2014年04月28日

葬式を終えて

葬式はエネルギー使う。誰の、であっても。

久しぶりの動物霊園は、霊園らしさが増し、ちょっと芝居がかってきてて、なんかな、だった。おれたちの担当のやつがそうだった。安もんの「泣かそう感」そんな醸し出さんでいいです。ま、「営業」の一環かとは思うのだけど、ネコ葬式ヴェテランとしては、過去からの流れを知ってるからね。もっと、シロートぽくて、ただ一生懸命だけでいいのよ。マニュアルだな。マニュアルに忠実なほど、こちらの「ケツかいい度」高くなるからね、まではマニュアルには書かれてないのよな。

しかし、いつも思うことだけれど「Breathing deeply,Carbon of GINA will make part of me」だ。呼吸は待ってる間深く大きくなるものだ。GINAの身体を作る小さな粒をおれはできるだけオノレの体内に取り込みたい、そう思うの。GINAはおれであり、おれはGINAであり。そう考えると死とか生とかの境はなくなり、永遠の分子原子の循環の中に意識は入り込み、穏やかな気持ちになれる。たまにはそういうことを思い起こさせてくれるのが宝塚であったりする。高台というのも関係あるかな。

しかし、ちょっと疲れた。sub当事者で、当事者のケアと当事者の痛み両方の二役はね。GINAが亡くなる日の宵の口、店長の部屋でアイマスクをしてGINAの尻尾を触りながら寝ていた時、下で「バカわらい」が聞こえつつ、夢を見ていて、その夢の中でもまた夢を見ていて、その夢はどちらもその時の現実=GINAが危篤、から始まる夢なのであって、なんか見事に出演者も近所の身近なやつらばかりで、一番奥の夢から覚めてもまた始まりはGINAの危篤のその部屋で、そしてある時、「これは夢である」と確信し、なのに、その中で無茶することが躊躇われ、なんか惜しいことをしたのだった。

いきそうでいかないGINAの純化された浮遊する魂の波動がヒクヒク動く尻尾を通しておれの精神にちょっとした「いたずら」をした、と思っているが、悪い気はしていない。ネコとか人間とかじゃなく、種の違いを超えたイノチというかSPIRIT同士の触れ合い、そんな気がしている。哀しみとかなかったな。なんだろう?感情からも解放された、SPIRITそのものを垣間見たのかもしれません。new ageとかにはなんの興味もないけれど、この手の特殊な時間帯の、そして、意識が消えて欲も計算もない状態の人間以前ともいうべき精神状態に戻ったようなとでもいうか、いい経験だった。ありがとう、GINA。

店長が、「うーちゃん、キキちゃん、ぺろちゃん、そしてまるちゃん」の塔婆を見つけて面白がっていた。おれは「なんでやねん」な気持ちだったが。

骨を何欠片かもらってきてる。おれは歴代ネコたちの隣にっそれを置いておれなりの供養をするつもり。
posted by 浪速のCAETANO at 18:26| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月26日

GINA 、、、R.I.P.

今日の夜、2pm前だったかな。それまで寝てて一瞬苦しそうな様子になり、店長が抱き上げてその数秒後にGINAは亡くなった。店長の腕と胸の間で、It's good time to dieそんな判断を一瞬の間にしたかのような死に際だった。見事というほかないです。

ひとはいろいろネコに教わるなあ。

思えば15年前、曽根崎dead end streetのTODO O MUNDOの隣の樽長のエアコンの室外機の下からタールまみれで現れたのが出会いだったな。経験上、おれに初見でついて来るネコは「アタリねこ」。その定理に従って店ネコとして飼うことになった。初日は洗っても洗ってもタールが取れず「あ〜あ」だったのだが、時間の経過とともに毛は綺麗になって行き、知らぬ間にゴージャスな雌ネコとなっていた。往年の美しさはこのblogの上に。気持ちも優しい子だった。おれも、ほんとは家に連れて帰りたかったのだけどね。同じくらいゴージャスなキキもいたし、最愛のうーちゃんもいたし、あとタマも、そして新入りのぺろもいたから、そこは叶わなかった。

何かの時に、当時江坂で美容院をやっていたアオミちゃん(現店長)の店に一週間ほど預かってもらったことがあった。店長とのこの最終的な縁はその一週間にある。もちろん、TODO O MUNDOにもバイトで来てもらっていたが、その一週間は「チェントロステイーレ」の店ネコだったというわけだ。GINAの可愛さにKOされたのだと思う。

見事なまでに優雅な身のこなしが身に付いていて(誰に教えられたというわけでもないのに)よく、曽根崎の二階でおそらくは「愛の行為」としか説明しようのない時間を過ごしたものだった。当時は家に帰ればシャノワールのキキがいて、こんなGIFTたち、恵まれ過ぎていてちょっと怖くなったものだった。

ほんとに姿形の整ったネコはその心根もいい。ま、可愛がられるからだろうな。

中津にも7年ほど住んで店の二階が、最初はきじことの二匹体制だったがきじこがクルマにはねられ死に、飼い主も不祥事から店を離れ、店長との蜜月がその晩年だったわけだ。もちろん、その充実の体型からは、経験上から言っても、こんなに早くとは考えるのはちょっと無理だった。そこを無念がる店長の気持ちも良く分かる。ごはんを食べなくなった、との第一報を聞いたときにあまり反応しなかった自分がいた。大事という意識はなかった。その時、即反応して病院に連れて行っていたならまた結果はちがったのだろうか?そこは少し自分を責めている。

店が暇な時には階段を降りてきて、おこたの部屋によくいた。残念なのは、曽根崎時代のいつからか、客をひどく恐がるようになったこと。中津来てからならいつだってその膝の上で眠れる物体がいたのに。おれは見たことはないのだが雷で腰抜かすこともよくあったという。こわがり。そんなわけで、正味の話、おれともそんなに仲良くなかったのだけど、店長が去年入院した時に、毎晩上へ上がって30分ほど抱っこしたり、一緒にゴロンとしたりなかなかいい時間を過ごせた。これから、おれとも仲良くなれそうだったのに。

ネコは自分にとって人間のオンナ以上にオンナというか、オンナのエッセンスのような存在だから、特にいい雌のネコというのは「GIFT」以外の何物でもないわけだった。オンナのヒトとはカブってそうで別のもの。でもどっちかだけにしなさいなら、いまやもう、間違いなくネコ、だけど。店長もこれからちょっと辛いと思う。オトコとネコもこれまた、えらい違うよねえ。

ひとつだけ救われるのはGINAは営業しないネコだったことだ。プライヴェートなネコでいてくれたことは少しだけ慰めになる。

みんな先に逝ってしまう。ほんと、ツライですね。ちびっこだったものがどんどん自分らを追い越して先輩になって逝ってしまう。毎度のことながらそれは「不条理」に感じます。GINA、安らかにね。
posted by 浪速のCAETANO at 18:43| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月25日

予断を許すものではないが

暖か。暑い、をちょっと含む暖かさ。

こういう暖かい時期に、おれも死にたいと思っている。できることなら。

GINAは点滴がすこしは効果あったみたいで、それでも予断は許されないが、昨日は、おれjが昼メシ食いに行ったついでに店長用に買ってきた寿司のまぐろを食ったらしい。その後店長が食べて、その後永井が食べたみたい。特に順番には意味はないです。

スポイドで水をあげると、それは飲む。背骨は浮き上がっているが、お腹はたぷたぷでぐったりしてる姿を上から見るとその「面積巨大」。ぺろの3倍はある。放っておくと眠ってしまうのだが、それが眠ろうとしてるのか、イっちゃおうとしてんのか、がはっきりしない。この、ネコヴェテランのおれにしてそうである。それは、老衰のニュアンスが極力少ないGINAの現実がおれのなかでは「アンリアル」ってことが理由だと思う。

しかし、雌のネコのカオってかわいいですね。どんな事態になってもかわいい。毛があるからおばあちゃんでもシワもない、当たり前だが。これまた毛があるからカラダも貧相に見えない。

よくよく考えれば、ここがオマケみたいだけれど、ファイナルフェイズw/ねこなのだ。平静に見守ろうと思っている。

posted by 浪速のCAETANO at 11:50| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月24日

エコノミークラスの今後の悲惨

放っとけば気を失いそうになるGINAを朝イチで病院へ。

結局、点滴をするぐらいしかない。体重は案の定4kgだった。

点滴をすると言うことは、今日は死なないで、とのおれたちの意思である。もう一つ言うと「こころのじゅんび」をさせてくれ、という意味もある。

最愛のうーちゃんはおれの知らない間に病院でショック死した。最愛のぺろは静かに予想通りにおれの目の前で死んでいった。

死ぬということ。それは生きる、の反対語ではなく、生きる、の線上の点であるから、生きる、に含まれる。生きた、とでも言うかさ。GINAが一体何を考え、求めているかは知る由もないが、おれらの勝手の範疇で生きるしかないが、辛い目に極力遭わないままで、できるだけ一緒にいたいんだよ。わかって欲しい。

ただ、必要以上に苦しい延命処置はしたくない。自分の時もそうであっていただきたいからね。

されて嫌なことはしない。おふくろにもそんなこと言われたな。

死は周りに満ち溢れている。韓国のフェリー。TOO MUCHなことは結局、なにかが荒井注になることだから、そこで事故は起きてしまう。「間引き」されるってことかな。何かの警告をそこに気づくべきなのだろうが、この新自由主義の確定した世の中、いわゆるエコノミークラスにおいてはこのようなことが多発する。「間引き」の恐怖。

しかしそんな発言もエコノミークラス側からは出てこなくなる。発言は常にそっちの側からなされることになるからだ。MEDIAを持つ側はnot エコノミークラス。だから、周知されて始めて「こと」になるということは、その悲惨はあっても、ない、ということとなる。そっち側のtopicへの反応は極、恣意的である。これは今でも。もっと徹底される。

悲観的?そうよ。NEGATIVE?その通り。

新聞も鬼の首をとったみたいに、オバマが「尖閣は安保条約の適応範囲内」と、言った言ったと喜んでるが、そうか?オバマがやるっつってもさ、アメリカは議会の承認いるよ。そしてアメリカ国民は厭戦ムード。手はあげたものの、アタマポリポリがあるということね。

それにしても、公式会見において「バラク、バラク」とファーストネームを多用するのってどうよ。親密と親密のフリの勇み足には大きな違いがあって、それ誰でも気づくのでは>
posted by 浪速のCAETANO at 15:10| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月23日

みなさん、GINAにエールを。

オバマが来る。

なんでまた?

なんの用事もないと思うんだが。

カタチだけの来日。カタチだけの国賓待遇。コインロッカー使用禁止。首都は厳戒態勢。

「まいったなあ」なんて言いつつもまんざらではない都民の心象を想像するってのはひねくれたものの見方だろうか?

そういう「特別感」おれはあるような気がしてるけどね。「イナカモンども」と都外の人々へのそれこそ上からの視線がまた固定されるのではないのかな。

もう「固定」だからね。困ったことに。

まあ、勝手にやってよ。

さて今年になってから二度目のドナドナの刑に遭ったデドラを迎えに行こうかな。ちょっと走ってこようか、と思っている。クルマはおじいさん。ネコはおばあさん。

GINAの調子が悪く、それも急にそうなったものだから、戸惑っている。どこかに疾患それもまあまあ重大な疾患があるのだが、15歳のおばあちゃんに開腹手術の現実は厳しすぎる。

ごはんを食べられなくなっていて、最充実時には⒍5キロあった体重は3月には5キロ切っていたし、今なら4キロぐらいになっているだろう。人でも同じだが「メシいのち」の人、何人か知っているがそんな人がメシ食えなくなると、周りの心境としてはかなり切ないはず。GINAもメシいのち、のネコだから、そしてとっても優しいネコだから、こちらの気持ちも徐々に沈んでくる。

おれもぺろですべて終わった気がしていたが、そうじゃない。まだGINAがいた。もっとも近いという存在ではなかったが、拾ったのも店で飼おうと決めたのもおれなのであって、それもあのDEAD END STREETに店を構えなければそんな出会いさえもなかったし、そう考えればTODOOMUNDOで飼われるべくして生まれて来た子なのだった。子、だったが今ではかるく追い越されてばあちゃんだが。

ちょっと足が弱ってるのも気がかりだ。どんどん体力がなくなってきてる。

おれも店の二階は店長のプライヴェート空間なのでなかなか勝手に入るほど気軽なものではないのだが、それはこっち来てからのある習慣付けの結果とも言えるが、もうそんなことも言ってられない時間帯である。「毎日みにいく」と宣言をした。おれたちはというかおれは「かわいいかわいい」してあげるしかできないが、それしかできないならそれをする。しつづける。

いいろいろ気がかりで気が急く時期になってきている。

posted by 浪速のCAETANO at 13:22| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月22日

さあ次、次

不安定なのだが、ちょっと面白いわけよね、最近のことだけど。時間があるのもいい。相変わらずカネははないが。あの大量にあった現金はどこへ行っちゃったのだろう、だはは。ま、いいのだけど。

今、お金があることが所謂反社会的なことなのかもしれない。この新自由主義の世の中においては。もう、そんなに「欲しいモノ」ってあまりなかったりするもんね。

おれは例えば編集者のように次から次へと「情報を処理」するわけではないから、昨日の興味は本日の興味ではない、というわけではなく、割といつまでも「そこに引っ掛かってる」こと、多いのだけど、ちょっと1950s・60sというのはちょっとそういう意味では引っ掛かってるなあ、と思うのだ。ちょっと引っ掛かっとこう。

まあ、おれたちのNATURALな音楽環境とは主に70sだったという現実がある。おれはかなり遡っていろんなこと知ってるが、もちろんいろんな曲も知ってるが、それにしても機材の、今思えば貧弱な時代にああいう音を工夫で作った先達に敬意を表することになんの違和感もない。そしてなによりもPLAYERが「上手い」。それは匠の世界でもある。楽曲の芳醇・豊潤は言うまでもなく。

先ほどおれたちのNATURALな音楽環境とは主に70sだった、と言ったが、現実にはその70sにおいても音楽は「進化途上」にあり、正確に言うならいい方向と悪い方向に、共に進んでいたわけで、そこでおもんなかったものはやっぱり今でもおもんなく、それは例えて言うなら今はもうESTABLISHEDでSTANDARD化しているQUEENというようなうんこバンドがあったりするが、大体それで人は「分かる」。しかしウンコバンドのファンかなり多く、ここ見事に悪臭のウンコにたかる大量のハエという結構無視出来ない世界が成立しているわけであった。厄介だ。安もんのクラシックからお借りした様式など、いらんですから、ROCKには。プログレとかはまた意味が違う。プログレにはまだええもんがあったりする。その微妙なハザマでカンペ〜するのが「女王」なのであって、要はイケないツエッペリンである。同じ金儲けにしてもツエッペリンとはその志もセンスも大違い。月とスッポン。スッポンでもトイレ用のスッポンほどのものである。

ウンコの悪口、意外と楽しい。もうやめるけど。

さて、ライヴ2連チャンの後は、moeLABOである。今回、斬新かと思う。一皮剥けた(はずの)すっぽんぽんZや、workshopではまだ見習い中のザ モルモッツ(延々見習いな気もするけど)、ワンドロップからは菜々子ちゃん、おれの曲をひとつあげたターボーもそこで鍛える。もっとだれか来てもいいんだけどな。遊んであげるのだけど。

慣れ親しんだホールがビルごと買い取られてなくなることになった。悲しいね。今の問題は、ただただ持たんでいい奴が過去の最終地点でたまたま新自由主義の恩恵によりカネを持ち、そしてその使い途を知らん、ということに尽きる。そういうバカの人たちは音楽はJPOP、思考はよくよく考えないまま右カーヴ、音楽を「何かに奉仕する全体性の欠けたもの」としか捉えられない知恵の皆無な人々だから、「んー、もうっ」である。儲けてるんだったらもうそれでいいじゃん。あんまりイラわんでいいとほんまイラわんといて。お願いします、と言ってもお願いされてくれないのは知ってるが。

posted by 浪速のCAETANO at 10:51| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月20日

2連発の日

いやあ、やっぱ大変、別件のライヴを5時間おいて2本ってのは。

ナカノシマ大学は「ライヴとかほとんど行かないひとたち」という風に聞いていたからやや心配していて、そして座ることのできない設定だったから、年配の方も多く、さらに長丁場だったから、で案の定、2講義が終わったら半数近くの方はかえってしまった。

まあ、そこんとこ、おれにはどうすることもできず、ただただ手をこまねくだけ。

でも音を出し始めるとそこはほら選曲の妙と、演奏者の技量と魅力により(だはは)なんとかなりました。いろんな方々にもっと音楽に接していただきたいものだと思う。

昨日はクルマのバイパスホースから水が噴き出し、また、ロードサーヴィスにてドナドナのランチアお見送りもあって、たのむでしかし、ながらも長い一日になることはもう覚悟していたからそんなことにもなんの動揺もなく、ビル一階の「喫茶店」がかなりおじさんを喜ばせてくれたこともあり、あとは純ちゃん、北村くんのサポートの下、2度のアンコールもあり、無事に終えることができた。大迫くん、長崎くん、お疲れさんでした。トドムンドチームも。

さてと、いつもならこれで「終わり」。あとは余韻の中、飲んで気を失って、、、、となるのだが、そこから、ケータリングのセットを撤収して、北村くんをみおくり、おれと北林は一路芦屋へ。しかも阪急電車で。

髭の男は「逃走」。代わりにとよぴこがカムパニイw/すっぽんぽんズとして深夜の大悲閣に現れることとなりました。

オールナイトイヴェントだから、しかも畳の上、寝てる奴もいて、ま気持ちはわからんでもないが、浪速のカエターノを一時間弱ぶちかませばすんごい疲労感。楽屋というか御一行様の部屋に退散。そこにワカモノ一行が乱入してくる。おじさんたちはもう限界近いのだけど、芦屋から参加のすっぽんぽんズ、メグの久しぶりの「オンステージ/毒」で笑いすぎて目が覚める。

朝方帰ってきて、腹減る、酒足らんの押収になり梅田で難民。やっと10時に開いた居酒屋に紛れ込み、一息つく。大悲閣の酒、食い物は「おれたちには不評」でありましたことだけはお伝えしておかねばなるまい。アーンド、ロックガーデンのお隣とはね。

一旦解散して、昼寝後これからすっぽんぽんズとリハーサルである。ポイントはしかしヤツらが「起きるかどうか」という人間としての基本の問題。これからメール。
posted by 浪速のCAETANO at 17:51| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月18日

メールが届かなかった貴方へ

こんにちは。
造幣局の通り抜けも本日で終わり。季節は初夏へのはず。しかし先ほど長崎ちゃんぽんを食ったら汗が止まらない。え〜、今年も爽やかすっとばしてあっちっちかよ、そんな予感の今日この頃。お元気でしょうか?

4・19(sat)の夜、http://technogaoka.com/ というイヴェントに出ます。
場所は阪急芦屋川の上の宿坊大悲閣。夜通しのイヴェントになりますが、浪速のカエターノは日が変わった0:20からです。「そんな時間に行けるか〜!」それ、正しい。
当日は芦屋川駅から大悲閣まで無料送迎があります。ハイヤーのピストン運動じゃなくってピストン輸送です。
畳の上の「脱国境音楽」どんな風に聴こえるのか、演る方も楽しみにしています。「帰られへんやないか〜!」それもまた正しい。
マルタニさん御一行様で一部屋用意されてます。酔っ払って一緒に寝ましょう。すっぽんぽん,Zもいるような気がします。
ちょっとした旅行の気分。帰らなくていい現場、いいね。

そしてその日(19日)は午後というか夕方というか、にももうひとつ。「中之島大学。クラブ リバーサイドをもう一度」という講座で昭和30年代の音楽を演って、と言われています。詳細は、「中之島大学」か「月刊島民」で検索していただければ分かります。
昭和30年代、まだ伸びしろ充分で、受け取る側が「舶来」という形容詞の元、未分化な状態で海外の文化を享受し始めた時代の音楽ですので、いたいけで、ちょっとした勘違いもあり、しかしいい歌多いです。いい曲というよりいい歌、と言いたいね。そんな時代の「世界歌謡」内外取り混ぜ演ります。まだ、定員の余裕若干あるみたいです。講座なので果たして「アバレていいのか否か?」まあ、現場のムードで。


さらに、5・3(sat)はmoeLABO@MOEradoです。
今回のWORKSHOPは、ザ モルモッツとその他。参加、募ってます。
LIVEは、すっぽんぽん,ZとA DECADE-IN FAKE=SONNA BANANA時代のmarutanikazです。また詳細、近くなったら。

以上、告知まで。ではでは。
posted by 浪速のCAETANO at 12:25| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月15日

外国人たちとの一日

昨日会話した人々、中国人10名、ヴェトナム人6名、台湾人2名、日本人2名、韓国人1名、ナイジェリア人1名。

学校でそんなことで、その後、去年の卒業生の大学生と花見、歩いて帰っていたらその前の年の卒業生の大学生と天神橋筋商店街で深夜に遭遇。外国人遭遇会話率90%超の日だった。

いいとか悪いとか、それが好きとか嫌いとかではなく、そんな「現実」だった。そしてそれは「特に」悪くもないことなのだった。

最初の授業のときは一人一人と出身地や目標やそれに関する自分の知識を総動員していろいろ話をして過ごすのだが何時もにまして言葉が通じず、しかし、だからそれゆえに面白かった。ヴェトナムの子達は「筆談」もそして英語もなかなか通じず、+が足す、−が引く、×が掛ける、÷が割る、( )がかっこ、そういうコモン イン ベースの発音から始めて「幼稚園のせんせい」になったような気もするのだが、勘違いしちゃいけない、彼、彼女らの秘めたる知性とは「何の関係も」ないわけ。不安と期待をないまぜにしたその瞳の語るニュアンスをおれの前では「期待→よろこび」へと、これは毎年そうなのだが、変えてあげたいと大胆にもそう思う。日曜はちゃんと「寝よう」と思う。

日本人の閉じた、そして、もう、なにごとも「決まってしまっている」、ダイナミズムを押しつぶす、そんな社会にゲー吐きそうなおれには好きな仕事だった。おれにカネがあったら、全員のフォスターペアレントになりたいぐらい。ていうか、「学校」作りたいぐらい。もっと、安い学費で。作れないかな?

おれが常々言ってる、アジアの歌姫を、まアジアだけとは限らんですけど、自分の作った、クソJASRACに気を遣わずに済む曲を歌わせることでアジアの人々と喜びを共有したいというその目標のことをそろそろ真面目に考えないといかんよ、そう自分に叱咤激励。

言葉が堪能でないことから人は謙虚にもなるし、他人に畏れも抱く。そういう子を見るとセロトニンおよびオキシトシンが大量に分泌される体質であることだけはもう分かってる。そのニュアンスは対日本人にも同様で、口だけ達者なやつがこの日本語空間のなかで「自家中毒」に陥ることも自明な今、もうそんなことにエネルギーを注ぐことがもう「ムダ」であるといった判断は決定的である、自分の中では。

「次」のことをやりたくなってきてる自分を感じていて、モヤモヤフツフツイライラ、なんかそんな感じの朝である。


posted by 浪速のCAETANO at 09:43| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月13日

告知など

天才ドラマーの純ちゃんとバカテクギタリストの北村君と珍しくよく練習している。昭和30s音楽のライヴのためだけど、これがまあまあおもしろい。

おそらく、皆さんSNOBだったと思うのね。上流だからね。アッパークラスの人々の目は海の向こうに向いていたことを確信する。JAZZ,BLUES,LATIN,そして、サンレモ音楽祭。あと洋画。まあ全てを網羅することは不可能ながら、脱国境音楽家なりの演奏をしようと思ってる。

昨日はヨタロウちゃんが客演をしていた「劇団鹿殺し」の公演を伊丹まで見に行く。

おもしろかった。なにがおもしろかったって、出演者が自分の出番以外のときステージより一段低い上手下手の控え室で寛いでるの。それが客席から丸見えというかあれは「丸見せ」なのだろう。そんな異化作用から始まるところ。そしてほぼ皆さんが役者で演奏者。ROAD MOVIEの手法を取り入れ、自前のミュージカルとも言うべきアクティブなステージで全然飽きなかった。

ヨタロウちゃんもすでに「怪優」の域だろう。存在感あるね。お疲れ様でした。

東京のバカ売れではない音楽、演劇系の充実が見える。こんなに格差がつくなんてのがおれのほんと誤算でした。もう言うてもしゃあないけど。まあ自分は自分で自分なりの充実を目指すのだけどね。

さあ、明日から学校が始まる。これで日曜は一学期中はずっと予習の日々だが店で月1のMONTHLY LIVEをやろうと思ってます。まあ別に曜日はいろいろでいいと思ってるのだけど、店長からは日曜がええんちゃう?とは言われてるけど、日曜、予習やん、おれ。月1ならなんとかなるかな。そんな気もする。5月からね。ゲストが居たり、修行中の人々が居たり、共演もあったり、とそんなことを考えてます。

さて、近々のライヴはその、今月の19日、中之島リバーサイドの「中之島大学」演奏は18時。その夜、芦屋に移動してテクノヶ丘@芦屋大悲閣、演奏は日が変わって、0時半、これは「浪速のカエターノ」

そして、5月3日は@moeradoのMOELABOです。今回は「すっぽんぽんズ」もいます。後、SONNA BANANA時代の曲を〆に演ろうと思ってます。もちろん、workshopもあります。モルモッツも「鍛えます」。髭が1人逃亡しますが。中途パンツに楽器が出来る、歌が歌える、そんなヒト、フルって参加していただきたいなあ、そんな風に思ってます。
posted by 浪速のCAETANO at 16:30| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月11日

主張はいいけどさ

startrek enterpriseを1エピソードだけ見ようと思ってon the sofa、何日同じことを繰り返せば気が済むのか?アホなのか、おれは?

おかげで朝、Neil Young by ジョナサン デミでめざめる。いいのかわるいのかわからんぞ。

持ち上げて、持ち下げて、ごくろーさん。と、そんなことを言いたくなる。そして、「解説」ごくろーさん。その解説に生物学の知識がない人間が、そーだそーだ、いやちがう、そんなこと言わんでいいのにと思うけどね。

そんなに「真実」を知りたいのか、キミらは?真実を知るにも知識がいるよ、それもかなりの知識ですよ。その知識なしで「真実」を知りたいというのは論理が破綻してるのに気付かんかな?

誰かに「解説」してもらわないとわからんのなら「Shut your mouth」が良いのでは。静観よ。科学の世界を「人間模様」として見るそのオノレのゲスにも早く気づいた方がいい。誰もが、オノレの能力を超えたことになんでそんなにコミットしたがるかなあ?そして、netは汚らしいウンコまみれの場と化す。

どうせ、すぐ忘れるくせに。

ある意味、ここが民主主義の終着駅から2つぐらい手前なのだろうな。気持ちは暗い。成熟前に終点まで行ってしまいそうね。チーン、である。アホなままツールだけ持たされたおれたちの悲劇=喜劇だと思う。

もう「お前が言うな」と面と向かえば言えることが、顔も名前も出さずに「なんでも」言える、それも大方罵声、ほとんど「はけ口」よね。そこまで劣化してこの後どうなんの?怖い。ほんとに。

SNSも最近は「こわごわ」やってるもんね。笑える主張ならいいんだけどね。その線の引き方って人それぞれだから、自分にとってtoo muchなものは無視すればいいだけだが、なんかオノレの一部にウンコ塗りたくられてる気がせんでもない。

自己主張せずにはおれん人々、それはいいが、言ったことには責任もある。そこ「言いっ放し」が「基本」になっちゃってるのもどうなのよ?今まだ「加減」がわからん過渡期なのだろうか?自己嫌悪のない人々ってこれがまた怖い。善き日本人とはもう絶滅危惧種なのだろうか?何かが間違ってたのだろうけど。

なんか、本体があって、おれたちはその周辺に反応しすぎなのかも知らんですね。話題の彼女に関してもそうよね。そこに反応する癖がついてしまったかな。そんな気がしてます。やる側も見る側もその無意識の一致点が設定されているのでは。であるなら、見る側の目を肥やすしかない。いわゆる「女の魅力」それもそんなに、なレヴェルのそれにやられちゃいかんですね。Annie Clerkぐらいのタマでないと反応しない、そんな見識と自制心をもちたいものだ。ちょっと趣味入りましたが。でも、彼女、オンナを使いながらもオノレのフィールドではものすごいからさ。

聖徳太子が教科書から「消えた」そうだ。当たり前だ。いないんだから。じゃあ、隋書タイ国伝に載ってる「日出ずる国の天子」ってだれ?ここちゃんと答えられずして「日本」のことを語っちゃだめよ。まだそんとき日本でもないから、しかも。本日の宿題でーす。
posted by 浪速のCAETANO at 09:16| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月08日

コピペはいい

コピペと言うけど、理系の、と言うか、科学dataとは万人がアクセスできるものであるから、その何がいけないのか、おれはよくわかりません。

カンニングがいけない。そんなニュアンスで論じられている、そんな印象が否めないんです。そりゃカンニングは倫理的にいかん。しかし、みなさん、大学の定期試験で、辞書持ち込み可、計算機持ち込み可、ってなかった?

言葉の意味とか、つまんない計算にかかる時間を最小限に、というか、そんなつまんないことよりさらに上位の次元のここんとこの説明なりキミの考えを聞きたい。そんな意図なわけよね、その試験って。

で、科学の既存のdataとはそういった性質のものではないの?

自然科学はとくにそうなのではないのか?おれはそう思うけどね。

早稲田の論文にしてもさ、あれ最終的には教授会が認定しているものだから彼女に責任はそもそもないの。学生時代の論文ってそれを書いた学生にその所有権はないしね。それは担当教授のものなのね。ここ意外なとこながら。だから、ジョン レノンが死んだときにおれが元ヨメのマンションに転がり込みつつ、晩メシの支度しながら彼女の帰りを待ちつつ書いていたあの「パンクとレゲエ」の卒論も青木先生のものなんだからね。

自然科学において「ウソ」を言うっていうことも、それも意図的に、ってのもその動機はよくわからない。だって実験すればいいだけではないのかな。それこそ「反例」はアホほど出てくるでしょう。そしてそのあかん論文は忘れ去られてお終い。だから「捏造」とか言われているが、捏造する意味もそもそもないと思う。ああ、あのアホなこと言ってた人たちね、という視線に晒されるだけだからだ。そこ、一番辛いでしょう、研究者にとっては。

もっと大事なことは「科学には著作権のようなもの」は存在しないことだ。科学は「みんなの」もの。村上春樹の文章やバッハの旋律をパクるのと意味はちがう。

Richard ThomosonやAmos Garrete 師匠のフレーズのニュアンスや奏法を(これって型と言っていいが)まねる、まねぶ、まなぶわけだが、これはだれからも非難されない。科学とはまさにこれに限りなく近いのではないのかな。

そう考えると村上さんやバッハさんに関してもやや『?』という気もしてきたのだが。

だから、事実はパクっていいのだ。というか、積極的にパクることが推奨されるぐらいのものだ。いいことは世界共通の財産でなくってどうするよ、ということだ。そこに「金」を絡めてややこしくしてるのが、おそらくコンドルアメリカ。そう考えると、このクレームの発信地はひょっとして、、、、なんて勘ぐったりもしたくなるが。まあ理研という組織の体質などはおれには分かる由もないけれど、しかし当事者のみなさんには「科学者」の矜恃を持ってこの件に対処していただきたいと思う。そこは基本的に「お金」とかの絡まない場だったはずだしね。基本的にね。

有る事無い事言われて、彼女は気の毒だと思うけどね。そこ、本質的に無関係。科学においてウソをつくことの利益と損失を天秤にかければ議論の余地はないと思うが。しかしその無関係なところ(付加価値)に反応するゲスい人たちの集まりが今のこの社会だし、あーあだが。

見ようによっちゃちょっと可愛かったっりしたからめんどくさかったですね。それと科学者としての彼女の評価まったく無関係なこと。そして、「今」彼女が無根拠なバッシング受ける理由は「ない」よね。




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2014年04月06日

ヒントは過去にあり、かな?

もともと「良心」があった国が、緩んで、同時に利己的になり、その破綻が本格的に顕在化している。世界が良心を求めだし、その理想形が、その国にはあったのに。大変皮肉なことだと思う。

自分もその理想形の消極的破壊に貢献したひとりであるという自覚の下、そこを復活させることにもまた貢献したいと思う。まあ微力ながら。ほんと微力でイヤになっちゃうが。

日本語が他の国の人々には通じないと思ってる公的立場にいる人、多すぎだ。日本人における、建前と本音、どこまでも本音を縛るのが建前だったと思うし、その呪縛がもー限界、ってときに腹の底から絞り出すような声で述べられるものが本音、だったように思う。告白という意味もそこにあった。まあ、なんだかとても不自由な感もあるが、その縛りの中で巧妙に抜けを見つけながらやってきてたという気がしている。その態度は良しで、非常に洗練されたものだ。ああそれなのに。

建前で覆われているときなら、本音を舌出しながら言うって、おちゃめで済んだのだ。ところがこう本音の大波の中で生きてると、なんか息苦しい。本音には洗練の要素がなく、ぶっちゃけ、という語感がすべてをあらわすようになんだか「キチャナイ」のよね。ヒトをdiscourageさせることがかなり多い。netの中でも、netのなかだからか、本音を見境なく撒き散らすものなのだ、と思ってるヤツら多すぎてオエーである。だからと言って、それを規制せよ、と言ってるわけではなくて、そこは当人の美意識のはなしでしょ、と思うから、本人のフィルターが絶対要るよね。ぶっちゃけないところに「含み」もあって、構造が生まれ、表現にも厚みのための余地ができ、豊かさが生まれる可能性、なのにな。

2年ほど前の韓国人女子生徒に、なにかのことで「日本的」という言葉を使ってて、その意味を追求して行くなら、それはお金のことだった、そんな経験があるが、それを言うなら金融資本主義のもっと悪玉もいるけどさ、と言おうとしたが、彼女にして見るならこの地で付き合ってる日本人に対するそれがリアルな印象なんだなと思い、あーそう、とそれ以上の言葉を呑み込んだ。

中が腐蝕して、外は表情キツくなってる。それが今の現状だと思うが、外ヅラに関してなら、良いことも悪いこともわかりやすくなってる。世界の常識に合わせる箇所が間違ってるのではないかな?そこエキゾチズムでもこの際かまわんと思うのだが、少しミステリアスなパートも残しといてもいいのでは。

そんな気がしてる。日本への「意外だ」といったニュアンスの、残念という評価を聞く度にそう思う。

あのさ、「ぶっちゃけた先には」もう何もないのよね。だから、そうそうぶっちゃけるわけにはいかんのだ。類推される結論は同じであっても、そこまで言うかどうかってのはそれこそ美意識の問題、そうおもうがどうなんだろう?結婚したら次は離婚しかない、みたいな。ちょっと違った?だはは、、、。

たとえだが、団鬼六先生が書いていたような小説がもはやその前提において成り立たないと思う。なりたったとしてももっとharshで陰惨で救いのないものになるよね。何か欲しかったと思っていたものが、変容して行って、最後には、あれ、おれ、あたし、なにが欲しかったんでしょう?そんなことになるのでは。

個人は、自分勝手という側面を肥大させつつも存在しているように思う。一方、組織もその庇護力とメンバーの思考停止によって存在している。その二つのものの肥大化に押しつぶされそうなもの、それが共同体ということになるのだろうか。目に見える利益とは一見遠いその、人の集まりは、利益の遠さにより、なんかつまんないものに見えるかもしれない。ただそこには、〜思いやりであるとか、助け合いだとか、共に生きるだとか、棲み分けだとか、人が生物として培ってきて、それが高度な種であることの証拠、といった要素が実はたいへん多く存在すべき場なのだった。今だと、その場はいつだって存続の危機に晒されているから、考えることを辞めるわけにはいかない。

そんな場、なんて、もうあるかよ!そう言ってしまうのは簡単で、もう過去の記憶の中にしか実際はないのかも知れないが、それの可能性があるとないでは大違いだと思っている。わかりやすい成功も大事だけれど、成功している感じがないのに存続している、そんなことが一番の値打ちだとおれは思ってて、塾もTODO O MUNDOもおのれの音楽さえもその考えでやってきたし、やっていくつもり。バカだと言われるだろうね。言って言って。

昭和30sの音楽をやって、というofferが来て、それが今楽しくなって来てて、自分が生まれた時代の物質的な不自由さと、しかし時代の伸びしろ、そして希望の存在みたいなものに勇気付けられてます。大迫君にここは感謝しないといかんな。まあ、オマケみたいなものだけど、音楽ってね。いいのいいの、それでも。




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2014年04月04日

Look back in peace

2試合ベンチを温めて、やっとライト8番でスタメン。ま、ライトというのはプロの中ではあかんことではないけど。

イチローですけど、本日はまるでその8番が1番(トップバッター)のような展開だった。イチローが出てホームベースを踏む といったこと。

NYヤンキーズのその「合理性」がよくわからんね。イチローが第五の外野手というその合理性のことだが。要は控えというか守備要員というか補欠というかね。そんな中での与えられた数少ないチャンスをものにする彼にやや感動するわけだった。たった、1試合のことながら。

極力感情を抑えようとしているイチローがいて、大したものだ、そう思う。人はクサッていくものである。オノレのチカラの客観的な評価が「?」な人びとほどそんな傾向か、と。そこ、チカラが抜けるまではだいぶ時間がかかる。おれはかかったな。でも、もう抜けました。そこ、「人生、下り坂、さいっこー」と近いようにおもうがどうなんでしょう?

今が物理的に登り坂なわけないのでね。どんな寿命やねんって話である。これまでの放蕩は、しかしおのれの快楽の歴史でもあり、その記憶と、それにかかるコストのとんでもなさには目の焦点はかなり遠いけれど、そこ、事実なので、大声で主張もしないが、多くのことを知っちゃってるのもそれもまた事実。Look back in peace、そんな感じである。

アスリート寿命とリアルな寿命の比較は可能。イチローには出場機会を清々しく悔いのないように大切に楽しんでいただきたいと思う。そんなこと、わかってまーす、と言われると思うが。

明日はマー君先発と聞いている。楽しみだ。l
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2014年04月01日

静かに静かに

4月になってしまった。いわゆる新学期。今日はあちこちで大学の入学式が行われてるみたいである。

みんな、がんばってね〜。とかいいつつがんばらないのだが、おれ。四月はぼちぼちやるの。一年間って長い。最近はスタートダッシュというものを「忘れてしまっている」。最初から飛ばすのは若者の行動ではないか。

飛ばしても息切れしそうだ。年度のノリというのは毎年違うのね。だから、連休終わりぐらいになってやっと見えてくるかどうか、そんなことだった。急いでもあまり意味ないので。というほど一年って長い。

一週間ほど実家にいてごっつおーを喰い、両親と花を見、友人たちと酒を飲み、夏の打ち合わせをして、家族のトラブル解決にちょっとだけ貢献もし、甥っ子の進学相談をしているうちにその日々はあっけなく終わってしまう。桜前線とともに帰阪したが、大阪の桜もそろそろ満開のようだ。だが中津の公園は密度が「なんか」だなあ。明後日からまた雨らしいからやや心配している。店の花見はだいたいいつも「サムイ」のだが、今年も例に漏れず、みたい。

消費税が上がり、タバコも値上がり。3%以上の値上がりだが、おれのタバコ。しかし、世間は、あきらめムードが蔓延している。すべて、「しょうがない」で片付けられていきそうだ。みんな疲弊している。怒る元気もないのが正味のとこだろう。

怒るってエネルギーを使う。これから少なくとも二年間は停滞の時期だろうな。目先の希望のない時間帯にまたこの社会はどう変容するのだろうか、など思えばすこし怖い。実現には程遠い欲望の未遂を抱えて、人はどのような生き物になっていくのかが怖いわけだ。パンフレットをリニューアルしていて思ったことがあった。

困っている人々にシムパシーを本格的に持つべきだな、と。

もう欲望自体が最近あまりないから自分はかなりgreedyからは遠いところへ来ているなということだけは自覚する。自分もかなり変容したなと自覚する。ALTERED STATES。アタマ、パン、はいやだけど。

過去のおれしか知らんやつに久しぶりにあったら驚くだろうなと思う。そのうちこだわりなどもなくなってしまうのだろうか。ただ嫌なものはやっぱり嫌であろうとは思う。しかし何かにこだわることによる自己主張などというのもいささかめんどくさいしな。まあそれなりのノリを確立してすこし「発熱」させよう。

今年度は「静か」に始まる。
posted by 浪速のCAETANO at 18:57| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする