2017年11月15日

生命

映画やドラマのビール瓶はお砂糖で出来てるんだよね。

本物のビール瓶は完全に凶器。時々、フランス・スペインのワインでとっても重いものもある。

立ち合い一発の張り手(要はビンタだが)で腰砕けるのをよく見てる。横綱は、さらにビンタ30発、マイク・灰皿と続いたと報じられてる。パワハラのキッツイの。上が下を苛めるのはもはや当たり前だけど、これは苛めを通り越す、カルく。governmentの態度とかんけーある?ない?どっち?

どこもかしこも絶望的。もうあかん。なんか現実と向き合ってると「誰でも」死のうか、という気になるんじゃないかな。頑張って生きようね、が何かしら虚しいなあ、そう思うよ。「彼」にとっての獲物はゴロゴロいたのはさもありなむ、だなあ。

なんか楽しいいことを伝播しないと。それもまた虚しさが付き纏うが、それでもエネルギーがあるうちはそうするのがいいだろうと思う。だが、楽しさもまた多様だからなあ。メディアの戦略に乗っからないと付加価値も付かない。そのメディアは内閣支持率をコントロールするメディアなんだけどね。ちょっと無批判だね、そこらへん。

今って、エネルギーは枯渇しつつあるが食う方法だけはなんとか確保した、逃げ切れそうな気がする、そんな人たちに溢れてるが、いやあ、ワカモノ男子特に大変だろう。around還暦男子も大変だが。

ちょっとSFを読もうと思う。もうひとつの現実の中に逃げ込もう。最近のものは悪夢的なもの・カタストロフ、そんなものばかりだが、書き手もそうなるのはわかる。HAPPYという概念はもう銀河系の彼方へと遠ざかってしまい、まあ「架空」のものとなってしまっているが、ほんと逆説的。不幸の中でのちょっとしたHAPPINESSがHAPPYだったのだ。

人類史においてもそれがスタンダード。20世紀の数十年間「たまたま」奇跡的な時間帯があったのね。46億年の地球史をこないだまとめてて、実感した。46億年を46歳とするなら、アノマロカリスが現れたのが42歳の時、魚・陸に上がる、が43歳、恐竜が44歳、人類のようなものが現れるのは「45歳11ヶ月23日目」、おれたち(クロマニヨン人)の登場は「45歳11ヶ月29日目の午後11時20分」除夜の鐘寸前である。

こんな相対化、意味がないと思うだろうか?

いや、意味はあるよ。その意味の持つところは人によって違いますが。

ただ、どなたにも言えることは、どなたの祖先も「生き延びて」きたという事実があることね。光合成生物や原核生物(大腸菌)が登場したのは地球11歳の時。DNAを持つ真核生物は21歳の時。大大大先輩である。そこからいろんな生物が現れては消え現れては消え、大量絶滅も5度経験している。最後のは6500万年前(地球43歳半)の隕石によって地層がまっしろけになった(白亜紀)だけど。地球全体がアイス化するスノーボール化が3度あったことも検証されている。

地球史を「謙虚」に見てみると、おれたちは宝くじに当たるほどの確率で「今・存在」にしてることがわかる。既に「宝くじに当たってる」ほどのものだ。

命って大事にしないといけないね、という至極当たり前の話になる。













posted by 浪速のCAETANO at 13:01| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする