梅雨初日。雨もまた「悪くない」。初日ゆえの感慨だろうか?明日は晴れるとweather forecast。まだ小笠原気団はひよわってことね。まあ、ゆっくりおやりなさいよ。まだ6月初旬である。
でも雨降らないと米の不出来だとか野菜高騰とかを招くことになる。雨シネと言いながら野菜高いのにもシネというバカも多い。思い上がってるね。
能力の話、politicianの。政権にいるpoliticiansの能力の低さはランキングで言えば「報道の自由度」以下でしょう。能力には真に偏差値的なことも一部入るが、そことってみても劣ってる。論理性は要る。必ず要る。まず、そこかなり劣ってる。答弁で少なくとも彼らよりは論理的な民進党議員、共産党議員や太郎ちゃんの質問に「答えられない」。plus倫理観が崩壊している。一番アカン人々である。
そして前にも言ったがカオがやばい。おれは忙しいとか言いながらも一般的には「かなりヒマ」な部類に入るから本日も国会中継(委員会質疑」を見ていた。本日もsecretary、VM of E.M、予想されたごとくひどかった。secretaryは後でほんとに回顧録の中で「反省」をするだろうな、と思う。その強弁が「恥」と共にある。
VM of E.Mなど、本来のヤンキー全開だった。しかも関東のヤンキーね。ヤにアクセントがある。面白みが何一つない。そこが上方のそれとは異なる。殺伐としている。その土地風土は見事に人を作る。おのれがすぐキレることで自分の立場を作ってきた輩だね。大きな人間は泰然としているから。泰然さがまったくなく、本気でキレかけていた。一瞬たりともおのれが「劣勢」になることをユルせない。そういう類のケツの穴の超ちっちゃいやつ。誰かに態度が似てるなと思ってたらPMだった。ここは責められといて最後にギャフンとイワす、とかのプロレスができないタイプ。キャンキャン仔犬のようにうっとおしいタイプ。字もマトモに読まれへんサルのくせになあ。
なかなかいろんなpoliticianを見るが資質においては「底辺」の部類になろう。お二人とも。
バカはもう充分分かっていて、だからバカに支持されると思うけれど、ここもまた、反知性主義による知性に対する、というよりもおれは「偏差値」に対する復讐と見ている。今の政権、PM:吉ジョージ大、secretary:法政大、VM:学習院。この中ではsecretary、かなり苦労しただろうね、他はボンボン。おれたちの10年前の法大である。今でこそ六大学だが、当時もそうだけど、いやーなんて言うか、だよ。
まあ、もちろんpoliticianだから官僚とは違って必ずしもいい大学出、である必要もないんだけど、田中角栄の例もあるからね。だが田中角栄は小卒だがほんとにアタマが良かった。そして歴代首相は「受け」が出来た。プロレスが出来た、ということ。patienceもあった。感情を抑えることができた。抑えられない場合でも言葉を選ぶことが出来た。decencyがあった。そういう態度からしか信頼は得られないなんて、基本中の基本だが、それを知っていた。
憲政史上「最悪」だと思う。90年代ごろかなあ、late 80'sだったか、アホの若いのが「いっちょまえ」のことを言い出した時期があった。その流れの延長に今があるな、と30年ほど端折ったが、思う。そこには電通の意図なども大きく影響してるだろう。というか「空気」を作るのが代理店の仕事だからね。おれが代理店に関わっていた時期はまだ「広告」代理店だったよ。1990前後のある時期、おそらく「右翼」で儲けようという会議があったはずだ。JAPANをクライアントにしよう。ここはなかなかcleverだと思う。当時は民間企業はコスト削減が始まった頃で、広告自体がstraight forwardのものはなんとなくダサく、で雰囲気CMというかあんまりはっきり商品の訴求をしない、そんなCMがインじゃね、とされつつあった。おれもクライアントとして関わった(コンセプトはおれが書いた)石坂浩二と木野花を起用したVicks DropのCMもそんなことだった。エヘン虫ね。エヘンBUG、言うとったがガイジンには。
なんとなくだが市場が飽和しつつあり、費用対効果(今はサルでも使うコスパですが)の点で何億も使ってどやねん?ほんまに効果あんのか、ま〜るつぁ〜にさん、と「英語で」訊かれたことを思い出す。
広告代理店にとっても「楽しく・おいしい」時期が終わりかけていた。で、その後の、今に至る「代理店」の戦略になるわけね。
まさにこちらの国は「空気」で出来てるから、その大元をこしらえてしまえば、あとはその路線でどうにでもなる、ということだったね。うまい具合に「J リーグ」もできたのよね。その寸前に「セリエA」がwowowで始まり、おれは案の定海外サッカーに釘付けになっとったが、一般の人々はJのサッカーに惹かれていったんだもんね。業界人のうっとおしいのもこの頃から大量に湧き出した。今に至るだけど。今はJは落ち着くべきところに落ち着いてると思うよ。ただ当時はほんと胡散臭かった。まだW杯いける力なんてなかったし。
で、どんどん下の世代が育ってくる。そうそうJと言えばもうひとつ、忌まわしいJポップがありました。だから「Jのboom」を創り出しといて、下から育ってくる世代をそこへ投網で取り込む、という手法、まあ、アタマええな。
おれは今も昔もgreedyなグローバリストではなく、気まぐれなcosmopolitanであるから、「すべての文化は等価」なのであって、行く行くは「地球の文化」という概念が世界を覆うと思ってたのだけど、冷戦が終わり、「資本主義」の一人勝ちを、人はあさはかにも信じ、新自由主義を生み、その挙句、まず民族意識が台頭し、紛争(近隣での殺し合い)が起こり、途上国もまた物欲に目覚め、フロンティア創作の試行錯誤の挙句、そんな中で勝ったはずの資本主義が終わっていくという、なんだか支離滅裂な事態ができちゃったわけよね。
と、考えてくると、もうおれたちに倫理を実践する動機もなくなっているのだな、という感を強くせざるをえんね。その先端に現れたPMとその配下の人々、やっぱりこれはまだ引き返せる時に引き返すことをせず、流れに棹さしてしまったのだな、と思う。おれにも一億分の1ほどは責任あるな、と自覚する。
流れというものは加速度ついちゃったらもう行きつくとこまで行かないと、恣意的にそれを止めるのは無理だね。軽く歴史を俯瞰してみるなら、もうこれはもう一回悲劇を味わうしかないのだろうな、というのが本日の必然的結論ということになる。
明日は変わってるかも知らんが。まあ、前提にもユルい箇所あると思うから。だが、本日はこれ。ギヴアップな日。
posted by 浪速のCAETANO at 17:11| 大阪 ☔|
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その嘘・ホント?
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