2010年11月30日

ダサイが怒りたい

 明日から師走だが、一年は早いですね。

 世の中の動きというか「環境変化」が激しくて、どんどん生きにくくなっていってて、おれたちのようなデラシネは来年の今頃どないなってる? 環境は「悪化」の一途だ。適応しないといけないのだが、それって生理的にヤーな適応なのよね。

 まあ・おれが来年の今頃どうなっていようが、そんなことを気にする人は0人・であるから、そんなことよりもだね、気になるのは沖縄なのだ。

 環境が変わったというなら沖縄の周りの海の環境がものすごく変わったこの数ヶ月なのだけど、まあ予想通り現職が勝ったが、米軍基地の国外移転を訴えた井波さんに対して、「県外移設」の現職だったのだが、これってさ、沖縄が本土に対してちょっと怒ってる・という解釈もできると思うのよ。

 前々から言っているように、政府にせよ・メディアにせよ・もう周辺・辺境のことには「想像力」が働かなくなってしまっている。その地位にいることが目的ってのがそんなにちょんばれではあかんでしょう管総理・な首相からはじめて、オノレの名刺でオンナ口説くだけが目的のTVマン・代理店のバカまでの態度から透けて見える「既得権イノチ」の姿勢に対する「沖縄の反撃」のようにおれには思えてしょうがない。

 戦争の現場から帰ってきて、ハートがインでる米兵に「お前らのかわいい娘」もひどいレイプされてみたなら、わしらの気持ちもわかるかも・と、沖縄の総意(少なくとも30万人の)が言っているような気がするね。

 「県外」移設を訴えた現職が勝ったということを「解釈」してみるとそうなった。東京がエゴイスティックになるのと同様にウチナンチューもエゴイスティックにやってみたけど・と解釈できた。あの・やさしい沖縄をそうさせてしまうのはどうなのかな?

 「風見鶏」の現職でさえも、もう琉球ナショナリズムに目覚めた・そんな感じ。

 「沖縄の反乱」・だとするなら、おれは「支持」したい。

 そして、県外移設を支持して、それを受け入れる「県外」はない・という現実をアメリカに突きつけるしかないのでは。そうすれば井波さんが当選したのと同じことにならないか?

 そんなことを夢想した。的外れかもしれないが。

 もうひとつ。海老ちゃん事件って「押尾」のことと近い気がしてる。押尾のときもピーチジョンの社長やらと政・財界との絡みのことが報じられつつ尻すぼみだったが、今度も何かがある。これって日本社会の構造と関係の深いことである。日本の社会の金の流れのいびつさと関係があると直感する。東京と地方の「格差」とも関係がある。なんとなく毎晩六本木で遊んでいられるあいつらの軍資金はどこにあるの・なんてことを考えるとそのいびつさは誰でもわかるだろう。

 誰かの親が政治家なのかもしれないし、そいつらの連れの誰かがIT関連で大儲けしたのかもしれない。どちらにしても何かが極端に「偏在」している。

 沖縄の判断はベストではなかったと思うが、これからの「運用」しだいではそんな「偏在」を正す、一石になるかもしらん・とか思うわけだった。そのためには必要以上の「GREED」捨てる必要あるけどね。金玉元気・なやつには無理かな。


 六本木徘徊族よりは少しマシなシドon Bass。

 
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:06| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月28日

外で昼飯

 小春日和の日には、外メシをしたくなって、この時期、そんなことが多いのだが、したがって昨日・一昨日と外メシ人生である。

 弁当を自主制作して、中津の大変たくさんある公園の中のどれかに行って、酒持参で太陽の光と熱を楽しむ。

 一昨日は店長と、高瀬の会社の横の北公園だった。

 昨日はウエスティンの南西にある「某公園」がランチサイトだった。この時期は日の光をまともに受けたい。が、そんな場所はすでに近所のおじいおばあに占領されているわけで、日陰のベンチとかしかなかなか空いていないのである。

 でいろんな公園を物色するのだけど、人通りの多いところはまずそんな空きはない。であっちこっち探すのだが、やっとこさ微妙な日当りのベンチ・発見。木漏れ日の差すベンチだったのだが、背に腹は代えれんな・ということでそこに落ち着く。

 昨日の自主弁は紫蘇入りの出し巻きに豚キムチ、そしてはんぺん・大根・ホタテ・チンゲンサイの煮物だった。白米には黒ごまとチリメン山椒をかけて、南部のうめぼしのでっかいのを乗っけて・という感じ。一昨日は焼酎のお湯割りを持って出かけたが、昨日は黒猫が半分残っていたので、ボトルごと持って行った。

 ワインを持って、豪華お弁当もって・なんてのはおれのモウスト・フェイヴァリットのひとつなのであって、そんなことばっかりしていた。おれが好きになったおんなの人々・料理はからっきし・なくせに「おにぎり」だけは上手・という美点があって、まあ・そんなギヴ&テイクもありましたね。クルマで能勢までいって・みたいなことをよくしていた。そこだけみたら楽しかったなあ。

 というわけで、その癖は抜けないわけである。

 今はもう量は喰えないので、いかに旨く酒を飲んじゃうか・昼間から・昼間よね・昼間しかなかろうて・ということなのだった。

 で、木漏れ日の中、微妙に身体を移動させながら(光線は時間とともに角度を変えて行くからさ)黒猫をパイレックスの一番小さいグラスに注ぎながら、昼飯を楽しんでいた。

 40代の男が通り過ぎるときに、こちらを見ているから、おれも視線を合わすのだが「ワインかー・いいですねえ」と声をかけられた。

 「そう・外弁当にはワイン」なのだ。

 昨日はお湯割りながら。

 もうホント・ビールはよっぽどの肉体労働の後しか身体が受け付けなくなっちゃった。まあしかし、それはそれでよし・なのだった。

 寒いのは嫌なのだが、寒い中「小春日和」の値打ちはあり・だ。寒いからおこた・というのと同じかも。

 特に冬はトドムンドのおこた部屋・いいもんねえ。

 ひとつ・発見したのだが、昔曾根崎でやっていた「ムエタイ・ヌードル・アチョー」というメニューがありまして、最近復活して、こないだ、一食ちゃんと食べてみたのだが、これ・ものすごく美味しい。曾根崎時代よりも美味しくなってる。パクチーが苦手でなけりゃぜひ試してみたら・と思うけどね。おれの直近の印象だと、パクチーを使ったジェノヴェーゼパスタみたいでした。

 贅沢な味だったよね。そして他所にない味。後を引く。ハーブはえらいね。使い方だけどね。現実にものすごくおいしいトドムンドです。庶民の味方。

 本日は曇り空ゆえ、外メシはなし。ちょっとさびしいわけでした。


 GOT TO HURRY UP BEFORE I GROW TOO OLD.ほんまにそうだった。戦争直前の状況で、売国ほぼ完了の状況で。

 

 
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2010年11月26日

くにゃ・ふにゃ〜でいくのがいい

 ライヴの翌日の塾、酒もかなり控えたのだが、なかなか辛かった。夜11:30までかかってしまった。

 2つの学校だけ試験「中」だったのが苦しかった。残りの二つは試験直前で、そこの兼ね合いが難しい。

 しかし今日からはじっくり腰据えてやれる。

 最近は社会のテストに必ず時事問題コーナーというのがあり、今回ならどうだろう。キムジョンウンだろうか、前の時は釣魚台(魚釣島)でてた学校があった。北の砲撃のときにはもうテスト刷り上がってたかな。人名だけというわけでもないしね。

 思っていることを書く。

 北朝鮮と韓国は本来(とはどの過去からかというならいろんな考え方があるが)近代史から言うなら「同一の国・同一の民族」と言っていいのだろうと思う。いや厳密に言うなら全羅南道出身者が差別される・なんて話も聞いたことはある。確かめたわけではないが、1980の「光州事件」のデモ隊に対する虐殺とも言えるあの治安部隊の行為を思うと、そうなのかも・といった気になる。

 古代の朝鮮半島は新羅・百済・高句麗・伽羅諸国に分かれ、それらは伽羅意外は国家だったが、その段階でも血で血を洗うような争いがあっていた。その前は弁韓・馬韓・辰韓という諸国連合と言っていいかそういう分かれ方をしていたし、その北部には中国(当時は漢や魏)の楽郎郡・帯方群があり、中国が目を光らせていた。

 馬韓が後の百済へと移行すると思われるが、馬韓の「言葉」は他の諸国とは異なっていた。辰韓の中の斯廬という都市国家が他を征服し新羅となる。ここらへんは日本列島の「ムラからクニ」へという流れとさほど変わらないと思うが、ただ半島内ではある地域を統一したとしても、そこには外部があり、接触してあり、さらに大中国の目を日本列島よりも意識せざるを得なかった。そんな「日常」が半島の空気の中には何千年もあったりするのだと思う。

 高句麗というのはツングース系の民族で騎馬民族であったと思われる。ここだけちょっと民族としての趣きは異なる。ただ、その三韓と言われる地域が都市国家の集まりであった頃にすでに高句麗は満州からソウルほどまでの大きな国になっていた。日本の古代の王にも影響を与えた淵蓋蘇文(せんがいそぶん)という唐と戦った将軍等も出た。その後新羅が唐と組んで半島を統一し、この辺りは倭国においてもいわゆる「大化の改新」の時期に当たり、列島も揺れた時期である。

 それから時代は一気に下り、100年前の日本による植民地化の目に遭うわけだが、15世紀李氏朝鮮時代に「ハングル文字」ができたことがその後のネイションステート形成に大きかったはずである。だからおよそ500年以上は朝鮮半島はひとつになっていた・と言えるのではないだろうか。

 で、その人たちが65年ほど分断されている。しかし、その「おれは百済系だから」とか「おれは新羅系だから」とかそんなことは言わないはずなのだ。そしてどんなにむちゃくちゃされても人民同士の「やっぱり家族」感は消えない。金家のやつらがどうしようもないアホなだけで、そこさえいなくなればやはり、同じ言葉を喋り、プルコギでキムチでサムゲタンな関係なのだと思う。広義の国内問題とも言ってよかろうと思う。

 韓国は国家資本主義を進め、今やSAMSUNGやLGは日本の家電メーカーが束になってもかなわないほどなわけだが、その利益をどうするのだろう。キム一家に取られるのはいやだろうが、北の人民に分け与えることをほんとは厭わないのじゃないだろうか。ぜひそんなことになればいいな・と思う。システムの問題ではなく。

 小泉が電撃訪朝なんてことしても、南北の「国内問題」が解決してないのに対日本の問題が解決するわけがない。そこにサポートしてあげるしかたとえば「拉致問題」の解決法はないのではないか。

 以前の韓国の「太陽政策」とはよく言ったもので、そうやって頑な北をふにゃふにゃにしていく以外にない。軟体である。

 軟体の反対は「硬直」だが、それが要らん摩擦しか引き起こさないのは自明だろう。今・「国の誇り」とか必要以上にきゃんきゃんしてる人々は、自分が「戦争」を引き寄せているという自覚が欲しい。おれが思うのは「きっとできっこない」という保険をどこかに持っていて、きわきわのとこまで口で言ってる・そんな印象を持つ。山本一太なんて、一番最初に「逃げそう」だ。同年代のバカさってなんでこんなにわかりやすいんでしょう。



 ここのヴォーカルぐらいのふにゃちん度でよろしい。感動的にふにゃ・である。
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2010年11月25日

北風ではなく太陽が・・

 やっちゃったなあ・やっちゃったー。

 これで再度朝鮮戦争・とは思わない。思わないが、11.28に米韓で軍事演習をするというじゃないの。タイミングは最悪・だ。それはちょっと控えられんのだろうか。

 もう一つ。その日曜日は沖縄知事選だ。尖閣諸島の中国漁船・そして今回の北朝鮮の暴発・韓国よりも日本の右翼が色めき立っている。色めき立たないで・と言いたいが、彼らにとってこれは千載一遇の・・・と思っているみたい。あ〜あ・だなあ。

 沖縄もこれで現職が勝つことになるだろう。「変化なし」ということになる。

 北朝鮮を「制裁せよ」という意見あるが、どーかなー?

 考えてみてよ。ビンボーな家があって、となりの家とか向かいの家とかから「ビンボー人」・「きもっ」とか「ぼけ」だの「カス」だの「死ね」だの言われたら、それも次から次に、そんなことを言われたとしたらどうなるだろう。

 数日前まで悪かった夫婦関係・親子関係、そんなものを一旦棚上げして、団結して周囲の圧力に対抗しようとならないだろうか。

 北朝鮮ってそんな状態じゃなかろうか・と思っている。そりゃ後継争いから脱落し、外の世界を知り過ぎて「もう帰らんし」と言ってる長男なんてのもいるのだが。

 どうしたらいいかってのはほんとに難しいけれど、そしてそれは危険なことかもしれないが「圧力」を辞める・しかないのでは・と思う。そして隣や向かいのおっちゃん・おばちゃんがときどきのぞきにいく。「どうでっかー?」みたいな挨拶とともに。最初は頑なだと思う。しかし懲りずに行く。訪問する。「煮物多めに作ったし」かなんか言いつつ。

 しだいに家族の「結束」緩んでくるのでは。


 昨日は第三回HOST LIVE。

 「少数精鋭」の来ていただいた方々・ありがとうございました。出演者およびスタッフのミナサマ・ごくろうさまでした。平和の意味を思わず考える一夜でした。

 センティミエントの意味が伝わるように、再度次回も同じテーマでリヴェンジすんでー。

 次・おれが生きてたら2011年2月ぐらいに予定しています。最近ラフレシアン・コムプレックス、やっとらんなあ。人も育てないといけませんね。少し考えよう。育てても「どっかいっちゃう」やつ多いけどね。


 うーん・好きである・バルタン星人。


 
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2010年11月24日

ばか・ですが、やりましょう

 あるかたのメールで気づいたが、おれ・ばかですねえ・相変わらず。

 ライヴ告知の曜日が明日になっていた。ライヴは「本日」です。

 今回はまあいろいろ・あっちこっちそっちで「不具合」が多く、しかし、それでも音楽というものが「意志」の問題であるなら、「パンク=ニューウェィヴ」の「王道の精神」に乗っとって
80年代初頭の気持ちになってやるのである。「気合い」とも言う。

 また本日も「少数精鋭」の皆様方と良い時間を持てれば幸いです。


マルタニカズa.k.a.浪速のCAETANO
HOST LIVE @SUN HALL
11/24(WED.)
19:00OPEN/19:30START
Adv.2000/Dor.2500(w/o Drink)
SentimientなFOOD by TODO O MUNDO

<>
Bossa Princeza Yuumi
Grande Tres(King 堀内/Caorinho 藤原/マルタニカズa.k.a.浪速のCAETANO)
Convenience Store COWBOYS
with
北林純/ノビ・ナニワーノ(Os Novos Naniwanos)/北村嘉章(Monocism)/岩崎秀昭/木寺勝久


 
posted by 浪速のCAETANO at 12:59| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月23日

明日は「第三回HOST LIVE」

 またまたライヴが試験前。懲りないバカなのだが、どちらも大切な事ゆえ、エネルギーは使う。

 明日の自分の楽しみはCVS COWBOYSなのであるが、新しいメンツ(ブラジル音楽フレーヴォをやるバンド Os Novos Naniwanos のノビ・ナニワーノと爆音シューゲイザーバンドMonocismの北村くん)を迎えてのステージです。

 彼らにとっては、「新しい体験」みたいです。ロックやってもなにかしらちょっと変だもんね・おれたち。聴いてるより演奏するとその「ん・ん・な・なんだ・これ?」という感じになるみたいです。おれとキタバヤシにとっては「フツー」のことなんだがね。

 
 CVS COWBOYSはその出自が「裏SON NA BANANA 」なのであって、脱国境音楽だらけの日常から少し離れて、「ニュー・ウェイヴ」なロックをやってみようよ・片手間に・と始めたバンドです。オリジナルメンバーは「北林純onDr.・友野周平onB.・アンツ元木onG・マルタニカズonG&Vo.・ミルクマン斉藤on Tp.」、その後、ミルクマンが映画関連で忙しくなって、岡島直樹onSaxが加わる。
 最初は「VIBRATORS」と名乗り、友野と二人でお初天神商店街の中の大人のおもちゃ屋で、バイブ購入し、それをステージ上でういんういんしながらライヴを敢行していましたが、まあそんな一発野郎なハプニングはあっという間にしょぼんでいくので、それではいかん・いかんよ・ということで、ドラッグストア・カウボーイズをもじってコンヴィニエンスストア・カウボーイズというのも20世紀末ぽくもあるよね・なんてことで改名した。
 おれは「好きなバンド」です・って自分で言うなっちゅう話だけど、なんだかかっこいいのよ・曲もストレートだし、男っぽいし、声枯れても歌ったんで・ぐらいのことはロックバンド故あり得る話で。血が騒ぐってことかな。ギターも好きなだけ弾けるしね。
 そのCVS COWBOYSに新しい「血」を入れてですね・こないだちょっと再現したけど、今回はもちょっと本格的に・と思ってます。キタバヤシも一番ハマる・よね。はちゃめちゃな上手さが思う存分出せる。あのおっちゃん・上手いけどはちゃめちゃで、天才故の「辞めんか・お前」みたいな目に遭いがちである。ソンナバナナ的には「それもそう」なのだがカウボーイズは大丈夫。
 明日はちょっと飲みながらやりたいぐらいの気分だ。ラフにやりたい。そんな気分だ。

 楽しい一夜になれば良いですなあ・なるよ・きっと。ANYBODY WELCOME!!!!

マルタニカズa.k.a.浪速のCAETANO
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11/24(Thu.)
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 そう・こんな風にね。
 
posted by 浪速のCAETANO at 22:19| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月22日

素敵である。

 今帰ってきたが、久しぶりに雨ダダ濡れだった。風邪ひくよう。

 行きは良かったのよ。帰り・ちょっと艶麗ちゃんの進路相談が長引いて、ふと窓の外を見ると、まあまあ降っていた。で、外に出るとまあまあとはもはや言えんぐらい降っていた。

 長堀を越え南北50mほど走るほどにサングラスは水滴で「目ぇ見えへん」くなるわ、パンツもびしょびしょ、髪の毛ぺったーん・といろいろまずいことになりそうだった・このまま走ってると。

 で、とにかく次現れた店に入ろうと思えば「すき家」だった。しょうがなく入る。でヴァリエーションの多さにびっくり。ここらへんあんまり事情に明るくないのね。さんざん迷ったあげく結局プレーンな牛丼の並・といったちゃんちゃんな選択となる。こんなメシの量さえも隣のおじいさんと同じぐらい時間かかるのだ。とするならおれもおじいさんか。

 ま・深くは考えず、喰い終わる・が、雨は止まない。で次の喫茶店が現れたら入ろう・と思い北上すると、現れた。DAYS COFFEE。

 まだ塾にはしばらくあったので、本を読もうと思った。「煙草は吸えますか」と訊くと「どーぞどーぞ」という。みなさん雨宿りのニュアンスでくつろぎ、寝てる人もいる。いや・入った瞬間思ったが、居心地・いいのね。なんでかなあ・と思ったが、まあ髪がどんな惨状と化しているか・トイレで確認する。うーん・かなり・ヤバかった。あのまま帰っていたら・と思うとやや・ぞっとするのだった。

 で本を読み進む。うーん・居心地いいぞ。耳にもいいぞ・このBGM。心地よいのは・それだった。かなりセンスのいい選曲でした。いや・かなりのセンスだ。おれが言うから間違いないです。英語・ポルトガル語・フランス語・スペイン語・とまるで浪速のカエターノのライヴのような選曲。これ・自画自賛ぢゃないのよ。バックの音はアコースティック・Gとピアノ・そして歌・そのパターンを延々続けながら、英語・ポルトガル語・フランス語・スペイン語・と上に乗る言葉がするする変わっていく。かなり・のものでした。かなり・のセンスエリートの仕業・ね。

 やっぱなんといっても一番汚らしいのがJPOPで、次がラップで・と続くわけで、軽薄なゴミみたいな空気が蔓延する場では本も読めんし、寛げもしない。そんな場の多いことよ。それに引き換え、DAYS COFFEEよ・あなたはエラかった。また行こう。毎週行こう。毎週寄る。
  
 長堀のDAYS COFFEEです。

 こんなのが、アグアズジマルソとラヴィアンローズ(どちらも歌い手知らずのアレンジ)の間にかかるわけさ。
 
posted by 浪速のCAETANO at 17:05| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月19日

貫通するSENTIMIENT

 こんな時代だから、気持ちは大切か・と思う。

 みんな、お金に追われ、追われてないと思う人たちだって、その角を先に曲がっているから追っ手が見えないだけで、実は追われている。

 そんな時代だから、気持ちは大切だ・と思う。

 商品をお金で買う。これはわかりやすい。後腐れがないからだ。この後腐れがない・というのもいいのか悪いのか。

 おれはカオルちゃんの最近の歌・かなり評価しているが、まじめに詩を読むならある点に関して立場が異なる。

 カッコーの歌 by カオリーニョ藤原・「カッコ・カッコ・カッコ・カコ・過去」ときて「過去を捨てましょ・・・」と来るのだが、それに対して、明け方の哲学者by マルタニカズ・によれば「記憶とか・思い出だとか・何の役に立たないってこともない」と盟友ながら両者は立場を異にする。

 おもしろいね・おもしろいでしょ。おもしろくない? おもしろいぢゃん。

 カッコーの歌の中に「昔の名前で出ているあなた・みんなはうんざりしてるのよ」というフレーズが有る。ここいらがカオルちゃんの21世紀的なところだとおれは思うのだが、まさに「気分」なのだが、チャラにしてリセット希望みたいなことだと思うが、そこはね、おれは少し違うと思ってる。たしかに「メーワク極まりない」そんな状況考えられますが。

 なるほど・現代を生きるには「カッコーの歌」のように「過去を捨て・前を向いて・一から出直し」がよかろうか・とは思う。まあカオルちゃんも「過去を捨てられない」からこそ「過去を捨てましょ」と歌うのだとおれは思うが、過去を捨てるカタルシスの陰で、何か大切なものも捨てることになるのでは・と、おれは思ってる。こういうこと、まじめ(なフリして)論じてること自体・ククク・なのだけど。

 なぜこんな話をするかと言いますと、今回のホスト・ライヴ、テーマが「SENTIMIENT」であるから。

 この「切なさ・のような感情」は「現在」「未来」とはどうも齟齬を持つ・と思うからなのだ。「未来へのSENTIMIENT」とは言語矛盾のようなものだ。なんだかかっこ良かったけどね。ちょっとメモしとこうとは思うが。

 SAUDADE(サウダーデ/サウダージ)という感情も「現在・未来」とはどうも相性悪い。おれはSENTIMIENTとSAUDADEはおとーちゃんが違っておかーちゃんがおんなじ・みたいな・そんな感じを両者に対して持っているが、それはその感情の対象は常に「過去」だからではないのだろうか。

 星野哲郎さんというなかなか偉大な作詞家が最近なくなったがその「昔の名前で出ています」という、あの歌の持つヘヴィな過去へのSENTIMIENTを見るときに、SENTIMIENTとは不可逆的に過ぎて行く時間の中で、人の心の中にはさまざまな「澱」のようなものが溜まってくる。「澱」はまだしかし燃えるのね。何かが凝縮しているからね。それをもう一度・エネルギーに変え、未来へ向けて何かを発することでそのSENTIMIENTは成仏する・そんな気がします。

 それには体内のパワーは残ってなくてもいいような気がしてる。その澱=SENTIMIENTがエナジー・ソースになってくれるからなのだ。元気な若者とSENTIMIENTなる感情がなんだかすれ違うのもだからわかる。

 先ほどの「言語矛盾」はここへ来て、なんだか使えそうな気がしたね。「過去から未来・へのSENTIMIENT」とは成り立つね。

 
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ここでもやはり対象は「PASSADO(過去)」であったりする。
posted by 浪速のCAETANO at 13:08| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月17日

失敗は成功のマザー・か

 こないだ中国人学生陳艶麗ちゃんから「せんせえ・戦争になりますか?」と訊かれた。

 なります・とも・なりません・とも言えなかった。ただ「おれはそんな気ないけどね」と言った。

 こわがりの人は(犬でも)よく吠える。

 そして、仮想敵を設定することは肝心なことに対する目を曇らせる。日本の状況はそれだけだと思う。では・肝心なこととは何か?

 勝ち組とそうでない人々の「差」が確定的になること。対米従属がさらに深化すること。

 現実に戦争を煽ると何人かの人は今「燃える」。その人々は何か知らないが「誇り」を傷つけられてるみたいなのだ。かつては後進国だった中国が「チョーシ乗ってる」ように見えるからだろう。国旗を焼かれたり「小日本」なんて文字もデモのプラカードに踊ってたりするしね。

 「それがどーかしたか?」など言うなら「怒られる」。怒られるが、その怒ってる人の目に「狂気」が垣間見える。だからこわい。

 話しても「平行線」である。だから疲れる。

 その狂気に支配されつつ有る人は「中国人」や「アメリカ人」さえも知らないのではないか。あるいは、幸福な出会いをしていないのではないか・と思う。

 正直に言うなら、おれもアメリカ人とは「幸福な出会い」はしていない。P&G時代はほんまにムカつくアメリカ人が多かった。ほぼ全員ムカつく奴らだった。「お前のボスはおれやから・おれやし・わかったか・わかったな」みたいなことを何度も言われた。その関係は「絶対的」なことを「日本人」のおれはナメていた。彼らにとっては下は上に「絶対服従」なのだ。どこが「アメリカ人はフランクやねん」と「通説のウソ」を実感した。

 しかし、まあ仕事を離れるとモータウンやビーチボーイズのCDやVTRを貸し借りしてたりしたのだけど。ほら・日本人て「公私混同」激しいぢゃん。だからムカつきは延々続く二日酔いのようになかなか取れなかった。

 今は政治家から女子中高生までアメリカに尻尾振ってるから普段でも「めったやたらなこと」は言えないが、ハリウッドとかの映画がそんなことに貢献しているのは明らかだ。あと今のクソみたいな「R&B」と呼ばれるおぞましい音楽。

 おれはみなさんが対中国・対アメリカとも「虚像」に憧れたり・怒ったりしてるんじゃないか・と思っている。中国人にもアメリカ人にも、いいヤツもあかんヤツもいる。しかし、今日本在住のやつらは基本いい人間というか適応している人々・多いのではないだろうか。じゃなかったなら帰ってるよね。

 もうひとつ、中国で騒いでる奴らもおれたちのこと知らんのじゃないだろうか?

 いわゆる反日教育世代が、「正しく」お勉強をして、いい成績をとれば「憎・日本」となるよね。反日教育だから。中国人も「文化大革命」をやっちゃった国民だから、根っこに「狂気」を抱えている。思想が現実を凌駕する・のは虐げられた人々にのみ効果がある。権力を持った側がそれやっちゃうと「悲劇」になる。ここらへんまだ人類の「ばか」なところだけど、進化の余地・ってことだけど、そうなるには人類が滅亡するかどうか・ぐらいのタイミングだろうね。

 要するに「お互いリアルに良く知らないもの同士」がそのお互いの「虚像」に向かって「きゃんきゃん」吠えているのが今・なんじゃないのかな。こういうときである。インターネットが「余計なメディウム」だって思えるのは。

 おれは、虚像が膨張して本当の喧嘩になったとしたら「馬鹿げている」にもほどがある・と思っている。

 民主党のひとたち・まずいよ。今・ある人々は蓮舫とか前原とかにそんな一見「毅然」と見せてるひとたちに「希望」をかけてると思うが、そりゃ・管くんのあの対外要人に対する「卑屈な態度」は誰だって「がっかり」だもんね。しかし、前原が首相とかなったらひどいことになるよ。小沢くんがいないことが本当に残念だ。そして現政権は辺境に対して「冷たすぎる」。辺境の中にはもちろん尖閣諸島・北方領土も含むが、そこまで辺境ではない場所だって、その視線は見て見ぬ振りである。かれらにとっては「東京」が「日本」なのだろう。メディアにとってはそうだから。メディア=政府だしね。ということは政府=アメリカの意図・ということになる。

 そこに関してはおれだって「愛国者」になる。しかし、愛国者になるポイントがかなり一般的ではない。よくある愛国は売国と相似形なことになぜ気づかんのだろう・自称愛国者の人々。アメリカの犬としていい思いしてる人は別だけど、あ・そうか、みなさんいい思いをしてるって自覚があるのかな。やっぱり今うまくやってる人々は「現状維持」したいのだな・と言われてもしょうがないだろう。

 わかんないのは、さほどいい思いをしてるとは思わない人々の中にもそんなひとたちがいることかな。それがよくわからない。ただ、今身内を傷つけたりしている人たちってそうなのかもしれない。そうさせられてること自体が「敵」に乗せられてるってことなんだが。

 「やさしい」ことが生きる上での否定的要素になったのはいつからだろう。いや・やさしいことが肯定的要素に一瞬だけなったことをおれは誤解していたのかもしれない。元々やさしさとは「幻想」だったのかもしれない。弱肉強食こそが、かつて〜今を通じて人を支配してきた考えなのかもね。高度経済成長の中、本質が見えなくなってただけなのか。だとすると、おれもかなりのアホだった。大失敗。

 失敗を自覚することから再出発って感じよね。
 

 達人ながらええ加減。
posted by 浪速のCAETANO at 18:44| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月16日

山田と田中

 寒かったねえ・昨日。いやぁ・まじで。

 午前中は普通だったが、午後から冷えてきたよね。

 上町台地の公園での自主弁のともはビールじゃなく、普段なら飲まない日本盛・ワンカップビッグだった。しかし、カロリーを入れてもなんかまだ寒い。手袋も、油断してして行かなかったから手も寒いじゃないか。で・九条商店街まで向かい、洋品店(いいよね響きが)にて手袋を購入。この際デザインは無関係であって、ポイントは防寒という一点のみ。

 なんで九条なのかというと、好きな喫茶店(純喫茶)があるからなのだが、店の人・客を通じて「おれが最若手」、しかもBGMは「王道のイージーリスニング」というディープではあるが何か懐かしい・そんな「サ店」があるのね。コーヒーもおいしい。

 そこで、普段なら読まない週刊ポストなんてのを最初読みつつ、その後また古代へと戻る。

 とりあえず本日働いたしもういいのだ。そして本日は大正の「酒屋でライヴ」へと向かう予定だった。

 「山田屋」という酒場・酒屋でシブそうだが、そこのおっちゃんが西成のこれまた渋すぎる「立ち飲みの奥でライヴ」という「難波屋」という店があり、そこに「インスパイア」されて始めたみたいだ。その難波屋はXOUちゃんやカオルちゃんがたまに出てて、そこのブッカーが今となってはあまりに懐かしい「名ライヴハウス・エッグプラント」のエンジニーアだった吉田くんで、その話をカオルちゃん経由で聞いていて、おれもそっち方面「興味」があり、そんなところでカエターノやゲンスブールやスコティッシュ・トラッドを歌えばどうなるのか、あるいはおれのあまりに人懐っこくないオリジナル曲を歌えばどうなるのか・といった「こわいものみたさ」な興味・関心というのがあって、前々から「いっぺんいくわ」と約束していたのだった。

 5時半になった。そろそろ行くか。銭湯にでも行くかな・とも思ったが、そこからかなり走らなきゃ行けないという「噂」もあったし、湯冷めがこわいな・ちょっと今でさえやや鼻ずるっときてるしな。で、直行することにした。九条から大正は目と鼻の先であるが、大正の駅は確かに「目と鼻の先」である。しかし、「大正」TOO DEEPでした。

 大阪ドームを右手に見て、大正橋を渡って大正駅から南下するのだがスタジオ「フリーピープル」前を通り越して、どこまでも続くこれって後で分かったのだけどR173なのね。篠山行くときのR173である。旧友再会のようなR173だった。そのR173がどこまでも続く。

 前に、泉尾工業の受験に付いて行ったことがあり、R173のある地点から右に曲がるとそこら辺に行ける。事前に軽くネットで調べたら
株式会社山田屋というのが泉尾2-18-4 とあり、きっとそこだな・目星をつけていた。

 で、たいがい南下したな・と思える頃、タバコ屋のおっちゃんにどの辺で曲がったらいいか・と訊くと、この辺や・というから、その辺で曲がる。そしてなんだか寒いので、こんなときは炭水化物だと思い、ローソンでおにぎり2個を一気食いし、さらにチャリをこぎ続けるわけだった。であーでもないこーでもないと探しているのだが2丁目の16、2丁目の20番地までは行くのだがどうも18番というのが出てこないのね。それでもおっちゃんやおばちゃんにつかの間のコミュニケィションを図りつつ、じわじわ18番地に迫って行くのだった。

 そしてついに18番発見!!!

 「山田屋」の文字も。やったー!!!!

 しかし・・、

 「かつおぶし・乾物・卸・山田屋」だと?

 太平洋ひとりぼっち・といった気分である。

 思い込み・の男はこんなときに「なす術」を失う。

 はー・どうするべ?

 とりあえず、まあカオルちゃんに訊くか・と思うが出るかなあ?・と思い電話するが出ない。リハかも知らんしなあ・やってる側の都合だし、そこはおれもよくわかる。

 最後の手段は髭の男だ。

 で髭の男へ電話すると、出た。

 「どうしました」

 「迷子やねん・だはは」

 やつは地図をプリントアウトしていた。

 「山田屋やんな?」

 「マルタニさん・田中屋ですよ」

 「どっひゃー」

 ありふれた名前はこれだから困る。

 南恩加島小の先の大正通を右折だって。

 予断というのはいかんですね。

 ライヴの方はと言いますと、ライヴ前に3時間飲んでたカオルちゃんはユルい感じ。町田さんはブルースベースのガッツ溢れるギタープレイに声。あとで訊くなら同い年だった。もう三年若かったら、あのギターのガッツはちょっと出ないもんな。また違うガッツになってる。納得だった。もうちょっと飲んで話したかったが、チャリ転倒という最悪の事態を避けるのも・明日のある身としては有り・なのね。

 しかし、それよりもなによりも、大正の誇る「美女軍団」の凄まじさと恐ろしさを目の当たりにしてやや躊躇いは隠せないおれではあったが。

 大正・なめたらいかんみたい。


 大正美女軍団のこゝろの襞の繊細なところも刺激してみたい。
posted by 浪速のCAETANO at 13:33| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

週末〜週明け

 カオルちゃんのNEW CDの帯文を書いて、どんな気持ちでカオリーニョを自分が聴いていたかということがわかった。

 そしてカオルちゃんは極めて「現代(21世紀)的」であることがわかる。

 本日から朝一時間早いので、のんびりしてはいられない。雨が降らなければいいが。卵焼きと焼豚を焼いて昨日の煮物とでちゃっちゃっと
お弁当を作る。上町台地は堺筋からちょっとのぼると弁当スポットが多々あり、「本日17℃・降水確率30%か」まあ大丈夫だろう・と思う。空は暗いが。広義の弁当スポットとは「屋根有り」の場合も含む。

 土曜日は、妹が姪っ子の留学のオリエンテーションに来ていて、久しぶりに話をした。コドモは初めはいつまでもチビだが、あるときから加速度ついて育って行くね。

 また土曜日は、歴代バカ生徒Numero1のシミちゃんの飲み友達という音楽ディレクターが出張ついでに寄ってくれた。人の輪が
吟味されながら少しずつ広がって行くのは悪くない。

 さて、新しい週だ。そろそろ期末テスト準備にかからないと。今回はスパっとまとまっていて嬉しい。そうこなくっちゃ。

 では長い一日・だが、なんとかしよう。ぺろにもごはんたっぷりあげて出かけよう。


 ニールがBack Cho.のロビー
。彼女が何をしたいのかは{?}
posted by 浪速のCAETANO at 09:44| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月12日

なし崩れの彼方に

 なんか「なし崩し」。なし崩しです。

 VTRが本来公開されるべきだった・ということと、政府が公開を禁止していたものを違法行為として流出した・ということは分けて考える・というか全く次元の違う話よね。

 結果オーライをこんなとこにまで適用するのはどーなのよ。

 考え方に軸がなく、熟慮もせず、行き当たりばったり。なんだかそういう感じね。大体みんなそんな感じなのがこの数十年続いているような気がする。

 例えば、羽田。

 では、あの成田闘争とは一体なんだったのだ? いや・まぢで。なんだったんだろう。

 公共の福祉・という個々の自由と当たる考え方で土地を奪っておきながら、やっぱ・元に戻す、みたいなこと。行き当たりばったり。
 
 いろんなところで「民主党」へのブーイングである。でもね、小沢くんがいて初めて政権交代可能な民主党だったのに、それ排除したら「シロート集団」だからね。ド素人・ね。

 どんどん沈んで行くね。アサハカなひとたちですね。今総選挙があったらどこが勝つんだろう。しかし、そのアサハカさは何もニッポンだけの話でもないようだ。

 オバマも中間選挙で大敗しちゃったでしょ。そのスウィングの幅はアメリカでも大きい。期待は過剰になり、失望も過剰になる・というのが21世紀の「傾向」だ。世界が行き詰まってることの証左だけど、もうこればっかりはAPEC開いてもG20開いても限界あると思う。

 マネーは国境越えて暴走してるし、それを抑制する法律もない。そんな枠組みさえ作られる見込みがない。それをやろうとすると極論「世界国家」みたいなものが想定されるが、経済のグローバル化がこんだけ先行したときに・つまり「欲」がこれだけ独走態勢に入っちゃってる後から「理」や「義」や「徳」が追いつけるような気がしない。すでに巨額マネーを手にしている人々は「逃げ切り」にかかるだろうし、ありとあらゆる手を使って抵抗するだろう。第一「世界国家」なんて現実に考えたらおぞましすぎる。なんだか「のっぺり」している・そんな印象を持つ。

 今は国家間の資本主義競争みたいな状態だけど、中国やロシアやインド・韓国がそんな国家資本主義の当事者な印象なんだけど、今の時点では「効果」ありなんだろう。ただそれもいつまで続くのか。いらんトーナメント力学はそこにも働くはずなのだ。となると流れは世界国家なんだろうか・やっぱし?

 悪夢のような話だが、これから世界人口は100億を目指す。もうすでにエネルギーだけではなく食糧や水の争奪戦が始まっている。2030年頃のことを想像してみると、なんだか空恐ろしい。昨日から今日・今日から明日、そんな変化は極小なはずだけど、最近は朝起きると「世界が変化してる」ことがあるでしょう。ほぼ2年前のリーマンショックなんてのがわかりやすかったけど、これも過剰に盛り上
がったことのツケだもんね。その頃・生きていたとして、おじいさん(おれ)はどんな生活をしているのだろう?

 なんとなくだが「希望的観測」ってのができない。市民に相対するスーパーパワーが何かをしてくるのではないか・そんな危惧を勝手に思ってる。これはあまりに怖すぎる話なのだが、彼らは、管くんがちらっと垣間見ただけで人間が変わってしまったような集団だろうと推測される。CIAの裏の裏・奥の奥あたりに存在するのだろうが、彼らが果たして100億の人口を許すだろうか。許さないとするならどう許さないのだろうか。

 みんながサヴァイヴするだけでもさまざまなリソースをシェアすることが必要で、いわゆる先進国は生活の質を落とさないといけない・そんな中、資本主義は容赦なくさらに高度に洗練され、それは支配の道具となり、ポストモダンの「本当の状況」が現れる。

 勘で言うなら、マルクスの言ったことは「これからの」社会に適用されるべきじゃないんだろうか。20世紀の初頭なんて、乱暴でがさつな資本主義は存在したが、それは打倒され、社会主義になるにはあまりに時期尚早な社会なのではなかったのかな・という「気が」している。まだその終着点が、賢いヤツには見えていたが、みんなの実感が伴わなかった・のでは。資本主義の「終わり」はまさに今でしょう。そんなときにこそ、何かヒントがそこにあるって気がしてる。

 でも今って20世紀の初頭に状況似てるよね。「戦前」ということなのだろう。


 本当の音楽を演奏するまったくステージ衣装をかまわないひとたち



posted by 浪速のCAETANO at 14:19| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月09日

ハイ・大きく息を吸って〜

 雲行きがなんか怪しい。

 昨日は、学校・バカチームが最後で、みんなとメール交換等のフェアウェル儀式で「ばいばい」。

 来週から一時間早くなって二時間早く終わる。

 「国同士はちょいとヤバくなっているが、自分は自分である種それは「国」の代表として、チミらと付き合ってきたのであって、おそらく、政府の意思と自分の思惑は異なると思うが、まあせっかく知り合ったのだからこれからも仲良く出来ることを・きぼう・します」と最後は昭和天皇に成り代わって言ったのだが、中国人留学生たちにはそこんとこ「受け」なかった。

 ただ、本意は伝わったと思う。

 おれたちは「底辺外交」をするしかない。

 最近、店に於いても、まだおれんちなんか「マシ」な人が来ているに違いないのだが、それでも、「打倒中国」の火がハートを焦がす・そんな人々増えてきてる。

 VTR流出には、CIAが絡んでいる・という意見がある。もちろんその背後にはアメリカの「軍産複合体」がある。彼らの意図はいつだって、「アメリカ本土以外」での戦争・だ。それを「日本にやらすかー」とも思うが、イラクからの撤退が決定している以上、そしてオバマが「核なき世界」構想を「言っちゃった」以上、核を使わず緊張感を高める小競り合いを演出し、あわよくば「戦争」まで、とそんな「企画」はありだろう。

 この数年前からのジワジワ来てた「右傾化」、そして最近のもう完全な「右向け右」、この状況がメディアを通して行われたことを考えると、さらに言うなら、東アジアとの連帯を志向していた小沢くん・鳩山くんを排除したこと、メディアとは「アメリカの指示」なのであることを考えれば、そう簡単には否定できないです。

 こないだまでは北朝鮮・そして今は中国。そんな時間のスパンで見てみるなら、アメリカは日本の「戦争の可能性」を少しずつ、最近はやや大胆に検証していた・そんな気もする。それまで強固な思想的バックボーンがあるようには思えなかった小泉純一郎が首相になったとたん「極右」に転向し、靖国に参拝したり、どうも腑に落ちないこともあったけれど、それが首相の条件ということならば頷ける。

 経済的関係を最優先させること・政治がうまくいっていなかったとしても、経済での持ちつ持たれつが出来るうちはいいのだけれど、それは日本と中国の関係においてなのだけど、それを横目で見ているアメリカの国内事情はかなり悪い。そしてどんどん内向きになって行くアメリカがいて、しかしかつてのモンロー主義と異なると思えることは、「ティーパーティー」なんかの態度を見ていて思うことは、金儲けに関しての対象は全世界にあるが、本当の関心は国内にしかないというような、「人類は我々だけ」という傲慢さにある気がする。

 おれたちが勘違いしちゃいけないことは「アメリカに於ける大統領の実質的な序列」だ。決定権は50位ぐらい。悲しいね。アメリカの闇である。ケネディのことを想起するとそれはわかるよね。大統領とは表の顔・に過ぎなかったりする。こわいですねこわいですね。

 おれたちの主義や思想までもが「その49人」に操られていることを考えるのは恐ろしいが、日本メディアがアメリカに支配されていることは、回り回ればそれによっておれの「愛情関係」も二つや三つ損なわれた・ということである。なにすんねん・である。なにしてくれた・だよ。まあ彼らにとってはおれたちは、おれたちから見た公園を這い回っている虫と相似だから、そんなやつらの人権などどうでもよく、ひたすら彼らに「奉仕せよ」としか思っちゃいないわけで、そんなことを叩き込まれた日本の政治家がいざというときに「腰引ける」のはそれがかなり恐ろしい集団であることを暗示させる。ノーチョイスなんだろうなということは想像できる・現場ではね。

 「金縛り」である。

 落ち目の日本の民族意識を刺激して、一気に中国への嫌悪感を煽り、小競り合いから戦争へと導き、そのあと「まあまあ」と笑顔で登場し、場を収めるついでに日本を更なる「永遠の隷属状態」にしてしまう。そんなことか・と思う。

 VTRの件で言うならYOU TUBEってgoogleだったもんね。CIAかな・やっぱし。日本の誰かがスケープ・ゴートにされるとしても。

 もうだから、絶対、日本は「自分から手を出しちゃいけない」。それは倫理的正義を「また」失う・ということである。それは80年前(満州事変)と同様のことをまたしてしまうことであり、そう考えると、「戦争を知らない世代」がほとんどになり、その戦争体験の悲惨さを語る語り部がいなくなるタイミングがこれから、というホントによく考えられたシナリオなのだが、それは「最悪」のシナリオでもある。青山というおっさん・こいつの言うことだけは絶対聴いてはいけない。国が破滅する。しかし、意外とシンパ・多いんだなあこれが。そして「負のキーマン」は前原であることは言うまでもない。

 しばらく前に若手の文学者か文芸評論家が「戦争・希望」と言い、それはセンセーショナルだったのだが、その気分は今40代ぐらいまでの世代に蔓延している。

 先が見えないことに対する、何か暴力的衝動による解決を望んでる・そんな気分よね・解決しないんだけどね、それじゃ。かなり狂ってきました・日本人。かつての「戦前」もこんな「狂気」に支配されていたのだろうな。でもまだおれは「魔が差してる」だけ・という希望を持ってる。みんな深呼吸していただきたい。絶対こちらから手を出しちゃいけない。アメリカに乗せられちゃいけない。21世紀にそれやっちゃ・おれたちは「永遠にバカ」のままだったりする。


 
 メンドシーノ。TEXMEX。
posted by 浪速のCAETANO at 14:11| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月08日

リユニオン

 中津〜石橋往復というのは30年ぶりのことで、その頃は大学のBOXと呼ばれるスタジオというか部室というか、そこへBLUES/R&Bバンドのリハへと通っていた。当時は千林大宮の彼女のアパートに転がり込んで、おれは4回生時は東京行ってたりして、学校に出てなかったから、その頃・5回生時には、2回生のときに落とした「英語とドイツ語」を下級生に混じって石橋キャンパスに受けに行くのと、卒論を書くために吹田キャンパスに青木保先生に会いに行くのと、バイトするのと、彼女と自分のために如何に安く晩飯作るのと、ギターを弾くこと、そして、BLUES/R&Bパンドはやってはいたが、当時ロンドン・ニューヨークから発信されるパンク/ニューウェイヴそしてそのムーヴメントとも絡みつつ、じわじわジワジワ熱いレゲエを聴いていた。

 パンク/ニューウェイヴというが、おれは76年に大学生になったから大学入ったとたん、77年にピストルズが出現したわけで、これ以上のリアルタイムはなく、一つ一つのバンドがリリースするアルバムをそれこそリアルタイムで吟味しながら自分のコレクションに加えていったわけ。歳が5つ違っても、例えばうちの弟なんかそうだが、「できあがった未知の音楽」を検索するとかいうことではなく、いわゆるオールド・ウェイヴを身につけた後、ニューウェイヴを聴いたわけなので、パンクへの「幻想」はまったくない。そこが下の世代とは違う。下の世代は「幻想」だらけ。そこんとこ「苦々しく」思ってるのだが、しかし、それ以降エキサイティングなシーンがそんなになかったことを考えれば気の毒な気がせんこともないが。

 まあ、しかし、そのようにしてロンドンとあるいはマンチェスターとニューヨークからチェックしたアルバムを聴いていたのだ。
 清志郎の場合はベイエリアとリヴァプールからトランジスタラジオのアンテナがチェックした「ナンバー」を聴いていらっしゃったが、そこも世代間でやや異なる。おれらはアルバム全体を聴く癖があったかな。

 おもしろいね。

 千林からどこかでパクったチャリでギター担いで、なんと今の家の前を通って、「いこい」前にチャリを置き、宝塚線の鈍行に乗って行ってやってまた鈍行で中津まで戻り、チャリで千林まで戻る。当然彼女は寝ている。そのシングルベッドに無理矢理潜り込んで・・、という生活だった。その年の12月にジョン・レノンが殺されたりした。

 カオルちゃんの「カタカナだらけのラヴ・ソング」だったっけかな・当時の雰囲気がよく出てる・と思う。油断してるとおれもふっと「サウダージ」を感じる。遠い目をしてるのだろう・そんなときは。

 まあ、そんなことで、石橋へと昨夜は行き、5年に一度ぐらいの割合で行く「ほろ酔い」で時間を過ごしてた。キングちゃんたちのライヴが朝日楼という店であったからなのだけど。そのハート・ビーツは、以前はラフレシアン・コムプレックスにも出てもらってたいわゆる「阪大軽音」の流れを汲むBLUES BANDで、ギタリストのお二人は「先輩」だったりする。ものすごーくユルい「連帯」の枠の中にある・とおれは勝手に思ってるけど。

 いろんな人がいた。大先輩からも声をかけられた。三原さんと言って、一度セッションしたことがあったが、おとなとコドモ・ほどのわかりやすく言えばカオルちゃんぐらい上手いギタリストの方でキャッツ・ミュージック・スクールの生みの親である。一度キャッツに特別講師として「インディーズでのレコードの作り方」の講義を頼まれてやったことがあったが、そのときにお会いしたかもしれない。それでも何十年ぶりかだった。

 その頃の軽音・理系が多くて、IT関連の仕事をやってるひとびとも多く、マイクロソフトの社長の樋口とか、当時「ラブ・アタック」ながらいまものすごいやつもいて、スポンサー探し行脚の旅に出ようか・と思うほどである。意外と上手く行くのではないか・という気もする。

 ひとは今なんらかの「リユニオン」を求めているなあ・と感じる。かつて属していた共同体がかつてのうっとうしさのおとしまえつけるほどに今存在感を増しているというのは、人が放っとけばどんどん切り離され「個」化されていることの裏返しだ。

 そして何かを信じてやり続けたあげくのこのザマ・とは社会においてクラスの上下はさほど関係なく、あの時代の混沌がやはり懐かしく感じて当然だよな・と思う。そんなまでして得たものの精神性の低さ・みたいな・うまく言えてるとは思えないが、出発点の精神性が高かっただけになにかしら「残念」な気がしているのではなかろうか。

 そんなことを思うに「まだ終われない」そんな気になる。


 失われてしまったVo.STYLE。あまりにも惜しい。

 

posted by 浪速のCAETANO at 10:06| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月07日

荒井注はもういない

 おれにとっての数学の難問をうーんうーん・と唸りながら解きながら NHKのアーカイヴを見ていた。

 数3でなくとも理系の入試問題は、まあ難しい。しかし、すらすら・ではなく、うーんうーんと解くことが、「よく教える」ためには必要だと思える。だから、うーんうーんと解いている。

 うーんうーんと解きながら「ん?」と思ったのが、NHKのアーカイヴだった。見始めたときは「アポロ」の初の月面着陸・だった。1969年、紅顔の美少年の頃である。こういうの・って「言うたもん勝ち」だから。

 かなり鮮明にいろんなことは覚えているつもりだったが、いろんなことを実は忘れていて、それでも額の広い同時通訳のおじさんの、アームストロング船長が月面着陸の際に発した言葉の翻訳「けむりが立っとる」というのは、印象的だった。今回確認して、事実は「ホコリが立っとる」だったが。

 それとは別に、当時の日本人は、アナウンサーといい、海外特派員といい、ゲストの皆さんといい、品格に溢れ、外国人の中に入っても、気後れせず、実に堂々としている。そこには「自然な形の国への誇り」や使命感が垣間見え、そしてほんとにその仕事への自信と矜持が窺える。

 一体何が「今」と違うのだろうか・と考える。ひとつにはみなさん「チャラく」ない。冷静にオノレの仕事を、「誰に見てもらいたい」というわけでもなく、淡々とこなしている。過剰な自意識を感じない。すごく自然なのだ。

 後で変な本を書くことになる鈴木健二アナの「・・・・・・・・でございますねえ」という喋り方さえも、「好感」を持ってしまうぢゃないの。そのような喋り方の根拠になるような何かをおれたちはもう失ってしまった・ってことをそれは意味するのだけど、結構取り返しつかんことやったりする・そんな気がします。これ懐古趣味じゃなくてさ。視聴者とのもたれ合い・なれ合いの度合いが低いよね・だいぶ。今は画面の向こう側とこっちでおたがいのケツなめ合ってるようなキモさってあるやん。

 TVが健康だった時代。格差もあったのかもしれないが、現在のようなやるせないものじゃなかった。流動性に溢れてたと思う。


 69の出来事。なんだばかやろう。
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 17:27| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

隠しても隠しても・・

 隠して隠して、もう「ちょっとだけよ〜」なVTRがどばー・とアップロード。

 だはは。隠せないのよね・もう。隠せない。隠せないが隠せる気はするんやもんね。過去の感覚では隠せるはず。なのにやっぱり隠せない。このズレはよく考えないとあかんような気がしてる。

 誰が?・ってことで言えば、海自の人・検察の人・中国の人・野党の人・小沢くん一派!!まで邪推の嵐だけど、出ちゃったもんはもうしょうがないね。

 今の民主党への不満を持つ人・そして、いくらかの対中国に・そして対中国への民主党の態度に憤ってる人の仕業だとおもうけど、しかし、この件は政府の自業自得かな。今の民主党政府は史上最低だと思う。

 ただ、それを自民党の方がマシやった・と言う人多いが、それはどうなのか?

 もう自民党も晩年はがたがただったのだ。ただ、官僚の保身と自民党の保身の思惑がぴったりで、ボロが出なかっただけ。今は官僚と政治が妙なぎくしゃくなのね。表面に出てくることはだから余計「ひどく」見える。

 オバマでさえ、中間選挙大敗北だったりする。社会の疲弊が限りなくイッちゃってるのをもう政治の力では術がないのかもしらんね。

 今回のVTRの件でもわかるように、現実の方が政治なんかを追い越してもう独走態勢に入ってるということではないか。現実とは「含・経済」であって、その中には経済政策や社会保障のコンテンツも当然含まれて、それらもろもろにすべて政治の対応が遅れてる・ということである。その遅れは突然遅れたのではなく、自民党時代から(小泉前から)遅れていたものが、小泉の時代に「やっちゃあかんこと」をやっちゃって、ただ、日本人はアホやったから、あんなおっさんに「熱狂」してしまって「自分目つぶし」していただけなのね。

 そのツケが、政治手法が未熟なのに、それなりに理想に燃えてた民主党の元で何もかもが顕在化しちゃった・ということ。巡り合わせって残酷ね・なかなか。

 まあ民主党のことを「ものすごく憎んでいる考えの足らん人」かなり多いと思うが、これはですねえ、そうすることによって、「まだ」更に悪くなることもあり得る。おそらく、そんな方々は府知事なんかを支持してらっしゃる方もいるのだと思うが、そこは「シロート度」更に倍・でもある。それが「新鮮」なのかも知れないが、それは「小泉くん」が薬になってない・と思う。およそ、日本の政治に「熱狂」とはあまりにそぐわない。

 おれたちがコドモだった頃・つまり日本が「隠れ社会主義」だった頃・がもっとも日本の良き時代だったことを思い出すべきだ。

 今・ほんとに「中国・カスがー」と言うべきじゃない。穏健派・温家宝が「人民日報」で名指しで批判されているのだ。前原のようなちんぴらの態度に同調しちゃいけない。関係を修復するのにさらなるコストをかけるようなことになっちゃいけない。

 お隣さんなのだ。これから少なくとも2億年ほど。そして、過去において中国は倭と日本に「過ち」を犯したことは「一度も」まだないのだ。今回のことなんて「倭冦」より罪浅いよね。さらに、罪を犯したのはこちら側なのであって、それはいかに「欧米の侵略から救ってあげた」なんて詭弁を弄したところで空しいだけの「事実」だ。よそんち行って暴れたってのがやっぱマズいよね。中国は秦から中華人民共和国に至るまでそんなことは日本にはしていない。半島ではあったよ・まあかなりの頻度で。

 そうは言っても、もうちょっとしばらくは「冷戦」が続くだろうか。でもね、国内の停滞・失政の目を逸らすための隣国への憎悪・とは、「なんでそんなことするわけ?」とおれたちも思っていたつい最近の「ユーゴの内戦」みたいなことかもしらんなあ・もしそうならかなり知恵不足であることよのう・と思うのね。

 大元は「アメリカに盲従」と「アメリカを盲信」してること。岡田とか前原とか嬉しそうだったもんね・ヒラリーと会談すんのが。田舎もんというだけかもね。

 しかし、本質を隠そう隠そうとして、ボロが出てにっちもさっちもいかんような面目丸つぶれ・ってパターン・多すぎる。もうこれで小沢くんがどーのって言ってる場合じゃなかろう。まさか「小沢派の仕業」なんてことになったりして。

 法治国家であるなら原則論として法律に従って物事処理する。それが良かったのになんか最初から政府のひとびと・というか仙谷くん・そこをないがしろにしていたと思う。弁護士なのにな。弁護士だからか。なるほど。

 冷静に




 
posted by 浪速のCAETANO at 14:03| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月04日

文化の日だって

 文化の日(笑っちゃうが)。

 トドムンドではカオリーニョ藤原ライヴ。

 相変わらず「快調」なカオルちゃんだった。快調すぎて、となりのおっさんの苦情が出たほど。

 いや・これは皮肉でもなんでもないの。カオルちゃんのピッキングがかなりパーカッシヴだ・ってことの裏返しで、カオルちゃんのギターを聴いていると、ジャンジャカジャンジャカギター弾いてるヤツが「さる」に見えてくるほど、それこそ「文化」の優劣が顕在化するほどである。別の楽器みたいです。

 みなさん・満足されて帰ったみたいでよかった。札が舞い・銭が飛ぶ、そんな投げ銭ライヴでありました。

 ミックスされたてのホットなソロアルバムも試聴したが、少し残念だったのは、セルフ・プロテュースの「限界」みたいなものが垣間見えたことかな。一部でもおれにプロデュースさせてくれてたらな・と思った。

 どんなにすばらしいミュージシャンでも(というのは楽器がうまく弾ける・歌がうまく歌える・そんなことはあたりまえのことで、さらにアレンジも出来、他の楽器も弾くことが出来・というレヴェルでさえも)、録音はやってるうちに、どんどん「狂気」に支配されて行く。だから、おれが言ってるのは、立場の問題であり、視点の問題なのだが、セルフ・プロデュースはそこがなかなか難しい。いや・ほんとに。

 最初はクールに始まるのよ。それがある日を境に自分の作った音に自分のアタマが支配されだす。熱がクールネスを飲み込んでしまう・そんな臨界点が必ずある。そもそも創造とは「ゼロ」からの積み上げだから、そこにはプラスが「常に正解」という暗黙の了解がある。引き算・って勇気がいるのね。無限の足し算の誘惑。

 だから、「おいおい・あのね」という視点が必要なんだね。

 まあ・カオルちゃんもこれ「実験」だからね。実のある実験だったと思います。このカオルちゃんのソロはライナー・ノーツを書かせていただきたい。ていうか、勝手に書いて、持って行こう。そして挿入しよう。ないもんね、ライナーの入ったアルバムなんて、最近。

 12/20の日に、いわゆる「レコ発」やるみたいです@RAINDOGS。おれも呼ばれてるので末席を汚したいと思ってます。


 アグアズ ジ マルソ。師匠と弟子の絆・を感じる。

 
 
posted by 浪速のCAETANO at 13:27| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月02日

心のゲームからしか・・

 おー・11月になってしまう/しまった。

 昨日は学校だったが、バカ留学生チームも団体の方は来週で終了である。シンくんfromSOUTHKOREAは関大パス。ケイくんfromCHINAは摂南フェイル。どうも留学生のパス基準がわからない。日本語が出来る出来ないなのではないか・と斜視になっている。

 何を重視するか・そのプライオリティは軸がほとんどすべての場でブレすぎてわからなくなっている。

 対中国・対ロシアの外交姿勢こそが今問われるべきなのに、いまだに小沢くんのことでがたがた騒ぐひとびと。

 北海道の補選の敗北の原因がいまだに「政治と金」とか言ってるひとびと。

 今は、「メディア・が政府」なんだね。

 小泉くんから始まった「こんな様子」は、しかし、当時とはがらりと環境が変わってしまった。中国は「大中国」となり、小泉くんを批判する勢力が当時はあったが、今はその批判する勢力が主流となってしまって、それを批判する勢力が今はない。そしてその間にメディアはオノレの立ち位置を「学んで」しまった。そっち側に立って、ビンボー人を搾取する・だ。

 「うそを流し続けること」がオオカミ少年にならず、ナチスの広報の成功のようになるには、「ほんまかー?」という疑う態度が摩耗してるってことだと思うけど、仕事と借金に皆さん追われてるようなこんな状況では、それもまあしょうがなく思えてくる。批判精神というのは「堕ちた犬叩き」にそのエネルギーを変換されてるし、みんなある種のどろっとした暗い熱狂に浮かれてるようにも見える。

 北朝鮮や中国の暴発をいうより、そのマグマは日本人の心の中にこそあるんじゃないか・と思う。戦争したくてしたくてたまらない前原くんとか・今すぐクビにするべきだと思うがどうだろう。彼の中にある「熟慮のなさ」とは、今の追われている日本人にある意味共通の「もやもや感」だと思うが、そこは理性的になっていただきたい。

 北方四島だって、アメリカが「敢えて」解決しなかった。この問題があることで日本とロシアは永遠に友好的にはなれないことを目論んで。釣魚島のことにもアメリカは軍隊は決して出さないだろう。だからといって日本も憲法改正・核武装、って話が力を持つみたいだけど、それもしょうがないが、そんな危なくも短絡的ではいかんわけ。

 もうギャグになってるけど「てめえ・そんなことばっかり言ってると「話し合うぞ!!!」」これしかない。

 中世へとリターンしていくかのようなこの状況の中で、それが唯一の人間の勝ち取った知恵だから、「話し合うぞ!!!」でいいのだ。

 日本という国はガラパゴス以上に「生物学的にガラパゴス」だって知ってた?

 延々他の地域・大陸と交通のなかったガラパゴスと違って、日本列島は大陸とくっついたり離れたりして、その間に続々といろんな生物(動植物)がやってきて棲み付き、最終的に(今んとこ)分離して何万年・という現実がそうさせたのだけど、要するに「特異」であるってことをもう自分らで認めて、公言するべきだと思う。

 おれたち何か「変」やねん・と。だから世界のスタンダードはわしらにはあてはまりませんので、そこんとこ・よろしくぅ。と宣言してしまう。

 現実がすべて・という言説に取り囲まれて身動きできない気がするけど、現実をズラし、現実に対する逆転満塁ホームランはいつだって「空想的言説」の中からしか生まれ得ない。

 我々日本人は、核どころか武器さえもない世界を「空想」してます。全員で「空想」してます。モスリムのひとびとがメッカに向けて礼拝するぐらいの頻度で「空想」してます・と。

 思えば平安や江戸の時代、ガラパゴスだったのよね・日本って。リアル・ガラパゴス。おれはもひとつ評価低いがこの際、クール・ジャパンなんてソフト・パワーも最大限利用して。そもそも「かわいい」と「武装化」ってどうも馴染まないもん。

 第二次大戦のフィルムを見れば見るほど、戦争は「あまりに怖く」「あまりに残酷」だと思うしね。前原、アホなアタマでよー考えろ。


 「心のゲーム」がすべての始まり。
 


 
posted by 浪速のCAETANO at 13:14| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする