2014年05月31日

A LITTLE SOMETHING/ THE SECRET

自分が歌ってるシリーズ。先日のTHE REVOLUTIONもそうだけど。

<A LITTLE SOMETHING>

すべての恋してるみんなに言いたいことがあって、ちょっとしたことなんだけどーーーーーリラックスできるとこで二人身を寄せ合って楽にしてーーーーーじゃあ恋についての歌を歌います。

ほんの偶然の出会いからそれは始まるーーー彼は彼女のことなんて何一つ知らないーーー偶然の糸!ーーーー
でもそれが二人を恋に導く。

何が二人に恋させるのか、それを知るには時間がかかる。というのは、すぐにそうなることに決まってるから。
そして、そうなるとあなたはムシャクシャしたり束縛なんてことはカルく忘れるかも。

窓のそばのテーブルに二人だけで座って、サックスに合わせて踊ってるダンサーたちの輪を見つめてるーーーー彼らがふいに立ち上がって行こうとした時、それが恋だと彼らはわかる。

これほどいい状況はないんでしょう。長いバケーションを始めて、旅行を予約して、彼らはともに恋に引っ掛かってる。

アラスカの先端からスペインの隅っこに至るまで、すべての緯度 経度において同じような事が見られます。
人が人と一緒になり、でもそれが恋なのだったら誰も責められません。


by PETER BLEGVAD(SLAPP HAPPY)


「THE SECRET」

ほら、あそこ。わたしのヒーローがカッコいい服を着てーーー通り過ぎる時こっち見たーーーわたしの彼。
彼はちゃんと秘密を守るの。

一番最初から、かれの言葉はわたしのアタマを通り越してチョクでハートへと届いたのーー鉛みたいにガツンとーーーかれがなんて言ったか言いましょうか。でもやめた、秘密は守るって誓ったもん。

それを見てたら気持ちいい催眠術にかかりそうな歩き方。なんか神秘的な喋り方。違う世界の人みたい。それが何なのかは彼もわかんないみたいだけど。
わたしは毎晩彼の同じ話を聞いて起きている。彼が何をしようが絶対飽きることはないから大丈夫とわたしは言ってる。

わたしがうっとりしてたら眠らせてくれてーーーー金星人!ーーできないことはないの。

それでわたしの計画はといえば、彼の秘密を秘密のままにしておくってことかな、それぐらい。

by PETER BLEGVAD&ANTHONY MOORE(SLAPP HAPPY)
posted by 浪速のCAETANO at 13:46| 大阪 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 訳詞 Slapp Happy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月30日

Everyone's in love with you

<Everyone's in love with you>

キミを友達に紹介するよ。
するとそれがキミを見る最後になるとは。
世界中がぼくのBIG SECRET を知って
そしてみんながキミに恋をする。

キミの微笑みに魅せられ、そして
キミのやることすべてをみんながコピーする。
今キミと一緒に居れたらどんなにいいか、なんて思う。
だけど、みんなキミに夢中だ。

神は与え給う、神の知恵。
それはキミの微笑み。
ま、当たり前のことだけどね、元から分かってた。
仕事場で、人の家で、
ぼくだっていろいろ人に紹介されたりするが、
みんなが知りたいのはキミのことばかり。

クソーと思うが少しだけ誇らしくそんなダブルバインド。
キミを殺したくてKissしたい、そんな。
キミは出合ったみんなのものになる。
みんなキミに夢中なんだ。

神は与え給う、そして奪う。
ぼくはそんなに物分りのいい人間でもない。
甘く、切ない、そして奇妙な感覚。
キミがぼくの友達みんなにしてあげてることなんて許せない、たぶん。

ヤキモチ焼きつつ、でもちょっと誇らしい。
殺したくもあり、Kissしたくもあり。
キミは出合ったみんなのものとなった。
みんなキミに恋してる。
みんな、キミに夢中なんだ。

by David Byrne

translated by marutanikaz
posted by 浪速のCAETANO at 11:14| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 訳詞David Byrne | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月29日

the Revolution

サッカーで酷い負け方して暴れる、じゃなくって、サッカー来んな、と暴れるブラジル人というのは意外でしょう。

世界も切羽詰まってきてる。富の偏在と強欲と他人の気持ちを思いやれないマインドの蔓延、でもこれ人がまともに普通に生活できてればっそこまで悪くはならなかったはず、政治家の無能、政治家は政治屋、アメリカ、グローバリズム、意外と終焉もまた近いような気がするけどね。カナリヤの嗅覚。

騎馬警官に矢を放った先住民族ってヤノマミかなあ?いや、似合わんことってしたくないですよ、、みなさん。ヤノマミの人たちにとって資本主義に侵されることは縄文が弥生になるほどのコペルニクス的転換。いや、あのひとたちヤノマミって決めつけたらいかんね。ルックスちょっと違ってたようにも思います。

ブラジル人にとって、どんなに貧しくても、ファヴェーラに住んでても、フチボウ(サッカー)は「特別」だったはず。それが、ね。いろんなことが思いついては消えていく。

<The REVOLUTION>

アンプに旧いギター、カントリーの流れるバーで。
彼女が歌う時、革命は近くにいる。

ベッピンがマイクを持って、おれたちがよろけながら家へと帰るのを見届ける。
彼女には今、革命が見える。

ゴミ、サカナ、木々、家々、煙、女物のブラウスを渡して、
いつだって予想通りにはいかないものだ。

泡がさまざまな大きさで弾け、それを分析、吟味した後、
べっぴんは「それ」がもうそこに在ることが分かる。

べっぴんは家に帰る。ドアを閉め、階段を登る。
そして彼女が眠ると革命は膨らむ。

べっぴんはマットレスに横たわる。下着だけで。
そして、彼女が目覚めたら革命はそこにいる。


by David Byrne
translated by marutanikaz
posted by 浪速のCAETANO at 12:07| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 訳詞David Byrne | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月28日

Rattlesnake

<RATTLESNAKE>

道路から送電線を逆に辿って
誰もいないのでわたしは服を 脱ぐ
このたったひとつの世界にわたしはたったひとりなの?

砂の地面に蛇の穴がいくつか空いている
それはスーラがリオグランデを描いた絵みたいで
このたったひとつの世界にわたしはたったひとりなの?

汗をかく 汗をかく 風は後ろから吹いてこない
汗をかく 汗をかく 誰も決してわたしを見つけることはない

聞こえる音といえばわたしの息だけで
わたしはよろけながら歩いてその跡は小径になる
このたったひとつの世界にわたしはたったひとりなの?

風は最後にはわたしを救ってくれるだろうか?
藪の中から聞こえる音はガラガラ蛇だろうか?
このたったひとつの世界にわたしはたったひとりじゃない
走る 走る ガラガラ蛇が迫ってる
走る 走る 誰もわたしを見つけることはない
走る 走る ガラガラ蛇が迫ってる
走る 走る 誰も決してわたしを見つけない
汗をかく 汗をかく 汗をかく ガラガラ蛇が迫ってる
走る 走る 誰も決してわたしを見つけない
汗をかく 汗をかく 汗をかく ガラガラ蛇が迫ってる
走る 走る 走る 誰も決してわたしを見つけることはない

by ST. VINCENT
transrated by marutanikaz

posted by 浪速のCAETANO at 15:19| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 訳詞 St.Vincent | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

PRINCE JOHNNY

もう、なんか、じわじわとなのだけど、真綿で首絞められるみたいにヤル気がなくなって来るし来た。

どうでも良いのではないかな、もう。すべては終わってしまっているのだけど、終わってないフリをみんなですることでなんとかモってる気になってただけなのだ。ヒトはそういうこと忘れてて、心の中にちっちゃなバブルを作り、それが保たれてるうちはいいんだけどね。その、ちっちゃなバブルというかフロスはあっけなく弾けてしまう。

<PRINCE JOHNNY>


王子のジョニー、貴方は優しいがバカじゃない。
もう、その違いは分かってるわ。
貴方は名も無い誰かの息子になりたいのね。

貴方がくすねたベルリンの壁の欠片を馬鹿にしたときを思い出して。
で、そのことにそんなに大笑いしたっけ?
カーペットで寝転がりなさい。

指でアンデス山脈をなぞって、いつ、どこで、誰と次に寝るかってことばかりを言ってる。
すべては誰かの息子たちと。

貴方は自分が立派な男の子になるようにと祈る。
貴方は自分が立派な男の子になるようにと祈る。

王子のジョニー、貴方は優しいけどもっと気をつけた方がいい。
今じゃ貴方と距離をとる時が分かってるわ。
友達や御付きの者たちがバスルームの片隅で貴方をチヤホヤしてる時よ。

貴方が自分がが立派な男の子になるように祈るのを見た。

でも、ハニー、誤解しないで、あたしの気持ちをそれとよく似た安物の贖罪と。

私たちはみんな誰かの息子なのよ。あたしの言葉でもまだ言い切れないことを分かってほしい。

だから、あたしは立派な女の子になるように祈る。
だから、あたしは立派な女の子になるようにと祈る。
あたしは祈り続ける。

BY ST. VINCENT TRANSLATED BY MARUTANIKAZ
posted by 浪速のCAETANO at 20:23| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 訳詞 St.Vincent | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月25日

ネイバーフッド

相撲も千秋楽。今場所面白かった。誰が優勝するとかあんまりどうでもいいんです。が、そのう、相撲をやってる、、という事実に救われる。不思議だなあと思うけどね。

吉田調書。えらいもんが出てきたけれど、それよりも肝心なことは、もうすぐそういった類のものが出てこなくて普通になることだなあ。

大飯原発止めなさい判決文。久しぶりに格調高く、かつ内容も見事、そんな正式な日本語の文章に出会った。

電気を作る手段は人格権よりも劣位に位置する、なんてね。それは霞が関文学ともまた異なり、どんどん拡散していき、溜息が終わるようなものではなく、ひとつの確固とした概念へと収束していくところが見事な判決文だと思う。

おれももう、いろんなことを諦めているが、それでも新しい幸せに出遭うというよりも、現在の状態が少しでも長く続けばいいなと思うけどね。消極的保守主義といでもいうかさ、積極的平和主義よりずっとマシよ。

最近、中津の街に、しかもガードの内部に新しい店が増えてきて、それはいいことなのだが、それらがほとんど「イケて」ない。まあ、そう言うとトドムンドも、ちゃんと時間通り店開けないといか、店長が泥酔しがちとか、いろいろ問題はあるが、そういうこともあかんっちゃあかんのだが、その分大きな懐でみなさんを包んだりしてるつもりだけれど、そっちのあかん、ともまた違って、なんだか動機が「ドス黒」かったり、あまりに身内ノリだったり、なんかそんな感じなのである。

ちょっとイヤな感じがしてる。

なんなんでしょう?

おれたちもそんな目で最初は見られてたのかな、なんて思ったりする。でもね、あれから5年経った。5年の日本人と社会の劣化を考えると、また意味も違うんじゃないかな。

なにが違うのか?

動物みたいな人間が増えた。クールな野蛮人といえばなんかカッコよかったりもするが、欲望とオノレの権利とを振り回す、そして他人に対する共感能力の欠けた人間が増えた。オノレの思い通りにできる場だけを探してる。そんな印象だなあ。GIVE&TAKEがないね。TAKEだけかな。そしてそれが制度としてなりたってしまったかのような、そんな消費者マインドが蔓延。いやー、ほんと、やりにくい。

多分、社会も地域も二極化している。割の合わない方にいるのかな。これも運命だろうけれど。でも、ちょっと疲れるよね。

さて、予習予習。
posted by 浪速のCAETANO at 17:36| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月23日

csn&y in 1974

1974の、CSN&Yのライヴ音源がすごいBOX SETになって発売される。

40年前のライヴだよ。それがあたらしいCDとして出る。なんか冗談みたいな話だと思った。再結成された際の音源らしい。4 WAY STREETの後、解散ってことみたいだけど、もう昔の話で忘れてたけど、元々バンドというより似たタイプの集合体のようなグループだったから、ビートルズの解散や再結成とはまた意味も異なる。

でもなんかさあ、時間軸の揺らぎにはもう慣れっこにはなってるけど、これにはちょっと驚いたな。民主党のキャンペーンでN&CSYとして全米を回って喝采とBOOINGの両方に晒されたのは2000代のことだったけど、そういうのともまた違って、現役と言っちゃうとニール ヤングにしばかれそうだが、他の3人もまたばりばりの時期で、そんな中での「一緒にやる」機会なわけでさ。もーやーめた、の後のね。

高1である。店に来るようになった、上野と上田と後もう一人、クリトリス栗山の4人でCSN&Yをやったのだった@文化祭。スタンドプレイがその頃から好きだったのね、おれ、一人で「cowgirl in the sand」をやってたな。グラハム ナッシュも好きだった、当時は。狂気の軍隊とかシカゴとか。

そんないたいけな時代から時は流れ、そこからのオノレの音楽的遍歴など考えると、そして今やっぱりニール ヤングは聴くわけで、隔世の感とともに、冗談みたいな気にもなるのよ。一回りどころか3 4周してるのね。歴史学の世界で、年代と干支の組み合わせから時代の細部を特定するやり方があるが、その60年周期にピタリとはまりました、みたいな感じですかね。

よくよく考えると、4way streetは60sだもんな。その当時の60〜70sの5年って、ニール ヤングたちにも随分久しぶり、そんな気持ちだったんだろうと想像できる。サブカルチュアが終わって、みたいなね。それからネタなくって何度も引っ張り出されるのなんて、そこ違うで、という気持ちもあったはず。時代の「不可逆性」を、おれも信じてたし。それは彼らの言動から学んだことだったし。

そんなライヴ録音が40年後にみんながはじめて聴く音として現れること、それをおれは「冗談」みたいに思うけどね。これは悪い意味ではなく。

当時の写真をみると、ニールヤングはトンボメガネにマッシュルームカットにモミアゲである。ステイーヴン ステイルスがカッコよかったね。ジュデイ コリンズが彼女だったはず。うわ、すんごい昔!

とにかく、ちょっと買って聴いてみようと思う。なかなか複雑な気分になるとは思うが。
posted by 浪速のCAETANO at 13:26| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月22日

伊予の湯よりはじめて

現在20℃。暑くも寒くもなく、中庸。いい感じ。ずっと、こんなんでいいんですけど。こんなんがいいです。

そろそろ、あったかくない「麺」の季節になってきたですね。素麺、冷麺、カッペリーニ。そして豆腐、ときどき冷しゃぶ、あるいは寿司。もうそういったローテーション。

梅雨前にどんなに多くかような爽やかな日々があるかというのはわれわれ日本に住む人間の特権だと思う。それは外国人にとっても同じだろう。そこは「太陽の光や温泉のお湯は分け隔てなく万人に与えられる」といったのは聖徳太子ではなく倭国の天子「アマタリシホコ」だが、それは伊予の湯、つまり今の道後に行った際に述べた「大変仏教的な」発言である。太宰府から御笠川を下り、舟で行ったのだろう。

店長が道後温泉に行っていたから、そんなことを思い出した。上宮法王と言われ無理やり架空の聖徳太子に比定されている人物である。

別府もいいけどちょっと今回「遠出」するか、そんなことだったろうと思える。熱田津の湯と言われていた。

「熱田津に 舟乗りせむとて 月待てば 潮もかないぬ いまはこぎいでな」という額田王の歌がある。

白村江の戦いに参戦するために博多に駐留していた斉明に連れそう中大兄に帯同していた額田王だが、大海人と中大兄の間を行き来したええ女ということになっている。

こういった歌が残されているってのはいいですね。その土地にとって。歴史はそれをどう使うか、というセンスが必要なだけでそのリソースとしての値打ちはあるとないでは大違いだ。伊予(四国の北半分)と九州にはそのリソースが本当は充満しているのだけど、勝者の歴史がそれを覆い隠している。関西と同じぐらいのリソースがあります。ただ、日本書紀成立から1300年という重みがかなりボデイブロウとして効いてきてるなあという印象です。嘘は嘘なりに1300年、その重さである。

たとえば、伊勢神宮。天武亡き後の持統が無理やり伊勢詣でをして以来、明治天皇が行くまで歴代天皇が伊勢へはいっていないという事実。なんとなく避けたい理由があったわけで、じゃあその理由ってなんなのさ?ということになるけど、、。

アマテラスに無理があった。アマテラスを皇祖神とすることに無理があった、それしかないと思うけどね。そうじゃなけりゃ行くでしょう、近畿王家の人びと。

持統と孫の文武、それとアマテラスと孫のニニギが「相似」であることは周知であるけど、倭国もまたアマテラス「だけ」が皇祖神だったのかに関して疑問が湧いてきた。近畿の王朝(まあ、当時は大豪族)は、倭国が唐によってズタズタに引き裂かれたことによりそれを併呑し、新たな王朝そして、転がり込んできた幸運を正当化するための「史書」を編纂するわけで、それが「記紀」だけど、その二つを見比べてみると記にはないが紀にはあるというのが眉唾で、これはほとんどすべて、倭国の、近畿により収集され、用済み後は焚書とされた、史書によることはもう「自明」だが、こんなことを言うと「怒られる」わけで、あ〜あ、なんだけど。ただ、その編纂には九州の有能な人びとも参加させらていることも自明で、書記においても微かなる抵抗なんてこともそこここにあったりする。

何もかも、わしらの都合いいことにしろ、というのが天武の命だったわけだから。

なにをダラダラ言うてるのかわかんなくなってきたが、そうそう、歴史のある土地というのもその歴史は8世紀に於いて、再構成されたものですからねってこと。それにもかかわらず、そのお湯は、すべての人に向けられ与えられるものであるということ、かな。そこ、はフェアなのね。
posted by 浪速のCAETANO at 12:35| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月20日

動物と機械のはざまで

オタクと一括りもなんだが、彼らにとって「すべてはプレイ」なのだろうか/だろうな。

しかし、その隠しきれない「自己顕示欲」が墓穴を掘る、とも言えるが、そこもプレイの一環?弁護士たちの「生真面目」とどうも「噛み合わん」でしょう。そこ、はっきりとはわからない。何かおれなどとは異なる論理と倫理がその背景にあるのだろう。WEBの世界に浸ってることから来るある種の「全能感」がその精神には作用してるのだろう、と想像する。

オノレを擁護する人権ジャーナリストのこともおそらく「ケーベツ」してるんだろう。

WEBにおける全能感はリアルを「ナメる」ことになるだろうな、と想像するに難くはない。まあ、リアルからの復讐に遭ってまあいろいろ考えていただきたいが、でも本心は、愉快犯なのか、意外に姑息な理由なのか?後者だったら、面白くもなんともないのだが、、、。

先月まで教えていた引きこもりが、片山容疑者がやったとされる(まだ確定はないが)あの行為、「あんなもんはかんたんや」と呟いていたことをおれは知ってる。「ふーん」だったのだけどね。

肥大化する自己顕示欲。それもいろんな場で。

厄介だな、そう思う。そういう犯罪者、多いからね。そこが人生の「晴れ舞台」だったとするなら、「ちょっとな」やな。

まあ、かれらは、一旦「事」が起こったなら、サイバー攻撃担当主任とかになるはずだ。なんかそういうのがおれは「残念」だけど。

テクノロジーの自己組織化に伴う加速度のついた進化により、それに「無批判」についていく人間と取り残される人間が生じてしまう。なんか、思うのだけど、そんなテクニカルに付いていかんでもええのでは。疲れないかね、そのうち。ほんと、そっち方面は「加速度」ついてるから。

マンマシーン。クラフトヴェルグが出て来た時、そこに確かにおれも「未来」をみた一人でもあったけど、その日本版であるYMOのメンバーのあまりに人間臭いエピソードを知りすぎてる身としては、その音楽はともかくそのイメージに関しては方便であったことはもう自明なこと。

テクノはテクノでいいんですが、おれはその手の作業を詰めてやるとものすごい人間の欲求に囚われてしまう。世代の違いもあるこたあろうが、それはみなさん、生物として「テクノ」男との矛盾に悩まんのかなあ、そんな心配、大きなおせわ?

ヒトはやはり「SWING」するんだと思うよ。そして、ヒトはヒトをものすごい短絡したIMAGEで見、判断してるということですよ。

動物と機械の間でSWING。これ普通のことですから。
posted by 浪速のCAETANO at 11:24| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月19日

地べた近くでの

本日は半袖。半パンはnot yet。半パンになるともう戻って来れないわけで。

真夏日未満の天気、悪くない。おれはもうビールはほとんど飲まないが、この時期に限って飲もうかなという気になる。しかも昼間。本日も仕事終わりでどこかでぐびー、だろう。しかし、本日は帰ってまた仕事でした。ではほどほどということで。60分1本勝負。

なんでもかんでも、お伺いと忖度の嵐にしちゃうのってどうか?「美味しんぼ」のことがわかりやすいけどね。みなさん、お上から睨まれないように、ということなのだろうが、ほんとに息苦しい。オノレのことだけを考えて、業界全体は視野外なんだなと思う。それ結局はオノレの首絞めることになるのになあ。アホだなあ。

ありがちなことだが。

新自由主義と国家主義が共存するそんな変な国になっちゃったね。すごい雑な言い回しですが。

どっちにしても貧乏人には未来があるとは思えない。おれのとしになると未来なんていうと、「おっさん、アホちゃう」とか言われそうだが、まあそやね、そやけどもやなあ、老後ってのがあるやん。もうそこんとこ希望が持てんですね。おれも実家でギター弾きつつ、歌を歌いながら晩年を迎えることになるだろうなあ。それはそれでええか、そんな気もするけどね、九州王朝の研究と。

今年度は大事に過ごそう。日本が決定的に変わるのは(変わるとすればだが)2016年だと思っている。再来年です。国連で日本が非常任理事国となる。首相の海外飛び回りはそれのお願いである。もちろん対中国戦に備えてのことね。今の情勢から行くと、国民的な支持には今ひとつ足りないし、みんなやっぱり戦争は本質的にはない方がいいから、彼らの解釈改憲にはやや逆風強まってきた、そんな印象がある。だから、今んとこはちょっとウンコみたいなSINGERにシャブで捕まってもらったりしてお茶濁しといてみたいな戦略である。今年はW杯もあるから、その国家主義を高めるにはまたまたいい機会でもある。

もうええっちゅうぐらい「ニッポンニッポン」で盛り上がっていただくことが大切。「にっぽん すっぽんぽん」とか茶化しにかかるおれなどは非国民だね。にげろー。

でもさあ、一旦始めたら辞めんのたいへんよ。辞めんのヘタクソってのは歴史が証明してるよ。勝たないことには始めた人間、責任取らんといかんですからね。で、ずるずるのどろどろ、そうなるのは目に見えている。そこまで国をずたずたにすること、委託したっけ、キミらに?そんな局面がある、そう予感します。

ま、自分にやれることをやるんだけどね。地べた近くでの「日中友好」と「中越仲直り」に何かしらハナクソぐらいの貢献ができればいいな、など思いながら、本日、学校へと向かいます。では、行ってきます。

posted by 浪速のCAETANO at 10:49| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月18日

笑い飯 ノー

ヒトの噂は「7.5」日だが、人々の誓いは「75」年。

今、憲法施行から70年。あと5年。仮定の話だが。仮定だろうか?

アライアンス。ANAが最近「スターなんちゃらアライアンスメンバー」と言ってるね。ビジネスの世界はこの新自由主義の世、ユナイトしていくことはある意味必要なのだろうが、ほんとはそれも好ましいことではないが。小さい良さを潰すことになるからね。小さいものこそがヒトを救う。なぜなら、ヒトは小さく弱いからだ。

アライアンス。日米同盟。安保条約がいつのまにか日米同盟に「変身」してしまっていたが、もうそれがいつの話だったか、、、、。

あのさ、漫才コンビを考えてみようか。

集団的自衛権てのは、「笑い飯」みたいなコンビを目指す、みたいにおれは理解してる。そうじゃない?

お互いがお互いに同じようなことをする。日本人はアメリカ人か?

無意識か意識的にか、そうあろうとしてきたのだと思う。ただ、そうあろうとしてもそうできなかったじゃん。それがこの時点での「結論」ではないの?

親米右翼なんていうどう考えても「論理矛盾」な立場の人たちの存在が、精神的倒錯の表れを映し出してる。

首相の態度、主張、発言は今のあるタイプの人びとの「気分」にフィットしているのはよく分かる。よく分かるのとそれを支持するかってのはまた別の話だけどね。しかし、もうちょっとリアリストでいていただきたいなあ。

4番バッターだらけの球団、ワントップが11人いるサッカーチーム、そういうのが「効果的」ではないのっておよそ誰にもわかると思うが、あの稚拙な紙芝居でご説明しようとしたことは例えば香川に11番つけさせてリーガ エスパニョーラへ送り込むようなものに喩えられるとおれは思うが。なかなかそこで機能するのは難しそうでしょ?似合わんポジション。

安保条約はそれなりの機能を果たしてきたとはおれも思う。コミュニズムに対する防波堤の意味だったね、最初はね。ソ連とベルリンの壁崩壊以降はその第一義的な意味はなくなった。もうコミュニズムが伝播することはないからだ。だからこの20年ほどはほとんどその機能は果たしていない。あったとするなら、アメリカの、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争のための補給や慰労としての基地の提供ぐらいだ。なんだかそれ自体もずるずると大した議論もなく続いてきた、そんな印象がある。

おれが首相にリアリストでいていただきたいと思うのは、彼の言葉が「情緒的」過ぎるからだ。その点、石破ちゃんの意見がリアルである。自衛官が死ぬこと可能性にも言及していたし、はっきりと、これからは法治ではなく「時の政権の恣意によって」解釈もまた変わっていくと、明言していた。

そう正直にいってくれれば、対処もまだ可能かと思う。ただし、そこ同い年ながらおれの意見とは違うけど。でもそのリアリストとしては評価している。首相の発言は情緒的かつ不明瞭で、国民を悪く言えば「騙そう」としてる、としか思えないふしがある。もっというなら「この場をしのげば」あとはなんとかなる、みたいな感じ。
紙芝居はいただけないし、そこにNHKのテロップが出てたらしく、「なーんや、やっぱり籾井ちゃん、やっとるね」がちょんばれだ。そんな報道を日本人はありがたがって「なるほど〜」と言いながら見てるのだろうか?

なんだかすべてが子供染みていて、たとえば印象だけでいうならベルルスコーニのTV演説のようだなと思った。イタリア関係者、ゴメンちゃい。言葉が軽いというか「ブンガブンガ」というか。

で、集団的自衛権ていうのは、笑い飯になることだ、と言ったけど、たとえばその同盟自体の、必要悪かどうかは、置いとくが、それがうまく機能するには、「持ち味」が異なったほうがいいんじゃないか、って思うのよ。

アメリカの立場の延長線上にいることの、メリット デメリットをよく考えてないんじゃないのかな。もっというなら、アメリカのできないことをやれる立場でいることの方が、同盟を維持しつつも「より安全」なんじゃないかなあ。同等の立場になるのであれば、「地位協定」の見直しもマストであるし、おれたちもアラスカとかに自衛隊の基地をおかしていただかんといかんのじゃないの?これものすごく「アンリアル」よね。

笑い飯の漫才は同じモチーフで交互に突っ込みながらもどんどん加速していき、ある種の空中分解で終わる。それはそういったタイプの人たちの「宿命」のようにも思える。翻って、キミコイシ ユメジイトシ師匠の「なあきみ」「どないしたんや?」この「間」が世界を救う、とおれは勝手におもっておるのだけど、そこ、首相は知らんだろうか?


posted by 浪速のCAETANO at 12:46| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月17日

本日寝たきり中

集団的自衛権に関するNHKの討論を見てて暗い気持ちになってそれから店に行ったら飲みすぎて今日は寝たきりだった。クソー。

ひどい話なのだが、そのひどい話をする態度が気に入らん。へらへらしながらする話ではないはずだ。推進側がへらへら。反対側はむっつり。司会は推進側に気を遣いすぎ。ほんとNHKは御用放送になっちゃってるのだな、と実感。

もう、終わり、ね。チーンですね、おれもあなたも。

新しいものはロクなもんがなく、であるなら、今あるものを「延命」させることぐらいしかやることがなくなる。中津のガード下の撤去が言われていて、そういうことを入る際にちゃんと言われずにそんなことになったトドムンドよりも新しい店があり、もっとも古い店もあったりもするが、そういう方たちの「ちゃんと営業やっとんねんで、ばかやろー」そんなイヴェントを企画して実行委員会もあり、そのライヴ部門を引き受けることになった。

おれたちだって理不尽な立ち退き勧告と、土地転がしにより人生の何%かは予定狂わされた元当事者だからまあ他人事とも思えないこともある。でも実行委員会に入るほどヒマでもないから、外野で応援ということで。

これも撤去が言われてるピエロハーバーが会場になるみたいです。

かつて、豊津でも地域のおっちゃんらとはまあまあ仲良くしてた。若い頃のおれと元ヨメはかなり目立つ存在だったから、なんとなく最初は遠巻きに眺められてたのだが、同じマンションのちょっと年上たちにはものすごい意地悪をされたが、地域のおっちゃんたちには運動会でぶっちぎって一等賞とったり、ソフトボール大会でファインプレイとホームラン打ったりとかから急に仲良くなってなんか宴会にアオミやマキノがおったりすることもあった。豊津もまあ古い街。隣の江坂みたいにいらわれすぎず、当時は。

まあそんなことの何かなのかな、と思ってもいる。まだ、こっちではなんとなく怪しがられてるから、ま、それもよし。先行きは暗いが。日本全体暗いから。

今日は寝たきり。いまだ未回復。相撲でも見よう。本でも読もう。
posted by 浪速のCAETANO at 17:28| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月14日

伝統の継承って

リヴォン ヘルムが亡くなってもう1年以上経つのかな。好きなものが「歴史」になって行く時期ですが、これも世代、の成せる技。

Facebookで見たのだが、そのリヴォン ヘルム スタジオで「ジム ウェイダー、G.E.スミス、ダニー コーチマーのテレキャスター マスターによるWORKSHOPがあります。そこでは、リー ドーシー、ボ デイドリーの曲なんかを題材にR&RやR&Bのギタープレイを。チケットは100$ね」そんなことがある。

悪くないな。そう思う。伝統を継承していくって大切なこと。そして、もうギター自体がそれこそグローバルな存在となっておるわけだし。そう、その奏法もいまやいろいろ顕在化してるけれどR&R R&Bの弾き方は知っていた方がいい。そこから崩しておのれのスタイルを構築すればいいのだ。

本日、早朝から、ノリでボウイの初期のツアーと、レデイオ ヘッドのライヴを見てしまったが、ボウイのバンドにはミック ロンソンがいて弾きまくっていた。アメリカとイギリスのギタリストはまったく別だから、どっちがどう、ということはないが、どっちも値打ちだが、当時のエフェクター事情を考えるならその範囲内で言うなら、上手い。エフェクターにより弾き方は「変わった」からね。今のギタリストたち、みなさん一見上手いのだが、そしてほんとに上手いやつももちろん以前の確率より高いレートでいると思うが、それは「素」で聞かんとわからんなそこは。

昨日、中坊と話をしていて感じたのだが、やっぱりあまりに「細分化」されすぎた音楽の悲劇と言うか喜劇と言うか、あるなあ。

だから、そこはいろんな意見、あるとは思うのだけど、おそらくBLUESが弾けないギタリストも多いのだろうと思う。そこ、ほんとムズカシイところ。コドモは日本人ROCKをコピーしている、そんな現状もいっぱい。

それはもう「事実」だからどうのこうの言うことはないが、そこは本人の知性の問題ということ。こんなに、価値観が混乱 崩壊してしまった中、何がルーツか、またはそれに値打ちがあるかどうかさえ、もうどうでもいいというかそんな時間ないんだから、なんて言われそうである。ま、多かれ少なかれみんな「変態」するということだけど。成長するは変態する、でもあるけど。自分もそうだし。

にもかかわらず、リヴォン スタジオでのそのようなテレキャス マスターによるある時点までの音楽ルーツの一部であった本来的なギターのやり方のデモはいいなと思う。

ジム ウェイダーはロビー ロバートソンの後釜、G.E.スミスはHALL&OATESのおれが唯一好きな 「X-STATIC」やガーランド ジェフリーズの1stのギタリスト。Dylanの30周年ライヴの音楽監督もやってたな。ダニー コーチはキャロル キング バンド、ジェームズ テイラー バンド、JO MAMA(なつかしい)、そんな錚々たるメンツ。レジェンド一歩手前ぐらいの。ダニー コーチマーは「in 伝説」かも。

そうそう、ロイ ブキャナンの曲も演ろう、なんて書いてあった。ロイはTHE BAND在籍してたからね。あまり知られてないけれど。おれのなかのテレキャス マスターは、ロイとステイーヴ クロッパーそしてエイモス ギャレットだけど。テレキャスはいいギターである。おれもパクられるまではテレキャス弾きでした。ただ右の肋骨んとこ痛くなるのね。共感できる方多数と思われるけど。

こないだ、元ミュージック マガジンの竹村洋介さんがたまたま店に来て、好きなギタリストの話になり、ニール ヤングと「トム ヴァーレイン」という話になった時、「あ、これPUNK世代ならではの話な」ということになったなあ。ここ、かなり特殊な線ですね。今の子なんてわかんないだろうと思うな。

そして、よくよく考えるなら、PUNKのSPIRITなんてのはもうないのだ。ガワで散々コドモ騙したあげく、もう過去の風俗としてしか遺物としてしか残っていないのだろう。そこから発展していったものもあるのだが、そこにはもうPUNK臭はあまり感じられない。「すっぽんぽん,ズ」ぐらいかもしらんなあ、なんて。ま、そこ、いいとして。

コドモたちが聴いている曲をおれも聴いてみて思うことは、偏差値的だな、、ということ。ギターのソロのフレーズなんてホントに偏差値55から58ぐらいのものばっかりだなあ。新しさは残念ながらない。音楽的冒険がないのだ。朝に見たレデイオ ヘッドは全然ギターは面白いよ。逸脱があって。そこはPUNKの子供たちということ。
何かみんなとは違うアンサンブルにしたろう、という意図がちゃんと見える。

PUNKをよく知らんやつが、ガワのイメージと、いいもんの当たらなかったオノレの不運と不勉強を根拠にそのSPIRITまでをどうこう言うのはどうかな、と思ってる。ちょっとメインストリームからズラしながら、POPの外周のキワキワんとこに着地する、ここが醍醐味。そう言えばその微調整の美をわかる業界人が、いなかったなあ。もう分かりやすいもんばっかりに反応してたもんなあ。そのあげくのあげくのあげくが今だからなあ、暗いなあ。

やっぱり、例えばモノクローム セットや例えばテレヴィジョンなんかのあのねじれ度はある種のヒトには分からんかな。DEVOやB 52sぐらいになると「色もん」としての面白さに反応できるんだろう。おれたちには「同類」に思えますが。それらは文脈を共有してるから。もちろん、過去のROCKともそれらは断絶を感じさせながらも(それは商売の方便ね)さらにワイドな文脈を共有してるのよ。

ただ、直前のものをもっとも旧く感じさせる事が何かの画期にはマストであるので、PUNK=NEW WAVEはツエッペリンとクイーンのイメージを攻撃していたと思う。そしてアメリカにおいては例えばイーグルスだろうか?
まあ、全否定ではなかったということです。ただツエッペリンはいいとしても、クイーンなんてだれか刺し違えて死んどけよ、と思うが。音楽知らん人間のためのクイーン。アホがたかる。

60 70sのアメリカの音楽はかなりのものですから、それらが今の音楽のベースになってるのは間違いなく、それはPUNKにとっても脱国境音楽家にとっても同様で、どちらもそこから分かれたブランチなわけで。

だから、PUNKがTHE BAND好きもラテン好きがエイモス好きも別に矛盾はなくどちらかというと「あっぱれ」な「良いご趣味をおもちで」などと言ってみたくもなる、ということなのでした。


posted by 浪速のCAETANO at 11:06| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月13日

パーカッションが追いかけてくる

西成の業務スーパーで、エスニック香辛料のその豊富と安さにちょっとコーフンしまして、DEDRAも今日はレスポンスいいし、ご機嫌でtutorから帰ってたのだった。BGMはカテリナ ヴァレンテ。おそらくみなさんわかんない。ま、いい。音楽かけてると、いろんなことを忘れ、しかし、何かを考え、そしてそれは運転にはなんの支障もきたさずいい循環になる。そんな30分のドライヴだった。

途中から、カンカンキンキン系の音が、どこらあたりなのかなあ、よく覚えてないのだがして、それも気持ちは音楽へと向かってるから気にならなかった。そしてというかしかしというか、ある時論理的思考がすっと蘇るのね。きっかけはさっきのカンカンキンキンの金属音。
「しかし、なんの工事やねん。しかも、よう考えたらもう10分ぐらい鳴ってるやん。工事の追っかけかい。そんな追っかけ、ノーサンキュウ」

「ん、工事の追っかけ?そんなもんあるわけがない。と、なると、その音は、、、、、、おれかあ?」

確かに後ろから聞こえる、なかなかシャープな金属音なのだっった。

停めてリアのホイールを見る。なんともない。しかし間違いなくその音は後ろから聞こえてきていた。後ろへ回る。

マフラーが地面にだらしなく、セックスした直後の女子のように寝転がってました。キミと地面があのヒカリもんのパーカッション隊やったんか!

そこから、超ソロソロ運転で駐車場まで乗ってきた。あ〜あ。

明日、板井さんに出す。まさ、ロードサービスだが、二回連続で「同じおっちゃん」だったのだけど、これ3回連続だとかなり笑えるけどね。どんだけ「赤い糸」なの、おれたちって。ま、明日の楽しみ。

posted by 浪速のCAETANO at 18:35| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ランチア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月11日

近出で最大限、、

よう、そんな大層な意味もなく、ふら〜っとでかけたものなのだった。豊津時代は。

それがめっきり、中津きてからはなくなり、「なんかおれ、忘れてるような気がすんねんけど、その忘れてるもんなのがなんなのか、,,,,,,,,なんやった?」そんな人生だった。

ま、ちょっとどっかいこうと思いまして、それも非用事、として行こうと思った。そういったバカな行為ばっかりしてたのが過去のおれで、そんなこと一切しなくなったのが合理現実に追われる@中津なのかなあ、など思いまして、オノレ自身へ中指を立て、それを包丁に持ち替えて流しの前に立った。

弁当作るぞ!突然の衝動。珍しい。珍しいことにはおのれのことでも基本ウエルカムがいいのね。

十八穀米を仕込み、紫蘇入り卵を焼き、キャベツの入ったかまぼこ天麩羅を醤油に絡めて炒め、餃子を焼き、一緒に椎茸も焼き、胡瓜を刻み塩もみし、一昨日作っておいた新ジャガの肉じゃがを空いててごはんに近いところにつめ、のりたまとちりめん山椒を振り、南高梅をコーナーに押し込めたら出来上がり。いい感じ。グレイトな。

さて、どこに行こうか、と思う。北摂時代なら迷うことなく北へ向かったのだが、ここ市内はその距離がさほど変わらんにもかかわらず、なんかちゃうのよね。まあ、悲惨でもいいから西へ向かおうと思う。なにがあんねん西に。悲惨なことに「人工物」しかありません。それが市内ってことね。おれは親父の行ってた小学校をみたくなった。此花区の島屋小学校なんだけど、およそ75〜70年前に親父がそこにいて、よう考えて見るなら、無自覚な少年だったはずなのだ。その生い立ちであるとか、ここで言うことではないのだが、よく知ってしまってる息子としては、そこんとこ、ちょっと「感じて」みたいなどと、思ったりもした。何を、どのように、かはよくわからない。それが「何」なんてこともよくはわからんのだけれども、「何か」を感じたい。感じるかどうかもわからんながら。

祖父が当時日立造船に勤めていたから島屋小学校だったのだ、という話はよく聞いていた。ファンダンゴの初代店長のムーちゃんが卒業生だということも最近知って「へー、後輩やん、うちの親父のー」だった。米軍の空襲があって、おじいさんは淀川に飛び込んで潜って、命からがら、なんて話も何度もきいたし、B29たちは焼夷弾で四方を塞いで逃げられない人々をゆっくり「料理」するのだ、という話もきいた。

島屋小学校から北上して淀川に当たる。その堤防を越えたら、「お、けっこういいじゃん」な河原が広がってる。中津らへんよりきれいである。くつろぐスペースというか、うまく設えてある。川幅は中津、十三間よりやや広いですね、下流だからね。パラセイルとカラスと海鵜と若いウミネコの天下。

ビールとワイン、力作の弁当それにファミマで揚げもん欲しくなって買ったハムカツ、それで全部。今や細食のおれには「食えるかな〜?」なメシたちであった。

それでもソトメシは一番うまいメシであって、しかもおれが気持ちを込め短時間ながら作ったものに外れはないのね。ビールにワイン、あっという間に、とはいっても一時間ぐらいはかけ、空となりました。めでたし。

今日は、五月晴れ。それだけなら、暑いはず。暑いだけ。ところが、風が強い。だからね、暑いと思った次の瞬間涼しい。ちょっと涼しすぎるのではないかい、と思った次の瞬間、じんわり暖か、その小憎らしい温度自動調整システムが作動してた。

だから安心して至上のヒルネが出来た。野外のヒルネ、ヤバいでしょう。@公園、いやあムリムリ。それがもう安心して寝れる。シアワセ!帽子で顔を覆って、至福の時。また来よう。

やっぱり今日は完璧な五月晴れなのね。パラセイルだけでなく、ウインドサーフィン部隊が目がが覚めたら大集結してた。クラブでしょうか?こんなgood dayはそうそうなかろうね。

川の水が下流から上流へ流れている。満潮期なんだなと思い、いつもはありえない行為を。淀川の水を「舐める」。おえ〜やろ?

しかし、それが今ならできる、と確信して実行。

やっぱりね。汽水化してました。海ほどしょっぱくなく、マイルドな塩加減。でもけっして干潮時にはしないように。ほんまに「おえ〜」だと予想できる。

コドモのウミネコがヘラヘラ飛んでるかと思えば、突然重力に身を任せ急降下して水中に突っ込み魚を取っている。カッコいいな。一番自由な生き物は「鳥類」だね。間違いないね。

さて、そろそろ帰ろう。明日からはひどい現実も待っている。この、天国にかなり近いんじゃないかなんて状況からは雲泥の差の日々が。

水のいいところはそれが理論上どこまでも続いているという事実ね。なんとなく解放されるものがある。森は森でいいけどね。「川の書」by イアン ワトソンなど思い出す。たーんじゅん。

posted by 浪速のCAETANO at 16:29| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月05日

ちょっと反省

moeLABO無事に終了したみたい。関係者のみんな、お疲れさま、そしてありがとう。

らしかった、ですね。突然の飛び入りなどあって。LABOの面目躍如。

マルタニカズ'ズの奮闘が目立ってました。次回はもっとみなさんに「振ろう」と思います。

小松くんもギター持ってきてたら言ってくれたらなんかやったのに。最後にちゃんと決めていることがある時に前半での予定外は大好きなので、今後もそんなこと有り、でよろしくね。おれと、じゃなくても、純ちゃんや北村くんとでもいいのね。まあ、おれは大抵「どんなこと」でも対応出来ます。ですので。

すっぽんぽん'Zの新しい2曲、どうだったんだろうか?気になる。5曲ともなると、カラダに来るライヴとなって結構実感に富むはずである。キメごとも増える。でも上手くなっちゃいけない、という両義的な指令を出していて、でももうそれにも慣れてるか。見事に言いつけを守ってウマくはなっていない。もっと増やしたい。今回のはややFUNK/R&Bの味付けがなされてた。そうねえ、アオミのGの音色も考えてもいいな。ぜひ、ORIGINALのエフェクト欲しいもんだね。音色のヴァリエイション。北村先生にご相談ですかね。

LABOの方も前述のように、突然やって来たターボーしかり、菜々子ちゃんは「うまいこと」間違えてくれたから、やり直しできたけど、なんか一回のパフォームで終わってしまう。モルモッツでさえそうだった。まあ、なんかひとり髭が逃走していたり、中坊が入ってきたりいいハプニングで気合い入ったのかもしれないが、それはいいのだけれど、なんかworkshopぽくないのね。ちょっと考えないと。普通のライヴでいいのかなあ、なんて思う。ちょっとそこは準備不足というか、スタッフも足りないし、ま、そこはおれがやってることがそないに認知されていず、さらにはなんのことだかよくわからないことも関係してるなあ。スタッフが欲しいね。

ちょっとなんでもかんでもひとりでやるのに疲れました。「もえラボ実行委員会」のようなものがいるな、おそらく。もう数回はそこを改善してやるけど。いつも、準備不足というか、おれの初動が遅れるから、今回はリハはまあやれたけど、そこで息絶えた感じ。もっと人海戦術というか質的なものも含めた再考が必要だな、そう思う。

こんなん、今のやつにしてみたら「基本」よな。ウンコみたいなライヴでもフライヤーだけはむちゃええモンみたいに仕上がってるしね、あちこちちゃんと置いてるしね。いまだに「延々おなじこと」ができずにいるおれだった。

次回はちゃんとしよう。する。もっと考える。





            
                          


posted by 浪速のCAETANO at 18:35| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする