2010年10月29日

突然のTPP

 にわかに浮上して来た「TPP加盟」の論議。

 ばか・な上に「裏切り」行為でもある。

 民主党はマニフェストで「食糧自給率」アップを謳ってたぢゃん。「TPP(環太平洋自由貿易協定)」は日本の農業に壊滅的な打撃を与える。それがたとえ前原曰く、「たった1.5%」のGDPしか占めてなかったとしても・だ。なんか、前原くんて「むちゃくちゃ」だ。もともとアホ右翼だったのだろうが、おんなじ右でも、親米右翼ってのは、うーん・国を間違いなく売っている。小泉くんからはじまってそっち方面ばっかりだ。今・また世論調査をしてみても前原って「最も首相になってほしい」人物なのだろうか? もしそうであるなら、日本人って「治しようのない脳液状化国民」だ。それなら、しょうがない。

 メディアに流れていることは「すべてプロパガンダ」であることにも、「ほんとに」気づいてないのだろうか? よくわからない。そんなことを疑うことが、労力の無駄・と思っているのだろうか?

 それとも、今・なんとか食えている人の直感として、その喰えていることの維持のためには「目を瞑る」ことが得だということがあるのだろうか?

 「ばか」と「ズルい」のどちらにしても「あ〜あ」だが、都市に住む(特に首都圏)人間の、地方への想像力の拒絶がやっぱりあると思う。彼らにとってきらびやかで利便性に溢れた都市生活だけが生活なのであって、地方はそれに「奉仕」すればいい・なんて感覚がはびこっているような気がしてならない。それって「メディア」の感覚と瓜二つであって、見事なシンクロが見える。

 コドモを産み・育ててる人たちがもし、今の生活の維持のために「目を瞑る」とするなら、長いものに巻かれることを「是」とするなら、それはひどい世の中をコドモの世代に受け渡すことになる・そんなことさえわからんのだろうか?

 思うに、そういう親世代の人々は、世代的エゴイストなのだろうと思う。「自分」を中心にコドモは「ペット」と言えば「なんやとー」と怒るに違いないが、コドモの世代の地球環境一つとってみても「見て見ぬ振り」をし、想像力を使うことを辞め、なんとか自分が生きて行く間「逃げ切りたい」と無意識では思っているはずだ。そのベースにはこの20年間、やはりプロパガンダとして撒き散らかされた「新自由主義」の精神を無批判に受け止めて来たことがあると思う。

 日本人ってほんとに「素直」だから、上からの意見を「まじめ」に受け取るよね。そこには信頼・がないといけないんだけど、その信頼が揺らいでるにもかかわらず、その「素直さ」は維持されてる。

 ラテンアメリカの国々もかつて、日本より前に同様の手口でアメリカにやられ、その結果今や、反米「社会主義」の国だらけである。チャベスが、その筆頭だけど、自分らで自分らの「国」を守ったわけよね。21世紀の社会主義・というのは本当に考えるに値すると思うが、これもまた「プロパガンダ」により、社会主義=北朝鮮、なんで図式に貶められる。社会主義に権力の世襲はものすごく考えにくいので、北朝鮮はそれこそ「ガラパゴス」なんだけどね。いや・そんなシステムの問題ではなく、善き施政者であるなら、別にそれだって構わない。世襲の問題を批判する国の首相だって「世襲」なら文句言えんはず・ね。

 経済のトランス・ナショナル化は大きな流れで見るなら必然だとは思うが、それこそいやーなグローバリズムでもある。アメリカがTPPに乗って来たこと・をイヤーな感じ・と受け止めるべきである。

 「給食」のことを想起するわけよ。おれたちの世代の給食・それを遡れば、戦後、アメリカの小麦の消費地とするために「食糧難」の日本のコドモたちにパンを提供した・というのは周知の事実だけど、今後、米作りがしょぼって、「じゃあ・うちの米・どかーんと輸出してあげる」というようなことになりかねないし、アメリカとしてはその60年前の「成功体験」は絶対に忘れているわけないしね。


 なによりも、おれはアメリカ人と同じもんしか喰えなくなる・ってのが嫌だ。発がん物質だらけの食いもんに日本人を晒すことが、今日本の政治家がやろうとしていることだったりする。おれはマックも朝マックを年に一回喰うかどうかぐらいの超ライトというかモスキート級ユーザーだし、自分が喰うものはできるだけ自分で作りたい人間なので、スタンダードからは大きく外れてるとは思うけれど、
「病んだデブ」になるのは絶対に嫌なので。

 今はいわゆる「近未来」への過渡期と言える時代で、それは20世紀を知ってる人には、それを知ってるほど「目眩のするような」「信じられない」ことが連続して起こって行く時間帯で、それは「情報」の洪水の中で人がアタマを使わなくなって来ていることと相関がある・と見てる。こっちのことは「この方に」訊けばいい。その方はそっち方面のトーナメント戦を勝ち上がったチャンピオンノヴザワールドなのであって、そっち方面の需要は全部その方へと向かう。今でもそれはあっちこっちで見られる現象だし。

 この傾向は不可逆でもう後戻りはできない。

 そして、過渡期を経て「近未来」になった暁には、そこはもう「人の棲む世界ではない」のだ。ウェルズとディックの書いたものが両方存在するような場になっていると思う。

 話は時代的にものすごく飛ぶが、藤原不比等の企んだ「古事記」と「正史としての日本書紀」さえなかったら、こんなことにはなってなかった・と思うのだ。

 百済系の天智が日本の正統蘇我家を滅ぼし、その娘持統が百済系を「正統」とする天皇の歴史を作る。完成したのは元明の頃だが、これもまた紛れもない天智系・だった。民を奴(やっこ=奴隷)視し、アミニズムから発展した日本の神道を「禊と祓い」の中臣神道に変え、
そして、それらは江戸の国学者により、オーソライズされ、明治へと時代が変わる際に、「利用」され、「国家神道」へと変容させられ、第二次大戦の悲劇へと繋がる。

 ものすごいはしょってるけど、坂本龍馬も徳川慶喜をトップにもってきたかっだもんね。龍馬と蘇我入鹿はものすごい共通点があって、時代の変革者として、その中心にいて、ものすごいドライヴになったが、バランス感覚でもって最後はソフトランディングを目論んでいたところ、「時代を変えたくない」あるいは「その変革の中で自分が得したい」そんなつまらない三流の人間たちに暗殺されることだ。残念なことね・ほんとに。

 で、結局、今の官僚というか「保身を図る人々」という「藤原氏的」な人々が生き残る・そんなシステムを作っちゃったんだからね。近衛文麿とか藤原だし。

 TPPには参加すべきじゃなく、別に「孤立」してもいいじゃないの・とおれは思う。円最高値の頃、まだ日本が新自由主義ではなかった頃、別に日本の企業はリストラするわけでもなく、それでもなんとかやってきた。リスク・ヘッジなんてなかった時代よ。今・大企業のヤツが実は「仕事ができないのでは」とおれは思ってる。プラス・金融資本主義から足を洗う。米は絶対に守るべきで、野菜や肉とか限定で参加するならすれば、と思う。TPPに入って嬉しいのは、過去の遺産で食いつなぎ・逃げ切ろうと思っている大企業だけである。

 そもそも、こんな突然こんなんでましたけど、入りましたー・じゃ話にならんよ。農協(今はJAか)がんばれ。デモやデモ!!!


 孤高もわるくない。「ぼくらが聖スウィセン・デイに永遠に・と語った愛のように、それらは消えて行くのだ」


posted by 浪速のCAETANO at 11:55| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

エネルギーに通過されながら

 リヴィングでは化学エネルギーを熱エネルギーに変えて、こっちの部屋では電気エネルギーを熱エネルギーに変えて・と。

 早い話、ガスファンヒーターに、電気ストーヴっちゅうことながら、こう言うと、地球46億年の過去のイノチと繋がって、過去は現在のため、現在は未来のため・そんな不可逆ながらイノチの連鎖を感じませんか? あら・感じない? おかしいな。

 ガスはもとより、電気でさえ、化学エネルギーの変換により出来ている。化学エネルギーと言いますのは、石炭・石油・米・麦・肉・いわゆる有機物のことと思って差し支えなく、それは現在/過去に生きる/生きたイノチそのものである。それが動物であっても植物であっても。

 イノチが続くためにはエネルギーが要る。それがどんな「カス」なイノチであっても。

 たとえば、ブッダは歩くときでさえ、「カス」というわけではないけど「小さな」イノチである・アリさんを踏んじゃいかんということで、つま先立ちで超・気をつけて歩いたというもんね。ブッダは動物・植物問わず、そこには「仏性」が宿ると言った。

 仏教があちらこちらを紆余曲折しながら日本に入って来て、当時あったアミニズムから進化した日本の神道(現在の神道とは違うよ)と、うまく合体して、それは神仏習合と言うけども、神様と仏サマが信仰の対象の裏と表の顔みたいになって、ほんとにうまいことやったな・と思うんだけど、空海や役小角だけじゃなく、一般の人々の心の中に「神様・仏サマ」の共存がなされたわけよね。知恵である。

 鎌倉時代なるとホントの意味での仏教の大衆化がなされ、「南無阿弥陀仏」の念仏だけで、浄土へ行ける。悪人でさえ浄土へ行ける。阿弥陀仏にすべて委ねなさい・なんてことになった。やや、ここんとこ、誤解招くタッチィな表現ですけど。

 で、次の室町時代に世阿弥という人が出てくる。猿楽(現在の能)を立ち上げ、完成した人だが、この人は三代将軍義満に気に入られ、しかし、義満が死ぬと佐渡へと島流しになるが、この人の仏教観は過激というか、それは「岩・石」にまで仏性が宿る・とまで言ったからなのだ。

 これ・すごいね。ほとんど、身の回りすべてが「仏」である・という過激・といってもいい思想でしょう。

 世阿弥が道元の禅宗に傾倒していたことは知られているが、道元は仏性があらゆるところに展開している・という教えの人だから、そこも関係しているのかな・と思う。そんな気がする。うー勉強不足。

 まあ・でも、ひとそれぞれ、見合う芸風があるよ・なんて言ってくれてるとこなんて、仏性の展開なんてこととリンクしているように思える。あーまたしても勉強不足。

 「人間と自然」と言う言い回しがあるでしょう。仏教にそんな言い方は馴染まない。「人間は自然に既に含まれている」からだ。自然を人間に対峙する見方はやっぱり西洋のそれだもんね。おれたちもかなりウエスタナイズされちゃってるから、そんな言い方に疑い持たなかったりするけどさ。でもそれはおれたちの「オリジナル」じゃない。

 縄文人たちの採集生活って今考えるとかなり「理想的」だったのではないかな・と電気エネルギーによって暖まりながら思う。少なくともそこでは人間は自然の一部だったし、そういう民族的経験の蓄積があったればこその神仏習合であるし、世阿弥の過激発言だったと思うのだ。そこへの時間的隔たりは2000年と少しという以上に遠いのだけど。しかし、なんらかの知恵はそこからいただけるんではないだろうか。エネルギー循環の中にオノレを一員として内包されたサイクルと見るか・傍観者としてサイクルを観賞するか・みたいな。

 おれたち次第だけど。


 間違ってもエネルギッシュ。昨日から続く。
 


 
posted by 浪速のCAETANO at 12:28| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

そんな季節に

 こう突然寒いと、食べるものも「そっち方面」行きたくなるもので、おでんかシチューか、と朝起きたときから考えていた。

 で、スーパーへ行く。さて・どっち?

 本日は練り物が充実していて、その瞬間に「おでん」に決定。牛スジは買ってあるし、卵も残ってた。

 練り物数種類と豆腐関連数種類、蛸を買って帰る。おでん・となると日本酒も欲しい。焼酎はどうせ後で飲むことになるから、最初日本酒で始めたい。トドムンドも全然出ないから日本酒・カットしてたけど、また三千盛近いうちに入るので、飲んでね・飲んでよ。三千盛は冷やしても・冷やでも・ちょっとした燗でも旨いONE OF MY FAVORITEだ。岐阜の酒です。秋はぬる燗がお薦めね。

 で、こちらは酒屋へ回って酒を物色する。生きてるうちに旨い酒飲んどこうね。

 で、買ってくる。銘柄はナイショ。

 で帰って、ゆで卵を作り、スジを煮る。あくを出して、きれいなスジになるまで水洗いをして串に刺す。スジってエライなあ。

 なるべく平で広い鍋がいいのね。ティファールのフライパンで最初やっていたのだけど、あ・そうだ、と思い出す。アムウェイの広鍋がナイスだった。出汁は、こんぶとアゴだしといりこ。で蓋をしてとろ火で一時間ほど煮ると、もう出来上がりである。こういう場合は具の順番とか考えず、無造作に煮てしまうのがいいのね。どうせ自分が客だからね。

 最後に蛸も極とろ火で煮ようかと思ったが、それは夜本番のときに。

 最近、寒くなってやっとパンが食べれるようになった。暑いときは「のどごし」重視になる。乾蕎麦を茹でたり、冷麺の時代も今季は長かった。で、パンがおいしくなってくると、シチューもね・ということとなる。ホワイト/ブラウンはもとより、ミネストローネであるとか、クラムチャウダーであるとか、ボルシチだとかだね。そのときに何パンを喰うか・なのだけど、バゲットは王道ながら、おれは胡桃パンかな。イチジクもいいけどね。どちらかというと、カンパーニュでもいいんだけど、田舎パンと言われるものの方が、滋味があって好きです。EX Vir. oilとともにね。そしてワインね。白でも赤でも、シチューの種類によってセレクション。

 まあ・何度も言っているけど、自分で喰うものは自分で作りたい。そんな可愛げのない人間だからしょうがないです。

 だれかとシェアするのはセレクティヴながらオッケー。また可愛げのないこと言うたな。もうこの歳になりますと、そんなに他人に「幻想」をもちえないし、まあ持たんでもいいんだけど、既視感だらけなんですよ。

 人はみんな違う。これはまさに正論ながら、その構成要素のひとつひとつは「デジャヴュ」であるというのもなかなかに辛いものがあります。人はその内容の組み合わせによってみんな異なる・これが正しい気がする。ある程度これもメディアに誘導されているんだけど。

 だからTVなんか全然見なくって、コンピュータもなくて、ケータイも持たないような、そんなやつおらんかな・と無い物ねだりをしてみたりする。いませんよね。

 しかし、情報は「人を不幸にしている」とおれは思うので。

 みなさんも「よい夕食を!!!」


 最近なくなったBOBBY CHARLESの遺作のTIMELESSというアルバムがすばらしく、毎日聴いてるが、これも忘れた頃にリリースされた「オフィシャル2枚目」の中の名曲。デルタレィディで。
posted by 浪速のCAETANO at 13:48| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月26日

クールにFAREWELL

 アルファともいよいよおさらばである。

 ずーっと乗りたくて、でも他のクルマを買い続け、もうほかに乗りたいクルマがないところまで引っ張って、やっといい個体に出会い、初期型のナロー・アルファがうちに来たのは4年ほど前になるだろうか。今調べたら2007の三月八日でした。3年半というところか。

 このご時世である。クルマは余計者・と捉えられても仕方がないし、一般の意見としてはそれでも構わんと、おれは思う。

 おれは人が思うほどエンスーでもなく、ただ、いろんなクルマを乗り散らかして来ただけであって、しかし、その個体数にはかなりのものがあり、そのそれぞれのフィールは今も目を瞑れば甦ってくる。飼っていたネコたちのそれぞれの毛のテクスチュアと同様に。旅として行った先の風景・鳴っていた音楽・そして横に座っていた女・の記憶を伴って。記憶・よりももっと生々しい感覚さえある。それだけ、クルマは好きだったし、ネコたちと同様、ある種「仲間」みたいなものだった。

 ネコとクルマそして愛すべき女・音楽があればそれで良かった。まあ、割と欲が深いと思われるかもしれないが。そういう人生しか知らなかった。

 そして、いろんなものと「お別れ」するフェイズにすでに入ったはずである。だからそれはそれで覚悟は決めてるつもり。ぺろも最晩年である。そこからはきっとネコは飼わない。ぺろやうーちゃん以上の個体には出会わないという確信がある。アルファ8v以上の個体にも出会わない自信もある。しばらくはサーブに乗るだろうが、おれの「華麗な?」クルマ遍歴もそれで最後になろう。実際クラッチがかなりヘタっている。

 いろんな「遍歴」もこれで終わり。出家でもしようかな・なぁんて。

 まあ、これも時の流れ・だろうか/だろう。

 現世の楽しみだけを追いかけてきて、あまり悔いもなく、熊野もこないだ火祭りを見に行くときアルファで中辺路・大辺路走ったし、それもよろしかった。クルマがなけりゃ熊野詣ももうしないだろう。後白河上皇にはかなわなかったね。後鳥羽上皇よりは行ったけどね。

 さて、このように考えてくると、自分は何か別のものに「alter」過程かも、と思えてくる。一体全体「何に?」わからない。わからないが、その変容の先にはこれまでとは明らかに異なる環境と実体があって、今までの感覚で言うなら「何か辛いもの」のような気がするが、そのときに自分が変容しているわけだから、それを辛い・と感じるかってのは不明。

 楽しみか? と訊かれれば「そんなに楽しみでもない」と答えざるを得ないけど。そういう感情論で云々できない世界に突入する気がしている。
 

 
 FAREWELL FAREWELL
 
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:23| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | アルファロメオ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月25日

ワイン会からさらに

 ワイン会のセットリスト・みたいなもん。記録しとかないと。


 泡:モンムスー             焼き牡蠣ウィスキー垂らし
                     水菜とエノキのサラダ
 
 白:シャルドネ             タラ白子フライ
   ピノグリージョ           チャンボッタ
   ソーヴィニオンブラン/セミヨン    甘えびアヒージョ

 赤泡:レッジァーノ・ランブルスコ    明石ダコと小芋の煮物黒胡椒かけ
        
 赤:ボルドー2種             マグロのカマ・香草鉄板焼き・バルサミコソース

 オマケ赤チリのカベルネ         ワイン豆腐
                     すねとすじワイン煮

                     ティラミス

                     コトリパンのドイツ風パン死ぬほど。

 ごっつぁんでした。ですね。これで3000円ポッキリとは「持ってけドロボー」です。

 裏話を言うなら、上の倉庫をごそごそしてたらモンムスーが見つかったのと、ボルドーは自分用に買ってたのを流用したから、こんな「奇跡」が可能になりました。もし次ぎやるなら(やりたいけどね)も少し「現実的」な値段設定になることと思います。

 でもまあみなさん喜んでいただいてよかった。また普段のTODO O MUNDOもよろしくお願いね。

 ワイン会に関してだけは「おれプロデュース」でやりたいです。

 今週は、今日も寒くて、明日はもっと寒くて、明後日は更に寒い・と予想されています。

 そろそろ、おこた「ALL SET?」と指示を出してます。「お初鍋」も、「READY?」と指示を出してます。

 おれもお初鍋喰いたくなってきました。「おれと鍋」なんていう企画もよいですなあ。それ、いただきましょう。

 またワイン会やろうね。
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 08:46| 大阪 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月24日

新しい公共・で人は死ぬ

 奄美に対しては初動の遅さ・だけでなく、メディアを通じて現場の様子を伝えてはいるものの、おれには「放置」という印象がある。その印象を感じたのはこれが初めてではなく、それはいつだったかと思い出している。

 それはマンガなら「めんどくせーなあ」という吹き出しがつくようなもので、もっというと「そんな厄介なことになりやがって」と思う気持ちが行為のそこここに窺い知れる・そんな感じの政府の「感情」だ。新潟の地震の時もそんな気になった。そうそう、沖縄の大学に米軍のヘリが墜落したことがあったよね。それって、今の普天間の移設問題の直接的な要因になったことだと思うのだけど。

 そこんとこ「ん?」と疑問持ったのは、やっぱり「阪神・淡路」の時かな。あのときも「初動」はものすごく遅かった。

 1995が東京とそれ以外が「中枢」と「末端」である・というような再構成の最中だったのだな・と今・わかる。1995と言えば15年前。まだ・世の中はマシだったし、人はまだ今みたいに「中途ぱんつな政治性」に毒されてもなかった。社会が「悲壮感」と「不審感」に包まれている・ということもなかった。

 今・民主党の言う「新しい公共」という概念は「阪神・淡路」の経験から気づかれたように思う。民主党によれば:

 「20世紀は、経済社会システムにおいて行政が大きな役割を担った時代でした。しかしながら、経済社会が成熟するにつれ、個人の価値観は多様化し、行政の一元的判断に基づく「上からの公益の実施では社会のニーズが満たされなくなってきました。そして現在、官民の役割分担の見直しが行われ、民間企業や個人と並んでNPOなどの民間セクターが重要な役割を担いつつあります。これまでの行政により独占的に担われてきた「公共」を、これからは市民・事業者・行政の協働によって「公共」を実現しなければなりません。これが「新しい公共」の考え方です。」


 なんてことみたいである。

 つまり、政府が、「これがイんぢゃない」とやったことが、みんなに「それズレてるよ・そんなことじゃ・ねーよ」と言われ、「だったら現場のひとでやってね・そこんとこよろしく」
ということだ。

 これは、平時なら、それでもよかろうと思う。そして、いわゆる「小さな政府」の根拠にもなる。だから「平時」なら、それでもよかろう・だ。

 問題は「not平時」にもこの考えを当てはめたいのだな・と思える点なのね。

 今は、すでに普段がすでに「not平時」だったりする。爆弾こそ飛んでこないが、精神的に「いつわたしは堕ちて行くのだろう」という不安と現実的な危機にみんな脅えている。それが普段の生活で、そんな中、災害が起こる。

 三日で900mm降るとは想像もできない雨量だ。想像力のない方と算数の出来ない方に僭越ながらお教えする。1cmが10mmである。10cmが100mm。では900mmとは90cmである。約1m。これが「平坦」な地面に降った量なのね。ご存知のように島の地形というのはアフリカの、地平線が見える草原のようなフラットではない。早い話「でこぼこ」だ。「でこ」に降った雨は「ぼこ」を求めて下に流れる。単純に考えて、でことぼこの面積が1:1であっても、「ぼこ」に集まる水量は2倍の1.8mとなる。人は低地に住むものだ。おれたちの身長は170〜180ぐらいよね。川が最終的にその水量を回収するにせよ、「ぼこ」地域を通った後に川に注ぐわけでしょう。えらいことよね。そんな「実感」からものごとは考え始めるべきだと思う。

 国庫支出金ではなく地方交付税交付金を増やして、地方の裁量を大きくし・と言うのって、「地方分権」なんていう謳い文句(なんとなく耳ざわりいいよね)とともに「改革派」と言われる首長が声を上げていて、なんだかみなさん、それがいいなんてことにもなってるが、おれには、現在オノレの失政により、格差の生まれた「地方」をそのまま放置するための方便に聞こえる。「新しい公共」とはなによりもその考えに奉仕する言葉に聞こえる。

 要するに「災害」が起こったときにも「まあ・キミらでやってよね」ということだね。

 ブッシュのカトリーナ時のニュー・オルリンズに対する態度は新自由主義のアメリカならある意味「当然」の態度だったのだ・と思えば納得できないかな。「健康保険」ないんだぜ・アメリカって。国が地方を・または個人を「助ける」という「発想自体」が存在しないわけね。共和党のティー・パーティーなどは早い話リバタリアンの巣窟であって、次の中間選挙ではオバマの民主党は大敗を喫するという確率の高い予想だったりする。

 おれたちもメディアの言説とか、過去20年ぐらいの「自分のことは自分で」みたいなある種の「洗脳」によって、オノレのトラブルはオノレの責任みたいに「刷り込まれ」ているが、特に今の30代・40代の人々そうだけど、そのアメリカナイズ/新自由主義の教育は中国の「反日教育」と相似だということも気づかないといかんとおれは思う。

 災害というのはメディアにとって単なる「ネタ」に過ぎず、東京から芸能レポーターに毛の生えた程度のバカキャスターを派遣し、とってつけたような深刻顔も嘘はすぐばれるし、本当に現在困ってる方に「今どんなお気持ちですか?」など訊くんじゃない。「自分は安全」という特権の元でのそんなこともう辞めたら。

 こんな話もある。

 奄美は鹿児島県でその選挙区の民主党代議士が「小沢くん」のグループだから政府は「動いてあげない」という話。本当なら、ひどい話。

 釣魚島のことになると「国」が・・とか「国家の」・・・みたいな話にすぐなるのだけど、アホですかキミらは。奄美とはまぎれもない「日本国」じゃないの。しかも人がそこで生き、そして死んでいる「国内」の話だろ。それに関して(何に関してもコメントしないおっさんだが)管くん、一言でも奄美のことに言及もしない・では、あかんよ。両陛下はコメントしたよ。うまいもんばっかり喰ってるだけじゃダメよね。突然の美食家変身は元社会活動家にはみっともない。

 これらすべてのことが「新しい公共」という考えを消極的納得させるための布石に思えるのだ。それは嫌な話・「じゃあ・しょうがないから我々だけでやろ」という有志の方が現れれば現れるほど、政府は「よしよし・いひひ」となる皮肉も内包する。意図的に流布される言葉にろくなもんはない。


 dubliners

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:10| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

日本列島人間論(さわりだけ)

 奄美大島の大雨被害、まだ二三日の間、被害が拡大しそうなのに相変わらず「初動」が遅い。

 印象だけど、この国の中枢の想像力がかなり劣化していて、目の前のことに「思いを馳せる」ことが「能力的」に無理になってしまってるのじゃないか・と思う。反応するのは「目に」見える範囲。

 ブッシュが「ニュー・オルリンズ」のカトリーナにぼーっとしてたのと似ていると思う。

 日本は末端の地域から徐々にその意識のリーチを狭めて行き、現実には「首都圏」のことしか「気にしなく」なるんじゃないだろうか。この数年のうちに。

 基地の沖縄しかり。奄美しかり。気にするのは首都圏の人間がその「娯楽」のために大挙して押し掛ける「日蝕」とかそんなときだけ。「こっちはいそがしいんだよ」かなんか口にこそ出さないけど、国とは「中枢」だけでいいのだ・というような「傲慢」を感じたりする。官僚的だな。

 人で言うなら、アタマと手足があって、「もうアタマだけで充足してるよ」と、そんな感じがしている。現実に東京人がオノレの「娯楽」以外に関して、非東京地域に思いを馳せることはないのではないか、極論を言えば。

 大阪にしても京都にしても神戸にしても、この関西圏でさえ、東京人の目に映る大阪・京都・神戸へと微調整しているかのような印象がある。新世界のジャンジャン横町はいるまでのけばけばしい「串カツ屋」あれはみんな東京資本です。新世界が少し変わってきてるもんね。観光地化すると、目先お金は入ってくるが、大切なモノの犠牲の上に・なんてことはよくある話で、ちょっと嫌な感じ。まあ、そんなものに浸食されないディープなところへ行くからおれはまだ大丈夫だけど。

 与党民主党の、奄美の災害に対する、「反応」の鈍さがそんなことまで考えさせる。人の住んでない釣魚島とかより、まずはそっちやろ・と言っておきたい。

 

 
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2010年10月21日

また・いろいろ・ね。

 なかなか綱渡りだったけれど、ハードなピリオドは終わったようだ。

 無傷ではなかったが、あちこち痛むが、それはしょうがないです。

 次は土曜のワイン会に向けて・である。おかげさまでまあまあの数の人々がいらっしゃるようで、こちらも気合い入るってもんである。何かの提案なのだが、ワインは「普通の酒」であるし、そして「メシ」とともに飲むものであるから、そしてもひとつ言うなら、おれといたしましては「わいわい」飲みたかったりするわけよね。そんな会にしたいです。料理もいろいろ考えてます。店長・マスターの手も借りながら、チーム・トドムンドのワイン会、お楽しみに。要予約です。

 試験中にライヴが入るとなるとなかなか大変です。中間テストの日程、完全に読み間違えてました。期末テストにはそんなことないようにしよう・と言いつつも、なかなかビミョーな期日に「ホストライヴ」をやるのだけど、うーん・まあだいじょうぶかな。

11月24日(水曜日)です。


 
今回のテーマは
SENTIMIENTO(センティミエント)です。


 秋にぴったりです・と思います。TODO O MUNDOのケータリングも有り・です。センティミエントな料理・とは何なのでしょう?

 新人がいるかも? いるかな? どうかな? それは自分次第なのですが。出演者が決まったならまた報告を。

 そして、遅くなりましたが、DOIS VIVOに足を運んでいただいた「少数精鋭」のみなさま・どうもありがとうございました。少数精鋭がいいのよ。ボサ姫ともどもお礼を申し上げたい・と思うわけでした。MUITO OBRIGADO!!!


 GHOST DANCE


 
posted by 浪速のCAETANO at 16:36| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月18日

あれやこれやながら本日DOIS VIVO

 日程を読み間違えてしまった。もう一週間、中間試験が早いと思っていたら、なんのなんの、2つの中学がこの水曜からだった。だはは。失敗失敗。

 その分、今日も塾で、朝早く起きて明日の学校の予習をして、TUTORに行き、帰って塾であって、今中二たちが終わってお絵描きをして遊んでいる。

 つかれた〜。もう一週間前からそのような「運命」はわかっていて覚悟もできていたのだけど、・・・・・・と、ここまでは寝る前。

 で、ここからは本日。

 これから失禁ですが、学校4時間・tutor2時間・それはよいのだが一つ失敗、弦を張り替えてなかった。これはマスト。スチール弦は死んで49日ほど経っている。現場処理かな。

 本日あまりのハードさに「無の境地の浪速のカエターノ」が見れるやも知れぬ・そんな気もします。無の境地。無の境地にて乱れる。これ・境地・じゃないね。だはは。

 なんか「上手く」できることだけが面白いことじゃないので、「ドキュメント」の面白さ・というのもあるから。

 7:30からです。@パラダイス・カフェ。ボサ姫はここ四日で四度ほどライヴやってるから調子いいはずです。

 
DOIS VIVO



Bossa PRINCEZA
e
浪速のCaetano


1+1>2


por Yuumi e Marutani Kaz


10月18日
@ PARADISE CAFE em 扇町
19:30〜
Charge \1500(drink 別)
posted by 浪速のCAETANO at 09:00| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月15日

レスキュー

 チリの銅山事故からの救出劇は見事だった。地震の記憶が未だ覚めやらぬ時期にさらなる惨事・とならなくてほんとに良かったと思う。神はまだアンデス山脈上にいる。

 9月に実家へ行ったときに親父と「これは大変やでー」と話をした。

 おれは「紛れもなく」閉所恐怖症。ひょっとしておっちゃんもそうなのか・これは遺伝か・と感じた。実際に訊きはしなかったが。

 しかし、17日間も生存が確認されないまま、放置されていたわけで、それもまた耐えられない話だが、確認のあとも救出予想の第一報はクリスマス辺りということだった。そんなこと言われたらもうずっと「寝ておきたい」と思うだろう。

 あの現場監督は「立派」だった。あれがリーダーなのだ。すばらしいと思う。みんなそう思うだろう。だが、なかなか出来ることではない。パニックを起こした人もいただろう。対立もあっただろう。かっとなったことだってあったたろう。その後すーっと血が引いていったのだろうか。

 700mの地下というのがうまく想像できない。水平の直線距離にしてもたいがい遠い。それが真下となると、みなさんピンとこないのではないだろうか。考えれば考えるほど「すごい」としかいいようがない。気道がまだ地上から確保されててよかったなあ・と思う。潜水艦の事故というのがたまにあるが、それを考えるとものすごく息苦しくなってくる。まちがいなく「閉所恐怖症」でした。

 しかし、みんな上がってきた後の「チリ国家」、君が代とは成り立ちが全く異なるね。おそらく、「君が代」が特殊なのだろうね。精神を鼓舞するタイプの曲がまあ多い中で、君が代って、まあサッカーの試合などではかなり「不気味」で「不吉」に聞こえないのかな・と思う。あれだけでも世界の中での日本人の特殊性は十分表現できていると思う。そんなことを思った。

 ただ、おれも「ええ歳の日本人」だから、目をつぶって聴いたり歌ったりする「君が代」の中には何かそのう・合ってるのか間違ってるのかわかんないが、日本民族の「哀しみ」が昇華された・なんだかじわっとくる精神の高揚感があるのがわかる。それは「歌詞」の中にあるのではないと思う。歌詞はどちらかというならしょーもない。それはメロディーの中にある。

 完全なヨナ抜きで、いや完全でもないか・シ(B)の音は一度出てくる。しかしファ(F)はでてこない。

 おれは「戦場のメリークリスマス」のテーマって「君が代」やん・と昔から思っていたが、最近確信に近づいてます。戦メリもBは入るがFはない。それは「極東」へのエキゾチズムへと西洋の人間を誘う何かを持つ。ディヴィッド・ボウイの「CHINA GIRL」もそうだしね。自分は今そういう曲を書く気も予定もないが、でもちょっと意識の中に置いとこうかな・など思ってる。日本人の最終兵器・ヨナ抜きメロディー。

 なんか最近、日本人がいろんな国の人と混じったりすることも多く、神秘性が薄れてきていると思う。でもやりようで神秘性は確保できる・そんな気がしている。これはある意味「不気味さ」と裏表だけど。これも意識の中にちょっと置いとこ・っかな。

 救出された人々の中には「愛人問題」が露呈してしまった方何人かいるみたいだが、そーなんだよねー、あーいうぎりぎりの状況ってそうなりがち。自分の過去振り返ってみても、「うんうん・そうそう」だ。うれしさ半分・という人もいることと思う。まあ時間が解決してくれるのを待つしかないでしょう。今思えば、そんなことでさえ「ノスタルジー」なので。

 日本の国のワイドショーで全員の顔写真をスタジオに並べて、ホルヘ・ナントカさんがー、とかマリオ・ナントカさんがー、とかなんか違和感あるよね。「知り合いかいっ!!!」みたいな・ね。神戸の、ボサ姫がよく演ってるチリ料理の店にもTV局来たみたい。

 「なんのために?」である。


 ヴィクトル・ハラ。
 

 

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:47| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月14日

過去よりのギフト

 ある方からこのブログに突然のメールをもらい、まだおれがばりばり音楽をやってる頃、よく見に来てくれていて、ライヴ・テープも持っていたが、それも劣化し、音源がないか・と問い合わせがあった。

 なんだか、不思議な感じだった。20年ほど前の話だと思うが、ほんとによくライヴをやっていて大阪はミューズ・クアトロ・ファンダンゴ、京都はビッグ・バン、磔々、東京は青山CAY、インクスティック、ロフト、エッグマン、クロコダイル、ラママ。関係者もよく見に来ていて、いつ契約を・・みたいな時期が2度ほどあって、彼がよく来てくれていたのはそんな時期だと思うが、その時の印象がどうも彼の中では褪せることなく永久機関化しているか・の思いを持った。

 それは・わかる。自分も、多くの過去の音楽がもうえ血肉化してしまっていて、それはもう内臓化・とも言ってもいいぐらいで、ある種「固定」してしまっている。そして、それらがあるからこそ、自分が「生きて来れて・今も生きている」との実感があるのだった。だから、その立場を置き換えたときに、「ものすごくわかる」という半面、「おれでいいの?」なんて気にもなる。ただ、当時はエネルギーに溢れていたという事実は事実として「わかり」、そのエネルギーは「保存」されるという法則もリスナーとしての自分にもあり、そんなこと言っていただけるのは「音楽家冥利」に尽きる話だった。

 今も別に音楽家としての能力・パワーはさほど落ちている自覚はないのだが、単に年を取ったことと、環境が様変わりしてしまったことが大きく、本当の音楽好きは減ってしまったということが、音楽を難しくさせている。まあ、個人のトラブルがそれに拍車をかけたことは否めんなあ・なのだけど。

 そんなこんなでまあまあ「ディプレッシング」と言えるような気持ちにはしょっちゅうなっていたのだけど、それでも「まだ」ニッチを探す「懲りないバカ」なのだけど、まあ「死ななきゃ治らん」性癖とも言えるが、まあよかろうと自分を認める。

 過去の自分がやっちゃったことがこんな風に帰ってくるとは思いもしなかった。コンドル2という曲があるのだが、彼の心の中にそれは棲み着いているみたいで、それはおれの中に棲み着く「どの曲」と相似形なのだろう等思えば、なかなか切なくもうれしいできごとである。

 こんなときは素直に「うれしい!!!」と言ってしまおう。


 過去は過去というだけで美しく、その美しさは今やや元気がないときの方が際立つのね。

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:34| 大阪 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月13日

VIVO(LIVE)です

DOIS VIVO



Bossa PRINCEZA
e
浪速のCaetano


1+1>2


por Yuumi e Marutani Kaz


10月18日
@ PARADISE CAFE em 扇町
19:30〜
Charge \1500(drink 別)
PHONE 06 6363 3858


posted by 浪速のCAETANO at 16:38| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月11日

「ぶちっ」と日本メディアの間には

 久しぶりの中国政府の実力行使だった。

 漁船のふりしたスパイ船のことではなく、その後のTV「ぶちっ」のことね。なんとなくスタジオのブレーカー落としたくらいの感・あったよね。おもしろい。

 おもしろい・なんていうと「だから中国は自由がない。言論の自由・報道の自由がない」から民主主義じゃない・から目つき悪い・から口臭い・から脇臭い・から足臭い・から「打倒中国!!!」と国粋主義者のハートは熱く燃える・に至るのかもしれないが、まあ待ってよ。落ち着こうね。

 おれは日本はアメリカより中国に似ている・と思う。なんていうと「アホかお前、どこが似てんねん、こっちは「民主主義」であっちは「一党独裁」やぞ、少数民族虐待してるし、領土欲ばりばりやし、金のことしか考えてないし、自分のことしか考えてないし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」と畳み掛けられるだろう。殴られるかもしれない。殴っちゃやーよ。ま・落ち着いて。

 今、誰かがおれに言ったことは過去〜現在の日本のどこかに在ったことなのだ。一党独裁は大政翼賛会と同様。特高警察なんてのもあった。アイヌや在日の方々を虐待した。東アジア・東南アジアへ「侵略」した。まさに高度経済成長あるいはバブルのときはみんなお金に目覚める。それが同時にきているのだね、中国は今。そしてまさに自分のことしか考えんというのは今や日本人の多数もおんなじ。

 過去のそして今の自分が封じ込めてしまったオノレを罵倒してるということにならないかい。そういうの「近親憎悪」と言う。過去の恥ずかしさを今まさに体現している13億中国人がいて、まあ他人の目を全く気にしないというのだけは「大変違う」けれど、それはプロセスが異なるが結果はあんまり変わらん・ということと同じようなことでそれはまた後で言う。「差異」というのはそのフィールドが狭くなればなるほど「目立つ」のね。

 今・中国人のさほど知的ではない人々の印象って「動物っぽい」が、以前の日本人も「エコノミック・アニマル」なんて言われてた。これ・かなりひどい蔑視の言葉・ね。

 その後、交流が進み、しだいに理解が進んで、今や「クール・ジャパン」である。おれは、そこんとこも実は「誤解」だと思うが、まあそうなっちゃったもんはしゃーないっす。何を言いたいかと言うと、以前のさほど誇らしくもないような世界の中での日本の地位に今、中国がいる・ということなのよ。金だけは持っとるが、世間知らず。「チョーシ」乗ってて手がつけられん。この場合の世間とは
「世界」であるけどね。

 ちょっと飛ぶが、日本の古代に於いて「農耕民族」による王朝と「騎馬民族」による王朝があった。大まかに言うと農耕系は出雲・北陸からの人々で、騎馬系は九州・丹後系の人々だった。農耕系には、北陸から突然現れた継体天皇・聖徳太子の「いい方」・蘇我氏・物部氏・ニギハヤヒ(天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊)・三輪山の神大物主・大国主・スサノオまで遡れる。この人々の政治の仕方は「合議制」である。

 一方騎馬系はというと、雄略・崇神(神武)・応神・天智・アマテラス。こちらはやることまあまあ残虐。もちろん目指すものは天皇の独裁である。そこに奈良時代には「藤原」という厄介な賢者がくっついてしまった。だから天皇独裁というよりも藤原独裁になっちゃうのね。しかし、それ以前は暴君あるいはテロリストたちである。そこんとこ、さすがに騎馬民族。

 で、その農耕系王朝の人々は稲作をするわけだから中国南部にその出自を持つ。それに対して騎馬民族は朝鮮半島から直接にはやってくる(任那とよばれていた地域)。しかしもちろん彼らも幸か不幸か大陸からの圧力によって南下せざるを得なかったわけで元はと言えば今のモンゴルにいた「ツングース系」のひとたちである。

 今の日本人を形作ったものがこのような「外国人たち」であったということ。そして中国系の人々は農耕や合議制(それは後の聖徳太子の「和をもって尊しとなす」という宣言にまでつながる)という穏やかな思想を身につけていたこと。尤も半島系の人々はかなりのやんちゃではあったが。で、どちらかというと、今の日本人の性質の多数の遺伝子は中国からの農耕民族のそれによるとおれは見ている。やっぱり穏やかである。

 中国は良くて朝鮮はダメとかそんなことを言ってるんじゃないのよ。長い年月の間の関わりというのはもう地政学上・どうしようもなく避けて通れんのであって、そして歴史というものを100年とかの短いスパンではなくさ、ウン千年ほどの長さで見たときに、今ちっちゃなナショナリズムに陥るよりも、もっと深い知恵の生まれる素地がきっとあるんじゃないかな・ということなのね。

 だいぶはしょったけど。

 もうひとつ、「日本と中国の似てるとこ」、それは、冒頭のTVぶちっ・なのだけど。

 確かに日本は「自由に満ちあふれてる」ことになっている。中国は不自由・ということになってる。しかし、ほんとにそうだろうか。おれたちは、たとえば「前原のアホが・・・」とか「管・キン玉ついてんのか」とかを街で・酒場で・「自由に」言えるほどの「自由」しか持ち合わせていないのではなかったか・と思うわけ。中国人はそれを大声では言えんだろう。そこを大きな差と見るかどうかなのね。

 あのさ、さすがにおれたちはTVぶちっ・ってのはないが、しかし、そこから流されるコンテンツはものすごい「偏向」しているでしょ。中立ではまったくないよね。誰かにとって都合のいいことを流し、都合の悪いことをぶちっ・とするのと、局側の管理のもとでスクリーニングするのとさほどおれは「大差」ない・と思ってます。

 今・中国当局が国内の不満を逸らすために外国(特に日本)に目を向けさせているのは、領土的野望とは少し違うと思う。それは何度も言うが、経済がそれを許さないからだ。いずれ近いうちに中国のバブルは弾ける。そして今は世界中で金利切り下げ競争である。どこの国も「自国の通貨」が「弱い」ことを願っている。それだけ輸出を有利にしたいわけで、つまり、外国との貿易こそがもっとも大切なのだ。ドルとユーロと円はリンクまでしている。元だってもうリンクなしが許されるのもあと少しだ。

 ものすごく中途パンツな気分右のひとびと、混乱していると思うのだが、中国を FUCK視するのはいいが、その分アメリカ依存が強まる訳で、まあその人々の言い分としては、真の独立して自主憲法で核武装で・と進んで行くのだろうが、たとえばどうだろう。おれたちがインド・パキスタンをやや離れた距離から見たときに、最初はインドだけが核をもっていたが、その後パキスタンも持つに至ったが、明らかに敵対し、国境を接する二国が核を持ってしまうことは一国だけが持っているより「はるかに危険」に映らないだろうか。

 世界のどの地域に於いても「核の使用」とはその可能性的連鎖を含めると「人類の破滅」を意味するわけで、戦争に明け暮れた19・20世紀を経験してきた人類が、更なる破壊兵器で持って更なる緊張感を演出するなら、それは「ばっかぢゃないのー」ということになる。

 日本の核武装とはそんなことを意味してる。まあ政治が情けないから、みんなプライドが持てないんだよね。しかし、そのプライドとは何だ。国のプライドなんておれはいらんけどなあ。個人のプライドは国のプライドとは違います。サッカーでアルゼンチンに勝ったから、ワタシのプライドは満たされた・と思う方に言いたいが、「乗せられてるよー」。それはそれ・です。いや・おれもうれしいと思うし。だけど、今チミが日常生活を無事送れているなら、それが「十分なあなたのプライド」を満たす行為だと思う。そう思えないのは「TV」ばっか見てるからです。

 
 アホなアタマであれこれ考えず、まずは「いい女」を見る・ってのがいいと思う。それから考えても遅くはない。抵抗は無意味だ
 

 歌を歌えば、人の内面が計らずとも現れる。
posted by 浪速のCAETANO at 11:54| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月10日

私的連絡・mtさんへ

ありがとうございます。今通販を辞めていて(再度始めるとは思うのですが)、代引きとかでお送りしますよ(オマケも付けて)。
monile9@gmail.comまでお知らせいただけませんか。
A DECADE-IN FAKEは時期によってさまざまなフェイズがあり、どの時期を・ということがあるのですが、どの時期も良いですよ(自画自賛)。

DISCOGRAPHYとしては、

○NO SIGNIFICANT DIFFERENCE(ルベエレ品新)PUNK-FUNK時代です。4曲入りソノシート。UO、MISSILE、STRANGER IN PHNOM PENH等
1000円・在庫あり。

○最前線物語(ルベエレ品新)ミュージック・マガジンでかなり「褒められた」やつですね。手と機械と半々な感じです。機械と人間は友達・がテーマだった頃です。6曲入り。A RACE REPLACABLE 、WATCH MATAHALI、我赴香港趣上海、ESCAPADES等。2000円・これもきっと・在庫あると思います。アナログ盤。

○SUPER BOX(BOX RECORD)コンドル1・コンドル2でディヴィッド・バーンより1年も早く、ロック・ミュージシャンが「ラテン」をロック側からのヴェクトルで料理した記念すべきアルバムです。世界で一番早かったです。自慢です。だはは。これは、最近BOXがいろんな組み合わせでシリーズ出しているのですが、このアルバムが売られているという話は聞いたことがありません。こーゆーの音源のオマケっていいんぢゃないかと思いますが。アナログです。

○DE LA SIESTA(FORUS RECORD)何曲かがスタジオで何曲かがライヴです。コンドル1もコンドル2も入っています。ほかに10$少女ですとかマニアック・ガールなんてのも。コンドル2の2番目のアレンジが聴けます。在庫あったんじゃないかな。2000円です。アナログです。

○光合成の季節(asile)ブックレット付きの「カセット・アルバム」です。宅録のハシリなのですが、ミックスは今をときめく「杉山勇二」です。A面は「歌わせ編」キング堀内・シーラD・岩崎秀昭・ピニャコラーダ、これも今聞いても全然古くないです。B面はマルタニ全開。ここで初めてあの名曲「手品師の帽子」「ヴェランダ」が歌われました。この在庫・微妙なところです。一応2000円です。

ここからCD時代です。

○endorphin(JMPS)ありにんげん、SM RUMBA、ハードコア・大快楽物質E。かなりの傑作アルバムです。持ってますか?残念ながら、これも在庫はありませんが、音源はなんとかしますよ。

○MAGIC MELODIES--TURN TO THE POP2(SWITCH)スウィッチ・コーポレーションからのオムニバスなのですが、2CDで一つはオリジ
ナル・もう一つはカヴァーです。なんとトップバッターは「ミス・チル」です。おれたちはトリ。当時はおれたちが一番エラかったんだけどなあ。これ・ミス・チルファンの中で「幻のナントカ」になってるみたいです。当然在庫はないです。

○東京ラテン宣言(アポロン)ワタシ誰アル?、S-KENプロデュースのオムニバスです。ここではもうSON NA BANANAです。この演奏はすばらしいです。ある種のピークです。これも「ラティーノ誌」で最も「センティミエント」である・と絶賛されたSON NA BANANAです。ほかの音楽雑誌では「ラテン界のさくらと一郎」なんて異名もいただきました。喜んでいいのか・・・・。これももう在庫はねえ。オマケ・コース行きですか。

○LET'S SPIN(RAFFLESIA)SON NA BANANAからさらに名前が変わって「PARABOLA SPINS」です。早すぎた「脱国境音楽」です。最近貴方ぐらいの歳のミュージシャン連中が「再評価」というか「初めて聴いてびっくり」しています。20年以上前にこんなことをやっていた日本人がいたなんて、と絶句しています。MARUTANI KAZ のある種の集大成でしょうか。3000円。在庫あります。TODO O MUNDOでも買えます。この前のラテン宣言とこれはHONZIもいます。だいぶアホなことをさせたので、HONZIファンには「なにすんねん」かもしれません。でも「師匠」の言うことは聞かなきゃいかんのです。

○CVS COWBOYS(RAFFLESIA)SONNA BANANAのリズム隊おんなじの「ロック・チーム」です。ライナーをミルクマン斉藤が書いてくれています。ギターもキーボードも弾きまくっています。オリジナル以外にカヴァーも3曲。スコティッシュ・トラッドとクルト・ヴァイルとスラップ・ハッピーのピーター・ブレグヴァドです。これシロートさんに言っても「?」というカオをされます。基本マニアックなのね。そんなつもりないんですが。

つかの間のiyashi

つかの間のiyashi

  • 作者: マルタニ カズ
  • 出版社/メーカー: 文芸社
  • 発売日: 2000/09
  • メディア: 単行本



文芸社)CDbookです。オビに書いてある通りです。

というようにまあまあ数あります。もっとあったかもしれないが、思い出せるのはここまでです。

それと未発表曲が50曲はあります。スポンサーになってください・なんちって。

代引きでもよろしいですし、京都ならマルタニ自ら「宅配」も承りますが。

では、よろしくお願いします。メール・お待ちしています。
posted by 浪速のCAETANO at 22:00| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今月はこれだけよん

 ボサ姫とのライヴがあります。

 定員13人限定みたいです。
 
 
BOSSA PRINCEZA YUUMI e MARUTANI KAZ a.k.a. 浪速のCAETANO
  10.18(Mon.)@パラダイス・カフェin扇町。19:30スタートです。チャージは1500円。


 パラダイス・カフェは天神橋通り(松屋町通り)と扇町通りの交差点の南西2軒目やったかな・3軒目やったかな、エンジ色のいかにも・なビルがあってそこの4階です。

 ボサ姫のボサノヴァと浪速のカエターノのブラジルから出かけ、あっち行ってそっち寄ってこっちもカスる・そういったtodo o mundoなライヴになることと思います。告知がちょいと遅くなってしまったのですが、そうは言うても「定員13名」と言いますから、「貴方」のために・度はかなり高いと思います。予約はどうしたらいいんだろ(パラダイス・カフェは初めて)。

 多分、たぶん、パラダイス・カフェに直接電話していただけるか、出演者にまでれんらくしていただけるか・そんなことでしょう。

 また続報あれば次に書きます。ANYBODY, welcome!!!
posted by 浪速のCAETANO at 20:28| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

第一回「秋の歌」

 世の中は最悪ながら天気はよい。せめてもの救いね。

 秋になるとやはり、切なく・セクシーであって「歌」が必要になる。浪速のカエターノの考える「秋の歌」

 RATHER OLD SONGS ながら何曲か。「OLDIES BUT GOODIES」なんてアルバムもあったぐらいで。

 IF by BREAD

 A LOTTA LOVE by NEIL YOUNG

 Debaixo dos caracóis dos seus cabelos por ROBERT CARLOS

 THAT OLD FEELING by CHET BAKER

 I'M NOT IN LOVE by 10CC

 Non mi innamoro più per CATHERINE
SPAAK


 The Lark in the Clear Air by
CARA DILLON


 WALK ON BY by Dionne Warwick

 SUNDAY MORNING by VELVET UNDERGROUND
& NICO


 CARINHOSO por Marisa Monte e Paulinho da
Viola


 SAMPA por CAETANO VELOSO

 LIFE IS LONG by David Byrne & Brian Eno

 以上、浪速のカエターノによる「第一回秋の歌」でした。
posted by 浪速のCAETANO at 16:26| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月05日

ひどい・ひどいわ・しかし

 本当の悪人は誰だ?

 考えてみよう。

 小沢くんか? いや違う。彼は今・ジーザス・クライストになろうとしている。何を大袈裟な・と言うかもしれないが、これから彼が遭うことになる苦難を見たら、大袈裟ではないな・と思うだろう。

 不思議なタイミングで小沢くんの強制起訴の発表があった。これによって釣魚島の話は飛んでった。政府の無能さも隠された。検察の不祥事も・ちょっと置いといてー・だ。まさにそのための「検察審議会」の結果発表であることは「見え見え」。しかも、平均年齢30歳のひとびとの決断である・といういざと言うときの「若気の至り」のエクスキューズというおまけ付き。

 そもそもこの制度を利用した・その訴えてるおっさんがちょっと奇妙だって知ってた?

 小沢くんを取り巻くことはほとんどがインチキなのだが、日本の司法は完全に変な「政治主導」になってしまった。「疑わしきは罰せず」から「疑いはあるが証拠もないが、とりあえず裁判させてみよう」となってしまった。こわいですね・こわいですね。起訴されただけで今・ひとは多くのものを失ってしまう。おそらくその検察審議会の平均年齢30歳チームはオノレが被疑者になる・なんて想像は働かなかったのだろう。ひょっとしてそこでも「政治主導」なのか。

 すごく嫌な国になってきてる。みなさん「したり顔」なのね。

 小沢くんの政治手法が嫌い・とはみなさんよくおっしゃるし、今そこを突かれているのだと思うが、では訊くが、前原くんや仙石くんの政治手法は良いのか? メディアを使って偏向報道を流しまくって、みんなを洗脳する・そんな手法がよ。ねえねえ・どーなの・ねえねえ? とお訊きしてみたい。小沢くんのその手法は、経世会時代に培われたものだが、では清和会のアメリカ盲従のやり方とCIAからのキックバックのお金の流れはどーなる?

 結局今は仙石くんと前原くん岡田くん枝野くんが「小泉くん化」して、そうではなかった管くんも総理の座と引き換えに「悪魔に魂を売っちゃった」んだよね。まだほんとの悪人になりきれていない管くんのわずかな逡巡が垣間見えるもんね・ときどき。あれはそのうち鬱病になるよ。かなり「引き裂かれて」る。

 問題は小沢くんが悪人・という「ことになってる」、そしてそれはもう決まったことです・というメディアの態度だと思う。何遍も言うが。最近は朝日新聞がさいてーだ。ほんとにメディアはみんなを「支配」しようとしてる。その支配は「小沢くん排除」で完成しそうだ。第四コーナー回ったぐらいのとこね・今。

 心ある・知識人のみなさまたちは「声を上げる」べきだと思うが、どうだろう。無理かな。既得権益ってそんなにおいしいかな。それとももうどうしようもないのかな。だから日時と場所を小分けしたあげくの「ちいちゃな抵抗」くらいしか方法がない? そんな気もしますが。

 小沢くんはこれから「ジーザス」が遭ったような目に遭う・んだけども、それによって彼の志もまた見えてくることになる。そこんとこ・最後のポイントでしょう。
posted by 浪速のCAETANO at 18:06| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「Todo o Mundo」な夜だった

 突然、留学生たちの何人かが店に来ることになり、18:00きっかりに来店。

 ペースが早く、店のビールの在庫が生も瓶もなくなる。中国2台湾1ベトナム1の四名に加えて、後からイタリア人も乱入してきて、昨夜は「変な店」だった。

 当初の予定・といっても半年ほどだが、当初の予定からは様子が変わっていて日本国内の景気はダダ下がりで、「もう国帰るわ」というカンくんや、大学行くの止めようかなあというトウくんのようにモチヴェイションは下がり気味であって、なんだか更につまんない国に成り下がってるような気がしてならない。

 チャンくんにバインセオを喰ってもらって「なつかしい。サイコーです」と言わしめたA美嬢には良かったね・である。

 いやー・しかし中国人の酒の飲み方・よーっくわかった。一言で言うなら「クレイジー」だ。しかも、エネルギーに溢れている。となると、隣人としては少々「厄介」かもしれない。わび・さびなんてのはきっといつまでもわっかんねぇだろうなー・と思う。中国人が「他者」として立ち上がってきたねえ。昨夜はリアルでした。

 好む好まざるに関わらず、中国人の存在感が高まっている。そのことを感じる。受け入れるしかないよね。

 おれは中国人女性歌手に曲を書きたい。韓国人女性歌手にも書きたい。というか歌わせたい歌が今手許にある。なんとかしたいものだと思ってます。なんとかしたいと思っていればなんとかなるよね。


 これぐらいの「ヘタさ」が大変値打ちがあるのだがそれに気づいている人間はほとんど「NINGUEM=nobody」である。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:27| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

さてさて

 半袖Tでは寒いぐらい。21〜26℃なのだそうだ。昨夜も「ひょっとしたら暖房器具用意した方がいいのではないのか」と思った。

 しかし、そうそうあの酷暑の記憶は無意識の中からは消えないですね。スーパーに行くとそれを思い知らされる。野菜の値段ね。優秀なのはもやしぐらいのもので、工業製品・でしょ。

 昨夜、TVをつけたらスピードの1がやってて(BUS VERSIONね)、ちらっと見ていたが、デニス・ホッパーの吹き替えの声があんまりで、すぐにVTR視聴へと移行する。あの声・ないで。八百屋のおっさんみたいな声だった。デニス・ホッパーでそりゃないよ。

 逆にあまりに吹き替えに馴染みすぎて、字幕のヤツを見た後でも、それはそんなに違和感がなく、ぜひとも「吹き替え」でお願いします・という場合もある。サンデル教授・ではなくブレント・スパイナー演じるコマンダー・データ(データ少佐)・もそのひとりだけど、今現在のスタートレック状況はどうなっているのかというと、おれ自身は4回目のVOYAGERがそろそろ終わりかけ、同じく4回目になるDS9がドミニオンが登場してきたとこ。おそらく、The Next Generationもそろそろ7度目ぐらいの再開が始まると思うが、データはオリジナル・スタートレックのスポックの存在からの派生なのだけど、アンドロイドという側からの人間性の追求という、ほとんどそのテーマは、ゲーム・IT三昧の今のコドモたち・大人もなのかも知らんが・にそっくり置き換えてもインぢゃない・と言えるようなものである。

 VOYで出てきた「ナノ・プローブ」のナノと言う言葉ももう一般的になってきて、ナノと言えばカーボン・ナノチューブの飯島 澄男教授はiPS細胞の山中教授とともに今回のノーベル賞の有力候補・と言われている。ノーベル賞の頻度が上がっていることも、この国の下降曲線との相関で言うなら、まことに正しいと思うのだ。経済的な発展に遅れること30年と言う感じである。無理のないタイムラグだろうと思う。それらを広義に「文化」と呼ぶなら、爛熟と言ってしまうと、科学者のニュアンスとはややズレるかもしれないが、科学者も多かれ少なかれ「マッド」であるはずで、そう考えるなら、必然ということなのだろう。

 試験ウイークが始まってしまった。今回もまた長丁場。「地獄みたいなハードワーク」を一週間だけ・とかいうのが好きよ・ねえ、中学校の先生、そんなところで「個性」いらんしな。試験日程に我が校では他校とは異なる特別な配慮をしております・とかいらんからね、いや・まぢで。
 
 忙しいのは気が紛れていいのだけど、ほとんどダブル・ブッキングみたいなことになるのを狭いとこをすり抜けていくのもスリルがあるっちゃあるんだけど、その後・なんかいいことが待ってりゃいいんだけどね。など言ってみても「運命」は受け入れるしかなく、ストイックなモードへの転換が求められる「アイ ドント ライク マンデー」の朝であった。


 この時代の人は「シャンソン」ぽいね。シャンソン=歌ゆえ、この一文は日本人にしか理解できんですかね。

 
posted by 浪速のCAETANO at 10:24| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月01日

久しくなかった運動会

 昨夜は店にも行かず、家で過ごす。久しぶりに「鍋」をしてほっこりなりすぎなのと、本日「早起き」を要請されたからなのだ。

 なんのため。

 運動会のため。

 中二が見に来て・と火曜日に言い出して、まあホントにそう思ってたのなら前日にまた言うだろうと思っていたら、「先生・明日やで・わかってる」といきなりのこちら無防備な状態でのツッコミ。「い・い・いや、覚えてるって」「昼過ぎに行くわ」「それじゃあかん・10時に来て」と話はすごく簡単にどんどん「決定されていく」のだった。中津来てから、こういう「押し相撲」よく経験する。土地柄だろうか。

 しかし、いつもの習慣というかなんと言うか、録画を見たりギター弾いてたりすると、しまった4:30だ・なのだ。無理矢理ウイスキーをラッパ飲みして寝る。

 で、8時に起きて、鍋の残りで雑炊つくって食べて出かける。どうせぺろごはんも切れていたし、コーヨーまで行く道すがらである。

 で、意外に急いで行ったのだ。ヴォランティアのお母さんがたがチャリを停める場所へと案内してくれる。スムーズな対応です。中に入るのは初めて。グラウンドはお世辞にも広いとは言えないが150mのトラックが取れていて、都会の真ん中にしてはまあまあ。3クラスずつしかないからね。コドモは少ないのである。

 豊津時代は豊津中・吹田六中の運動会にはまあ30代の頃は行ってた。

 そうそう、意外に急いで行ったのだけど、すごい・押してた。一時間近く押してた。なんでそんなに押すのか、いったいそれまでに何があったのか、と「?」となるのだが、誰に訊きようもない。斜視にて隣の父兄のもってるタイムテーブルを盗み見する。すると、9:40には始まっている競技が今(10:30)の段階でまだ始まっていない。まあこれで、少しヒヤヒヤだった、女子の600MといううちのY佳の出るやつは見れるな・よかった、と胸を撫で下ろす。何を言われるかわからない。盗み見したタイムテーブルには数本フェルトペンで線が引いてあった。息子あるいは娘、孫息子あるいは孫娘が出るのだろう。

 その600mまでにまだ4つほどあるのだった。クラス対抗の形をとっていて、でも3クラスだからレースは3コースまで、別の子・M緒がリレーに出ていた。おー・速い。速いとは聞いていたが、速い。そしてコーナーでは負けないタイプ。トップで次の走者へ。彼女はなんやかんや出る言うてたな・そういえば。

 男子の1000mの後、女子の600m。これらは全学年3×3で9人で走る。見にこんかいということはきっと自信があるのだろう・と思っていたが、9人中2位だった。

 もうひとりM子がなんかあんまり出ないというていた。しかし一応2人見たしなあ。時間は押して、12:45である。秋晴れのいい天気。この時期になると「外メシ」したくなるよね。多分毎年そうなのだ。とりあえず、出る。

 コーヨーまで行き、あの人のメシと自分のメシを買って公園へ。人がほとんどいず、これもまたいい感じ。鳩が「なんかくれ」と馴れ馴れしく来るが、さりげなくストンピングでビビらせ、近寄らせない。ハト・苦手。ハトの集団・さらに苦手。サバの背骨を遠くに投げると反応しない。反応しろよ。ロング缶で決めて、昼飯終了。長袖Tで寒くもなく汗もかかない。ベストな気候だった。

 場所を移動し、前に金網に包まれた野球のグラウンドのある、マックのカウンターみたいなロケーションのベンチへ移動する。文庫を開き、あー幸せ。世界の破滅もおれの破滅も、この気候の前では「先送り」こそ正しい・という気になる。お茶を買いにコンビニへ行くと、タバコは見事に410円となっていた。贅沢品になっちゃったね。

 2:00過ぎである。もう一回いっとくか・と思い、中学校へ。

 運動部がユニフォームで行進させられていた。各部の今年の「栄光(ない部も多かった)」が紹介され、そのままクラブ対抗リレーへ。M緒・ここでもぶっちぎっていた。バレー部が優勝してました。お・と思ったのは「パン食い競走」だった。いまどき珍しくないの? キムラヤさんのパンではないのかな。というのは、雨天順延の場合はキムラヤにその旨貼られることになっているからだ。パンはしかし、包装されていた。その状態で食いちぎろうとしていた中学生よ・キミらはかなりマヌケに見えた。

 綱引きなんてのもある。借り物競走もある。意外に感心したのは、進行がきびきびしていたことだ。あの・ほら、運動会でよくかかる曲ってあるでしょう。あの・天国と地獄じゃなくって・剣の舞でもなくってもうひとつあるやん。あるねん。その曲が間髪入れずに流れるから、それが流れたら、何をしていても、退場し、入場しなければならないっ!!!ということになってるみたい。その曲でパブロフの犬みたいにみんな行動を開始するのであった。ドリフ的・とも思ったが、ギャグが受けなかったときの場のベストな処理・みたいにどんどん進行して行くのだった。でもさ、こんなに手際いいのになんで午前中そんなに「押して」たのだろう?

 で最後はクラス対抗リレー。またまたM緒のぶっちぎりで、クラスは快勝。そこにM子も出てたのだが、第二走者でバトンを受けないまま第一コーナーのとこまで走っていた。なんかちょっとあっち行く癖のある人なのだが、途中からバトンを受ける手を戻して、普通に走っていた。第一走者はバトンを渡そうにも「手」がないんだからね。そのとき彼女は「あっち」行ってた。「はっ」と言うカオして(戻ってきたのね)後ろ向いて手を出していた。なんかみんな「個性的」ではある・充分に。

 しかし、なんか違う。吹田の中学校とは何かが違う。中津の方が少年少女である。意外な気がした。たいてい驚くほど大人っぽい女の子とかが三年とかにいるのだが、中津は0人。時代にもよるのだろうが。ヤンキーもいなかったな。ヤンキーは欠席してんのかな。先生たちも「高圧的」な人がいない。これか過去から学んだ「方法」なのかもしらんが、割と肩すかしだったよ。微調整しましょうと思った。

 今・コドモはコドモっぽくしないときっと何か不利益なことがある・と感じているのかもしれない。そんな疑問も浮かんだ。ビルに囲まれてるから、あっという間にグラウンドの半分ほとが陰になり、見上げればスカイビルが、どかーん・と。なんだかこの学校ならではの感性みたいなものは養われるだろうな。なんだか少しシュールな気もするなあ。

 しかし、最大の疑問は「午前中のあの大幅な押し」だ。


 こういう世界の対極だった。

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 17:04| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする