2019年01月30日

オカシオコルテス議員のnycでの最近の演説

FC2F186C-5B66-4AD2-ACAC-CFE01BE15151.jpg

こんにちは。おおきに、ニューヨークシティー!
みんな、おおきにやでー!

みんな、大騒ぎする用意はええか?
みんな、うちらの権利のためにやったる用意はええか?
みんな、アメリカ合衆国では、うちらの国では、誰でも愛されて、誰でも正義を受けられて、
誰もが平等な保護と繁栄を受けられるんやで、という用意はええかー?

ここに立ててめっちゃ光栄やわ。

今日、うちらがここに集まってんのが、マーティン・ルーサー・キング・デー直前の週末やっちゅうのも偶然やとは思われへんわ。

っちゅうのも、この瞬間、ほんで、いまうちらのいるとこは、公民権運動が中断したとこからもっかい始めるっちゅうことやと思てるからや。

そのたいまつを前に運ぶために、うちらはここにおんねん。

っちゅうのも、うちらは人種的・経済的正義、人種的・社会的正義を、経済的正義・環境的正義の問題へ、ほんで、うちらの闘い全部の交差性・相関性の課題へと広げはじめてるねん。

正義は、本で読む概念とはちゃうんや。
正義は、うちらが飲んでる水のことや。
正義は、うちらが吸うてる空気のことや。
正義は、ほんま簡単に投票できることや。
正義は、女性の稼ぎはなんぼや!ちゅうこと。
正義は、おかんら、おとんら、みーんな両親が子供らと一緒にちゃんとした時間を過ごせることや。
正義は、行儀がええのんと黙ってるんがおんなじやないちゅうことを確かめることや。
正味の話、なんやかんやいうて一番正しい行動は、テーブルをがんがん揺さぶることなんや。

去年、うちらは投票の力を握ったんや。
今年、うちらは政策の力を握ろうとしてるんや。
下院を取り戻したさかいな。

ただ、それは「ステップ1」でしかないんやで。
今年、うちらはぎゅっとまとまるで。
今年、うちらは投票権のために闘うで。
今年、うちらは前進し続けるんやで。

2018年、うちらは下院を取り戻したから、これから2020年に向かって、ホワイトハウスと上院も取りにいくんや。

誰でも歓迎されて、だあれも取り残されへんところ、アメリカのために前進して、闘う必要があるんや。

今年は歴史的な年やけど、ここにはまだ連邦議員になる女性がぎょうさん残ってるんや。市議会議員になる女性がぎょうさんおるんや。ビジネスを立ち上げる働き手がぎょうさんおるんや。未来の大統領かてここにおるはずや。

闘いとは、誰も取り残されへん、っちゅうことやと思い起こしてや。

黒人の女性らが直面してる問題についてみんなが話すんのをやめたがるとき、
トランス女性ら、移民の女性らが直面してる問題についてみんなが話すんをやめたがるとき、
うちらは尋ねるべきなんや。「なんでそれで居心地悪くなるん?」

いまこそ、貧困に取り組むべきときやで。
フリント(の水質汚染)に取り組むべきときなんや。
ほんで、ボルチモアとブロンクス、山火事、プエルトリコについて話し合うべきときなんや。

これは単にアイデンティティについてのことやあらへんで。
正義についてのことなんや。
うちらがこの世界にもたらすアメリカについてのことなんや。

みんな、ほんまに、ほんまにおおきにやで。みんなのことめっちゃ誇りにおもてるでー。


以上。

どうだろう?

前の前のここの記事で、読んでね見てねと貼っておいたが、言葉の壁を解消することって大事。どなたかの翻訳byここら辺の言葉。ま、ええ感じ(ていうか許容範囲)。いま、オカシオコルテス議員は本人がいみじくも言ってるようにmoving forward.彼女も、彼女の党も、彼女の党にはしかし,Bernie Sandarsもいるがhcもいるわけ。主流派ではない。

個人的にはオカシオコルテス議員、もちろんbernie sanders、応援している。当たり前の話。だがdtの意義もある。特にこちらの国に「あった」のだが、それを「活用」できなかったし、今後できる気もしない。サルには無理だった。毎度同じのone & only pattern 。情けない。サルにはその違いが分からなかった。Bernie Sandersにマハティールほどの長寿を期待するか。

本日、国会。独裁の国の国会は活気もない。末期的だった。えだのの質問に答える際のチンパのマナーに(それはわかりやすくナメてるんじゃなく、おのれのエネルギーを敢えて使わないことでエダノの質問を無力化するような手法)イラっときて、もう大学向かったが、それによって野党のヤジもなんか収まってしまった。なーんや、それ。お前ら「衆議院やろ」。

まあ、そんなもんよ。そんなもんやから、オカシオコルテスちゃんが大阪弁喋ったらこんなんやわ、いうのをまあ読んでよ。明日や明日。志位くんは明日だって。
posted by 浪速のCAETANO at 21:03| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

未来€選択されなかった過去

一昨日の夜、どうしてもTelevisionを聴きたくなって、CDを探そうと思ったが、1/ウン千の労力にメゲ、youtube で探す。Muziliのスピーカーもまあまあ優秀。
Marquee Moon、Adventure というホントにほんとに「奇跡」的な2枚のアルバムを late 70sにリリースした。below.

5104507C-A2CC-4E62-B239-6EBEECE6509D.jpg50FCE671-1ADE-449E-A779-DAF1D9B57068.jpg

ギターの可能性みたいなことよく言われるが、昨日【how music works 】おのれ校正をしていたら第三章が途中で「消えていて」しょうがないから終盤の5p再翻訳していたときにd.b.がジミ ヘンのことに触れて、その可能性のことを書いてた。

「その使用可能な音の範囲はどの固有の文化の流れにも制約を受けなかった」とd.b.は言うのね。

ジミヘンドリックスはまさにそうだ。そうなのだけど、そしてそれは確かに新時代の扉をあけたのだけど、「ちょ、待ってや」というタイプのギタリストもいたというわけ。そこまで「スペイシー」でなくとも、まだ「残された可能性」はあるんじゃないの?というのが彼らの言い分だったような気が今する。

確かにpunk=new waveのバンドのギタリストたち、まあ「ヘタ」だったこともあり、「ビンボー」だったこともあり(おそらく)、そっち方面のギタリスト少なかった。UKで言えばRobbie Robertson ラヴの「シブ系」ギタリスト、(例えばブリンズレィ シュワルツ)多かったこともあって、その「スペイシー」方面は特化し、エイドリアン ブリューが一手に請け負った、そんな気もする。飛ぶがTalking Heads w/Adrian Belew,Bernie Warrelのライヴ(ほとんどstop making sense だけども)、映画のプロトタイプのようなライヴをあちこちでやっていてその映像あるが、ちょうど初来日と初映画のin betweenの時期ね。映画にはAdrian はおらんので。まだd.b.は十分キモい。

当時のNYには少なくとも3人はヘンタイがいて、David Byrne, Tom Verlaine,Arto Lindsayというのがおれの思うところだけど、トム ヴァーレイン こそがTelevisionの中心人物だったね。

おれはNY Punkとセグメントされるものにいわゆる「Punk臭」が極力少ないと思っていたし、そうセグメントされたとしても、UKのそれらとは全く別モンだという印象を当時持った。もちろんstraightforwardはUK。それはそれで時代の気分でもあり、当時大学入りたてのおれといたしましてはそのガツンと来る手応え、嫌いじゃなかった。だが、同時期に(当時はそんな幸せの時代)1stを出した人たちのヴァリエーションがヤバくてどれもこれも「好きなもの」ばっかりで、そっち系だけじゃなく、例えばNeil Young は当時の環境にいち早く反応して「Live Rust」、そこまではさほど興味のなかったHall & Oatesも「X-Static」なんて超カッコいいアルバムを出したり、なんか目回るっちゅうか、当然コステロやグラハム パーカーやXTC、イアン デュリィ&ザ ブロックヘッズ、Joy Division 、、、もうおのれの将来の「drop out」決定!そんな環境になっちゃってたのだ。

で、最も違和感を持った(これはpositive な興味と言い換えられる)のが
NYの3ヘンタイ‘sだったかなあ。

d.b.やArto Lindsayはおのれのextension、expansion にその後勤しむことになるんだけど、もう1人のTom Verlaine (このヴェルレーヌの英語読みを芸名に選んだことからして想像できるが)の耽美的というかトリッキーというかその両方というか、歌はヘタだし(みんなヘタだった)、ライヴを聴いてもギターもヘタだし、だがしかし、その録音だけはほんとに「奇蹟」というのはこういうことなのね、と分かりやすく素晴らしい。聴いたことない人聴いてみたらいいのだけどね。

4ピースのバンドでここまでアーティスティックに仕上げるのは至難の技。しかも音数多くない。ギター、スペイシーからはほど遠い。

「非常に」新しかった。で、その新しさは今も色褪せない。ある意味、当然なのだ。世の流れは「gear」に依存した音楽だらけなのだから。

ジミヘンドリックスまで行くのが当然ということに「なっちゃってる」が、まだギターには気づかれなかった可能性残ってるよ、というのが彼らからもらったメッセージだった。

ブルーズ感のないダイヤトニックスケール多用のリチャードロイドのオブリガードと「ド」ヘンタイ、トム ヴァーレインの形容できない異物ギターのミクスチュア。これは面白かったしいまもおもしろいし、これからもおれは面白がることは決定してる。

自分にしてみたら「バンドの原点」みたいな意味もある。ああいうバンドならいつだってやりたいと思うもんね。専門家システムからは最も遠い。厳密な意味での「アマチュアリズム」の奇蹟とその結晶。

とってもとっても「美しい」のね。

未来とは「選択されなかった」過去の中にある。

posted by 浪速のCAETANO at 11:44| 大阪 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする