2017年11月28日

やるせない

良心の呵責に悩むことのない真性のバカがいて、そのバカのウソをウソと証明するためにものすごい労力が費やされ、そのバカのウソを、ウソとバレてるにもかかわらず、知ってることも知らんぷりしてバカに奉仕するという反対側からのものすごい労力がまたまた費やされ、そこで立ち往生している。そんなことか、と。

大丈夫か?

企業の不祥事、続く。どこでもやっている、でいいと思う。経営にかかわる側の意識として、もうここまでうまくやってきたからもうどーでもええけんね、といった、おそらく会社への愛とかもモチヴェーション下がってて、もう全体的に下がってて、そこにある共通の感覚とは、取り敢えず「おのれの」人生の余生だけなんとかなれば、ごまかせればええわ、っちゅうことなのだと思う。

違う?

そこから見えるものは、勝ち組と思しきひとびとの間でも、もうこの国は「持たないだろう」という非言語的認識だろうなと思う。持つ、という根拠がもうないんだろうね。

ばかを排除で済む問題でももはやなかろうね。ひょっとして次の世代への愛情のようなものがもはや社会的に失われてるのではないかな。想像力の及ぶ範囲は自分の直の子どもたちぐらいまで。社会がこんなに壊れたことはない気がする。それほど近視眼的な目しか親世代が持てなくなったことって、という意味だが。戦後でいうなら初めてだと思う。

こちらの国の人々ってほんとに「大したことない」。だって俯瞰してみたなら、食えるようになって、モノをゲットできて、そうしたらすべてに緩んで、もうなにも自制が効かなくなった、ということだからだ。

だから逆説的に言うなら「今・びんぼー」の方がいいのではないか。少なくとも小銭持ちよりは。











posted by 浪速のCAETANO at 14:27| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする