2018年09月24日

見える

一般的に言えば3連休の最終日。おれは昨日も一昨日も一応仕事はあったが、みなさんがお休みならこちらも周りに空気が殺気立ってないからリラックスできる。人は社会的動物でしたね。そして、だからといってみなさまのことが羨ましいなんてこれっぽっちも思わない。【おのれのボスはおのれ】というコンセプトで長年生きているからなのだけど。
喧嘩売ってんのとちゃうので。事実そうである、ということね。さらに言うなら、どっちがエラいとかも考えたことがない。比較対象になるものではないからね。

ということで、本日は翻訳と録音、非常に生産的。生産するかどうかは「?」ながら、生産「的」は間違いない。これはどなたの仕事でも同じだと思うが、outputというのは一朝一夕にoutcomeしないのよね。outputがoutcome だなんて「季重なり」みたいだが、だはは。そこではリーマンのみなさまに限らず、プロレタリアートとしての、底辺における【連帯】きっとあるはずである、と固く信じてるよ。

How Music Worksの第9章、なかなか手強かったのと、やる気が失せてたので、半ば放っていたのだけど、初心に戻って「何のためにやってんの?」と自問自答してみたら、その答えは「ひまつぶし」とまさにcomeout して、ビックリ!そうや、ひまつぶしやったんか、じゃあやろう、また、と思った。

生産性だの、エラそうなことを言ったが、それはそれ、【人生はひまつぶし】これが一番正しい。退屈しないことがもっとも大切ね。いや、大切とかいらんな。その発想自体がもうなんか抹香臭いな。

だが、目も耳も舌も肥えたおのれを退屈させないってのはなかなかスキルがいるんだよね。ちょっとやそっとでは面白くないから。最近はひまつぶしが「機能」してきてる。いい傾向だ。広義の【遊び】とも言えるね。快楽、というとちょっと違う、in japanese、から【Pleasure 】とするが、そこに至る過程も行った先も、贅沢であればあるほど、難航し、だがそのpleasure自体も密度濃いね。

久し振りにkeyboardよく弾いてるが、全く触りもしていなかったから、下手すぎて笑ける笑ける、なのだがちょっとずつ勘戻ってきた。エレキギターもライヴでしか弾かないし、こちらもまあ半笑いぐらいだがなんとかする。そんなレヴェルから始まってるのが自分としてはまたまた客観視した際に「笑ける」のだが、笑ってばっかりいるわけにもいかないのだった。まあ、おのれにウケるっての、「悪くない」が。

昨日はtutor 2件でその2件目が駒川中野という「理想的」な流れだったから、当然、立ち飲みのハシゴだったのだが、夕方の駒川中野商店街のR&Bの有線に油断してたらウルっときた。

偉大な曲が次々に流れ、南から北まで流して歩いてたおれには「黄金の商店街」だった。先人達に支えられておれたちも何かできてるというvisionがハッキリクッキリ提示された。覚醒、でいいと思う。だから、そこら辺断絶した音を憎んでるのね、おれは、と再確認するんだけど。そしてポップという概念の雑食性はいいんだけど、断絶後の、それはそれなりの貧しいリソースの中の雑食は、ちょっと半殺しにしなあかんな。あー野蛮、看過できんな、にしとく。目障りである、非常に。正確には耳障り、だね。ポップの宿命はその雑食性にあるから、断絶後のそいつらは「鵺(ぬえ)」みたいに出現して雑食を始めてはや20余年。気持ち悪いものがだからでき続ける。まあ出会わんようにしとけば害はないんだけど。

異世代間の交流の際にひどくその現実に向き合わされるのね。まあいいんだけど。啓蒙のしがいがあるかも、ぐらいにしとく。

でも昨日のようなタイミングも完璧な「グレイトな瞬間」って確かにある、時々だけどね。

posted by 浪速のCAETANO at 15:04| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする