2011年03月16日

隠すのはダメね

 こんな時は善かれ悪しかれ、何かが「隠され」るものだけど、隠さないで欲しい・と思う。

 すべてを公開して、みんなで負担するのがいい。もちろんその第一の主体は「政府」だし「地方自治体」だと思う。我々市民の意思は意思として、そんなことを「政府」が求めてはいかんと思う。

 おれたちはおれたちでできることをするよ。しかし、大災害の時は国が政府が先頭に立たなきゃいかんと思う。

 やってない・と思うから。

 南相馬市の市長が電話で訴えていたが、国や県からの「連絡」「指示」がなぁんにもない・らしい。市・は市民に近い・やっぱり。しかし、県・国は「物理的に」遠い。その「遠さ」がもろに裏目に出てる感じ。市長がメディアを通じて「情報」を得ている・というのが実情のようで・それは一体なんなのだ。

 現場の市長が、おれたちと同じ情報量でどうするよ。

 おれたちはメディアと同じ高さの視点ではいかん。被害者になって初めて気づくことだが、メディアとは遠いところにいる貴族みたいなものだ。シムパシーがスクリーニングされる。もう・特に民放は「視聴率」を思い出してきている。NHKもやはり何かを隠している・と感じる。

 今回のことで、東北の三陸海岸からはヒトの姿が消える・そんな気がしている。それに関東・首都圏はこれまでのいろんな特権的な恩恵からは遠い場になるだろう。すべてのものを集積することによって他と差別化されていたものが、その土台が崩壊しちゃったからね。

 「疎開」なんて考え方も出てくるのでは。ある種の「戦時」だとおれも思います。

 自衛隊10万人体制なんて言っときながら実際は26000人だってさ。アメリカとの合同演習には30000人以上参加してたよね。こんなときに「対中国」「対北朝鮮」なんてことをほざく人々・信じられないわけで、そんな妄想・それこそエネルギーの無駄である。キミが食べているその銀シャリ・被災のみなさんにすぐ廻しなさい。

 そして今はまだ「お金」じゃないでしょう。今は食糧・水・燃料・物資・だと思う。だって阪神のときとも違い、広範囲に渡って45万人が家を追われているわけで、ここもまたスケールに合わせて考え方変えないと。

 お願いだから想像力を働かせて、被災者の視点で、そして決してみなさんを見捨てないで欲しい。既に何千人もの命を見捨てているのだ。

 家族を友人をペットを失い、それも自分が助けられなかったという自責の念に駆られている方も多い。そういう非常なる哀しみの中で、さらにその方々が、そんな感情の中・亡くなっていったりするなら、それは政治による「殺人」だ。

 その後のプレートからではない地震も頻発していることは「無関係」でもない。根拠はないが、そんなものは要らん気もする。誰もその因果関係を説明できない。因果関係がないことも説明できない。そんなときは「何かある」と思うべきだ。

 つまり、「今・安全」な場にいたとしても、それは将来・近い将来さえもその安全を担保するものではないということで、誰もが「被災者」となる可能性・そんなに低くない可能性を意味する。だから、そんな目に遭ったというちょっとした想像でいいのだ。おれたちもメディアの先の被災者の方々に少しでも寄り添う時間を少しだけ持とう。その後はおれたちなりの、被災者の方々とは比べもんにならんマイルドな現実に対処しなきゃいけないからね。

 わたしはわたしの生活をしっかり・・・そんな意見があるのもわかるけれど、それは非常時の為政者たちの不作為を見逃し、それによって何百人もの命を再度失うことに繋がっちゃいけない。もどかしいけれど。

 カトリーナの時のブッシュ・みたいになってるよ。それは「最低の人間」という意味だけどね。

 本日大阪は公立高校の後期入試で、もともと決められた日程で試験を受けれるだけでも恵まれてるよね、と言うと、うん・と頷いていた彼ら、うまくいっただろうか?
posted by 浪速のCAETANO at 17:33| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする