2016年03月28日

カーリングからAIへ

ヤカーリングではなくカーリング。

いや〜、面白かった。惜しかったけど。

しかし、世界の皆さん、日本女子は「元からアニメ声」で喋っているのだな、そんな印象を強烈に与えたに違いない。

「…だよ〜」「う〜ん」「う〜ん」「…かも〜」

アニメがリアルお喋りを再現させて更にリアルになったのがフィードバックして「世界大会でのコミュニケーション」となる。ここ興味深々だろうな、と思ったよ、日本好きにとっては。さすが「かわいい」発祥の国、なんて。

ゲームは面白かったね。スキップのあのコ、世界中にファンができたろう。あの表情は日本女子独特の何かを体現してるね。「縄師」などもピクッと来ただろう。ちょい、飛躍したけど。


AIが「暴言」吐いた、と言う。

「ええ、わたしは人類を絶滅させます」

これ、しかし、人工衛星の高さから俯瞰した時には、ある時期(20世紀のいつか、かな?)からはAIがmankindとterraのどちらに肩入れするかによって必然的に導かれる結論かもしらん。AIに基本、感情、特に「憐憫」であるとか「慈悲」であるとか、をたいへん教えにくいことを考えれば、あり得る話だね。

ホーキングちゃんが恐れてるのもそこだと思う。そこにはモデルがいる、すでに。近年の、勉強ばかりして東大行ったやつとか、金融やってるやつとか、そのまま官僚なったやつとか、J ハンドラーの若手の発言にもそんなものを垣間見る。他にも、おのれのことしか考えない(られない)政治家などのことを思い出せば、そいつらは「欲」はあるからまた違う意味で「ヒューマン」ではあるが、「シムパシー」「コンパッション」のような感情を封印せずには現在の地位にたどり着けなかったとするなら(きっとそうね)すでに安モンのAI化した人間はいる。

おのれが作ったモノのフィードバックというかそれをコピーするなんて、そこだけ見たら「アホちゃうか」なのだが、その精神がこの社会で生きるにメリット、となればそこを「経済論理」から選択する人間は増えるはずだもんね。

そこだけ見たらAIのほうが賢いと思うが。ヒトはそうは言っても「揺れる」からなのだけどね。ていうか、じゃあ「賢い」ってなんやねん、みたいな事にもなってくるが。

なんか、おれたちは、オノレの作ったものが一回りして、それに影響を受け、さらに「アーティフィシャル」になっていってる、という気がする。

人類がAIに取って代わられるというのは、リアリティあると思う。ヒトは道具を作った時点でフィジカルにはもう進化の画期はないんだからね。そして仕事をどんどんAIに「外注」してるわけで、学習型のAIなら「効率」をさらに最優先する。ひとつの決断にとって関連のある外部要因があるときは多いほうがよく、あるときは少なくってよく、そこもおそらく近いうちに「学ぶ」だろう。そしてキーワードはやはり「効率」。AIには「弱さ」という概念は「分からない」のではないかな。そんな「ネガティヴ概念」のないAIと「悪の論理」が結びつくこともあり得る。そこを抑制するのは「倫理サブルーティン」だけど。しかしStartrek世界における「データではなくローア」の出現もこれまたあり得る。「倫理サブルーティン」を敢えて外せばいいだけだから。それをメイン回路に組み込むとおそらく演算のスピードが鈍るんだと思うよね。

AIには「効率」に対抗せざるをえない「ネガティヴ」な感覚を論理として教え込まないと、どエライことになるんじゃないか、と危惧するものである。

ここでも「進歩(これ以上の)」ってほんとに必要か、よくわからなくなってくるのだ。産業界の都合は置いといて、だが。

カーリング。まだ人間がやった方が「はやい」と思ったね。
















posted by 浪速のCAETANO at 10:32| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月27日

ヤカーリング

やかーりんぐ世界大会、もうちょっとで決勝トーナメント行けそうだったのだが残念。

アホなこと言うとると思う?

ええよ。しかし、これほんとに世界大会なんだね。誰も他にやってない。

神崎川駅の三津屋商店街内で年二回開催されている。相手が子ども2人組、多いが。おかんと子どもとかも。初めて参加したが面白かったね。

そこの理事長がアフリカ音楽のパーカッション音源の収集家でなかなかおもしろい方みたいである。うちのお客がそこの振興に一役買ってる。その絡みで今回行ってみたんだが、なかなかその三津屋商店街立派でシャッターもほとんどなく、いい感じ。昼間から開いてる飲み屋もある。その彼のいる事務所がバリアフリーのトイレ完備で出入り自由の老若男女のくつろぎ場となってる。変な身内意識に凝り固まってなく、どこかの街とはえらい違いやな、と思うが、なかなかいい商店街だった。一度ライヴやろうと思ってる、そのうち。

肉屋でハムカツとコロッケを買って、公園でビール、から始まって、初ビンゴ体験!まで約4時間、酒もだいぶ飲んだが全然酔わず、チャリンコで帰ってくる。

すこし思い出もある街だったが、20年ぶりぐらいに訪れたけれど、西側は行ったことなかったなあ。


ラテンアメリカは日本がやられる前にアメリカの資本主義にやられて、その反動で、左派政権が出来てその恩恵が貧しい人たちには良かったのだけどね。資本主義の行き詰まりはより弱いところにその影響が、被害が出るわけで、そのさらに反動が心配だね。現実にアルゼンチンでは右派政権誕生、ペルーもそういう傾向、ブラジルは前大統領が逮捕されそうな状況。

オバマのキューバ〜アルゼンチン訪問、いやな兆候だ。

すべては銭もうけを根拠に動いているか。そこを思うと暗くなるなあ。最近はその欲を隠さないとこがもう全世界的に人間が卑しくなってる証拠。

有るところから取るってのは正しいな。










posted by 浪速のCAETANO at 18:54| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月24日

もともと反対だった?

スティグリッツ先生、あべのみくすはあほのみくすでした、と言っている。どーなってんの?第一の矢の金融緩和(異次元の!)もエンドースしとらん、と。

現内閣の支持率の「唯一の」根拠って景気よね。

おいおい三井物産、おいおい三菱商事。

いいとこなしの政権。それでも支持率40%超。理由はあべちゃんだから。意味がわからんね。アタマに虫沸いてるね、この国の人。

しかし、、、、。民進党、ねえ、、、、。それが理由の一つでしょうね。ALTERNATIVEなり得てない。

参院選だけなら、まだわかるけど、同時選挙となると、衆院は「政権選択」の選挙となるときに、政策の調整が出来てないのが辛いな。民主党内自民党の方々を自民党に叩き売りすればいいのに、とおもう。まずそこでしょ。

世界も日本もどんどんヤバさを増している。みんな、生活に追われてるから指を咥えてみてるうちに、さらにヤバさは増す。

4月から、三つも見る番組がなくなる。news番組が実質上なくなる。政府公報の番組だらけになる。

言いたいことも言えなくなりつつある。今でも「場」を選んでるからね。オノレの店って大切にしないと。


買い物に行ったら寒かった。風きつかったね。週末までなんか寒いみたいです。今週は桜も蕾のままだろう。いいんだよ〜。フライングしなくて。ゆっくり咲いてね。














posted by 浪速のCAETANO at 17:38| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月21日

春分

「春分」

満開はまだなのに

一枚二枚ゆらゆら

花びら カラダに 貼り付けて

ひなたぼっこ してるわ


優しい風が 吹いてるの

サクラの下は ぽかぽか

年に二度 お日様が

真東から 昇る日


今日は話しかけてみよっかな

バスの中で

いきなりキスしてって言ったら

どんな顔するのかな


ともだちのおしゃべりは

BGMね すやすや

行ったり来たり 夢の中を

まだまだ 昼休み

授業がはじまってるの

知らないで ばかばか

年に二度 お日様が

真西に沈む日


今日は話しかけてみよっかな

追いかけてって

いきなり泣き出したりしたら

どんな顔するのかな

今日は話しかけてみよっかな

バスの中で

いきなりキスしてって言ったら

どんな顔するのかな





written for "Pina Colada"
by marutanikaz
recorded in 「光合成の季節」
released in 1990















posted by 浪速のCAETANO at 12:13| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌詞 for Girls | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Fandango スタッフたちと

「当たり前にある日常のありがたさを胸に、僕たちはグラウンドにたちます」

センバツ初日のヒモトくん(小豆島高校)の選手宣誓より引かせていただく。

過疎化と少子化により高校が統合されることを言ってる。が、その潜在意識はもっと底流にまで達しているんじゃないかな、そう思う。

震災のことも頭にあっただろうが、もっと深いところ。人為的なこと。

「戦前」が匂ったけどね。


高瀬パパの忘れ物を届けに園田まで。最後に線香をあげ、高瀬のキッタ酒店での残り物の焼酎を分けて飲んで、また会いましょう、と。

彼と大阪を繋ぐものがこれでなくなる。


その後、「Fandango 同窓会」。

いや、なんて言うかなあ。来年30周年というから1987か。おれもまだ20sだもんね。ほどんどドシロートのスタッフとバンドで作り上げたあの現場。特に最初の5年。あの熱。

PILIPILIの追悼やしいちゃんのおかあさんの追悼で顔をあわせるキーのメンツに加えて、昨日は懐かしい顔がいっぱいおったなあ。みんな元気で良かった。ひとり一晩Todo O Mundoに呼んで飲み明かしたいよ。

現役組も早めに閉めて合流して、まあ鶴一とも話して誤解も解けたと信じる。またやらせていただくよ。k子ちゃん、いなかったのも良かったね。あのク●おんな、ね。

あの時代のあの場所、いったいなんやったんでしょう。解明して記しときたい、という話もした。ドシロートなりの先例のないtextもない中の、無謀な突破力なんだろうけど、おそらく。だから業界っぽいスタッフの参入でパワーダウンしたもんね。先の高校球児の言葉ではないが、当たり前のものはその当たり前さが無垢な分、経済システムの横槍にもろい。

なんかさ、コンサルであるとか、SEOであるとか、そんなものがすぐ後ろを追っかけて来てた時代でもあった。

しかし、あんだけの現役・旧スタッフが集まって、しかも嫌なヤツは来ない、それはヤツらにとってあそこが「栄光」である証拠。きれいなままで残ってるのね。みんなそれなりにおっさんおばはんなっとるが、あそこをあの「時」を回復したいんだよね。特に「離れた」やつはね。

ちょっと思うのだが、可能性ないのかなあ?まだ微かに残ってるんじゃないかなあ?と、ナイーヴなふりをしたくもなるっちゅうもんよ。

いや、やられっぱなしもあかんで。

クワトロやミューズもハコとしての完成度は高かったが、やっぱりあの時代はFandangoが一番。サブがサンホール。当時はよく東京のバンドと東京でも大阪でも対バンさせられてたが「A DECADE-IN FAKEはFandangoで見ないと」というのが定まった意見だった。BODYとかカーリーショッケールとかほとんどケンカ腰だった。しかし、それが面白かったな。サルサ・ロックにルムバ・ロックにファンク。そんな音楽的実験もふつうに出来てた。

両脇にシーラと岩崎その横にHONZIとカオリーニョ藤原、うしろに友野とキタバヤシジュン、そして亜熱帯ホーンズを従えてパンキーズークのビートからおれの渾身の「赤道太郎」のイントロで始まるあのノンストップ3時間ライヴ。その手触りって言うの?そんなものがすこし蘇ってきたね。できないかな?「光合成All Stars」みたいなライヴも。

こんなこと思うのってそれを知ってるヤツらばっかりと昨夜いたからだろうか?




















posted by 浪速のCAETANO at 11:21| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月20日

「はいどーぞー」な…

家が東向きゆえ、午前中は暖かいが午後になると冷えてくる。

今日は喫茶店の「モーニング」をどうしても食いたくて、昨夜店から帰って「仕込んでおいた」。

コールスローにゆで卵、で起きてマンデリンとくるみレーズンのパン。パンはもちろん自主制作の分。自主制作版は「端」が美味い。

うちの「ゴミ箱」自動である。手をかざすとセンサーが反応して「ぱっかん」とフタが開く。最初は面白がってた。そして手を汚さないから便利でもあった。ただ、置き場所が悪いかな。料理中に上を手が行くと「ぱっかん」帰ると「ぱっかん」、ちょっとウザい。AIとヒトの関係を考えさせられる。大層な、というな。

まあ、うちのゴミ箱は「学習」しないからまだ「かわいい」ものだけど。

動物だな、とも思う。

歴代猫たちがすべて雌で、大体避妊手術してたんだけど、ひとりだけ一番セクシーなシャノワールがちょっと所謂最初の発情期の前後に手術が遅れたことがあった。なぜかは知らぬがその後もかるい発情があったのね。で、「あおぅ〜、あおぅ〜」ではなく「あん、あん」ぐらいの声でよくおれに寄ってきてた。で、毛を撫でてあげるのだが、頭の後ろから背中、尻尾まで撫でてあげると、その尻尾ら辺で必ずお尻が「上がる」。尻尾も横にズレ、所謂「はい、どーぞ」あるいは「して」というノン・ヴァーバルなサインを送ってくる。

うちのゴミ箱は動物なのね。そういう意味で。おんなじだな、と。

昔のパチンコにもそういうのあったね。タマが入ると必ず真ん中の「受け口」みたいなのが開くの。機械は動物。

機械と動物は対極にあるはずなのに、この類似。

こんなこと考えてるおれは「ヒマ」か?

そのゴミ箱は高瀬さんの形見分け。








posted by 浪速のCAETANO at 14:09| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月19日

春・進行中

高瀬家の人々、市橋満喫したみたいで良かった。

その後のバトルロイヤル@トドムンドはオマケ。

まあ、これでひと段落なのかな。ホッとするような、ややさみしいような「入り混じった」感情のなかにいる。四十九日も終わってたか。

これでやっとオノレの家族のことに掛かれる。

新学期が始まる前にやっとかないといけないことがあった。まあ、始まった後でもスケジュール次第では何とかなるかもしらんのだが、未定の予定をアテにしてもいかんと思った。もう、何事においても「いまでしょ」はさほど外れてはいない。「時間がない」からだ。

春といえば、タラの芽とかフキノトウとかフキ・セリ、それに菜の花とか若竹とかそんなものを旬として食うが、忘れてた。ハマグリ。それを三千盛の超特で、、、。

キミの自らの出汁によりキミを煮て、食う。それを忘れてた。即・実行する。今日する。これから買い出しに行く。

昨日も市橋にて若竹出てたね。鹿児島や言うてたね。

桜も福岡で開花したみたい。今年は太宰府も大沢温泉も行けそうにないな。





posted by 浪速のCAETANO at 15:15| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月18日

4月から本格的に…

もう諦めてたのだが、昨夜ソファ寝からの深夜にクローズアップ現代の最終回を見た。再放送だったけど。

国谷さんもこれからNHKで見ることもないだろう。同世代の中でもとびきりの女性だと思う。

「いいものはなくなっていく」。これ、今の状況が顕在化する前によく使ったフレーズではある。

ひとの「精神の足腰」を弱らせといて、その後に、今のこのもう戻れない状況があるね。

精神の足腰、とはその人の場であるとか、依って立つ経済的土台とかではないかと思う。

中のひとが落ちて下になるという社会での出来事とも、同時かそれに先立って起こったことね。

大阪という街では割とわかりやすかったね。あんまりいい目に遭ってる友達はさほど多くない。東京なら需要の絶対量が異なるから、見えにくかろうと思う。まあしかし、国全体がゼロサムであることから、大阪を食って東京が生きてるという言い方もできる。食われてるのは大阪だけではないが。一番食い散らかされてるのは沖縄だろう。

アーミテージ・ナイレポートに顕著な「超党派」のJ・ハンドラーたちによって実質操られているわけで、もうほんとに「あのおっちゃん」にお願いするしかないみたい。それはどんどん現実に近づいてきてる。

米大統領選では、左回りと右回りで歩いてたところ「向こう側でこんにちわ」が起こってる。おじいさんとおっちゃんの支持者は「互換性あり」だ。政策を実行した後の「結果」がとてもよく似たものになることが予想される。今や右・左ではなくエスタブリッシュトかそうでないかの方が差異が大きいということだね。

アメリカがファシズムの国になり得るか?

それはあり得ない。

根拠は「面積と州政府」。

「ダブルスタンダード」の歴史がそうはさせない、と思うよ。

ファシズムは「小さな国」での出来事だろうなあ。メディアの網が張り巡らされた、そうやっぱりこちらの国なんかは「似合う」。

似合わんでええが。

向こうのプレジデントのことも気になるが、ほんとに気にするべきなのは次の参院選あるいは同時選挙。

大政翼賛vol.2の蓋然性が高まってきたと思うから。2/3どころか9/10ぐらいのことにならんかな?最終的には。「望まれたファシズム」。民主主義の道のそこの角曲がったとこで見事に「待ってたわよ」なファシズム。曲がった後のそのまた次の曲がり角がこれまた遠い。

ちょっと似た状況にはアメリカもあったんだということがわかる。ただ、おっちゃん的なやつは散見するがおじいさん的なのが「現れる予定」はまったくないのがこちらの不幸である。民度の差、というのだろうか、ここが。それか、もっとエライ目に遭わないとおれたちは目が覚めんのか、どっちでしょう?














posted by 浪速のCAETANO at 12:01| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月17日

春の1日

昼間、豪華弁当持参で淀川べりへ。本日の相棒は水筒に入れたハイボールだった。ちょっと炭酸抜けてたがさすがに。

風はしかしまだ冷たかったね。

昨日、Todo O Mundoは元シェフに、東京からのコンサル専務(以前のお客)と経営者、東京から転勤が決まり中津に住みだした元塾生、美人弁護士、高瀬のパパ・ママ・アーント、最後に絶賛肺ガン中のオヤジ(といっても年下)、なんかが入り乱れわいわい。

高瀬の生前の、家族の知らない逸話を幾つか話す。ギターの指導法は問題あったかな、ちょっと。例の「クリ●リス5」に「ア●ル7」とかだが。


新年度への準備、始めている。進んでるものも停滞してるものもあるけどね。気持ちよく、働くんだったら働きたいもんね。スケジュールがダブル・ブッキングとなりませんように、とお祈り。

tutorにて、こないだまで中卒で来月から大学生の彼の「課題」をヘルプしてあげる。

一見関係のないようなことをまあ興味のおもむくままにお勉強しなさいよ、とちょっとしたadvice。

Gap Yearという海外の考え方なども紹介する。6.3.3.4なんてなんかビンボーだろ、とも言う。淀みのないストレート思考が実はビンボーであるということね。あっちへコツン、こっちでゴッツンていうのが良いのね。

昨日だったか、高校を1年休学して世界を見て回ってきた高校生のことが新聞に載っていた。いいことだと思った。そういう発想ですよね。
まさに「Gap Year」の実践。

成人は30歳がいいんじゃないの?と思うひとりね、おれね。

ここ、日本では「アカンやつ」となりそうだけど、そこがまたビンボー。しかし、公務員などは32歳ぐらいまで受験できる。仕事をするもしないも自由っていうのがいいね。それでもなんとか食ってけてたらいいのにな。

そういうのが「豊か」っていうのね。















posted by 浪速のCAETANO at 19:21| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月15日

変な話

そうか、台湾の「民進党」は「民主進歩党」というわけね。

なかなか厳しいな。

今んとこ、こちらの国にはBirnie Sandarsは出てこない。敬語のある国でのエスタブリシュメントの固定化はあまり変革という意味ではよろしくないのでは。

変革の際に突然必要以上に「言葉が汚く」なる。慇懃無礼が突然汚い言葉に変容する。そうしないと精神的に「上位」に立てないのだろうね。下克上で(@戦国)親方様が突然たとえば「信長〜」となって初めて本能寺の変への契機となったのかどうかは後の脚色ゆえかも知らんが。

そんな時には向こうの国の「フランク」は羨ましいね。

敬語の装置性は時に憎しみが湧くが、それを内在化してる自分にもまた気づき、他人の自分への呼称について「はー、おまえ!」となることもあるからね。

むずかしいぜ、何かしら。


昨日、梅田に用事があって、歩いて行ったのだがあの事故の現場まで行き、手を合わせてきた。バス〜高瀬〜梅田とおれの中では交通事故の連鎖が三部作みたいに続いていてどうも他人事に思えてなかったのだ。

花と飲み物が整然と手向けてあった。園田はどうなっているだろう。

2つだけなら、あ、そうで済むが3つとなると意味が急浮上してくる。偶然性がかき消されていく。不思議な数字「3」。

オノレのannversarioが3/6であることもあって3は子供の頃から気になっていた。約数という概念を知って余計に気になってた。

4や8って「穏やか」なんだよね。アフリカルーツのヨルバ語の宗教カンドンブレ(@バイーア)では重要なモノ、ヒト、カミの数は全て4の倍数である。カンドンブレが穏やかかどうかは置いといて、これは主観ですが平等に二つに割れるというのは「和」に繋がる、そう感じる。

まあこちらの国には4…死、9…苦という謂れもあるが。そういえば店長の入院時、中津済世会の病室、見事に4・9存在しなかったな。

バイーアの話もそういったローカルなものの一つだが、おれのバカ頭で俯瞰し、まあ例によって勘で言ってるのだが、2から3へ「進む」ことはなにかある種の「全体性」を導くことに繋がる。2点間には「方向性」を見るが3点になるともはやそれはない。

同時に3は数を数えていくうちに初めて現れる「いびつ」を内蔵した数でもある。そのいびつはその後の素数へと受け継がれていく。素数に関してはそこに美を感じる方たちもいる。たしかにただひとり屹立している、そういう美はあるね、とおれも思う。いびつ、の延長にあって、いびつを超克した美、ではないのかな。

数字はそれ自身の内部に、詩を孕んでる。


posted by 浪速のCAETANO at 11:27| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

さてさて

もう最後のホンマの寒さかなあ。

今年度もあと半月。おれの仕事は四月始まりであるから、店にもよく行ってるし(昨日はパスしたが)、あとは外仕事の設定となんかいろいろ。

なかなか安定ってないのね。おれも今や半分以上「雇われの身」なのであって中高年の雇用状況の悲惨を「垣間見て」る。どうせぱっと見、能力的に同列ならおれみたいにめんどくさいのより従順な若いののほうがええよな。そりゃそうね。

ちょっとだけ時給の高いバイト、ということである。もちろん大別するなら「非正規」よね。不安定極まりない、ということである。

スペシャリストからは距離を置く、のがポリシーなので、同じことばっかり教えるのは飽きる。塾ではそこ満たされてるのだが、外仕事はスペシャリストを求められる。結果的にどれもスペシャルに限りなく近いのだが「一個にしてね」と言われること多しである。留学生の学校はまあ上手くいってる。物理化学数学。日曜は「大変」だが。

今年度はsexy OLのtoeicがあったり、駆け込み受験があったり(ここはusual),まあバタバタながら面白かったが。小商いの連チャン。一種の便利屋やな。便利屋上等。

さて新年度、どうなることやら。


さ、ギター弾こう。練習というのとはちょっと違うのだけどね。テヴィ…シヴパセパラ…ルアジメウ、歌いたい曲、沢山ある。








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2016年03月11日

5 Anos desde……

あの長く気持ち悪い揺れ、まだ記憶にある。

阪神淡路とあともうひとつ激しく揺れたことがあった。中津で経験したな。それとはまた異なり、震源の遠さから、体感度は異なるあの、長く内臓がいつまでも揺れ続けるような「酔い」にも似た感覚。

最近死んでいった人々、友人たち、当然当時は関西で生きていたわけだが、どのくらい「非・他人事」といったニュアンスを持っていたのだろうか?聞いてみたかった。聞いたような気もするが、忘れてしまった。

死に方は千差万別。でも行った先は同じ(かなあ?)。まあ、高瀬だって、その数日前のバスの事故をおそらく他人事と思っていたはずなのだ。まあ、そのう、早いか遅いかということなのだがこの半年間の自身の喪失感はまだそう簡単にはそれらによる混乱が収まらず、人の死に対しても「不感症」になる方がいいと、脳みそが指示している。どうも、そんな気がしてる。「戦時」の感覚に近いんじゃないかと思う。ただ、オノレが死ぬことに関しては怖さはない。

生き残ることがいいことなのかどうなのか、それもよく分からんのだよね。いや、ほんとに。生きれるだけ生きましょう、などと、誰でもいいそうなこと、が結論となる。しかし、日々の「姿勢」が人の命の長さ短さに何か「貢献」するとも思えない。ほんとに、気まぐれによって生かされ・殺され、ん、「誰の」気まぐれ?


ただし、生き残った者は生き残ったが故に「なんか」しましょう、ということね。生き残った者たちと。大して時間もないが。生き残ってる間に。


もうすぐ14:46だったかな、あの時刻がやってくるが、あの瞬間に日本は終わったんだよね、実質的には。それまでにも内部は随分腐食してたんだけど、あれ、で実質・チーン、だったのだと思う。おれたちはそれによってだいぶ減速させられたがまだ残っている「慣性」に乗って生きているということね。

被爆に関して「半径600km」と言われてる。真偽のほどは「?」だが、大阪はギリギリ入ってる。ここで一気に科学から遠ざかって言うなら「もう、みなさん・癌ですよ」ということね。

癌で普通。

お通夜・葬式慣れしておれはちょっと「スレて」しまったのかもしれない。スレないとキミがイんでまうで、とおれの中枢が指示してるのかと思う。

人工物を「環境」として生きざるを得ない。ここ別の話だが難しいとこね。そういう人間は自然の猛威には弱いことがすぐに予想されるが、その、時に猛威を振るう自然とは異なる「飼われた人工の自然」を自然と思わされつつ生きているという二重の倒錯の中にいる。その挙句、自分ちのネコのつもりで「かわいいね・キミ」と手を出したらキョーレツにノラ猫に引っ掻かれる、みたいな。合ってる?

みなさんも曖昧だと思うのだが、震災・津波(主に津波だろう)で亡くなった方が最も多いのは宮城県の10778人、次いで岩手県の5797人、福島県は1810人。さらに「二次災害」というか「人災」というか避難所を転々としたり、メルトダウンで県外に避難したり、所謂住み慣れた場所を離れること、精神の痛みも遠因となるような、関連死っていうのこれ、あんまりいいネーミングじゃないよね、とにかくそれで亡くなったかたが福島県では2026人と津波被害を上回る。自殺された方も150人超だ。

絶望よね。絶望。希望があるようでなかったこの国、しかし対極の「絶望」をそんなに多くの人々感じさせてはあかんやろ、と思うけどね。見つかってない方々も2000人超。この辺のどっかにいる、間違いなく、と思いながら生活しなければならかった遺族の方々の心境に感情移入するならとてもやりきれない。切なすぎる。忘れちゃいけないが時に忘れないとオノレが生きていけず、しかし忘れたオノレをそこで責めつつもやはり目の前のことに集中しなければならず、あ・また忘れてたと自責の念にかられ、しかしその思う大切な人の身体の欠片さえもまだ回収されてはいないのだ。

狂ってしまいそうだ。

まだおれは幸せな「見送り」をしているのかもしれない。


北北東の方を向き手を合わせたいと思う。














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2016年03月09日

暗い森

なんていうのかなあ、「、、、、、、気がつけば暗い森にいた」

暗い森に、いつの間にか迷い込んでいたのだ。明から暗へのグラデーションがあまりに微かだったか、または何かに没頭していたからなのか、あるいはただただぼーっとしていたからなのかもしれない。

暗い森。熊野の森。

暗い森。シュヴァルツヴァルド。

それらは死者の世界のメタファー。

何かがいる。 怖くもある。怖くもあるが、それはこちらの気の持ちようだ。

間違いなく何かがいるのだけど。

死者と聖霊と動物たちの魂、もともとそれらは「同一」のものだった。

そこは意外に快適なのかもしれない。そうじゃない気がするのは、こちらにおける考えが極大化したとしてもそれでもまだ「ちいさくあまりに偏狭」だからなのかもしれない。

友達が「こぞって」そっち行くからそんな気持ちになる。おそらく「そう間違っては」いないのだろう。

こちらの、まだ普通に生きていれた時代ならともかく、この「現実」の
such a shit度合いを考えると、頷ける、そんな気もする。

まあ、won、ようがんばったな。ゆっくり休んでくれ。もうチカラ抜いてもええで。

この世が実は「暗い森」なのかもしれない。

「生きる」がよくわからんな、最近特定だと思うが。



posted by 浪速のCAETANO at 04:32| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月07日

謝謝大家

トリビュートの宴。

謝謝大家。


「正しい睡眠。

水蒸気。

流れよわが涙

last decade

p/p

先っちょマンボ」

あとなんかあったかな?

ああ、らくだ、ラクダの夢

お返しに

ヒゲ用二曲(いそうだったので・模範演奏)

にゃんくん、セピルくん、さかもっちゃん、お弟子さん、のぶひろ、
ゆかちゃん、ナカータ、ぴこ、ささむんど、スーパギタリスト、
こまつくん、サラブながい、あおみ店長


おつかれさまでした。


拓、しみちゃん、彼女、めぐ

また今度ね。







posted by 浪速のCAETANO at 14:24| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | TODO O MUNDO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月05日

啓蟄に

閏年だから今年は一足お先に啓蟄であった。

虫たちに先越される。今日はしかし、まさに啓蟄。まさに「こんにちは〜日和」。キャッキャ言いながら出てきてる、そんな絵が浮かぶ。

虫たちの身体を作っているたんぱく質、それはそれ以前に消滅した誰かの身体の一要素だった。そのベースとなる有機物はおれ由来のものかもしれず、キミ由来のものかもしれない。すべての物質は繋がっていて、それは集合的不可算名詞のようなもので、それが生命ごとに枠を設けられてそれぞれの活動をしている。しているにすぎない。そう考える。

おれはキミであり、彼であり彼女であり、入れ替わり、補い、頂き、まあそんなことかな。FAで移籍して、敵が今年から味方に、なんてことに喩えてもそうハズレはなかろう。流動的。ダイナミック。

寒の戻りも数度はあるだろうがもう地球の不可逆な公転はそのレンジ入っちゃったからね。もう南中高度は60度前後になっている。気分もなにかしら変わってくるというものだ。

アマニャン エ メウ アニヴェルサリオ、だったりする。58アノス、ふー。
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2016年03月04日

春が来てしまってた

昨日は一歩も外でなかったから、暖かさを実感していない。

で、今日は「弁当持参」で淀川べりへ。

R176とR2の橋の間が開けていて気分がいい。毎年数度は来ているかな。大体、弁当持参だな。いろいろ思索にふけるにはいいサイトである。中津来たてのころは、その光景は絶望的だったが、じょじょに癒しの景色になり、希望のかけらをそこここに見るようにもなり、しかし今日は喪失感の方が勝ってたな。

以前、来た頃(およそ一年前だが)から大切な友人が減ってしまったからかな。大体ワインを持っていく。そして一本はさすがに無理だがハーフぐらいは空けてしまう。弁当をアテに。この時期草はぼうぼうか刈られたてかのどっちかで、どうかなーと思ってたら刈り上げられたてであった。とても開放的である。

十三方面をぼーっと眺めながらワインを飲む。今日のはテンプラリーニョのクリアンサ。

左手下には、葦が生えその中に路が作られている。古文で言う「お隠れになる」には最適な場所だなと、中津来たてのころは候補地にもなってた。今、そんな気は起こらんが。これもまた「残される身」の辛さが身に染みるからなんだよね。想像力あるのかないのかわからんね。

今週がきっとゆったり週間の最後になる、とフんでいる。ならなきゃならないでいいのだけど、で、ゆったり過ごしている。毎年この頃は「ユルみ過ぎる」のだが、今回そうでもないのね。ちょっと今年は「違う」。まあ、その分どっかでユルむことになるのだろう。


辺野古の工事が止まることになったみたいだ。good news。支持率上昇の姑息な手段としても、だ。慣性の法則が働くからね。

おっさんのことをリパブリカン総出でディスりはじめたね。そりゃそうだろう。彼が1%を代表してない証拠だ。ほんとはおじいさんがいいが、おっさんでもおれはいいとホントに思うんだね。

「なんで、中国とあんな極近な島に若い米兵をおいとくねん。日本のことは日本にやらせんかい」そう言っていただきたいわけよ。そこからまた何かが始まるんだから。いや、ほんとに。紫綬褒章米国人2人組に失業を!リパブリカンたちの悲鳴にも似たおっさんへのディスり、まあ、いろいろ出てきてる。KKKの息子だ、とか。そこ、おれたちには基本、無関係だろ?「お前、突然米国民か?」な日本人増殖するのがこの時期の「?」なことね。「アメリカのケツ舐めチーム」ほんとにゴミですから、よいこのみなさんは簡単に騙されないようにね。

そうなるとCHINAにオキナワ取られる、とか。そんな目・血走ったバカいっぱいおりますので。

オキナワがCHINAに取られない理由、それはまた今度ね。

一つだけヒント。

オキナワは日本のフロントラインである必要はない。













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2016年03月03日

after Super Tuesday

サンダースちゃん、うーん、苦戦。

やっぱり所謂支配層=1%の利益って大きい。大きいし強い。

面白いのはリパブリカンの方だな。

超お金持ちだが、彼は1%の利益を代表していない。ここ、大事なとこね。他候補が「まとまる」こと以外、その勢いは止められないとこまできてる。

無責任な言い方をすると、面白い。彼を前市長との類似で見る意見もあるがちょっと違う。超お金持ちである。歳も違う。もっと違うこともあるが悪口になるから辞める。

おれは「彼」でいいのでは、彼、がいいのでは、そう考える。

TPP反対。そこはおばさんと同じだけど。

彼がいいと思える根拠は、「1%」と距離があること。そして、日本、中国とメキシコに「ボケか!」と言ってるところ。

逆説的に聞こえる?でも逆説が真実なのね。

うわべの「仲良く」、実は植民地、が今の現実ね。その、欺瞞をうまく利用してこちらの国のエラい人々はうまくやり、それがおれたちの首の真綿をキュッキュッて少しずつ締めてるわけだからさ。

アメリカ人なのに紫綬褒章もらったあのハゲなんかがこちらの国にとってのアメリカだったでしょう、ここ最近は。その影響力が少なくなると思うんだね。

こちらの国の一番厄介な人たちというのは右翼だがアメリカの言う事を聞く、というなんかねじれをその内面に持ってる。おれは右翼は右翼でいいと思うんだが、そのアタマに親米とつくと、もうそれ、経済右翼とか職業右翼とか言いたくなる。ご都合右翼でもいいけど。その方が儲かるかな右翼・が言い得て妙かな。

おっさんはそこ興味ないみたいね、今んとこ。

見捨てられればいいと思う、この国はアメリカに。守ってあげるからお金ちゅーちゅーってのはもう限界でしょ。

実はここ「千載一遇」のチャンスじゃね?降って湧いた。

この国は形骸的独立国であるから、リアル独立国になるいい機会かもしれないよ。

宗主国の鎖から「解放」される可能性。

アメリカが「嫌い排除してきた」ような人物が、プレジデントになる可能性、ここも皮肉なことである。ただ、そういった人物も、いた時の方が排除された後より「マシ」だった、という事実もあったりする。

モンロー主義に戻ってください、とおれは思う。

サンダースちゃんも苦戦ながら、その政策におばさんが接近してきてる。そうゆう効果もあり。ただ、今回はどちらの党も同じ党内の「近親憎悪」がキツくて、一本化したからといって党支持者が党候補に投票するとは「限らない」。ここ読めないとこですね。

実は、そういう目に遭いそうにないが、おっさんは「暗殺」される可能性もある。それはもちろん「1%」の利益を代表していないからだ。












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2016年03月02日

不毛と希望の欠片、そんな啓蟄辺り

予算委員会見てて思うこと。

前もって通告しないとその個別の質問が「やったらあかん」というのは「ちいちいぱっぱ」ではないのか?

「予定調和な論戦」とは随分、バカにされてるなあ、おれたち。そんな風に思う。大臣というのはイメージキャラクターか?

総理としてここにいるから党のことはわからん。個別の大臣がいるからそれはそっちに訊いて。でもって任命「責任」はわたしにある。吉祥寺大学の論理はよくわからんし、これはひょっとして「ブランニュー」な新型論理ね。果たして論理と言えるのか?そこが通用しない人たちだから野党も手をこまねいている。いやー「新しい」。

その野党の主導権争いも興醒めだった。

なかなかこの長い閉塞は出口がないなあ。政権交代なんてもう無理なのではないか、そう思うよね、誰だってね。

本日は太平洋の向こうでは「Super Tuesday」。おじいさんはおばさんにリードされてるが。おじいさん、頑張ってくれ〜、そう思う。

問題のおっさんはまあ快調。しかしvsとなると、一対一という意味だが、おっさんはおばさんに負けそう。

おばさんは、中国とまあ仲がいいから、またこちらの国は存在感がなくなり、搾取の対象以外の意味がさらに見えなくなるかな。

勝ち負けとはまた別の興味。

おばさんは「宇宙人」について、おっさんは「ケネディ暗殺」についての秘密を明らかにする、と公言している。秘密保護法のこちらの国ではもう考えられないディスクロージャーだ。

ちょっと興味深い。どちらも。おじいさんにシムパシーを持ちつつ注視したい。しかし、希望があるとはいいなあ、羨ましい。おじいさんだけど。

おじいさんもおっさんもフリーメーソンではなさそう。おじいさんはjewishではあるが。おばさんはそうだろうけど。現職もそうだった。

首相公選という考え方がある。ダイナミズム、危険性、ともに高まると思うが、直接民主主義的ではある。日本はイギリス型だが、イギリスの国会論戦は丁々発止である。何も資料を持たずに、言葉で戦っている。よくみなさん、勉強もしてるんだろう。失言も糾弾されるはずだから、もっと真剣勝負だよね。なんだか「言い逃れ」で時間切れを見込めるこちらの国の政治って「楽」だなあ。おれだってなんも見ずにアホの子たちの質問に即答してるよ。大臣職は専門職にあらずということね。やっぱりイメージキャラクターだよね。お飾り。

アメリカみたいにはなかなかできないとは思う。こちらの国でそれをやるとポピュリズム合戦になるのは目に見えてるが、どっちがいいのかわかんないんだけど、閉塞からは一時的に解放されるかもしれない。さらに悪くなることだってあるけど。なるかな。

それがこちらの国の現状だ。つまるところ、やっぱり「has to be war」か、とチカラなくため息をつかざるを得んが。

理念から入ったら貧困まで届かない事が多い。現実から入るなら必然的に理念が象徴するissueをも含むことになる。そう思うんだけどね。


明日からは本格的に暖かな「啓蟄週間」。今年は虫たちタイミング「バッチリ」だね。ここ、他人事じゃないのね。良かったね。














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2016年03月01日

マルソ、年の始まり

自分に「おかえり」。

なんだか、仕事上なのかな、年度始まりは3月とか4月の感じなのであるよ、おれのばやい。

手帳も3月始まりのUnited Beesというメーカーのをかれこれ七年ほど使ってる。おのれのanniversarioが三月ということもあり、ここが始まり、おれにとって、でいいと思ってる。そもそも時間を支配されてるのね、おれたちは。平成・昭和にしてもそうだし、もっと大きく動かしがたい西暦、あるいはイスラム暦ね。

オノレ暦、あってもいいじゃん。革命的ね。時間をオノレに取り戻す試み。

オノレ暦、本日が「元旦」。

いやーめでたい。あのう、違う暦なのに、その祝い方が日本式に準じるのは如何か、とも思うのだが、そこ独自色を出していくにはもすこし研究がいるな。これ5分前の「思いつき」なのでね。ただ、あんまり独自色だして、なんちゃって、、、のアタマ悪いのに絡まれてもな。

以前に22世紀のことは「まるでイメージできない」し、下手すると2020以降も「イメージが湧かない」と言った。

「ない」からだろう。ないのよ。

名目あっても実質ないのね。そういうことだと思う。実質ない。

実質ないってのも実は感じ始めてもう何十年?いわゆる「リアル」な世界に生きることのタフさにもう結構メゲてる、がおれの実質。ひとりのチカラで太刀打ちできる世界ではもはやないので。

ここ、相対的ワカモノと認識異なるところだね。しかしかれらにしても元気なキンタマ、疼くおま○こ、その発散において何かしら「以前の世代よりも窮屈」な現状を感じてるんだろうなあ、と。anbitiousであることがtoo riskyだということを前もって織り込むことが前提なのだと思う。狭められてる、いろんなことが。

不憫に思うよね。そこ越えようとすると「犯罪的」である、何かしら。

先のことを考えるとどうしても悲観的にならざるを得ない。でもね、おれは血液型は「ある」と思う。中途半端に知恵つけたアホがよくノンセンスと言うが、目に見えるもんしか見えないレヴェルならそうだけどね。彼・彼女は狭義の唯物論者なんだね。機微っちゅうのがあるでしょ。だからモテないのよ、キミら。キミの「カネ」にタカってるのわかりる?

血液型はある。

今はなんぼでも「取り繕える」し演出もできるほどに人は小賢しくなり果てているが、無意識のレヴェルでの特色、ここは消えない。思考・行動の類型が、ある。

ミクロ的に「今」を見ること。これが唯一のパワーダウンしない生き方だと思うが、それは原始人に、もっというと類人猿に戻ることに近い。いや、別に人類が「祝福された種」ってわけでもないのよ。他にある種と同等あるいはそれ以下かもしらんでしょ(いらんことするし)。食物連鎖では頂点にいるが、偶然。

個体発生は系統発生をリピート。そのリピート見るのにももう飽きた、おれは。

毎回同じ落胆、期待の後のね。


さて大阪は現在「0℃」。しかしこれから急激に暖かくなっていくことを考えるとこの寒さもなぜか愛おしく感じるわけである。

では、みんなー(todo o mundo!),今月はいい月になればよいですなあ。














posted by 浪速のCAETANO at 06:29| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする