2016年10月09日

だから噴火する言うてたやん

有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠、其色青、大如雞卵。

阿蘇山が噴火したよね。もう一回言うが、ネコだってお腹をいらわれすぎたら「下痢」する。熊本地震と中央構造線と、みたいなことを言ってるのね。

喩えが卑近過ぎるという意見もあるかと思うが、みなさん卑近でしょ。権力の座にある人間の卑しさばかりが目につくんだけど、権力の側にない人間もまあまあ卑しいわけで、まあおれも大したことは言えんが、今若干清貧と言えば聞こえよすぎるかもしれないが、そっち方向に舵を切ることで、ほんまのカスにならずに済むかもしれない。とりあえず欲自体は無くならないとしても強欲(GREED)からは遠く離れられるからだ。

欲が内部化されることがないから、外へ向かうかな。言葉だけ流暢になって中身スカスカのヤツ、見事に多い。それとセコいトランプね。なんかそんなのしかいない。すべての業界と言われるものがクロウズド、というか村化してるかな。既得権持ってる者には「都合がいい」。

すぐ、イチから、、などと思ってしまうおれなどはだから、いつでもどこでも新人みたいな者であるから、まあそれもまだ若けりゃいいけど、この歳になって「よろしくお願いしま〜す」もなんか、なのだが、しょうがないからするけど。

以前にやっていたことが、今の自分にな〜んの助けにもなっていないという現実に大笑いしそうになるが、設計とか計画とか苦手な上に「寄り道好き」が嵩じて引き出しだけは数も増えたしパンパンになってる。ちょっと、消化していかんといかんよ、まぢで。

人が言語化できないようなスキルはたくさん持ってるんだけどね。オノレでプレゼンするしかないか/ないね。

何かを探求し続けることしか「カス」になることから遠ざかる道はないな。社会との折り合いのつけ方も若い頃はあんなに上手かったのが、ある時からめんどくさくなった。今はもう少し自然さが身についただろうか。でも、自分でも「不自然」と思う時もあるもんね。何かのモードがそうさせるのね。

優れたミュージシャンの音楽に接することは、特にミニマルな現場を見ることは、図らずも人間をも見せることになり、虚飾の余地がなく、清々しい。その数日前には自分のその手の ao vivoもあったが、そこで要求されるものは、ストイックと能力総動員だったりする。それもまた、神経使いながら全力でやらないと成り立つもんも成り立たなくなるからそんな現場は嫌いじゃない。役割分担という考えはオノレを分割した上にしかなく、だからか、1人でまあまあ緻密なことをやってるミュージシャン、好きだ。CV、RT、NY、あ、師匠だらけだね、といった結論が出てました。

ただし、オノレの内部に欲望の進路を取ること、そんなことぐらいしかGREEDの囲いから自由になる方法はない気もしている。a Nerdは悪くないいよね。何かへの復讐みたいじゃなく対象に向かえれば一番いいのね。ギンギンじゃなくなってそんな感じだ。いい傾向。

阿蘇山が倭国の山だった。2000年前の存在感。今も健在。カミは暴れるものだからしょうがないよね。だがプラグマティズムから離れてみたなら、そしてオノレの内部へと、ちょっとしたマントラのようなものに乗って沈んで行った先には、極近いところで接近遭遇できそうな気がする。いろんな手法とりまぜてるけど、それはいいのね、現代だから。

今日明日で「秋が深まる」という。深まってちょうだいよ、是非。












posted by 浪速のCAETANO at 12:40| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする