吸い取り、そのようにして発展していくのだが、そのことは平安時代限定ではなくずーっと続いてしまってるみたいなのである。

 藤原氏・と藤原氏的なるものが室町時代になっても江戸時代になっても明治維新が起こっても戦争に負けても、結局奈良・平安時代に於いて天皇家(権威)に藤の蔓を巻き付けて「実権」を掌握したように、平成の今もなお、官僚・財界の中に生き延びているわけだった。

 何かの影に潜んで実を得る・そんな戦略が今だに奏功し、それをおれたちが見えないシステムが守っている。そんな気がするわけだった。

 人としてもそうなのだが、そんな「場」が用意されている・ということね。だから管ちゃんのような「市民活動家」でさえ、その場に居座ると「藤原氏的」に変容するのだろう。日本人の「建前」という考え方と物言いは「そこ」から来ていると勘で言っちゃう。

 藤原のリアリズムに対抗するには、藤原以前に遡り、藤原によって消されていったモノを再検証しないといけない。「モノ」とは「もののけ」という言葉に見られるような「超人的な神通力を持つ霊威・鬼神・怨霊・魔物」といった意味を持つ。藤原氏はまさにその「モノ」を葬りながらのしあがった一族なのだけど、だから、「モノはカミでありオニ」であることを思うと、ほら一旦、それらを封印するとなると、延々その作業は続くことになり、しかも、それが雷神などに姿を変えて、怨霊として襲ってくるわけで、その鎮魂にもーたいへん!!!ってことになる。だからこそ、不比等は歴史を「捏造」する必要があったのだが、しかしそれは「にわとりとたまご」の関係の如く、嘘に嘘を重ねるとやっぱり他人にメーワクかかってしまい、あんた左遷!!あんた死刑!!みたいなこととなり、その鎮魂すべき怨霊は次から次へと現れてくる。

 怨霊にまだなってなくとも「反藤原」というか「反天智」といってもいいが、そんな勢力が「オニ」の系譜からどんどんでてくる。天武がそうであり、聖武だってそうなのね。

 ところで「オニ・オニ」というとワルモノ・であるかのように聞こえるかもしれないが、「オニ=カミ」なので。カミというのは善悪ではないのね。善でもあり悪でもあり、善悪を越えたところに存在するエネルギー・と言った方が近いかと思います。それは縄文からの流れの中で生まれたアミニズムの贈り物と捉えればいいと思う。例えば「雷」ってほんとに「雷神=カミ」だったのよね。

 現代は小さな倫理の中に人は閉じ込められているから、たとえ科学のチカラで「疑似解放感」を味わわされても、そういうオニの系譜を持つ人間たちには「閉塞感」しかないです。縄文と弥生・とはあまりにもわかりやすい分類ではあるが、それは意外に「有効」であるように思う。ほんとの古代・とは縄文だからね。人間と自然の向き合い方ね。

 オニの系譜を小沢くんに見たりする。話が矮小化しましたか? 小沢くんが岩手ってことは「大きい」と思う。蝦夷(えみし・えびす)だからね。おれたちは近年のテクノロジーの発達が凄まじいから思わず人間も進歩しているかのように錯覚しがちだが、特に「自然」を目の前にしながら生活している人々にはいまだに「見える」何か=アミニズム的感性・が存在していた・と思う。コドモを殺す親・相変わらず、ショッキングな事件が報道されるが、その親がバカ男・バカオンナなのは、倫理上の問題ではなくて、「自然=コドモ」に対する接し方を忘れているのが原因の一つだと思います。

 人はもっと古代との繋がりを回復しないと・と思ってる。そういうテーマのものってすごく支持大きいのに、それを支持しているコドモたちが「ちょっと旧いモノ」を馬鹿にする辺りがイマイチなのね。マーケティングにヤラレてる。オトナでもおんなじでしたけど。混乱させられるものね。しかし、その混乱を整理しないとね。

 今の世の中は依然「藤原氏的」であって、そんなことじゃいけないのだった。偏った見方だけど。その藤原氏的なるものはみんなにも浸透していることが厭〜な感じなのだけど、それに風穴開けるのはやつぱ「オニ」しかおらんのね。

 カンケーないが「蘇我氏」ってそんなに悪い人たちぢゃないです。いや・まぢで。

 
 少し構成変わった。クレイジー・ホースではないが、でもMY MOST FAVORITEなのは変わんない。泣きながら精神を奮い立たせる・そんな「オニ」のチカラを持った曲。

 

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 10:52| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月04日

器の差というものも・・

 自分の言葉で語る小沢氏。

 しかし、空気が少し変わってきたように思う。

 ネットの統計と各新聞・TV局の世論調査の「あまりにも・なギャップ」に啞然とする。まあ・どちらかが嘘・なんでしょう。小沢くんを貶める事がオノレらのおいしさ・維持に直結しているゴミ・メディアのことを思えば、「狼少年」はどっちか・とは、すぐに想像できるが。

 ジャパン・ハンドラーのマイケル・グリーンが「小沢首相はない」と言い切っていることには「注意」が必要だと思う。時に国家(日・米双方、特に米)はおそろしいことをやってのけるからね。小沢くんのイノチ・意外と心配してます。心配が杞憂になればそんないいことはないですが。

 ポピュリズムの顔しながら、裏では「動かない」そんな政治情況から脱皮していただきたい。ぶらさがりのようなポピュリズムの体現は要らないように思う。馴れ合い・でしょ。バカ芸能人と同じじゃ情けないし。

 小沢くんが首相になったとしてもさらなる問題がある。小沢・その後、だ。新自由主義の巻き返しが必ずある。前原・岡田・仙石・枝野・蓮舫、そして、みんな渡邊、そんな人々による巻き返し。だから失敗はできない。小沢くんには後継がいない。強いて言うなら原口くんだろうか。ダイジョーブ?

 自民党内の非・新自由主義者との連携で「対米従属からの脱皮のヴェクトル+社会民主主義的政策集団 vs 対米さらなるポチ+新自由主義者集団」という図式は避けられないように思う。

 メディアはホンマに死ね!!!なのだが、きっと死なんとは思うが、チカラがなくなるのは避けられないと思う。今回初めて、「ネットがその期待される役割を果たした」ような気がする。ネットの「ある場所」には「真実に近いもの」がある。そんなことを体感した人々多かったのではないだろうか。

 やっとそんなことになってきた。そのこと自体は嬉しく思うし、しかし、やはりTVしか見ない人・新聞を盲信する人も多いと思うし、なによりもオノレのことしか考えない(考えられない)そんな人々も増えてきている。余裕のない人は何かを凝視するには何かをシャットアウトしなければならない。前々から思ってる事は自分の専門以外のことに対する「無批判性」のことだ。その解消には専門以外の事にも「専門」になるしかないのだけど、そこが余裕のない人にはなかなかできない。政治の専門の人なんて政治家以外には基本・おらんわけで、そこらへんの弱みをメディアに握られ過ぎた事が最近の国民的不幸の原因だと思っているが、それは「ネット環境」が有ったにもかかわらず、そんなことになってしまってたわけで、それはやはり自分の労力を使って調べる以外なかったりする。一日・24時間しかないのよね・残念ながら。

 いや・しかし空気は「変化」してきてる。

 私の緑のワニちゃん
 
posted by 浪速のCAETANO at 15:16| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月03日

四面楚歌の中でも

 記者クラブの閉鎖性を壊す事。内閣官房機密費の全開示(TVによく出てるハゲのジジイがもらってるのをはじめメディアに配られていると言われる)。

 これが小沢くんの以前からの公約。

 官僚と報道がつるんでいる事。それがバレてしまう事。既得権益っておいしすぎたわけだった。世論調査の数字も操作されてる可能性がある。インターネット上では小沢くんリードである。

 これがメディアが小沢くんを嫌う理由であって、そうであるから是非小沢くんに勝っていただきたい。応援してる。

 もうNHKの大越、テレビ朝日の古館・一色・星、彼らは「ヒドい」。星と一緒に昨日の記者クラブでの討論を仕切ってたおっさんもヒドかった。もうなりふり構ってられん感がありありとわかっちゃう。

 検察が起訴出来なかったのなら「無罪」なのよ。ニッポンは「三権分立」の社会です。週刊朝日の編集長は小沢くんの疑いの何が問題なの? と言っていた。上杉くんも信頼ができる・と思う。嫌小沢のムードを作って作って、しかし、この選挙は民主党内部の選挙であるから、あんまり実際の効果があるとはおもえないんだけどね。

 小沢くんのことを見てるとこの国の人々の精神構造が見えてくる。「様子を見て」「自分のアタマではあまりモノを考えず」「大勢を鑑みて」「大丈夫だと思ったら」「誰かを攻撃する」「それも結構罵倒に近い言葉で」。そんな人・数千万人いるんだなあ。それも「ムード」が「根拠」になっちゃってることが多い。ムードが根拠・ってこりゃまた凄い事ですよね。

 ちょっと右がかったご老人・はもう対米盲従ってのがカラダの深〜いところに染み付いてらっしゃる方なので、機密費貰ってるハゲとか、黄門さまのフリしてる東北弁のじーさんとか、こりゃもうライフワーク化してんだね・と思えるからしょーがないんだろうなあ。

 これから、さらにヒステリックになってこようか・と思う。マスメディア。でもさあ・嘘・はそのうちバレちゃうんぢゃな〜いの? とおれは思ってる。誰と誰が小沢くんをどの程度非難していたかってのを観察してみたい。メディアの中で。そしてみなさんの周りで。おもしろいよ。


 そう。何がおかしいのよ?

 
posted by 浪速のCAETANO at 16:10| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

夏の終わりに少し

 9月だけど。
 
 今日乗ったタクシーの運転手のおじさんが言ってた。「でもね・少しずつ季節は「忍び寄って」きてますよ」と。

 なかなか詩的でした。おれの思う詩的。

 もう日本全国どこでも暑かった「史上最暑」の2010年の夏も過ぎ去りつつある・ということなのだが、それでも10月くらいまではまだ暑いと言ってるね。熱中症にならない限り寒いより暑い方を取りたいと思う一人だ。熱・は使いようだがとても大切よ。

 暴力的な熱の話:
 雲仙普賢岳に行く機会があって、正確には普賢岳の隣の妙見岳に上ってそこから眺めたのだけど、標高は1300mあまり。長袖Tでちょうどいい。地上が35℃ぐらいだったから、22℃ぐらいだったはずである。生憎、雲が頂上あたりを流れていて、平成新山と言われる「新たなるもっこり」は見えたかな・と思えば隠れ、隠れてるなと思うと、あ・見えたもっこり・ということだったのだが、当時は(1990〜)地元の人たちやマスメディア43人が火砕流によって亡くなったのだが、その火砕流の跡は山肌に今でもくっきりとそこだけ草が生えていず、なかなかに生々しいのだった。
 
 普賢岳には仁田峠まで乗り合いバスで行き、そこからロープウェイで妙見岳へ上って眺める。仁田峠までの路はまあ「おれの好きな路」と言えばわかっていただけよう。そしてそこから眺める海もまた「おれの好みの海」だった。島が点在し、岬がぐーっと伸びて、その表情は穏やか。天気が更に良ければ、遠くに「阿蘇山」が見えるという。かつて昭和天皇が行幸し、この路を通る時にお付きの者が「陛下・むこうに見えるのは阿蘇山でございます」と言うと天皇陛下は予想通り「あっ・そう」と答えたと言う。めでたしめでたしだよなあ。「昭和」である。妙見岳の頂上にはツバメがたくさん飛び回っていた。

 雲仙というのは「九州の軽井沢」とも「西の高野山」とも言われ、まあそのう・浪速のカエターノほどのパチもん感溢れる言い回しにも聞こえるのだが、実際はそうでもなくってね、温泉街でも標高は700mほどあり、涼しいし、やはりかつては女人禁制の「霊場」であったのはホント・である。三估の松という松があって、松の葉は普通二枚(二本)なのだが、この松は三枚(三本)で、高野山にだけあると信じられていたのが、雲仙でも見つかったということがあり、霊山となったという。行基が開いたと言われている。その行基が見つけたと言う一切経の滝へも行ってみた。杖が用意されていて行きはかなりの下りでそして帰りはかなりの上りなのだが、熊野古道を歩くときもそうなのだが、杖というのは非常に助かる。特に上りの路。

 九州ホテルという老舗旅館に泊まる。裏が「地獄」である。「地獄巡り」をしてゆで卵を買う。硫黄の匂いが懐かしい。最後に来たのは高校の合宿だった。この地獄は江戸時代「拷問」に使われたと言う。気狂ってるとしか思えないですね。

 43人が亡くなった普賢岳の惨事だが、特に報道陣が多かったから、なんだか記者魂を賞賛するような美談にされているが、そんなことはなく、スクープを求めるあまり住民が非難して空き家となった家に忍び込み、そこの電話やらファックスやらを使い倒し、そして危険が迫った際に彼らを助けようとして地元の消防団の方々が一緒に火砕流に呑み込まれた・というのが真相である。マスメディアは当時からバカだったのだ。温泉があるという事は火山があるという事で、快楽と危険は表裏一体。

 もうひとつ。政治の話。

 民主党の代表選挙だけど、地方に行くとマスメディアの戦略が見事に奏功しているのを実感した。小沢くん・かなりの悪者視である。ほー・そこまでかー・と思った。対米追従・財務省官僚の言いなりという「無策」を貫く管ちゃんの方がまだマシなんてのは、みなさん、アタマどうかしているのだけど、新聞・TVのそもそも最初っからの小沢くんのイメージ悪化政策にほんとにヤラレてるんだなあ。
かなり驚いた。モノゴトが見えていない人がそんなに多いか。そして彼らは小沢くんを「憎んで」さえいた。

 メディアの異常な小沢くん叩きの一方で無策の管ちゃんも褒めるわけにもいかず、となると民主党内の権力闘争ってとこにこの代表選挙は貶められつつある。でもね、ほんとは違う。アメリカ追従で政・官・財支配という今のこの国の「悪」から脱皮出来るかどうかの瀬戸際だと思う。小沢くんがこれに負けたら、ニッポンの未来はないのかもしれない。この貧富の格差がさらに大きくなって、来年の熱中症での死者や自殺者はさらに増えるだろう。そんな気がする。これは小泉くんにころっと騙されて、オノレを痛めつける宰相を手放しで迎え入れたニッポン人のバカさが1.5倍ほどになっていてなぁんにも「学んでいない」ことの証明になる。新聞・TVの言う事は信用しない方が良くて、「政治とカネ」のことを言ってるコメンテイターは全員アメリカのケツ舐めてる人々と思っていいです。まるで「藤原氏」のような「自分ら一人勝ち」の手法であって、そんなマナーがニッポンのいいとこ・なんて言ってる人はほとんどダメなんじゃないかなあ。というかビンボー人には「敵」ということになるね。

 メディアはすべて敵で・世論もほとんど逆風で、しかし、却ってわかりやすい構図をしていると思う。ニッポンの情況が見えている人が15%ほどしかいない・ということだね。いやあ・そんなものでしょ・世の中って。それでいいのでは・と思う。これまでのどの国のどの時代を見ても「多数派が正解」だったことはない。ここんとこ民主主義の限界ぽいとこなのだが、それより「悪くない」システムはいまんとこないから、それはそれでいい。ニッポン人もこの20年間でかなり「アホ化」も進んだ事だしね、アホがえらそうに言うという身の程知らず化・も進んだしね。管ちゃんは財務省に取り込まれてから人が変わってしまった。ものすごいビビリになったように思う。もう思い切った事はできまい・と考えられる。今は小沢くんと亀井ちゃんがそのイメージにも関わらず「良い」のであって、前原とか仙石とか枝野とか蓮舫とかがそのイメージにも関わらず「悪い」のである。ここでモノゴトを正しく見られないと、ほんとにヤバいことになってしまう。

 自分のアタマでしっかり考えるべきだ。しかし考えようにも、読む新聞・見るTVすべてが小沢くん叩き・ってのはつらいとこだけど。でも、ここ「最後の可能性のひとつ」なのかもしれない。民主党サポーターの良識を見てみたい。

 
 世界一の背徳顔。
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:55| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする