2018年03月06日

曽根崎キッドの日々 34

    エレヴェーターが開く。曾根崎キッドは相変わらずぴょんぴょん跳びながら乗り込んだ。ウエイトレスは近づきつつあったが途中で足がもつれ倒れた。曾根崎キッドはエレヴェーターの中でもぴょんぴょん飛び跳ねていたからエレヴェーターは揺れていた。テーブルの四人は驚くというよりも喜んでいた。今ものすごく見てみたいなあと思ってるものが現実に目の前で見れたのであるから、大満足で、両手の親指を立て、曾根崎キッドを送っていた。曾根崎キッドを乗せたエレヴェーターのドアが閉まり、下降しはじめた。曾根崎キッドは高速エレヴェーターが地上に着くまでぴょんぴょん跳び続け、ドアが開くと同時に飛び出した。一階で待っていたおばあさんが腰を抜かしてへたりこんでいた。

 曾根崎キッドは堤防のある川のほとりまで走った。向こう岸から投げられたとしか思えない、洗濯物を干す棒があった。曾根崎キッドはそれを拾い上げ30mほど下がり、助走を着けて「棒幅跳び」をやってみた。川の中央に先端は刺さり曾根崎キッドの身体は持ち上げられた。しかし、それでも勢いがまだ足りなかったのか、棒は直立した状態で止まってしまった。曾根崎キッドは普通の状態ではなかったから、精神的なパニックに陥ることなく足をバタバタしていた。しかし状況はそこから変化はないわけだった。

 さゆりは曾根崎キッドが泊まることになる部屋にいてお茶の葉を替えていた。空気も入れ替えようと思い窓をあけたところ、いつもはなにもないところで何かが空中に浮いているのに気づいた。それは棒の先端につかまり、振り子のように揺れ、どちらに倒れるでもなく、よーくみると知っている顔だった。「キッド・・・・・」
 そのとき、さゆりの中で好奇心は愛情へと変容した。
 「わたしの大事なひと・・・・」
 さゆりは家を飛び出し、目の前の川の堤防へと駆け上がり、「キッド・キッド」と何度も叫んだが、当の本人は視点の定まらない目で中空を見つめ、ただただ足をバタつかせているだけだった。さゆりは家の裏に回り、洗濯物の棒を持って曾根崎キッドへ届けようとしたが、女の細腕には重く的が定まらない。そこで堤防の角を支点にしてこちら側に馬乗りになって向こう側の長い方を持ち上げようとした。体重をかけたとき、さゆりは身体がびくっと震えたが、そんなことは言ってられないのだった。棒は曾根崎キッドの胸の辺りまでは達した。でも曾根崎キッドの視界には入らなかった。30cmほど長さが足りないのだ。さゆりも身体の芯に「ずしん」とくる刺激が苦しキモチよく長くはその姿勢に耐えられない。さゆりは堤防のこちら側に尻餅をつき、「あと30cm・・」と呟いた。
 そのとき、さゆりの目に光が戻り、立ち上がり、玄関からいえの中へと駆け込んでいった。曾根崎キッドは相変わらず視点が中空のどこか定まらず、足は空中散歩で行ったり来たりしているのだった。(つづく)
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posted by 浪速のCAETANO at 00:51| 大阪 ☔| Comment(0) | 曽根崎キッドの日々(作り物・続き物お話) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

special day なのかなあ?

なんか知らん間に日が変わってて、自覚のないままO 60 oを迎えちゃったよ。まあ、なんというか「analog」な移行でそれでいいのかもしれない。

同級生たちはすでにそうなっているし、まあおれの「後」もそういない。なんなんだろうか?

今日は河内国分のJDといい時間を過ごし、その後中2女子とまあ楽しくお勉強して、80円ハイボールを3杯飲んで帰り、本日の予算委員会をチェックしていた。

肉体が消滅し、意識がなくなる(それも永遠に)時期がまあ言うてもこの20年(もっと早いかも知らんが)ほどの間に来るという現実を受け入れられたり、受け入れられなかったり。

おれはだいたい物事を後回しにするタイプで「まあそのうち」とか「機が熟せばね」とかをモットーに生きてきたが、おいおい、そうとも言ってられんのじゃないの?そんなことだ。

「まあそのうち」もないかも知らんし「機が熟す」ころにはヨイヨイかもしれない。そんな時間の制約とともに生きることを強いられるんだろう。まあ死ぬのは怖くないし、うーちゃんやぺろが経験もし、そして同じ場所へ行けるとなると、嬉しくもある。だが今すぐ死ねないし死ぬ時期でもないし、寿命は全うしようとは思うが、あまりに他人にメーワクかけてまで生きようとは思わない。

これまで死のうと思ったことは100度ではすまないが、にもかかわらずこうして生きている。まあ、そんなヤツが「生きよう」と思った時に、ほんとしょーもないことで死ぬ、なんてのが「理想」ではあるが。

良く生きた人間は、良く死ねるのではないかな。死ぬは「生きるの究極の結論」であるからね。もうだから「怖いもの」ではないねえ。かつての人生50年からするとおまけもおまけ、「ごっちゃんです」だ。

北林純はおれの年で逝ったな。もうちょっと生きて、わけわからん「おじいさんユニット」でもよかったな。まあ孤軍奮闘するけど。

自分で「Feliz Anniversario para min!」

厄年でもあった、忘れた頃の。







posted by 浪速のCAETANO at 00:45| 大阪 ☔| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする