ゴミも最終。ゴミが変則の最終というのが年末!主夫の意見だけど。そんな生活感・嫌いじゃない。基本だと思ってる。
外部の生活がHARSHになって行けば行くほどダウン トウ アースというか地面に近い人間関係のジンワリ度が身に沁みてくるはずなのだ。おれだけじゃなく、これはみなさんにとっても、未体験の状況なのだから。リアルな戦前というのはね。これまでの経験、ほとんど役に立たない。役に立たないとしても、それでも過去の経験から自由になれないのがおれたちのバカなところ。でもいち早く・脱皮したい。
「お花畑」はおれはアタマの引き出しにちゃんと持ってる。もすこしだけアタマに余裕があるからね。ある種のお花畑・必要ね、モノ作りにはね。あと諦めないことね。最低でもギター一本あればなんか表現できる。ギターなくとも「歌」は歌える。
こんな風に、最悪の事態においても何ができるか・そんなことを常に考えておくことが大切な気がしてる。それはパブリック・イメージとかとは別の話。「オノレの根拠」がないと生きてはいけないでしょ・ほんとんとこね。パブリック・イメージにこちらが合わせるのって、ある意味ツラいよね。ヒト一人の中には芭蕉のいうところの「不易・流行」がある。根本は不易であっても、さまざまなインプットを体内消化してアウトプットして行くうちに上層は変化するわけでさ。
変わりつつ変わらず、変わらなさそうで変わっていく。戦前だからこそ「マージナルなもの」を大切にしないとね。真っ先に無視され切り捨てられていくわけだから。評価の定まってないものが大事なのだとおもうよ。来年からの・というか真実は2011年3月11日以降の環境は過去の誰も「未経験」の事態なのであって、プラス戦前という条件が加わった。それはいつ「戦時」となってもおかしくなく、もうひとつ資本主義のDEAD ENDのもたらす貧困の三重苦を生きていかないといけないわけで、これ誰もが「未体験」。PUNKが予想した「NO FUTURE」の典型例を日本人は生きざるを得ない。最先端だねえ。
つまり「先輩の知恵」が当てにならん、そんな時代に「既に」突入してるわけ。エラそうに言うおっさんとか信用せんでええしね。今とは180度異なる条件の時代を長く生きてきただけの人たち。さらに「守り」に入ってる方々なんて生物学上「適応しすぎた種は次の環境変化に適応できず真っ先に絶滅」するわけだから。
自分のアタマでしっかり考えてみることね。