2011年07月31日

休日に

 久しぶりの貴重な休日。料理などしている。

 せかされていることがあるのだけど、なんか気が乗らない。でも夕方までには始めないと・と自分に言い聞かせる。が、その自分は限りなく昼酒をしたがっている。

 久しぶりの休日なのに〜・とぶーぶー言っている。

 アメリカがデフォルトになったら、それはそれはリーマンの比ではないどえらいことが待っているが、デフォルトにはならず、国債の格下げで終わるだろう・というのが大方の見方になってきている。こんな大問題は専門家でも意見が分かれるところでもあるし、おれごときのシロートが何も言えるわけがないのだが、たとえそれで終わっても、ガタンと一段「落ちた」印象だけは否定できんだろう。

 そのガタンが何度かあって、がらがらがら・となるのだが、そこだけはみんななんとなくわかっている。

 今言えることは、「どこにも安定ごときものは・ない」ってことだけで、みなさん「UPON THE TIGHT WIRE」それも揺れるWIREの上で「おっとっと」している・そんな状況だ。

 この不安定の主体は全世界に広がり、第二次大戦の不安定は枢軸国だけたったのが、そこで国家主義の日独伊があったのだが、今は世界度の国も不安定であるから、すべての国が「ヒットラー」を待ち焦がれている・かのような深層心理がないのかな・と心配になる。オバマだって、ある種の(ずっとマイルドではあるが)ヒットラーなのではないのだろうか。

 おれより若い・3・40代だが、橋下くんに期待する・という声が大きい。おれは「ちょっと待ちなさい」とは言うが、閉塞感への感受性は、いろんな時代の・特に良かった時代の記憶が少なければ、それだけ敏感にならざるを得ないだろうから、まあだまって聴いているのだが、「こわさないことにははじまらない」とはよく彼らの言う言葉である。こわすなんてことで言うなら、パンク第一世代のおれたちがかつて深く共感したところなのだが、音楽だけをこわす・ことが先行したあまり、そのこわす・は自己組織化され、あらゆる分野に「薄まりつつ・しかし、決定的なワード」としてときどき持ち出され、そこには商売の臭いもあり、それ言っときゃ「安全」みたいな雰囲気もあり、今はそれも薄まったが、薄まった分、過度に反応する人間も逆説的に増え、そこに「期待」するまあまあ偏差値高いくんも多いわけである。

 先行した音楽は見事に、こわされ、一番最悪・なものが世の中を席巻してしまっているが。

 よく「むちゃくちゃしたい」とか言ってるヒトがいる。

 これなんかが、「壊す衝動」にヒトは溢れていることの証拠だが、かれらが何かをその後「再構築」する気概と能力があるのか・と言えば心許ない。

 壊す衝動と音楽への愛情は分けて考えるべきだと思うが、それが同時に発現された時、愛情は見えにくく・衝動はわかりやすい。

 優れたミュージシャンは、その両方を「同時に見せる」ことが出来る。

 おれだって、技術だけがあるようなジャズでもフュージョンでもいいが、そんな音楽家・ハカセタロウでもいいが、あのだれやったっけ、豊津のおれもたまに行ってたバーでバイトしとったあのギターのヤツ・何でもいいがそんなのが耳ざわりのいい「経済音楽」やってるところには舞台袖から乱入して、ドロップキックかましてあげたいと思う一方、パンクのガワだけ、わかったつもりのバカが、ノイズだらけの音楽やってたら、ライヴハウスのブレーカー落としたろか・とも思うもんね。

 アンビヴァレントなわけよね。どっちかだけ・というのが、一番その音楽にドラマがない。音楽なんてのはその人の「音楽史」みたいなものだから、そこんとこが「垣間見える」というのが、おれは一番好きだ。そこにいろんな音楽が絡まり合うなんてのが理想だ。未消化のものもあってもいいと思う。

 ニール・ヤングがやっぱりかっこいい。そう考えると。カエターノ・ヴェローゾも偉大である。おれはブラジル好きだがフェチではないので、カエターノというヒトをもっとおっきな視点から見てる。なかなか音楽にも知性・って要る。

 あと10年ほどでおれが追っかけてきたひとびとはぽろぽろとなくなっていくだろう。世界情勢というか各国の状況が示唆するように、未来は「明るさ」ってなぁんにもないが、機会あるごとに自分は音楽をやっていくしかないのね。それがなんになるのだ・と言われても「さあ?」としか言いようがないのだが、変な使命感があるのね。もうすぐブラジル・ブームがやってきて、「消費され」どこのバーにも「カイピリーニャ」が置かれ、フェイジョアータが「かっこいい食べ物」になるかもしらんが・ならないか、まあとにかく、イタリアの1/3くらいのブームにはなることだろう。ブラジル好きには「あ〜あ」で終わるのかもしれないが、それも人生。

 そんな中(どんな中や?)、ライヴの告知です。

 本日・トドムンドのおれ以外のひとびとのバンド・LESS THAN ZEROがサンホールに出演します。2番目って言ってたかな(19時頃?) お時間ある方は是非。おれのライヴみたいに終電気にすることはないです。

 それと震災復興の弁護士会館ライヴ・2回目は8/1ボサ姫(2回公演)・8/2カオリーニョ(2回公演)・8/3マルタニカズ(1回公演)と続きます。12:00と16:30からの一時間ずつ。こちらは無料ですので。仙台の七夕がディスプレイされててきれいです。
 

 歌姫。
posted by 浪速のCAETANO at 14:19| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月29日

切実さの欠けた・・・

 昨日から今日にかけて、さまざまなコノテーションを発することが起こっていて複雑な気にさせられる。

 ひとつは伊良部の自殺。

 ひとつは三洋の中国企業による買収。

 ひとつは管くんのまわりの「原発」に対する姿勢。

 ひとつは・間の悪い豪雨。ひとつは一粒2万円のぶどう。

 もっとある。もっとあるが、もうすでにおれの一日のキャパを超えている。

 自殺大国日本。ロスはアメリカぢゃん・なんていう洟垂れたコメントには「いなし」で応えておいて、おれの印象ですが、生と死とはその選択肢に於いて今50:50なのかな。伊良部はアメリカにいるが、メンタルは日本人。日本ファックとか思ってるひとほどメンタリティは日本人である。ファックド・アップはラヴの裏返しでもある。

 個人にもそのひとが属するコニュニティやアソシエイションにも「タメ」はなく、例えていうならショック・アブソーバーのないクルマに乗って、それで高速ならまだいいが、未舗装のでこぼこ道ではすぐ腰がぼろぼろになる。

 今・イノチ・って軽い。これはヒトの倫理としてそうなっているのではなく「社会のコンセンサス」としてイノチなんて軽いんだもんね・ってことになってることの証明である。そうなることは前々からわかっていたよね。オノレのイノチのカルさは他人のイノチのカルさとパラレルだし、なんか、思うのだけど、「息苦しい」わけよね。人間たちが「い過ぎて」息苦しい。他人の存在が息苦しい。行き着くとこまで行くと、自分の存在までも息苦しい。

 おれは豊津から離れて関大前に住んでた頃、そんな感じだったなあ。40歳ぐらいだった。世紀末だった。


 なんだかすごくもったいないという気がする。SANYOの白物家電が中国企業に買収というのが。M&Aというのは自分も外資・多国籍企業にいたから、よくわかるのだけど、知らん間に知らん製品と知らんヒトが隣にいるのね。それがつい最近まで競合企業だったりすることもあるわけで、とってもその気持ちは複雑。当時のM&Aはアメリカ企業によるアメリカ企業の買収だったから現在のパターンとは異なるが、でも今と同じことを日本がバブル時代にアメリカ企業に対して仕掛けてたんだもんね。因果応報ですね。

 しかし、思うことは、つい数年前まではアジアの国々が束になってかかってきても日本企業にはかないっこない・なんてこれは日本人みんなが思ってたことよね。その日本の足場を切り崩してアメリカに売っちゃった「小泉・竹中」って野郎は100回テロしても足りないほどね・本来。日本の右翼って、何してんだろう。民族の誇りを言うなら、そこ過剰反応してもしすぎることはないのにね。

 このことから日本の右翼は「アメリカの手先」に過ぎない・ということが導き出される。しょーもないねん。お前らがいますぐ死ね・だよね。日本の国民って誰にも・見事に・守られてはいないわけだから。

 
 ポスト管と言われる人間たちの中に「誰一人として」「脱原発」を言う人間がいない。20年かけて・なんて言う前原とかは=現状維持である・ということに騙されちゃダメですよ。みんな・今「脱原発」に対して「むにゃむにゃ」言って、はっきりモノを言わない政治家はもちろん、評論家・学者、チェックしといた方がいいですよ。かれらはみんなの味方のフリしてるが、ほんとはどっかなー?

 すぐにわかる。

 今「脱原発」を言って実行しないと、官僚と電力会社と政治家とマスコミの思うつぼである。かれらはもう気分は「年金受給者」とおんなじ。「逃げ切りたい!!!」ただそれだけである。逃げ切るためにはもう何でもする。何でも言う。誰でも使う。そんなときに「詭弁を弄して」その時間稼ぎに協力する「アタマのいい人々」。バカの壁のおっちゃんを筆頭に、そんないいアタマ、もっといいことに使えばー・とおれは思う。

 日本の経済的没落と言論の今のような不自由さって見事にリンクしてるってみんな気づかないのかな。気づかないっていうなら、「バカ」ですね。自分で自分を助けようとしてないですね。そんなやつがギョーカイではエラそうなこと言うのね・これがまた。なーんにもオノレのアタマで考えてないくせに。「ちっちゃなファシスト」多いよね。驕れるものは久しからず・とだけ言っておこう。気づかないフリしてる人々も、それがいつまでも続くなんてほんとに思ってるぅ? ヒトはオノレが「こうであったらいいなー」という風に社会を見る。ローマ後期と同じです。ローマは見事に滅んだけどね。


 一粒2万円のぶどうを被災者のコドモたちに食べさせる・というが、「悪趣味」極まりない・とおれは思う。まさに、要るところにお金は廻らず、いらんとこでじゃぶじゃぶ余ってるという象徴的な出来事であって、なんか延々噛み合ないなあ・という気持ちです。結構がっくり来る話。

 そんなすれ違いをおもしろがってる場合ではないと思うが。もっと「切実」だ・と思うが。

 その切実さ・は顧みられることなく、「救われない」という気持ちがみんなの中に蔓延してるとするなら(してるのだが)、自殺大国の汚名は延々ぬぐい去られることはないだろう。


 スパイ大作戦の彼女の名は「CINNAMON」
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:53| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月28日

告知から初めてエラいことに

 時間が時間なのであんまりひとにも言っていないのだが、大阪弁護士会館1F ロビーにて「東日本震災救済」のためのライヴをやってます。

 昨日が初日で朝からバタバタだったのだが、なんとか一回公演終えられました。おれは昼食時の一時間ですが、他にカオリーニョやボサ姫も出ています。今日は姫です。

 一般的には12-13と16:30-17;30の二回公演。意外な空間でのライヴですが、ボサ姫の買いたてのローランドのPAがなかなかいい仕事をしていて、最近の機材の「偏差値」高いね・高いよ。一人ライヴには充分です。

 おれは水曜担当・他の人はスケジュールはちょっと今手許にないけれど、やはり場所が意外で、よほどトラブルを抱えたヒトしか行かない場所なのだけど、実はおれはよく行っていて、ということはトラブル持つヒトということをカミング・アウトしてどうすんねんながら、しかし、そのう・トラブルは誰にも降り掛かってくるし、そしてそれは解決できるものなので、みなさん、困ったときは、というか8月中に困っといて、ついでにライヴ聴きにきてくださいね。なんか変?

 いまだ「夏のペース」体内化にはほど遠く、やや慎重に過ごしている。おれは仕事休まない・でなく「休めない」ので、そしてその休めないことは別に嫌いでもないのだ。何かの中に嵌ってる時には。その代わり、それが終われば、勝手にどこかへ行くけども。それを楽しみに、日々を過ごす。そんな「こっち方面に過剰」「そっち方向過剰」「あっちも・・・」なんてのは嫌いじゃない。その「過剰」ってのはクリエイターには必要なのかも。必要条件。十分条件ではないのね。あくまで「必要条件」だから。中途ぱんつな自称クリエイターの方・勘違いしないように。

 大したことないヒトにも「言論の自由」は保証されている。よかったね。おれはよかったとは思えんけどね。ほんとに正しい「査定」ができるのなら、それが言論の自由「権」を担保するみたいなことが本当はいいと思うけどね。愚にもつかんような・そして幼児的な言説と行為で周りを振り回す・バカ、世の中多いですが、それは実は、世界の国々で起こる「極右思想」の基盤になってると思ってる。

 そのバカ言説・行為とは「ちっちゃなファシスト」そのものだからだ。すべてのそんなやつ・「自覚せよ」とケツを蹴りたい。ちっちゃなファシストたちはパラサイトの立場を周囲が糾弾できないその空気に乗じて泳ぐ。泳ぎは上手い。おれはすぐに見破れるが。

 すこし話はそれ、ただ関連もあるのだが、「極右」がチカラ持ってきている。これは経済の低迷と連関度が高い。それは、資本主義によって喚起された欲望が満たされないことを身近な相対的に弱い対象に向ける。そして、それは「幼児的」な手法をとることが多い。実際の母親とかにも息子の「わがまま」を叶えてあげることがかつてのお●んこの疼きの再現みたいな気になるらしい・そんな例もよくある。オトナの男の居場所がなくなる。その幼児と母親の関係のプロトタイプはこの社会の中に気持ち悪いほど拡散・増殖していて、それが結局「極右」のベースとなるよ・とおれは言っている。

 いや・まぢで。

 既存政党の中にももう「そっち方向」しか延命の芽がない・というひとたちがいる。日本で言うと「自民党」だ。アメリカの「共和党」もそうだ。ノルウェーのこないだの大量殺人。あれが正にその思想の「発現」で、かれらというかEU国内の極右は「靖国大好き」派とごく近いところにその思想がある。

 そんな意味で言うなら日本は移民の受け入れとかはヤメといた方がいいと思うし、すでに「破局」は始まっているので、そしてそれはこの夏過ぎたぐらいから更に段階が進行するので、それはアメリカのデフォルトが円高を更に底上げし、そのうちNHKも外資に買われ、東北の漁港も外資に買われ、日本はバナナのバラ売りの叩き売りみたいなことになっていく。

 そのベースが「ちっちゃなファシスト」たちの精神にある・とおれはカナリアしている。

 彼らがツイッターでケツの舐め合いしてる間に事態はどんどん進行していく。ただ「ちっちゃなファシスト」からは「卒業」もできる。


 いいオンナも外見だけではむづかしい。もういないのでは。懐かしむものなのかもしれない。
posted by 浪速のCAETANO at 10:33| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月26日

実験くん

 昨日は朝3時に起床。

 「なんのために?」

 コパアメリカ・ファイナルぢゃん。早起きした甲斐ありだったね。ウルグアイ勝つのはわかってたけど、その勝ち方が男前過ぎて、フラストレーションがなぁんにもないゲームというのも珍しい。

 おれはフォルラン・大好きだ。彼はもう「英雄」である。ひでお・とよんぢゃだめだぞう。彼は「ひでお」である。いや「えいゆう」である。それも小国・ウルグアイの英雄であるのはあったりまえだ・ながら、世界中のリアル・サッカー・ファンのハートを鷲掴んでいるはずだ。前W杯以来ね。

 おれも正しく・そのうちの一人であって、間違いなくバッジォ・クラスの数ある名ジョガドーレの中でも、存在自体で「じわっ」と涙滲む・といった、頂上のほんの一握りのジョガドーレの中のTOP OF TOPSである。メッシもクリスチァーノ・ロナウドもそんなことはない。給料は彼らの方が高いとしても・だ。

 おれはオノレの傾向にここで気づく。自分はクラブ・チームではなく「ナショナル・チーム」での彼らのプレイに「ぐっとくる」のだな・ということだった。クラブと違って、「リミテッドなリソース」でなんとかしないとあかん・そこにぐっときちゃうのか・と思うが、それだけではないというのがなんとなくわかっていて、それを解析していくのは「今はちょっと」なのでオノレを放置するのだが、まあ・非常に「情緒的に」サッカーを見てるのがたのしいのだな・ということだけは言える。

 まあ・なんというか、体質的にやや旧いのね・と思う。思うがもうおれはそれがどうした・と「鶴田浩二化」してしまうわけだから、別にいいのだ。戦術的なおもしろさははもちろんおれもわかるが、その上で、やはり何かを打開するのは「個人の能力」しかない。フォルランやスアレスを見ていてほんとにそう思う。例えばセットプレーのキッカーの正確さ・なんてのは戦術ではないもんね。そんなことである。戦術から「ふっと」浮き上がったときの「個人のチカラ」をおれは見たいのだな・この戦術万能の時代だからこそ、余計にそこを見たいのだな・と思う。

 これもちょっと旧い・でしたね。もう放っといていただきたくなるわけだが、そんなおれに対応してくれるのが今や「世界最強2トップ」と言っていいフォルラン・スアレスなのだった。

 おれは断言するが、今・この時点で「最もエキサイティング」なマッチメイクは「スペインvsウルグアイ」です。このコパとユーロの覇者同士の一戦は戦術的にも極上のSMショーのように絡むだろうし、どちらかというとMの側に世界最強2トップがいるわけだから、一体、瞬間瞬間で何が起こるかわからない値打ちの超ゴージャスな90分間になるはすだ。

 残念なのはその可能性は2014のW杯までないことだ。ほーんと残念。

 大切なことは限られたリソース(スペインでさえもバルサ・マイナス・メッシであることを考えれば)の中でいかに良いチームをどんなバランス感覚で作るか・ってのがナショナルチームのおもしろさであって、そこには「びんぼーにんの知恵」が要る。発想が有名クラブとはまるで逆で、どちらかといえば弱いクラブなんかによく似てるよね。そこがいい。だからその中にはリアル・スーパースターが時に現れる。かつてのブルガリアのストイチコフやルーマニアのハジなんかわかりやすすぎるが、かれらなんてほんと「意気に感じて」プレイしてるのが、見た瞬間にわかるもん。「おれがおれが」は「能力のある人間」なら、まだかろうじて、しかも信じられないほどの結果付きで、効果がある・と思う。「無能な人間」がそれやっちゃうと、単に「周りはメーワク」だけど。

 実験ね。

 実験には「見通し」が要る。

 さて・実験国家と言えば、アメリカ・ソ連・日本ときて今結果の出てない中国だけど、その中国も「中国新幹線」の惨事の報で感じることは、やはり「失敗かなあ」ということだ。

 ソ連はすでに崩壊し、アメリカも「デフォルト寸前」、日本はこのザマだし、まあ考えようによっちゃ「EU」も新たな実験国家と言ってもいいわけだけど、火種いっぱい抱えてのこの辺境での大惨事。まあノルウェーはEU未加盟ながら、お金すっからかんのギリシアや地中海沿岸諸国。帝国主義時代に蓄えたそれこそ「遺産」で喰っていってるようなものである。

 「国家はすべて失敗する」ではないだろうか。

 「国家はすべて失敗する」だと思う。

 自分がサッカーのナショナル・チームに過剰反応してしまうのは、そんな国家を「受け入れて・引き受けて」戦う・例えばフォルランやバッジォ、フィーゴたちの表情に垣間見える、「センティミエント」におれの柔らかい部分が「過剰反応」するからかもしれないと思ったりする。彼らがその重圧に堪えて、結果残すのって、しかも団体競技で、それはおそろしく「高度なこと」に思えるのだった。


 SENTIMIENT

posted by 浪速のCAETANO at 09:02| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月23日

夏の扉を開けて・・

 銃乱射で80人殺しちゃう・ってゲーム時代の犯罪かと思う。32というしね。犯人は極右というが、最も嫌いな立ち位置であるし、集団でもある。でもきっと中にいると心地よいのだろう。わかりやすい思考停止の産物と言える。

 ゲーマーで極右・「使いやすかろう」と思うもん。きっと全世界で増殖してるはず。

 思想はマイルド・な方がよいのかも。おそらく。

 さて、本日より「自分にとっての夏」が始まる。まあ、無事に終われることを祈りつつ、なんとかやっとこう。がんばりま〜す・と空気に言う。

 一刻も早い「ROUTINE化」を希望・します。

 あ・やらなあかんことを忘れてた。おー・こりゃ第一週目から忙しいかも。

 いろんなこと・忘れ過ぎだ。まず・探し物から。またや。

 いろんなことが起こりそうな夏ではある。

 はいっ・今・入りました。


 
posted by 浪速のCAETANO at 12:28| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

また・だけど

 おれは、自分でおじいさんプレイすることはあるが、ほんとはまだそんな自覚はなく、それは自分の父親が「おじいさん」としてまだ彼の地で生活をしているからかもしれない。

 こんな髪の色だから、ほんとに表面的にしか物事を見ない人からは「おじいさん」と思われることはある。そんなときはお肌も艶のないバイオリズムだったのだろう。そんな方々には「記号の逆襲」をしてあげるのだけど。

 で、だ。おれたちは、昨日、中村とうようさんの自殺の報に接した。

 コンちゃん(今野 雄二氏)・加藤さん(和彦氏)の自殺にへんな「免疫」できてしまったのもどうかと思うのだけど、おれも最初とうようさんがもうover80だったからか、ある種「一般論的」にその自死を納得しようとした。

 その一般論とは、亡くなった方がまだ若かったなら「早すぎるのにね〜」・それに対して亡くなった方が高齢の場合「大往生でしたね(生きるだけ生きてたしなあ)」みたいなこと。

 おれたちはアホだから、人間年齢と言うか地球年齢で、ある種の諦観を持って「ヒトの寿命」についてわかったようなことを口にし、それが所謂一般論の根拠みたいなことに・よう考えもせず、なってると思うのだが、でもほんとは「いつまでも生きていていただきたいヒト」と「今すぐ死んでもそないだれも困らないヒト」というその2種類があるだけの話なのではないか。

 もう一種類「こちらは積極的にシネシネ・と思い願いながらも、そう願えば願うほど、まるでその憎悪を栄養にするかのようにイヒヒヒイヒヒヒと含み笑い声を背景に肥え太りその立場が更なる安定へと向かうヒト」もいる。

 およそ自殺するのは、第一のタイプ。いや・その自死をヒトが認知し、惜しむことになるのが第一のタイプだろうと思うのだ。

 ものすごい矛盾がある。みんなから「生きていて欲しい」と願われる方々が自ら命を絶ち、「FUCK視」されているおっさんおばはんらは権力に寄り添い、ちゅーちゅーする水はいつまでも甘いのよ・ということになる。まあ第一のタイプのふりしつつ、実は第三のヒトという「クレヴァー」くんもいらっしゃるが。そんな方々はポーズ上手だから。

 神経が細いのって、大変である。それはもう生まれと育ちで決定してしまう。そして細いからこそ見えるものもある。声高・って神経細いの同義と見ていい。

 第一のタイプは、でもがんばるのよ。現実との対応は確かにかれ・かのじょを強くもしてくれる。もともと「リアリスト」なんかではないのだ。もっというならリアルを憎んどるわけ。で、音楽とか文学へと引き寄せられる。しかし、音楽と文学は違う。文学もそうかもしれないが、音楽のフィールドはもうないほど荒んでいる。それは文学などの比じゃない。しかも、その音楽は相対的ワカモノだった時代には「イスラム原理主義者のコーラン」というとイメージ悪くなるが、それはアメリカの視線におれたちが晒され過ぎてるからである。実際、当時の音は「今でもパワー」を持っている。それがある意味厄介なのだ。

 その音の根拠になった社会は跡形もなく消え失せているのにも関わらず、その音は正にそこに「在る」わけだから。意識はフィード・バックを始めるでしょう・そりゃ。音楽を相対化できているヒトならよいわけ。しかし、そんなヒトに切実な振りをして音楽について「語っていただきたくはない」。それは前述のクレヴァーくんに多いが、音楽をアクセサリーのように扱うな・うっとうしい・と言いたい。

 自死された方々を必要以上に美化するつもりはないんだけど、そこには「当事者の苦悩」があると思う。それは、かつての栄光が地に堕ちてしまった音楽というフィールドの不運に寄り添って生きるしかない当事者のある種の覚悟なのだ。

 とうようさんが聴いてこられた・すばらしい音楽をおれも影響され・反発もし、好きになったものも・嫌いになったものも、とうようさんが嫌いなのに大好きになったもの(NEIL YOUNG、TELEVISION等)も数限りなくあるが、「音楽でモノを考える」ということが習慣になっている。かおるちゃんの「リズムでモノを考える」とはおれが散々言ってきたことの、彼の実感溢れるパラフレーズだと思う。

 もうそっち方面の方・誰が自殺されても驚かないが、おそらくSさんなんて絶対しないが、可能性ならHさんだが、まあどーでもよいが、やっぱ音楽ってヒトを「コドモ」に連れ戻す作用があるから、どんなにおじいさんになっても聴くとチカラが一瞬漲るもんね。それから社会復帰が大変ですが。

 おれももう身近に悲しむ人間がいる限り、自死は考えないと思うが、というほど悲しむ人間はおらんが、なーんやそれ・ながら、でもね、とうようさんの今回のことはわかりやすく、コンちゃん・加藤さんの流れの延長上にあると思います。

 よく怒ってた人が、亡くなるって、その怒りの対象にやっぱり最終的に負けた気がします。おれたちは、きっと負けるのだけど、しかし・だからこそ、そのヒトの歴史が抵抗の歴史でもあるってことは、理想に近い。それは「自然」なことでもあるって気がするからだ。

 しかし、業界はなあんにも反省しないし、もうきっとできないのだろう。

 音楽のような時間を超えるものが身近にある人間にトシって関係なかったです。

 とうようさん、ありがとうございました。ご苦労様でした。




 

 

posted by 浪速のCAETANO at 12:11| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

嵐は行ったが、嵐の前の

 本日・土用の日・わりとひんやり・いいぞいいぞ。

 今週も全休ってないのだけど、この土曜日からのことを考えると「こわい」ので、あんまり考えないようにしている。

 さあ・今年もやってまいりました・夏期講習・と司会の誰かが言っているかのようである。云わんでよろしいので。

 まあ・今年は見事にびっちり詰まってしまった。しまった・って誰かにやられたみたいな言い方をするが、自分で決めたことなのである。正確に言うと「もうひとりの自分」と言うべきである。楽した〜い・という自分と、喰ってかなきゃいかんやろ・キミ、たのむでしかし・の自分がいて、もちろんそんなことをするのは後者の自分である。その両者を両極にその間をふらふら漂いながら生きている・と思うのだが、人間とは不思議なもので、カラダが慣れる頃には精神も「そういうモード」になってしまっていて、あたかも「ランナーズ・ハイ」のような様相を呈してくる。しかし、それがあまりにも続くと「ワーカホリック」ということになり、どこか精神がやっぱりイんでくる。

 そこのブレーキのかけ具合が大変難しい。そして、このクソ暑過ぎて、もう喉ごしのよいつるつるしか喰う気せんもんね・決められたことしかもうしたくないんだもんね・他のこと「見たくない聞きたくない」と南方師匠化する・脳が軟化してしまう夏であるから、ある程度ルーティンもすごく楽なのだった。もうとりあえず、「神経」使うのは厭なのだ。

 朝・自動的に起き、毎日同じ朝食を食べ、昼はまあいくつかのヴァリエイションは必要か・と思うが、同じ時刻に家を出、ほぼ同じ時刻に帰って来、シャワーを浴び、ビールを飲み、その後ワインなのか焼酎なのか、そこも選択の余地を残しとこうか、まあしかし、その後スタートレックを1ないし2本・スパイ大作戦を1本見て、そのうちに酔っぱらってくるから、ベッドに倒れ込む。それで充分。夏はもうそれでよし。

 そのうち、今何月何日何時何分? みたいな気持ちになってきたらしめたものなのだが、もうほんとこの時期「データ少佐」になりたい。感情をなくしたい。アンドロイド全肯定である。

 そうすると「楽」になれる日々がもうすぐ明後日から始まります・という、「死刑宣告」ではないが、なんだかそれによく似たかのような、オノレの予定に戦々恐々となる・今日明日ながらも、本日すずしいからまだ冷静。

 ほんとでもカラダが慣れるまでは大変なのね。6月の大変さとはまた別物だ。

 まあ、オノレの「まだあると信じる順応力」に期待してる。


 lalalaで済んだら世話ないが。
 
posted by 浪速のCAETANO at 14:24| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月19日

Oh! エネルギー

 台風関連の報道で、串本辺りが映っていて、あのあたりは海岸線に平行に・というよりも海岸線をR42が走っているから、走っているクルマが波をかぶっていた。

 本宮辺りにも警報が出てて、500人ほどが避難している・と報じられていた。

 かつての本宮(大斎原)も熊野川の大洪水で流されたんだもんね。今は巨大な鳥居があるだけだが。

 台風6号は弱まる気配がなく、それは日本付近の海温が28℃以上あるからなのだが、それが延々熱エネルギーを補充しているというわけだ。

 エネルギーとは「保存の法則」のもとで形を変えていくのだけど、その暖かい海水から補充された熱エネルギーは台風自身が回転する運動エネルギーへと転換し、それが猛烈な風を吹かせるわけだけど、それに加えてその風は上昇気流を伴い、水蒸気を上空へ上空へと押し上げ、いつしか、その空気は露点を迎え、水蒸気は水滴となり、その水滴は位置エネルギーを持つ。その位置エネルギーは台風が海水からいただいた熱エネルギーが上昇気流と言うこれもまた運動エネルギーとなり、空気塊を押し上げたものなのだった。

 高い位置にある位置エネルギーを持った水滴の大量の粒は落ちてきて・ということは運動エネルギーを持ち、それは地面を海面を湖面を叩く。それが地面であるとするなら、それは何かを浸食し、その形を変えることもあるだろう。しかし、それはほとんど、エネルギー自体は消滅するかのような印象を受け、こさらに海面・湖面を叩く運動エネルギーはその瞬間に消滅してしまうかのような印象を持つ。

 ここんとこなんとかならんのだろうか・と思う。

 なんとか保存できたいものだ・と切に思う。

 そして台風本体の持つ「巨大な」エネルギーも・だ。

 なんだか、おれたちはそのエネルギーをみすみす指をくわえてプラス洟垂れもって「見過ごしている」そんなイメージを持つ。

 そんな巨大なものたちだけではないよ。今・10万ほどで「コンデンサー」が意外によく売れていると聞く。

 おれは日本の誇る技術力によって、オールマイティなエネルギー変換機を作っていただきたいと思っている。おれたちだってほんとに無駄にしている。わかりやすいのはうちに来ている中三女子の「体温の高さ」である。なんに「無駄に燃えとんねん・お前らのカラダ」と口に出すとなかなかタッチィな内容とはなるが、そんな体温ひつようないやろ・と思っている。その一度分を他のエネルギーへと変換。

 もう一つは「反復行為」の運動エネルギーを別のエネルギーへ・である。ボクサーがやる・縄跳び、力士のしこ・てっぽう、プロレスラーのヒンドゥー・スクワット、黒柳徹子のスクワットでもいいのだ。森光子のでんぐり返りとか、あ・それは一回きりでした。

 そんな著名な人々のなにかでなくとも、そこのキミ・キミやキミ・ギンギンのキミ・ヤリタイ病のキミやって。キミのキンタマの毛に発電機をおれはつけたい!!!

 セックス中にかなりいい角度にて揺れる・そのキミのキンタマである。それをうまく変換するとLEDぐらいはつけれると思う。そして、その行為自体も「推奨」される。いいね。

 しかし、あまりに早いと、「豆電球の一瞬」ぐらいの発電量しかないだろう。早いヒトには「豆電球にも足らん」などというスラングもできるだろう。

 エネルギーは与えられるものという発想からは転換していくべきだとおれも強く思うんですよ。

 これ考え出すと、きりがない。無限にあるんだもん。だから、その、「転換技術」さえ、日本の技術力でなんとかすればいいのよ。LEDでもそうだけど、その根幹にある哲学は「節電」なのだけど、おれはそれは「そうかなあ?」と斜視になる。

 ばかばか使っていいから、そのかわり、オノレも生み出す・ってのが「どーなの?」と賢い理系と討論してみたい。

 それは台風なんかを見てると思うのよね。今回の6号だって「無駄にでかい」でしょう。その無駄が無駄でなけりゃ・つまり、トゥー・マッチな分を「回収」できればなんの問題もないよね。

 社会のダウンサイズとは「先進国」に限った歴史の必然ながら、おれは「元気」なくなるってのは、どーも・ね・と思う一人である。その元気の根拠がエネルギーの無限に依拠していた時代が終わっただけで、有限なエネルギーを転換するたびに回収できる割合が増えれ
ば、さほど、節電で電力会社に脅されんでもよくなる。

 あのね、元気がなくなる・ってのは、やっぱ・ダメよ。元気が体内に取り込んだ「エネルギーの発露」という意味に於いてはね。きみも江頭2:50嫌いじゃないくせに。空元気も元気のうちだったりする・という意味でもある。ブルーハーツみたいな元気はほんまにいらんけどね。でもあんな系でバカ騒ぐバカたちの「あの」エネルギー「エネルギー回収委員会」としては、目・きらっと光るとこである。
posted by 浪速のCAETANO at 14:59| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月18日

すごいなあ

 いや日本の女子・すごい。ワールド・カップ・チャンピオンって・それ・すごい。

 チリ戦の前に、半寝の状態でみていたが、本編の後半残り10分で追いついたところで、眠気が醒めた。

 延長で再度・追いついた・その技術とメンタルもすごい。

 言われてよく見てみるなら、どの国も、ちょっと前の男子で言うならイングランドみたいなサッカーしてるチームばかりなのだった。

 日本女子はそんなサッカーができるような「背」のジョガドーラは誰一人いず、とするなら選択肢は「所謂いいサッカー」するしかなかった・ということだもんね。

 繋ぐサッカー、相手の裏を取るサッカーだ。

 しかし、そのう沢さんすごい。俯瞰できる目を持ってるし、自分でも決めれるし、女子サッカーの世間的ピック・アップの歴史を考えるなら、ペレでありマラドーナだ。世界中の女子サッカーをやってるコドモたちの間で「あの眉毛」が、カニーヒャのヘアバンドのように流行するだろう(無責任発言)。

 いやしかし、MVPでもあるし、得点王でもあるし、プレースタイルから言うと彼女はマラドーナであるしバッジォであるとするなら、そうか、しかし、マラドーナは「おばさん」だったし、あのバッジォのヘアスタイルはあまりにも「バッジォ」であったことを考えると沢さんの眉毛は「汎用性」に欠ける・そして全世界的な流行は「見送り」となるのだろうか?

 いや・まてよ、フランスやアメリカの「サッカーオタクの女子」の間ではどうだろう。アメリカなんてみんな見てただろう。「敵ながらあっぱれ」な相手チームのスーパースターである。なんとかならないだろうか(なんだそれは)。

 しかし、なんかすごかった。すごかったよ。日本女子。まあ「なでしこジャパン」と言っておこう。

 それは、彼女たちのスタイルが女子サッカーの中で初めて現れた「アルゼンチン」である、ということと、勝負師としての成熟度をすでに持ってしまっている・ということなのだ。あの・2度追いついて・しかも延長で・というのは、そんな試合展開はちょっと前のドイツや、今ならウルグアイ、というような、その根拠を民族の歴史に求めるような(例えばゲルマン魂とか)説明で多くのヒトが「うんうん」と納得してしまうか・大国の間に挟まれて歴史的にものすごく「機を見るに敏」がこれまた歴史的に身に付いてるのね・なんて言われて多くのヒトが「ほーほー」と納得する・そんなパターン以外には考えにくく、しかし、なでしこたちはそのどちらでもない。

 しかし、試合展開はかなりの「成熟度」だったのだ。

 それが不思議だし、大したものだなあ・と思った。

 「素」であり「無」な感じがした。もちろん海外のリーグでも活躍する強者でもあり、そんな経験は全く無視できない。

 できないけれど、ただその経験だけを持って、その成熟は説明できないと思うのだ。

 おれはなでしこたちはキャンディーズではないのか・と思う。

 「なんだって?」

 いや・だから、「なでしこたちはキャンディーズではないのか」と思う。

 キャンディーズとピンクレディの間には「深い断絶」があって、そこは、実は日本人の中に「狙う」という概念が入ってきた瞬間でもある。

 ピンクレディになんの責任もないのだけど、そこから日本人のメンタリティは、「物事に理由づけ」を始めた。

 「なんのために?」である。キャンデーィズの頃までは、「なんだか理由のよくわからない」行動を日本人はよくしていて、そして、周りもそれについてあれこれ言わなかったのだ。

 mid70'sの頃までではないか・と思う。

 なでしこたちには、そんな「純粋性」のようなものを感じた。でも今だって意外にそう言う子たちは多いのかもしれないな。スポーツの現場や芸術とか、女子も男子化してはいるが、男のように「いいオンナといいクルマと・・・」みたいなインセンティヴとなる欲望からはやはり少し遠いはずだ。

 現実にばかり反応するような地域性も限定的だしな。今のおれの周りが特殊なのかもしらんし。その前30年ほどなんて見事な「純粋培養」だったからね・おれも・おれの周囲も。

 その象徴としてのキャンディーズだった。

 震災の・いろんな側面に与える影響って、やっぱり必死で生きている人々により顕著なのであって、感じ・考えることも多いはずなのだ。そのような機会が「おのれの努力」とともに「運命」なんてことも感じ、それは「特権的」であると感じる感覚を持てるなら、そんな条件の中、「素」で「無」な精神になれるのでは・と密かに思うのだった。

 ほら・ゲスなこと考えたり、言ったりしてるヤツってたいてい「ヒマ」やん。

 さて・あほメディアがこれでどれだけあほに騒ぐか・だけど。沢さんはどんなスタイリストが付いてもあの眉毛で貫徹していただきたい。


 プロと言うか「素」というか。


 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:00| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月17日

やったー・完全休養日

 一ヶ月半ぶりの完全休日。なぁんもしない。

 カルパッチョ・とトマトパスタで白・赤と飲んで、それでギターを弾くぐらい。

 夏期講習のテキスト作りはまた明日や・とSAID TO MYSELF。

 しかし、今朝のコロンビアvsペルー戦は見逃したが、アルゼンチンvsウルグアイはしっかり見た。

 面白かった。

 最高だった。

 そうこなくっちゃ・コパアメリカ・という試合だった。

 もう一度・決勝でウルグアイvsチリを見たい。チリはスペインほど偏差値高くないが、その分「野生児」。そこがいい。ウルグアイはもうなんというか、「やるオトナ」のサッカー。したたかで、速い。

 おそらく、今・ヨーロッパ選手権よりこちらの方が面白いはずだ。

 メッシはマラドーナにはなれんね。特にナショナル・チームにおいては。技術とかにおいてはマラドーナより上だと思うけどね。何がたりないか? 「WILDNESS」だと言ってしまう。マラドーナの系統はバッジォ、フィーゴ(彼はスタイルはちょっとちゃうが)国民と彼という関係に於いては、そんなことでそれ以来、大物は出ていないと思う。

 そう、まさに「国民と彼」という関係を築き上げたのは上記の三人までか・とおれは思う。

 スペインは全員の偏差値が高く、「誰が」とは絞れない。

 国民と彼・という視点なら、フォルランはどうだ。いいねえ。人口300万人て、ほぼ大阪市と変わらない。そんな国にそんなフォルランだ。フィーゴの次に席を用意したい。

 必殺仕事人。上記四人はメンタリティーが共通していると思う。ほんとに「頼りになる」やつらである。

 なでしこ・ってまあ、その枠内ではすごいとは思うけど、そこは何度か前の「男子W杯」を取り巻く環境と相似形だと思う。ただ、戦前の注目度があまりにも低く、だから「驕ってるヒトもチョーシ乗ってるヒトも」そこはほら・女子ゆえかもしらんが、いない。そこんとこはすばらしい・とおれも思う。みんなサッカーだけじゃ喰えなくてバイトしてるとか・そんな話も聴く。その辺立派だと思う。

 今・「サッカー」という話をすると、なでしこジャパンということなのだろう。しかし「勝手に名前つけるなあ」。

 おれはそんな話題・絶対口にはしたくないけど、それは今・サッカーと言えば「コパ・アメリか」だからなのだけど。マイノリティー。

 しかし、不思議な気もするねえ。

 あそこはほぼすべてが元「スペイン」だもんね。その前はインディオの土地である。国際試合にもかかわらず、言葉通じすぎる。そこんとこ・面白くないですか?

 アルゼンチンなんて、実はスペインそのものだったりする。全員マジリッケのない「白人」だ。ラテン系白人ね。イギリスとアメリカとの関係と、これまたほぼ相似形であったりする。スペインとアルゼンチンって。一番インディオ指数も低いと思う。で・タンゴだしね。むちゃヨーロッパ的でしょう。

 他の国・はもっとミクスチュアが進行してる。ジョガドーレの顔でそれはわかる。ブラジルなんて、偉大なプレーヤーは白いヒト・黒いヒトほぼ50:50だ。

 というように、EUROPAとSOUTH AMERICAは距離感がありそでウッフン・なさそでウッフンな関係である・実は。EUROPAのラテン系民族の新大陸的展開の結果が南米(中米もほぼ含む)といっても差し支えないと思う。もちろん「ミクスチュア」を無視してるわけじゃないです。脱国境のヒトだから・おれ。南米=ラテン・アメリカとはよく言ったものでした。

 そんなコパ・アメリかの至福の時、あと6試合残ってる。

 アナ・プラダちゃん
もういっちょう
 

posted by 浪速のCAETANO at 20:21| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月16日

楽しかったが疲れたが楽しかった

 少数精鋭のみなさま。おつかれさま。

 おれも疲れましたが、疲れがいのある・そんな一日でした。

 この一日がどんなに値打ちがあったか・というのはおそらくおれがこの世にいなくならないとわからないでしょうが、今は幸か不幸か生きておりますので、そない・いうても、何度も繰り返しのあるスキームの一点と捉えられることかと思います。

 そんなものなのね・現実は。そして、それでいいのだ・とバカボンパパ化してしまう。

 今後に繋がるライヴで、またいろんなやりたいことがむくむくと湧いてきそうです。そして、それは可能・となりそうです。

 ヒトって大事である・とは、こんなに身につまされることはないね。ヒトの存在は、おれの可能性を現実にしてくれそうで嬉しいなあ。

 もう、「男じゃなくなるその前に」で述べたように、生きてるうちにやりたいことをやっときましょう。ただし、そこには、それが値打ち・という客観的な評価がないとヒトを巻き込めない。そこは自分に対して厳しくないと。

 これから南部チームの「アンセム」となりそうな。


男じゃなくなるその前に

やりたいことが やまほど 男じゃなくなるその前に
売ってないものを買いたい カネが紙くずになる前に
だから 世界 廻って 驚きに身を委ねたい
でも 時間に 限りが だから ちょっと急ごう 寒くなる前に

もう世界は狭いとキミは言うが 知らないことはどこにでも
だから気がついた時がその時 男じゃなくなるその前に

やりたいオンナが やまほど EDになるその前に
ジェィムス・ジョイスを読みたい アルツハイマーになる前に
だから 世界 廻って 驚きに身を委ねたい
でも 時間に 限りが だから ちょっと急ごう 寒くなる前に

キミがやらないとしても 誰かがきっと
だから 躊躇わずにいただこう
だから気がついた時がその時 男じゃなくなるその前に


気に入ってる。今度・南部チーム「LOS SOLOS LOBOS」は8/26です。日曜だし、場所が遠いから「ツアー」くんで行こうと計画しています。

再度・昨日の現場でご一緒した・「少数精鋭」の皆様方に多謝。


 
posted by 浪速のCAETANO at 16:42| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月15日

HEY!!

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 多くの人々が善かれと考える・「常識的な選択」は間違っています。少数精鋭の「選ばれたみなさま」、現場でお会いしましょう。
posted by 浪速のCAETANO at 11:38| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

7/15はホストライヴpor 浪速のカエターノ

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 明日のライヴ、いろいろ面白いと思うのだけど、そこを的確に表現する言葉がなかなかなくて困ってしまう。

 面白いとは「音楽的」に面白い・のはもちろんそうでなけりゃ、人前でやる意味もないのだけど、しかし、そんなライヴも多々ある中、明日のライヴは、それでも「面白いのではないか」と思う。

 もう「自分が・おれが」という時代は終わっていて、バンドのばやい、みんなで演奏するのが楽しいわけである。

 ここらへん、かつて・とはエラい違いで、もうさほど気負いもなく、コンダクターのような・司祭のような・そんな気持ちで音楽が出来ることが幸せでもある。

 キングちゃんやカオルちゃんのことは本人に御任せだからコメントできないが、そしてそれは否定的な意味ではないが、自分の絡むLOS SOLOS LOBOSとCVS COWBOYSはおれが「やってて楽しい」からきっとおもしろいと思います。上手い人々がライヴ前に一回音あわせして「じゃ・よろしく」という感じてもない。みなさん・まあ売れっ子なのでそんな側面もなくはないが、割とおれたちにしては時間かけた方である。

 飲み屋の話って大体尻すぼみなのだけど、南部チームに関して言えば、次のライヴも決まってるほどだ。ま・カウボーイズに関しては、スケジュールさえあえば、いつでもどこでも、ぶちかますけどね。自分がそのマネジャー的なことやんなきゃいけないから「めんどくさい」だけ。

 今回も8人のスケジュールを合わすの大変だった。

 アイテムが多いというのも、時には苦労する。全くのソロ・ソロに誰かを呼ぶ。カオリーニョと二人ライヴ・lobos にcowboys。ど・れ・に・し・よ・お・か・な、となる。どれも、それなりの意味が、異なりつつも・在る。しかし、これまでマネジャーも数人経験したが「ろくなヤツ」いなかった。金持ち逃げされたり、給料だけはしっかりいただきつつも「仕事全然取ってこなかったり」「ステージ上でタバコ吸ったのを、店の支配人からよりもひどく糾弾されたり」と、コソ泥・ダメオンナ・バカ業界人・そんなのばっかだった。

 そんなこんなでジャーマネ・FUCKED UP.となってしまったのだが、まあでも「個人商店」がいちばん気楽なのである。気楽すぎてこの体たらく・てはあるが。

 まあ・過去のそのような苦い思い出もたまには思い出しつつも、人前での演奏は続けてはきたのだが、今や「やりたいこと」かはっきり見えてきたので、そしてもうそれは揺るがない・ので、「よい代理人」が欲しいな・と思う盛夏の頃というわけだ。

 まあきっとそのうち「いい出会い」があるだろう。



太陽よ・沈まないで



 
posted by 浪速のCAETANO at 14:50| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月13日

オトコたちは・・・・

715live.jpg

 暑い夏こそ・南部チーム。と勝手に宣言してるのだけど、このパラドックスご理解いただけるだろうか。まあ勝手に宣言でイんぢゃない・
とも思うが。

 今回、ホストライヴは「女子チーム」全員にフラれ、「オトコの夏・にっぽんの夏」の体現です。「オトコたちは南部を目指す」という感じでしょうか。

 そんなに体臭きついヒトはいません・安心してね。みなさん・さらっと系統です。一部に「加齢臭が・・・」いや・気のせい気のせい。

 Los Solos Lobos→Caorinho藤原→King堀内→CVS Cowboysというオーダーですので・参考にしてください。

 Los Solos Lobosに比べるとCVS Cowboysはやはり尖って・ややクールでもあり、少々ヘンタイも加味されているなあ・と思う。

 80's的だなあと思う。誤解のないよう申し上げておくと90'S的というのはサルということで0'S的というのは生ゴミ・って意味ですから、ここはもう遠い70'sと80'sしか実は選択肢ってなかったりする。60'sというのもある。50'Sってのもあるか。まああるが。

 70'sと80'sの「今的展開」というのはある気がする。しかし、そのやりようは意外に難しい。

 CVS Cowboysは90'sに於ける、ニューウェーヴの・つまりearly80'sの「今的展開」だったわけです。その今的の「今」は、時が流れ
もうおよそ20年前の出来事となってしまった。

 「明治は遠くなりにけり」

 しかし、「音楽」としてのニューウェーヴは、大丈夫・おれとキタバヤシの体内に刻み込まれてるから。当時の北林純はスチュアート・コープランドのようでもあり、ピート・トーマスのようでもあり、また一方では、ソンナバナナに於いて「パンキー・ズーク」というビートを「ともに発明した」盟友でもあります。もともとサルサには詳しかったし、ウィリー・コロンなんてヒトを教えてもらったのもキタバヤシさんからだった。

 いまや、「栄養失調の鳥類」のようなカラダにに「気狂い博士」みたいな顔および頭部が乗っかってて、歯はぼろぼろやわ・そんなくせに肩はいかってるわ・でそのアウトラインがかなり「妙」なものと化してはいるが、まあ偉大なミュージシャンだと思う。人間としては「これっぽっちも」偉大ではない・というおまけも付いてる。

 うちのばあちゃんも心配だが、このキタバヤシさんも夏は心配させる。なんせ栄養失調の鳥・ですから。

 固形物が喰えんと言う。冷めたおかいさんを喰うてるのだろうか。

 まあ・そんなことまで心配せんでええか。

 ま・ともかく。

 自分にとってドラマーと言えば北林純であった。幸か不幸か。

 お互い、くちでごちゃごちゃ説明せんでもわかる・ということもあり、一番楽に音楽が出来る友人でもある。

 まあ・そんなおっちゃんも、15日にはでます。みんな知ってるか・知ってるね。

 CVS Cowboysの音源はこちらで!!!!


 管ちゃん・公言したね・一応。政・財・官の気持ちは充分逆なでしたのではないかな。「脱原発」という言葉はなかったが、任期中は「少しずつ原発が止まっていく」そしてその再開には高いハードルを設ける・そんな風に解釈できた。電力供給にはメドが立ってるかのような印象だった。

 本人は否定したが、おれは、脱原発か否かで「総選挙」やっても良いのでは・という気にもなりました。「絵踏み」みたいなことになると思う。
posted by 浪速のCAETANO at 19:51| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月12日

皮肉だけど

 皮肉なことだ。皮肉なことに、愚宰相の「藁をもつかむ延命のじたばた」が、原発再稼働にストップをかけてる。

 なぁんも信念とかないのよね、その信念のなさが結果・脱原発へ何歩もステップ・フォワード・である。

 整理しないといけないのだが、自民党や民主党・経済界・官僚・みーんな・原発推進派なのであって、それがこれまでの権力持ってた人々の「総意」なのであって、メディアは「芸者」みたいなものだから・というと本当の芸者の方に失礼ながら、それはタレントの方々も含め、大きな声を上げないという消極的な姿勢もコミで「芸者の末端」であることに変わりがなく、ちょっと積極的な山本太郎ちゃんが遭遇した試練を考えるとわかりやすいが、大方は権力にただただ奉仕して・ばか生産・再生産に精を出しているわけだった。

 そんな中、権力と言えばこんな最高権力もないのだけど首相という椅子にしがみつく「オナ」ちゃんが、もう空気も読まない、オノレしか見えない・あ・オノレとヨメかな・まあどっちにしても、その狭い視野故に、一度は官僚の言いなりになってしまったと誰もが思ったのだけど、首相でいられるならば言うことも聴くが、そうじゃなけりゃ「解散しちゃおっかなー」なんて呟けば、みなさん「触れない」。

 小泉くんと似てる・と思う。小泉くんはバカな男子学生・みたいだったが、オナちゃんは「女子コーセー」だ。

 オトナの常識が通じないところがそんな感想を持つ。とするなら、この国の首相って「誰でも」オッケーだな・と思う。逆説的ながらシステムがそれを支える。

 なんだか思うのだが個別案件とは専門知識も要るが、一国の首相とか、巨大会社の社長とかって、小さいことにごちゃごちゃ言わず、「方向」だけを決定することでいいのではないか・そんな気さえしてくる。

 オナちゃんは、そんな信念もなく迷走した挙げ句、たまたま「そこ」ってとこが、国民の安全とリンクした・というだけなのだけど。

 オナちゃんはもう党のことも考えちゃいないし、もう誰もが「解説不能」な域までイってると思うが、たまたまみんなの「安全」という利益にかなう方向性である。

 「税金あげよう」なんて、反国民的政策も言ってるから、全部を承認するわけにはいかんけど、そこは後のマターになるが、まあ・一首相・一政策もなかったおっさんらだらけでいうなら、脱原発・が政策として決定するなら、おれたちはそれでヨシだ。おれたちの方が目線を上から持てる感覚はそんなに悪くない。これがひょっとしたら新しい日本型民主主義かもしらんなあ・など無責任発言してみたくもなる。

 大方の政治家・って裏で官やら財やらと繋がって、ここでポスト管にあがってる前原とかになったら、またもっと希望がなくなる。

 管くんにじたばたしていただいて、脱原発を進めていただいて・とか思っている。

 自然エネルギーは長期で考えないといけない。今急に「全面的に大体可能自然エナジー」なんてことを言うと、「電力会社」に「でんきなくなるよー・と脅される。それはさっき挙げた管ちゃんをおろしたい人々の「総意」である。だから短期的には「火力」で良いわけ。

 そこで問題になるのが・そう・CO2の問題だ。そもそもこいつが「ウソ」だったらど-する?

 CO2出さないように・なんて理由で原発に特に最近は追い風が吹いていたことをおれたちは忘れちゃいけない。その電力会社のCMに出ていた人々の顔と名前は忘れちゃいけない。

 地球はかつて「スノーボール期」があったり氷河期があったり、おれたちの祖先がたき火しか燃やしてないときでさえ、それに対して氷河期の氷が解け、日本海が出来たりもしている。

 氷河期がまたいずれ来る・とおれは「勘」で言いたいです。

 かつての動物・植物が残してくれた「イノチ」をおれたちが使う・ということも考えようによっちゃ「ロマンティック」な話である。石油・石炭・ガスなんかのことを言ってるのだけど。ウランの埋蔵量なんてそんなのに比べるとハナクソほどの微量だ。

 核をいらうことが特権的で理系のアタマのいいやつにしか出来ないことというのは事実だが、オッペンハイマーが言うようにその精神は「くそガキ」と同等であって倫理観による歯止めなんてことに関しては、はなはだ心もとない。やっちゃって近所のおばちゃんに怒られる・ぐらいのことならいいのだが、ハンドリングしている対象はそんな小さな世界の話ではない。スペシャリストとはその程度のものであると言い切ってしまいたい。今回の原発の対応の「あわわ・あたたたた」を見てると。専門用語で武装してるだけ。専門用語と言う服をはぎ取ったら、そこにはすんごい「包茎の・・・」という印象を持つ。

 おれはなんて言うか、「地球と心中」するならいいと思うんです。

 核とは厭や。

 今・さすがにみなさん、タバコを以前ほど目〜三角にして嫌がらなくなってると思う。そりゃそうよね。シーベルトの方が怖いもん。

 復興のためにまたタバコは値上げっぽいが、今に見てなさいって。タバコ吸ってるヒトに「感謝の視線」が向けられるようになるから。「おお・アナタ・カラダを犠牲にして復興のためにお金を・・・・・」なぁんて。

 なんか日本人のバカさ加減が「大膨張していた」90's・0'sだったと思うのだ。ばかな親が、子供の前でタバコ吸うのヒステリックに「やめて」なんて。

 そういうの過度の、潔癖症候群と相似で、それってきれいにはなったけど、その分「インキンかと思ったらアトピー・ひー(レット・イット・ビーでどうぞ)」・アトピーの子供が増えた。なんか母親になった若いオンナの「オノレに酔ってる」ある種の特権階級的なエゴにおれは辟易としてたのだけどね。「ブスの・あほの・再生産」なんてこと、ここまで出かかってたけど・言わなかったけど。

 まあ・そんなことは置いといてー、すごぉくみんな何かを・オノレだけを守ろう守ろう・とし過ぎてて、「安全」「安心」がキーワードみたいな人生を・固くカタく生きようとしていた挙げ句の「この惨事」なのだから。

 少し、考えた方がいいと思う・日本人・国民的に。きっと大方の人々考えないと思うけど。

 世論調査で管くんの支持率13%ぐらいだったかな・ジャスタ・ジョゥクみたいなだははな数字だけど、「今・この時点」だけにおいては、管を降ろすと「原発推進派」が勝つってことさえもわかっとらん馬鹿者だらけ・であるとするならば、それは集団自殺への道を歩みたいのかなあ・ということにすらなる。「今・この瞬間だけ」でもいいんだけどね。案件のプライオリティの問題でしょ。

 もっとTVを斜視でみないと。古館くん・ちょっと揺れてきたかな。

 

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ong hot summer
posted by 浪速のCAETANO at 10:37| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月11日

ミステイク

 本日は外仕事2連発で、あいだに「ふろ」にでも行こうと思っていたが、急遽ガスの修理が入って、途中帰宅。

 よう似た場所へ・二度行く。夜はクルマにしようかな。オープンは癒し・だ。

 しかし、不思議なことに、4つあるレンジの2つが付かなかったのに、今見てみたら、もんのすごくチョーシよく付いている。あれほどすぐ消えていたグリルさえも「ゼッコーチョーよん」だ。

 なんでやねん。

 まあ、とりあえず、みてもらいなさいよ・と言う大家さんに従う。まあそうね。せっかく帰ってきたんだし。

 きっと何か原因があるはずやしなあ・と、探偵の気持ちになる。

 しかし、暑かったなあ・本日。いや・今だって充分暑いのだけど、アスファルトの上は目玉焼き焼けるほどの熱さだろう。あまりの暑さに、今日はカツカレーのはずがなぜか「ラーメン屋」に吸い込まれてしまう。

 魔が差した・としか言いようがない。なんでラーメンやねん・いやまぢで。出会い頭のビールセットというものに目が眩んだのかもしれない。しかし、まったくもって意味が分からない。気がついたらカウンターに座っていた。

 カミュなら「太陽のせいさ」と言うだろうから、おれもそう言ってみるが「ラーメン屋」なだけになにか釣り合わん気もする。「なにいうとんねん」と言い返せないちゃちゃがはいりそうだ。

 最低だった。味も最低。

 カレーの市民・アルバへ行くべきだった。ガス屋が来るから、とりあえず中津帰っとこか・と思ったのが間違いだった。

 人生間違いだらけであった。

 
 I'M NOT THE ONLY HUMAN.U MAKE MISTAKES TOO.
 
posted by 浪速のCAETANO at 18:02| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月10日

南部を目指して

 忙しい。忙しいが、忙しくない時は極力だらーっと過ごす。

 ここんとこ今年のLONG HOT SUMMERの「モチーフ」としたい・と思ってる。

 コーヒー・フィルターがないのに気づき、スーパーまでチャリで行く際に淀川方面に目をやると、うーんあれは箕面の山の上空ぐらいだろうか、入道雲がもくもく。そして強い夏の陽光を浴びてやけにすべてのモノの輪郭がくっきり。もう盛夏であるね。あるよ。なんとなく覚悟しちゃったなあ・もう。いや・したですよ。およそ2ヶ月のHOTTEST SEASONを生き抜きましょう・って。ばあちゃんにも言うたのだ・帰ってから。

 この夏のライヴは2回だけ。

 7/15のホストライヴ@サンホールと夏がヴェランダから終わり始めた頃の8/28「LOS SOLOS LOBOS@田中屋in大正」です。
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 この・所謂南部チームのプロトタイプは「TEXAS TORNADOS」なんだけど、ダグ・ザームとフレディ・フェンダーとフラーコ・ヒメネスがフロントに立って、どリラックスなムードでTEX MEXなロックンロールから、ロッカバラードから、メキシコ民謡までを「等価」に演奏する・ということなのだけど、兄ちゃん'ズ・とも言えるLOS LOBOSのニュアンスもギター弾きとしてはやや持ちたい・とは当然の感じ。

 まあこの夏は「南部・南部」です。「浪速のカエターノ」のやる・南部だからちょいと、カエターノが「ROCK&ROLL(RACK&RAUL)」を書いて演る・なんてニュアンスもそこにはあるでしょう。「相対化」されている・というかね。

 ここんとこ、すごく大事なことなのだけど、そこでやられる音楽を、おれたちは「消費」しようとしているわけではない・ってこと
ね。はっきりいいますと、今まで好きになった音楽は、自分を育ててくれた音楽なのであって、その音楽と死ぬまで生きていきたいわけですよ。もひとつはっきりいいますと、およそ90年代以降に出てきた音楽とはすべて「ギミック」であり「ギャグ」なのだということよね。だから極論・おれの場合で言うなら、もう新しい音楽はそんなに「必要でもない」。自分のストックの中のものを組み合わせれば、大抵のことは出来る・ということになる(はずよね)。

 時間軸を歪ませて、「断絶」を故意に設定して、90年代からの音楽は「売られていた」わけだけども、そこから自由になってない相対的ワカモノだらけだけど、まあ機会があればレクチュアもしてみたい・現場で。現場なら納得も早い・ってことでした。音楽のことを口で言うても、ものすごいイマイチ。

 ふと、思ったが、これというのは非常に「オトコ的」だなあ・という感想を持った。

 一般的な断絶を強要する状況に於いても、そこは本質的にはリセットできない・というか、それはおれだけですかね。うちのおとーとなんて、ロック・ニューウェーヴ・ギターポップ・ファンク・ラップ・そして現代音楽と好きな音楽が変わるたびに「服装」が変わり、主張も変わり、周囲を「ものすごい言うてることちゃうし・ええええっ!!!」と驚かせていたけど、おれはそんなことなかったな。

 キャパシティのマターかもしらんな・とも思う。

 しかし、それは「女性的」だとも思うのだ。新たなオトコが出来ると、過去の思い出をすべて捨てれる・なんてことだと思うもんね・それって、例えて言うなら。

 あまりそんなことは、おれは・出来んなあ。やはり、こゝろを開いてお互いに影響を与え・受け入れたその時期のことを悪く言うことは「過去の自分」の悪口みたいでBADだし、そういう時間があって、今もある・ということは冷静に考えればすぐにわかる。因果律を持ち出すまでもなく、昨日までの経験則によって本日の判断がある・ということだし。

 話が飛んでいたが、戻るが、南部の音楽と言うのは、自分が「脱国境音楽家」なんちってる時に、ふと甦ってきて、そこから、「自分ではやらない聴く音楽」として長いこと「保存」していたものだった。いまでも、なんちってるのだけど。

 まあ・それが、アメリカ音楽であるということが、70'S〜現在のアメリカの国とその社会・そして音楽が別人28号ってのがあって、今「アメリカのー」というのが「なんだか」感を持つというのが、それこそ「なんだか」ではあるんだけど。

 まあしかし、その時代の「意識の上での南部」・これは現場のヒトにはやはり「実存」だと思うが、それをちょっと甦らしたい・というか、これって野望でしょうか・BOYS ,BE AMBICIOUS!!!・セブンなら「野心的な試みだな」と言いそうだが・言われたいが、まあそれには、この猛暑の・人々のアタマ・インでる時の方がうまく誤摩化せる・なんて気持ちがないわけじゃない。季節労働者。TUBEみたい?
それとは違います・全然。

 しかし、ある意味・おれのアタマも・故意に「やや狂わせておく」というセットもしている。些細なことは「まー・ええやん」ということだ。

 「やんなきゃいかんこと」「興味あること」それ以外はなぁんにもしたくない・というのが、この夏をSURVIVEするための「指針」でした。

 南部チームも8月のソロをターゲットに、そこでは何かしらまとまったものをお聴かせしたい・と思っている。おれの場合、すぐ20曲ぐらいにはなっちゃうからね。ホストライヴではその中の「少数精鋭」の曲を。少数精鋭の皆様方の前で。


 また地震起きたみたいですね。地震に竜巻だ。津波が大したことなくってほんとに良かった。


 これも実は・「実に南部」であるのね。意匠は変わってるけどね。

 
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2011年07月09日

こんな早起きが

 暑い。暑いが、一週間前の方が暑かった印象がある。

 しかし、暑いことは暑い。うちの住居は東向きだから、朝起きたときが部屋がムレている。しかし午後になるとそうでもないのだ。

 本日は早く起きたい理由があった。

 ウルグアイvsチリ。コパアメリカ屈指の好カードがリアルタイムで行われていた。

 W杯以外の大会でまず外せないのは「ヨーロッパ選手権」だけど、ま・それは来年の楽しみ。しかし、その次にはコパアメリカ=南米選手権・だ。ナショナルチームのトップチームは今やどう考えてもスペイン、そしてクラブチームのトップはどう考えてもバルサだが、リオネル・メッシを筆頭に個々のチカラで言うなら、また南米がビミョーに盛り返してきてる。そんな時期でもある。

 そのメッシ擁するアルゼンチンは2戦して2ドローの最悪に近い出だし・なのだが、ホーム(今回はアルゼンチン大会)の強みできっと勝ち上がってくるだろうと思う。コパアメリカで予選敗退では国内では暴動が起きるだろうし。

 本日のウルグアイvsチリだけど、いやー・面白かった。これぞ攻撃型サッカーの醍醐味。特に去年のW杯得点王のフォルラン・とスアレス、そしてチリのサンチェス、このスーパースターたちの動きに痺れるのだ。

 攻めることに決して倦まない彼らはとにかく「攻撃」する。どんな態勢からでも攻撃をする。そして、大技小技を組み合わせ、で特筆すべきは、突然のリズムの変化というかシンコペーションの多彩さ・だ。ラテン(アメリカ)の音楽の豊潤・はわかりきったことだけど、それは言わば、ヨーロッパとアフリカ・そしてインディオの文化の高度なミクスチュアによるのだが、要するに「これ以上のものはもう出来ません」と言った高度な文化融合の結果なのだが、それはボールを持つジョガドーレのリズムにも垣間見ることが出来る。本日のサンチェスのシュートなんてまさにそれ・だった。

 シュートの時だけそれまでの8ビートから、16の二拍三連に変わっていた。すばらしかった。その突然のリズム変化と言えば「ペレ」のゴール前での一見ループシュートのようなタイミングとキックの様子からボールを浮かせ、また同じ位置にボールを落としそれからゴールした・あの有名なシーンがあるが、あれもまたリズムを思いつきのシンコペーションの中に囲い込んで、相手DFのタイミングを外した結果だ。

 今・思いつきと言ったが、なんか軽薄な印象さえあるが、そうではなく、思いつきのリズム変化を体現できる・とは無限のシンコペーションが体内に存在することを意味するのだった。体内に存在するものしかおれたちは表現できません。思いつき・が悪けりゃ、瞬時にそれを体現できる・ということだった。その思いつきは相手DFの考えてないタイミングで行使しないと効果がない。と・するなら、かつてのイタリア代表のバレージのような超優れたDFはそのどんなリズム変化にも対応でき得るということは、特に南米のリズムを逆に熟知していたことになる。ティンバレスを叩かせてもきっとうまいと思う。

 結局ドローで、これでチリは一抜けほぼ決定だが、ウルグアイの方は次のメキシコ戦次第となった。チリはいいチームだ。かつての「サラス・サモラーノ」のサ・サ・コンビのときのような躍動感を取り戻している。今回の最ご贔屓チームは決定である。

 ブラジルはどうなのだろう? 最近の印象で言うなら、ブラジルのサッカーは「おもんない」。サッカー王国と言われ過ぎて硬直しているか・のような雰囲気を感じてる。18年のW杯に向けて建て直してくるとは思うが、コアとなるタレントがいるんだろうか。

 国民の平均ならやっぱ世界一だとは思うが、イタリアと同様の「低迷」をそこには感じる。なんだかしばらくダメ・という気もする。

 国自体はこれから「メジャー」になっていくだろうが、音楽・もそうなのだが、今のブラジルって過去のブラジルより面白くなくなっているのでは・とこれは例によって「勘」で言ってる。勘が外れることを祈ってるが。急速にいろんなことがコマーシャライズされていってるような気がしてるのだ。

 おれの興味が今、「わすれられた北アメリカ南部」にいってることと関連がなくはないと思う。カナリアといたしましては。季節的なこともあるか・とは思うけどね。

 久しぶりにウインブルドンもフィメイル・ファイナルだけ見たが、やはりグラフがいた時のような高揚はなかった。残念ながら。

 そう言えば、ジャパンがコパアメリカに招待されていたのだったね。震災がなければ行っていたのか。それはそれで興味深いところではあったなあ。チリなんかとやってみたときに日本のチームのサッカーの美しさがどの程度か・ってわかったのだけど。

 ザックが「イタリアでは過去のヒト」ってのも日本には良かったのではないか。


 へたへたファンクも良いのであって、しかしもう古典かもね。

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:43| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月08日

梅雨は明けてた・って

 遅きに失した感のある「梅雨明け宣言」ではある。

 もう明けてたって。しかし、例年より早い・と思う。七夕の頃はたいてい雨で、昨夜もそうだったが、ほとんど星空は見る事が出来ない。

 まあ、おっさんが「お空の…・」「織姫と・…・」「彦星が…・」「お願いを・・・ 」などと言うのも「なんだか」ではある。

 まあしかし、ぞろ目はめでたい・という気もする。きっとなにかあるのだ。めんどさいから調べないけど。1/1、3/3、5/5ときて7/7であるからね。ちなみに9/9は「菊の節句」。

 LONG HOT SUMMERだろうね。電力足りるの・なんちって。きっと足りる。足りなくてもそれが原発再稼働に繋げるものではない。

 ほとんどすべての政治家や財界・官僚は「原発再稼働」したくってしたくってしょうがないわけである。管オナとくんも実はそうなのだが、オノレの延命のために「ストレステスト」なんちってるわけ。しかし、そのことが原発反対の人々には「良し」だったりする。このねじまがった構造が、追い風になっている。奇妙な構図だ。

 ま・結果オーライなんだけど。

 原発のために4500億円、用意してあるんだもんね。それをそのまま東北の復旧・復興にあてればよいのだが、それは「おいといてー」なんだね。

 東北の水産業を、港を、外資に売るつもりである。そして、漁業とその関連企業に関わっていた人々を土地から離れさせ、東京へとおびきだし「派遣労働」をさせる・なんてハラなのはもうわかってる。ヤメてよね・そーいうの。

 いかに周到に「売国」するか、もうこれに尽きる。ひどいね。原発の処理でもアメリカにものすごいカネを請求されつつも、亀の歩みほどでしか進んでいかないのだ。

 他の国なら「革命」じゃね? マスメディアもつるんであまりに「ほんとのこと」を伝えないから、あほのひとびとはTV見て・洟垂れてるだけだけど、まあそこもコミで支配の構造なのだが、この国って。いまNHKってほんとにひどい。特に報道。局内でもなにかとなにかがせめぎあってるのではないだろうか。

 怒らない。日本人って怒らない。怒った方がいいと思うのだが、怒らない。「無常観」という説明もあるが、腑には落ちない。要するに「びびってる」だけかもしらんなあ・と思う。公言できないから居酒屋のおやじが「今・そこでだけ元気」なのでは・と思う。

 やはり、こーいったことは「飲まずに」話すべきだ。そんなとこで「発散」して終わり・ではやや情けない。

 でも、被災した人々を「助ける気がない」って一体どーゆー事? と思ってしまうのだ。そんな政府いらんよね。オノレらのハラの痛むカネは手を付けずに復興には「みなさん」でよろしく、消費税とタバコと所得税ね、ってなーんさ・それ。

 いや、お金はあるよ。官僚の首切ればいいのよ。原発予算使えばいいのよ。一刻も早く被災地に「カネ」を投入せんかー・ボケ・と言いたい。まずお金を用意して・そんな悠長な事言ってる場合かよ。

 管オナとくんは史上最低の首相だと思うが、他のどのおっさんらもすべて「原発推進派」である事実は、こゝろを暗ーくさせる。人気取りで「ストレステスト」なんて言ってる「オナ」ちゃんの方が消極的選択ながらまだマシということになる。

 なんて国なんでしょう。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 18:24| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月07日

継続はチカラ・じゃなくてよいので

 比較的、本日は楽な日。ということで、久しぶりに朝帰りの巻。

 昨夜は店のヤツだけが飲んでいるという「茶の間」のようなトドムンドだった。そして久しぶりの二日酔い。

 高校生に微分と確率を教えてしまえば、残るは南部チームのリハのみ。

 これが楽しい。

 微分と確率を教えながらディクテイションと作詞というか訳詞をして、こんなとこが自宅塾のいいところだけど、外仕事でこうはいかんからね、それでも時間いっぱいかかって、まあ充実した時間。

 出会って二日目に音を一緒に出す、KEYBOARDくんをはじめ、新鮮なのである。鍵盤を強く叩けるやつ連れてきてよ・とNOVIくんに頼んでたら、連れてきてくれたのだが、なかなか良い。ただし、NEW WAVEキーボードはおれがやったほうがいいけど。今回はギターを弾こう。

 終わって店へ寄ると、バカ社長'sがいて、バカ話を3:00前までして、キャンプの打ち合わせなどして帰る。

 ソファで寝てしまい、7時頃再度、ベッドへ移動して寝直し。こんなことも今月はできる。

 本日も29試合連続ヒットの記録更新中じゃなくて29日連続ノーホリデイなのだが、もう麻痺してる。矢でも鉄砲でも持ってきやがれ・といった心境である。これって生産的なの・どーなの? よくわからない。わからないが、抗う気力というか、なぜなのかと考える気もしなくなっている。一日、朝から料理をして、南部音楽を聴き、昼間からワイン三昧でばあちゃんとソファに倒れ込みつつ、あー・せっかくの休みなのになんもしなかったなあ・と「後悔」してみたい。次の日曜もリハだしなあ。

 仕事のない日は今度の日曜だが、なあんにも予定のないまっさらの日まではさらに道のりは遠い。もう頭がくらくらしてきそうだが、もう考えるのはよそう。

 こないだ、夜に心斎橋までチラシを取りにいく際、屋根開けて走ったら、やはり気持ちが晴れた。そんな「つかの間のiyashi」で乗り切る以外になさそうなのでそうする。


 後は彼女の声とか
posted by 浪速のCAETANO at 13:35| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月05日

昼ビールなし

 本日また・夏へ。

 しかし、こう行ったり来たりするのは「好ましい」というのは個人的嗜好か。「3アツ2ヒンヤリ」の連続で7・8月進行していただきたい・というのも個人的嗜好か。

 しかし、もう「毛穴」は開いてしまった。ん・毛穴・はなんかおかしいか、汗せんはどばーっと開いてしまった・が正しいですか。

 ちょっと動くと「汗まみれ」。外出にはハットとガテンタオルは欠かせない。

 コーヒーとタバコとばあちゃんのごはんを買いに天六へと向かうが、相変わらずいい活気の天六商店街だった。今・バンド関係者に2名天六界隈住人がいて、ややうらやましい。今後なにかの事務所を開設するときは「絶対」天六付近である・と意気込むおれであった。顧客が来ても「街が接待」してくれるもんね。春駒の本店がシャッター降りていたがどうしたのだろう?

 こわかったが、せっかくだしと思い、手帳で確認してみたら、およそひと月休んでいなかった。それはこの土曜日までやっと日曜がフルのお休みだった。労働基準法違反だ。しかし、誰を訴える? ということになって振り上げた拳はその形が次第にうやむやになり頭ぽりぽり・だった。

 それが終わると、ライヴもあるが、ちょっと本格的に「現実的な熊野詣で」にかからないといけない。

 夏期講習が始まるまでに済ませたい。そうは言っても、おそらく八月いっぱいぐらいはかかるのだろうが、不自由からの脱却ゆえ・やらねば・と思う。

 不自由からの脱却≠自由のゲットってところが現代のややこしいところなのだが、今んとこ「相対的自由」で我慢してあげるのである。

 信じられない物言いのヤメ大臣がいたが、なにをもって彼にあんな物言いをさせているのかがよくわからない。たがの外れた社会というものは、いろんな生き物を生み出す。明治維新にまで、その原因はまず遡ると思うが、龍馬が暗殺された時点で「理想主義者」がいなくなったことは大きいのではないのか・と思ったりする。

 村上さんも言っているように、今もっとも足りないものは「理想」と「現実主義に陥らない事」かもしれない。

 いろんなものにがんじがらめにされたあげくに、力なく「しょうがないんだから」と呟く現代人の姿があちこちで見える。

 P.K.DICK的状況はもう歯止めもかからない。なにかあるのかな・そんな中、みなさんそんなことを考えているのかいないのか他人のこと故おれにはわからんが、「理想」なくしてなんの人生よ・とは何度も繰り返し、思う事ではある。

 しかし、ひとはあまりに小さい。自分の存在の小ささをカムフラージュするために他人を利用し過ぎである。小さくっていいぢゃないの・リアルにちいちゃいんだから。転がり込んできた立場を利用して、「でっかく」出る・見せる・そんな輩・多い多い。ヤメ大臣もその典型かと思うが、身近にもそんなのは多々いる。それなりに必死である。笑けるのだが、他人を利用するのはいかがかな。

 そういうことを一人でやるのがかっこいいと思うんだけどね。一人でやれて・でみんなともつるむ。これがマナーだとおれは思う。

 そもそも誰しもそんなにおっきくないわけだから。みんな「おむつ」していたわけだし・かんけーなかった?

 本日は昼ビールはなし。

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:06| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月03日

SLEEPY 2 DAYS

 ヒトのカラダも「自然」であって、よくわからんこともあり、対処に困るのだが、この二日間「眠くて眠くて」しょうがなかった。

 起きてて「眠い」。二人高校生を見ていたのだが、意識が遠ざかる。ろれつがまわらん。「せんせい・やっぱり? 少々ヤバいひとかも」と思われてもしょうがなかった。

 そして、外仕事の時間を「わかっていた」のに「わすれてた」。

 ん?今何時?

 6:48

 そうか。

 えええっ!

 本日の外仕事は7:00からだった。手帳持った意味ないぢゃん。

 そんとき、まだ半パンはいていたのだった。慌てて、Gパンに履き替え、バッグを持ってクルマまで行き、久しぶりの「市内暴走」で、クラクション鳴らされながら、新町まで行く。速かったし早かった。7:01に到着して、惨事にはいたらず。しかしながら、その80分×2コマの間も、眠い・というか意識が遠ざかる。座っていたらほんとに寝そうになるから、無理にホワイトボード多用の日だった。差し入れのドーナツがあったのだが、モノを喰うと目醒めるはずだと思って喰いながら、間違いなく20秒ほどドーナツにかぶりついた状態で寝てました。

 T瀬ってこんな感じなのかね・毎日。いつもこんなんなら死にたくなるかも・おれなら。

 なんか、おかしいのだ。おれ。というか、本日も「おかしい」保証はないので正しくは「おかしかった」だけど。

 6月分のツケがまわってきている・と思うのが「もっともありそうなこと」なのだが、おそらく、そうだろうと思う。

 かなり、カラダと神経使ったからね。そして「抜け」もないまま月だけ変わってるからね。

 外仕事を始めるとその時間の融通ってのが、つけられないのだな・と実感。本格的外仕事もこれもまた何十年ぶりだしなあ。新鮮は新鮮ながら、ほらヒトって「ないものねだり」やんか。

 
 久しぶりにTVを見たが、「政治与太話」が多過ぎて辟易とする。そこはもちろんダメ。

 科学も科学で、科学の未来を盲信しているが、そこはもう近現代人の「癖」みたいなものだからしょうがないが、すべてを科学で割り切れる・あるいは・割り切ってやる・なんて態度もおれは「不遜で傲慢」だと思う。そう優秀と思える理系の人々、おれのまわりにはそんなにおらんが、おそらくそれより優秀な人々が原子力に関わっていた事を思うに、その挙げ句の果てがこのザマなわけなのだから、その賢さ・と言われるものはある程度相対化されてしかるべきである。

 オッペンハイマー(原爆作ったおっさん)の「科学者とはその実験結果に「甘美なるもの」が予想されれば、善悪はちょっとおいといてー、まずやってみたいもので、その善悪は「その後」に考えてしまう人々である」というような事を言っているが、その精神がやはり「理系」の人々の精神なのだろう・とおれは思う。

 そこはおれにだって垣間見える。数式の理路整然を「美」と捉える考え方もわかる。しかし、それが行き過ぎると「フェチ」だということもわかる。フェチではすまんのね・しかし、これがまた。ほとんど「クレイジー」や「マッド」の世界に片足入っちゃってるでしょう。それ以外の分野ほとんどを犠牲にしないと、そんな難しい事は出来ないし、それによって生活も出来ないからだ。

 最近の一般人のそんなに賢くない人々の傾向だと思うが、物事をよどみなく整然と「説明してくださる」方々のもてはやされ方を見るにつけ、人間のPC化が進んでるなあ・と思うのだ。分業化の一環なのだろうが、そないみなさん「エディター」にならんでもええやん・とおれは思う。「利便」には抗い難い現代人のダメ加減は、その傾向を更に押し進めるだろうし、最近の母親・父親の疑いを持たないリアリストぶりを考慮に入れれば、ほとんど、日本全国が副島化しないことには反省もなかろうと思うが、こんなことを言えば怒られるけれど、でもね、この期に及んでまずこの国の「政治」に変わろうとする意志が見えず、学者たちも本質的な反省もせず、ヒトが苦しみ・死んでいくのを、「対岸の火事」のように傍観している・ようにしか思えない。

 かつてよくお勉強をしたヒトにそんな「共感能力」がない「傾向」があるのでは。暴論かな。

 日本人は「日本人でも外人でもない」ような人々になってしまっているが、それは「(伝統的)日本人とアメリカ人(WASP)のメンタリティー」のなかで引き裂かれている・ということではないのかな。

 100%がんばってしまう・なんてのはおれは美しくないと思うけど。どこかに余裕がないと、次の時代を生ききれないからさ。

 もっと「はっきり」言わせていただくと、キャパが決まっているようなちっちゃな脳の人間に、お勉強を詰め込むと、他の大切な人間性のある部分が損なわれる可能性がある・ということ。うちの客の東大くん・京大くんにも見れる傾向・あくまでも傾向ですけど。それをありがたがったり・おもしろがったりしてれる時代は良かったのよ。まだみんなに「余裕」があったっちゅーことよね。

 今・そんな余裕・どこにある?

 なぁんて、「眠り病」のおれに言われたないとは思うが。

 
 眠たいおっちゃん
 

 
posted by 浪速のCAETANO at 12:25| 大阪 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月02日

さて下半期(2011.5年)

 2011の後半の始まりですね。

 最近の時間の進み方と凝縮度は一年の上半期・下半期がそれぞれ一年・な感じがしてる。DON'T YOU THINK SO?

 仕事は「おじいさんのおしっこ」なのでまだまだ続く。高校生の期末テストは7/9まで続くのだった。かみさま〜。

 しかし、そんなとき神様は「あらわれない」のが定説であった。そういう神頼みはお互い虚しいのでやめておくのである。

 本日はひんやりしている。いい感じ。梅雨が戻ったのではなく、一旦明けたのだが、また入ったのだ。一緒か? いやちーと違うよ。確かに明けとったのだ。この数日間は正真正銘・夏でした。DON'T YOU THINK SO?

 ひさしぶりに物理を教える。そういうのがあるとリフレッシュする。数学や物理はちゃんとカタルシスがあるからもやもやしないで終われるから、何となくその後の酒がうまい。ひきずらずに終われる。その点語学はちょっと「。」で終わらんこともあり、後で「ん・あれでよかったのかな?」と、あれこれ考えてしまう事もある。後の祭りだけど。

 さて日が変わって7/2。

 本日もまあ忙しい。高校生を昼間見て、夜は外仕事だ。明日は高校生と学校の予習。明後日は学校行って帰ってきて高校生見て、それから外仕事。ああ・明日はリハもあったのだ。数人の人間が同時進行している。もう手帳なしではとっても無理である。

 この激暑の夏は仕事なしで避暑地で「ほえー」としたいものなのだが、そのような「貴族」の人生からはほど遠い。そう思うだけで、実際、貴族にはなったことがないので、実は退屈してしまうだろうと思われる。だから一瞬でいいんだけどね。貴族的瞬間というかさ。

 しかし、そういうことに勝るものもある。音楽の現場だ。音楽と言うと「歌」と思われるかもしれないが、実はそうでもない。歌は肉体労働が9割である。あんまりおもしろいものじゃない。音楽の喜びは「楽器の演奏」にある。そしてこれが、これとはアンサンブルとインタープレイなのだが、これが楽しい。フットボール系のパス廻しなんかに近い・とおれは思う。最近、バカミュージシャンとバカ業界人とバカ学者が、これも商売上の便宜かと思うが、ある音楽をある特定の音楽家個人にのみ由来するかのような話が多い。そしてそんなとき誰それは「天才」である・なんてね。チープ極まりない話である。特に大衆音楽の場合は一人では生演奏は出来ないから、すばらしいミュージシャンの周りには優れたバイプレイヤーが存在するものだ。そんな葛藤と協力体制の中から素敵な音楽とは生まれるものである。個人崇拝も要らない。やっぱり日本は誰かに「天皇の面影」を投影するのが、アンタも好きねえ・なのであって、しかしよ、天皇がリアルな権力者であった事実は歴史的にハナクソほどくらいしかないわけで、天皇を持ち上げる「実権を持つもの」が必ず存在したわけだから。

 演奏が楽しいわけよ。音楽が豊かか貧相か・の境目は「その演奏が楽しいか」による。もちろん、熟練が要る。スタジオ・ミュージシャンのような熟練だけではいけない。プラス・かつてジャズに・ロックに・パンクに存在したあの「熱を伴う熟練」が必要だ。

 そうなると誰とやっても楽しい・というわけでもない。限られてくる。限られた中で、そんな人間とどんだけ知り合えて、その音楽の原型で納得させられるか、それが音楽をやる人間の「真の値打ち」かと思う。

 もう、おれもおっちゃんなので、あまり「根詰めて」はやらないのだけど、そんな距離感もいい音にはたいせつだったりする。

 今・もっとも喰えないものが音楽なのであって、そして喰えている音楽というのは「腐臭」を放って鼻曲がるのであって、となると、パートタイム・ミュージシャンだらけ・という現状になる。

 よく言う、スウィングの大きさというか、あっちの生活がある中での、「純粋に楽しみ」としての音楽の存在をもっとみなさん真剣に考えても良いのでは・と思う。音楽に関して言うなら「プロがすごい」というのはまたちょっと違う。だって「客」が史上ないぐらい「あほ」なんだもんね。

 そして、音楽もまた時系列においてパスされるものだったりする。この二週間は「SWAMP」や「BAYOU」や「STORYVILLE」や「MARDIGRAS」を脳内に溢れさせ過ごすつもりだ。


 FOXY SEXY

 
posted by 浪速のCAETANO at 08:24| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする