実際には「どえらい時間帯」に現実的に決定的になったのは去年の3月11日からなのだと思う。危機の顕在という意味で。しかし、あれは当事者以外のヒトたちにもかなりの精神的なダメージを与えたなあ・と振り返ってみて思う。そんな中の「二年目」が今年だったわけだね。
喉もと過ぎれば・なのだろうか、東北の危機は「当事者たち」だけのものとなってしまったかのようだ。
おれは、幸か不幸か、オノレの危機・が東北の方々の危機と時間帯ダブっていたから、今「同様(といってもしょぼいが)」の目に遭っている気になってて想像力は失ってはいないつもり・で一年が過ぎて行った。
相対的に「弱い人々」に向かって恣意性を持って災難が降り掛かるような気がしている。
新自由主義のマインドも関係がある。そういうの押し返したい・と思いつつ、やれることも限られてはいるが・ある。やれない・というか手の届かない事の方が圧倒的に多いが。
それでも「信じてないこと」はやはりやれないし、厭な事も同様である。
もうあまり社会に・というか他人に期待できるときではないから、自分が面白くしていかなきゃいけない。それをやるためにはあまりにもDepressionの多い一年だったが、来年はマイナスの要素は確実に減っていると思う。忘れた頃の「厄年」みたいな感じだった。
社会は短期間にあまりにも変容してしまって、適応が大変だったが、別に適応がMUSTでもないようだ。しないならしないなりのライフスタイルがある。すこしずつズレていって、そこに有為差を見たとき、それはブランニューな可能性もある。そんなものかもしれない。やったこと・というかエネルギーを費やした事へのご褒美は、そんなに多くもないが・なくもない。
電車に乗っていて思う事、それは「みなさん・お疲れ」のご様子。まあ・おれもよく寝てるから他人事ではないが、ひとを疲れさせる要因があまりにも多い今の世間ではある。でも・ちょっと変えたい・そこんとこ。
自分から変えるしかないんだもんね。開いていくことしかないね。たまに「当たり」もあるよ。当たりって「たまに」だからいいのかもしらんし。急がば回れ・というありふれた諺・意外にクル。
この年末、おそらく選挙があったからだと思うが、今年と来年の「差」みたいなものがよく見えた。毎年やはり何かが異なるのだが、そしてその変化は年が明けてしばらくしてじわじわわかってくるのだが、今年の場合は、もう完全にわかりやすいところで既に来年を先取りしてしまってるから予想は立て易い。
「辛さ」がデフォルトになるのがもうわかっている。でも、だからこそ、余計に「美」は際立つ。「美」のなかには「善」も含みましょう。
それでも予想外の事も起こる。ただ、東日本大震災のような「まさに大惨事」にはならないと思う。ポスト大震災をおれたちは生きているわけだ。ポスト大震災と云えば17年前もそうだったのだ。ただ、おれたちはそこで思索を深めはしなかった。今回はもうそうはいかん。よ〜っく考えないと。まあ選挙結果を見たらやや寒いが、そこで意思表示をしなかった選挙に於ける「相対的サイレント・マジョリティ」も存在する。
そして、自由を取り戻したいですね。「今だって自由ぢゃん」なんか言わないでいただきたい。自由ではないです。それを自由とは言いません。お金があれば自由になる気がしていた頃が誰にもあると思うけれど、あまりに「お金に重きを置くこと」はかなり人の自由を制限する・ってこと、そろそろわかってきたのでは、みなさん。バランスの問題で、多くの人はそのバランスを欠いている・し、欠いている事にも気づいていない。
そして、「場」をちゃんとしないと。「場」は貴重で、その内部と外部を隔てるしきりは「半透膜」というのが理想です。場はひとを守ってくれるし、場は愉しみのトポスでもある。宗教的でもあり、もちろん社会的。リヴィング・ルームでもあり、ダイニングでもある。酒場でもあり、勉強の場でもある。
そんな「場」。大切にしたい。
2012・レオンジーニョやおれ・に絡んだり関係性を持っていただいたすべての方々の2013の健康と幸福を祈りつつ、大晦日を過ごし新年を迎えたいと思っています。
本日は22時ぐらいから演奏始める予定です。まあ・カルく。わらってわらってこの忌まわしかった年を忘れましょう・ご一緒に・よろしかったら。
Wish U all A HAPPY NEW GUINIA YEAR!!!!