2011年10月28日

無垢

 シンガーソングライター!!水谷ゆう(11)ちゃん・なのであるが、彼女は:

 生まれる前に空から「ママ」になるヒトをずっと見ていたのだそうだ。で、優しそうなそのヒトのコドモになりたいと思い、神様にお願いしたら、ちっちゃなシャボン玉に包まれて、下へと降りていったらしい。

 少女の・おそらく、直観なのだろうが、これなかなかいいのでは・とおれは思った。まあ・彼女が今・幸せである・それがベースにはなっとるが。

 親の意図・みたいな気持ち悪いものが入ってないところがまずいい。そこには、ちびっこタレントの気持ち悪さはとりあえずない。今後・わかんないが。

 「コドモは親を選べない」というのが、おれたちの「あ〜あ」だったのだけど・・・とぶつぶつ言いながら、そないあっけらかんと「そのように」言われると、しかし・なにかしら「真理」を含んでいるそのような事柄をなんだか全否定もできん空気感ってあるな・と思う。

 トイレの神様・もそうなのだが、あーいった「無垢」なものをヒトが求める事自体、社会は病気と重度の障害を抱えてしまってる・と思うのだが。とは言え、「無垢」というのはおれはそんなに嫌いじゃない。INNOCCENCE・とは十一歳の少女だけが持つものでもない。最初・みんなそうだったのだ。

 だけどね、この世は・特に最近、親もアホだから、「得」とか「有利」とかそんなキーワードでオノレを納得させ、それをコドモにまで始終言ってるから、それがオノレに帰ってくる・そしてさらに「ギャオス化」する・そんな悪循環に陥ってるのね。劣等感と優越感のはざまでカンペーするっていうか・なんていうか。無垢が報われない・ことでヒトは復讐に目覚めるわけよね。環境があまりにF○UKという不幸があった。親から殺されるコドモ・がそんな歌を歌えば哀し過ぎるし、親を殺すコドモがそれを歌えば「ブラック」なことこの上ない。

 まあ・水谷ゆうちゃんは「今んとこ・とっても幸せ」なのだな・と言う事だけは分かる。

 魂がふわふわ浮いていて、しかし実体はなく、それがある時現実の雲の末端とクロスすることによって、生命が実体化する。生命のもと・はあるのだ。それは遺伝子とも無関係で、クロスした正にその瞬間に、その親たちの遺伝子をも受け入れる。そんな話がある。ベースになったのは仏教であったと思うが、生命の誕生と存在の不思議がそこにはある。精子の卵子争奪戦は偶然ながら必然なのだけども、そして、そのすべては遺伝子に支配されている・としか思えないにもかかわらず、精子の卵子争奪戦のような偶然ながら必然みたいな観点から、ある種の意味を見いだそうとする・虚しい試み・というか思い込み・ってしかしなかなか悪くもない。

 11歳の少女って「ほとんど巫女」であるから、その無垢度もかなりいいとこまでいく。無垢だから残酷なんてこともあるけれど。

 しかし、時代はどんどん「ネオテニー」だなあ。少し、ディランが現れる前の状況と精神的には共通項もある気もしてる。いいのか悪いのか?


 なんというか・さー。
posted by 浪速のCAETANO at 10:06| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月23日

忘れてた

 朝がゆの楽しみを忘れていた。

 忘れていた事を思い出すと、すぐヤル・今ヤル・ってのがおれの性格。マイナスからプラスへ立ち上がってきたものには弱いわけで。

 半合の米を10倍の水で炊く。アムウェイの鍋で約20分。最後に塩を一振り。

 梅干し・鰹節・のり佃煮・ザーサイ・ちりめん山椒を並べる。

 今のおれには半合でも多いくらいだった。しかし、じんわりと旨い。

 しかし、確かに夏に比べて「なんか喰ってやろう」といった気にはなる「秋」ではある。そして、日本酒・赤ワインもまた確かに旨くなってきた。するとそのう・晩メシ問題も急浮上してくる。

 本日はシチューを作ろう。

 野菜たっぷりのシチューが喰いたい。そして予習が終わった後、ワインとともに、録画したラグビーW杯決勝を見ながら喰ってやろう・とそんな計画である。ラグビーのW杯・あまりに話題にされてないと思いませんか? 思えばフランスW杯のサッカーと同様の結果でしょう。おれはサッカーはサッカーの・ラグビーはラグビーの面白さがあって、フランスW杯時のサッカー代表なんかよりよっぽど今のジャパン・ラグビー好感持てるけどね。「同様に弱い」のであるなら。ねえ・平尾くん。ってもこれ・見てないか。

 本日・予習のみでライヴ以来、初めての休日なのだった。秋はもう受験とテストが互い違いにやってきて、よくこんなことになる。わかっちゃいるのだけど、それも「忘れている」。これはプラスからマイナスへ落ちていく「リコール」で、がっくりとなる。

 ちょっと休めなくて、その代わりというか、毎日泥酔して、なにがなんだか・ってことになってた。ちょっとパンツのゴム締め直して・なぁんて、そんなゴムはもうどこにも存在しないが。「時代」な言い回し。なんかブラブラしてたらあかんのかね?

 では、天六までいってこようっと。ラヴリィ天六。


 音楽的知恵の集合。

 
 


 

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:07| 大阪 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月22日

おとなのおもちゃとしてのG

 外仕事は夜あるけれど、久しぶりに音楽を聴きながら本を読む・そんな時間が出来た。

 本日は北区は雨。でも外出ないからいいのいいの。おれの意識してないとこで「がんがん降っといて」。

 昨日、インドネイジアン・ユースの三人がやってきて、それがイスラム教・キリスト教・仏教な三人で「びっくり」だったのだ。混沌としてるよねえ・アジア。さすがにアジア。ムスリムの彼女は「ホントに」豚肉・お酒・やらないってさ。

 おれはクロンチョンやらダンドゥットやら「発言」していたが、そこんとこ、「ノー・インタレスト」でシュン・だったのだが、まあ、それでもワカモノたちとの異文化交流は楽しい。

 縄文よりもっと前、あそこらへんの島から意図的か事故かカヌーで黒潮に乗ってこの列島へやってきた人たちいるんだもんね。三人の中には華人の子孫もいて、もうほんと「ブラザー・シスター」って気分になる。

 なんだか最近アジア人との交流が増えて、みんな見事に「おもろい顔」ながら、状況はなかなか愉快。アジアってそんなとこなんですよね。「ありにんげん」の世界よ。黒光り・なヒトもいるもん。

 先日、ギタリスト・ミートを天六で開催して、これがなかなか面白かった。カウボーイズのギタリストとロボスのギタリストとおれとだったけど、他のリズム隊が被ってて、自ずとそっち方面の話題にもなり、また、お互いの「ほめ殺し」もあり、まあいい酔っぱらい化があった。ギターっていいのよ。手軽に弾けるが、奥はどこまでも深くてね。もっといろんなヒトに教えたいね。教えますよ。かなりヘンタイだけど、でも普通の事もできる。

 弾き方と言ってもこれがもう無限にある。そういうのわかるにはやや「年期」も要ります。表現力っていうのはもちろんあった方がいいわけ。そこには少々技術も要る。あまりにも手軽だから、そういうとこ無視してもギターは弾けるが、少しヴァリエイションができるともっと楽しくなる。そしてギターはリズム楽器でもある。当たり前だけど。一本でリズムとベースとメロディを奏でることだって出来る。オシオマナブとかのこと言ってるんじゃなくてね。ああいうサーカスチックなことではなくとも、みんなが見落としてるギターの可能性がある。そんなことをお教えしたい。

 コドモの気持ちと謙虚な気持ち、その両方になれる「オトナのおもちゃ」ってそうない。


 「達人クラブ」。そんな名前のほんとのオトナのおもちゃ・もあります。

 
 

 

posted by 浪速のCAETANO at 18:12| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月20日

インカのなんちゃら

 最も大変な日が終わって、あと一日。

 朝から、買い物に行く。

 肉じゃがを作ろうと思い、メークインを買おうとするが、待てよ、インカのなんちゃら・って芋があったな・と思い出す。

 小さな芋たちで、それが十五個ほど。インカのなんちゃら。

 
 芋の皮を剥いていた。バッファロー・スプリングフィールドを聴きながら。

 昨夜・やや結果的「胃拡張チャレンジ」なうどん鍋だったので、食欲はあるが喰うのがやや怖いのだが。喰うのは明日でもいいしな・と思い作る。インカのなんちゃら・は皮を剥くと色が濃い。さつまいもに近い黄色がかった色をしている。

 剥いて水に浸しておく。CSN&Yになる前のニール・ヤングが弾き・歌う。その間、おれは芋を剥く。意外にこれ・贅沢では・など思う。

 これもピークが過ぎて一段落・という・そこまでアドレナリンが必要ない日ということがある。本日は吹田チームだけだから。

 本日も秋晴れであるが、秋の天気は長くは続かない。今夜からまた大雨の可能性があるという。

 
 何となく予想できた事ではあったが、インカのなんちゃら・は栗のニュアンスもある芋だった。



 
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2011年10月19日

本日も秋晴れ

 本日も秋晴れ。

 いい季節。いいお天気・がおそらく何十万人単位でヒトの「魂」を救済していることだろう。

 「古代の神」の存在がそこにある。本日・神のご機嫌麗しく・・・である。

 さて、今回は、中三・理科なら「天体」社会なら「人権」そんな学校が多い。例によって、手書きの「おれプリント」を作ってみんなに配ってる。

 吹田から通ってくれてる子たちは「セレクティヴ」な子たちだから、なんの問題もないのだが、消費者マインド度高し・な新自由主義の末端を生きる・中津っ子に、物事を分からせるためにいろいろこちらも工夫をする。

 凡そ、「オノレの利益」になることを最小限の努力で効率良くゲットしようというマインドにいちいち怒ったり・うなだれたりしてもしょうがない・とおれも最近は開き直っている。

 しかし、消費者マインド度・最も高し・な女子が、歴史のときから作っていた手書きオレプリントを大事にファイルにしていたりもする。なんだか複雑な気になる。

 それでも、まあ、こんなに近い距離で、熱弁を振るっている時に、お互い少し「時間を忘れる」そんな瞬間も最近はまあある。

 その消費者マインド度・なのだが、やはり親たちがそうだから・コドモはしょうがない。親たちがということは街がそうだから・ということで、郊外の吹田と、大阪市内(まあ外仕事でもそれは感じるが)、の「差」はまちがいなくある。

 選択肢とそれに伴う「お得だよ〜」という謳い文句が多過ぎて、何がなんだかわかんなくなってるものだと思われる。競争の過熱の被害者だと思うが、質的に劣る(何が質的かということは外からは見えにくい)ように一見見えるというか「消費者に判断される」そんな対象になると、価格破壊みたいなことに踏み込む以外になくなってくる。他にもきっと選択肢はあるのだろうが、そこんとこ持ちこたえるのって今はすごく難しそうだ。

 当たり前の事を、こつこつやるしかないのだが、そしてそれが一番良いのだが、新自由主義的心象風景の中にはそんなものが破壊された後の荒野が広がっている。

 自由権と、社会権・公共の福祉、という相対立する概念を、早い話、自由権の濫用という気分の中で育ってきた「カラダはオトナ」なコドモに教える事ってなかなか難しいのよ。

 OCCUPY WALL STREETの話題。まるで「海の向こうの話」という扱いであるが、そんなことでいいのか・とおれは思ってる。パリ・コミューンとの類似性を言うヒトもいる。ヨーロッパではある種の「革命」的ニュアンスも感じる事が出来る。アメリカもやや事情が異なるが、「革命的」だと思う。パリ・コミューンは関係者全員処刑されちゃったから、「生き証人」てのがいないのだが、明確なリーダーがなく始まっている事とか、にも関わらず、統制が取れてるとことか・だ。「ああ・インターナショナル」である。

 翻って、日本ではどうか。年金の受給年齢の引き上げとか、増税とか、F○CKなことばかりが、なんの表立った抗議も報道の対象にならずに進んでいってしまっている。みんな・怒ってはいるのだ。ただ、それに文句を言う手段が・まるで手足を縛られた・そんな状態だ。

 しかし、不満の蓄積は怖い。内向にも限度がある。でも戦争はヤメようね。中国・北朝鮮をムードで嫌悪するのはほんとにヤメよう。ほんとにほんとに・ヤメよう。

 では仕事。これから7時間・「女子校に囚われたおっちゃん」状態である。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 15:08| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月18日

秋晴れの下で

 秋晴れ。すばらしいお天気。

 こんなときにもヒトは死ぬ。

 しかし、この三日間辛かった。ペース配分考えないとやっていけない。

 日曜や祝日なんかに仕事するのは嫌いではないんだが、その替わり、どこかで「ヒトの通勤の群れ」と逆方向へ、クルマを飛ばしたい。そんなことが欲しくなる。まあ機会あるごとに、隙は狙ってるのだけども。

 しかし、これからの三日間の方がさらに問題で、だからドリンク飲みつづける。でも悲壮感は嫌だ。ここで楽しくいかないといかんのよね。

 さて、TPP・ヤメよう。

 TPPって「ブロック経済」だと思う。世界恐慌時にアメリカはニューディールで公共事業を、ソ連は計画経済だったからさほど影響受けず、そしてフランス・イギリスは「植民地」と本国をブロックで囲ってその中でだけ貿易を・というブロック経済だけど、まさにそれか・と思う。そんな中、当時は「持たざる国・ドイツ・イタリア・日本」はよそんちへ侵略・そんなことだったのだけど。

 そのブロック経済の「本国アメリカに対する植民地」の役回り・だな。なんか「屈辱的」である。右翼になってしまおうかな。なんちって。

 ほんと、この国の中枢にいる人たち・国を売るのが好きねえ・と呆れている。売り物をネコの目で探している。そんなことである。

 これ・郵政民営化の全面展開版でもある。安く・しかし、危険な米や牛肉が入ってくるのと同時に、すべての分野に「外資」が参入してくる・ということだ。

 今・フランスの次期大統領選挙の候補が現職のサルコジ含め・右に一人・左に一人・そんな感じなのだが、右翼(FN)のルペン党首がグローバリズムに反対しているのだが、グローパリズムと言う名の「アメリカン・スタンダード」拒否なんてことには、おれも賛成したくなる。そんなことと社会民主主義のミクスチュアが理想的なのだけどね。

 やっぱりフランスにはフランスの、イタリアにはイタリアの個性が残っていて欲しい・と思う。同様に日本には日本の・という事なのだろう。外から見るなら。

 そんなものは意外に「強い」のだという意見もある。グローバリズムにその周辺が晒されても、コアなパートはそう変化しないのだ・そんなことだけど、おれたちの親の世代が生きてるうちはそんな気もする。しかし、油断していると、彼らはいなくなる。そうなった時に、ひとたまりもなく飲み込まれるだろうな・といった「予感」がある。おそらく、それは当たっていて、おれたちはそんな「保守」の心情に慣れていないから、伝統に対してどんな態度が果てしていいのか・そこんとこが、まだよく分かっていないアタマの弱い子かもしれないからだ。

 ほとんど、失敗だらけの人生だが、もっと大きなとこで失敗していた・そんな後悔もある。それじゃあ・しょうがないよね。その失敗から学ぶ時間がこれもまた果たして残っているのだろうか。

 と、言いつつ「人生・下り坂・さいっこー!!!」に激しく頷いてしまうおれはかなりのバカであるが、そんなバカ・サヴァイヴしていけるんだろうか・とやや、心配にもなってくる。

 と言いつつ、ハラも減る。「アンタ・ほんまにアホ・ね」と誰かが言っている。

 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:05| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月14日

そろそろぺろが・よりはじめて

 明日がぺろの49日なのだが、仕事が立て込んでて霊園へは行けそうにない。49日は無理で55日になる。ごめんね・ぺろ。

 もうきみは次・が決まったね。何であろうと、きみのひたむきさとやさしさをまた別の誰かが享受できることをおれは祈ってます。

 現世の付き合いのはかなさと、はかなさゆえの値打ち。対ヒトでも対ネコでも、同じような事を感じます。

 永遠・と思われたものがある日突然・ぷつん・となくなる。そしてそれがなくなったあとにしばらくして本当の永遠が立ち上がってくる。そんな経験を今したところです。それもまた幻影であるかもしれないが。

 色即是空・空即是色。

 試験が終われば、行こうと思う。宝塚まで屋根開けて。


 さて、TPPに参加しなければ「エラいこと」になる・というのは真っ赤なウソなので、信じてはいけない。そもそも日本の関税は高くない。そしてTPPによって恩恵を受ける産業界のGDPにおける割合は20%に満たない。

 80%以上が、こっちの方が「エラいこと」になる。

 安い野菜・米が入ってくるとする。ビンボー人はそんなのを喰え・ということになる。生活のコストが下がる。じゃあ給料も安くていんぢゃね・なんてことになる。みんなフリーターになれば・ということだ。入ってきた野菜や米・まあ米国産牛肉がわかりやすいと思うが、品質的にかなりヤバいかもしれない。そんな悲惨が待っている。

 産業界とは財界であって、政治ともグルだから、早い話、今儲けてるやつらが、今ビンボーしてるやつらを更にビンボーにしながら、オノレらだけが生き残るための環太平洋貿易協定・であることを知っておかないと。

 
 自由権と社会権の均衡というかせめぎ合いというか、そのバランスが著しく「自由権の行き過ぎ」という傾き方をしているわけで、今はかなり恣意的に「平等」を志向しないと「中世」に逆戻りだ。

 王と貴族とその他大勢。

 中間層・とよく言うが、その出現が近・現代の数少ないいいとこの一つだと思う。その体現は日本で言うなら1970s。

 しかし、いい時はそしていい場は長くは続かない。その「保守」のために、愚直に務める人々というのがいなくちゃいけなくて、しかし、そういうジミな汚れ仕事・ってヤーよ・と、思う人々が増えてきたのも70sだったのだ。

 そのあげく、がこのザマで、現在のような負のスパイラルが待ってるなんて想像もつかなかった。おれもアホでしたが、みなさんもアホでした。

 しかし・そのう・アホの自覚はアホの無自覚より、この際値打ち・と思うしかあるまい。

 アホのスパイラルだけは止めねば。

 まずは「自覚」からはじめよう。


 飛ぶけど、ちょっと小沢くんの裁判以上に注目してる裁判があって、それは「絞首刑」が「憲法違反」なのでは・っていうアレである。

 死刑は国家による暴力であることは間違いなく、しかし、いまだになぜその手法が絞首刑なのか・とはおれも疑問だったのだ。

 あまりに具体性のある恐怖・それはオノレが犯した罪に対する償いなのだろうが、被害者の気がそれで済むとはとても思われない。被害者側は「オノレ」の手で「殺したい」はずだ。国家がそれを請け負っているということになろうかと思うが、それって、たとえば「眠るように死ぬ」ではいけないのだろうか。

 どっちでも死ぬ事に変わりはないやんか・と言われるかもしれないが、「死を待つ恐怖」と「死に際しての恐怖」に、プラス「苦痛」が果たして必要なのか・とはなかなか結論でないけどさ。

 受刑者はその間ずっと「弱者」であることも忘れちゃいかんのではないか・と思う。

 アングロサクソンの「超・残酷な死刑」というのがあって、主に時の体制に逆らった者に対する処刑なのだが;

 絞首刑で、息絶える直前に、縄を解き、ペニス・睾丸を切り取り、腹を裂き、内臓を取り出し、次に心臓を取り出し受刑者に見せ、オノレの運命の確定を知らしめたその瞬間に首を切る。

 もう書いてて吐き気がするほどの「残酷さ」であるが、じゃあ、絞首刑にされ、数十秒痙攣をしている者をじっと観察して、事切れたのを見計らって、脈を取りにいく刑死官と医者のある意味クールに視点とどれくらいの差があるか・となると、なんだかもうおれにはわからなくなる。

 どちらも「野蛮」のそしりは免れない・そんな気がする。

 死は死で、それで充分な償い・だと思う。だから私見では、その死は安楽・であってほしい・と思っている。もちろん、受刑者は殺人を犯しているはずだが、それを請け負う・国家の殺人が「同様に野蛮で無慈悲」なことになにかしらひっかかるからだ。


  NOBODY KNOW BUT ME.
 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 14:45| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

BEFORE GOIN' TO 天六

 GOING TO 天六・前に。

 たばこを買いにいく前に。

 なんだか「OCCUPIED WALL STREET」カルい扱いをされている・と思いませんか。メディアの扱い・あまりにカル過ぎる・と思ってる。

 あんまり、報道するとその「飛び火」が厄介だと思っているのだろう。

 倫理観を失った資本主義に対する・直接行動としては、リーダーもなく、しかし、その統制がとれ、すごく立派にやってると思うのだ・彼ら。

 オバマに裏切られた・というよりも、オバマでもダメだった。それは日本の事情とも呼応する。民主党のマニフェストさえ、「実行不可能」なのだ。選挙で選ばれた政党の「公約」をその党内の人間が否定する・とは政治の機能不全・不能をはっきり表している。なのに、おれたちは、「小さな個」の中にとじこめられて、そして、そのことを公言するに周りを見回す・そんな人生に誰がした。

 「1984」の世界がそこにはあって、「1Q84」ではないよ・「1984」です。

 カナリアの嗅覚としては「治安維持法」の世界へと戻っていくかのような予感。おそらく、間違いなかろう。

 それは、「上から」の視点で考えてみるとわかりやすかろう・と思ったりする。

 政権を取るためのドライヴだった小沢くんを、葬ろうとし、結局以前より強固な官僚支配にしてしまった。そこには「甘い汁」希望のメディアがつるみ、国民負担を増加し、ひとりひとりを「個化」し、団結はダサく・危険なもの・という意識を植え付け、バカTV番組で更なるコドモのバカ化を進め、新自由主義はそのリソースをゲットするのはあまりに数少ない人々という結果にしかならないのに、ビンボー人にも新自由主義的感性を植え付け、無駄な競争で疲弊させ、互いの不審感を募らせ、抵抗するチカラにならないようにする。

 そんなことである。

 国内の問題から目を逸らさせるためには、外に目を向けさせる。横田めぐみちゃんの「生存情報」また出てきています。これは「手」です。

 多くのヒトは、これによって「北朝鮮」F○CKと思うはずだ。しかし、国内の問題から目を逸らさせるため・であることをみんななかなか気づいていない。

 中国・北朝鮮のことを憎む・これこそが、「思うつぼ」なわけで、これが進むと、ここんとこ・どの国でも(アメリカでも中国でもそう)事情はおんなじで、みんなの不満のエネルギーが「革命的」な方向に向かうことを逸らす意味で、状況は「戦争的」な方向へと向かうのだ。アメリカは60sからずっとそうやってる。最初はラテンアメリカというご近所だったが、最近はアジア・中東なんて「遠方」まで行く。なりふり構わない・みっともなさだ。

 戦争って「軍産複合体」が大繁盛する。当たり前だけど。日本にも「軍需産業」あるよ。

 だから、北朝鮮や中国の事を根拠なく憎んではいかん・そんなことを思う。国の事って、その政治や政治家・財界・メディア・人々・と複合・構造的であるはずなのだが、おれたちはバカだから、一元的な「像」を結ばせやすい。そうじゃない。例えば中国なら13億以上のパーソナリティがあることも忘れちゃいけない。

 おれたちのエネルギーは他国の憎悪に向けられるべきではなく、国内の不正や不公平の告発・そして未曾有の原発の処理へと向けられ
るべきだと思う。

 小沢くんや中国を「ムード」で嫌悪している方・そのエネルギーの蓄積は「戦争的」な方向へと向かわせられることを・ほんとに自覚したらいい・と思ってる。

 大きなもの・長いものに巻かれる・って「しょうがない」って気がしてるヒトも多いはずだけど、なんとなくプライドを上から押さえつけられてる気もするはずよね。日本の資産や産業って、それだけで1億3千万人を養えるだけの充分な底力があるにもかかわらず、そこんとこ「小型アメリカ」に進んでなって、そこにあるリソースや富は誰かにやっぱり集中してしまってる。今の社会の辛さって、そこに原因がある。覚醒したいものですね。

 さて・天六・たばこ。


 i'm sorry i just can't take you.
posted by 浪速のCAETANO at 12:07| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

いろんな三日目

 世間は三連休の三日目みたいだが、おれはライヴ後もう20日まで休まれへんやんかぼけ〜シリーズの三日目。

 不条理だ。

 脳内の後遺症はやっと戻りつつある。長時間のライヴは「脳」にとっては「事故」だな・と今回・実感した。

 「脳」って特別・だな、と思う。しかし、脳科学者に「アホな息子を持つおかん」みたいな態度で指南されるのはごめんです。科学はtentativeなものであるってことは、科学者自身が最も良く知っている。次の理論によって乗り越えられる可能性を常に秘めている。もちろんいろんなヒトのいろんな研究・発見がオントラックで蓄積されていって・・・・なんて美しい場合もあるだろう。

 しかし、「ニュートリノ!!!」な場合もあったりする。それも真実かどうか・さえもわからんが、どっちに転ぶかに寄って根本から土台から考え方を変えさせられる・そんな「大層な」こともある。


 PCを初めて買ったのは、あのわかりやすいバカたちが中二か中三だったから16・7年前だったから1994か1995の事だったと思う。自分で買った初めてのPCはMacのPerformerだった。その前に貰いもんの「Color Classic」があった。

 windowsを買おう・という発想は微塵もなかった。以来ずっとMacである。クルマはボロのイタ車かフランス車。ギターはFENDER。キーボードはCASIOとROLAND。あんまり「そっち方面」の浮気はないタイプである。

 Mac自体はビル・ゲイツ一派に押され、21世紀初頭のおれの印象では「おそらく消えていく」なんて思ってた。そう思ってたヒトは少なくないとおもうがど〜お? インテルが「入った」ときなんて、「おー・魂売りよった」みたいなこと言ってたひともいた。

 OS Xぐらいからなのかなあ。なんかブランド力が急にでてきた・そんな印象だった。世間がMacに追いついた・そんな感じ。それからiPhone、iPad。中国人韓国人留学生なんてみ〜んなiPhoneである。

 第四コーナーで大挙してやってこられて追い越された感じで「赤ずきんちゃんガブリ」な心境だ。「みんなのMac」ってのにおれみたいに「斜視」になってるひともいるはずだけど。

 iPhoneからのMacのヒト限りなく多い・と思うが、「スマホ」って呼び方・全然スマートとは思えんが、そこんとこどーよ。大衆化ってこわい。さて、次は「どこいくの〜?」よね。

 ユニクロのCMがとってつけたようなナチュラルなかっこよさ路線を続けてる事もなんか違和感がある。だってユニクロやで。だれかのおかーさん「ユニロ」言うとったけど。

 ひととはちょっとちがう・という画一・ってなんなのよ・とつっこんで、後はでも深入りしたくない。

 PCの普及の歴史ひとつとってみても、ほんの20年弱の話で、それと同様に価値観も時間軸も「ぐぢゃぐちゃ」になってしまって、スティーヴ・ジョブズはおそらくそんな中の「神」の一人だと思うが、それって過去に書かれた「ノアールなSF」そのもの・という気がせんでもない。それは逆に「闇が極少」という闇の世界で、すべてが白日の下に晒され、監視され、空虚でからからの「はははは」という笑いで満ちている・そんな社会が、いまここにはある。

 どーせ、最悪の未来なら、ちょっとでもCUTEな方がいい。Macってそのような存在ではなかったか。もちろんMacがいろんなものを生み出したのはすごいことだが、それがすべて「善」であるかどうか・はわからない。

 ただ、おれだって、どーせ使うなら「より疎外された気分にならない」そんなモノをやっぱり使いたかった。それはそう思います。

 ヒトが、「それ」を「持つ」だけで全能感に満ちあふれるようなものをみんなが持つ・そんな世の中がいいのかどうか・っておれはよくわかりません。


 
 sentimental LATINOだって。
 
posted by 浪速のCAETANO at 11:36| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月09日

良き夜なり 明けて世界が 消えむとも

 HOST LIVEはもちろん自分でも楽しいのだが、今回は「SENTIMIENT」ゆえ・格別なものがあって、それはその「SENTIMIENT」たるものとは、おれが音楽を作る上での長年の精神的相棒・な概念だからだ。

 それは意識して傍らに置いていた・というより、自然とそんなときは・なんだかわかんないが・いつも気がつけばそこにいた・という類いのものだったので、まあ長年飼っていたネコたちみたいな存在というのが近い。

 「SENTIMIENT」を言葉で「こーなのよ」っていうのは簡単じゃない。

 それは個人の情緒・感情の枠に収まらず、もっと・なんというか、集合的な意識と無意識の境目ほどに存在する・そんな気がしてるからだ。

 もちろん、その個人の情緒・感情も含まれるのだけど、その固有であること・をはるかに超えて、みなさんで共有できる「何か」だとおれは思ってる。

 実際、たどたどしくもしつこく「SENTIMIENT」「SENTIMIENT」とライヴ中に言ってたら、なんとなく「SENTIMIENT」がSUN HALL に蔓延したかのような・そんな匂いを嗅いだ気がしたもんね。わからん英文でも何度も声出して読んでたら、ある時・なんとなく意味がわかってくるのと似ている。

 まあアタマん中・いろんな分泌により、冷静ではなかった・とは思うけど。でもね、冷静ではないが・あるとこ冷静なのよね。長時間音楽をやる・ということは、それなりの対処の仕方があって、おれなんかおそらく特異体質が身に付いてしまったのだろう。だはは。

 今回はLULU SANTOSで盛り上がってた。彼の曲がまさに「SENTIMIENT」だなあ・と感じていた。もっというとおれがそんな意識もそんなに強くなく、30歳ぐらいの頃・夢中で聴いていたGAL COSTAの蜜月の中の3曲がpor LULU SANTOSだったのね。

 LULU SANTOSと言えばカエターノの「北の夜」ao VIVOでコブラコラウをデュエットしてた。ガルにもっともっと曲書いてあげてたらなんて思う。それほど・彼の曲はガルにフィットしてた。

 物事なんて「アホの・アホによる・アホな思い込み」によって成就するわけですよ。こないだのライヴが成就したか成仏したかは定かではないが、おれの思い込みはかなりのもんでした。「SENTIMIENT」だし、しゃーないよね。

 今・その後は試験ウィークで死亡寸前ではあるものの、もうへんな分泌物の出た・後遺症のあるアタマで「なんとかする」しかない。それも受け入れてる。

 ボサ姫も徐々に回復しているみたいで、ロボスの田中屋にご招待する事になってる。

 最後になりましたが、出演者・スタッフ・そして一緒に「OCCYPIED SUN HALL」を成し遂げた少数精鋭機動部隊のみなさま・MUITO OBRIGARD。

 INTELIGENCEとHEATそしてAMORに溢れた夜だった・そんな印象です。


 Creio-Cada pessoa nasceu com seu destino.
 

 

 

 

 

posted by 浪速のCAETANO at 21:05| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月07日

TONIGHT'S THE NIGHT

 秋晴れの「BOM DIA,nao e?」

 実は、おかあさんが倒れちゃったひとや、東京に「リハ」に行ってるヤツ、岡山に「牛を買いに」行ってるヤツなどがいて、ほんとに出演者全員集合できるんでしょうか? 不確定要素満載・波乱を内包しつつ・でお送りしています。

 て・いうか、ボサ姫の母上が入院されてて、ボサ姫も昨日バイト先で倒れてしまい、お一人様本日欠席となってしまいました。

 ボサ姫の「代打」は「浪速のカエターノw/カオリーニョ藤原」で務めさせていたたこうかな・と打診中。またまた、「男臭く」なってしまいましたが、見に来ていただいた、「いいオンナども」覚悟しとけよ。

 では「少数精鋭機動部隊」のみなさま・現場で!!!1007liveol_CS-1.pdf
posted by 浪速のCAETANO at 11:50| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月06日

OCCUPATION BLUES

 オキュペイション・ブルーズ

 no more much too excessive captalismsentimientを繋げることを考える。

 そこが繋がると「美しい」と思うからだ。まあ・アホやと思うやつは思ってて。

 不当と不正が蔓延しているが、その結果はより少ない方により多いリソースが・といったことである。多くのヒトは、その不正と不当の固定化のために、固定したい側が小沢くんを排除したい・ということもほんとはよくわかってないんじゃないかな。

 小沢くんの話は、それでも部分に過ぎない。

 原発の初期の解説を見ても分かるように、官僚とか政治家とか学者とかは「現状維持」のために生きているのがよくわかったよね。何もしたくないし、今のままでいたいだけで、ラディカルな変化は最も彼らの忌み嫌うところである・ことがよくわかったもんね。その構造的な「支配」はその主体が一体どこまでなのか・ということはよく考えた方がいいと思う。メディアこそはもっと声をあげるべき・なのだが、ここも構造上・その支配が及びきっている。

 おそらく、「わたしも支配者の一部である」と思っているのは、そう思いたいメディア関係者・までぐらいではないのかな。

 自分も支配する側と思っていながら、真の支配層から「使われてる」あるいは、支配する側なんかまっぴらだ・と思いながらも、日々の業務によって、支配の片棒担がさせられてる・そんなところだ。

 今の資本主義の厄介さって、誰をターゲットに文句を言ったらいいのかが「はぁ?」なところなのだ。巧妙にリスポンスィビリティが分散され、アタマに血上りながら「ぼけかー・オマエー」と行くと、「あ・ここ、その担当ではありませんので」みたいなことになって、テンションは弛む。振り上げた拳で「頭ぽりぽり」みたいな事である。

 そこがシステムの巧妙で・恐ろしいところなのだけど、対処の仕方がよくわからない。鬱積したものを抱えつつ、正当な抗議のルートがほぼすべて不通となっているために、そのエネルギーは負化して近場や内面へと向かう。

 NYの人々・「健康」だと思う。ルックス・グッドなワカモノが、「行き過ぎた資本主義はよくない」とカメラに向かって言える・その「正しさ」はこの国で多くの「正し過ぎる」ことを言うヒトの目に宿る狂気のようなものを考えてみた時に「健康」である・と強く思う。この国では「オノレ」のみである。エラいオトナからエラくないオトナ・そして子供まで。

 格差・という言葉がまた意味を持ってきた・と思う。貧困ではなくて、「格差」だ・と思う。格差はあってもいい・なんていうやつは、要は単にいい思いを結果的にしている、もっというと「現状で喰えてるからそのままでいい」ってことだと思う。リソースが不当な基準で分配されている・ということではないか。その基準が問題にされたっていいはずでしょう。その基準は「既成の基準」であって、そこんとこの正当・正統性には決してそう言う人々は「ツッコマない」。

 「誰が決めてん?」ということよね。「どなたが決められたのですか?」「い〜つじゃ〜」「だ〜れがしゃ〜」「な〜ぜじゃ〜」とカンペーちゃんはその真理追究姿勢がほぼいつも正しい。

 定型というものが資本主義にも社会にもあるわけじゃなくて、それはその場その場で修正しバランスをとっていくものだ。その修正やバランスをとる・というかとろうよ・と言う事が今は危険と見なされるようなそんなビビり社会にしたのはどこのどいつやー「責任者でてこーい」とジンセイコーロ師匠はおそらく正しかった。そのあと「この泥ガメ〜」と怒られてたけど。

 社会が・というか支配している側が「ものすごく臆病」になってると感じる。臆病なやつはハーシュな行為をしてしまう。官僚や学者の集合的人格・そんなものはおそらくないのだが・そしてキミらこそがほんとの「無産階級」のはずだが、なんだか「こそこそ」している・そんな印象がある。保安院の西山某くんなどを見てもそんな感じ。あの顔・で愛人・だからね。笑かしてくれるやんか。あんなんの愛人・のオンナも笑えるが。路一緒に歩いて恥ずかしくないの・あんなんと。

 だから・なんかかっこわるいわけよ・その人たち。元官僚の・・・なんてよく今TVとか出てて、うまいこと大学教授とかなって稼いでるけど、なんかかっこわりぃ・わけよ。

 
 行き過ぎの資本主義に中指突き立てることとセンティミエントを繋げる・「ど〜やってじゃ〜」とカンペーされたら、「ちょっとまってね」と、今は言わざるを得ないが、明日・現場でも考えてみたい。

 いろんな場でひとは「どー・おれってこんなにかしこいけど・どー」みたいなことばっか起こってて、それにいちいち「すんご〜い」なんて反応がありすぎるのだけど、そんなに賢かったら、そんなことで小金稼がずに、この大問題をなんとかしてみろよ・なんて思う。そんなに賢いんだったらさ。そして原発文化人・原発学者のひとびとよ・われわれの味方のふりして、更なる小金と延命を求めんでもいいからさ。

 
 いつもより少し大きな視点から、明日の「音楽の一日」を過ごしてみたいと思う。1007liveol_CS-1.pdf
posted by 浪速のCAETANO at 16:19| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月04日

ぼくがメールアドレスを知らない貴方へ

 2011秋の
マルタニカズa.k.a.浪速のカエターノ
HOST LIVE
SENTIMIENT 2

@SUN HALL
10.7(Fri.)

ぐっと秋めいてまいりました。タイムリー!!!
「SENTIMIENT 2」です。

秋は感情もモノの味もぐっと深まります。
実りの時期だ・と言ってしまえばそれまでだけど。
フクシマの例えば米や野菜もその習性から
放射能とともに栄養を「凝縮」して更に実ろうとする。
いたいけで不憫で涙が出ます。

おれたちもなるべく普段論理的でいようとはするのだけど
時には感情を情緒を思う存分表出させるのもいいと思います。
その中には「切なさ」がある。
しかし「切なさ」だけではない。
喜怒哀楽・全方面の感情が切なさを包含しています。

根っこらへんに「切なさ」がある。
しかし、切ないままで外へ出るとは限らない。
その感情はいろんな表情を結果的には持つ。

VIVO(LIVE)は相変わらずThe Varietyという内容ですが
そのバラエティ(脱国境度)は今回が群を抜いています。

ボサノヴァ・MPB・サンバ・ルムバフラメンカ・ボレーロ
ブルーズ・演歌BOSSA・南部音楽・ニューウェイヴ

異なる表情の音が、次々に押し寄せてきますから、ぜひ
潜入感や予断を捨てて身を任せてみてくださいね。

どこかには「ひっかかる」と思います・おそらく。

当日はセンティミエントな料理を
TODO O MUNDO
提供します。
赤もたっぷり持って行きますね。

Open 18:30 Start 19:00
Charge 2000/2500(w/o drink)

チケット・フロントでの取り置き、超・可能です。
このブログにコメント・monile9@gmail.com・TODO O MUNDO(06-6147-9923)・SUN HALL(06-6213-2954)等方法はいくらでも。


The LABEL Rafflesia Marutani KAZ

posted by 浪速のCAETANO at 20:29| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月03日

出雲なら神在月

実に涼しい。

 上に何か羽織る・そんなものをクローゼットから探す。

 それも何かしら楽しいものだ。夏から今度は冬に向かう時、猫なら夏毛から冬毛へと生え変わるが、おれたちは、産毛が剛毛になったりはしないが、かつてはしたのだろう。

 延々、冬仕様のやつもいたりするが。逆も。

 音楽に「かまけてる」間に事態はもひとつ悪い方へ進んだと言える。

 小沢くん秘書たちの有罪判決。なしくずしの増税。九電と同様の記者クラブのやらせ。

 巻き返された。そして、なにもかも「ほんとのとこ」が公表されずに事が運ばれてる。

 音楽にかまけてていいのだろうか?とやや不安と罪悪感に苛まれる。

 
 「遊びをせむとてうまれける」こう言ってしまえば、それはそうながら、事はいささかそれよりも複雑であるような気になってくる。複雑に思わさせられてる・ってのが正しいと思うのだが、なぜかというと、ヒトなんて単純だからだ。

 ほ〜んと・たんじゅん。

 ヒトの歴史は、個人って意味だが、単純化の歴史だと思う。あれやこれや手出したりするのは、若気の至り。気持ちいい事って限られてきて、ある時、そのことに気づく。ちょっと楽になるね。

 「人生・下り坂・さいっこー」な時期になると、余計そうだ。これまでやってきたことが分母で、いまやる事が分子だとすると、分母が分子に向かってどんどん縮小してくる。

 やったけど、どーでもいいこと・ってどんどん忘れ去られていく。それは、ある種・ヒトの可愛げ・にも繋がると思うがどうだろう。おれは自分で思うに、それでもまだ可愛げ・ない方だが、「かわいく」もなってきてる・そんな気がしてる。どーでしょう・周囲のみなさま。こんな事言うの・なんか違和感があるんだが。

 おっさんのかわいさ・うーん、かおるちゃんなんかは「なんか・かわいい」気がするが、どーなんでしょう。

 昨日、novos naniwanosのライヴを見に行って、「ロックの魂」が求めているものってやっぱり延々どこかに存在するし、スタイルともそれは異なり、というかスタイルはどうでもよく、それは「punk is attitude, Not style」なんてこととも近く、それはプレイする人間の、「その場」の心意気によってしか担保されない・なんてことを考えていた。しかし、やはり、現場現場での特有の「CHORD 」と「IDIOM」があり、それが各文化の裾野をもつためにもどかしさも生じる。特有の「CHORD 」と「IDIOM」が強ければそれを壊したくもなるし、逆にそんなものがなければ、特有の「CHORD 」と「IDIOM」を設定したくなるし、なかなか切なくもとかしいものである。

 結果楽しければいいか・なんてことでもない・そんな気もするが、特有の現場の楽しさは捨て難い。

 触媒にはなってみたい気がしてる。

 さて、また一週間が始まってしまった。月も変わり、季節も明らかに変わり、「状況」も変わり、しかしNY・wall st.ではデモも起こり、「THE WHOLE WORLD IS WATCHIN'」の連呼があり、資本主義への根本的な疑いをあからさまに口にするワカモノたちが存在し、しかし、そんなことさえも知らない日本人も多かろうと思える。自分の仕事・でいっぱいいっぱいなのだ。そんな中でのブランニューなunityってないのだろうか・と思う。おれたちは他者への思いやりを忘れ、なんとか喰っていきながら好きな事をして、もう一段大きな「社会性」のことを考えずに生きろ・というどこかからの声に洗脳されつつ生きているのかもしれない。さまざまなブランドに囲まれつつ。

 この「切り離され方」とはなんなのだろう。「多様性」というより「細分化」そんな感じだもんね。セクショナリズム。ひょっとしてその手法はかつての左翼運動の中で「習得」されたものかもしらんですね。思うつぼかもね。

 神無月・出雲なら・・・

 
 昨日はnovos naniwanos

 
posted by 浪速のCAETANO at 10:40| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする