2011年06月30日

LONG HOT JUNE

 長かった・そして後半はものすごく暑かった6月も本日で終わり。

 「ごくろうでした・おつかれ〜」と自分に声をかける。

 高校生の試験はまだ来週だが、仕事のVOLUMEは明日から1/4ほどだ。ダブル・ワークではなくてトリプル・ワークでもなくて「クワドラプル・ワーク」をしていた。

 明日からはトリプルに戻る。全然楽だ。

 手帳というものが久しぶりに「役に立った」。もう頭の中は夕方のデパ地下のようだったから。混雑が極まるわけで。

 店にもまあまあ行き、そうなると睡眠3時間なんて日も続き、後半は特に試験と重なったから、地獄だった。しかし、どれもおろそかには出来ないしね、学校も時間が増えた事もあって、移動もなかなかのものだった。そっち行って帰ってきて、おわると今度はあっち行く・みたいな。しかし、一年こんな生活しなさい・と言われたら、どうかな? できるかな? 自信はない。スポットだったからね。

 でも、いざ・というときにはこんなぐらいは短期的にはできる・と思った。

 身体を動かすことは代謝が上がり、血液が巡り、アタマも廻る・のかもしれないなあ。

 いろんなことを考えた。

 どんな仕事・というか、どんな環境での仕事が自分が好きなのか・とか、仕事の循環であるとか、実際に何かを支えているのは「名もなき人々」であることとか、その名もなき人々のモチヴェイションは意外にその組織の人間によって損なわれやすい・とか、労働力・という言葉の非人間性とそれに対抗するメンタリティの在処・とか、みなさん一応になにかに疲れていること・とか、おばちゃんはなんかしらんが元気である・とか、自由は不自由の中でキラリと光る・とか、なにかに一心不乱に対峙してるととりあえず退屈ではない・とか、場を共有する事から生じる何とも言えない親和力とか、しかし必要以上に共有しないからその親和性は長続きする・とか、NOBODYで最初はいられるがやはりそうでもないよな・ってこととか、謙虚さはクールネスにベースがあるな・とか、まあ「そんなあったり前の事」も忘れてたりするよね・なんてこと・などなど。

 「体験」と呼べるほどのものだった。

 そして今度は今までと同じ忙しさが真夏には待っているわけだが、なんかそこにも応用できる何かもあるような気がしてる。

 7月はライヴがあり、そして夏期講習が始まるわけで、これもまた追いかけられるひと月なのだが、今や「ウエルカム」な感じ。余裕を持って現実を楽しみたい。がらりと性格の異なるひと月になる。なんだか不思議な感じだ。

 本業しっかりやりたいものですね。

 昨夜話題になっていた。
 
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 19:45| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月29日

暑くてヤツ当たる

 あのねおとーさん、これね、完全に「夏」の暑さでっせ。梅雨明け前のんとはちゃいまっせ。

 ていうか、梅雨明けてるでしょう・もう。

 勝手に梅雨明け宣言。というわけで現在・夏です。

 アセの出方がちがうもんね。いやー・今年の夏長いよー。

 まさにLONG HOT SUMMERなのであって、うちのばーちゃんの寿命がやや心配。酷暑はおよそ三ヶ月に及ぶだろうから。

 明日で今月も終わり。いやーそっちも長かった。おれにとっては「特別に長い一ヶ月」だったけれど、それもこうやって終わる。無常である。方丈記である。方丈記だけではないが、すべては移ろい行く。そして過ぎ去った事はもう二度と戻ってこないのだ。ゆえにその瞬間瞬間は「絶対的」である。しかし、ヒトはあほだからその絶対性に気づかない。何度も繰り返されるルーティンの何度目か・などと浅はかにも思いがちであった。

 明日があるさ・は気休めで、今日の繰り返しの明日などないのである。

 しかし、身体を動かす事は良い。身体を動かせば、そこは大きく言って「ルーティン」であったとしてもアタマは必ず、同じ事を考えない。

 おれは「健康のために」歩いたり走ったりすることはプチブル的で「フッ」と鼻で笑うが、まあそうなさりたい方々はそうしたらいいさ。おれにはとにかくカンケーなかった。楽しみを感じるとするなら走るだろう。しかし、まずそんなことは感じない。元駅伝部ながら。

 ふらふら彷徨い歩くのは好き。おれ見てて恥ずかしくなって、かまん出来ずに近寄っていって「おやめなさいよ」と言いたくなるのが、背筋伸ばしてケツぴっとやや出っ尻気味に肘を90度にまげ前後に150度ほどスウィングしながら歩いている「主におんなたち」なのだが、お願いだからやめていただきたい。それが「正しい歩き方」だと何かで読んだのだと思うが、おれが思うに「醜悪」だ。見るに耐えない。時々ガラスに映ったオノレの歩き方を確認したりするのもやめろ・と言いたい。「そんなことして代謝上がったところで数キロ痩せたところでお前の人生などなんも変わるかー・ブス」というたぐいの暴言を近寄っていって耳元で囁いてしまいたくなる。

 そんな歩き方を提唱している「これもきっとオンナ」なのだが、やめろ・といいたい。おそらく彼女は他人に憧憬をもって見られる・姿形の持ち主なのだろう。だったら、それでもういいじゃないか。それでお金儲けせんでいいから。

 「誰々みたいになりたい」世のオンナたちはよく言うが、なれないから。ならなくていいから。それが水平方向にいくらか縮むことは物理的に可能よ。しかし、歩いて背が高くなるか、足が長くなるか、ややもするとO脚が進むかも知らんし、ヒラメ筋がゴージャスになるかも知らんし、あんまりいいことって少ないのでは。それよりもなによりも、おかしいから。街中で、そのよーな歩き方自体が。やるんなら阪急とJRを結ぶ横断歩道で誰よりも早くフライングして歩いてみなさいよ。

 身体にいい事はやってもいいですから、その歩き方でおれの前を歩かないでいただきたい。天下の公道をだ。

 淀川の河原なんかでお願いしたいです。

 そいつらおよそ勘違いをしているのだが、「ワタシってこんな人前でこんな事を敢行してるのよ・いやーん・素敵過ぎるぅ」などとおもっているに違いない。そうでなければあれほどオノレに「酔えるはずがない」と思うのだ。

 おれが鬼道使いなら「今すぐ死ね」と呪いをかける。

 しかし、現実にそれを見たどれだけの数の人間が、「不愉快」になり、「食欲がなくなり」「胃腸が痙攣し」「ビタミンCを使い果たし」「軟便に」「あるいは硬便に」なっとるのか知らんやろ。

 今の時代って、特にこの国ですが「こうしなきゃいけない」という「暗黙のきまりごと」が多過ぎるとおもうのだ。そしてワカモノたち・ほとんどそれに疑問をもっていない。

 中学生の試験が終わってなにに一番解放されるかというと、「ジャニーズ事務所タレントたち大絶賛大会」から自由になれる事である。こうしなきゃいけない・と同様の強度を持って、彼らはどーであれ・かっこいい・とは「決められ・逆らう事のデキない法律のような真実」ということみたいである。

 硬直するはずだ。息苦しさを環境として生きているのだからね。

 しかし、彼女らの「イノチ」でもあるJ事務所タレントも、おっさんにはなるし、へそ毛とか耳毛とか生えてくるのである。そのうち。くくく。
 
 せめて暑苦しくない方の曲を

posted by 浪速のCAETANO at 16:31| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月28日

It's already summer

 いやもう既に「夏」よ。梅雨明けとかなんとかかんけーなく、これ「が」夏だって。

 食欲が・ない。性欲・も、以前よりない。勤労意欲もほんとはないんだもんねー・と本音も混ぜつつ進んでいく。

 食欲がないのは「朝・晩」に顕著だ。

 しかしなぁんにも喰わなかったら・死亡するぢゃないの・と思い、うーんどーしよっかなぁー・と悩んでなさそでウッフンながら、悩んでみて「回答」がでました。あさから身体を動かし、これ以上の空腹はヤバし・というところまでカラダを追い込む・ことにした。そして、空腹の極みで「ビールを喉に流し込む」もうこれしかない・ってのが回答でした。

 ほぼ・一日一食ながらもそこだけはなにかしら「祝祭的」に飯を喰う・ということにした。

 オリジン弁当・というまあ所謂弁当屋なのだが、いろんなおかずのチョイスが出来る・そんな店があり、そこまあまあ重宝するのである。

 和洋中の総菜がグラム178円で売っていて、それもどんな組み合わせをしても良いのね。本日は二口ずつ「酢豚・牛肉のしぐれ煮・唐揚げ・きんぴらごぼう・ポテトサラダ・揚げ出し豆腐・こんにゃくピリ辛煮・おから・茄子の煮浸しなどを片っ端から容器に入れて、ジャンボおにぎり一個買ってチーン・929円也だった。おばちゃんらもいたって冷静にグラムを量って×178円するだけのことである。他にも四川風マーボ豆腐や、トマトと茄子のマリネ・やサラダも数種類あるし、最近よくご贔屓にしている。あれやこれや買うのだが千円なかなか越さないのである。非ジョーに好ましい店であった。秋口になって涼しくなったら、赤持って総菜買って・かな、と思ってる。お手軽だし。お味の方もまあまあ良い。デパートに迫っている。おれが言うんだからウソじゃないっす。これは玉川。

 中津まで戻り八幡神社の野球グラウンドが見える木陰での昼メシ。

 基本・外メシが好きみたいなので、そんなときは別人になり、喰う飲む。しかし、家に帰ると、今試験中だからかも・なのだが、食欲
なし。夜は飲んでるだけ。

 そしてもう朝が喰う気まったくなし・だ。ヨーグルト飲むぐらいである。プチ断食を毎日・みたいなもんだな・と思う。おお・それならいいぢゃん・などとバカはよろこぶ。

 
 なんだかやっぱり政治の世界というのは次元が別である。日本国という国はこの期に及んで、最大級の震災に遭った方々も助けない。それを政争の具と化してしまう。そんな低次元の世界だった。弛緩しているのはキミらだったんだね。守られてるもんなあ。みなさん「オノレ中心のリアリズム」のなかにしか生きられないのだろうか。

 そういうの「社会性の欠如」であって、だとすれば、それはもはや・「ヒューマン・ビーング」とは言えないのでは?

 アニマルでもないし、もっと別の何か・になろうとしている。そんな気がする。

 共感能力の衰退。単純な事に対しては「だよねー」と言えるくせにね。だから「野合」はおおい。利害が元になった連帯もどきは異常に多いんだけど。

 
 本日でオオヤマは終わる。後は丘・ていどの起伏の毎日だ。気軽に勉強を教えられる。高一や高二に教えるのが好きである。教える内容もすこし専門的で良い。それを「聴く気」になっているところも良い。その前にひとつ淘汰がやっぱりある・というわけだ。

 知的な香りもそこでは効果を発揮する。中坊にはそこんとこなかなか難しい。アホはアホの良さ・面白さ・柔らかさ・もあるのだけど、こちらの「精神的体力」みたいなものが非常に要る。

 7・8月はもう教える事しかしない。他の仕事は向いていない。すぐに興味がなくなる。理解してしまえば終わりである。どんな仕事にも「更に先」はあるが、もしそれならトドムンドにてそれをやるべきだ・と思う。おれの立場ならね。


 スウィングの大きさがオノレの強みであるってことの再確認ができたような・すぐ忘れるような・そんな酷暑の日である。



 兄ちゃんら

 
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:23| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月27日

荒れとるわけさ

 昨日は、一昨日の疲れも残った上での、高一女子の矢継ぎ早の質問と・中三女子の乱暴狼藉に心身ともに過労となり、そんな予感がしてたからどうしても「海の幸パスタ」でも作らない事にはメンタルヤバい気がしたから、海老・イカ・ホタテ・アサリを準備していた。

 にんにくもちょい多め。臭いかな・とも思ったが、明日会う人々は基本「臭い人々」だしな・いや、いやそんな言い方ないと思うわ・「日常的に臭い」・いやそんな言い方もないと思うわ・「臭さに寛容」・まあ近くなってきた、そんな人々おおいからま・ええか・とにんにく「かなり」多めに攻め込んだのだった。それにスパゲッティーニ120gドカーンとぶち込めば、うちの最も大きいプレートにも乗るかのらんかぐらいの「Gカップ」なペスカトーレができあがる。

 有頭海老のアタマんとこをちゅーちゅーしながら、キンキンの白を一本空けて、赤もちょい冷やして半分空けたら、ソファのヒトとなっていた。

 で、今に至る。

 やばい。予習がまだなのだった。早めに出て、どこかの純喫茶でモーニング・とともに、と考える。

 とんぼ返りで、その乱暴狼藉の中にまた身を投じるわけである。人生ってかように不条理なものである・ということを強調しておきたいわけである。

 カラダ張ってるねえ。

 いや・張ってるよ。張れるうちに張っとくわけよ。

 もう放っといてよ。

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 08:28| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

ごめ〜んね

 体力と精神力をほぼ100%使い切った日だった。教えてて目がくらみそうになってた。一番最後の@新町の出来事だった。壁の向こうにヒトがいてくれてよかった。あれが先週みたいに一人きりだったら・と思うと・・・・だ。

 しかし、こう暑いと(完全夏である)食欲がなくなる。もう喉ごしとひんやり感だけしか食べ物には求めない。あと、刺激。

 そうやって「豆腐オトコ」と化していった去年の夏だったなあ・と振り返る。

 今年の夏はまあまあ忙しい。昔はこんだけ忙しかったら、夏終わりで海外いけたのだが、ヒトの労働の対価は・そしておれの経済的値打ちも相対的に暴落してしまった。世界恐慌個人版。

 今・中三に世界恐慌を教えているが、「今もまた」世界恐慌でもあるのだった。震災のおまけつきの。

 昨夜はかおるちゃんの投げ銭@店・でキングちゃんも来てて、で、ブルーズに乱入。ホストライヴでも乱入しようかな・ホストの特権で。でへへ。

 歌を歌う事とギターを弾く事はまるで違う能力に依って立っている。それが遠くで繋がっている。ギターが死ぬほどうまく・歌が死ぬ程よい・なんていうリチャード・トムプソンのようなヒトはなかなかいない。そうであってしかりだ。だから分業の・バンドの存在意義が生まれる。バンドはコミュニティの成り立ちと似ている。コミュニティ・というかアソシエイションというか。そこには厄介なヒトが必ずいる。

 その他の人々はそいつの無駄に付き合わされる。まあ・あ〜あ・なのだが、そこにはたまに「予定外・想定外」の事態が生まれ、そこに対応するその他の人々の能力が必然的に開発される機会が訪れる。

 1+1が1になるか3になるかのまさに分かれ目ではある。

 ヒトの繋がりとは、もうほとんど運命的と言ってもいいような「ハプニング満載」に彩られていて、まあこればっかりは「来るものは拒まず」の姿勢しかなかろうと思う。特に最近はそんな諦観に包まれている。

 まあそこでも言いたい事は言うしやりたいことはやる。

 すべての関係が「割れ鍋にとじ蓋」なのだろう。含蓄があるなあ・この言葉。とりあえず割れ鍋にも蓋をする・って点が気に入っている。「完璧」という言葉がこれほど似合わない時代もない。もともと似合っていなかったのだろう。そこそこでいこう。

 絶望的に忙しい時期ももうすぐ終わる。そこまで忙しいことはこれまでなかったほどの稼働率だったが、それもまた「ノスタルジア」となっていくのだろう。

 おれなどバカだから、解放されたその日にそのことなど忘れてしまうのだろう。きっとそうなのよ。

 まあ、自信にはなった。おそらく、これは何ヶ月に一度かの「日常」となっていく可能性もある。立場の違う世界に身を置くこともたまには必要なのかもしれない。そんな気さえしてる。

 ヒトは何かをせずに生きていく事は出来ないが、その何か・とは「色々」あったほうがいいというのがおれの強みでも弱みでもあるのだろう。ま・いいぢゃないの。ヒトは千差万別だし。

 わかりにくくで「ごめ〜んね」


 オフェリア・どこ行ったんや〜うーん・リヴォン!!!!
posted by 浪速のCAETANO at 12:42| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月25日

阿呆でした

 しかし、そのう・・・・・暑い。

 体力的にも限界だ。睡眠三時間ペースで、よくやったと思う。自分ご褒美で菱東さんのうなちゃん・を考えてる。

 しかし、7月10日まで休めない事が先ほど判明し、自分自身がメルトダウンしそうである。文句言う気力にも欠ける・というものだ。

 まあでも七月になれば朝はゆっくりできるようにはなる。ここはもう時間の問題ながら、今日明日明後日だよ。おっきな山は。はーはー。

 本日カオルちゃん(カオリーニョ藤原)の投げ銭ライヴ@TODO O MUNDOだったのを昨夜店にいく前は忘れてて、店で思い出されられて、またさっきまで忘れていた。そしてまた忘れないうちにみなさん「来た・聴いた・投げた」と、キタ商店のパスティーシュ元・ユリウス・カエサル的行為を期待しております。ちなみにおれはお仕事でいませんが。

 昨夜久しぶりに会ったお客の一人に「痩せましたね?」と言われたが、痩せました。20代の体重に後4キロまで迫ってきた。40代の体重からは9キロも減った。ただ問題は「WAIST」である。ここが何百万円も費やして造作したものだから、そう簡単に姿を消されては「もったいない」

 あの暴飲と暴食と酒池肉林の日々の記憶が詰まったWAISTであるからには・というわけなのだった。

 生きてきた証・が身体のいろんなところにある。腕の「根性焼」とか。阿呆でした。右フックによって曲がった鼻とか。阿呆でした。

 身体は記憶・というより「記録」だったね。

 記録と言う客観を記憶という主観に変換するかしないかはキミ次第・おれ次第。

 しかし、こう忙しいと・そして暑いと、そういった作業がめんどくさい。そうやっていろんなことがうやむやになり、遠ざかり、そして忘れ、そんなことを繰り返してきたような気がする。深く反省する事もあまりないから、同じミスを繰り返す。阿呆でした。

 昨日寝てないのに今日凝りもせずまた習慣で昼間にビールを飲んでしまって、今塾中ながら、苦しむおれだった。阿呆でした。これから外仕事もあるというのに。


 ステージ恐怖症もまた、記録を記憶にコンヴァージョンすることによる。

 

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:30| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月24日

おそらくここが究極の・・・

 いやー・いけだ(中津のお好み焼屋・シブさで有名)も、こんなんでええんか・ながら、さらに「そんなんでいいんですか・ほんとに・いや・まぢでよ」なお好みを発見、というか、前を通っていたのだけど、今日入ってみたわけだった。

 野田から西・玉川とか西九条とかのシブすぎな事実にアッパーカット喰らう最近なのだが、すごいねー。中津が洗練された街に思えてくる。あの辺はまだ戦後すぐのニュアンスである。

 その店はゆたか・と言って、一見狭い間口の「お持ち帰り専門」の雰囲気がある。だから、まさか中では喰えんやろ・と思いながら突入を控えていた。で、本日・意を決して突入。イートインできなくて、当たり前、の玉砕覚悟の突入だったが、結果は「暖簾に腕押し」。

 「どーぞどーぞ」とにこやかに迎えられる。

 両開きの戸があり、右半分には鉄板があり、そこが開けられていると必然的に左は閉まってしまう。しかし中へはその閉まっている左の戸を「よっこらしょ」と20cmほど開け、横歩きで入る「システム」だった。その間鉄板は半分ほど表からは隠れ、しかし、客が出入りしたと同時に再度右全開・となる「システム」。

 中は六畳ほどのまあまあ思ったよりも広い小上がりになっていて、靴を脱いで上がる。シブいクロスの掛かったちゃぶ台が二つ。先にお客がいても「相席よろしいですか?」など言わないで「相席」となるシステム。

 おどろくべきは「その値段」だ。おれは「ミックスモダン」を注文したが、この21世紀によ、その値段は350円である。

 お好みにいたっては250円ときた。

 で、ビールを注文するが「ない」とおばちゃんは言った。「コンビニで買ってきたら」と持ち込みを勧める「システム」。

 隣の隣が7/11である。

 暑かったからオリオン2種類買って戻る。帰るとおっちゃんとおばちやんが口論になっていた。「なあにーちゃん・モダン言うたなあ」「お好みやんか・わたし聴いたもん」どう見ても主導権はおばちゃんにあると思えたが、初志貫徹で「いえ・モダンです」とおばちゃんに言う。

 「あ・そう」

 強い口調だった割には、訂正が簡単なシステム。

 皿に盛ってくれて四つに割ってくれて箸で食うシステム。

 さらに驚く事。それは営業時間だ。11〜14時の180分一本勝負だった。ご両人ともまあまあお年で、ビールもない事だし、ちゃっちゃと昼時だけやってあとはプラス年金生活といったシステムのご両人と見た。

 それなりに美味しかったよ。また行こうと思う。

 
 最近、原発に対して「中立」という発言のおっさんおばはんが増えている。騙されちゃいけません。バカの壁のおじさんなんかが代表的だが、あのおじさんアタマは死ぬ程よいが、考えてる事は石原慎太郎と同じである。

 広瀬さんの遭った目がわかりやすいが、「反原発」を言う事は「危険視」されるらしい。「原理主義者」扱いされるらしい。

 ばか。

 孫ちゃんが韓国大統領と会って、ゴビ砂漠での大規模太陽光発電計画に合意したと言う。そういうことが今最もやるべき価値のある事だろうと思う。

 韓国はそっちへ国を挙げてシフトして行く事だろう。

 橋下くんもそこに関しては珍しく「正論」を言っている。今んとこ・だけど。

 今・原発に対して「同情的」な発言をする人々・覚えておくべきだ。同情すべきは被災された方々である事はいうまでもない。原発がないと「電力が補えない」と恫喝する人々は「GTCC」の話なんか国民は知らん・という前提で「究極の選択」を迫る。

 いずれわかることなのに。ばっかぢゃなかろか。カネが絡んでいるのだろう。醜悪であるが。

 TV朝日の番組の中でいつまで「再転向」の古館くんの抵抗が続けられるか・注視してる。プロレス者の変なガッツを見たいわけである。

 しかし、暑かったねー。しかし、朝方チャリで走ると気持ちいいですよ。スイカ喰いたくなったもん。

 今朝、小太りのおじいさんが散歩のイヌが片足揚げてマーキング中にうちわでイヌのお尻を扇いであげてた。何とも言えぬお二人の間の「幸せな関係」が垣間見えた。


 あつい。
posted by 浪速のCAETANO at 15:38| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月23日

今日は完全に夏

 梅雨はまだ明けん・とは言うが゛「明けるのではないか」と勝手に思う。明けたり戻ったり・ですかね。

 最近の「再評価」はJAMES TAYLORだなあ。今も聴きながら・である。今日は、「SWEET BABY JAMES」。「MUD SLIDE SLIM」に負けないぐらいの名盤である。「フォーク」の一言では何かを見失うことになる。先人は偉大なり・だ。

 ダニー・クーチとのギターの掛け合いがすばらしい。ロックともフォークともブルーズとも言えない・そしてそのどれでもある・そんな演奏が繰り広げられる。

 雨の日曜日なんかのメランコリックな気分にすごく良いと思えるのだが、生憎本日は真夏日の木曜日。まあいいのだ。1970年のアルバム。音楽は「音源」じゃないです。もちろん「音圧」でも。まだわからんか・そこのキミら。

 シンガー=ソングライターの時代だった。キャロル・キングやニール・ダイアモンド、CSN&Yの人々もそう。そしてディラン。アメリカがなんだかぴかぴかに輝いていた。彼らは哲学者のようでもあった。すくなくとも学者以上だった。権威に「コンチクショー」なんて気概がある時代だったね。今は権威に「ごめんちゃい」あるいは「ポチのワン」だ。

 スタートレック・ヴォイジャーに、ある時代には最高の科学者が、異なる時代にはまり込んでしまって、そこではホームレスをしているなんてエピソードがあるが、ヒトと時代の相性ってやっぱあるでしょう。自分がそんなでないことを祈るばかりだが、どうもそんな気もするが、立派なプロレタリアートになるしかないか・だったら。

 おれはマルクスの考えは、今の高度に洗練された資本主義のカウンター・あるいはそれを乗り越えるものとしておおいに振り返られるべきものだと思うなあ。20世紀初頭ではなく21世紀の今こそ。

 百年殺し。

 思えば、この百年はただ盲目的に「進歩」を是としてやってきたあげくのこのザマ・ってことをよーぉっく考えんといかんよね。音楽でいうなら、パンクの頃から「NO FUTURE」だったわけよ。テクノも最初はすごくシニカルな姿勢を持ってた。クラフトヴェルクなんて立派だった・と思う。パンクの売れセンとパンクの延命・が事態を悪くしたと考えてる。そのコンセプトはすばらしくとも、それをみなさん真似することによって、「どひゃー」なことってある。YMOってひょっとしたら・・・・・・などと思ってたりする。

 そこらへん「権威」だから批判したら殺されるかもしらんけど・なんちって。

 しかし、「いらん進歩」がというか進歩史観のようなものが事を悪くしてる・とは言える。

 おれたちもパンクのとこでもうすこしマジに考えなくちゃいけなかったのだ。マーケットが反応しちゃったからね。マーケットなあ。

 現在の奴隷のような精神状態の芽はそこにあったもんね。

 「何を言うんですか・アナタ・私たち・こんなに自由じゃないですか・今」と言うヒトはいるこたいるだろう。「それ本気ですか?」とじっと目を見て問いつめたい。

 自分のライヴの事を考えなきゃいかんのだが、アタマがぜんぜん廻らない・ううう。


 南部を目指す・のだが。THE BANDは「プログレ」である。
 

 
 
posted by 浪速のCAETANO at 15:35| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月22日

夏至に

 6月も後半に入り、今日は夏を思わせる日差しと気温だった。さすがに夏至。

 なんとなく「節電よなあ」と思い、扇風機オンリーでやっていたが、中三女子から「ブーイング」が出そうであるから「クーラー」を「ドライ」にして入れている。

 おのれらの体温の高さを根拠かどうかかは知らんが、来た瞬間に「あっつ」などと口走られるとこちらも「むかっ」とくるわけである。だから一応クーラーは「稼働」させている・という事実が大切なのだ。

 そんなこと言わない子たちもいるのだが、この地の中三女子、なんというか、梅田の近くの下町のやはりいいとこも悪いとこも環境となってしまっていて、あんまり出会ったことのないタイプで、まあなんというか非常に「ナイーヴ」の逆・な心象風景が見える。とはいえ、やはりもちろん中三でまだまだ子供っぽいところもあるんだけど。かかる医者は「小児科」である。ほとんど「犯罪」の気配がある。どーなの・それ? ま・いいか。

 これって、毎年のことで、このような「精神的(たまには肉体的)葛藤」を経ながら「関係」というのができていくのだった。「信頼関係」なんて、年度の初期には「今年こそ・無理かも・無理や」なんて思うのだが、そこから知らん間に「出来て」くるのだ。うちの塾は「塾らしく」ないから「形」というものを極力排しているからマイナスの方向に行くときは余計にそうなる。もちろん逆も真なり・ながらね。

 早い話、こちらが「元気」かどうか・だけなのだけど。

 塾なんて「地べた」よね。これ・実感である。地べた這ってるようなものですよ。晴れて合格・入学した暁にはみなさん・新しい学問に・あるいは新しい生活に身を委ねるのだけど、「受験期」なんて基本「何者でもない」んだからね。ゲル状の精神状態です。そんなぐちゃぐちゃな精神状態のものを相手に物理法則を・歴史的事実を・英語の構文を教えるわけだから、「恐ろしいことをしてる」なんて思うこともある。あまりの「かけ離れ度」に対してだけど。そうなると「受験のために割り切って」などという態度はそれなりに一理あるな・ということになる。こころをシャットアウトして勉強すればいいのだから。

 それがおれ・できなかったのよね。それができてれば、現役東大なんてことになるのだが、当時は「いい大学に行くのはひょっとしていけないことではないのか?」などと悩みつつ受験勉強をしていたからか、今ひとつ身が入らなかったのよね。

 受験と社会の関係に於いては、今はもっと単純である。将来いい思いをするための受験・自分だけが・でコンセンサスができていて、特に40代のおかーちゃんたちの「すさまじいまでの「全部欲しい」」にはこちらが参る。おれたちだとまだ「若きウェルテルの悩み」があったのだが、10歳違うと、「何を先生・甘いこと言うてるの!!!」となる。ヒトを蹴落としてでも・である。

 そんな即物的でいいの?とおれは思うが、そんなこと言うてられん・というのがみなさんの本音・だ。新自由主義。

 さてさて、そんなことを言っても、試験は近づく。わかりやすいプリントを作ろう。そんなことでこぼれていっちゃうと、今は特にろくなことがないからね。

 メキシコの薔薇。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:20| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月19日

 BOM DOMINGO.

 久しぶりに9時まで寝れた。

 さてさて、予習なのだが、本日は塾有りで、やはりめまぐるしい。しかし、料理はするぞー・と意気込む。

 今・スペアリブを漬け込んでいる。塾&予習が終わった頃にはいい感じになっている予定だ。今日は赤・ね。トマトのサラダを添えて・かね。

 スタートレックが溜まっている。食事しながら「三昧」の日である。しかし、アメリカのTVの女優のグレードの高さは「グレイト」だと思う。きっと、そんなに有名ではないにも関わらず、とびきりの女優を用意してくる。

 日本のドラマって「一体なんなのさ」である・そう考えると。CMに出ているようなオンナがドラマの主演をする・なんてのが、かなりの「人材不足」を物語る。画一化の弊害だと思う。中学生女子もほぼ「ジャニーズ系・全肯定」だったりする。なんなのかねえ? 貧しいなあ・と思う。地震が起こっても、いや地震が起こって以来、余計にその求心力は増した・そんな気さえする。精神的にもみんな貧乏だなあ・と思う。諸悪の根源はやっぱ・TVかな。貧者のメディウムとはネットではなく実はTVではないのか? PASSIVEというのもいただけない。ネットは発信も出来るもんな。受け専門。ネコ・なメディウムとも言える。最低。

 など・阿呆なことを言うてる場合でもないのだが、早起きしないでよいというだけでヒトはこんなにバカになれる・という一例でした。

 明日も少し余裕だ。しかし、そのあとがタイトである。3:15に終わって4:00には家に着いてないといかん。部屋も片付けとかんといかんなあ。どこかで一日塾を休みにしないと「死んでしまいそう」だ。市役所にも行かなきゃいかん。ん?どっちの市役所だ? 大阪か吹田か?なんでこんなときに・と思うが、先送りのなせるわざ・だった。めんどくさいことってねえ。

 試練はいろんなところにあるのだが、それでも震災に遭われた方々よりは随分恵まれていると思う。ただ、忘れるのね。忘れる。

 良心のある人々、そのアンビヴァレントな感覚に苦しむ・と思う。忘れちゃいかん、しかし、忘れないことにはオノレの生活が成り立たん・そんなこと。

 余裕のある時に「静かに祈る」そんなことぐらいしか出来ない。それでよし・とするしかなかろう。

 しかし完全な休みが欲しい。期末テストが終わるのは今月末である。しかし、他の絡みがあって、なかなか解放されない。さらにそのアイテムを増やそうとしている。おれは阿呆か? それとも何かの反動か?

 試験も終わって、ライヴも終了したら、なんとか隙をついて、南へ・和歌山へ・熊野へ行きたい。湯の峰の湯に浸かり、世俗の垢を落としたい。もっと言うと、死んで生まれ変わりたい。

 そもそも、熊野とはそういう場だ。「再生」の地・熊野。そろそろ後白河院の御幸回数に近づく。ドたぬき・後白河であった。熊野から吉野経由で明日香へ向かう。考えただけでエキサイティングだ。それは神武(とされる人物)の本州上陸ルートでもある。考えるだけでもエキサイティング極まりない。実際いけるかどうかはわかんないんだけど、緻密にその体験の記憶と想像力でそのルートを辿ってみる。その作業は「実際にそこへと足を運ぶこと」と大差ないことに気づく。

 あるときから、まああんまり、知識がない人々が、「どこへ行った」「何を喰った」みたいなことを言う・書く・そんなことに反応しなくなった。「経験至上主義」の方はなかなか可哀想だと思うようになった。というか全然「いいなー」という気になれないのね。なんででしょう?

 よくわからない。

 そういう発言する方の「薄っぺらさ」が鼻につくからかなあ。それもひとつだろうが、それだけではなさそうだ。

 体験がイチゼロのイチでもない・っちゅうことがもうわかっちゃったからではないのかな・と他人事のように言ってみる。でも当たらずとも遠からじ・なのではないか。

 熊野〜明日香ツアーはなんとか実現させたいけどね。

 熊野と明日香は対照的な場。明日香が陽なら熊野は陰と言ってもいい。リアルとアンリアル、生と死、そんな対比が出来ようか・と考える。

 明日香と言えばもう一つの飛鳥がある。西(かわちの)飛鳥である。葛城山を挟んで、東(やまとの)飛鳥と西(かわちの)飛鳥がある。応神が本拠を構えたのが西(かわちの)飛鳥である。でっかい古墳がある。

 聖徳太子・天武・長屋王はなぜか河内の飛鳥に祀られている。

 古代はわからないことだらけなのであるが、逆に定説がしっかりしていないから、何を考えても良いという自由がある。

 打倒藤原不比等だからね。


 本日、塾と予習はあったものの、一日中どこにも行かずに済んで「しあわせ」。

 その後、気が変わって、スペアリブ・トマトサラダで赤・さらにゴージャス冷麺で白・という展開だった。そして今・また赤に戻ってる。

 BOM DOMINGO. はやくも酔っぱらいだ。

 アーイヤイヤイ

 

 
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2011年06月16日

DAYS GO ON

 着々と過ぎつつある6月。

 昼寝を覚える。

 昼寝できない体質だったのに「必要は発明のマザー」だった。

 ひるねをすると一日が二分割される・そんな気になる。ひるね前後でやってることが全く異なるから余計に・だ。

 SIESTAだったね。エル コンドル フエガ デスプエス デ ラ シエスタ、なんちって。まあしかし、コンドルは飛び回らんが、放射能飛び回るこの国でひるねぐらいしてもよかろう。

 ひるねは基本@ソファだ。よるねもソファのこともある。結構周りは今「風邪」が流行っている。暑いとおもってたら結構夜とか冷えるもんね。梅雨前線が北上してこない。

 しかし、そのうち「ゲリラ豪雨」あるのだろう。踏んだり蹴ったりだ。

 一見、特に関西にいると、平穏な日々が続いているかのような錯覚に陥るのだけれど、実はものすごく深刻な事態をおれたちは生きざるを得なくなっている。ふと、3.11以前の社会がそこにはあるような気がするときもある。しかし、それは真実「気のせい」なのだ。チェルノブイリの放射能が日本まで飛んできたように福島の放射能もほぼ満遍なく列島を・半島を・大陸を・海洋を覆っているはずだ。目に見えない・これが厄介なのだ。これまでおれたちは見て見ぬ振りをあまりに多くの頻度で経験してきた。その癖ってなかなか直らん・よね。

 たががはずれていた社会を襲った震災は致命的だ。案の定なんの有効な対策を打てずに今に至る。ハードもソフトもだめだったのだ。

 このもうどこかしら息苦しかった社会はほんとうの息苦しさを味わうことになる。なる・なんて他人事ではないのだけれど。本格的「チョーシ悪くてあたりまえ」な時間帯であり、それは半永久的に続いて行くのだろう。

 もひとつ、おれたちはPATIENTになる必要があるということだ。しかし、それがいつまで「持つ」ことやら。先が思いやられます。

 かつての放射能のなかった時代へ思いを馳せるぐらいしかできることがなかったりする。明日香と熊野に行きたい。


 師匠は何を思う?


 
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2011年06月14日

自由

 やっとこさ、コピーが復活して、塾前に7/11に走らなくて済むようになった。関係各位に多謝。

 しかし、昔の学校のようで面白くもありました。即興で問題作ったりとか。

 利便の機器があるということで、なにかしら脳内的に「安心→安全→油断」みたいなものがあります。プリントをコピーしただけで「お勉強させた」みたいな気になったりとかね。今後はw/oコピー時の緊張感を持ちながらやっていきましょう。

 六月も半分、折り返し。相変わらず早起きなのだが、「起きなあかん」と「起きんでもええのに勝手に目が覚める」の違いを実感しているところだ。しかし、おそらくこれからは時間が過ぎるのは早いだろう・と予測している。早く7月になって欲しい。根本状況は変わんないんだがね。

 基本、おれはヒトに管理されることも管理することも大嫌いで、しかし、管理される場合は、なんとかその管理の目を盗んで、合法的に「見える」方法で、本能的にそこから網の目をくぐろうとする。その場合はまだいいのだが、管理する側になったときに実はものすごく居心地が悪いのね。

 「見たくない・聴きたくない」と故南方師匠化するわけだけれど、それをやりつづけると空気はもう「どひゃー」になってしまう。自由で楽しいのが良いのだが、おれが思う自由は、相手の思う「なんでもあり」と対応する・そんな結果になりがちである。

 それが悩みの種ぢゃん。

 最近、そんな状況相対化する出来事が多く、おれは「管理者」ではないときに「いい仕事」をする・そんな気がしてる。ジレンマ・だ。

 ヒトを管理し・ということは「支配」し・に繋がると思うが、それを嬉々として・あるいは、仕事だからといってそんなに消極的でなくやれるやつがいる。きっと彼/彼女はそんなことでこゝろは痛まないのだろうが、おれはあいててて・だ。

 おれの「やわさ」はそんなことにも原因がある。

 でもさあ・言葉はまだあって、その概念がぼやけて、実体はほとんど存在しない・というのが「自由」なのでは、と思っている。

 現代の自由とは、微分されてしまった。だがしかし、一見不自由な状況にも「自由の芽」は存在する。おれは今、そんなことを実感しつつある。誰かが/何かが、おれの身体や時間を拘束しようとすればするほど、おれの精神は「自由」を求めてしまう。そんな意味でもこの2011年6月は、ほんとにいい経験をした・とあとで思うだろう。自分が求めているものがなんなのか、少し危機感を伴って再確認できつつあるからだ。

 あんまり阿呆になるのはよそう・と思う。もう十分阿呆だからだ。

 のど元過ぎればなんとか・で、おれもすぐ忘れてしまうからなあ。

 自由ほど「ちょうど良さ」の微調整が難しく、そして不断に必要なものはないだろう。油断はまさに禁物である。自分の自由の「ちょうど良さ」が見えてきている。

 そのスケールを覚えておかなくては。

 ホント・言うは易し・なのだ。


posted by 浪速のCAETANO at 18:02| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

ぐるりな日

 早起きの癖がついて(前からか?)まだ18:00というのに十二時間起きてるってなんか変でしんどい。

 今日は学校行くその前後に流れるように用事をすませて・と思っていたが、完了したのは前半部のみ。学校がなかなかハードだった。

 ま・それもよし・後半部はまた後ほど。でこれから塾だけど、明日実力テストの学校があって、範囲広過ぎて何をやっても「効果有り(あるいは効果なし」だろう。

 まあじたばたしてみるわけだった。

 午前中に京橋あたりをうろうろしていたのだが、OBPの周辺・特に東側界隈の絶望的な感じと、そのあたりから見上げる城見らへんのギャップに「あ〜あ」だった。おれかつて緑橋に棲んでたから、当時のその界隈の様子まだ覚えているが、30年経ってもほとんど変わっていない。

 OBPがOBPと言われ出した頃、よくそのあたり行っていた。ニュー・オータニはよく利用してた。健全にも不健全にも。好きなホテルだった。シャンパン・ブランチとか懐かしい。フォンタナ・ディ・オータニとかまだあるの? あと、あのよう行ってたエキゾなレストラン・なんやったっけ? 足が遠のけば、名前も消えて行く。

 ロイホで朝食を食べ、朝久しぶりに「そのような」ゆったりを体験し、上町台地を超えて学校へ。二周りほど小さい環状線をぐるり一周みたいな日だった。本日はカツカレーは・なし。

 GOT TO HURRY UP BEFORE I GROW TOO OLD.

 TAKE A TRIP AROUND THE WORLD.
 
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2011年06月12日

雨がしとしと

 最近の傾向は昼メシ重視・という人生である。

 夜は飲んでるだけ。

 昼間・外に出ていることが多い故、外食も多い。必ずビールを飲んでる。でもビール「まで」。さすがにそれ以上は、阿呆なアタマがさらに阿呆ぅ・になった状態ではお勉強は教えられない。おれのギリギリの倫理観である。あんまり自慢は出来ないが。

 本日は塾を入れてるが、まあ良かろう・ということで、天六までタバコ・コーヒー買いに行くついでに天満市場へ。

 肉を買ってくる。

 本日のビッグ・ランチは自主製作ビフカツだった。ステーキよりビフカツ派である。実は朝から、トマト入りのポテトサラダを作っていた。そんなのを付け合わせに、昼間から赤を飲んで塾前に昼寝しようという魂胆だった。

 ビフカツを「焼く」・バターとオリーブオイルで焼くのが良いのだ。同時にドミグラをワイン入れて作りつつ、カツを浸した卵もスモールオムレツにする。フライパンのこっちとあっちで同時にね。

 おれはちゃっちゃっと料理するのが好きだ。作り出して10分もかからない。ワインの栓もドミグラ作りの際に開けている。

 プレートには、先着のオムレツが乗っている。ビフカツを両面いい色にしたら取り出し、真ん中にドンと置く。レモンを絞り、ドミグラをたっぷりかけ、マスタードを大量に絞り出しておく。丑寅の方向が空いているのはそこがポテトサラダのスペースだ。ドンと大盛りで、そしてどんなに探しても本日は見つからなかったクレソンの代打のマスタードのスプラウトをオムレツの上に散らして出来上がり。
本日のパンはキムラヤさんのレーズンの田舎パンだった。

 で赤はモナストレル。

 ジェイムス・テイラー〜ボニー・レイットを聴きながらの、「雨がしとしと日曜日」のランチでした。

 料理が出来なかったのが先週の「くそー」であった。

 でもおとしまえついた。

 今週もよく似た一週間になるはずである。6月は毎週「誰かが」テストだ。6月は印象に残る月になると思う。あんまりしたことのない生活をしているからだ。なかなか辛い。辛いがそれが必要だった。まだ終わってはいない。半分弱。

 これから明日の予習であるが数3が厄介だ。なんとかしよう。トドムンドチームおよびその軍団は本日デットエンドストリートおみつにて「カラオケ大会」らしい。おれも「北ホテル」とマーヴィン・ゲイとトッド・ラングレン歌いに行きたかったのだが、パスかな・おそらく。

 ボサ・アレンジ。
 うーん・名曲だ。
posted by 浪速のCAETANO at 19:12| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月11日

掟破り・ナイス

 一時期完全にヤなやつであった古館伊知郎。しかし、どうなのだろう。にわかには信用できないとしても村上春樹のバルセロナでのスピーチに反論する寺島実郎への「掟破りの逆サソリ」は良かったらしい。

 昨夜は店へ行き、飲んだくれていた。箸墓に祀られている「ヤマトトトヒモモソヒメ」について語っていたのだった。そんな不運(幸運とも言う)に遭遇したT瀬が帰りたがっているのを、まあ待て・と引き止めつつも、ヤマトトトヒモモソヒメを語るというか発音すること自体に幸福感を持ってしまっていたおれは阿呆だが、しかし、まあこのぅ、かつての、古代のマキアベリズムだらけの権力闘争の中、そうではなかったふしのある、ヤマトの良き帝王として君臨していたニギハヤヒの話になる寸前に場のピークは終わってしまった。

 戻るが、これまでの古館くんならば、「そーそー・そーですよね」となるところが、生放送での「掟破りの逆サソリ」見物だったのに。残念なことをした。

 この期に及んでなにいうとんねん・である。寺島。権力者の手先ではないフリした手先ってのはもうバレている。

 ハードもソフトもダメぢゃん・今の日本って。

 権力の側に寝返っていた古館はみっともなかった。「プロレス者」でしょ・キミ。所詮B級なのだから、似合わんことはヤメなさいよ・とおれは思っていた。似合わんことをやった人々はものすごいみっともないことになる。それを悟ってくれたらうれしいよ。

 相撲の八百長関連をマジメくさった顔で論じていたキミは見てらんなかったもんね。それ自体が「ギャグ」だったもんね。でも寺島へ
の「前田の顔面蹴り」を敢行したのならそれは「良かった」!!!!。

 似合わんというのは「ヒール」が「ベビーフェイス」に転向してあんまりパッとしない・みたいなことである。逆も言える。「ベビーフェイス」が「ヒール」になったところで、栓抜きでのシバき加減が今イチ「なんかなあ」なのとおんなじである。

 似合う似合わんとは「運命」である。

 だから、自分に似合うことだけやりましょうね・みなさん。

 おお、もう行かなきゃ。
posted by 浪速のCAETANO at 17:23| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月09日

なんか極端なのよね なんか極端なのよね

 さて、本格的に忙しくなってきた。

 これまでにも「忙しい」時間帯はあったのだけど、そんなもん今のそれ・に比べると「おならプープー音頭」である。

 生き延びれるかなあ・などやや心配になってくる。生き延びるためにやっていることが寿命を縮めることだってあるやもしれぬ。目的がでんぐり返って地球の反対側に「こんにちは〜」もあり得るのだ。いや・まぢでよ。

 それはともかく、この一ヶ月は「何かを学ぶ」月間と思っている。何を? 「いやん・ないしょ」

 目線の「低さ」とだけ言っておきたい。いや低さだけではないな、位相の異なる目線とでも言おうか。なんかロンパリと寄り目が混ざったみたいな感じ。なんか「活動的」なのだった。

 活動的でない生活をしていたのかね・よく考えれば。どーもそうであるようだ。とにかく移動の多い月間。東奔西走である。

 厄介なのはそんなんの中に「腰据えて」やんなきゃあかんことが混ざっている。なんかペース狂うなあ。公園のハトみたいにただただせわしなくメス鳩に「やらして」「やらして」と目的一つで迫ってばかりいる・ってのがアタマぱーになれてよかったのだけど、そうもいかんみたい。

 まーなんとかなるやろ・と未来の自分に「しらんぷり」しておくことにした。

 さてさて本業の時間。
posted by 浪速のCAETANO at 18:49| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月07日

NOBODY in this town till・・・・・

 逮捕された「山口もえお」て誰や? と思っていたら、山口もえ・夫だった。

 すごい名前だなあ・と思ったのだ。

 そう言えば最近「首相自慰!!!」だったが。

 まあ、歳を取るにつれ、世間との距離も増し、目も悪くなり、耳も聞こえなくなり、「はぁ?」みたいなこと多くなって、なかなか「楽しい」こと増えるのでは? と密かに期待・な本日・梅雨の頃である。

 なかなか「一言」では意図は伝わらない。「誤解」を正さず、そして正す努力をあまりせず、結果・別れることになったEX-NAMORADASに「真意」を何度も懲りずに伝えるべきだった・と今なら思う。現場は「感情が沸騰している」から、なかなか冷静な言葉って出てこない。出てくるのはこゝろにはない、売り言葉に対する「買い言葉」だったりする。

 遅過ぎる反省。

 今は一般的に言うなら「阿呆の子」にもの申す如く、噛んで砕いて「説明」せんとあかんみたいです。しかし、うー・めんどくさいね〜。子供にだったら言えるのになあ。いいオトナの女の人にそんな態度でモノを言うってことがやや憚られるんだけどね。しかし、結果はその方法は少なくとも「正解ではなかった」ことを物語る。

 やっぱり反省。

 うん・しかし、まあ・そのぅ、反省はした方がいいかも。かつてアメリカ人じゃないし、そうはなりたくもない。ちょっとだけよ〜ん・ぐらいにしとこう。

 さて、30年ぶりのことを今やっていて、これがまた、自分の生活にアクセントというか負のアクセント・というか、いや・負だけじゃないな・プラスもあるな、しかし、そうは言っても「足したらマイナス」ぐらいのものではある・そんな人生であった。

 NOBODYになりたい欲求は満たされている。時間はほぼ無言のまま過ぎていく。NOBODYに成りきれてるだろうか?

 あんまりポシティヴではないときだってそりゃあるさ。うん・あるある。また来週。

 
 みんなが厄介者と認識するまでは君ってNOBODY.

 
 

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 16:58| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月05日

予習の合間に

 久方ぶりの学校の予習で、文系の方はちょちょいのちょいながら理系の方がなかなか立ち往生・である。

 難しいねえ・ほんとに。ちょっと気分転換だ。

 カレーでも作るかな。

 やめた。明日・カレーの日やった。

 カレーの日・って。

 いや・どーかな?

 他のオプションも2個ほどあるぞー。ミナミだから。もっとあるね。今から思う「明日」を想定すれば2個なのだが明日は明日の風邪を引く・ぢゃなくて風も吹く。明日になんないとわからんものでした。

 明日も晴れそうで・とするとチャリで行ける。とにかくやはり電車は避けたいと思う。「集団輸送」というのは「家畜」のされることだ。

 ある時、高速を走っていて、なんかぷーんとにおうなぁ・と思っていたら、隣にでっかいトラックがいて、気をつけて見ると、なんと「牛」を運んでいた。その運び方と言うか積み方と言うか、それを見事と言うかなんかなあと言うか、うしのみなさんは横向きに互い違いに積まれ、おれの方から見るなら「アタマ・ケツ・あたま・ケツ・頭・けつ・アタマ・・・・・」そんな状態でした。こんなとこにも「効率」かい・と思ったものだった。いや・効率だけではないのかもしらんよ。同じ方向向いてたら、密かに「脱走」の話し合いが行われる可能性があるとかなんとか、そんなことなのかもしらんし、まあわからないが、しかし、そのぅ「アタマ・ケツ・あたま・ケツ・頭・けつ・アタマ・・・・・」な状態は、朝のプラットホームにて、押し屋に押されて詰め込まれる人々はなんだか成り行きで変な態勢で詰め込まれ、それが原因の痴漢の冤罪なども発生するのだろうが、そんなことも連想され、しかし牛くんたちのばやい、その完全なる秩序に「あわれ」を感じてしまったのだった。逆向きに乗りたかった牛もいたろうにと思うと・・・・うーうー。

 まあ・なんだかより非人間的なことには出来るだけ近づきたくはない・とただそういうことなだけなのですが。空いてりゃ・いいんだけどね。

 去年・受験生でなぜか毎回「ドナドナ」を歌わずにおれん・といった女子がいて、それもやや「暗め」の歌唱法で、最初はおもしろがられていたが、最後にはキモがられていたのだが、しかし、あの詩はやっぱり「重たい」もんね。無事・志望校には合格したけど。

 というわけで、電車乗らずに済みそうで、ややうれしい。ただそんだけのことながら。

 なぜ雨がふらんかと言うと、梅雨前線がオホーツク気団に押され、南下しているからなのだが、だからおかげで、半袖ではややひんやり・なんていう理想の気温だ。夜中店でドア開けてたら「ちょっとさむいかな」というほどの理想的な気候。

 今年は震災の関連もあり、あんまりバカ降りはやめていただきたいよね。ゲリラ豪雨はごめんだ。トルネイドもいらんし。

 そんなことが起こるごとに人間の小ささだけが強調されていく。肉体を持つ動物としての
小ささだ。それは小さいが意識は宇宙を超える・なんてそんな順番が良いのだが、人間の小ささは棚に上げといて、肥大化した意識を持て余す・そんな存在として定着してしまったおれたちには、苦過ぎるがこれらは「良薬」なのだろう。

 そんなもんが薬にもならんのが今の日本の政治家かなあ。

 信じられないほどの厚顔度にして、しかし、その後を考えても、首相も知事も「戦争したいひとびと」となってしまうのもどうかと思う。あかん歴史の繰り返しなんて要りません・いや・まぢで。


 北ホテル。

やっぱオリジナルの方が良いね。「あの海」とは「玄界灘」だと思っているが。
posted by 浪速のCAETANO at 13:14| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

梅雨の合間の・・

 毎日うっとおしい。生活ではなく、おまえのことでもなく、天気がね。なんちって。おまえ・とか言うたらあかん。

 梅雨時は早起きの季節。もう明るくなるのも早いです。今日はそんな中、清々しい一日だった。爽やかな初夏が一瞬戻ってきたね。かなり爽やかではない日常のおれとしてはこゝろも弾む「外メシw/BEER」敢行日だった。ハトが迫ってきたが追っ払い、ネコが寄ってきたから卵焼きをシェアし、気分のいいひと時を過ごせた。

 運命はそう簡単には変わらんが、気分は変えられる。気分の集積が思考の環境となれば、思考に変化が生じ、それによって運命も1パーセクぐらいはどちらかにズレるやもしれぬ。

 最近思うのは、カラダが元気か・どうかだけがポイントだな・ということ。カラダが気分である・からなのだが、しかし、それに対してこれまで如何にその管理を怠ってきたことか。ほぼ無頓着と言えるほどの乱暴狼藉をオノレのカラダに対してはたらいてきた・と思う。若干ながら「無頼」の血も混ざっていたからな。昔のミュージシャンのニュアンスである。

 60'sの人たち、ほんとに自堕落でハチャメチャな死に方をしたものだ。しかし、それが「似合う」のだからしょうがない。死に方にも時代性だ。そこからみなさん「反省」しだして、保身やら健康やらを考え出した。タバコが悪者になり、酒さえもそうなりつつある。アメリカってほんとにしょうがないと思うが、まあ西の実験国家としてはこれまたそうなることも「しょうがない」のかもね。

 その後は正に「管理」「管理」。自由なんてあっという間になくなってしまうものなのだ。新自由主義なんてほとんど冗談のようなネーミングだ。金儲けの自由って、そんなものにしか自由がないとはなんなのだ。極端なパラダイムよね。

 自由・なんて、それを維持するだけでも難しい。油断してると「あっ」という間に指の間からこぼれ落ちてしまう。

 管理の反動だろうが、自由は「好き勝手」としての表現になりがちだが、その加減が難しい。いや・実に難しい。そしてカネがその好き勝手の根拠になるかのようなコンセンサスがいつの間にか蔓延してしまっている。みなさん・極論に走る。抑圧されている・これこそが証拠なのだが、「解決」よりも「気を紛らわす」そんなテムポラリィ・リリーフを選ぶ。トラブルは極力避けることが望ましい。これもまた現代のコンセンサスであったりする。その結果、視野は決して拡大しない。前だけを見て走っているクルマたちである。車線変更で隣のクルマに当たる。それがいやだから、車線変更はしない・そんな運転に例えられるような生き方も多い。ミーイズムということばがあったけどね。

 国会・特に今日は予算委員会であるから、ほぼ「罵倒」の言葉が容赦なく投げつけられていた。どっちもどっちですね。「党利党略」しか考えていない・と批判する方もその批判が「党利党略」によるものだったりする。

 民主主義のそのレールの先に「ファシズム」は涼しい顔をして待っている。

 橋下くんが、そろそろ「本音」を出し始めてきた。

 かれが目指すものは、統制の利いた・大統領型首相に多くの権限を与える国家だと思うが、しかし、それというのは見事に今の政治に対する「批評」になっているかのように見えるところがやや不気味である。

 見に行ったりはしないけど、プリンセス・トヨトミ(やったっけ?)あんな映画も橋下くんには追い風になるだろうし。

 大災害が起こって、みんなの気がそっち行っちゃってるタイミングってそんなことである。小泉改革によりズタズタに切り刻まれ、政権交代によりぼろぼろに風化したこの国の生活と精神は大地震と津波と放射能により破局の始まりの終わりを迎え、さらに怖い第二章が始まろうとしてる。おれはそう思う。

 1923年の関東大震災・その二年後には「普通選挙」が行われたが、それとバーターみたいに「治安維持法」が発令された。明らかに大正デモクラシーで広がり過ぎた自由の制限を目論むものだった。そこから五・一五・満州事変までは「ほんの6年」であった。


 これが皮肉になったらあかんと思うのだ。
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 17:53| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする