2011年01月31日

なんかちょっと冗談ぢゃないよ

 イスラエルが既にエジプト大使を召還しているということは、アメリカもまたエジプト・ムバラク政権が瓦解する・と見ているのだろう。

 しかし、アルジャジーラ・が「メディア」であるよね。やるわ。

 中国国家主席がいみじくも言ったね・こないだ。「ドル建て」ってどーよ・って。日本じゃ政府は以前よりもっと奥までアメリカのケツ舐めようとしてますが、世界の空気はもっと進んじゃったんじゃないかな。空気・で「はぁ?」なら「現実」が。

 要は「ヘゲモニー」がアメリカの手からこぼれ落ちつつある・ということだと思う。オノレの国の国民の面倒もちゃんと見れないような国は堕ちていくでしょう。アメリカは今や「貧困国」であったりもする。有名な企業やお金持ちやハリウッド・スターがいたとしてもね。

 だから、構図としてはエジプトとさほど変わらんぢゃないの・でいいんだと思う。

 盛り上がった後は盛り下がる・これ常識だろうね。さらにチョーシ乗ってて傲慢とくれば、さらなる「さもありなむ」でしょう。

 今は日本を安く買う・ここに絞ってるはず。

 こんなにアホみたいに「尽くす」国ないからさ。S&P社の国債ランキング一つ下げも「恣意的」だと思う。スペインより低い・なんてあり得ないです。

 危機感煽ってー、消費税引き上げさせてー、ビンボー人をもっとビンボーにさせてー、辺野古に基地作らせてー、グアムへの移転もカネ出させてー、おおっとその前に、小沢・鳩山失脚させてー、ほとんど思惑通り進んでる。

 次は、統一地方選を「管」のまま戦わせてー、ぼろ負けさせてー、総辞職させてー、総選挙はさせないでー、前原にタッチ。こんな予定だとおもうけど。

 小沢くん、タイムリミット寸前でやはり強制起訴だったけれど、これが「陰謀」であることは一体「何人の人が」気づいてて、一体その中の「何人の人が」憤っているのだろう?

 自分も法律なんて軽んじる傾向を持つ人間だが、その法律を知らない事でひどい目に遭った。村木さんが「リングの上にアマチュアとプロのボクサーが上がっているような」という喩えをおっしゃっていたが、その「プロ」が二度本気で調べたのに証拠が十分でないものをにわか検察官と成った弁護士がどうこうできるとは思えない。

 二度の検察審査会のメンバーが「同一」という話がある。もしそうなら完全に反則。そして確かに「法律」に照らせば「小沢くん」は二度・起訴相当となった。しかし、陸山会の疑惑は二度目の検察審査会で初出である。一度目にそんなことは対象に上がっていない。一体そんなことを何人の人が知っているのだろう?

 そして、小沢くんは、無罪であった際に村木さんのように「名誉回復」がなされる事が果たしてあるのだろうか? 政治家って例えばムネオちゃんは収監されちゃった以上、「復帰」はほぼ絶望的だ。

 このままいくなら、管くんの支持率はじり貧となり、前原に首相は代わり、国民の資産はどんどん流出し、おれたちはさらにビンボーになり、希望をなくし、近いものを憎み、傷つけ合い・・・・・なんかサイテーやでそれ。

 なんだか「正当に暴れる」ことがあまりに憚られる社会ってどーなの?って思う時がある。

 暴れる。

  
posted by 浪速のCAETANO at 22:17| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

あちらの熱さ・こちらの乾燥

 すべてのことを「アメリカの陰謀」がらみで見てしまいがちだが、チュニジアから飛び火した「穏健なアラブ」の反政府デモはコアになったメディウムがフェイスブックというのもあって、注目している。まだそこには「アメリカの陰謀」の臭いは嗅ぎ取れない。

 その後だよね・「アメリカの陰謀」の面目躍如は。

 どんな傀儡を据えるか。

 こんなことを考えるのは健全ではないが、ものすごく健全でない国に生きてるとどうしてもそうなっちゃう。

 でも、どんどんアメリカ離れが進んでいる。そんな気がしている。エジプトから例えばサウジアラビアへの更なる飛び火があるのだろうか? それが気になる。サウジもエジプト同様「親米」だ。あの地域は明らかに「アメリカ嫌い」=「イスラエル嫌い」と「親米」=「イスラエルにもまあ寛容」という国(あくまで政府レヴェル)が隣り合わせのモザイクの・という並びであるから、緊張感ありすぎなのだけど、しかし、よくよく考えてみるならサウジアラビアには「メッカ」がある。キリスト教でいうならエルサレム。真言宗で言うなら高野山。そんな国に米軍基地があるのが「なんやねん・それ」と思うのは別に原理主義者の意見でもなかろうと思う。「普通の」イスラム教徒ならそう思って「当然」じゃない?

 石油の利権で王族だけがいわゆる「アラブの大富豪」とピンク・レディも歌っていたが、おれたちもアホだから、それ以外の民衆の事は忘れがちだ。

 エジプトの今後も注視すべきだが、サウジアラビアも気になる。となると、その混乱時のイスラエルの行動も気になる。混乱に乗じて無茶をするからだ。

 飛ぶが、あれだってね。ユダヤ人の中には世界中に散らばらず、「イスラム」に改宗して
その地に棲み続けた人々もいるらしいですね。そしてその人々に対してもイスラエルは銃口を向けている・というやりきれない話もある。それは「ユダヤ人」ではない・ということなのだろう。日本に強制連行された朝鮮の人々に「お前韓国人ちゃうやんけ」と韓国政府が言っているようなものだ。その人々のご苦労はそんなときかる〜く「棚上げ」されるわれよね。もちろん韓国政府がそう言っているというわけではなく、モノの喩えね。

 エジプトの傀儡・なんてことを考えていたら、おおっと、この国がすでに傀儡ぢゃん・と思った。管民主党。

 大きな「アメリカの意図」の下で生きざるを得ない・って考え出すと意外に長く無力感に囚われる。

 消防車の音だ。火事多いね。空気も人のこゝろも「カラカラ」だ。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:29| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月26日

日韓戦

 後半は「むーん」だったけれど、前半はなかなかすばらしかったですね。

 特に一点目。本田の「タメ」に走り込んだ長友、かっこよかった。

 初めて「サポートすべきチーム」になった・という感有り。

 川嶋くんもようPK2本止めた。「YES!!!高須クリニック」って言っちゃったよ・思わず。

 どっちが勝っても良かったね。しかし、韓国はハートが強靭ね。いいライヴァル関係をやっと築けそうな気がする。半島と列島は歴史的に見て「家族」みたいなものなので、「親戚」みたいな・の方が正しいかな? 要は、まあ時にはいがみあったり、意識しすぎたり、みたいなことはあるが、もっと大きな相手に対しては思わず団結する・みたいな・ね。

 もっとも、国の出来方はかなり違うのだが、さほど強いハートを持たない日本人は、そこんとこそんなに「恥じる事」もない。それは日本人の「やっぱり美点」なのであって、それは半島と列島というロケーションに基づくものだから、スポーツに関するメンタリティだけでどちらがどう・なんてのはあまり意味がないと思ってる。

 そんな国民性の差みたいなものがサッカーにも現れていて、それがそれぞれの個性みたいなとこまで昇華し・・・ということが初めて見え、そして対等の戦いが出来た・ってのが「収穫」でしょう。

 東アジアが将来、何らかの形でまとまる・なんてことがあった時に、その個性の違いは「功を奏す」だろう・と思った。

 PK戦ではあったけど、なんとなく清々しい戦後の感覚。ディフェンシヴで退屈なあげくのPK戦狙いではなかったからだろう・と思う。
 
 そんな感覚も、これまた・初めて。

 
 luiz gonsagaの。フォネイロの音色。marisaによる。内容は「突然娘たちのお○んこ疼き出す」というまあ第二次性徴に関してです。

 
 
posted by 浪速のCAETANO at 16:26| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月25日

なかった

 強制起訴はなかったですね。あと4日しかないけどね。まさか国会開催日にはね・まさかね。
posted by 浪速のCAETANO at 21:34| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何かあるかもしらん日

 政治とか、ほんとは特別近づきたくないモノなのに、ここ数年あんまりひどいものだから、BOO・してたら、普通に気になるものに成り果ててしまってる。そんなヒマ・ないのに・だ。不愉快だ。

 小沢くんの強制起訴が「本日」か・という「噂」がある。

 おれたちが、というか・おれがですけど、小沢くんにシムパシーがあるのは、何も「街の政治好き」のヨタ話のネタとしてではないです。
 ヨタ話のネタという点なら、反小沢のひとたちの方がネタにしていると思う。「ここ貶しとけば大丈夫」ということね。

 ただ、よくよく考えてみると自分の小沢シムパシーは「青臭い」。政府・マスメディアを挙げてのあのような「集団リンチ」って21世紀の日本であっていいはずがないぢゃん・ということだけである。民主主義が実はさほど根付いていない日本という国・という見限り方もできるけれど、日本のそれは「質的」にはダメだけど「量的」にまあ北朝鮮的ではない・という程度のものなんてことはわかっちゃいるけど、それでも、それだからこそ、その大した事ない深化を後退させるのはどーなのよ・果たして。今ではもはや「三権分立」も危ないからさ。そんなことだけである。

 しかし、責めてる側のゴールが小沢くんの強制起訴であるとするなら、それやっちゃうと管オナとくんたちは「手」がなくなる。もうできるだけ「引っ張る」しかないはずなんだけどね。しかし、あまりに「無策」なひとたちだ。「現場」行ってみたなら、そんなにビビる対象だったわけだね、アメリカという国は。でも言う事聴かなかったら、一体「何を」されるのだろう?

 言う事聴いてても国が沈没するのなら、一度「言う事聴かん」という実験もしてみたらいいのに・とはバカの発想である。バカ=おれだけど。

 さて本日は日韓戦だ。日本チームも明らかに逞しくなって、きっとW杯の時より強くなっている。だからといって韓国に勝てるとは限らないが、いいゲームになるのは間違いなかろう。アジア杯は実力伯仲でおもしろい。高校野球が、高校ラグビーがおもしろいのと相似だ。

 中盤のせめぎあいが最もスリリングだが、それが見れそうで嬉しい。決定力がなけりゃ「公開オナニー」みたいなサッカーになるが、今ではそんな心配もないと思う。だから中盤をどちらが支配するかで勝負が決まるような気がする。そんなラグビーのようなサッカーは見応えがある。陣取り合戦が勝敗に繋がるような・ね。ザッケローニは「伊vs独」の対決に例えている。あんまりそれが失笑をもたらさないんだよね。楽しみだ。


達人たちの脱力がいいのね
 
 
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:21| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月24日

満足できたかな?

 中津にトドムンドが来て以来、3度目となりますワイン会。

 今回はしんちゃんのチーズ隊も参加してかなりの充実・だったような気が。

 ワインはブリュットに始まり、白はブルゴーニュのシャルドネ、今回はゾーヴィニオン・ブランはなしで、その後赤に移り、カベルネ〜カリメネール〜テンプラニーリョ。

 FOODはなんか色々あったなあ。白用の食べ物作り過ぎやったね・店長。泡〜白で10品目ほどあって、それにチーズがたたみかけるわけで、なんだか「饗宴」ぽかった。で赤になるわけだけど、もう飲めません・な方々もいたけれど、それでも少しずつね・ってことで、しかしまたチーズは赤に合うわけで、結局「赤」はどーも・なんて言ってた人々も、「おいし〜いっ」てなってたよね。

 まあ定番のカスレ・五香粉まぶしの焼きトン・焼き鳥・ブフキャロットとまたまたフードも怒濤・なわけで、いや「饗宴」でした・正に。

 またやりましょう。ワカモノ女子が「これ・来ないとわかんないですね」と言っていたけれど、そうでしょう。まあ・やりすぎですが。採算度外視・だもんね。

 しかし、おれも楽しかったです。サーヴィスするのって悪くないね。まあこちらも「飲みながら」ですが。そんなユルさは許してね。

 
 SAMBA MAMBO・ってそんな乱暴な

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:06| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月22日

いろいろわかった。

 ものすごくシンプルな事なのだ・と思うが、現権力によって無理矢理強制起訴されそうな小沢くんだから、そうなったらそうなった方が「勝ち目」が出てくる・勝ち目・の可能性が出てくる、とも言えるわけである。

 詭弁に聞こえたらごめんね。そう聞こえる人にはきっと詭弁なのだろう。詭弁で結構。

 ただ、「検察」が二度「本気」捜査したのに「白」・のCASEは三度やっても結果はおんなじ。

 あのさ、思い出してみようよ。そして整理してみようよ。

 おれたちは民主党に投票したのだった。まあ・おれは。

 あのときの代表は鳩山くん。幹事長・小沢くん。キャッチ・コピーは「国民の生活が第一」。自民党の新自由主義路線と「社会民主主義」の民主党という最近では珍しく・それはイデオロギーの戦いだった。

 で、多くの人々は自由の行き過ぎがあっちこっちで「メーワク」かかってるってことで「自由」一色よりも「平等」を志向しましょう・ということで民主党が大勝したんだったね。

 その当時も小沢くんは自民党から陰険に責められてた。それが原因で代表を辞任していたわけよね。で、国政にはタッチせず、選挙担当・それ一本でやってます。そんなことで民主党は大勝ちした。

 で、そうやって久々に民主主義みたいなことがこの国では起こったわけでした。というのもそれまでの50年以上、ほぼ「一党独裁」だったわけだから、ほとんどチュニジアと同じ。アフリカのこと「意外に」バカに出来ないのな。なんか日本は自由自由と信じ込まされているが、その代わりといっていいと思うが「あまりに多い自主規制」の嵐。こんなものを「自由」と思っているのなら、おれはほんとの独裁の方がいいね・なんて浅薄な考えでもって思わず口走りそうになる。ひとつ言える事は「量的」には自由なのだろうが「質的」にはどうかな? そして「量的」に自由であるするなら、しかしながら、それもやはり「一つの自由」と認めざるを得ないところが、もしそれが「体験した事のない」ものであるなら、おれたちには実は吟味できていない可能性もあったりする。

 まあいい。

 とにかく「選挙」という最大に民主主義らしいことで政権が替わった。じゃあ、マニフェスト・でもアジェンダでも構わないのだけど、言った事を実行しない政権とはなんですか・ということとなる。

 おかしな話がある。鳩山政権時代に、今「身体しんどいからもう辞めます」と言って辞めたおじいさんがまた最近カムバックしたけれど、そのおじいさんが「もう埋蔵金はないです」とはっきり言ってた。おれは「そーかー・そーなのかー」と思いつつプーアール茶を啜っていたと思うのだけど、それが2011年度予算の中で税収と借金以外に7兆円は「埋蔵金」から持ってきました・と政府は言う。ん?よね。ということはまだ「ある」ってことね。じゃあ、こども手当なんかもほんとは出来るんだけど、深刻な顔で「おかねがないんです」と言えばだれも追求しない・ってことがわかってるだけ・ってこともわかる。

 で・なぜ誰も追求しないかといえば、「追求しよっかなー」と言った人(記者)には、あのちっとも大した事喋らない「ぶらさがり」の時に「しっしっ」ってします・と言うわけだよね。

 おれは別にあんなに「何にも言っていない」毎日のインタヴューなんかに参加できなくたって、他の新聞に書いてあるような事・ワタシんとこも書いとかなきゃまずい・なんてこと全然ないと思うが。なんか他の事書けばいいのにー・と思ってる。

 要するに記者のみなさんも「空気読み過ぎ」なわけであって、まあ新聞やTVはいま・政府の「プロパガンダ」のツールに成り果てているのもよーっくわかる。

 官房機密費という「うーんなんだかモロあやしー」というお金も、これは領収書なしにいくらでもつかっていいのだけど・そして官房長官の「おさいふ」とでもいえる代物で、使い道自由だからね。

 それと今の小沢くんを排除しようとている民主党は選挙のときの民主党と
異なるということもわかった。

 さらに自民党が対小沢でやってたことを現・民主党が同じくやっている。これで管オナと政権は自民党の頃のバックと同じバックがついている・ってこともわかった。身もこゝろも売り渡しちゃったね。それも「分かられてる」

 また、そのバックはマス・メディアもをも支配しているから、メディア小沢くんをしつこいぐらいに責める・のもよくわかる。

 管オナとくんが、公開オナニー・じゃなかった、公開演説でむちゃヤルキー学園になって「開国元年!!!」とシャウトするのは、「シャウトするとヤルキー学園に見えるよ」とヨメにでも言われた・ってのもわかった。

 あのさ、TPPは「ヤバい」ですよ。そもそも日本の平均関税率は「アメリカや韓国よりも低い」んですよ。

 「日本は、既に・十分に開国しています」です。

 なのに、また更に二本指で「奥まで見てーん」とぐいっと「開く」の意味はどういうことかと言いますと、つまりさらに関税安くするなんてことは「国を挙げての吉野家・松屋・すき屋競争に参加する」という意味よん。「なんのために?」です。

 今・デフレでしょう。デフレは「こわいですね・こわいですね」と淀川長治センセイならおっしゃると思います。なぜ怖いか? 初体験だからですよね。今・初体験中。世界に先駆けて・かっちょいい!!こんなとこ「一番」だったね・蓮舫ちゃん。

 初体験ですから、もうどんなエラい経済のセンセイも、ほんとんとこ・一体全体どうしたらいいかなんて「さっぱりわかんない」・ということもわかった。だからおれたちとほとんど同じくらい「無能」だっちゅーこともわかった。

 おれは「おじいさん」は好きだし、自分も「おっさん通り越しておじいさん希望」なのですが、今回の内閣のおじいさん二名はいただけんなあ・です。あーいうのは「じじいっ!!」でいいのではないでしょうか。その後に続く言葉は「はよ死ね(または往ね)」だと思う。老害ってのの良い見本。

 みなさん、「民主党・何なんだお前らは」と思ってるよね。ただ、小沢くんの民主党がw/o小沢の民主党になってしまってるわけだから「別人28号」ってこともほんとはわかってるくせにぃ。重しがなくなる・とはこんなことだったみたい。中上さんが死んだあとの日本文学会
を連想しました。

 そして日々の生活の不満をプロパガンダに乗せられて「小沢くん」にぶつけてた・ってのにももう気づいてるくせにぃ。

 小沢一郎は強制起訴になってもう悠々と裁判をやればいいと思う。そして悠々と「不起訴」を勝ち取ればいい。だれもその代わりはいないのだ。

 ただ、バーゲンセールは「進んじゃう」が。
posted by 浪速のCAETANO at 05:54| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月17日

ザ TVっこの日

 昨夜の事。

 大方見るべきVTRも見てしまい、「ん?」と気づき、今日中に電気代払わないと止められるー・と気づき、日は変わっていたが何とかなるさと思い、今夜は「冷える冷える」というもっぱらの評判だったが、そのキーンと冷えた空気の中を歩くのも良かろう・いや、その中に「入ってみたい」と突然思い、セブンイレブンまで支払いにいく。

 すると寒さは思ったほどでもなく、そういえば子供たちの「食糧」が切れていたことを思い出し、ついでにチョコ棒とポッキーを買って帰る。読みかけの本を持って風呂に入る。湯の冷め方からすると、まあ寒い感じなのだが、本格的な冷えはもっと朝方にかけてか・と思われた。

 そして、もう5時だよ、いい加減寝ないと・とベッドに入ったが、これが「寒い」。寒くて眠れない。マイクロファイバーの上下も昨夜は力及ばず・だった。寝室の空気が冷たいのだよね。本を持つ手がかじかむ。ごそごそ起きだして、先っちょが指出る手袋を探す。ついでにネックウォーマーも探す。それでもまだ寒かったな。前の家が温かかったから余計に堪える。何かの罰を受けてる感じだ。いや・それでもいいのだけどね。しかし誰がおれを罰してるのよ。まあ難しい話はやめとこう。

 で今日、タバコを買いにいくついでに、女子がよく使用するような、大振りの毛糸の靴下を買ってきた。これでまだ寒かったら、うーん・どうしようかなあ。まあ・本日実験。

 最近、巻きたばこである。DRUMというブランドのブライトブルーを吸っている。一服・二服が旨いってほんとだなあと思う。理不尽な値上げに対抗した節約の意味もあるのだが、今や身体はすっかり順応してしまった。これ・が、うまい。なんだかんだ「抜け道」ってあるものだ。

 見たVTRの中には「江」の二回目とか「日本がなぜ戦争へ・・・」とかあったのだが、その前になんとなく見ていた「女子駅伝」もなかなか面白かった。都道府県対抗なのだが、中学生からオリンピック選手までがたすきを繋いで京都の街を走っているのだが、雪も降って寒そうな中、前半は順位の入れ替わりがあって、それなりに面白く、後半は京都の独走だったが、福士加代子というランナーが、これはこの二年ほど前からずっと気になっていて、これがすんごいブス・だと思うのだが、ブスの反時計回りとべっぴんの時計回りをずーっといくと向こう側でこんにちはした、その地点にいるような、フィメイル・ランナーで、なんだか見ているうちに、これはいつもそうなのだが、すごく魅力的に思えてくるのだ。まあ「今日は最後全力でもう乳首の分だけでも勝とうと思った」などコメントはおれ好みだったりはする。「そんなでかいんかい」あるいは「やっぱ走ってるとすれて立つん?」など画面にツッコんでいたのだが、まあなかなかさばけたねえさんだなあ・と思っていた。まあ昨日は楽勝の独走だったのだが、走っているすがたはなかなかかっこいい。賛否両論あるとは思いますが。

 今やってるNHKスペシャルもこれはすごく興味深く、実はたとえ陸軍であっても「だーれもアメリカと戦争」なんてしたくなかったし、そんな想像さえもなかった・という「なんていうかなあ」な事実を延々やっていて、そうなると、原理的におれたちは「戦前」というものを否定してきたわけだけれど、それは原理的な話ではなく、ひとりひとりの事なかれ主義というか「空気読みすぎる」ところとか、ただそんだけさえ改善したら悲劇は起こらずに済んだ・なんかそんなかんじなのね。とすると戦後民主主義教育というものも、みんなが思考停止した時点でこれもまた疑ってかかる必要があり、まあそれが今の日本人を作っているってこともあり、戦前のどこがだめだったのか・ってことを再検証せずに盲目的な戦後賞賛もこれもまた・それこそ「ブスとべっぴんが向こう側で出会う」こととさほどかわんない。それよりちょっと怖いのは民意でそれを形作った「マス・メディア」がテーマの第三回を注目してみたい。そこには今現在との「相似」があるに違いないからだ。

 スタッフ・ベンダ・ビリリも見てみたかったから良かった。堂島来た時試験で行けなかったから。「障害者プラスホームレス」バンドfromコンゴで、しかし、やってる音楽はアフリカン・ルムバ・ロックで、別に馴染みがないものじゃなかった。おれにしたら「普通に良いバンド」でした。ただ廃材とヤギの皮と灰皿と空き缶の自主製作ドラムセットや空き缶の自主製作一弦ギターにディストーションていうのは、あの誰やったっけ・カリンバにアタッチメントつけた・これもアフリカン・・・・そうそうKONONO NO.1や・かれら同様おもしろいよね。しょぼい音を増幅するとノイズも一緒に増幅されて、きれいな音じゃなくなって、そこに「人間」が見えるのがいいとおれは思います。リズムの「ユルさ」もいい。今・ビシバシってかっこわるいよ。マシーン鳴らせば誰にでも可能でしょ。

 PA化されたドラム・セットの音の限界を逆に超えていくためには、しょぼい音の積み重ねがいいのね。それも複数のリズム楽器でね。
「そこにしかないグルーヴ」が出るからね。なんやかんや言うても、音楽とは「ノリ」ですから。ノリ・のあるバンド、なかなかいないからね・日本には。ノリは才能・みたいなとこもある。通訳やってたゾマホンの踊りがかっこよかった。さっすが「アッフリカン」。色モンとしてしか存在価値なかったりするけどね・日本ではね。

 TVの見過ぎでアホになりそうだったが、ソフトの内容がキワキワんとこで救ってくれたかな・どーかな・わからない。

 
 「物事の内面を見よ・先を見よ」

 

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:32| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月15日

すでにあの時代?

  世の中は70'sにというか80's以前を切望しているのだろうか。

 タイガーマスクのことを考えていた。

 単純に考えれば、それは行政の仕事だ。それがもうどうもかなりの確率でそこまではリーチできないし、その気もない。それがもう決定してしまった。政治の世界って「川の向こう岸」の出来事みたいだからね。

 プロレスは好きだった。新日が全日と分かれる前、おれんちにはなぜか物心ついた頃にはもうTVがあって、それはきっと自分の生年月日から推測すると60's前半だったと思われるが、まだ幼稚園に入るかどうかぐらいの年だったが「おかあさんといっしょ」や「みんなの歌」なんかとともに「東京マルビル」の画像から始まるプロレス中継も見ていた(そんな気がする)。一部混同もあるかと思われる。半世紀ほど前のことだしね。

 シャープ兄弟は記憶にはないが、フレッド・ブラッシーやキラー・コワルススキー、フリッツ・フォン・エリックはよく覚えてる。「噛み付き」が果たして「技」かどうか・ってのは置いといて、当時のプロレスは「ホラー映画」と「水戸黄門」をまぜたようなものだったな・と今では思う。

 上記の三人も怖かったなー。一部混同があると思われるのは、幼稚園や小学校時代の記憶がかなり混じっている・と自分でも思うからだ。少年マガジン・少年サンデーにプロレス記事が載っていた。当時の表紙には大鵬や長嶋とかのジャイアンツの選手が多かったと思うのだが、ひょっとしたら「馬場」も数回あったかもしれない。

 いや上記の三人が怖かった。噛み付きは「ほぼ食人」のイメージがあった。キラー・コワルススキーは「耳削ぎニードロップ」そんな逸話とともにやって来た。フリッツ・フォン・エリックは「アイアン・クロウ」。握力が何百だけったかな・なんかとんでもない数字で、「うそやろ」なんて最初は思っていたが、こめかみに食い込んだ指の先から、血がタラーと流れて来て、これはヤバい・と思った。びっくりしたのは、猪木をストマック・クロウしていて「そのまま持ち上げた」ことだった。

 そんな頃だった。タイガー・マスクの連載が始まったのは。まあストーリーに関しては誰かが書いているだろうから割愛するが、巨人の星・明日のジョーに続く梶原一騎先生の、階級闘争三部作の三部目である。三つとも「貧困」がモチーフとなっている。

 漫画ならではの必殺技が、ほぼ実在のレスラーたちを相手に繰り広げられていく。馬場がマスクマンとしてゼブラと組んでやった試合、なんだったかな・スリーパーにきめられつつ・セメント!!!漬けにしながら「皮膚呼吸」が出来なくて相手が参った・とか、わけわからんことも勢いで読んでたが、ブルーノ・サンマルチノやアントニオ・ロッカなんていう当時でもシブ好みのレスラーが登場してた。バック・フリーカーにドロップキックね。タイガーはその2人にストーリー内では影響されていたと思う。空中戦はもちろんのこと、タイガーの編み出した必殺技が「フジヤマ・タイガー・ブリーカー」だった。やっぱウルトラ・タイガー・ドロップよりもそっちやったな。

 まあ現実には「無理」だけど。それでも良かったのだ。

  70'Sに戻りたいなんてふやけたことを言っているのだが、現実はおれたち「負け組」はすでに戻っているね。現代の伊達直人もそう思っているんじゃないか。ほんとはそれは行政の仕事だ。しかし、行政はそんなことする気がまったくない・ことが分かってしまったし、苦しんでいる側も、それを訴えることが憚られる・そんな空気の中で、かつての空気を覚えている人がそんな大層な気持ちでなくやったことだと思いたい。

 でも、まだそんな空気が主流にはなっていないし、偏狭なこゝろは日本列島を覆っている。ただ、ここで何かを感じないといかんのではないか。この行為の数々も、メディアによってもてはやされ、ほのぼの話で忘れ去られ、次の「事件」によって上塗りされていき、ただただ虚しさだけが残るのかもしれない。

 突然のこの「美談」はしかし、かえってこの国のメディアに普通にとりあげられない所がもうすでに崩壊寸前であって、その美談にも飽きてしまう人々も多く、しかし、人は一瞬「いい人」になれる・そんなこゝろの問題だけは空中に浮かんでいる。

 結局あの時代に好む好まざるに関係なく、すでに戻ってしまっていることだけはわかった気がする。

 
posted by 浪速のCAETANO at 19:33| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あ〜あ・もう・あ〜あ

 この時期、やっぱり忙しい。受験前と実力テストが目白押しです。本日センターでもある。まだ大阪は雪・というわけではないが、寒い一日だ。おれの受験のときも寒かったです。思い出す。

 安倍とか麻生とかがよく取ってたやり方で、「ばっかぢゃなかろか」な手法を管くんも踏襲している。頻繁にTV画面に出て、「一生懸命やってるフリ」を何度も何度もみんなに見せる・ってやり方なのだけど。

 その頻度から言うと、「不愉快なCM」を何度も見せられてるような気持ちを「量」的に押し切れる・とか思ってるんだろうか? それ・アタマ悪いぜ。

 目玉が与謝野に枝野ってのも「笑っちゃう」が、ほんとは笑ってる場合じゃない。

 「ビンボー人のケアは辞めました」
 「中国にFU○Kって言い続ける事にしました」
 「大企業だけあればいいです」
 「国民の生活なんて・別に」
 「にっぽん売りつくし!!」

 そんなメッセージが・コノテーションでもない・あからさまなメッセージが発せられていて、それをまた「総理の本気を期待する」なんちって、んなことをメディアに言わせて、なーにが「開国元年」なのよ、あのさあ・「開国」したらしばらくいろんなもんむしりとられるわけよ、そんなに国を安売りしたいのならオノレのヨメをまず風俗にでも売りやがれ。使いもんにはならんと思うが。

 管くんのTVの映り方があまりに「公開オナニー」で見るに耐えんわけだけども、もう名前を「管オナと」に改名すべきだと思うが、もーほんとごめん・死んで。というか、もうすぐ「使い捨て」は見えている。メディアは次の首相の目星は付けている。アメリカも同じ。アメリカが日本のメディア・なのであるから。まあ管くんも可哀想なものなのだが、おんなじ可哀想なら、可哀想なもの同士連帯しようなんて発想がないんだなー・これが。

 国を売るぞー・で売ったカネを自分らで分ける。やりたいことはただそれだけ。政権を取ってやりたかったのはそれかい。いい死に方しないね管くんね。平成の山口乙矢くんはいないんでしょうか。

 しかし決して「傷つかない」メディア内の人々って気味悪くない? 今・管くんはそのメディアに守られているだけでだーれも支持しちゃいない。彼らの都合に「合ってる」というだけの「延命状態」だ。

 ほんと・山口乙矢くんいませんか? まとめて処理してくれるような方。

ビンボーが長くなると、かように人心は荒れてくるんだよ。

 小沢くん一派もさあ、「マニフェスト」を守ろうとするのはおれたちだー!!!!と宣言して対決姿勢を強めればいいのに。中二の女子でさえ、最近「管がプー」ってのは分かってきてる以上。たぶん小沢くん一派の中にも「隠れ新自由主義者」がいるのよね。様子見の人々が。小沢くんも政局考え過ぎでは?

 小沢くんに一つエールを:

 「強制起訴がなんやねん。ベルルスコーニなんてしょっちゅう裁判されながら首相やってるやん」

 なんだか応援になってるのかどうなのか・よう分からんエールながら。

 もうしかし今年は「春から縁起わるい」


 歴史は何度でも。

 

 
 
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2011年01月14日

バカが語る古代その1

 最近・相撲がやってると、なんだか精神安定だ。なぜかしら?

 相撲マニアでもなく、ひいきの力士がいるというわけでもなく、しかし、相撲を見ていると何かしら落ち着く。なぜかしら?

 腐敗もそろそろなくなっているのだろうが、腐敗していたとしても構わないと思っていた。彼らは特殊だから。

 元は神事であるから、というよりもだからこそ・かな、腐敗もありなんてウルトラCは怒られるだろうか?

 日本の神様はまあなんというか「ええかげん」である。「八百万(やおよろず)」と言われること自体一般的に言って多すぎるわけで。もっと言うなら、おれもあなたも「カミ」である・とも言える。いや・まぢで。

 ただし、それを崇める方はNOBODY・なるカミである。人格を持ったカミなんてのはまあ日本においては大したことはないわけで、本当のカミは熊野の森だったり那智の「巨大おまんこ」な大滝であったり熊野川のあの色・だったりするのだが、そんななんというか絶対的な存在を背後に抱えるようにして日本の「人格を持った」カミたちが人をやや混乱させつつ納得させつつ各神社には奉られている・というわけですが、まあみなさん無批判に伊勢神宮に参ってありがたがっていらっしゃるが、あれはアーティフィシャルな神社。まあアーティフィシャルと言うならすべての神社はアーティフィシャルと言えて、実も蓋もなくなるが、なにかをでっちあげるための神社と、これは奉らないとえらいことになる・という必然性のある神社とかがあってね、それに当てはめるならば前者が伊勢であり、後者が熊野であるということなのよ。

 ご存知のように熊野へは後白河上皇にはかなわないが後鳥羽上皇よりは行っているおれといたしましては、伊勢へは一度しか行ったことはない。しかし、合わなかった。身体の調子がひどく悪くなって、そのときはアホだったから(今も・十分に)、なんかしらん、けったくそわるいし・ぐらいにしか思えず、感情的に嫌っていたのだが、理由は今ならきっと「アマテラス」だからかな・と思えます。

 現・天皇家の祖とされるアマテラス(太陽神)。天皇家の初代は神武ということになっている。神武は日向から「東征」したということになっている。

 今、纏向遺跡というのが話題になってるでしょう。3世紀に突然現れた明日香の北方の箸墓古墳を含む一帯なのだけど、時代が時代だけに「ここが邪馬台国やー」と盛り上がっている方々もいる。邪馬台国が北九州か近畿かとなるとおれは「むーん」で、だがしかし、7:3で北九州っ!!!!と「当てもん」みたいに言ってるのだけど・・・。なるほど、3世紀というのは魏志倭人伝に書かれた卑弥呼が女王の時代なのだけど、そんな単純ではないと思う。「最初の卑弥呼」は2世紀末に死んでいる。

 この纏向にある箸墓古墳は倭母母曾毘賣命(やまとももそひめ)のものだと判明している。だから倭母母曾毘賣命=卑弥呼であるなら話は簡単なのだけど・・・・。ここはまあビミョーなとこで、なぜかというと「7:3で北九州」だからなのだけど、ま・卑弥呼はちょっと置いといて・の前にひとつだけ。卑弥呼・とは名前というより「職能」と見た方がいいのね。これだけ言って・本格的に置いといてー。

 その纏向が3世紀になると突然姿を現して来て、しかもそれは人工の都市であって、そこには田んぼはなくって、要するに「朝廷」であった・ということなのだけど、それを造ったおっさんというのが大歳命=𩜙日速(にぎはやひ)なのね。このおっさんがどこから来たかというと、九州説・出雲説があるのだけど、おれは8:2で出雲と思ってる。このおっちゃんの系譜が実は非常に重要で、実はこのおっちゃんのパパが須佐之男(すさのお)なのであって記紀神話の中ではアマテラスの弟で「暴れん坊のバカやろう」ということになっているが、そんなことはなく至って平和的なおっちゃんで、その性質は𩜙日速に受け継がれ、𩜙日速の指導により、纏向の住民たちは潤い、「朝廷」の基盤が出来たわけよ。実は大神神社(三輪)に奉られているのは「大物主神」と改名された𩜙日速なのだった。

 その𩜙日速は熊野本宮に於いても・っていうか熊野本宮はそもそも𩜙日速を奉っていたんですよ。それをここでもまた「事解男尊」なんて変な名前に改名させられ、家津御子大神(これも変な名だ。けつみこ・ってさあ。実はスサノオ)の隅っこでジミーに奉られている。ここで自画自賛なのだけれど、自分の感覚は正しく研ぎすまされていたのだ・と思うわけ。そんな事知ったのは最近でね。だってアホでしょ・おれ。なんかしらんままに熊野詣でをしてたんですね。後鳥羽上皇ほどお参りしてやっと「正解」に気づくなんてね。まあアホの極み・なんですが、ま・いいぢゃないの・わかったんだから。

 そして「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」というのがちょっと長いが「にぎはやひ」の正式な諡号である。彼がこの国の「正統な太陽神」だったということね。天照大御神(あまてらす)とはそれを早い話・横取りしたわけよね。太陽神がオンナってのは「あり得ない」わけで。オトコが陽でオンナが陰というのはしょうがないことなのです。そして𩜙日速の作ったその国は「日ノ本」と呼ばれていた。その出自が出雲にせよ・九州にせよ奈良の土地は「日ノ本=東」だったということでしょうね。われわれが「初日の出」をたいへんありがたがる・という「信仰」の元はここにあったのよね。

 ではなんでそんなことになってんのよ・という疑問が湧く。スサノオは建国の父のパパであるのになぜに神話の中では「暴れん坊将軍」なのさ? っていう疑問です。

 大体とっ散らかる傾向のおれですが、本日もとっ散らかるのですが、それは日本書紀が作られた当時の状況に由来する。日本紀(正式名)の編纂を命じたのは天武天皇。この天武(大海人)は天智(葛城皇子=中大兄)の弟とされているが、これもウソ。弟が年上なはずがないもんね。実は天武の方が年上だったのね。このことをわかるには、大化の改新まで遡らないといけない。

 大化の改新・と言いますと、正しくは蘇我入鹿が三韓奉調の際に皇極女帝の眼前で葛城王子と中臣鎌子によって斬り殺された「乙巳の変」の事を指す。「正史=日本紀」によれば、蘇我氏の専横が目を覆うほどであって、葛城王子と鎌子の目論む「律令体制」を蘇我氏がないがしろにし、「天皇であるかのような」振る舞いをしたことが原因・とされている。

 ここでおれたちは「歴史は勝者によって捏造される」ということを思い出さなくてはいけない。その際の捏造とはもうなんでもできちゃうのであって、例えばある人間の息子を作り上げたり、あるいはある人間を家系図から抹殺したり・ともう何でも来い・なのである。

 さて、天武天皇のヨメが讃良(さらら)ちゃんと言いまして、かわいい名前なのだけど、やることかわいくないのだけど、これが持統天皇である。天武は天智の娘2名(太田・讃良)をヨメにしていてそれぞれに息子がいる(大津皇子・草壁皇子)。讃良が天智の娘だったってのもポイントなのね。当時の結婚はもちろん政略結婚という理解でいいと思う。大事なのは「血」ですよね。さらに自分が天皇であるからには息子も天皇にしたい。讃良はというかもう持統は太田皇女の息子・大津皇子を殺してしまう。もちろん草壁皇子のライヴァルを減らすためね。そして敵はいなくなった。ところが、草壁ちゃんが今度は病死してしまう。あららー。息子のためを思って甥っ子殺したのに、「なんでやねん!!」と言ったかどうかは知らんが、いやきっと言っただろう。そして空気につっこんだだろう。そしてその頃記紀編纂は軌道に乗っていた。そこで登場するのが鎌子(鎌足)の息子・藤原不比等だった。こいつは天武時代には干されていたのだけど、それはなぜかというと後述するが、それは天武が何者かということと関係がある。

 持統にしてみたらこの事態は「青天の霹靂」であって、しかし、女帝になるほど腹の据わったおかーちゃんはそんなことでメゲないのである。カンケーないけど、おかんになったオンナってもう別人よね。おれはものすごく苦手で、特に仕事柄その子が中学生ぐらいから知ってたりすると、その変貌に驚く事毎度・であって、みなさん学校にクレームつけなくとも十分モンスターである・と言ってしまって自分で自分のクビ締める。いや・だからね、持統だって哀しみのためか「超モンスター化」してしまったわけだった。そうなると根拠はオノレの血・である。

 持統には軽皇子という孫がいた。しかしまだちびっ子である。譲位するにはちょっと早い。そこで草壁の未亡人の阿閇皇女をワンポイントリリーフで即位させ、元明天皇とし、軽皇子が育つのを待つ・という戦法に出る。おばあさんと孫・この関係をマトリックスとして「アマテラス〜ニニギ」という神話に於ける関係性を作り出した。記紀においてもアマテラスの息子であるオシホミミって何したんかもわからん。素通りである。天孫はあくまでもニニギノミコトでしょ。天孫って言葉自体がもう・ね。でもそんなこと一体誰が? もちろん不比等に決まってんぢゃん。

 そして持統亡き後も編纂は続く。この元明はワンポイントリリーフのわりには、平城遷都をしたり、記紀の中でも古事記の唯一の読者だったり、いろいろやってる。そうそう古事記というのは「元明一人のために」書かれた神話だったのよ。読者は元明だけ。古事記は後に「発見」されたのね。元明と不比等はデキていたかもしれない。元明にしても姑の意向を汲んで即位したが、実は「あたしって天皇」なわけで、その上、不比等のような稀代の天才が「こんなんでましたー」と古事記の進捗状況をいちいち報告してくるわけである。たまらんよね・きっと。

 その頃、不比等はもとは「史(ふひと)」と言ったのだが、並ぶもののないという意味の不比等と改名したのだろう。そして、この最初の「日本の歴史」が「すべてを決定する」ことが十分分かっていたのだろう。だから後の我が一族のため、徹底的な捏造をしたのだと思う。その際スケープゴートになっていただくのが「蘇我氏」なのだった。

 大王(大臣ではなく)馬子の長男(つまり皇太子)・善徳の存在を消去し、その人格を架空の「聖徳太子」と「蘇我入鹿」に分裂させ、善徳の業績はすべて聖徳太子のものにして、聖徳太子を持ち上げれば持ち上げるほど蘇我氏が貶められる。そんなメカニズムを日本紀の中に構築してしまった。

 聖徳太子が架空・ってのはだいぶ浸透して来たと思う。蘇我入鹿が殺したとされる聖徳太子の息子の山背大兄一族、聖徳太子が架空な以上山背大兄一族も架空か、その関係に於いて架空・と言っていいと思う。平安時代のある書物に「山背大兄が聖徳太子の子供ではないなんていうのは良くないよ」なんてことが書いてあったりする。良くないよ・だからね。すでにその頃から疑ってる人がいたのね。

 不人等によって神道さえも「中臣神道」へと変容されていく。それは「禊ぎと祓い」というある意味おそろしくも藤原氏に都合のよいものなのだけど、実はその中臣神道を作り上げる際にそれようの皇祖神の捏造が行われ、そこでアマテラスを中心とする「神々の体系」も作られた・ということなのね。

 で、スサノオはやんちゃな弟へと格下げ。ニギハヤヒは「太陽神」の地位を剥奪、大物主はじめ名も変えられ、しかし、あちこちの神社へ奉られる事となる。

 これはかなり畏ろしい話だけれど、大嘗祭・ってありますね。新天皇が天皇になる儀式だけど、その皇位継承の儀式において前天皇から「天皇霊(すめらみことのみたま)」を継承する最重要なる秘儀なのだけれど、大嘗祭において祀られる神は実は「アマテラス」ではないのよ。ここらへんちょっとヤバいから小さな声で言いますが、この神の正体が「明かされていない」のよ。秘中の秘・ということになっている・という畏ろしい話。そしてこの大嘗祭とは持統の時から始まったという。何かを感じますよね。

 ここまで読んでこられた方にはなんらかの人物の名前・イメージが湧く事とは思いますが、これはきっと「日本最大のタブー」なんでしょうね。

 ひとつだけ事実を、明治になるまで天皇は「一度も」「伊勢」には参っていません。

 持統・元明の時代にこの国の歴史の真実はおもいっきり「歪められた」らしいことが推測できる。

 そしてもう一つ。蘇我氏を倒した葛城皇子(中大兄)・中臣鎌子の少なくとも一人は「日本人ではない」。こんな言い方すると少しというかだいぶ語弊がある。おれもきみも日本人じゃないけどね。要するに当時、半島(百済)から来てまだ間がない人・あるいは人々だった・ということよ。当時の半島情勢は新羅が唐と組んで半島を統一しようとしていた。百済の国は風前の灯。そして「乙巳の変」の後、天智(中大兄)は言われているような「律令体制」を確たるものにするなんてことは一切せずに、無謀とも言える「百済救済のための遠征(白村江の戦い)」を敢行して、唐・新羅連合軍にこてんぱんにやられる(663)。その間18年・一体何をしとったんだ・きみらは・ってことになる。天智の母・皇極は斉明として再び天皇となる。しかし、ちょっと待って欲しい。この時の天皇は孝徳天皇で難波宮に遷都している。今のNHKらへんね。しかし、明日香には斉明がいる。これはどういうことかというと、どうも「二朝並立」だったみたいである。二朝並立は後醍醐天皇の時代にもあったけれど、ちょいと意味が違う。

 正統な大王(孝徳)とつい最近百済からやってきた大王(斉明-中大兄)の並立で、斉明-中大兄側は明日香に山城を築き、そこをバリケード化し、孝徳側の要人を次々に暗殺・誘拐していた。テロリストたちですね。なんのため? おそらくは、「権力」というものに関する考え方の違いだろう。それは、日本の・海に囲まれ、ぽーっと過ごして来た人たちと、半島で生きるか死ぬかでやって来た人たちとの感覚の違いから来るものだろう。出雲系と九州系という言われ方もされている。半島に近い九州には、ところてん式に半島の暴力から逃れ渡来人がコンスタントにやって来る。しかし、来てみると、なんだかこいつらみんな「お人好し」である。ちょろいぜ。そんな感覚じゃないかなあ・と思う。

 その斉明-中大兄チームがテロをする。蘇我氏のいわゆる大王家の重要人物から始まって、蘇我石川麻呂も殺された。石川麻呂なんて、中大兄に娘をヨメに行かせていたのにもかかわらず、自害した石川麻呂の身体を後から切り刻み、首を「塩漬け」にして持って帰って娘に見せる・なんてこともしてる。娘は可哀想に狂ってしまいました。その行為一つとってもあまり「日本的」ではないよね。

 しかし、蘇我本宗家は絶えたけれども大津朝(中大兄が天智となって開いた)には蘇我はたくさんいた。そして天武(大海人)は身の危険を感じ、出家して吉野へと逃れるのだけど、この大海人も実は蘇我家の人間ではないかと言われている。天智の弟というのは真っ赤なウソでね。それもこれも日本紀が弟って書いてるだけのことだから。

 でも待てよ。日本紀って天武が編纂を命じたんじゃなかったっけ・と賢明な方なら思うだろう。なのになんで天武に都合悪い事書くのよ? ってね。

 そうそう。そこなのね。やっと持統まで戻ってきました。天武が編纂を命じたが天武は死んでしまう。その後編纂作業は持統・元明の下で続いていく。持統は天武のヨメでもあるが天智の娘でもあったのね。そして、その後の日本紀は不比等の監修による。さらに天武が蘇我家・あるいは蘇我系の人間であるとするならどうだろう。藤原の宿敵蘇我の血をひく天皇の業績はまだ記憶に新しいからともかく、出生ぐらいなんぼでもいらおうと思えばいらえるでしょう。蘇我入鹿に始まって長屋王まで蘇我系(天武の血)はことごとく排除されてしまうというその後の歴史を見たなら、天武は極めて蘇我に近い血の人だという事が推測できる。実は「太子の息子」という説さえある。

 古事記の読者が元明天皇ただ一人という話をしたけど、日本紀もそない古事記と矛盾だらけでもいかんですからね、そして神話の世界で自分の姑がアマテラス、まあ自分は大した事ないけど・ワンポイントリリーフという自覚もあったろうし、それよりも何よりもオノレの息子が国産みの神(ニニギノミコト)に例えられているのだから元明も気分は悪くなかっただろう。おかんの偏愛・ってこんなとこでも怖いのだけどね。

 まあ右翼の方にはしばかれるかもしらんけれど、「万世一系」ではないですわ。そして、あかん方の系譜が残っちゃった感さえあるのよね。それもこれも藤原不比等の頭の中から生まれた「悪だくみ」だった。藤原の藤はその蔓を本体に絡ませ栄養を全部いただき、その本体を枯らしてしまう。実は藤原のメンタリティーが今なおこの国の「官僚」の中に生きているとおれは思う。管ちゃんが本日内閣改造したけれども、もうサイテーではないかな。官僚の言いなりになる事が「与党らしい」こと・に気づいたバカたちは、もう後には戻れないな。昨日、うちの中二のキュートガールたちが、「管サイテー・小沢がいい」と言っていた。一瞬耳を疑ったが、本気で言うてたよ。巫女の年齢には見えるのかな。「国民の生活が第一」のキャッチを外した民主党は小沢くんの祟りを受けるだろう。歴史の矛盾が時にスカッとさせられるとするなら、それは理不尽に殺されたり流されたりした者たちが「祟った」ときである。鎌足は雷が落ちて死んだ。古代の雷は「雷神」と信じられていた。そして不比等の四人の子供はほぼ同時に天然痘で死んだ。これを祟りと言わずしてなんと言えようか。祟り・に関して今日は抑えておいた。また次回・気が向いたら。

  

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 16:24| 大阪 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

tiny liberty

 冬期講習は昨日で終わり・と言っても明日が多くの中学校実力テストだから本日も3時から塾なのだが、久しぶりに午前中時間が出来たからコーナンへと向かう。ばあちゃんのごはんがもうなかったのだった。

 ついでに隣のスーパーで、あんまり毎日鍋ばっかりくってるというのもいかがなものでしょうか・ねえ、ということだったから、なんか他のものを作ろうと思い、じゃあホワイトシチューならどうだ・うんそれよし・ということで、ベーコンやタマネギや人参やらを買い、ラーメン用のメンマや蕎麦用の椎茸煮なども買い、あっそうそう・やつらのおやつなども買い、そこから梅田へ廻って、たばこを買って帰って、くそう・なんかわすれてると思ったら、カルルスやんかー・とゆっくり風呂はいろうとお湯を溜めだした時に思い出して、完璧な午前中とはならなかったのだった。完璧・ってないなあ最近。なんか忘れるのね。

 まあ、完璧なんて状態からも何光年も離れ続けて何十年・ではあるので、気を取り直してシチュー作りに励む。子供たちがやってくる前に、ローマンミールとグラス白一杯との昼食を・と目論んでいた。その目論みは実現しました。おれにしてはビッグランチだった。ちょいとくるしい。

 シナモン・タイム・ナツメグがいい仕事してた。冷凍庫の中から発見された海老たちも。

 時々、冷凍庫・冷蔵庫の掃除を兼ねてシチュー等の煮込み料理を作るが、意外なものが投入され、これがまた意外な結果(ポジティヴな)
を生むことがよくある。そんなことがあるから楽しいのだけど、冷静になって考えるに、何に何を投入しても後でスパイスなんかで最終調整すればたいてい何とかなるってことだと思う。その際には「なんとかなる」と強い決意を持つことが大切か・と思う。強い決意があれば何かしら思いつく。これって不思議。うーん・なんだか人生論みたくなってくるが、否定できんですね・そこんとこ。

 しかしもうこの時期は夜にはやはりあったかいものに限る。ということで週に5回は「鍋」であるが、先日は日曜だったがトドムンドでもお客女子のお誕生会があり、お初鍋をやっていたので、参加する。立浪一番仕込みをアレンジした「お初鍋」は久しぶりに喰ったが、いいね。具のゴージャスを競えばそりゃ「ふぐ」行けば終わりだけど、出汁の味でいろんな具を喰わせるというまあいわばちゃんこスタイルの鍋としてはかなり秀逸でしょう。

 そんなのを挟みつつも自分の家ではやはりポン酢にもみじおろし・が定番です。ポン酢は何種類か一応ある。一番人気は四国のやつだが、大衆ポン酢としてのヤマサも悪くない。まあポン酢は修正が利くしね。こないだ実家では自主製作させられたが、要は醤油・酢・みりん・柑橘のバランスだから無限のヴァリエイションがある。チョーコーという今京都のデパートで大人気の醤油が懐かしくて買って来た。角長の湯浅だまり一辺倒だったが、最近はそんな高い醤油買えなくなって、しかし、探せばいろいろある。味も値段の差ほどではない。高ければいい・というのは実は「ニンゲンらしい」ポイントではあるのだが、動物は「高いから満足」なんてしないからさ、となるとおれは動物に近づいているのだろうか?

 まあ機械に近づくより「動物だ」と思うひとりではある。動物くん。

 動物らしさ・をなかなか出せない世になってしまった。動物らしさは潜行する。セックス時に別人28号・みたいな・ね。ありがちながらあんまりそうなってもどうかと思う。昔はセックスで解放された・という記憶はある。大いにある。しかし、今はどんなもんだろうか?

 むずかしい時代かもね。

 まあ性欲よりも食欲ってことにしとく方が、トラブルからは距離を取っていられるわけで。おしなべて「不自由な時」なのだろう。

 少なくともオノレのキッチンには限りない自由がある・と思う。小さな自由だが自由は自由。

 
posted by 浪速のCAETANO at 21:13| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月10日

一周廻ってこんにちは

 最近は成人の日がずれて月曜日にあるから、なんだか一般的には「正月気分」が続いているかのような印象だが、社会はそんな精神状態の中・自分だけは働くなんてのは割と好きだったりする。まわりの空気に圧迫感がない。ほわーんとしてるのね。一生そうしといて・とお願いしたくなる。

 2011とはなんと半端な数字ではある。ただ2001があまりに大きな年になったこともあり、そんなことを鑑みるとこの10'sの始まりは、21世紀が20世紀の余韻から乖離していくことが見えだす年になるだろう。

 日本は資本主義の「集約された実験場」だから、そしてその実験は実験者の「不手際」もあって世界に先駆けて「大失敗」するのが見えてきたけど、ようそこまで「アホ」を演じられるな・というほどみなさん揃ってアホである。例えて言うならアホであった方がその時の「痛み」を感じなくてすむんじゃないか・なんてそんな新興宗教的な総意みたいなものさえ感じられる。

 しかし、本格的にやってきましたよ・21世紀が。

 ひどい100年間になることは間違いないが、これまでのそれぞれの世紀もきっとひどかった・と思えるけれど、救いは「まだ先」があったということだ。

 実はおれたちはすでに「デッド・エンド」にいる。懐かしいね・デッド・エンド・ストリートだ。そのデッド・エンド・ストリートで言うなら「おみつの洗濯機」ら辺にいる。少し冷静になって周りを見るなら、横道があるのだ。あるにもかかわらず、ニュー・ミュンヘンの方角へ、みんなでラッシュしてる・そんなことだった。路は行き止まりだよ。壁に何度も当たって額はもうラッシャー木村・である。ラッシャー木村の額にもかかわらず、ラッシャー板前の愚直さで壁に額をこすりつけてる集団バカだった。

 ジョージ・オーウェルの1984年の新訳がでていたのでいい機会だと思い読み返している。「リトル・ピープル」に対して「ビッグ・ブラザー」、テレ・スクリーン。その過去未来は十分悲惨ではあるが、悲惨さを隠してないところがまだ救いがあると感じる。いや・救いはないのだけど、強いて言うなら「隙間がある」そんな感じ。

 22世紀のことを考える。もちろん現在乳児・幼児の人以外誰も生きちゃいないだろう。そしてそこに見えるものは「静けさ」だったりする。それは奇妙な静けさである。

 その前にさまざまな恐ろしい事が起こっている。それを乗り越えたというかやりすごしたというか、いやそれに翻弄されまくったというか・要は消耗しきった・そんな静けさを思う。時間の冷酷さ・というものも感じる。刻一刻とクォーツは時を刻む。

 今世紀に起こると思われる「食糧・水・エネルギー」の奪い合いの彼方にある22世紀だけれども、奪い合いが共有なんてことにはならないだろうことは用意に想像できる。でもさ、マネーに支配される人生なんてものに「倦んだり」しないのだろうか? ほとんどの人々が今露にしているおのれの「欲(greed)」の先にある、その欲に疲れたあげくの何か「まとも」な感覚・感情、そんなものが人々を包むことってないのだろうか?

 「快楽」を求めるのはよくわかるんだけど、「快楽」のための手段が目的化している今はやっぱりいびつだと思うし、そんなものを一握りのニンゲンたちにコントロールされてるのにも腹が立つ。そして一旦コントロールされたからには、それらはもう戻ってこないのだ。

 じゃあ、そいつらがマークしていない「別の快楽」を編み出そう/探そうじゃないの・ってのがおれはいいと思ってる。そっち方面からは「死角」になってるような何かね。

 パラダイム変換ってことはよく言われるのだけど、言われるほどひとびとはブラン・ニューにはなっていなくて過去に囚われている・そんな気がする。その過去もなんか中途ぱんつ・な過去よね。みんなが「欲かき出した」過去だったりする。まあ80年代なのかな。

 とすると、やっぱりある種のひとびとによく言われてるように、その前の時代の生き方・精神は参考になろうか・と思う。

 自分の年齢に奇妙な偶然を感じるのだけど、一人暮らしを始めたのが、ちょうど70年代の後半で、その後何度か盛り上がって、今確実に盛り下がって、親も年取って来て、また同居なんてことになる可能性もあり、となると戻るべきはやはりあの時代の生活でみたいなことを考えてしまうわけだった。

 あそこから始まってあそこへと戻る。ひどく偶然なようでひどく必然なようで。静かに生きる・なんてのもいいなと思う。内面の深化なんてことをあまりやってこなかった身としては、これもまた何か大きな意思によって与えられた機会なのだろう。

 3月ぐらいまでには結論がでるでしょう。

posted by 浪速のCAETANO at 12:21| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

そろそろ始めます

 ブスがさー・いや・バスの席がどうも後輪の上だったみたいで、「突き上げ」がきつかった。まー・しかし、目が覚めると太融寺のバス停ってのは安もんの瞬間移動みたいで好きよ。

 予想通りgloomyな空で、実家の庭には「雪の固まり!!!」で面食らうわけだが、その雪は昨夜実家を出る時までありました。ここはどこ?ワタシは誰? 今なんじ? そんな感じ。

 意識的な「距離感」はだいぶ縮まったな。東京〜大阪間ほどの距離に思えるな。今年はこんなことが大切なのだった。もういろんなところに限界来ているので。日本国内の意識的な距離をどんどん短くすること・そうでなくっちゃこの交通機関の発達の恩恵を無視することになる。

 ここ数年・いろんなものを「コンスタント」に失ってきたけれど、まあ今年も失うことになるのだが、それが「自然な流れ」という風に受け止められるようになるということはおれも歳を取って来た・ってことと同義なのだが、それはTHE BANDの歌う「lordをoff」しろよ・という意味とも「ほぼ同義」でもある。世の中はオノレの都合で廻ってはいない。まあそれが社会であり共同体の成員の宿命なのであるが、以前のおれなら「邪魔すんな・ぼけー」と暴れとったとこが今ではまるでそんなことはなく「はいはいー」なイッチョアガリ感覚だったりする。

 で、さまざまな「共同体」に人は同時に属しているのだが、さまざまであるが故にその共同体間の利害の一致を見ることはなかなか困難でもある。さあ・そこからがアタマの使いどころよね。ネゴシエイションの産物とは「妥協」なのだけど、これを否定的に取る人も多いが、妥協・というワードの使われ方があんまり良くないのね。それは思っていたことを100%実現するのがかっこいい・みたいなわけのわからんコドモじみた幻想があるからなのだが、これってあったり前のことながら世の中は「1か0か」みたいな単純バカのままである。

 それは大間違い・なのであって、生産的な妥協はあるのだ・とおれは思っている。自分の希望が受け入れられないからっつって「切れ」てその場から去ってもそれは全世界に向かって「おれはバカヤロー」宣言してるのとおんなじである。参加するコミュニティは一つ減っちゃうしね。

 それともうひとつ。意志の力はこの際かけがえのないものだ。その意志の力とはこの際には、複数の意志のレプレゼンタティヴであることがキーであって、それがない場合は今どんなことでもあっという間に崩壊してしまう。崩壊した方がいいものもあるけどね。

 こんなに力の抜けた正月は久しぶりだった。今・何かをやりたい・という気がない。自然に任せているのだけど、どうなることやら。そのうち「何か」浮かび上がってくるのだろうが、そうでなくとも構わない。その場合はその場合だからね。

 初詣には行ったけれどおみくじ引くのが突然笑っちゃうほどアホらしくなり、引かずじまい。整理の年に吉凶の大小なんてあんまり関係ないのね。

 どんどん軽くなっていくのである。芭蕉のようにね。


 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 09:48| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

GLOOMYながらも元旦

 去年は去年・IT'S GONE BEHIND.そんな時間の流れに生きるポスト現代人である。

 カレンダーが一新されるように、昨日の記憶さえ消し去ることがうまくなり過ぎの日本人なのだが、そもそもそんなことは東洋的だと思うのだけど、政治的以上に精神的にみなさん日本が良いのだ・ということを非常に雑にもう定義しちゃってるから、そこは疑問の余地さえないように思える。

 精神の深層において誰も日本を否定しちゃいないさ。おれたちの中には一見したところ「民族的なノスタルジー」と言えるようなものでさえそこにはある。個々の精神の中に。歳取って来ると余計にそんな傾向である。徐々に心情は右カーヴしてくる・はずだ。ただし、そこんとこちゃんと検証してる人があまりに少ない気がするけど。

 そんな精神のデリケートな箇所を大切に扱うフリして、それをねじ曲げる人たちがいるのよね。政治や経済やメディアや・の中に。

 そんなことに目くじら立ててもきっとしょうがないんだね。自分は自分の仕事をするしかないのだろう。いちいち怒ってたら身が持たん・ということもある。

 まあ・2010はこゝろが疲れた一年だった。周囲のものが「壊れていき過ぎ」だったから。2011も疲れるだろうなあ。もう疲れててフツー・になっている。しかし、壊れるものはもうあんまりないというわけでもないが・あるが、まあそれは身軽になってきてる・というずらした見方もあるわけで、あんまり周囲に期待せずに自分のやれることをしっかりやるしかない。

 遠い目をしながら一年を過ごすことになる。空元気ではしょうがないからさ。

 あとは老人たちとのおつきあい。人間だけではなくね。

 みなさん・今年も普通によろしくお願いいたします。


 おっとっと・・・またやっちゃったー。4月までは生きるぞー。

 

 
 
posted by 浪速のCAETANO at 16:11| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする