2016年12月21日

人間という存在はpowerful

何と言うか、ヒトが死に至ろうとするときは、残ってる「欲」と「無責任」で暴走することがあるな。付き合わされる人間はたまったもんじゃない。ワガママをどこまで聞いてあげるのがいいのか、こちらも神様ではないから、加減がわからない。

ヘルパーなどやっている方なら加減はわかるのだろう。日々のことだし、他人であるし、仕事でもあるし。家族や身内あるいは身内もどきであるなら、いちいち感情を揺さぶられるから。ま、それが身内だが。

死ぬ寸前でさえも、死ぬ寸前だからか、人はパワーに溢れてる。そう思う。つい最近も、おれの中の大切なものを毀損された。流れというのは怖ろしく「事」が終わるまでは、抵抗もできないのだった。そして当事者にはその事は見えていない。

「ひと」は「エネルギー」であるからね。

自分が死ぬときは「静かに」死にたい。強くそう思う。そうもいかんのかもしらんが、それでもおれも散々周りに迷惑かけてきたから、そん時ぐらいは、などと殊勝に思ってるわけ。

こんだけ放射能飛び回ってるし、漏れまくってるわけだから、友人たちの早い死も、何らか、関係あるよ。証明は出来ないけど。年が明ければ丸6年である。セシウムは太平洋を渡った。

この2日ほど暖かいという。いい事だ。いろんな人にとって。


posted by 浪速のCAETANO at 16:08| 大阪 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする