2015年05月31日

濃いな、普通か

久しぶりの休日。ソーメンでも食おう。錦糸卵にハムに胡瓜、紫蘇。もみ海苔、梅干し。ちっちゃな幸せだね。

大きな幸せはもういらん、というか、大きなもんにロクなもんがないっちゅうことが今更ながらわかってきた。アホですね。

大きなというかM8.5よ、大地震が起きてる。だからさ、シャチが東京湾に来てたでしょう。相関関係あるよ、間違いないです。動物の感覚、それはおれたちがかつて持っていて、今忘れているもの、といっていいとおもう。忘れるというか、もう意識もしていなくって失くしたもの、といえる。

大きな、とは分かりやすい、と言い換えも可能かとおもう。分かりやすいもの、みなさん反応する。そればっかり、それにしか反応しない。「欲」で目が曇ってる。クリア・カット、そりゃね、この不確実があったりまえの21世紀前半、スパッと言いたい、状況を切れ味よく切りたい。だけど、だれができる?そんなこと。どこにそれができる知性が存在する?今の日本に。

いや、それはいらっしゃるのかもしれない。ただ、自分がその切れ味体験がないだけなのかもしれない。おそらくそうなのだろう。

それとは別の話だと思うが、分かりやすく強い言葉にヒトは騙されすぎだ。なにかをみなさん、委ねたい病なのだね。そして自分のことに集中したいのね。大阪でいうならそれが橋下現象だったのね。

そこは、なんていうか、見事にキャパのない人間に都合よく、スペシャリスト志向の人間に都合よく、それが資本主義の罠ってことにも無批判な羊ちゃんたちの営利の根拠になってるわけですね。

こないだのノーベル賞で、受賞した三人の日本人、「一言も福島に触れなかった」。キミらはカス、と言わせていただこう。糸井と一緒だよ。資本主義に「ご奉仕」してるだけ。つまんないぜ。

オノレとオノレ以外のみなさん。ヒトは疎外感を感じると、何かに復讐するみたいな気になりがちなのだろう。そこ、パワーは出るよね、一瞬ね。でもDARKやな。DARKな動機で物事始めるとそのTONEはやってることの性質を覆うことになりはしないかと勝手に心配してるけどね。大きなお世話なら、ごめんちゃい。

昨日、店終わってからSKG会サラブが持ってきた、おれたちも唯一一回だけそのためにサーブ200km/hでぶっ飛ばして見に行った苗場のNEILYOUNGのDVDでおれは泣いとったと思うのだが、あれだね、そういうことをというかプロテストな歌を歌えるには、そして歌って様になるには、最終的には「人となり」だなと酔っ払いは思った、ような気がする。

江くんとなんかそんなことをしゃべっとった気がしたんだけど、ディランがその時は対象だったのだが、なんとなくおれ自身違和感を感じてたのだけど、それは師匠のNEIL YOUNGのことがアタマの隅っこにあったからだな、とわかった。BOBとNEILのひととなり、の差ではないか。それはユダヤ人とカネイディアンの、、、それは話長なるから置いとくが、自身の音楽=「ひととなり」説が説得力を持つ、かな。普段でもバカなのにさらに酔っ払いなおれの話なのでそこ、他人への説得力、ゼロぢゃん、という意見はあるにせよ。だはは。

まあ気分良くというか、その後VOYAGERを見てSEVEN登場で勝手に盛り上がってたら店長から突然「帰れ!」と言われ、とぼとぼ帰って来たのだけど。でもまあ、帰ってアナ・トーヴちゃんで中和したが。

おかげで土曜は「寝たきり」だった。誰もこない。何処へもいかない。こんな日を待ってた。




posted by 浪速のCAETANO at 06:30| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月29日

びんぼー人の知恵が

バカ首相の答弁をイラっとしながら見てたらゴミを出し損ねてしまう。

キミはいろんな人のいろんな場のエントロピーを上昇させとるのよ。わかってるぅ?

ほんまにもう。

さあもう五月も終わる。時間は加速し続けてる、という単純なものではなく、大筋加速してはいるのだが、昨日は密度が濃かった、そしてそのあとは横波の密と疎のように、例えて言うならば「尺取り虫」の前進の如く進行していく。密の際にはそこ、中に入ってジタバタしないといかんのよね。

次の「ラフレシア一座公演」7・15(水)に決まりました。詳細は後ほど。

ときどき混乱する。政治の進行とオノレの生活の根本的なとこでの齟齬。おれの生活だってどこかの方向へと進んでいるのであって、もう高望みはしないのであるが、それでもなにかしら「better」への志向ってのがあるわけ。ただ、なんて言うの、そのややイタイケなその志向を根っこのとこで汚いペンキでダー、と上塗りされているかのような、蹂躙されているかのような、気になるわけ。

人でなしに満ち溢れてる、んだよね。幸いおれの周りにはそこまで内臓ご開帳してるヤツはそんなにいないけど、誰だって「かっこいいヤツは、綺麗なオンナは、さすがに内臓も美しいねえ、なんとなく品があるっていうか」、、そんなことはないのだ。

どなたでもエグいもん内蔵で生きてるんだけども、それをまあチラチラさせつつもキワいとこでパンチラぐらいで終わってるから社会生活も成り立つわけで。でもあいつらというかあいつ、パンモロやん、しかもそのパンツは汚ギャル(まだいるのか?)のパンツだったり。

飛ぶが、おれ、ギャルの「自己完結性」好意持ってるけど。あの人たち意外に「ヒトに迷惑かけない」のね。存在がメーワクな、っていうのは言い過ぎよ。

戻るが、そんな汚らしいものはおうち内でだけにしといてよね。切にそう思う。もう社会性を失ってしまっている。PRIME MINISTERよ。

昨日の話と近くなるが、今の「なんでもなし崩し」というムードの中での例えば志位くんの原理主義的とも言っていいかどうかは迷うとこながら、その「融通のきかなさ」が今は値打ちだと思う。そこはもちろんバランスなんだけど、ここまでの国会内での言論崩壊を目の当たりにすると、こと「戦争」に関することであれば「融通」は一切きかさない、でいい。

その融通のきかなさを、憲法学者の彼に感じている。95条、の目の付け所もいい。改正されるまでは現憲法が憲法なのであるから、そこを拠り所に、というのも、あったりまえなのだが実に正しい。あるものを使う。これ「ビンボー人の知恵」である。かっこよくいえばブリコルールなんちって。いやびんぼー人の知恵で十分。

あるものの二義的にさせられた使われ方、まあ気がつかなかったからだけなのだけど、柔軟な人間が気づくときもあれば、スクエアゆえに結論に達することもあり、ということだ。やや、勇気がわいてくる。


posted by 浪速のCAETANO at 10:25| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月28日

速記者のあ〜あ(想像)

「早く質問しろよ」

首相の国会での発言である。暴言。呆れるとそれ以上関わり合いたくなくなるからいかんのだけど、でもしかし、ヒドイね。

これが国権の最高機関での出来事であったりする。この程度か。もう中三に公民を高校生に政経を教えるのがしんどい。

志位くんのグレードでなんとかモっている。立派だと思う。日本の主権の「不在」を突いていた。ここ志位くんしか突けないな。

ヴェトナム戦争のキッカケとなったトンキン湾事件の「捏造」を挙げ、アメリカの「くせ」とも言える挑発、そこに対する政府の態度、評価を問うていた。当然、外務大臣は「むにゃむにゃ」言っている。アメリカの軍事侵攻に対して「賛成・支持・理解」しか示せない、これが今までのこの国の実情だった。おめでたい。

アメリカ追従を突っ込めるのはやはり共産党しかいないか〜。そ〜か〜。

しかし、アメリカが本気で日本の懐に手を突っ込んできている今、かれらの存在は貴重だ。もう左翼ではなかろうと思うよ。強いて言うならリベラル・でいいのではないかな。おれの意見ですが。志位くんの「クソマジメ」は今・必要だと思う。

ポツダム宣言の指摘も、バカ首相チョンバレを引き出したし、やっぱり首脳はある程度のインテリであることは必要だ。志位くんはつまらない「言葉遊び」はしない。言葉を粗末にする首相と市長とは知性の種類が異なる。おれは別に赤旗取ってるわけではないが。でも、ちょっと、逆方向に振れすぎた。市長の責任はそこ、重い。まだ、大阪以外での復活は、おれはある気がする。日本の空気次第です。大阪からは消えていただくことは決まった、としてもね。えっ、そこも「?」なの?

でも審議を見てて、思った。昔、おれは「速記者」の彼女がいたが、まあ彼女らの誇りは正しい文章をいかに速く、タイピストと同じく、速記文にするかだが、国会審議のタイピストの方々「厭に」なってないだろうか?余りにもアホな政府方面の言葉に。速記者の方々はおそらく「マシン化」して、ということはオノレの「論理性」を棚上げして、現場では速記をしていると思う。そしてあとで「文章」へと戻す時、論理を棚から下ろすと思うのだけど、「ん、なんじゃこれ?」ではないのかとやや、同情する。

彼女は今も速記をやってるのだろうか?おれ、結婚してるの隠して付き合ってたなあ。ごめんね、すみこちゃん。そんなんばっかり。道で会ったら殴って。現在の御多幸をお祈りしております。



日本は沖縄に「追い越される」と思う。
posted by 浪速のCAETANO at 17:21| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

暑いとな、、

史上最暑の5月なんだそうな。

必要以上に外出ないからね。そんな実感もひとつなのだけど。

ただ、もう今、好んで赤を飲もうと思わんもんね。なるほどね。昨日から本格半パン男化している。たしかに昨日は暑かった。インドの熱波で1000人超亡くなってる。50℃寸前というからサウナですね。おれ、風呂も冬でも42℃であるから。ただ、暑いのは、というか汗をかくのは嫌いではないが、程度問題だ。次元の違い。

日本の、原因はどうあれ、亜熱帯化に対するには昼はもう極力外出避ける。水を飲む。そんなことぐらい。そんなことぐらいでいいのではないか。あとはオノレの生物としての「オートノミー」に頼るしかないでしょう。それでダメなら「チーン」だが、その際のチーンは納得のチーンではないか。蘇生措置しないでね。「自然に」「自然のちから」によって死に至る。悪くないねえ。

もう、いろいろ「捨て鉢」になってるのだが、それで自然ならばいいんでないの。大体、現代人の自己内面肥大がメーワクな話なのよ。大したヤツでもないのが「おれ・おれ・あたし・あたし」めんどくさの北極である。南極でもいいんだけど。

大したヤツ、ということになってるヤツが大したことないことも多く、だからそれを大したもんだと思うことが、道を誤るわけで。早く気づいた方がいいよ、相対的若者たち。きっと「無理」だと思いますが。スマホなどいらってるようではまずムリ。SNSやってるようではムリ。そういうこととは対極にある「何か」に耽溺して生死を彷徨う、とか。たとえば。無責任発言ながら。

老いも若きもあんまり関係ないのね。ただただ年取ることで得られる情報なんて息さえしてればいずれ身につく。わかる。何かを悟る・覚醒するには70年は短いのだろう。おそらくだけど。

ジャンキーの中から預言者が現れる、そんなテーゼに一票入れたいね。ただ、確率はものすごく「落ちてる」が。クズの中のクズ、多すぎてそんなヤツに出会うのはまあ宝クジほどのものだが。

妄言かな。

毎日妄言、そんな意見もある。

暑い時には「もの考えない」のが習慣化してる。今年は「アホ」PERIODなが〜い、のかもしれない。いててて、だ。


posted by 浪速のCAETANO at 13:57| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月26日

学校にて

いやー、昨日もよく働いた。普段、実働3時間のオトコが9:05から21:35まで教えてた。あと3日で解放。

昨日はでも学校が面白かった。VIETNAMESEたちとの7時間なのだが、数学の各記号を日本語でどう読むか、を次々に質問してくるやつがいて、最初はいはいとその都度教えていたのだが、そのたんびに話が止まるから、「もう全部訊け、なんでもおしえたる!」ということに相成り、「Σ、刀Alim、Δ、log、α、β、Γ、(   )、| |、//、{  }、[  ]、<、>、...........~~~~...................」とバカによるバカ講義は続いたんだけど、去年までの中国人学生たちとは異なり「漢字」がなかなかスッと通じないのね。だから、カナになるのだが、まあそのぅ、読みやすいのはカタカナより平仮名やろ、などと、変な親切入りまして、「しぐま、いんてぐらる、りみっと、でるた、ろぐ、あるふぁ、べーた、がんま、かっこ、ぜったいち、へーこー、ちゅうかっこ、だいかっこ、、、、、、、、、、、」と書いていったのを後から見るなら、おれは「ポンキッキのおにいさん」だった。

不等号に関して、もうおれの授業では「<」は「く」「>」は「くの反対」でいいよ。=ついてたらそれぞれ「く・いこーる」「く・のはんたいいこーる」でいいよ、と強調するのだが、それには頷きも不審感も表さず、「、先生、「本当は」なんと読みますか?」と訊いてくる。まだ、イマイチ信頼関係が築けてないみたいではある。だはは。

ま、しかし、おれも日曜は頑張って物理の予習してるからね。しかしさあ、こんな国でゴメンね、という気もしたりするわけである。複雑。

今の日本は大阪がわかりやすかったけど、事態の、カタストロフィへの進行を、なにか他のいらんことを懸案事項に掲げることで一旦忘れさせ、そこにコストかけて、デモクラシーが機能してるように見せかけてる。ちょっとそれ「保留」。それを何度も。そしてその一回がどんどん時間もコストも増大してる。その見せかけは、他に対してというだけじゃなく、「オノレ」に対してもそう思い込むことで来たるカタストロフィを永遠に忘れておきたいか、のようでもある。「THE GREAT PRETENDER」。その時犠牲になるのは、これまでの70年である。その70年を「栄養」としてそいつらはオノレの自己実現と私財蓄積に励んでいらっしゃる。頻発する中程度の地震と火山の噴火。本当は「もう、あかん」と奴らの方がおもってるんだよね。だからこそ、なりふり構わない振る舞いが出来るんだと思います。彼らのレヴェルではもう終わるのだ。そのために「精神を病んでもいいから」シラを切り通す。そういうつもりですね。

それでも、ヴェトナム人学生には「いまだに日本は彼らの国よりいい国」と映っているとするなら、ここでおれはやや混乱してしまうのである。もう少しカシコくならないとそこんとこ何とも言えない。よく考えてみようと思う。数式をおしえつつ。

月曜日、いつも雨だったから、電車通勤だったが昨日は久しぶりに「一人力」。少し余裕持って出て、チンタラ漕いでいくのは悪くない。アルバにて「市民」であり続けれたことを祝して加賀カレーを食って御堂筋を逆走して帰ってきた。来週もチャリで。





posted by 浪速のCAETANO at 11:34| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月25日

アンチ・メンデル、アンチ・ダーウィン

NEIL YOUNGがモンサントに「中指」立ててる。

モンサントは酷い。そのターミネーター遺伝子を組み込んだ種子の実態を恥ずかしながら最近知った。これ酷いよ。

そのターミネーター遺伝子とは種が二年目に発芽しようとすると自動的に「自殺」することをあらかじめ書き込まれた遺伝子だった。だから農家は毎年モンサントから種を買う必要に迫られる、というわけだった。

これで世界の農業をオノレの手に。TPPにはいったらもうチーンだよ。

そればかりかさらに奴らは悪知恵を思いつき実行に移す。それが「トレーター遺伝子」なるもので、遺伝子の中の「優性」「耐性」を持つ遺伝子を破壊してしまう。こういうの何て言うのだろう。要は「劣性」を優性の立場へと置き換えるわけよね。だから、弱く、根性の無いあかんたればかりができる。それらはクスリや抗生物質が要る。それもモンサントから買わせる。そんな仕組みにしてしまいつつある。

種の保存や自然淘汰といったものを恣意的にいらい、金儲けをしている。メンデル先生・ダーウィン先生、草葉の陰で泣いているはずだ。

その発想はどこから得た?と考えるのだ。日本のバカ親の子育てではないのか?どうもそのような疑念に囚われる。

ユダヤ系ってやーねー、だ。
posted by 浪速のCAETANO at 17:06| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月24日

銅鐸のことから

銅鐸が発見されたという@淡路島。
騒いだり喜んだりしているが、またすぐ忘れるくせに。

あのですね、銅鐸の仕組み、使用法の想像、そんなことへの解説、まあやってもいいが、では「銅鐸とは一体どなたたちのもの?」

洟たらさないの、そこで。

銅鐸は近畿・中国・四国で発見されている。多いところでは兵庫(淡路島はその40%ほど)、島根、そして近畿全般。

銅鐸はこれだけ発見されていながら、その「誰のもの」かを論じることができないために、歴史的にいつも宙ぶらりんということになってる。みなさん、手に余るというのがよくわかる。

イデオロギーとしてのではなくリアリズムとしての万世一系を信じている方なんていないと思うが(どーなんだろ、ほんとのとこ)、それによれば神武はBC660年ぐらいの人ということになる。だったら銅鐸はその時代にバッチリじゃん。

しかし、残念ながら「古事記」「日本書紀」に「銅鐸」は「ただの一言」さえ出てこない。

何を意味するか?近畿の天皇家とは「無関係」。そういうこと。

吉備の勢力を伴って、というか、に守られて近畿に攻め入った「サヌ」は九州王朝の傍流で、九州王朝と「神」を同じくし、それを誇りに樫原の地に100年ほど「その勢力」に囲まれて過ごしていた。時は未だ「弥生」終盤。であるから彼らの9代までの墓は「しょぼい」。古墳では、ない。

囲まれているから、武器は作れない。で、その辺にあった銅鐸をこわして再度銅剣へと作り変える。壊された銅鐸が樫原でよく出る。ほんとはもっとあったのだが銅剣にされたのね、ほとんどはね。

サヌ、つまり神武の系統がISのように占領地域を拡大するのは10代崇神のころからである。崇神は「ハツクニシラスノミコト」。ハツクニ=初国は元国に対する概念で、「新しく得た地域」を指す。「その勢力」の拠点への進出ですね。

崇神の時代にはいろいろ面白いことが起こる。樫原は神武の系統の支配を受けている。支配というには現実的なことだけではない。信仰の問題がある。征服者というか、その地域を新たに治めだしたものたちの神を民にも強制する。ISのように。

大神神社というのがある。山そのものが御神体であるが神は蛇だった。そのカミ=大物主神への信仰は支配者によって禁じられていた。しかし飢饉が起こり、疫病が流行、民にも不満が募る。われわれのカミへの信仰の禁止が原因であるということになりがちよね、そんなとき。

そこで、旧信仰の祭祀を司る事の出来る者を探す。河内の地に大物主神の子孫のオオタタネコを発見し、連れてきて以前のやり方の信仰を民がとり戻す。

タケハニヤスノミコトとの現樟葉での戦いもこのころ。タケハニヤスノミコトは当然「その勢力」のひと。クズハはタケハニヤスノミコトの兵が切られてウンコまみれで逃げたという、「クソ」→「クズハ」ということね。地名神話だけどね。@木津川。

「その勢力」とは銅鐸を祭祀の具としていた「饒速日命の国」である。そして銅鐸の鋳型がもっとも多く出てくる南茨木・東奈良、そこが中心である。中環沿いにあるね。

そして、ここからがPOINT。銅鐸は出雲・荒神谷遺跡でも50超出てきた。神武以前の近畿と同種のカミを祀っていたということになる。出雲といえば「大国主神」である。列島の最初の王と言ってよかろうかと思う。出雲勢力範囲は過去の「表日本=日本海側」の筑紫〜越の範囲に限られるだけでなく今の大阪・奈良から四国・中部地方までに渡っていたという可能性だってある。「国譲り」の際に、タケミカズチに負けたタケミナカタが今の長野まで逃げて「諏訪神社」の主神になったことを考えればね。

であるから銅鐸を祀る「その勢力」=饒速日命の国は出雲と深い関係にあったことが窺える。大国主神・須佐之男命・饒速日命の血縁関係も同様に。列島初のもっとも高貴な一族だったといえようか。

飛ぶが、バカ学者のみなさんが、九州王朝の存在を認めないから、そこ飛ばして「出雲と大和」関連のそんな本いっぱい出して結果人心を惑わせるというより「?」をさらに増やしてるのだけど、そこは、所謂大和政権と出雲は直接は無関係ですよ。そもそも大和政権とは「天智」「天武」のその後の時代、正確には701年からなのにね。「旧唐書」には倭国・日本国、「新唐書」には日本国のみ。こんな簡単なことがどーしてわかんないかな?

戻るが、天照大神による「反逆=国譲り」で筑紫〜出雲の支配権は奪われたけれども近畿圏は手がつけられなかった、あるいは国譲りを契機に饒速日命=ニギハヤヒが近畿へと天下った@磐船神社・ということも考えられる。国譲りはBC1世紀ごろのことである。

魏志倭人伝に出てくる卑弥呼の邪馬台国(邪馬壱国)にどうしても従わない「狗奴國」とは「その勢力」のことではないかと考えている。だから卑弥呼と同時代の傍流のサヌ=神武がその情報を「持っていた」のではないか。神武の「カムヤマトイワレヒコ」という諱(ヒコ=長官)もそれを送った者は卑弥呼の次の九州王朝の男王であるかもしれない。神武たちは九州王朝と「そのカミを同じくする」ことがプライドだったのだから。

天皇家とは「一切」関係のない銅鐸。まあそのう、天皇家というのも大変タッチィな言葉ではありますが。本居宣長・松下見林・そして津田左右吉さえもそこはおかしいわけですから。

記紀に一言も出現しない「銅鐸」から「その勢力」の国の存在を一度想像してみてください。

異論・反論、anytime welcome!

posted by 浪速のCAETANO at 12:19| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月21日

熱が、、、

なんやねん、今日の方が「より爽やかぢゃないの」と外メシ男は恨めしく窓から外を眺める。

しかし今日は散髪。店長に染めて切っていただく。お返しというわけではないが昼飯を振る舞う。本日はペスカトーレと白。「エコマネー」のようなものかな。

夏にやる予定の南部音楽研究会「Los Solos Lobos」のライヴ音源をきいて曲決め、相撲を見ながら、生徒を待ちながら。

今はBobby Charlesの「Grow too old」がおれが詞を書くと「男じゃなくなるその前に」となり、歌詞中には「ジェームズ ジョイス」や「ED」まで出てくる画期的なものとなった(のかな、わからん)。

LobosはリードVOが3人いて、THE BANDみたいでもありTHREE DOG NIGHTのようでもあり、ここはおれがやってるバンドの中でももっともアマチュアリッシュな感じ。オリジナル曲も3曲ほどしかなく、あとは全部南部音楽のカヴァー。でも30年間、床の間に飾って手をつけなかった分、変な年季入っててやってて楽しいのね。ギターもいっぱい弾けるし。

やっぱり季節柄かね。そこに存在する熱量が増えてくると視線は南へと向くんだね。ま、今は東になんて向いてられんからね、放射能で。意味ちゃうが。その芳醇が現在あるのかないのか、それもどうでもいいのだが、まだあると思うね、おれは。ただね、誤解や曲解の果てにできてしまう音というのがいいのよ。

ま、ほかにも「プロジェクト」といえるものはある。あったかくなって、ちょっと面白くなってきたね。南を見る際の視線の先にはなんちゃらネシアとかラテンとかがさらなる豊潤を伴いつつそこに在るわけで。脳内活動をいかにリアリティとして花咲かせるか。そんなとこしか刺激ないよね。

ワインを飲んじゃったから今強烈濃いいCoffeeで社会復帰中。間に合うか?
posted by 浪速のCAETANO at 18:05| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月20日

wonder wonder

チャリンコ、6月からイアフォンしながらだめなのね。

そんなこと、あまり自分はしないが本日ごはんを炊いてたのを思い出し急遽お弁当製作。ちょっと爽やかというにはウンポウコ高めの気温ゆえ淀川河川敷ではなく公園のベンチ beneath a tree そんなロケーションを探す。

あったあった浦江公園のグラウンド側。ワインではなくロング缶を買って、そこまでの往路も珍しくイアフォン男だった。昨夜からロニー スペクターというかロネッツね、の虜となっていて、まあいろんなものの・人の虜にはすぐなるのだが昨夜〜本日は「The Ronettes」なのだった。

昨夜の店の最後は「I wonder」だったのだ。しかし、それはロニーじゃなくヴェロニカじゃん、とかそんなツッコミいらないの。まあ、ヴェロニカにしてもしょっちゅうロニーを聴き、バックで歌ってるんだからロニーっぽくもなるのね。バンドのギターがふたりおったら、お互い似てくるのと同じだね。

女の声・にはうるさい。ロニーは時々だがたまらない。この時期というかもう少しするとマリアの季節になるのか、とも思う。ただし本日はロニー・スペクターだった。

ロング缶を、弁当食うことなく空けてしまった。なぜか食欲が消えていった。あのハズレ気味のヴィブラートにやられるのだと思うが「クスリ」と一緒ですね。とめどもない至福感に包まれ食欲も、弁当食わずに満たされる。be my babyにはじまり、walkin' in the rain、baby I love you、do I
love you?、I can hear the music、so young、you baby、when I saw you、whydon't they let us fall in love?、is this what I got for losing you? そして I wonderとフィルの名曲が続いていくんだけど、フィルにはゴメンやけど、その意に反してronettesショボいスピーカーで聴くのもいいね。Still in prison?

ronettesはteen女子の「お○️んこ」の疼きを昇華させた最高のグループだが、そこ、おれも感じるところではある。ここまでstraightforwardにはいまさらできないが、時代だけどね。ESTOY ENAMORADO AGORA?など自問自答してみたりするのだった。そんな気にさせる。良かった時代の少女の感覚。少女は女になり、またそこややこしいこともいっぱいオノレも周囲にも持ち上がってくるのだが、LOVING LOVEな状態の少女がロニー・スペクターによって歌われる時、時間が止まりそれを聴く人間をteenに戻す、そういう稀有な歌い手だったね。耳から脳を通して下半身にくるね。ユーミンでは下半身には来ないもんなあ。そのある意味「下品」なとこがいいのね。そんなときもあるのだ。

一晩、幸せだった。

posted by 浪速のCAETANO at 16:14| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月19日

太陽主義で

よー働いた、昨日のことだけど。学校で7時間、帰って4時間。へとへと。
うちの椅子も埋まってた。中間テストだった。商品券で買ってきてたデパ地下dishがなかったなら、いこい行って誰かとケンカしてたかもしれない。ってのは嘘だけど、とも言えんが、消耗した後の酒ってなんか空元気を演出するとこってあるじゃない。落ち込み度合いを「絶対値化」するみたいな。あんまりいいことではないですが。

おれは少なくとも今週いっぱいは身動き取れんが、来週もかなあ、ちょっとましかな、大方今週で終わるんだけど、一人だけ来週からといった嫌がらせ女子校があって、もうブリーフ一丁で校庭で暴れるぞ、など一瞬思う。思うだけね。第19条思想・信条の自由。

大阪市民、市長・府知事・首相とどこまでも「独裁」の元にいたのだが、下方の蓋2つは取れそうである。市長は苛立ったときに「ホンネ」が漏れる、しかもちょっと「盛って」という癖があったからまだおれは「かわいい」と思うわけである。もちろん、大阪のこの7年半の停滞〜沈降の責任(市長の言に反して政治はもちろん経済も更に悪化した)はお前にしかないが、そこはほら底で繋がる官邸との見えないようにするけど見えてしまう連携みたいなものとの政策のというか一義的には政局上のお互いの都合でやられてたわけね。おれたちは、大阪市民はという意味だけど末期ローマ人でした。

かわいくないのはやはり首相のほうなのね。やらしい権力者の全てを持ってると思う。能力のある、というか金で転ぶ側近とその裾野の拡大。

ただ大手を振ってその二者の連携がとりあえずなくなったことだけは良しとしようかと考える。

あれですね。改憲の住民投票のシミュレーションとしてはいいテストケースにはなったでしょうね。その分析ももう始まっているはずだから。大阪市民もまた「モルモッツ」だった。いがみ合うことの「愚」を悟ろう。

今、もっとも注意しなければいけないこと、それは姑息な事実上の「憲法ないがしろ」だ。

自民党がこれだけ極右色を前面に押し出してきたこともそうそうなかった話で、それは世間のムード、それは大方下請けの代理店による「アーティフィシャル」を背景にしているけれど、実際世のアタマパーの人びとがこれだけヤラてるんだもんね、それは奏功してるわけよね。

一体何処へ行こうとしてるのか。いや、みなさんを「崩壊」させることがオノレらの利益になることに気付いちゃったわけだから、ただ、良心も同時に失ってしまってる、ヒトとしての、そこはこれもうどうしようもないかなって気もする。

誇りさえももうないのね。

状況はなーんにも変わらず時系列としては悪化の一途、なのに大阪市民はわけのわからん喧嘩吹っかけられて、それに対処しなかったら全国に先駆け、崩壊の1パターンをお見せすることになったわけだから、これこそ「徒労」と言えること。でも煽られた対立は残っていくのだろうと思えば、おれは自分の周りだけでも穏やかさに徹しようと思ってる。元気があるのは「賛成派」。元気ない側の、北風と太陽なら太陽主義でね、とも思う。

みなさん、いろんなことを言われているが、ごもっともだらけだが、大阪市民以外の方々の、というかそこに絡まない方々の「研究対象」化にはちょっとだけイラッとくる。ちょっとだけね。ちょっとだけよん。

現場は大変で、おれもまあドキドキしたのよ。
posted by 浪速のCAETANO at 12:34| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

STILL

自分の投票が「実を結ぶ」なんて、珍しい。

しかし、キワキワにもほどがある。

大阪を引き裂いた罪、大きいな、あの男。大阪を騒がせた罪も。大阪人に「嘘の夢」を見させた罪も。その間に実は大阪を停滞させた罪も。だれか民事訴訟起こしてよ。

人心は荒れたなあ。人を敵と味方にあぶり出し、いらんことしてくれたなあ。しこりは残ると思う。もう店でもこの話は終わり。ヤメ。

周辺の、北区や中央区からは遠い区の開票が遅れてたから希望を持ってた。最初は嫌な感じしてたけれど。大阪でも二極化は見えるね。大阪のローカル、どちらかというと古い地域、地味な地域の意識が、これ保守といっていいのだろうけれど、大きかったといえるだろう。

新しいもの、ここ、停滞からの「うーん、もうっ」なのだろうとおもうけれど、そこになんか賭けたいひともたいへん多くいるということがよくわかる。

少し「沖縄的」なニュアンスも感じるよね。そういう意識で東京に対峙してもいいのではないか。沖縄とUNITEしてもいいのではないか。卑しい大阪はおれもいやだもんね。いい機会ではないのか。

しかし、酒はそんなに旨くない。
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2015年05月16日

不在中に

大抵、店には行くようにしてるのだが、たまたま前日朝までコース、当日、翌日仕事たてこむ、みたいな場合、パスすることがあり、そんなとき意外におもしろいことが起こってたりするものなのね。

トドムンドは中津民  :  非中津民が以前は 2 : 8ぐらいだったのだが最近やっと中津人民にも、色々あった後少しずつ浸透って言うの?安全確認できたみたいなものかなあ、その中に外部からの人びとが増えたこともあってか、おもろい店みたいなことがやっとわかられてきたこともあり3: 7、あるいは3.5 : 6.5ぐらいのとこまではきてる。いやー、保守的というか、クソど下町だったところ、目に見えるとこに高いビルばかり建ってきっと何か「引き裂かれた」感覚なのだろうな、なんだかその精神には「ねじ曲がった」かのような屈折を見ることがあり、もっと素直になろうよ、元はいい子でしょ?の、ようなおれの上から目線には取り敢えず逆らっとくというか、無視しとくというか、そんなオトナゲナイタイプ多いんじゃないかね、あ、また敵作ってる?

まあ、そういったbackgroundがあって、ただいつもは平和なのである。ひとり、中津のおっさんがおりまして、定年デヴューっていうの、突然いろんな意識に目覚めたみたいなそんなおっさんおりまして、やたらに「中津ネイティヴ」を根拠に、うちの店でも、特におれおらん時に我が物顔なふるまいが目立って、議論ふっかけるわ、わからんことを教えろとうるさかったりとか、「ちっ」だったのだけど、おとといちょうど、おれがパスの日にそういった振る舞いありまして、その際に常連の皆様からの一斉射撃、という目に遭ったみたい。だははは。

そっちの方が良かったね、と昨日店長とも話してたのだけど、そのおっさん一緒に来た学者先生は位置的にもその間にいて延々の「寝たふり」だったというのがもうひとつの、くくくく、でした。

そのトピックがどうも「明日の選挙」だったみたいです。そのこまったおっさんも以前は市長支持だったのだけど、言って聞かせてやっと反市長派にさせたんだけど、となると話の推移がわからんが、えっ、うちの客は「なくなれ派」ですか、みたいな推測もでき、だったら「あ〜あ」なのだがね。

おれは「VOTED」。

さて明日、どうなるのだろう?「当事者」としてはとっても気になります。
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2015年05月13日

厭な言葉たち

新聞に「賛成・反対」両方の広告が入っていて、その裏面に、反対には写真、賛成にはイラストで首相が載っている。不愉快だ、非常に。

人気者あつかいである。その不実にもムカつく。何様なの?という気にもなるってものである。

アホの学者・コンサルのオヤジが「都構想は東西ドイツの統一だ」なんて言ってる。写真を見たらかなりのバカ面だった。

投票行ってこようかなと思ってる。今日。

聞き手のコアなところへ届く言葉ではなく、大音量と反復によりひとをすっぽり覆い他のことを聞こえなくするような言葉。それらが市長や首相から発せられることに慣れっこになっちゃだめなんだよ。自分のアタマで考えなきゃ。

ただし、それも今は「むずかしい」のだろうな。他人が使ってるような言葉しか使えないのが現状なんだよね。カジュアルな場で使われてる言葉は内面をえぐってえぐってできた傷をさらに微分しておれたちの気持ちから「遊び」をどんどん奪っていくし、その中から浮上したものは市民権を得て逆転し、超アバウトな乱暴さで覆わんでいい人間まで覆っていくのね。

今、言葉があかんのではないか。

なんて言いつつ、超アバウトってかい、そんなツッコミ、グラシアス。

いや、あんまり喋りたくないもんね。外国人と付き合ってたほうがマシなときがある。「通じない」が前提になること、が美しい場面もあるということだ。外国人だけというわけでもないが、伝わらない、が前提になった時、言葉は真摯さと同時にある種の官能性を取り戻すと思う。

説得、が相手の内部に届こうとするときはなにかしらセクシーでもあるよね。そんな場面ってしょっちゅうあるわけじゃないが。

おれは歌うたいのくせに、他人がよくわからん言葉で歌うのが好きだ。何を考えてんの、あんた?みたいによく言われるが、まあ「ごもっとも」なのですが、おれ自身がアホのスノッブかどうかはおいといて、言葉、それもあまりに通じる言葉は「全部持っていく」でしょう、そこが、なんかもひとつなのね。そこ、ちょっと慎重になる。慎重になって早30年。未だ結論出ず。もちろん詩も書くし、オノレが書いたものは責任持って歌うけどさ。洋楽で育ったからか?それもあると思うが、もちろん日本語の歌にその完成度の高いもの、あるが、その周りの大量のウンコソング、しかもぞくぞくと排泄されるかのようなウンコソングスに過敏にやられてるのかもしれない。聞かんといたらええやん、なのだが、もちろん聞かないが、オノレの聴き手を前にした時に現場でいろいろ感じるのだ。そんなフィードバックにやられてることもあるかもしれない。

まあ、いい。課題は残しとくほうがいい。

ネガティヴな意味でキーになる人びとの言葉の使い方に斜視になってるバカの独り言だった。

投票行ってきます。




posted by 浪速のCAETANO at 11:54| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月12日

雨降ってきた?

季節外れの台風が来てる。台風も早漏。何でもかんでも「前倒し」。

試験前で生徒たちが毎日来ることになってるけど今日の夕方〜夜、若干しんぱいだな。みなさん電車である。風はそう強くはないみたいだがね。しかしこの様子ではもう何十個も来そうである。いまは「通路が」できている。

みんなの前にオノレが大和川横断往復しないといかんが。本日はぴったりフィットの帽子にしよう。阪堺大橋の風はふだんでもまあまあ強い。

忙しさは突然やってくる。昨日から突然やってきた。おのれで調整できそうでできないところが「うーん、もうっ」だ。これから月末までは休めないね。ま、しばらく遊んでたからね。戻さないと。順応を待つ。

この午前中の時間が自分を救ってるなあと思う。夜は仕事だし、あとは酔っ払いの相手しつつもこちらも酔っ払ってるからね。

さ、アホなこと書いてないで「Let's get busy!」


posted by 浪速のCAETANO at 11:35| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月11日

どっちなのか・どうなのか

世論調査、少し安心するが、まだどうか分からない。週刊現代の広告には市長が勝つ、と出てる。期日前投票行こうと思ってる。今日から突然大忙しとなったけど。

昨日、店長の風邪をやや心配して店に行ったのが失敗の元だった。新規はくるわ、タコス屋はくるわ、彫り師はくるわで、ちょっと面白く、「もうちょっとだけ、ちょっとだけ」と思ってたら3時なっとった。

朝起きたら8:30で遅刻スレスレ、迅速な御堂筋線で助かりました。大阪地下鉄えらい。しかも黒字。民営の必要もなし。当然大阪市解体も「必要なし」となるのよ、橋下くん。キミ負けたら極道知事とともに辞める言うてたよね。

こっちもそうだがそっちもね。

そっちとは安保法案の与党合意だけどほんま、公明党カス。巨悪よりもちょっといい子ぶってるやつが罵声を浴びるのってでもわかるよね。「結局そうかよ」て言うのがね。

奇妙なことをいう方がいる。

憲法第9条よりも「人権」の方が大事だ、と。

何かしらの「転倒」「倒錯」を感じるんだよね。何かを勘違いしてるのではないかなあと思う。その方はおれよりも若い。「倒錯」はひょっとしたら言い過ぎかもしれないが。

さきほどの右翼自民党が巨悪なら、9条は「巨善」と言ってもいいかと思う。ご存知のように現憲法の三大柱は「平和主義・国民主権・基本的人権」と言われる。そう言われるとなんだかその柱は別々に屹立しているかのようなイメージがある。ただ、しかしその中でこれが壊れたら他の2つもなし崩しになるものがあるのではないかとおれは思ってる。それがなにかというと、それは「平和主義=戦争放棄=9条」なのではないかな。

考えてみてほしい。「戦争状態」になった挙句、いや戦争できる状態でもいいけどさ、国民主権や人権の尊重が成り立つだろうか。翼賛状態、国家主義になってるよ、もうわかりやすく。国民の人権が守られてる「戦時」なんてあるかね?アメリカの9・11後を見てみたらわかると思う。

なによりも、おれらから見て「巨善」の9条を変えるために、その周辺、外堀を埋める作業が着々と進んでいて特定秘密保護法、マイナンバーなどの施行がまさしくそうでしょう。

それは9条を変えるためのステップだと思う。前段階。

「お試し改憲」だって。ナメてるにもほどがあるなあ。「先っちょだけ入れさせて」ということね。

市長の「何かをゲットするためには何かを手放さなきゃならない」という言い回し、アホは引っかかってるよ。大阪「市」を手放して、政令指定都市の特権も手放して、な〜んにもゲットするものってないんだけどね。その言い回しに引っ掛かってるヒト多過ぎじゃないかなあ。彼らのパンフに書いてる「市が5つの区になっても行政サービスが低下することには『ならないことになっています』」てなんやねん、とそこでウソ見抜かなきゃ。

本当の「悪」の周りに端役やわけのわからんセリフやらがわんさか存在して実体が見えなくなってる。で、ダマされる。大阪市民もすでに「劣化」していた。そこから始まってたわけよ。しかし、これ国にとっても「いいテストケース」と注視してるはず。負けたら、「国」の事態にも加速度を与えることになりそうな。よく考えましょうね、大阪のひと。

posted by 浪速のCAETANO at 21:25| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月10日

初夏のDomingo


毎日3時4時5時まで飲んで帰ってくるが朝(というか昼)起きて窓を開けると爽やかな空気がそこにあって「なんと良い季節!」。

昨日は31歳元生徒たち&連れの来襲。「アホ」ほど可愛がられるマルタニ塾の伝統の1pageを体現するそのアホ当人たちと、ここにはとても書けんようなバカ・エロ話をドア開けてでっかい声でしてた。バカ話のほうなら大丈夫だろうか。だろうが。

しかし、よく「あんな塾」存在してたね。

今も場所とカタチを変え「細々」と継続しているけれど。

当時の様子は、おそらくみなさま方の想像を「はるかに」超えていると思う。おれは別に教育者なんてもんではなかったし。なんだろ、教育者って?

ただただ毎年毎年、メンツが変わりムードも変わり、なんやねんこいつら、などと思いつつも自然と仲良くなっていく。若い友だちみたいなもんだね。で、おれも目の前からいなくなる人間のことは「すぐ忘れるアホ」なので、「はい、つぎ」と対象は移っていく。そんなことの繰り返しを30年間やってただけだった。ただやつらにはかなりの「強烈体験」だったことは今来るやつくるやつの発言に「共通」している。なにしたのかね、おれ?まあ、カリスマ、あった時期だしね。

昨日も元生徒ではない、連れ、の方がCOWBOYSのCD、買ってくれた。いやー、タバコ代になるよ、ありがとう。しかし、あのアルバムは録音・エンジニアリング、最高だね。前川、友野、マルタニのトライアングル、見事に結実してる。PRODUCEとCO-PRODUCEね。


さてさて、日々加速度を伴って劣化していくこの国の様子、劣化がデフォルト。もう半分以上諦めてるが、それでも「なんかできることが…」など思うこともある。今、ヨドバシ前で反維新で演説会やってるみたいだけど、それはいいけど国レヴェルではなかなかそこまではむずかしいね。地方自治は民主主義の学校・だから、大阪市民も「いい経験」の中にこの一週間はいることになる。沖縄県民見習って。それが実をむすぶ、とかはわかんないが。いい勉強・薬にはなる。ただ、その反省を活かす場があるかないかが「?」だが。実験場。おれたちが「ザ モルモッツ」だったね。来週、天気のいい日に区役所まで行こうと思う。実は「当事者」だったのよね。

では予習予習。






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2015年05月07日

something new

音楽を「音」で聴く。その場合の音ってのは、音質でも音響でもなく、音そのものという意味だが、おれたち、と言っていいかどうかよくわかんないが、おれは何かしらその音そのものを音質やら音響やらを取り除いて聴く回路を内在してるみたいで、ちょっとその手の音楽に「再会」でしたかなと思ってる。

音そのものとは作り手、演り手の出したい音を理解・判断することだと思うが、だから90年代と言ってもいいかと思うが、録音技術が発達し過ぎてしまった時代以降は欧米の音楽の多くはミュージシャンのものからエンジニアのものへと移り変わっていったかのような印象を受けていた。もちろん優秀なエンジニアたち(ZAK、杉山、前川くんなど)はミュージシャンのの出したい音、それが生音であろうが電気音、電子音であろうがそこに寄り添ってくれると思うのだが、よく考えてみたらかつて聴いていたR&BにせよBLUESにせよ大した音質でもなかったし、だからこそ、その表面には現れないというか表現され尽くされてないというかそんな本質とかってに自分が考えていたものを「幻聴」するクセがついたと思う。

ゲイトリヴァーヴなんて今聞くと恥ずかしくなるな。たとえば。スティーヴ リリィ ホワイトも忘れたがってるんじゃないか。たとえばギターの音ならアンプまで、でいいんじゃなかろうか。シミュレーターいっぱいあるが、まあ使いようだけど、音の中に弾いてる本人の指が見えないとおれは嫌だな。そういう使い方ならいい、というかおれもしますけど。

演り手の熱が伝わればいい。そのためにはいい音に越したことはない。ただこれが常識化しすぎるとまた変なことになる、という気がする。もうなっているんだけれど。

音に「安モンの化粧」はナンボでもできる。誰だったか、嫌な時期に「曲はアレンジで聴かせる」なんて言ってたおそらくおれには敵、がおったが、バカも休み休み言えとか思ってたなあ。曲も「すっぽんぽんなっても聴くに耐える」でなくてどうすんのよ。流行りのアレンジの誘惑はあっていいけれど、それも程度問題。音楽は曲である、と思う。もひとつ言うなら、当事者のガッツ。その条件が整ったあと、エンジニアとの二人三脚が始まる。そういうの理想だと思うが。今、どうなのかな。

A Decade-IN FAKEが、というかおれが当時のメンツに「 辞めたけりゃ辞めろよ」かなんか言ってラテンに舵を切ったのは、1987年のことだった。「コンドル1」「コンドル2」がBOX RECORDからリリースされる。そしてDAVID BYRNE(TALKING HEADSですが)が「NAKED」をリリースするのが1988年。およそ半年、おれの方が早い。ここ、何度でも言うのね。この意味 「は?」な人多くて、それが現在のおれの不遇〜びんぼうの一因とも言えるのだが。ま、そこ、いいのだけど、当時のFAVORITEはNY SALSA。の中でも、WILLIE COLONだったな。HECTOR LAVOEとRUBEN BLADESもよく聴いてた。BOOGALOOも悪くなかった。CAETANOに出会ったのも当時。当然SAMBA 、BOSSA NOVA、ノルデスチにFORRO。同時にZOUK、SOCA、そこから仏領マルティニーク、グアドループでカデンツやらなんやら、COMPAにMERENGUE。あとCUMBIA de COLUMBIAね。ハバネラなんてビートを体内化したのも当時だった。オノレなりのマーティン デニー、アーサー ライマンを、なんて思ってたな。そんな中から「ハード コア」なんて曲も出来た。モントゥーノのカタチは「コンドル1」で取り入れてたけど、SONは当時は正直ピンと来なかったなあ。「ラッパ隊」に値打ちを感じてたのだろうな。FANIAのライヴとかに興奮したもんね。その後おれたちも12人編成になる。

ブエナヴィスタのときもあまりのRYの存在感の小ささがなんかなあだった気がする。当時は「BRASIL」行っとったんやな、気が。というかヒトリライヴが好きな時期だったかもしれない。まあなんか元気もなかったと思う。ミニマルへ向かってたかな、音楽も。ただ、一人で出来ない音楽ならすんな、なんて思ってたな。荒れてたのね。しかし、f' '(x)もそろそろプラスへと転じているはずだよ。

もひとつ幅広げることをやろうと今思ってる。愉しみはまだ残ってるみたい。素朴だがたいへん力強い音楽はまだある。

posted by 浪速のCAETANO at 23:48| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月06日

AS IT ISで

やっと、GW終わるね。

おれはお休みの方々に対して「羨ましい」という感情がないので、どなたが9連休だとしても16連休だとしても「はいはい、たっぷり休んで休んで、プルファヴォール」という態度ですが。人が休んでる時は働いたり用事を済ませたり、そんなのが好み。

その代わり、みなさんががんばってるときに、ダラけさせていただく。で、やっぱり遊んでるようにしか見えん、てことに相成る。働いてるのは、生徒の皆さんしか知らない。そこでもまあ、遊んでるみたいなもの、そういえんこともない。働くってなんなのさ。

まあそうは言っても、中間テスト近づいてきた。子どもたちと同じ精神環境で生き続けてるから、おれはいつまでもアホって言うか知恵遅れみたいなのだろうか?よくわからない。でもまだ今んとこ知恵遅れにも「人権の適用」はある。もうちょっとの間は大丈夫だろう。もうちょっとだけという気もしてるが。

tutorの帰り、住之江公園駅で維新のひとびとがパンフを配っていた。ちょっとした演説もしてた。けっこう危機感を持ってるみたいで、賛否はだから拮抗してると思うのだが、この2日ほど、店でおれよりかちょっとだけ若い客とその話になったが、維新支持者結構いる。

彼らには、市役所の職員とかのダラけ方とそれにしては相対的に高い賃金がやっぱりムカついてるみたいで、その相対的勝ち組というか安定組を不幸にしたいみたいで、それやっぱり欲望に色があるとするなら「black」やな、と思う。新自由主義の感性がその恩恵に与ってるというわけでもない人に蔓延してて、しょうがないなあと思う。そのとき、おのれらへのサーヴィスの低下に関しては「見たくない聞きたくない」と故南方師匠化してる。

条件悪い方から足引っ張るというのはオノレの不幸を薄めたいのかな。そうよね。「うーん」と考えてしまう。ヒトは社会的な存在だから、その気持ち、わからんでもないが、それでもやっぱり「うーん」だな。

店などやっているからかなと思うが、ちょっとした余裕のある方がいないことには「安い店」しか客来ない。トドムンドは別に高い店ではないが激安というわけではない。だから、みなさんがそれなりに潤うことは「いいこと」だと思ってる。まあこういう具体例を挙げるまでもなくだが、おれはあんまり人のことを羨ましいと思わないから、金持ってるをひけらかすやつならお会計で「0」いっこ足すぐらいのことはしてもいいかとおもうが、そんな極端なバカも来ない。だから不憫である。維新支持者。

納得のいく対価を払う・払える、ここ大事なとこよ。ビール一本で散々おれに質問しやがる若いのなんて頭突きしたろかこいつ、なーんて思ったり。まあ、トドムンドも年齢層上がってきてるからそんなのはさいきんはさすがにおらんけど。コラサォンのポーブリってやーね。

だから、大阪市解体構想には反対するのがいいと思うよ。ここは大阪だけの問題に留まらないという気がしてる。ポピュリズムの悪しき先例とも思う。口の立つ、というか嘘を自信たっぷりにいうヤツ・がただしいかな、そしてぶっちゃけるヤツに、その本音に見える言葉にヤられるという先例を作る気がするね。品のない方がリアリティなどという先例。それはこれから「いやらしいヤツ」の増殖を示唆するから。

迷ってる市民のみなさん、「今のまま」でいいのよ。






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2015年05月02日

ギターを探す

十三・梅田・天六と、どこにタバコを買いに行くか決めずにチャリに乗ったら漕ぎたくなり天六まで行く。

カレーを喰い、本屋とギター屋に寄り、そしてコーヒー屋で考え事をして帰ってきた。bossa novaだけというわけではないがブラジル音楽、ひんやりしてて妄想の成長を助けるな。オンナの声限定ながら。

もう暑すぎて、半パン・Tシャツである。ただし風は熱風ではないところが「初夏の値打ち」だねえ。永遠に…と願うが、地球の公転軌道はそない共感的でもなく、これこそ粛々とただただメカニカルに移動してゆくのだ。いぢわる。

おっちゃんのギター生徒にギターを選んでと言われてて、久しぶりに試し弾きをしてみた。GIBSON Jー45というやつなのだが、もう大体決めていたんだけど、良いギターに育ちそうな気配だった。ヒトも育つがギターも育つ。ホントよ。特にアクースティック・ギターは育て甲斐がある。育てようと思わんでもいいのね。コツは「仲良し」になることだ。育てよう、はおこがましく、共に育つ、が正しい。店長のハミング・バードはだからも一つ発育不全だ。ええ歳コイてから、なんかやりたいという方にはもれなく、ギターを弾きなさい、とおれは言うなあ。それは自分がいろんな時にギターに救われたからなのだが、ギターがあればもうなんでもできます。おれは世界のローカルミュージックをギター一本でも平気でやるが、もちろん他の楽器を敬遠してるわけじゃないが、最低一人でもやったるわい、アホめ、と誰に言うてるんかわからなくなったがとにかく、ギターだけでも工夫によれば出来るんだよ、と言うてるの。独創性の欠片が混入しがちなのもいい。混入などというとなんか不純なものが入り込むように聞こえるかもしれないが、そこにオリジナリティの萌芽を見ることができる。いわゆる我流ですね。我流がおもしろい。

Richard Thompson,Amos Garette,Robbie Robertson,Bart Yansch,みなさん我流の天才である。Les Paulもかなりおかしい。音を聞けばそれが誰かわかる、そういうのがいいのね。名刺内蔵のね。

あったかくなってくるとやっとアタマも身体も廻ってくる。冬の間はなんだかどんよりしてる。そろそろおれもダメかね、など思ってしまうが、やっぱ啓蟄のオトコは冬はアンダーグラウンドでした。これからこれから。
posted by 浪速のCAETANO at 15:57| 大阪 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする