2011年11月05日

逃げたいのだ

 しかしそのう・今は普通に景気がいいなんてことはないのだなあ、常にバブルを包含している・ってことなのだ。

 ギリシアは既にアウトで次はイタリア。その次がスペイン、そしてその後はフランス。そこまで行けばEUの夢は土台から崩壊だ。

 バブルかデフォルトか。しかし、いずれバブルは弾ける。

 新興国と言われる国々にも既にかげりが見えていて、その方がいいし・とおれは思ってるが、もう淡い期待はいらんよ・いらんからね・と言っておきたい。

 韓国と日本のみっともなさは近視眼的に・極東を見てみた時に、アメリカの植民地化レースってことね。どちらが「良き植民地」となるか競争。あああ・さぶすぎだ。

 ケータイという名のパソコンだけを残して、ヒトは孤立化することになろうと思うが、スティーヴ・ジョブズにはその後の展望ってあったのだろうか。良くも悪くも「アメリカン」だと今思う。「個人」という概念がそんな不毛な立ち上がり方というかとり残され方・になってしまうなんて皮肉だ。

 「個人の自由」なんて言葉・よく考えてみるなら、「オノレの勝手」意外の意味で使った事ってあんましないなあ・ってのが感想だと思うが、その「放っといてよ」が自由であるとするなら、そこにはいつだって親とか教師とか上司とかの・つまり組織からの束縛のようなものがあった気がする。そんなことが消え失せた現在、「個人の自由」は宙に浮いちゃってる。

 宙に浮いてかれこれ1or2decades。

 宙に浮いたそれは、偏西風に流され・・・・・、季節風に翻弄され・・・・・台風に蹂躙され・・・・・、もうわけがわかんなくなって今に至る。

 
 これまで普通にあったものがどんどん消えていく・そんな世である。SPELLのひとつもかけたくもなる。それは、「誰のせい」ってのが特定しづらい世だからでもある。怒りは内向し、「内ゲバ」へ。しかし、もうそんなことにも倦んでいる。

 
 さて、またまた休めない日々の真っただ中にいるが、思う事は「逃避」。

 秋晴れの清々しい日に明日香へ・と気持ちは「逃げる」。世の方々はどう考えているかしらないが、飛鳥が都だった頃は「日本」はまだ存在しない。正確に言うなら、飛鳥から平城京へ・新都へ・という動機を持った頃に「日本」という国名が生まれた。「日ノ本」ね。

 「日出ずる処」という中華の世界観の末席から、別宇宙の中の中心へ・といった変容なのだけど、同時にその頃に「大王」から「天皇」への移行もあったはずである。蘇我から藤原へというのはそれに先立つ事半世紀前のこと。

 明日香(東(やまとの)明日香ね)に行って思う事は、ここはどう考えても「蘇我」の地だなあ・ということだ。そしてもう一人あげるとするなら、皇極(斉明)女帝。

 皇極は蘇我の味方なのか敵だったのか、今もって意見の分かれるところだが、それは「紀」をどれくらい素直に読むかどうかってことにかかってくるが、どっちであってもそれなりにおもしろいストーリーとなる。

 これからおっさんガールズがもう来るから、また今度・だけど、なにかしら明日香の地で風に吹かれてぼーっとしていると古代の人々の「言葉」が甦って聞こえてくるかのような「錯覚」に陥るのね。そんな「逃避行動」にはやく出たいわけよ。いや・まぢで。

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 16:05| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする