2011年04月28日

気がつけばもう

 しばらくの間、ディプレッシングなことが続いた。しかし、もう忘れた。アホって「得」かも・と書こうと思ったら「徳」かも・と出た。そうかも。

 まあ、おれも誤解されることも多いわけだが、「理解」されるよりもましかも。ほぼ、世の中は「誤解」で成り立ち、それが結果オーライのことも多く、それはなぜかと問うならば、みなさん「何者かを演じている」わけだが、そして、それが最終的には経済を廻してるわけで、しかしそんなことにも実はややみなさんお疲れ・なのではないかと思っている。

 そんなときはTODO O MUNDO来たらいいのよ・いやまじで。

 震災は自然の暴力。そして自然自体は別に「暴力の意識」はないわけだが、ただ、人間のサイズにとって暴力的なわけだが、それに関しては誰も文句は言えない。その後のことにはみなさん「一言」あると思うが。おれもある。

 しかし、そこで言葉を語ることが、なぜか憚られる。きっとそれが外れるという「予感」が
あるからだ。

 お悔やみの言葉・が虚しい。シムパシーを表す言葉が虚しい。「がんばれー」なんて「侮辱」に近いのではないか。

 CMの虚しさにみなさんいい加減お気づきになった・と思うが、何が虚しいかってその言葉である。

 メディアという「装置」を通すことによって虚しくなるのかな・とも思う。

 ただ、他人が聞くことを・あるいは、読むことを「期待」している言葉のなんと賎しくも虚しいことか。

 そんなものに依存して生きるぐらいなら、ああ・また極論を吐きそうだからタバコを巻く。

 
 タバコと言えば、おれはいいタイミングで巻きたばこ・の人になってしまったから、全然気づかなかったのだが、タバコがないんだってね。結果・千里眼でした。たまにはそんなこともあり・だ。

 さて気がつけば明日から世の中「黄金な週間」みたいである。あんま・かんけーないのね・おれたち。トドムンドは通常通りの営業のはずである。関東の人・帰っておいでよ。

 おれもなるべく「忙しく」していようと思っています。LET'S GET BUSY!!!

 東北と言葉のことを少し考えてみたいとも思ってる。曲・詩も書いてみようかな・書ければ。実は作曲家・作詞家ってことあんまり知られてなかったりして。そんなことあんまり言わんからね。美意識ね。

 
 そろそろ、こんな時期かも。予感です。

 

  

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:15| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月22日

はあ〜

 キャンディーズとピンクレディは似て非なるもの。

 当時はピンクレディの同級生感覚(学年一緒)とミーの「カラダ」に一票のおれだった。

 キャンディーズは華奢だったり・太めだったり、「日本人のまま」だったもんね。当時の高校生の目は完全に「外」向いてました。

 その後ピンクレディは「キワモノを極める」という前人未到の境地に達し、日本人が、日本人でも外人でもない何か・になることに大いに「貢献」したし、キワモノの証拠に今でも「ゲイ・チーム」がものすごく「ラヴ」なことがある。

 爆発的なピンクレディに上塗りされた感のあったキャンディーズだが、種火は残っていて、今思うに「オタク系アイドル」のハシリだったような気がしてる。

 種火は残っていて、楽曲の良さもあるが、キャンディーズは日本人がまだ日本人であった時代のピークなのでは・とおれは思う。歌のテーマも日本的だったよね。さだや谷村とかの「キモい」日本的とはまた異なる、「普通」の風景がキャンディーズの歌の中にはあった。おれたちの中学生ぐらいのまわりの風景と人間がそこでは歌われていた・と思うのだ。

 1970の紅白歌合戦が「ほんとにすばらしく」日本の歌謡曲のまさにピークであるとおれは信じて疑わないが、そのピークを別の・つまりワカモノのノリでエクステンドしたのがキャンディーズ。きっとピンクレディのように「コドモ」のマーケットは開拓してないと思う。かわいい「ちょっとおねえさん」たちだった。

 おれは「あなたがす〜き・なんちゃらがす〜き」という曲を聴いたのがキャンディーズとの出会いだったから、スーちゃんが真ん中の人だと最初は思っていた。当時は太めのスーちゃんだった。ムチムチだった。ムチムチも嫌いではなかった・となにを「告白」しておるのだ・おれは。

 欧米の「ロック」一辺倒だったロックバカに15年後に「反省」させたキャンディーズの楽曲は太田裕美のそれらとともにマイ・フェイヴァリットである。「雪が〜」の「が〜」がスラーするとこや「ハウ・寂しがりやで・ハウ」の「ハウ」のコーラスがとてもくすぐられる。実は三人ともコーラスすごく上手だったのだ。実は特に上手かったのは「ミキちゃん」だったのね。

 意外な訃報できっと世の50代・なんだかショックだと思う。

 ピンクレディののお二人が「どんどんえぐくなっている」のとは対照的にキャンディーズの三人は「普通」を保っていた・そんな印象もある。

 50代のおとーさんたちには、二周りぐらいして「キャンディーズってやっぱり良かったなあ」になってるはすなのだ。

 ほんと「赤ずきんちゃんガブリ」だった。

 
 
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:17| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ほとんどお満月

 昨夜・店からの帰り、2時前だったが南の空の高いところに月が輝いていた。天変地異に関係なくも、そこに輝く月は何かしら崇高な気がしたのだった。あくまで相対的だが、何か果てしなく大きなものの進行に立ち会っている気がしてきて、寒かったのだがしばらく眺めていた。

 いや関係なくもないのだ・ほんとはね。大地震で地球の自転が僅かながら速くなったというし、それはさらにまた僅かながら衛星にも影響を与えてる可能性がある。それがまた地球にフィードバックし・・・・・。何かが何かを動かし続けることもあるよね。科学的因果関係。

 今回は最初があまりにもなドッカーン・ゆえ、そして福島に関してはなぁんにも・解決の糸口さえも見つかっていないような状況だし。

 毎日・新聞にシーベルト情報が載っているが、天気予報に風向き予報も混ぜてよ・と思うのはなんかズレてる? 風向き大事だと思うが。

 しかし、正直なところ、おれはフォーマルな子供はいないし、割と、そんなに長生きせんでもええし、とも思っているし、そりゃ日に日に目に見えて体調悪くなっていくんだったら話は別な気がするが、その影響が現れるのが数年後であるなら、なんだかそれも人生かな・とも思ったりする。政治の怠慢はまた別の話です。混同しないでいただきたいが、政治はベスト尽くすべきである。そんなことは言うまでもない。ただ、被災者の方々を何としてでも救わなきゃいけないところを、どさくさに紛れて、その被災者も込みで自分らのために「税金あげたろ」と思ってるような輩が権力持っちゃってるわけである。

 ただそこにカラんでいくのも「徒労」な感が大でしょ。決して彼らはこの期に及んでもベストを尽くさない・そんな気がするわけだ。

 そして「がんばろう」とか「強い国」とか「日本の未来を信じてる」とか、ちょっと違うと思うな・タイミングが。

 「家」なくしたひとに、そんな「営業エール」が通用するだろうか?

 ポポポポーンなんて「トミーズ健」並の膝かっくん低レヴェルである。被災したかたがたは、「踏んだり蹴ったり」されている気にならないだろうか。無神経の極み・な気がするのだ。

 外国の・サンデルちゃんも言っていたが、震災時の日本人の「美徳」を賞賛する声もなぜか虚しく響くのだった。




 
posted by 浪速のCAETANO at 00:18| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

ふと甦る

 弁護士のハシゴという「なんでやねん」な偉業を成し遂げた後、「よしよし・大変やった」と自分慰労のために、夕霧そばへと行く。

 ジョウくんの「門」も今・昼をやっていて、それにも強く惹かれたが、「また来週」。老松町通いは始まったばかりだ。

 久々の夕霧天ざるはほのかに感じる苦みがナイスだった。おれは蕎麦を「いい音で食べるね」とよく言われるが、ここは外人にはわかんないマナーの問題であるから「ざまあみろ」と言っておきたい。ざまあみろ。日本車が路でエンコしてるのを横目で見る・感じに近いかな・遠いかな・どーかな。

 今日、F弁護士のところで曾根崎関連の預けていた資料を返してもらったのだが、曾根崎に関してミーツその他に書いたカラーコピーがその中に入っていて、懐かしく思ったのだった。で、お初天神に足が向いたわけ。しかし、境内では人だかりがしていて、なにやら、スタッフめいた揃いのTシャツ軍団もいて、カメラも数台ある方向に向いていてなにかな・と思っていて、しかし、そのレンズの向かう先には、チビでデブで超ミニの制服のブスが絵札を背伸びして掛けようとしている姿があったのだが、なんせチビでデブで超ミニだから、背伸びするとだねえ、半ケツ見えていて、その半ケツは見事に「おばはんのそれ」であって、おれは結局「なんのため?」という疑問をなぁんにも解消せぬままに、その場を立ち去ったわけだった。まったく意味が分からん。

 世の中は面妖である。

 バチ当たりめ。お前ら全員や。

 おばはんのケツの中和が蕎麦だったのだが、中和できたのかな・それもまた疑問。

 お初天神の店は「いろいろ変わっていた」夕霧そばの向かいの一画は島国やら三叶などがちゃんと看板を守っていたが、ジョウくんの店の下は様変わりしていた。

 かなり「敷居は低く」なっていた。

 デッドエンドストリートへは「怖くて」いけなかった。

 それが正解だろう。今は亡きデッドエンドストリートはみなさまのこゝろにどのようにどの程度「残っている」のだろうか?

 おれたちでさえ、日々の暮らしに追われ、意識からは遠のきがちだ。

 男が「過去のオンナ」をなかなか本格的に忘れられないのと同様に、おれもまたデッドエンドストリートのことをこうやって思い起こす。

 中津の文章が終わったところだったから余計に「すっぽり」とこゝろに嵌る。

 そのカラーコピー、店に置いとこうと思う。

 そして「おっちゃん・昔はな・・・」というワカモノに嫌がられる嫌がらせをしてやるつもりだ。


 きみを「損なっちゃったね」por CAETANO

 por TIMBALADA 

 

 
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2011年04月19日

どこかで関わっている

 昨日は学校初日で、チャリで行ったが、終わってカツカレーを喰ってるうちに雨が降ってきた。そして冷えてきた。寒冷前線が通過したのだろう。だからDAYS COFFEEは来週におあづけ・となった。しかし、ハラ減ってるときのカツカレーの訴求力恐るべし。先週はピッコロだったっけ。

 久しぶりに「濃い内容の労働」で疲労感と充実感がそれぞれ。でもこうしちゃいられない。

 しかし、この春はいろんな懐かしい顔と会ったな・と思う。そんなことは集中するんだね。

 生き方も・ステータスも・年収もそれぞれながら、生きて会えるということがまあ幸せである・と思える。このあたり、おれもなかなか素直になったなと思うわけだった。そういう点で「年を取る」ってのも「悪くない」。チカラ抜ける・というのはチカラ入んなくなる・の同義語であるということね。

 しかし、自身も波乱の中にいて、これからも波乱が予想され、事の大小はあれども、気持ちは被災された方々と「同士」である。現実に昨日も福島から逃げてきたVIETNUMの女の子が居た。立場立場でチカラになり・だけではないことがポイントで、チカラになられることもあるのだ。人間の存在は不思議であるよなあ。おれもSUSTAINABLEな「やれること」をやろうとこころに決める。

 今こそあらゆる場面で「非対称性」の解消にみなさん励むべきだ。非対称が「カネ」を生むと信じて疑わない人々が「ひょっとしてそうではないのでは?」とオノレの姿勢に疑問を持つことを期待したい。パラダイム変換の終わりの始まりのこの時期に。

 

 

 
 

 

 

 
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2011年04月14日

もうどうしようもなくて

 およそ、自分の場合、他人にあまり意識の上で甘えるのは苦手で、甘えさせるのは割と得意だったりするのは、親父・お袋の「最初の子」だからだろうか・など思っているのだが、だから、こういう場であんまり、「ほら・ぼくってこんなにかわいそうでしょ」なんてことも言いたくないし、言うとしても、それは自虐と皮肉とオノレに対する嘲笑がミックスされ・そのパラメーターはあるときは自虐が振り切れ、またあるときは嘲笑にディレイかかる・というような、そんなラフミックスの仮ミックスで「はいどーぞ」となるのだった。

 ちょっと今日は「かわいそう」だったのだ・おれ。いや・正味の話。

 凹んだ。

 しかし、この話はこれで終わるのである(なーんや・それ)。

 
 さて昨日、どーにもこーにも「いてもたってもいられなくなり」明日香へ向かった。「明日香」で昼メシを喰う。「明日香」の風呂に入る。ただそんだけのためだけに明日香へと向かった。一般的に言うと、そんなヒトを「アホ」と言うが、もしそうなら、それはおれですよ。

 ケツが決まってはいたのだが、昨日は「塾」ではなく「ギター教室」だったから気がちょっと楽だったのだ。

 最初っから高速乗れば、それは速いし、葛城というか橿原神宮までは取材で何度も行っているからよくわかっちゃいるのだが、なんか阪神・近畿・南阪奈とやたらに料金所があって「いいいーーっ」となるわけである。そんなことに貢献するぐらいなら募金しますよ・今なら。というわけで、なるべく下道通ってジミに行くわけである。

 第二阪奈の側道は中央大通りなのであって、そこをとりあえず中環に当たるまで東へと行くのだが、いつも気になるのは、高井田付近の店なのだが「ワニ・カンガルー専門店」というのがあるのね。通るときいつもどきどきするわけよ。厨房の様子を考えると。ワニ・カンガルーだもんね。そして酒は何出してるのだろう?

 そんな疑問も保留にしながら、明日香の桜を脳内リプレイしながら進んでいくのだが、この時期はやはり街全体が「ハレ」ですね。

 どうしようもなくて近畿に乗ったのだが、もう少し我慢したなら、松原まで下で行けたかもしれない。そこからさすがに西名版下は走る気にならなかったけどね。香芝インターで降りて、というのはそこから先は「別料金よん」と書かれてあったからさ、で、R168〜R165と走り続けるのだけれど、最近BGMはBRAVE COMBOと3MUSTAPHAS3をサルのオ○ニー状態でかけ続けている。何度聴いても「飽きん」のだね・これ。こんな音楽・偉大である。そんなことわかるやつ日本で100人もいないと思うけどさ。でも・ほんと・すばらしー。

 奈良圏のスーパーは「オークワ」である。ほぼオークワね。でオークワで、弁当とビールを買う。そして明日香へ到着する。昼メシスポットは無限にあるのだが、パーキングスポットがあまりないのが明日香の痛いとこ。で、あちこち僅かな土地勘をたよりに彷徨う。で万葉文化館の上に、今は閉まっている作業場のようなものを発見して、そしてクルマ駐めるスペースもたっぷり・というナイスな環境であった。そこでおもむろに弁当を喰う。生憎桜は下の文化館に一本しかないけれど、視線を180度移動させると、「菜の花畑」があった。VIVIDなイエローが何列にも並んでいて、それはそれは、桜の淡い色にも馴染んできている目にはかなり新鮮。

 そんなこんなで480円の弁当ながら、かなりの「贅沢な気分」になるわけ。

 で、ぼけー・としてるとおっちゃんが現れ、いろいろ話をする。小原の出身の、ぶどう園主だった。

 で、おれは「アンチ藤原」「蘇我シンパ」だから、そんな話をすると、その小原というのは「藤原が出たとこ」ということらしい。

 おっとっと。少し慌てまして、なんとか取り繕いまして、話を続ける。百済系・みたいなことまで言っちゃってたから、ほんと・おっとっと・だったのだが、まあなんというか、文献と現場の温度差と言うか、そんなことだなあ・と思う。

 「また・話聴かせてください」と名刺交換して、別れた。

 で・風呂へと向かう。

 「太子の湯」と言います。なんか風呂後・ごろごろできるのね。ごろごろしてくださーい・というその態度は「非常によろしい」とおれは前回来た時から思っていて、これでギター教室がなかったなら、二三時間「寝ちゃうな」と思う。そしてマッサージ機が15分100円の結構最新型がある。そこもうれしい話で、マシーンフェチとしては3連発はいっときたい・と鼻息荒くなるわけ。

 ほんとはマシーン・昼寝・マシーン・昼寝という反復がよろしかったのだが、それはここで宿取った時の楽しみにとっておくのね。

 で、夕暮れ近く、外の喫煙コーナーでぼんやりし、「さて・そろそろこんなこともできなくなるよ」と自分に言い聞かせ、R24を北上し斑鳩方面へ曲がり、帰りはしょうがなく、第二阪奈から阪神で帰ってきた。

 ギター教室は滞りなく終わり、帰って顔を見たら、マシーンのやり過ぎで「ひどい顔」になってた。ここんとこ・若干「考えもの」である。

 
 ウィリーとラヴォー。大好きなコンビ。
 
posted by 浪速のCAETANO at 17:28| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

忙しい週末の間に進むものたち

 車検証が必要だったのだ。しかし、それがクルマの中にない・どこにもない。家にもない。なんでやねん・ということで再発行しに陸運局まで行く。

 320円という脱力するお値段で、そんなんやったらまたなくしてもええな・とはアホの感想。

 寝屋川沿いの桜もまた、絢爛と咲いていた。あまりに違う日本の東と西。

 この週末は、なんだか忙しかった。

 土曜日に大学の軽音の同窓会なるものがあって、出席してきた。みなさん、さすが元阪大生で「お偉いさん」ばっかりである。おれのような「雑用とタカラれ・が主たる業務のカタチだけの社長」とは異なり、モノホンの代表取締役・CEO・執行役員・大学教授そんな方々だらけで、「我が身を呪う」わけだが、その後、店まで(除・教授)二次会・に来ていただいた。つもる話後半・というのがあったのだが、間の悪いことに高校の同級生もムスメ連れでかち合ってしまい、大学系は店長任せになってしまった。

 まあ大阪在住の方も何人かいらっしゃったのでまたライヴにでも誘ってみようと思う。せっかく30年ぶりの邂逅だったのだし。

 そして日曜はヌノくん挙式・披露宴・二次会。披露宴で「mimar voce」を。二次会ではなんやったかなあ。ええっと、「sunday morning」「je sui venu te dire que je mon ver」「fina estampa」も一回「mimar voce」「declaration d'amore」最後に「折り畳まれた時間」かましといた。ノリが良けりゃ「la bamba」で〆ようなんて目論んでいたのだけど、ノリというものが「存在」しなかった。ノリがいいとか悪いとかではなくそこに存在しませんでしたのでそれはヤメ・ってことになった。

 その後、ひっさしぶりに「alpha ave.」へ。なんかの雑誌にアルファ・アヴェニューのことを書いて以来だったから「何年なるかなあ?」とTACOさんに確認するなら、「3年ぐらい」という話になる。不義理もいいとこである。なんとなく勘で、「野田くん帰ってきてないの?」と訊くなら、帰ってきてて、いま大阪へ行っている・と言う。10時ぐらいになるというから、昨日・そして今まで飲み過ぎで「まあ
ちょっと一杯だけ」のつもりだったから、そこまで待てるかな・と思っていたところ、杯は進み(なんでかね)、2→3、3→4、あららあらら、そしてそんなとき一緒に行くヤツを間違えた・A美店長のペースが既に上がってきていたのをまだ切り上げいつでもオッケーと高をくくってたら、えらいこととなっていたわけよね。

 しかし、悪いこともあれば良いこともある。10時過ぎて野田くんが帰ってきた。

 ここでもまた「何年ぶりやろ」となる。元ノー・コメンツ、元ディケイド・イン・フェイクである。SAVVYの元編集長でもあり、おれの連載があったのも彼の推薦による。

 サウダージだらけの週末だったよなあ・と振り返る。しかし・と思う。サウダージ成立のためには「ヒト・モノ」がそこに在る・ことが前提であるよなあ・と詠嘆する。しかし、ヒトもモノも「あまりに儚い」存在でもある。場が存在していてヒトが存在していたことを祝いたい・と率直に思うわけだった。

 「LEVEL 7」の現在だ。余震もまだまだ起きている。よっぽど崩壊が進んでしまったんだね・最初に。

 政治もほんまにプーである。たかが4兆ほどの補正でばたばたしている。ばっかぢゃないのか。

 「建設国債」を2・30兆発行せずにどうするよ。東北を見捨てんのかい・キミらは。小沢は何をしてる?

 ほんとうに「ちっちゃな人々」だ。おかんに怒られるから、おこずかいをせこくせこく・使ってる感じよね。「未熟」という気がする。大阪ではその間にちっちゃなヒットラーとそれを求める「大衆」が育ちつつある。ファシズムは「正しくも民主主義のそのレールの先にある」。過去のドイツがそうであったようにね。

 おれがアホな週末を送っている間に、世の中は間違いなく「最悪」へと近づいたようだ。


 この頃のナルシストぶりもまあ懐かしいと言えば懐かしいかな。

 
posted by 浪速のCAETANO at 21:07| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月09日

南海高野線よりはじめて

 用事で橋本まで行く。南海高野線。高野山の麓なのだが、一度まだクルマがないときに高野山へ行く際に乗った記憶があるが、詳細はなんにも覚えとらん。

 実質お初といってもよろしかろう。

 いつも近畿・阪和ちょこっと入ってすぐ降りる@美原北・そんでもって富田林・河内長野〜橋本というルートだし、意外に河内長野までは時間が掛かるから電車の方がかなり速いです。

 まあ電車も良し・である。ただし空いてりゃ・ね。

 しかし、少しびっくりしたのだが、河内長野以降の桜が「お見事!!!」だった。枝振りの立派なのがこれでもかこれでもか・と咲いていた。それ見れただけでも「値打ち」ありました。

 帰りはちょいと贅沢して「特急」。喫煙席もあってナイスである。しかし南海は南海。特急に乗る女性アテンダントがいるのだが、「うーん・南海」な彼女であった。橋本からはおれ一人な「理想的」状況。でもなくさないでね・お願いします。

 しばらく、というかほぼ20年の間手帳を持たずに、アタマん中とエトランジェ・ドゥ・コスタリカのカレンダーにちょこちょこっと書いて「スケジュール管理」をしていたのだが、ちょっと小商いが多くなってきて、やっちゃったー・ダブル・ブッキング!!!

 で、高島屋で手帳買ってきた。しかし、システム手帳なるもの・なんであんなダサイのか。おれが買ったのは1/10ほどの値段の・でもまあかわいい・と言ってもギャルの言うかわいい・というものではなく、おっちゃんの言うかわいい・って余計わからへんやん・と言うな。おれなりに「good looking」という意味なのであって、見せたるわ・今度。うらやましがんなよ。

 というわけで手帳を買った。

 以前は相対的大商い(あくまで相対的)だけでよかったから、あとはバンドのリハ日と連載の締め切りぐらいしかDUEがなく、しかし、現在・この世知辛い現在に於いてはもうあれとそれと、あ・これもやんないと「生存」出来ないのである。生活できない・じゃなく「生存」やで。生存の対義語は「死亡」です。わかっとるかー・そこんとこ。

 というわけで買ってきたその手帳に対してはなかなか「ラヴ」なのだった。いいの見つけた・と少し嬉しくなったのだった。ばかか・おれは。

 やっぱし?

 この土日が終わると、結構ケツに火がついてくるなあ。まあ・そのぅ、本日は大学の軽音の同窓会である。先輩ばっかり来るから行ってみようと思ったのだった。やってた音楽も、おれたちの世代を境に「どひゃー」になっていってた。まだ上の世代はBLUES/R&Bやってたからまだ聴けた。まあそれからそういう音楽からも離れ、何度目かの再評価の後、今がある。まあ・とりあえず行ってみようと思う。懐かしい顔もありそうだ。30年ぶり。

 明日は結婚式である。布くん・ヌノくん・ヌーノくんなど芸名で呼んでいた彼がおれの歌にオファーをくれた。ありがたいことだ。で、何やったっけ、彼の本名。明日までに要確認。あ〜んど・ヨメの名前ね。
 
 被災地で辛いことと言えば、やはりその好きな音楽をなかなか聴けないことかもしれない。やはり細分化されたものはなかなか難しかろう・と思う。「スキヤキ」はおれは日本の「ASA BLANCA」だと思うが、それを聴いたら、例えばブラジル音楽ファンならもっともっと・となってしまうかもしれない。まあ・そんな需要(そんなものがあればだが)を満たすものはなかなかないだろうなぁ。

 おれたち音楽家は言葉というか歌詞だけでなく、メロディーやリズムで「泣ける」ので、というか、メロディーやリズムにも「言葉」を見るのであって、最近のあまりに「歌詞偏重」のシロート音楽状況にはやや閉口する一人だからさ。とは言っても「多勢に無勢」というわけでまた地下へ潜る。でも風通しとか陽当たりとかやっぱ悪いのよな・地下って。

 おれたちの世代までがメロディーやリズムで泣けたのだろう。そんなこと言ってもさぁぁ、もうそれからやはり30年。日本のポップシーンは、「ちょちょ・ちょーまってーやー」と言ってる間に出来上がってしまった。もちろん良いものもある。しかし、なんやそれ・もまあまあ多い。かつての「ロックの志」とは相容れない歌詞の数々。そんなときアジアの国だったと再認識する。もちろんそうなのだが、当時のロック状況はそうじゃなかったもん。ここんとこ、年下の人間に力説しても「?」な顔されるところです。デジタル・ネイティヴではなく、JPOP NATIVEだしね。

 行く路には「茨」が敷き詰められてる。しかし、東北のことを思えば、そんなことも言うてられん。


 大学のことを考えてたら、引っかかった。うーん・微妙なところだが、当時の空気を鑑みるにキワキワOKかなぁ?

 いや・やっぱちょいビミョー・ということで「お口直し」。

 
posted by 浪速のCAETANO at 17:26| 大阪 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

時間が救い・時間は残酷

 よい天気・しかも暖かい。東北も昼間はこれくらい暖かいはずだ。桜はまだとしても。その暖かさにもみなさんいろいろ感じているのだろう。

 しかし滅入ること多し・だ。

 一向に進まない(いや進んではいるのだろうが、劇的には当然ながら進まない)被災者の方々への支援やインフラの復旧、放射能垂れ流し、枝野くんのウソ、東電のウソ、保安院のウソ、この期に及んで・な災害をオノレの保身へ結びつけようとする政治屋、海外の情報とは違ってまるで緊張感のないそして根拠もないような「御用学者」の解説、震災救助が見事な日米同盟の有事シミュレーションとなってしまった皮肉。

 こういうの「破局」の流れ・ってことじゃないのだろうか。「がんばろう・日本」とだれが決めたのかそのスローガンは虚しく上滑る。

 戦後の復興時にそんなスローガンなどなかったはずだ。スローガンもまた、言葉を玩ぶたぐいのものだと思う。その言葉を口に出すだけで「免責」された気にさせる・そんな何かなのではないか。そしてそれは被災していない人々に向けられている気もする。被災された方々にはきっと虚ろに響いている・そんな気がする。

 僅かながら、募金を機会あるごとにしている。それでもおっつかない気持ちのいらだちはどうしたものか。被災された方々・亡くなった方々を一旦忘れないことには、自分の生活に支障をきたす。そんなナイーヴゆえの乱暴者もいるはずだ。

 こればっかりは時間をかけないことにはね。

 ばかばかしいお話をひとつ。

 ややオボコい系の新大学生がいる。やつは、近畿大学の芸術学というコースに合格した。昔から絵がうまく、なんどかそういうたぐいののコンクールで入賞している。

 母親は昔から良く知っていて、その流れでうちの塾にきていた。芸術学は実際の実技等はそんなに関係なく、カリキュラムを見せてもらうと、アート関係を少し引いたところからみた・そんな学問である。

 ただ、この春休み中、デッサンの塾へと母親の勧めもあり、通っている。生徒は女子が15人ほど、男子はそいつ一人である。

 デッサン教室6日目。いつものようになにげなく教室に行くと、先生が「今日はらふでーす」と言った。

 そいつはオボコく、おれが保証するが間違いなくドーテーくんであって、まあしかしオタクであるから、PCであちこちのエロサイトぐらい行っている。

 先生が「今日はらふでーす」と言ったときも「らふ・ラフ? ん?」と思っていたみたいである。

 それが「漢字」として意味をなしたのは、「なんかいつもはいないおばちゃんがいる」「おばちゃん・別室へ行く」「おばちゃん・ワイシャツひとつで出てくる」という一連のそのおばちゃんの行動を見たあとだった。らふ=ラフ=裸婦だったのね。

 そしておばちゃん・ワイシャツを脱ぐ。その年齢・ヤツ曰く、推定50over。で生徒はみんな女子で、男子はそいつひとりなのね。

 そのおばちゃんの「お体は」といいますと、見事な「年相応」でありました。おれが言ったんじゃなく、彼の発言です。そのおばちゃんが、あるときは「立ち」あるときは「寝そべり」、まあデッサンたるもの、モデルを「凝視」しないといかんわけで、それがまあ言うに言えん「屈辱的忍耐のとき」だったらしい。「なんで生まれて初めて見たすっぽんぽん女性があれやねん」とは彼の叫び・である。しかもモデル代500円取られたみたいで「納得いかん」と、ほんとはもうちょっと「身も蓋もない表現」でしたが、言っておりました。

 さらに追い打ち。デッサン後、先生から「カズマくん・今日どーやったー?」とみんなの前で「質問」。ちょっとかわいそうでしょ。

 おれは、もうハラ抱えて笑ってたけどね。

 昼飯はもうずーっと「桜の下」で食べることにしている。本日は天六にコーヒー買いに行ったから@大川。お満開とは言えないのに散りかけていた。明日から雨と言うから、今年の平地の「お気軽花見」もこれにて終了かもしれない。うん・しかし、それでいいよね。桜があれば「反応」してしまうし、それはいけないことじゃない。しかし春のめでたさ・も中の下ぐらいであるから・本年は。


 カズマよ・どんなキュート・ガールでも老いるものなのだよ。こんなキュートだったジェーンも今や「大阪のおばちゃん」ほどの「残念」である。

 ていうか、だからと言うべきか、放射能にもメゲず、日本公演敢行なのね。そこんとこパチパチ。もひとつ・パチパチ。
posted by 浪速のCAETANO at 14:42| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月02日

母親と奈良へ

 ガン後5年で医者からお許しが出て、お袋が墓参りついでに来阪していた。

 墓参りだけでないのはわかっていた。で、奈良へとサーブで連れて行った。

 櫟本の祖父祖母叔父の墓を寒風の中参り、実家の通りにあるお袋の同級生宅にお邪魔。

 その後矢尾先生宅へ。矢尾さんはお袋の「句」のファンでもあり、同郷出身、お袋の高校でその後教鞭を取っていたという方である。文筆・演劇・小説を志した方でもある。

 矢尾さんの作られた演劇の中にお袋の高校時代のものがあり、そこには「寺山修司」「丸谷たき子」「堀内薫」というキャスティングがあるという。少し驚く。

 堀内薫という人は橋本多佳子から俳句「七曜」の主宰を引き継いだ方である。その人はうちのママの「高校の先生」で文芸倶楽部の顧問でもあった方で、当時、お袋たちは堀内先生の指導のもと、各地の高校生俳人と連絡を取り合い、寺山たちと雑誌「牧羊神」を出す。なんとも「恵まれた環境」だが、お袋と寺山の関係は、ある事情があってほとんど関係者も知らない。その事情は割愛するが、しかし、断片的に漏れ聞く話、家にある寺山の「短冊の句」「早稲田の受験票」などはなかなか想像力を刺激するわけである。

 そこから現在の七曜・主宰の多佳子の四女・橋本美代子邸へと廻る。

 お袋は事故もあり、ガンもありで、こんな日がまた来るとは思えない状況だったので、歓喜に溢れていた。美代子先生もまた喜んでくれていた。91歳のご主人もいい感じで初見であるにもかかわらずいろんな話をおれにしてくれた。

 しかし、たった一日なのだが、うちのママの「入った」時のエネルギー量というのはものすごく、なんとなく周囲の人間を圧倒するのだが、特に「おつき」の人間のパワーの出所をそのエネルギー膜で覆ってしまうようなことになり、さっきからおれはなんだか「呼吸が苦しい」のだった。

 それは矢尾さん宅から始まっており、おれもなんだか「過敏」になっていて、お袋が話をすればするほどシーベルトが上がるのである。なにかが溜まっていく・エネルギーが密閉されて水素爆発寸前な感じなのだ。

 「もー限界」というところで、行動に出ることにした。

 「いろんなお話ありがとうございました。お返しに一曲歌います」

 なんだ・それ?
 
 「一曲歌います」

 サンバがサンバであった頃から・を歌う。最初、みなさん目が「・」になっていたが、最後には楽しんでくれていた。

 あー・すっきりした。

 お袋の懸案事項も解決の方向性が見えたみたいで、親子共々「すっきり」でめでたてしめでたし・であった。反則技いっぱい持ってる方がいいね。

 ご主人と抱き合って、橋本先生宅をあとにする。

 今夜は弘仁寺という真言宗の寺に泊まることになっている。山の中であって、この闇は古代のままかもしれない。

 精進料理で熱燗と赤を一本空け、寝る。

 翌朝、つくしが旨過ぎて、アホの三杯メシとは久しぶりの暴挙である。あの喰いっぷりを見られた以上、お袋には「おれもう死ぬ」は通用しないな・とハラをくくる。

 近くにある堀内先生の墓へ。「大善院教学薫導禅定門」とある。

 正暦寺へと廻って堀内先生の句碑を見る。
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 「太陽の 火の粉となって 鳥渡る」 薫

 あやめ池へ行ってくれ・と言われる。行くよ・どこでも。

 50年ほど前にお袋が句を書きに通っていた、橋本多佳子の家があり、もう人は棲んでいないのだがどうしても行かずにはいられないらしい。かなり前の話で、家もたくさん建ってしまっていて、しかし「蛙股池」がわかればわかる・と言うので、交番で訊く。かえるまたいけ・って・・・村上春樹小説の登場人物になった気がしたが、そんな余韻に浸る間もなく、「あ・ここここ」と言う。なだらかな坂を上っていくと大きな赤松の木が見え、その家はあった。

 聞けば、裏庭の縁側に座り、句を書いていたと言う。そこから目の前にせり上がる崖は「多佳子の崖」と言うのだそうだ。「ほう」としか言えないのだが、しかし、あやめ池と言う街はいい街だった。棲んでみたい気がしたよね。
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 そして西大寺へ。

 目と鼻の先である。奈良の路もだいぶ「理解」だ。

 西大寺は「幻の七重の塔」の敷石がある。多佳子・薫の句碑もある。
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 「いなびかり 北よりすれば 北をみる」 多佳子

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 「牡丹雪 水に映りて 水に入る」 薫

 いい寺だ・と思う。人も少ない。ゆっくり訪れたい・と思った。

 おれ・奈良のこともよく知らない。知らないことだらけである。しかし、もう路はかなりわかったし、明日香〜奈良への宿坊泊まり歩きの小旅行を敢行したくなった。梅雨までの気候のいい頃にしてみようと思う。

 お袋は「取材」のためもうしばらく奈良に残る・と言う。

 おれはライヴのリハがあったので一人で第二阪奈で帰ることにした。

 
 

posted by 浪速のCAETANO at 11:09| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする