10.14というから一昨日か、古田先生が亡くなった。新聞に載っていた。
今年の正月、府大のi-siteに講演を聴きに行った。最初で最後の生・古田武彦先生、あそこで云われた「イヌ」の話が気になった。「火を跨ぐ→犬を跨ぐ」ではないか、と云われていたな。
委奴=イヌとも読めますね。読みと感じの対応、貴字・卑字それぞれあって、しかし「い」にも「イ」と「ヰ」の違い、いま日本語は母音が5つってことになってるが、字の違いは発音の違いであるわけで「ア行」の「イ」と「ワ行」の「ゐ」は(ヤ行かな?)違うんだからね。
呼、という字、例えば、読みは「こ」ではなく「か」であると云われていたな。卑弥呼に対して卑弥狗呼という狗奴國の男王は「ヒミクコ」、そして卑弥呼は「ヒミカ」。日甕である、とね。甕棺(カメカン)は甕棺(ミカカン)であるからね。男性最終母音「O」、女性最終母音「A」なんてちょっと「震える」よな。そして卑弥呼の「甕依姫」の比定。
資料を「まっすぐ」に読むことからくるもどかしさの中から真実を発見されてきた。
もうおれたちは「戻れない」。戻れないんです。
もう邪馬台国ともおれは言えません。邪馬壱国or邪馬一国、そしてその読みは「ヤマヰ国」。もうおれは日本史、山川の教科書笑い過ぎて読めんもんね。
しかし、とおれは思うのだ。
みなさん、壮大は壮大なんだけど、ちょっと考えたら「ウソ」までは確信もてんかもしれないが、「?」なことはいっぱいあるはずよね。日本書紀のことですが、そこほとんどの日本人「新興宗教」入ってるから目曇りすぎなのである。そこ、根本、間違ってる人間がどんなに偉そうなこと言おうともおれには「なーんにも」響かんのね。歴史学者は大家と言われてる学者からペーペーまで、全員バカだし。その他の分野でもこれは「絵踏み」だと思う。
誰もいないんじゃないかなあ。おれは知らない。誰かおせ〜て。
某作家が安保法案に賛成を表明したまあ与党議員に対しては「あなた方はその法案に「ほんとにええぞ!」と思ってるならあなたは論理的に破綻している、「ほんまはよくないけど、立場上しゃーないやん」と思ってるなら倫理的な破綻である」という趣旨のことを書いてたが、ねえ学者のみなさん、あなたは一体「どっち?」と訊いて回りたい。安保法案じゃなくて日本書紀のことだけどね。
「論理的」な方は「倫理破綻」なしかないと思うけどね。guilty感じてる、とおれはフんでる。怖いよね。だから古田先生は果てしなくすごいのね。
日本書紀によって「その存在を消された王朝」があった。
それは蘇我氏を貶めたような抹殺のレヴェルではない。
架空の聖徳太子の栄光のモデルになった天子がいる。
それはフェノロサが法隆寺で見つけた後頭部に釘を打たれミイラのようにぐるぐる巻きにされた「救世観音像」のモデルである。
倭王・武は雄略ではあり得ない。
その上表文でもわかるように「文字使用」がすでにあった。そして仏教はかなり早い時期に(552とか538とかじゃなくね)入ってきていた。
石上神宮に今保管されている「七支刀」は百済王から九州の天皇に贈られたもの。
神功皇后は卑弥呼と委与の功績をパクっている。
ホンモノの天皇家の故郷は壱岐・対馬。
瓊瓊杵命が天下ったところ、それは糸島半島。「まっすぐ北に韓国に行ける」。宮崎なんて大ウソ。
神武はいたし、神武は博多から出発した。
吉備の勢力とともに河内湾に侵入した。今の淀屋橋辺りを舟を牽いて渡った。
長髄彦に敗れ当時の上町半島の先端から逃げた。現在の「西中島南方」である。
当時、摂津には「アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒ」の治める「銅鐸の国」があった。
大坂は、だから京都はもちろん、奈良よりも古く「発展」していた。
その中心地は今の茨木市東奈良である。
それがおそらく「狗奴國」である。
今近畿、岡山にある古墳、なぜあんなばかでかい墓を作れたかというとt半島・大陸からは相手にされていず、戦闘もなく、平和で余裕があったからなのね。
当時の流行からは、かなり、遅れてる。イモ。一地方内部での権力誇示。
邪馬壱国は博多。今都会は当時も都会。
近畿では「矛・戈」は出ていない。だから近畿邪馬台国は「あり得ない」。バカたちがゆってるだけ。なんとなく政治的=倫理破綻です。
福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は津軽の和田ちゃんのパクリ。
関東にも大王はいた。そのシンボルはやっぱり富士山。
九州のシンボルはもちろん阿蘇。「阿蘇山有り」。
中国の歴史書に「瀬戸内海・大和」なーんにも出てこない。行ってない。行く必要もない。単なる一豪族だから。
白村江の戦い。ここが「最重要ポイント」。
そして661…720この間にすべてのウソが正史となった。
そのウソはあらゆるところでバレかけている。例えば「郡と評」のこと。倫理破綻の典型。
天武・持統の「吉野」、桜の吉野ではない。吉野ヶ里の吉野。なぜ、そんなとこへ行ったのか?カクムソウがいたからに決まってんじゃん。
カクムソウ=マッカーサー。
大和には「格」がなかった。文化もない。だから新王朝とは言えなかった。それで九州王朝の連続という形をとった。
いろんな「フリ」をした。古事記をみてもわかるように神武以前の神代ではなく神武以降の天皇譚のなんと「素朴」でいたいけなことか。
古事記になく日本書紀に記述があるもの、これらはすべて九州王朝の史書からのパクリである。
その史書のひとつが「日本旧記」である。
また、銅鐸のこと、記紀には「一言」も出てこない。元、近畿中国地方には銅鐸を祭祀の具とする国の存在の紛れも無い証拠である。
そこら辺、バカ歴史学者、はっきり言わない(言えない)。
津田左右吉は間違っている。江戸の本居宣長や松下見林なんてうんこもうんこ、だが。
九州王朝以前は大国主の出雲王朝があった。アマテラスはその一の子分。
そしてクーデター。米を求めて瓊瓊杵命が降臨。まあ攻めていったということですが。金属武器を背景にね。釜山でとれた。
猿田彦は出雲王朝の人間。博多を治めていた。
新羅の王族に倭人がいる。
大和は白村江当時、新羅・唐と密かに結んでいた。
もう切りがなくなってどうしようもないが、この列島の過去に起こった出来事をランダムに挙げると(ほんの一部ですが)こんなことになる。
山川の教科書には書いてないことだらけ。これが真実なんだよね。元々「狂ってる国」なんだね。でもおれはそこ、正気でいたい。
これらすべて、古田先生に教えていただいた。
やり残されたことまだいっぱいあったはずですで、無念だと思います。
ニール・ヤングと同じくらい尊敬していた。あとは誰も尊敬などしてないが。人材不足。どーでもいいが。
心よりの御冥福を祈り、何かしら自分もその遺志の欠片を自分なりに発展させたいと思ってる。
お疲れ様でございました。