2017年11月03日

宗像・沖津島

宗像三神。辺津宮・中津宮・沖津宮。沖津宮は(沖ノ島)である。宗像三神はアマテラスの娘たちとも言われている。

NHKで沖ノ島の特集をやっていて、玄界灘にある沖ノ島が、中津宮もそうだが、壱岐・対馬の海の民であったアマテラスの一族の聖地であったこと。わかりやすい。NHKはアホなので無理矢理ヤマト政権と結びつけようと、バカ学者・バカ神職にヤマト政権のヨイショをさせていたけれど、「6世紀にヤマト朝廷と【九州の豪族たちが】だって」だはは、バカか。

さらには磐井を「豪族」だと云いよった。磐井の石人とは「法廷を模したものである」。ここ何を意味するかわかっていない。磐井は「倭国の天子」である。そしてそれは「律令が倭国に存在していた」ことの証拠でもある。倭国の「群を抜いた先進性」の証左だ。

またここでも「磐井の反乱」なんちゃって。ど田舎の豪族(ヤマト)の内乱に乗じて若狭らへんから「出てきた」オホド王という極め付けのイナカモンが、おのれが掌握した近畿の誇りでもあった「その神を同一とする」九州王朝への「反乱」を起こした。それが真実。それまでの近畿の大王とは異なり、血の繋がりも、九州王朝との宗教的共有もないクソど田舎もんのオホド王(いわゆる継体)だからこそできた狼藉である。

歴史学者とはほほ全員バカであるが、特に古代のことをやってるヤツらはもうホントに酷い。藤原の陰謀にそんなにコロッと引っかかるそのナイーヴってなんなのだろう?そのバカの根拠を知りたい。およそ、それは「日本書紀に書いてるから」なのだけど。

宗像氏は、本来アマテラスの海人=天(アマ族)の下に連なる同業の民であると思う。その歴史はオオクニヌシの時代にまで遡るはずである。オオクニヌシの1の子分が海人=天(アマ族)のなのだから。

宗像中津宮に「奉助天孫」とある。こんなに分かりやすい言葉はないな。宗像氏は、アマ族と等しくオオクニヌシの元で海上交通を担当していたはずである。ただし、その立場はアマ族の下だった。天孫降臨(これは史実ね)の際に、瓊瓊杵命が糸島半島の「クシフル岳」に上陸し、硬軟とりまぜ、北九州の街を征服した後、あるいはその最中、天孫族(=アマ族)の宝物の管理と天孫族の安泰を祈願する、そういう祭祀を担当したのだろう。天孫族の宝物はもちろん沖津島にあるわけである。

近畿の豪族たちは7世紀半ば過ぎまでは沖津島に対して「指一本」触れることは出来なかったにちがいないのだ。









posted by 浪速のCAETANO at 21:03| 大阪 ☁| Comment(0) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする