2012年07月29日

楽しいロンドン・愉快なロンドン

 酔っぱらいつつ「半寝」のばかアタマで開会式を見ていたが、もうなんだか、それがいいとか悪いとか・良かったとかおもんなかったとか、なんか言えるようなもんじゃなくなってきてるなあ・というのが正直な感想。

 というか、クリエイターの成し遂げたことになんだか「否定」ができないような、そんな雰囲気だけがひしひしと伝わってきて、口を閉ざす。こんだけお金もエネルギーもかけたことに、おまえごときが「文句」言う立場にはない・といった暗黙の圧力みたいなもんがあってさ。

 たとえば、フジロックに出てるものはとりあえず「いいもの」なのだ・みたいな暗黙の圧力と似てるかも知れない。

 実際行ったら、そんなこともないんだけどね。退屈なバンドぎょうさんおりまっせ。ただ、みなさん、「そこまで行った(まあ・実際・苗場までは行くの大変である・大変だった)」ことにものすごい「全肯定」なので、それがワタシ個人の「ちっちゃなドラマ」であるから、そこにいちいちやいやい言うのヤメてや・うん・それはそれで悪くはないねんけど、言うてるのはさあ・そんなことじゃなくて、ロックとかパンクとかの本質的なとこって、迎合じゃなくって反発やろ? なんか、すべてオッケーでそこでの批判精神ってないとあかんと思うのよ・そんなこと言われても、わたしら、この日のために3ヶ月前から会社休みとったり、バイト休みとったりなかなか大変な自分なりの努力してるわけで、それをそんなこと言われても、なんかムカつく・いや・それにやいやい言うてるわけじゃなくってな・・・・・みたいに、なんか気ぃつかうのね、本質論的なことで、ワカモノになんか言っても。

 時代であるし、時代はもう時代ではない。開会式の直前におそらくBBCの制作なんだろう・ロンドン五輪のインヴィテーション・VTRって言うのかな、その中でいろんなイギリスの風景とともに、使われてた曲なんだが、PINK FLOYD-TIME@BIG BEN、PISTOLS-GOD SAVE THE QUEEN@THE THEMES、CLASH-LONDON CALLING@TUBE in LONDONやろ、そしてリアルタイムでイギリス選手団の入場の際は「WE CAN BE HEROES JUST for ONE DAY」が突然流れてた。

 いや・ええねんけど、時と場合を超えて「HEROES 」に反応する自分がいるんだけど、しかし、なんというか、イージーと言うかあまりに晴れがましいというか、なぜかというと「クリスチーネ・F」という映画・それはベルリンが舞台の、ジャンキーの少女の悲劇的な話の中に於いての唯一の希望としてあった「HEROES」なのだが、それは長い長いトンネルの先にやっと見えた光の一筋だったのだが、そんな場面をおそらく刷り込まれてしまったおれの方が「かわいそう」なのかもしらんが、放っといてくれよ、何を言いたいかと言うとね、もう全部「場」に奉仕するツールとなってしまってんだなあ・と思います・ってことですね。

 最後の・小さな炎がトゥギャダーして大きな聖火になったりするのは好きだったよ。ウソでもああいうウソはいいの。一回性のアイディアがあるから。

 マイナー競技がいい。おれは、いろんなスポーツを齧っているから、いろいろ見る目はあるんですが、それでもさっきやってた自転車のロードレースはレース環境が良かった。ラウンタバウトからスピンアウトして田舎へ続く道の周りに広がる田園風景を想像させる。まあ思い込みの産物かも知れないが、室内だとほとんど、ロンドンを感じることってむりだが、屋外はいやでもいろんなものが目に入ってくる。

 単純に駆けっことか力持ちとか高く飛べる長く飛べる・そんなのなんだか今考えるとあまりにブリミティヴながら、そのような競技の単純さに「感じ入る」ことがあるように思う。大阪の「不快な亜熱帯」を一瞬忘れさせてくれればそれでいいか・なんて、オノレが一番あかんやん・みたいな誹りは免れない・みたいな。

 しかしだよ、熱中症で昨日も5人亡くなっとるわけよ。これもまた別の意味でプリミティヴな話。暑さで死ぬ・寒さで死ぬ。しかも日本で。そんなことを防ぐために産業革命があったんではないのか。何かが大きく間違ってて、その間違いのレールの先端にオリンピックもあるわけだから、など思えば、なんだか元気は確実になくなるよねえ。

 暑さで更にアホになってるくせに考えたわたしがバカでした。

 昔・京橋だったろうか「楽しいロンドン・愉快なロンドン・ロンドン・ロンドン」ってキャバレーのCMがありました。話通じるヒト少ないと思うが。その最後のダンサーのおねえさんたちの「Yeahっ!!!」をすぐに思い出す・ロンドン。

posted by 浪速のCAETANO at 11:49| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月26日

もうロレツがまわらん

 この暑さの中、昼間に買いもの行ったが「死ぬ」と思った。

 一瞬なら「平気」と思うのだが、しばらくいると「死ぬ」と思う。暑さでロレツがまわらない。

 この時期、さすがにビールを飲む。ビールが旨い。もう昼間でも飲む。積極的に昼間から飲む。どーせ、アホが更なるアホになっているわけだから、もっと更なるアホになったところでどーっつぅことはない。

 なんだか、厭とか嫌いとかそんなんじゃなく、気が遠くなる・そんな暑さだなあ。ちょっとカラダの対応の限界を超えてるというか。今年はなんだか「すでに夏バテ」である。

 もう始まってしまった夏はもう修正が利かない。だから、このまま、酷暑が去るまで「だましだまし」過ごす意外に道はなし・である。何かを作り出すなんてことももう「無理」であるから、とにかく何かをインプットしようと思う。入力しても汗とともにその多くは流れ出してしまうだろう。流れ出たとしてもそのエッセンスは残るだろう。夏が終わって、残ったエッセンスに気づき、「ん・なんだこれ?」みたいなことが起こるだろう。そこからまた謎解きが始まるのだけど、そんなこともクールダウンした空気の中なら、「あ・そやった」となるのでは、と秋の自分に期待・である。

 出雲を訪れたいと思っている。

 自分の目で見るのがどんだけの値打ちかはよくわからんものの、ま・とりあえず行ってみる。

 麦木晩田遺跡まで足を伸ばしたい。ヒトデ古墳を見たいのだ。それは鳥取だが。広義の「古代出雲」ね。うーん・どうしよっかな。ちょっと遠いかも。しかし、熊野大社へは行ってみたい。行くだろう。出雲の熊野だ。かつての「表日本」を感じてみたいのね。

 もういろんな情報が未整理のまま入ってしまっていて、なにがなんだか・なのだが、稲佐の浜でぼーっとしてみたい。夕日眺めつつ、ビールでも飲めば何か「降りて」くるかも・なぁんて天地茂も夏ならではの風情と言える。

 大阪から撤退した皆美もあるし。鯛めし・ひさしぶり。

 
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2012年07月24日

さて・きみはどっち?

 なんともびっくりである。イチローのヤンキースへの電撃移籍が決まって、もう本日から試合に出、その相手はマリナーズであって、しかも@セーフィコ・フィールド in SEATTLEだ。

 なんともアメリカらしい。しかし、それと相似形なことを日本のプロ野球に置き換えて見ると、そんなヒト誰がいる? と思う。やっぱりMBLの2軍なのかなあ・そんな気もする。アメリカの文化の中にすっぽり包まれているこの国を感じる。

 おれもWBC出なくっていいと思ってる。あんなもんなくていいと思ってる。

 確かに、前回・前々回、特に前々回見てて面白かったけど、それはイチローがあんなに生き生きしているのを初めて見たからだ。みなさん「野球少年」の頃に戻っていて、それが見てて微笑ましかったのだが、そのこととは別に、アメリカチームが「オールスターズ」ではなかったことが、まあ言えば、あれは世界一を決める大会ではないことを示唆しているし、結局はMBLプレイヤーズの福利厚生の一環であることが今回バレちゃったからだ。そんなこと、知らなかったもんね。

 なんだか、みなさんがいろんな・以前なら知らんで済むようなことがどんどん曝け出されていく・そんな現在である。

 オスプレイが単なる機種変更であって、おれたちが文句言えなかったりすること・なんてのもその一つ。

 ホントの右翼の方々、そこ・怒るとこやんか、とおれは思うが。なんか、期待はずれである。

 わかりやすくも2種類あるというか「おる」ね、Walk on the RIGHT sideの方々。

 親米と嫌米と大まかに分けてよかったのかな。

 なかには嫌米のフリして着地が親米なんていうG難度のフィニッシュの方とかもいて、ややこしい。

 LEFT sideの存在意義・価値、ともにダダ下がりな今、嫌米or親米ってのがsingle issueとしてはもっともわかりやすく、もっとも政治的にも正しいのでは?

 尤もpolitically correctって好きな概念ではないが。でも本音と建前が最接近するissueではないんでしょうか・ここ。

 都知事の尖閣諸島への「危険な遊戯」もすごく複雑だと思う。その嫌中は理論上・親米をアテにせずには成り立たないはずで、そんでもって嫌米のポーズを同時にとるなんてことはなんだかパワーバランスとしてかなりon the tight wireだと思う。あるいは、過去の嫌米はもう時効と化していて、今は実は超・親米なのかもしらんなあ。そこ・為政者としてははっきりさせるべきだ。たとえ殺されても。政治家ならしょうがないです。

 ただし、どちらにしてもかなり「きな臭い」ことになってきてる。

 某右翼番組でアホの落語家が「センカクで戦争したらええねん」と言っていたが、ほらね、そんな意見がもう出るようになっちゃった。でもね、アメリカは尖閣諸島を「日本の国土」とは正式には認めていない。そこは得意のダブル・スタンダードである。そこでの紛争にそのダブル・スタンダードが生きてくる。アメリカは「善意の仲介者」としてその場に現れる。そんなこともわかんないんだろうか?

 明治でまちがいなく何かが歪んだのだが、その歪みのもとはやっぱ日本書紀かなあ。もちろんまわりの「資本主義」の進化が影響しているとは思うし、そんな中ではそれ以外に術がなかった・そんな気もする。であるなら「不幸」をあらかじめプログラムされていた・ということにもなり、なんだかなあ・だ。

 世界史の大きな流れの中ではそんなこともあり・かもな、と元気なくなったりもするのだが、しかし、おそらく、これまで生きた多くの人々もそんなことだったんじゃないかな・と思うと現代人の耳年増に対して謙虚になれる気もするわけね。

 再稼働反対のデモ、声を上げること、それは良かった。そして、デモはこれからも別のissueでも起こる・と思う。その対象は「改憲」だったり「戦争」だったりするのだが、その時は一体どうなるのだろうか? と思う。なんだかLOOPする歴史・なんてことも考えたりする。
 

 

 
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2012年07月16日

Beautiful Sunday

 大阪は7.15で梅雨明けだね。まだ未発表ながら。「梅雨明け予感記念ライヴ」はタイムリーでした。そこは
拍手で自画自賛。

 今日は仕事が入っているが、昨日の日曜はまるまる休みだった。前日の検証と反省と次へのプランを考えつつも、なんとなく気が滅入って、家に居ると余計にダウナー化しそうだったので外に出ることにした。チャリでいくとなるとまあ「天六」なのだがラマダの前まで来て、「今日は十三の方がイんぢゃね?」なんてことを直感的に思った。まあそのような「こゝろの声」には従った方がいいのでは・という「こゝろの声」が聞こえ、ぴゅー・とUターン。

 十三大橋を渡るが、淀川の水の汚いこと。濁ってもいるし、木材・金属的でないがれき・ゴミが集団で漂っている。大量。もちろん豪雨によって上流から流れてきたものなのだが、その量が豪雨の凄まじさを物語っていた。薬屋に行きたかった。いろいろ買うものがあった。買い物の後は、どこかで飲もうと思っていて、それを察したおれの脳は十三大橋を激漕ぎしただけでもう体温を数度上げてくれていた。

 例の居酒屋に入るとカウンターの隅に通された。クラシック・ラガーとカニ酢・ミンチカツ・おからなどを注文し、タバコセットと灰皿を取り、奥行きのないカウンターを「間取り」し、アテの到着に備える。

 本を取り出す。最近よく読んでるのは、F田T彦氏のものだが、この方、史書を「超・念入り」に読む方で、しかもその中に私情を一切入れないと言う徹底ぶりで、それだったらあんまり面白くないはずなのだが、その結論というのが、予想に反してかなり・面白く、ご存知の通り、古代に関しては、いろんな方がいろんなことを言っていて、また言ってよく、というのはまあホントのことはよくわからない、そんな前提があって、しかし、それは史書・特に中国・朝鮮の・本国に関する記事以外にこそ信憑性があり、それはオノレの国の新王朝は旧王朝のことをぼろくそに言うが・オノレの正当化/正統化のために。しかし、周りのことに関しては「ウソ」を書く意味がない。だからホントのことが記されている・といった、言われてみれば「ホントですね」な目から鱗・があり、特に中国のそれらは東夷の国ごとき周辺国のことで「ウソ」を書くなんてことはハナから意味がないわけで、従って、そこは事実のはずである、そんな考えに基づいて丁寧に「魏志倭人伝」を読み解いていかれている。

 その探索の結果である驚きの結論と「倭国の当時の範囲」裏日本が「表」であったこと、出雲の先行、国譲り、やや遅れて大和に現れた「銅鐸文化圏」と、おそらくその頃にあった関東〜東北の「縄文的王朝」、そんな中での「神武東征」譚の信憑性の上昇、当時の河内湾の形状、南方(西中島南方)の意味、梅田は埋田よね・それはいいんだけど、そんなことと大嘗祭での謎の神との整合性・それはとりも直さず出雲の神から国譲りを強要したアマテル一派との契約あるいは祟りの抑制、そのおそらく結果としての「雲太・和二・京三」といわれるほど大きかった出雲大社とそこに祀られてるあっち向いた神、そんなこんなを二日酔い醒めないところでまた飲み出しつつ、弛緩しつつ考えるでもなくただ想う・そんな至福の時にメンチカツが到着するわけよね。

 カニ酢からの乖離がダイナミズムというものだ。その店は10人ほどが働いているが、しっかりしたヒト2・しっかりしてないヒト8の典型的日本企業のかつての構図を踏襲しているが、まあ来てる客も同様の割合であるようにも思え、しだがってトラブルはほとんどないわけである。初老のホールの方々の物忘れと、ワカモノの態度のなってなさを極力それによって業務の滞りへと繋げないシステムはさすがである。

 店内が冷え過ぎていたなら熱燗という手もあり、でも昨日は風がそんなに当たんないとこだったから焼酎へと移行し、イカの煮物やじゃこおろしなどで一人宴会は進むのだけど、あんまり長居・もちょっと違う。

 前日のライヴがすごく「悔しい」想いをしたのだが、まあそんなこともどーでもよくなってくる・なんてのが、明日も生きる・という意味だったりする。そこであんまり学習せずにアタマんなかかき混ぜて「忘れる」なんてのがばかの証明でもあったりするけど。
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2012年07月15日

ありがと・ね

 昨夜のレァォンジーニョに駆けつけていただいた善男善女の方々、まことにありがとうございました。

 予想外の機材の不調により、音的にはサイアクでしたが、おかげで自分はある意味ギター・歌ともに「音響派」だということに気づいた。だから、「生」に近いのは弱いな・ってこともわかる。しかし、音がちゃんとしてたら全然違うのよ。

 カエターノ・メドレーとかどうだったんだろう?

 次は、いつか・どこかで「ちゃんとした状態」でやりたい。まあしかし、いろんな状況からでも学べることはあるもので、オノレの「型」に合わないものに妥協するとろくなことはないですね。デリケートなものはがさつや乱暴には弱いから。窮屈も。

 なかなか「万全」ってのがないなあ。しかし、教訓は「次」へと活かされますので、きっと。

 普通にあるものがないのはまあまあつらくて、でも、ベストは尽くしたのよ。ご近所・にはあれで良かったかも・フフ。

 レァォンジーニョを代表して、とりあえず、御礼まで。
posted by 浪速のCAETANO at 20:46| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月14日

豪雨の西方を想いながら

 梅雨明け前夜ですけども。しかしながら九州ではすごい雨が降りつづいてる。

 「経験したことのない」大雨だと言う。形容を諦めたそんな表現で言葉をなくす。

 しかし、経験したこともない・とはいささかヒトの傲慢でもある。考えれば、おれたちも阪神淡路で経験したことのない揺れを味わい、その同じ年には経験したこともないような「サリン撒かれ」があり、経験したことのないような国の経済状態、単に貧しいという話ではなく資本主義の終焉に於けるやるせなさが募る貧しさであり、そのあげくが去年の地震・津波・原発事故であるし、しかし「経験したことのない」という表現が、さほど違和感を覚えないのは、おれたちの想像力の限界というよりも、災害はその大きさに於いて「上塗り」されていくことがなにか決定したかのような諦観がおれたちの中にあるからではないだろうか。

 それは、たとえば、バカでブスの女歌った歌が史上最大の経済的ヒット曲になるようなことを実現するようななにかしら一極へ意識とカネが集中してしまうようなそんなシステムをおれたちが怠惰故に選んだことがベースになっているのかもしれない。

 なんか・や〜ね〜。そして、だいぶアホですね・ぼくたち。

 どーも、エアコンがアウトのようなのである。これどーか?

 おれはこれまで、エアコンなしの夏、一度けーけんありましてそれは関大前に部屋を借りて1年ほど住んだ時だったけど、家あんのになんでそんなことすんねん・なのだが、まあいろいろとございまして、当時はネコ三匹いたから、塾がなくても絶対に豊津まで千里山の勾配をチャリでくだらないといけなかったのだが、まあそんなこんなで、エアコンはもったいないなと思いつつ、タイミングのがして、まあしかし、そのロケーションが関大の森のそばだったし、この緑はw/oエアコンでいけるのではと思ったのだが、外からでっかいゴキブリとかが入ってきてなかなか当時のおれには、「きゃー」だったのだが、今ならいささか大丈夫だけどね、でもできればお会いしたくないけどね、まあその夏をエアコンなしで過ごしたのだった。

 おれはまあ大丈夫だったが、お客様たちからのBOOINGはかなりなものがあった。脳が解ける・とか、そんな意見が出てました。あれはいつのことかと思えば、NYの同時多発テロの時でした。2001ってことだなあ。あれから11年だよなあ・と詠嘆・だが、そんないらんことをしてる時にいろんなことが起こるわけでヨメの母親が亡くなったりして、久しぶりにヨメとお会いしたりなんかして、実家では別居中のヨメと同じ布団に寝かされるという貴重な体験もしている。

 まあしかし、ゴキ・には遭遇したが、窓を開けると「緑」が満載というのはなかなか素敵で、朝早く起きた時など、ヴェランダから下を見ると関大くん・関大ちゃんたちが、その中を群れをなして登校している。「しっかりお勉強しなさいね」など、先輩としての心の中での一言など呟いたりして。また最上階で、しかも土台が既に高台だったから10階ぐらいの見晴らしのよさは、あれよかったなあ・などと今となっては思えるのであった。

 家に三台ほどクルマがあり、チンダル藤田のBMW2002も預かっていたから、もうどれ乗っていいかわかんなくなって、ほんと過ぎたるは及ばざるがごとし・の典型的バカなのは今ならわかるが・ねえ。

 最近過去のことを良く思い出す。年・ってことなのだと思うが、まあええが、しかし、それは「まだ良かった社会」のことを思っているのだな・おそらくな、そう感じる。

 馬鹿な政治家とバカな国民のタッグってほんとにおそろしいことだなあ。その辺からですよ、日本が完全崩壊へ向かい出したのは。「中」のひとびとがどんどん「下」に堕ち出したのは。

 もうだめだ、と思うけれど、なにか希望はないのか・と習性で探している。もっと若けりゃ・簡単に絶望できるのだろうが。その兆しだけでも何か自分が出来ることはないのか・と思う。そんな大きなことではないんですよ。身の回りの自分からの発信で、そういうことが何かないの??そんなこと。

 諦めずに・というかこれもおれたち世代の習性なのだろうが、あかんと思っていつつも「Tomorrow is another day」と思いたいと言うかふつーに思えてしまう・そんなオプティミストをオノレの中に飼っているわけで、そしてその「あまちゃん度」はもうなおんないわけで、そうなら、ドン・キホーテでもええんちゃうかな・など「トリック・スター宣言」してしまいたくなる衝動あり・だ。

 音楽・特に本日は一人なので、そのじわー・っとくる自分の充実感と幸福感を現場の皆様方に伝えて包めることが出来るとよいですなあ・と実にまじめに思っている。おれは唯我独尊のエゴイストだった(過去に於いては・間違いなく)けれど、今は全然そうじゃなく、出来ることは出来るが出来ないことは出来ず、そして出来ることしか出来ないが、そのレヴェルが高ければもうそれで構わない。そしてヒトが出来ないことしかもう興味がなくなっちゃってる。客観性からも距離をとってる。かっこいいとかにもキョーミはない。なんだかギター弾いて歌うのが、おそらく、カエターノもR/Tもそうなのだと思うが「好き」で「オノレらしい」と実感できるのだろうと思う。だから、何度もやっちゃうんだろう。


 本日もそんな感じで。@ レァォンジーニョ。20:00からです。

 ちっちゃなLION

 
posted by 浪速のCAETANO at 13:20| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月12日

メディアはアホである。

 アホに「アホ」と言われたないと思うが、ほんまのアホには「アホ」と言わんといかんし、そして言い続けないといかんとおもうね。

 小沢くんばっかり叩いてどーする。

 「選挙目当て」「支持されていない」「ろくなんおらん」とメディアは小沢くんたちのことを言う。

 しかし、その言葉は民主にも・自民にも・公明にも言えたりする。どちらかというと、そっち方面に「より妥当」でもある。そして、ここんとこ肝心なとこだが、小沢くんの新党のおかげで明らかに「政策の違い」が、やっとだけど、出現した。

 「国民の生活が第一」は「増税反対・反原発」、ものすごく「コンシスタント」である。党名と政策が今もっとも噛み合わせ・良い。

 いや、来たる選挙に於いて、一体「誰が」民主党に投票するのだろう? いや・まぢで。ネガティヴ・キャンペーンは今後も続くのだろうが、その結果さ〜あ、アホなヒトはものすごく「こんがら男・こんがら女」になるのでは、「政策もいやーな感じで、決して生活を良くしてくれないのも証明済み」な人たちに「しょうがなく」入れるのか?

 精神病なるよ。

 政治空白をもたらしているのは既存の政党とメディアである。だから、お前らは「アホ」や、言うてんねん。アホ。もう一回言うたるわ。アホ!!!


 これでも喰らえっちゅうねん。もっかい。

 
 

 


 
posted by 浪速のCAETANO at 17:59| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

メールが届かなかった貴方へ

 こんにちは。お元気ですか。

 梅雨は明けたのでしょうか?

 体感としては「明けた!!!」なんだけど、天気図を見るとまだおるよね、梅雨前線。

 でもなんだか明けてしまった・と言ってしまいたい、そんな気分です。皮膚感覚から言うと。

 ちょうど20年前。1992年の7月このころ、服部緑地野外音楽堂におれは・というかおれたちはいました。マルタニカズ・カオリーニョ藤原・北林純・友野周平・HONZI・シーラ・ミルクマン斉藤・ラッパ隊、その集団は「SONNA
BANANA」と当時は名乗り、ジョニー・パチェーコ、ミリー・ジョセリーンyロス・ベシーノスとともに「富士通カリビアンカーニヴァル」というライヴに参加してました。「SONNA
BANANA」は日本代表ね。

 楽しかったよ。そして誇らしかった。そしてリスナーも20年前だから、ほんとうに音楽が必要なヤツらが聴きにきてくれてた。聴く側にとっても音楽は「特権的」だったわけですね。そんな理想(ともいえないんだけど、今から考えるに遥かに理想に近い)的な環境のもと、おれは先のメンバーたちと、当時としては「日本人初」とも言える「サルサ・ロック」を本家たちの前で臆することなくぶちかましてたわけ・よね。

 その時のこと、ライヴ本番中に、「梅雨明けの瞬間」ってのに立ち会ったんです。その日は朝からぐずついてて、リハで現場行った時は客席に水たまりがあるくらいで、しかし、それがリハ〜本番と進むうちに徐々にその回復は快復と言ってもいいほどの目に見えて空気が変わってきた。で、おれたちの本番が始まって、当時はルパン〜赤道〜手品師〜・・・〜・・・・みたいな感じでどんどん加速していくわけです。で当時の最後の曲はHacker1/2だったのだけど、その曲ってインターにマンボ・パターンがあり、そこはものすごい凝縮があり、もうバンドが「リズムあるいはビート」そのものになってるところで、いつもそこでは「死んでも良いな」と思ってた。そのあと、ふっとリズムが飛び、HONZI
のヴァイオリンのピック・アップが、ふわふわふわとそれまでの凝縮と緊張を緩和する・そんなアレンジにしてたんだけど、その時よ。「カミ」の姿というか、おれたちの祖先が感じていたにちがいない「カミ」がそこにはいたわけよ。そのカミがね、「はいっ・梅雨明けっ!!!!」と言ったのよ。

 言語化するとただのバカ話みたいでしょう。それを「VISION」として見えたというのもちがって「深いところで感じた」んですね。でおれたちが演り切ってステージを後にする頃には「ぎんぎんぎらぎら」の太陽が何かからの呪縛が解けたみたいに照りつけていた・というお話。

 それが、おれだけの幻覚なら、まさにバカ話・ながら、それをおれの横で踊ってた「シーラ」も見た・って言ったから、「やんなー!!!!」と確信した次第。

 アミニズム・ですよね。カミの話になると古代フェチのおれはまた話長くなるので、それは個人的に・と思いますが、その現場から20年・2Decades、まあおれも年取ったがキミらも年取った。イーヴン。

 まあ、そんなこんなで、そんな話も含みつつの、浪速のカエターノライヴによければ週末@レァォンジーニョ。

 20年前は、その翌日、FIAT
PANDAの代車の「ランチア・テーマ!!!!」でかわいこちゃんと温泉旅行へと。中国自動車道ぶっとばしたなあ。黄金時代ね。でもそこで遠い目はしないのね。だはは。

 マルタニカズa.k.a.浪速のCaetano ao Vivo @ Leaozinho 20:00 July 14th

 投げ銭だと思うのでチャージはなしです。

 CU THERE!!!
posted by 浪速のCAETANO at 15:24| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

よければ週末さ、

 本日「仮性梅雨明け」であった。

 ほとんど、夏、雰囲気はもう夏・ながら天気図を見ると、梅雨前線が二次関数のようにうに〜っと下に凹んで日本列島を避けとるんだよね。へんなの・である。

 北に去っていただかないといかんわけで、で「真性梅雨明け」はもう10日ほど後なのだろう。梅雨前線が日本列島をスキャンするように北上する時にもう一度「豪雨」が来ますから「用心」してください。

 でも、気分で言うなら「もう夏」だった。最近のワカモノではないので、というのは、生まれた瞬間からクーラーがあった世代(エアコン・ネイティヴ?)ではないから・ということだと思うのだけど、暑いのは平気なのだった。みんな弱いもんね〜・暑さに。

 暑いから、ビールも飲める。暑いから、ホテルのひんやりが値打ち。暑いから、かき氷(喰わんが)がこめかみにクル。暑いから、豆腐飯がうまい。暑いから、食いもんはすべて「のどごし」の良さで選ぶ。暑いから、プールに飛び込みたい。暑いから、蕎麦屋に飛び込みたい。暑いから、パンいちでいられる。暑いから、女子は薄着で・良い。暑いから「太陽のせいさ」と言える。暑いから・・・・このようなアホなことが言える・と思うのだ、暑いから。暑いから、アホになる・というのもありました。

 おれはクルマ乗ってもクーラーかけないこと多かった(利かん・という哀しいケースもままあった)し、窓全開で「熱風」を受けながら走っていたものだった。なんか気ぃ狂いそうになったりするのだが、緑の多かった北摂の木陰で冷たい缶コーヒーなど飲みつつ、シートベルトを外し、ややシートも倒してほえ〜・なんてのがよかった。

 いや・夏はアセかいた方がいいの。おれのばやいですけど・あくまでも。

 さて、ともあれ「真性梅雨明け」は間近だし、予感をすでにおれたちは十分感じてしまったのだ。それは社会性としての梅雨明けだ。

 というわけで、「真性梅雨明け・その予感と現実」というテーマで、ライヴをやりたいと思います。今年の夏はいろいろアクティヴに動こうと思ってて、まあこちらが「思ってて」もあちらが「思わない」なら物事は「動かん」のだけど、しかしながら、こちらが「思わない」ことには物事は「始まらない」ってのがあって、こちらが「思うこと」は十分条件ではないとしても必要条件であるわけ。

 新人シンガーソングライターみたいにやりたいのね。そして、おそらく、関係者とリスナーを少しずつ「説得」していかんといかん。その作業を始めたいと思います。「夏のテーマ」としては良いでしょう?

 たいていいつだってアホなのだが、夏のばーい、そのアホが進行してしまうのでもうやること・というか人生の指針を決めちゃった方が、それが、暑さによる「アタマくらくら」の最善の対抗策・となるわけ。

 そんなことを思ってる。

 たまには、みなさん、浪速のカエターノ聴きにきませんか? あんまりいないよ、こんなヒト。

 
マルタニカズa.k.a.浪速のCaetano ao Vivo
@レァォンジーニョ

20:00ぐらいから

投げ銭ですからチャージは要りません


 


 なんか思うんだけど、仮性は真性ではないのか・とちょっと思う。前線ふーっと消えちゃったりして。
posted by 浪速のCAETANO at 14:13| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月08日

日曜の朝に

 これ、なんとなくなんだけどね、おれたちは「諦めなくてもいい」そんな気がしているわけね。

 あまりに「義」がないわけですよ。その他の人々が。

 首相しかり。残った人々しかり。野党しかり。東電関電しかり。原子力委員会しかり。NHKしかり。

 そのしかりのひとびとが造り上げようとしている「壮大なフィクション」もこれだけみんながいろんな情報を共有した現在、ちょんばれ・ならんかね、と思うのだった。

 そのフィクションが成立するためには「キー」があって、それは「やっぱり小沢くんが悪人」だった・その一点こそがキーだったのだけど、それ「ほんとにぃ?」ってそろそろみなさん気づき始めるのではないか・そう思うからなのだ。

 その他の人々の「態度」が悪過ぎるもんね。傲慢・というかね。で、なんか貴族ごっこやってたりね。後ろにアメリカ居るしね・そんな慢心も見え隠れして、「公僕」とかとなんかほど遠いわけよ。

 沖縄助ける気なんてのも「ゼロ」だしね。そもそももう信用がないしね。信用も「ゼロ」。

 彼らが「仮想空間」を造って、その中で政治をやってて、その仮想空間がこちら側とえっらく乖離していて、にもかかわらず、肝心な事はその仮想空間にて決定され、こちらと交わる事がないから、決して痒いとこには手は届かず、というか、痒いとこを掻いてあげようという気はさらさらないが、「掻きます・掻きます」って「飛びます・飛びます」みたいだが、口では言って、「いい顔」する技術もなかなか長けてきて、そう言う時に使う言葉も「遺憾に思う」や「前向きに検討いたします」なんて、もうちょんばれの死語も使わないというマニュアルもあり、その代わり最近では「しっかり説明する」なんてのが流行りみたいな気がしてるんだが、それも、まあ・そのぅ・前出2センテンスと言わば「同義」で、ちょっと新味出してみてその間に「延命」を・・なんてのが、そこもまあわかる人にはわかる・そんなことになってきてる。

 「まあ・そのぅ」なんて時代が懐かしくも幸せであったのだが、おれたちはその時代から比べるともう「奈落の底」にいると思うけれど、もうこのままあの人たちの好きなようにさせてると、奈落の底の・底が抜ける・そんな気もするわけ。

 だから「カクメーだぁ!!!」なんてことにはならんのだが、その前にただひとり、国家権力と闘いつづけてる立派な政治家がいるぢゃないの・という話にならないかなあ・と思うのだ。

 流れはとにかく「速い」わけで、そして「このまま」では絶対ダメってのもみなさんのコンセンサスだとも思う。じゃ、橋下もいいが、やっぱり小沢もどやねん? そんなオプションってきっと出てくるのではないかな。

 小沢リンチ隊もきっと「息切れ」してくると思う。流れは「速い」。そんないつまでも「欺き続ける」ことってできるんだろうか? この・いろんなひとがちょっとずつ「わかってきてる」そんな時代に。

 そっちがわには「ずるいひと」と「ほんまのアホなひと」しかいなくなると思うのだが、どうだろう。ずるいひととほんまのアホでは、やっていけんよ・いや・まぢで。まとも・がおらんてのは、きびしいぞー。そして、おもんないぞー。やっぱ、バランスって大事。賢いヤツばっかりでもおもしろくないしね。いろいろいなきゃ。うちの塾みたいに。やや・アホへの偏り・目立つけれど。社会はやっぱ・「幅」がないとさ。

 まあ、そういうことに非常に寛容ではなくなってる現代社会ではありますが、まあ我が市長が率先してそんなことをしようとしているわけだけど、大阪市のおじいさん・おばあさん、それも孤独で貧しいおじいさん・おばあさん、はよ死ね、そんなメッセージが政策の中に明言されている。なかなかきびしいこと言うねえ、そしてするねえ。だけど、市場原理主義だけで済むのなら、世の中には市長も知事も首相もいらんわけで、要は「社長」だけでいいってことになり、キミも要らんてことにならんか?

 おれは「国民の生活が第一」ってことにした小沢くんの新会派、おそらく、我が市長と組まなくてもいいよ・って思う。あっち側を倒すための「野合」ならその方がかえっていいと思う。倒してから考えようか。市長にも「現状を変える」ためにはいいとこも確かにある。ただ、問題はその後で、過剰な市場原理主義へ委ねる・という政策はやっぱり、そこも最終的には自分の否定となるもんね。

 前にも言ったが、社会がどんどん悪くなり、その中でみなさん覚醒する時があるのでは、と思う。「あ・そーやった、そーいうことか」って。

 今の反小沢プロパガンダは現代の「日本書紀」である。残念な事に、藤原不比等のような「FU○K」ながらも「切れすぎる」人物がそちら側にはおらんけどね。みなさん小粒で、どっかの会社ならせいぜい「部長」クラスの情けなさ。そんなのが「一致団結」してるんだもんね。その分メディアとつるむというシステムがその小粒を補っている。

 古代の本を読み続けていると、読めば読むほど「わからなくなってくる」。だからまた読むのだけど、わからなくなると興味が更に増えるという変なスパイラルの中に居る。わからなくなると、「もうええわ」ってのがその科目が嫌いになるパターンなのだが。

 ただ、軽々しく「こうなのである」とは言えなくなってきた。今は時代をどんどんさかのぼって縄文まできてしまった。ただ、縄文人と言われる人々は「かなり優れたひとびとだった」世界史的に見ても、と言えそうなのだ。

 そこからターンしてまた時代を下っていこうと思うのだが、まあ古代の現実と言うものは、「書紀」にまとめられたような一本の線ではないということだ。複数のラインがそこにはあり、平行に走っていたそれらが突如接近し、交差し太い線となり、そしてまた別れ、そんなことが何度か繰り返されている。

 ただ、どんどん確信が深まっていくのは「卑弥呼」は九州に、博多らへんにいたということである。

 今・都会なら、当時もそうなのだよね。古代は卑怯が卑怯ではないからなんでもありの世界で、おや、いつかどこかと相似よなあ・など思ったりしながら。

 
posted by 浪速のCAETANO at 11:27| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月04日

移動における楽しみが・・・

 今週は昼間学校orTUTOR、夕方〜夜高校生の期末テストの日々でこれがなかなか終わらない。人それぞれ忙しい日々を送っていらっしゃると思うが、まあおれもその末席を汚してるわけだった。

 昨日は、スイカを買ってこさせて女子高生たちと喰う。寺子屋的。

 脱ゆとり・か、まあまあ賢い高校の数学の問題が難しくなってきている。たまに「ん?」と考える問題が増えてきてて、「即答」がウリのおれが時に「ちょ・待ってな」ってことがある。最近の傾向は中学生の数学の知識が高校の問題を解く際に必要なんての。前日の酒がアセドアルデヒド化してるばあーいに、アタマまわんなかったりする。

 そんなことではいかんのね。最近、暑いせいか、今年はカラダがなんかしんどい。歳だからだろうか。病魔が巣くってたりして。そ〜言えば・・・・・・・なぁんて。こればっかりはよくわからんもんね。

 最近の「電車オトコ」化により、駅中かなり熟知してきて、居心地いい場所を・これは放っといても間違いなくさがすのだけども、何個か見つけた。My own OASISである。しかし、阪急電車というのはなかなかすばらしいですね。すばらしい。おれは長い事・線の末端に住んでいたから、そして阪急はただ「帰るため」だけの非常に無機質な利用をしていたからわかんなかったんだけど、一旦切符買って中に入って改札出るまでにはいろんなワンダーランドが併設されているんだね。ワンダーランドが言い過ぎかも知らんが、ほら事柄がNew to meの場合、そんな言い回しも許されるのでは? そう思う。

 過ごせるんですね、しかもかなり長い時間を。コーヒーはもちろん、飯も食える、ビールも飲める、晩メシも買える、ぼーっと出来る、思索に耽れる。これ・すべて改札内でできる。なかなかよろしい。

 もうすぐiPadを買ってもらえるから、そうなったら、一日改札内で過ごしてみようと思っている。実験。

 それには各地の駅中事情を熟知せねばならぬ。あ・そんなことしてるうちに熟知するのね。順番逆。

 今んとこ、一番好きな場所は「梅田」にある。もう、嬉しくなるぐらいの今時・・・・・なブスのウエイトレスのおねーちゃんがいる。もう見てて「飽きない」です。もうほんと・「うれしくなる」ぐらいなのだ。

 通い詰めようかな。みなさん「嬉しくなる」タイプです。この「時代に逆行度」がたまらん。いつまでも残って欲しい。そしていつまでも「うれしくなる」タイプを採用していただきたい。

 

 
 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 19:21| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月03日

こうなるから大丈夫

 メディアによる小沢くん叩き、いまだ止まず・だ。

 世論調査を利用してそれを真実のように見せるとこがあざといこと極まりない。「民主党に期待しますか?」「じゃ自民党に期待するんですか?」これらをクエスチョネアに入れないとフェアじゃないでしょ。

 今・右翼なら自民党に入れると思うが、じゃあ、次回誰が民主党に入れる?

 次回、民主党はマニフェストを作れるのか? ギャグだ。「おそらく実現されない政策」という意味になっている。もう表紙だけでいいのでは。

 おれは思うが、消費税も撤回できるし、大飯原発も再度停止できる。

 現実的に考えるなら、消費税を通した勢力、再稼働をやってしまった勢力に票が集まるだろうか? いや・ほんと・誰が投票するの? わっかんないなあ。

 おれ、こないだ、選挙に行ってブースに入って思ったけど、あそこで初めて「ひとは市民と個人」になれる・と思った。候補者の選挙演説も、上司の指示も、親戚のおばさんのお願いも、すべて吹っ飛ぶ「in the booth」だと気づいた。

 次回の総選挙は事前予想と出口調査が、あるいは、出口調査と実際の開票にインコンシスタントな開きが出る選挙になる。当確が出しにくい、そして当確が取り消される、そんな選挙になる。

 小沢新党おおっぴらに支持するわけいかないひとびとが、ブースで寝返る・そんな風に思ってる。政策の・オノレの生活への影響がこんなにあり・しかもわかりやすい時間帯ってないからだ。そして、こんなに「切羽詰まってる」時もおよそ初体験だし。

 今は、いいんだよ、小沢くん・アセんなくって。静かに増税撤回と再稼働撤回を求めていけばいいのだ。「政策」の違いは「B層」にまで浸透してくる・必ず。メディアには言わせとけばいい。メディアの足並みもきっと乱れてくる。もう「ウソ」がモタないから。そして小沢を支持する人間と自公民を支持する人間たちの比較も行われる。うさんくささの比較。我が市長と組んでもいい。

 おそらく、維新もこれから少し失速する。兆しは見えている。羽曳野で負けたし。高支持率は維持しているが、おれは大阪の方々の知性は一般的にはそんなに信用していない。

 だからどこも「決定打」が出ないような選挙結果になる。普通の流れなら悪役や突出する人間は最初は嫌われるが、そのうちその個性に人は「慣れる」ものだ。小沢くんを「新しく嫌いになった人」ってのが実は多いのだ。それは、ここ数年の「ネガティヴ・キャンペーン」によるところ・大だ。でも慣れる。「エガちゃん」を見ろ。

 我が市長にしても都知事にしても、あまりにわかりやすく右翼的な政策の連打なんてこともできないし、それがやれたとしてもやはり民意の多くは距離を置くと思う。右翼は、というか右翼的な言説が「ネット」に溢れているところから考えて、みんなやはり「びびり」なのだ。サッカーの応援とかでの「えせ一体感」に酔ってる「アタマ悪い」のが多いだけです。自分の名前と顔を出して「中国殲滅・しかも核で」なんて言えっこないのだ。

 政策にこだわり、静かに訴え続ける事、これで必要充分。民主党に残ってる「うじうじくん」たち、選挙で「増税して正解・再稼働して正解」と訴えれるのだろうか・地元で。こんな簡単な事がわかんないなんてバカ中学生以下ぢゃん。ほんと・アッタマわりい。


 本日は「らしい雨」。I MISS BAYOUだね。
posted by 浪速のCAETANO at 10:04| 大阪 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

EURO FIN・・・・・・

 ちょっとあまりに疲れ過ぎていて、休ませていただく。しんどすぎた。

 昼から雨が一瞬上がったのを見て、買い物に。機敏・という。

 カンパチとボロネーゼの材料を帰ってくる。カルパッチョとボロネーゼで一人宴会。白赤と飲んで、何のために飲むかと言うと、ひるね・のためである。髭の男に倣って、EUROファイナルのために。

 ただ、決勝ですべての意味で「いい試合」ってなかなかないのである。「いい試合」ってのはその以前に起こる事が多い。さて・どうだろう?

 その前に見たオリヴィア・ニュートン・ジョンのコンサートが思いのほか素晴らしく、見入ってしまう。「LET ME HEAR YOUR BODY TALK」バックが素晴らしかった。こんなミュージシャンたちとやれると楽しいだろう。オリヴィアもいいのだ。

 スペインvsイタリアは、シウバのヘッドまではまだ面白かったのだか、スペインのまるで「微分されたか」のようなスルーパスの二点目が入ってからは、なんとなくおもしろくなくなった。きわきわのところでの「スピードと精度」において、完全に「差」が見えた。あのイタリアが、まあ後半はしょうがないとして前半、最後の精度が欠けた事と若干の不運により、結果的に4-0みたいな差がついちゃった。決勝は「まぎれもなく勝負」であるから面白くない事が多いのだが、勝負としてあまりに早い段階で決着ついてしまったと言う意味で面白くなかった。イタリアはイタリアであるから、そこなんとか・とも思ったが、あの速くしかも調子いいスペインの前ではやっぱ10人ではきびしい。バカも不発に終わる。

 疲労もあったねイタリア。相性とコンディション。こんな「まれ」な例もあるってことですね。スペインはこれでしばらくランキング一位は安泰ね。

 正直、始まるまではそんなに高揚感はなかったのだが、そこはさすがにヨーロッパ選手権。どの試合も素晴らしかった。スペインの天下はまだ続く。ただ、それを打ち破る可能性をおれは今回ちょっと旧いスタイルの「エース」に見た。

 スペインのサッカーを「組織・・・・」なんていうのはおこがましく、そんな牧歌的レヴェルを遥かに超えた4次元サッカーなのだが、それを負かすとしたら、ポルトガル・イタリア・ウルグアイかな・と思った。それは「絶対的エース」の存在である。取られるのはしょうがないから、「取り返す」、もうそれしかない。スペインも、秀才ではなく天才の集まりだね。全体で「天才」というニュアンスもあるからほんとに理想的なのだが、そして勝れたサッカーが面白いサッカーである希有な例だけれども、サッカーの面白さをそこに収斂させるべきか・というにはおれば全賛成というわけにはいかない。まあ戦術的にはサッカーの進化についていく必要はある。ただ、面白いサッカーは一種類ではない。最近のスペイン・ほんと理想的だが、今回シェフチェンコやバロテッリ、クリスチアーノ・ロナウドに見た、あの感じ、そこも捨て難い。団体競技の中でどうしても突出してしまう「個」におれは惹かれる。一つ間違うと、時代錯誤のマラドーナと堕してしまうが、しかし、ナショナル・チームだからね。「あるもん」でやんなきゃいけない。チャンピオンズリーグとかは別だが、ナショナルチームに於いては「エース」が要る。その場合のかれらが背負っている「国家」に興味がある。

 いささか、旧い。それは認める。認めるが、そこたしかに面白いとこであるよね。「孤高」なたたずまいには基本的におれは惹かれる。むかしからね。

 元寇の時に鎌倉武士が、一歩前に出て「やあやあ我こそはどこぞのなになにのだれだれ・・・・・」と名乗ってる時に蒙古軍は足下を囲み、その首を取っていた・みたいなほど、システム上の違いがあるのだが、時代は単純進化はしない。ちょっと旧いって悪くないのである。クルマしかり。揺り戻されつつ進化していくのが良いわけで、この数年はスペインのまあタレントに由来するところ大きいのだが、それだけではなんか「片手落ち」。

 困った時に「一人で打開できる」そんなジョガドールが大好きなおれは時代錯誤であるのは自覚している。だからスペインサッカーほんと素晴らしく、称賛に値するのだが、万全なイタリアと、もっと精度の上がったポルトガルと、そしてフォルランが元気なうちにウルグアイとのゲームを見たい。

 次のW杯が楽しみになってくる。そこまで生き延びよう。SURVIVAL。

 起きなきゃ・あるいは起きとかなきゃ、からは解放されるがやや淋しいってのが実感でもある。


 

 

 
posted by 浪速のCAETANO at 02:13| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月01日

latter half をいいものに

 昨日で半年終わってしまったが、無力感の半年が「底を打った」気がしている。

 なにかしら「動く」ことに躊躇しなくなったというか、してる場合じゃなくなったというか、ちっちゃなところに留まって中でぐじゃぐじゃやってるのにも飽きたというか、あほとばかり話してても埒があかんというか、何か少しだけ自分の周りを変えたい・そんな気にさせられるのは、大きな周囲があまりにも不快なこともあるからだとは思うが、それだけでもなく、社会との「インタープレイ」「インターアクション」の可能性がまだ、今も、あるいは今だから残っているという気がオノレのリアリティを根拠に持ちつつあるからだ。少し自分に対する「負荷」を高めてみようと思ったのだ。

 官邸前のデモ、おれは拍手を送っている。自分は集団の中に入ると「えづいて」しまうので、みなさんのメーワクおよびテンションを緩ませる事にもなりかねないから遠慮するのだが、遠くで拍手を送っている。普通の人から異形の人までいろんなひとが参加していて意義があるとほんとに思ってる。ただ、「えづいて」しまうのね。いや・ほんとに。人の集まるとこ・苦手である。だから拍手を送っている。手・痛くなるまで。

 ただ、デモが政治であり、政治的なものである限り、「政治的な手法」で原発既得権側も手を打ってくる。切り崩し・ですけど、コワいもの知らずだったというかキミがコワいものになりそうだった橋下くんがトーンダウンしたくらいだから、そこは日本の闇が垣間見えた気がして・コワいですねコワいですね。功なった人々は必ずそこに触れるのだろうな・ということは彼らの行動言動の微妙な変化で察する事が出来る。

 右翼の街宣カーが「アナーキー・in the UK」なのだそうだ。ブルーハーツ・という話も聞く。ほらね、パンクを、その精神を打っちゃって、音だけ、それによるお金だけ、で展開したツケよ・それ。

 ブルーハーツなんて、エンターテインメントだもん最初から。おれは共演した事があるからよく知ってんの。おばあさんがエビでカラダが元気でアタマが空っぽのビートのある童謡を歌うヤツ・そんな認識。

 しかし、おれたちの世代だから、そこで絶句してしまうのだが、現状打破・現状にfu○ked upと言う意味では「アナーキー・in the UK」はありかな・とも思う。かつての三島由起夫の、東大生たちとの議論でも「一言・天皇と言ってくれさえしたら合同できる」発言もあったことだし。極左と極右がぐるっと廻って向こうで「こんにちは」もあり得るとも思うし。

 あらためて、世論調査の数字が小沢くんに対して冷たいことを確認した。小沢くんが幹事長で選挙に勝ち、その小沢くんを検察・官僚とともに排除し、小沢くんのもとで作られたマニフェストを反古にし、マニフェストに書いてない増税をしようとし、安全性の確保の確保さえできていない原発を再稼働させ、政党内のごたごたをまた小沢くんのせいにする。

 みんな、アタマ悪いと思うのは、民主党執行部が最悪であり、それがすり寄る自民・公明の連合も最悪である・とするなら、そこと対立する小沢くんは「買い」ではないの? その対立の図式は、「今トーンダウン」し、どちらの味方なのかわからない我が市長よりも鮮明である。いやー・日本人って「空気」で生きてる。ただ数字を見ると、小沢くん支持も2・3割ある。そんなものかもしらんですね。わかってるのは2・3割。それだけあれば充分かも。マイナー戦略がいいのかも。インディーズね。小沢でインディーズ・悪くないかも。

 空気感をTVによって共有して「場」を作る。そういうのの原点は「力道山」にあると思うが、その力道山がどうして成り立つかというと、敗戦・占領という屈辱にあるのだろう。その後の「面と向かって」アメリカに文句いえないルサンチマンが内向し、ヴァーチャル(TVって充分ヴァーチャルと言えるよね・当時)の中での「仮想空間」に熱狂になる。今のコドモ・ワカモノと変わりはしない。逃避・が上手かったということですよね。最初から歪んでたのね・おれたち。

 その日本人はアメリカに対して無意識化された「未必の故意」により、一泡吹かせたいんだよね。深層心理としては。それは裏の国是とも言えるものだから、みなさん上手い。責任者しか責任を取れない時に、その責任者への復讐は「無能」あるいは「無能を装う」ことによるダメージを与える・そんな形をとる。それにより被るネガティヴを考えてご覧なさいよ。もともとできない人間のダメージと出来る人間のダメージをよ。そんな例をよく知っている。厄介なのはそれが意識と無意識のボーダーあたりから出てくる行為なのね。変な民族である・日本人。

 高度経済成長の功罪・よく考えてみないと。もう7〜8割ほど「コワレ」てるのでは・日本人。世論調査はそんなことをほのめかしているように見える。

 本日あまりに体力的にしんどくて、休みにした。雨の中買い物に言って、イタリアン・デイにしようと思っている。試験はまだまだ続くのだ。それに本日EURO決勝だもんね。
posted by 浪速のCAETANO at 12:27| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする