2012年10月22日

さて週明けだね

 さて週明けだね。

 明治以降の・最初からその中に痙攣するかのような病理を抱えこんだ「無理矢理の一神教」がすべての根源なのだと思っている。

 そしてヒットラー・を忘れ過ぎてはいないか、と思う。

 「変化」などという言葉にも意識が薄いのではないか。要は「甘い」のではないか。

 市長は、支持率が下がったことを逆手に取り、そして週刊朝日のこともまた逆手に取っているね。それは
「政治」である以上、方法としては悪くない。権力闘争である以上、そこはいい。であるなら、佐野さんの主張と方法もそれでいい。

 市長が大阪でやった特に「君が代・ほんまにうたってんのかどーか・唇チェック」、そこんとこに戦慄を覚えるのだ。
そのマナーの下世話さにぞっとしたりする。

 その君が代。明治以降の考え方から言うなら「賛否両論」である。気分的にもそうだ。

 無理矢理の一神教のヴェールに包まれ過ぎているからだ。その象徴となってしまってるからだ。

 あ〜あ・だ。

 さて、しかしここからが大事なとこ。いや・まぢで。

 君が代は「天皇家のため」に作られた歌ではない。今の皇居にいらっしゃる・まさに「善き人」を体現したかのような平成天皇とも無関係である。江戸から明治へ移る際に、徳川260余年の権威に対抗するために明治新政府側が「設定した象徴」のひとつに過ぎない。

 ひとつにすぎない・などと「軽んじてる」かのようなニュアンスで言ったが、そことは別にまた異なる大いなる意義がほんとはある。これこそ、真の国際的に認められていた倭国(=みなさんが思う日本)の・所謂一般的に言われている飛鳥時代〜古墳時代〜弥生時代〜縄文時代へと遡る、「日本以前」=「本当の日本の古代」の歴史へと繋がる神話と伝統と大きく関わった「歌」なのだから。

 古今和歌集に載っている。
題知らず               詠み人知らず
 わがきみは千世にやちよにさざれいしのいはほとなりてこけのむすまで


 君が代→わがきみ・となっている。

 はっきり言いますと、これは現在の天皇に連なる過去の天皇の誰かに捧げられた歌ではない。もしそうであるなら「勅撰和歌集である古今」にそれが記されていないわけがない。ここ・大事なとこ。○○天皇のとき××により奉呈された、と書かれてるはずであるよね。

 では、この歌は一体どういう歌なのか・ということなのだけど、ヒントです。それは、「ちよ」「さざれいし」「いはほ」が地名である・こと。きみ・は「日出ずる処の天子の妻」の「キミ」であること。そして、それはすでにかなり世界史上でも進んでいた文明をもっていた日本列島の縄文時代に於ける女神にまで連なること。

 これくらいにいといたろ・なのだけど、君が代・マンセーの方の考えてることとも「国家主義の象徴」として死んでも歌わん・な方の考えてることとも「またちがった」真の意味と意義を持つ歌なのでR。

 おお・学校いかなきゃ。

 

 
 
posted by 浪速のCAETANO at 09:25| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする