2019年05月31日

退行進化

希望がない社会。

もう30年ほど前から『冷徹な野蛮人』に囲まれて生活するようになるだろう、と言ってきた。

ヒトがヒトでなくなるという事はヒトを超えるものになるのか、あるいはヒト『以前』のものへ向かっているのか?

SNSでだけども、あまりに四足歩行の上手いオンナの人の映像があって、どこかで探せると思うのだけど、そしてこちらの国にも、いとうさんという一日6時間四足歩行してる社長さんがいるみたい。

おれが見た外国人女性、かなりすごかった。おれはサラブレッドのケツに「ほう、、」とため息をつくことがある。シマウマでもいいけど。美しいと思うのね。「種を超えたケツフェチ」なのだが、その外国人女性に対しては、人の女のケツに思う、というよりもサラブレッドのケツに思う、といった感情の方が大きかった。

彼女は「完璧な四足歩行」でさらにカッコいいのは「4足走行」時。ジャンプとかも完璧で、ちっちゃなジャングルジムを飛び越えてた。着地も完璧だった。筋肉の動きは正に四足歩行動物。

おれはOlympiadの100mに一人二人混じってる未来を幻視しましたけど。

ぜひ探して見ていただきたい。


ヒトがヒトであるための条件がどんどんないがしろにされていってる状況で、ということはそのbaseが揺らいでいってるのだが、そこみなさん無自覚過ぎないか?主に社会的な事。ヒトは集団でしか生きることが出来なかった。単独では単なる獲物。その戦略がコミュニケーション能力を育み、大脳新皮質の発達を促した。道具を発明したことからおれたちの生物学上の進化はほぼストップしてしまっている。新しいtoolがその代替機能を持つからね。

だが精神はまた異なる路を歩んでいる。生物学的には「死」を意味する孤独は、バルカン体質のおれなどにはなくてはならないものだし。だが一つ間違えると孤独は変容してしまう。孤立だけどね、孤立は、社会的な危機なのだが、そこに直面してる方々、大層存在している、が現状なのだね。

にわかにそれは社会的な話になってくる。おれは20年ほど前に突然もたらされた「自己責任」という概念がこちらの国の人々を足下から蝕んできたし、いまもそれは進行していると考える。その概念こそが人同士の繋がりを弱体化させ、協働のはずが競争相手にさせちゃってる。

自己責任に新自由主義となれば世の中はよりharshにならざるを得ない。さらに国は「貧乏人ははよ死んでね」である。こういうことは人心を安定させるわけがない。

人による惨劇はこれからも起こるに決まってるし、加速し、その規模は拡大するとしか言いようがない。じゃあ、それに対しては「管理」をキツくするしかなく、管理から監視へと向かうしかなく(実際そうなってる)、もう生きづらさはmaxへと向かう。それが人をさらに追い詰めることぐらい誰でもわかりそうな気がするが。dead endまで追い詰められたなら、誰にだって暴発の可能性はあるよね。

人はすぐに転落するものなのよ。だから他人事ではないのね。暴挙に出た人を対岸の怪物みたいに言ってる人間ほど「慈悲の心」を持たない。現状が進行するのをただ見てるだけ。無行動の根拠はおのれが食えてること。そんな「社会性のなさ」でええの、と言っときたいよ。


四足歩行になれば肩こり、腰痛なくなるというけどね。退行進化とも言うそうです。





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2019年05月29日

憎悪・暴力はトリクルダウンがある

昨日は登戸の事件で大変だった。普段は地上波など見ないが、続報を求めてずっと見てしまった。時々、空母上のpm、dtの訓示が混じる。

「なんで?」がよくわからないが、悲劇はおきてしまう。

カーッとなっての衝動からくるものではないのだけは確か。

そして「無差別」でもない。弱者を狙ってる。おそらく彼自身もそう。だから更に弱いものを狙ってる。

命をそんなに粗末に扱うのならば、もっと他にも人間もいるのに。「そこ、違う」

富のトリクルダウンは起こらないが、憎悪というか暴力のトリクルダウンは確実にある。

「死にたかったら1人で死ね」

そういいたい気持ちはわからんでもないが、それもできない「淋しがり」だったりする。そんな淋しがりいらんで、とは思うが、淋しがりかどうかなんて他人に決められたくない、ぐらいのプライドはあったのだろう。

「そんなプライドいらんし」

そこはしかし、またまた他人にどうこう言われたないとこだったりする。

傷つけられた方、特に小学生たち、怖かっただろう。トラウマ残る。かわいそうである。

悪は連鎖する。この場合は「憎悪を伴う暴力」だが、大抵はみなさん耐えてるのよね。頭の中や、最大でも言葉まで、で。だが弱者(自分より)へ向かうとこが最低なのだ。そこ復讐にさえなってない。

すごく「虚しい」。虚しさが漂う。盲目的な犯罪だと思う。最低限同情的に言うなら「敵」はそこじゃない。目が見えてない。凶悪大犯罪を犯すほど腹座ったのなら、もっと「他に」あるやろ。

やっぱり「目が」見えてなかったか。理不尽だよ。被害者の気持ちに寄り添うなら。

こんな理不尽が日常となるのが戦争である。奇しくもpmは空母の上にいて、アライアンスの「不可逆的な蜜月」という主旨で訓示を行っていた。dtはこの事件に対するお悔やみを口にした。アメリカはこの手の事件起こってるから経験があったともいえる。だが、pmのアタマの中はおのれと自衛隊員と空母とアライアンスのことしかなかったと思える。まあ、自分の言葉を持たない(ヤジぐらい)人間だから、そんなんにお悔やみを言われてもお悔やみになってないかもしらんが。ひらがな読めんみたいだし。


飛んだが、「1人で死ねるヤツ」はまだ強いのよ。だから、一人で死ねない、これからの予備軍に、一人で死ね、とは言うべきじゃないと思う。感情としてはわかるが。被害者の娘の父とかだったらそこまで冷静ではいられないと思うけどね。

一人で死ねなかったヤツにはその高ぶった感情はもう届かないんだから。これからの未犯罪の犯罪者にはそれを言っちゃ、なあ。


おれはやっぱり政治だと思う。今、飛躍があると思った人も多かろうと思うが、でもね、人が人をケアするには余裕が要る。その余裕は精神的・経済的両方。だが精神的余裕は経済的余裕に依拠するよ。これだけ痛めつけられてる人々が量産されてる世の中というのはヤバい人々も確実なパーセンテージをもって量産されてるわけよ。太郎ちゃんの言う、「生きててくれよ」の世界は「文学的表現」ではないっちゅうことよ。

不公平がこうあからさまにに行われれ、人の間には不安と不満が充満するのを見て見ぬ振りをするってのが既に犯罪的だとおれは思うが、どうかな?その不安と不満はモンストロウザ(膨張怪物化)する。現在進行形で進んでる。

もっと悲劇が起こる、とおれが考える根拠だけど。もう運に頼るしかないけどね。みなさんの幸運を祈るが、犠牲はきっと出る。それも今よりも高い頻度。おれが、あるいはその身近な人が被害にあうかもしれない。そこはまさに「運」。

だから一番弱い人間をどうにかして救うことを考えないと。困ってる人の話を聞いてあげるだけでもいいんだよ。そのセーフティネットはコミュニティのものだが、そのセーフティネットを担保するのが個人の生活。そこに目が届くかどうかは政治の仕事。

今の政治を容認することは悲劇の量産に手を貸すことに繋がるとおもうし、それはまた悲しみを定期的にもたらす、というとこまで人の意識が繋がるか。そこを冷静に論理的に考えること、こちらの国の人々の最も「苦手」なことだと思うが。

おれはあんまり期待できないと思ってる。なにもかもが「単発」で終わる。愚かだなあ。選挙も近いけど。




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2019年05月28日

さて新世界へ

EUの選挙結果が出ている。
フランスではマリーヌ・ルペンの国民連合が第1党。英国はbrexit党がぶっちぎり、労働党、保守党、見るも無残な結果。だがスコットランドはEU残留勢力が勝つ。イタリアも極右政党が圧勝。ドイツはそこまで行かなかった。

人々の集まり。国家の集まりであるから一つにまとまることはハナから無理とは思うが、そこは求心力がかつては存在したわけで、しかしそれが、現在はあっちこっちへのヴェクトルが勝手にとっ散らかって、遠心力と求心力が綯い交ぜになり、カオス寸前といった印象だ。

Brexit党主、イタリア極右政党の党主が、軽薄を絵に描いたようなlooksなのが気になる。イタリアはベルルスコーニの国だがら、デフォルトでお笑い入ってるのだけど。


日米も負けちゃいない。

北朝鮮の「発射」に関して;

pm「国連決議に反することで許し難い」

dt「そんなことはどうでもよく、長距離ミサイルを発射してないことが全てだ」

pm「日米の立場は『完全に』一致している」


笑かすな。今回pmはいかにdtがいろんなことしてくれたか、いかにワタクチの後ろ盾になってくれてるか、「しか」言っていない。アホなのか。

拉致問題は解決しない。キムくんは「もっと」賢い。それが現実である。第三国から見て、pmが思っているほど日米の親密が絶対的ということはあり得ない。第三国からすると、そこの分断など、ちょろいものだ。Putinなら1分で可能だろう。こちらの国がもはや世界の中での最重要国の位置から滑り落ちてしまってることは客観的に理解する必要がある。その責任は誰にあるかって?言わずもがな、であるね。

あまりに「閉じすぎ」ではないかな、と思うのだ。こちらの国だけど。さらにpmの今回のdtがいる時の発言の「dtへの持ち上げ方」ちょっと異常だった。拉致被害者の前で、その解決には「ワタクチがキムくんと向き合うしかない」ということしかないにもかかわらず、「dtがハノイでキムくんに言ってくれたんだよ」と拉致被害者家族に「恩着せがましく」言ったり。

向き合う・の意味はわかってないと見える。dtをバックに、ということを内外に示すことが、バカだから、得策と思っている。そしてdtをバックにという台詞を言えばいうほどdtの「deal」の論理の中に深入りすることになり、貿易交渉と武器購入においてどれだけ言いなりにならなけりゃいけないか、ということだ。まあ積極的言いなりだから、さらに呆れるのだけどね。そしておれたちの生活はどんどん厳しさを増すことになる。この6年余の悲劇の構図である。


今回のdt訪日はこちらの国の、dtに対する「忖度」がグロテスクに表現された、その集合体であるね。

右翼街宣車に「Welcome to Japan」て、飲みかけのコーヒー、吹いたよ。


posted by 浪速のCAETANO at 09:17| 大阪 ☔| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小さな再生、何度でも

■「泣くことを恐れるな。涙はこころの痛みを流し去ってくれるのだから。」【ホピ族】

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2019年05月27日

出会う日

共同会見を見ていたが、あれじゃあダメだね。

dtの饒舌に対して、「バカ剥き出し」。とっても恥ずかしいです。おのれのアタマで「なあんにも考えとりません」を全世界に向けて発信してるとこが見ていて「イタい」のよ。

米国の記者の質問「北朝鮮への大統領のオプティミズムを貴方は共有しているのか?」の質問の答えがケッサクだった。ヴォキャブラリィがない・政治的ヴォキャブラリィがないことって致命的である。政治家がよ。トランプ大統領の「新しいアプローチ」という言葉を頻発して、英語に直すと、アホの高校生のtautologicalな英検作文「私はテニスが好きなのだ。なぜならテニスが好きだから」みたいだった。「うわ・アホ」と、Japaneseのおめでたい方以外は間違いなく思った事だろう。

だけど、甘やかされてるな・pm。こちらの国のけつ舐め記者の事前決定的ご質問に「原稿を読むだけの回答」。バカTV局のヤラセとかわらない。望月ちゃんと密室に数時間閉じ込めたいものだ。

こんな「楽な」国はないな。いや、マヂで。all メディアが味方だもんね。しかし、母国語を「うまく使えん」ちゅうのはちょっとまずくはないかい?

ゴルフして相撲見て居酒屋連れて言って、そんなことをさも大事なイヴェントであるかのように、記者会見で何度もいう。よくわからないのね。他になんかないのか?「ナインデスゥ、特にぃ」とか言いそうで怖い。


今日はいろんなヤツと出くわす日だった。休み時間にが学校の前でタバコ吸ってたらじゅんいちが通った。おかげでmix downの発注ができた。

帰ってたら、本町辺りで川越と会った。

で、おばあさん喫茶でおばあさんの健康を確認できた。

お茶飲んでたらちょうど夕刊が来て毎日新聞は村上春樹のインタヴュー、日経は小泉先生のエッセイに出くわす。日経の夕刊は値打ちである。夕刊だけ取るってできないのだろうか?

久しぶりのチャリ通ゆえか?

机の上に座って授業するとまあまあ楽ね。どこでもそれ出来たらいいんだけどね。ものすごく態度悪、なんて思われる場合もあるからね。時と場合によるなあ。つまんないね。

晩メシはイカ墨のパスタとbaby leafのサラダ。と白でした。




posted by 浪速のCAETANO at 20:13| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月25日

メッセージ、読めてる?

まあ端的にいうなら「弱いものは死んでね」ということなんだけどね。
政権のメッセージですが。これを読めてない人たち、いまだにいるみたい。

なぜ、そんなにおめでたいのか、よくわからないけど、まあ「お人好し」ってことなのだろう。お人好しが報われる時代はもう終わった。世の中は新自由主義・グローバリズム全盛の時代。為すすべもなく、「あー」とかいうてる間にどんどん地獄へ向け転がり続けてる。そんな印象。

天皇即位、オリンピック、万博とそんなイヴェントでかる〜く気をそらされる。簡単すぎる。

今地震がね。千葉県茂原、ゴルフ場があるとこじゃなかったっけ?pmがdtを誘ってプレイすることになってたと思う。くくく、余震くるよ。

与党が83日も「審議拒否」してること、知ってるのだろうか?

おそらく衆参同日選ということになり、また与党が圧勝する。消費税を上げると本当にこちらの国は、というか貧乏人は「終わる」。だが、消費税を上げる、でも与党は勝つのではないかな。それぐらい愚かになってると思う、こちらの国の人々。

よくわからないな。どうも目線が大きなものまで届かないみたいなのね。目の前のことだけを凝視してる。敢えて、なのか、無意識なのか、またはその両方なのか?ちょっとは危機感持てばいいのだけど、その危機感による行動は「守り」で終わるからモメンタムにならない。ある種、エゴの範囲を出ない。そこ、思う壺だけどね。

最近明らかになったことは立憲が「消費税賛成」ということだ。うーん、枝野の限界かな。投票する気はなくなった。

前々から言ってるように、小沢くんに「最後のお務め」を期待してる。小沢くんのリベラルは方便だ、という意見があるが、それが何なの?

あのさ、世の中は競争と平等の狭間でカンペーするってのがいいわけで、swingするのがいいわけで、これまでの(戦後でもいいけど)政治の「頭悪さ」とはどっちかに「非常に偏る」ということなのではないのか。社会主義しかり、新自由主義しかり。

常なる「微調整」が必要なのね。その意味での小沢くんのここ数年の「国民の生活が第一」という大きな政策は正しい。貧乏人に小銭を、も正しい。こちらの国のGDP、6割は内需です。100000000人以上いる国なら、その中で経済は回るのだ。もういろんなもの売っぱらわれたから、そこにさまざまな障害があるけれど、それでもまだ普通に回せば、健全に回る可能性はある。

そのためには庶民に小銭を、である。それは太郎ちゃんの言ってる「消費税『減税』」がいいに決まってる。現実もだけど、ちょっと気を楽にさせてよ、ということだ。


もう政治は無茶苦茶だが、その無茶苦茶に異を唱えても、無理だから、波風立てずに静かになけなしの資産を守ろう。こんなとこだろうと思うが、それでもあの投票所のブースの中では「誰に気兼ねすることなく」1票を投じれるのよ。

あかんもんにはあかんと言おうよ、と言いたい。

posted by 浪速のCAETANO at 15:54| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月24日

見もの・

dtがpm夫妻を引き連れて大相撲観戦する際に、他の観客がどういう反応をするか。見ものだ。注目してる。ぜひ、番狂せがあって座布団投げが起こり、japannese audienceのwildを米大統領に思い知らせていただきたい。『japは怖いぜ。対戦時とメンタル変わってない。いざとなったら座布団一斉攻撃、あるぜ』か、なんか。

おそらく『おとなしい』と思う。大相撲の現場にいる人々のmind、まあ想像に難くない。

しかし、何をはしゃいでいるのだろう。

おれは首脳がはしゃごうが、カネを湯水のように使おうが別にいいと思う。そこ、コスト掛かるのもわかるし、掛けようと意図を持ってもいい。だが、人々の生活が成り立っている、という前提さえあれば、という留保付き。

今はその非対称性に『中指立てる』方、多いのでは、と思ってる。面と向かってはよう言わん、としてもだ。

なんか、金融庁が「もう年金、無理」と言い出した。80歳からにしようかな、給付を、とも言い出した。今、戦後、最も「カネも希望」もない時間帯だ。昭和の中期は、金はないが希望はあったし、人々は今みたいに疲弊してなかった。元気はあった。英米からの「すごい音楽」にも希望と勇気をもらった。

うちのturn tableが死亡して以来、もう長く、ものすごく「GRASS ROOTS」が聴きたくなり、まあyoutubeで聴けばいいんだが、やっぱおれたちの世代ってfetishというかモノにこだわりがあるのね、数日前にアマゾンの人だった。

久しぶりに聴くと、なんかものすごい「人海戦術」の音楽。いまの観点からいうなら『贅沢・gorgeous』となる。Wrecking Crewの演奏、曲と詞はsteve baliやp.f.sloan。arrangeも。今は人が「高い」。昔もそう安くはなかったはずだけどね。制作費がたっぷりとあったんだねえ。

おれは、その時代にやっぱり憧れがあるね。物心ついたのがその後というか、自分が音楽やり始めた頃にはそういう状況ではなくなってたから。その辺り「回復」したいってのがあるのだろうと自分では思ってる。


この20年間でお金が(貯金がでもいいが)増えた人と減った人、2:8とか1:9とかじゃない?みんな、おのれを責めたりしてると思うが、それ違うからね。「全ては」政治の不作為。その証拠に各国のGDPは倍増してるからね。給料もしかり。足踏みor微減ってのはこちらの国「だけ」よ。koreaにもう5年で抜かれます。街の活気が違うもん。小泉・竹中という第二のA級戦犯が「売り始め」今「売りがデフォルト」となってる状況。


冷静に考えて、今日より昨日が良かったし、明日は今日より悪くなる。だから今が「消極的bestな時」ここ、異存ないでしょう。明言しないけどみなさん、み無意識ではそう感じてるわけで。みんなの、だから、給料を上げること「だけ」で世の中は回復するのにね。貧乏人はお金使いたいんだよ。そこが経済を回す唯一かつall mightyな方法なのね。内部留保とかを吐き出させること、ここを言ってくれる政党があればいいね。太郎ちゃんぐらいしかないだろうね。

m&aが怖いのはわかるが、じゃあ、だったら国の方針に文句言わな。大企業の社長たち。キミらも所詮、雇われ社長、サラリーマン。哀しいことよ。

でも、おのれらだけ生き延びても「楽しくないよ」。遊ぶやついないんだぜ。


もう逃げるだけ。まあ、逃げる・は人類、ではあるんだけど。同類を置いては逃げなかっただろうと思うよ、過去の人類は。そうでもないかな?
posted by 浪速のCAETANO at 12:58| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月23日

その後に思うこと

fandangoの余韻と感傷に浸る間も無く、バタバタ。

逆にいうなら「ありがたい」。

最近、やりたいこととやって楽しいことが先鋭化されてきつつある。それらの中でも、これこれここここ、そんなことだ。

いろんなものが(人も含む)が「fin.」へと向かう中、もう興味のあることを楽しくやる以外の選択肢はやっぱりないんだね。そんなこと。


今年はあちこちでsoloのライヴを敢行しよう。PA設備のあるところならそこで。なけりゃ、cubeを担いで。身軽に動こう、そう思う。もちろん店でもやろう。

録音もしよう。モルモッツを仕上げて、次は「ムリエールズ カンタンド メウズ カンソンイズ」そんなアルバムを作ろう。

いろんな人と共演もしてみたい。丸腰で。

今年は忙しいといってもおそらく前年度ほどではない、とフんでる。

おれはレパートリー500曲以上あるから、ライヴを。「やりにやっても」在庫が溜まる一方である。在庫を吐き出す必要がある。吐き出す、は語弊があるな。だはは。やってもやっても追いつかん、ということだった。

ちょっと久し振りに「録音癖」もついたしな。このノリ、大切に。

家のPCがrenewalされて、以前OLYMPUSで撮っていた画像が観れるようになった。そっちもちゃんとやらなきゃな、ということである。まあまあ忙しい。


放っておけば人は死ぬのだ。することあるやつはちゃんとそれしなさい。
posted by 浪速のCAETANO at 13:16| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親知らずが動く時

■「宇宙はわれわれひとりひとりのなかにある。」【オグララ・ラコタ族】

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2019年05月22日

また一つfin.

先場所、千秋楽で、貴景勝の大関昇進のまあ「咬ませ犬」役を演じさせられた栃ノ心だったが、本人は王関陥落でむかえた夏場所。

大関陥落した力士、最近はそのままズルズル行ってしまう。照ノ富士、琴奨菊。把瑠都もそうだったんじゃないかな。

おれは復活が待ち遠しい宇良、パワー全開の押しの玉鷲、パワー全開の四つ相撲の栃ノ心が好きだ、と公言しているが、その栃ノ心、八日目に遠藤の上手さにハマったが、昨日まで9勝と、大関復帰まであと1勝。奇しくも8勝目を献上してくれたのは先場所の因縁の貴景勝の休場による不戦勝というから、人間の運命ってわからない。分かりやすい分からなさ。先場所の今場所だからね。

もう優勝してよ、と思う。千秋楽はdt来るらしいしね。プロレスの興行主でもあったdtのことだからもっと近くでとpmに要求したのだろう。

なんでも「はいはい〜!」と聞くなよ、愚かな。そんなケツの舐め方、する方が悪い、と思うが。

dtを土俵に上げるのだろうか?

そうみたいだね。日本相撲協会は「old Japan 」の巣窟みたいなところだが、そこ右翼、一言あってもいいんじゃないか。

昔のPANAMのオヤジ「ヒョーショージョ!」はギャグとして面白かったが、dtはきっとなんか言うぞ、マイクで。「WWF世界へヴィー級チャンピオン」の表彰ぐらいにしか思ってないぞ。それは「見もの」だけど。

見ものだけど、そう思うおれも「倒錯」してる。その自覚はある。能町さんも文句言ってる。

それはおのれの国の「権威」を踏みにじられることを第三者的に見て暗く喜ぶっていうね。後味はかなり《bad》。

そんなことを躊躇なくやってしまう、あのおっさん。右翼の方、そこ「動かない」のかなあ?


不思議の国。



さて、最後の(おれにとって。店は7月いっぱい)Fandango 、5曲だったが楽しかった。あのステージに一緒に立った「死者たち」と、音の発信により、また遠いとこで繋がる・繋がらない、どっち?今ではないいつかその発信が、星の輝きが数万年後におれたちの目に届くかのように、誰か、あるいは全員に届くかもしれない。何万年かかろうが関係ない。そこでは時間は「無い」のだから。


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大阪のライヴハウスの中で唯一NYCのそれ、みたいだったFandango 。そこには根拠があるんだけど、まあ80〜90sの奇跡の一つだなあと思う。

おれはその奇跡が現実化する際に、現場に居た「当事者の1人」でもあるし、その様子を目撃した「証言者の1人」でもある。

ムーちゃん本人も時系列、混乱してると思うが、1st decade の最初の5年、そこにはまだウルフルズはいず、斬新な音楽的冒険を試行錯誤していたのはFandango第1世代のA Decade-IN FAKE、Pilipiliとカーリーショッケール、body、そんなやつらだった。ウルフルズは第2世代だね。そこから先は初動の困難さとはまた異なる困難はあったろうが、加速度はすでに着いてしまってるわけで。惰性というのは言い過ぎだが。

一口に30年と言っても、そこはもうおれも密な時代とそうでない時代もあり、だが最初と最後、ちゃんと関われたというのは納得もいくし、最後にバンドで出たかったけどね。

昨日、Fandangoからしいちゃんへのながれ、というのはもうこれで「ない」のだ、ということをまだ実感できない自分がいて、横に酔っ払ったムーちゃんがいて、なんというか、その重みみたいなものは後でその重さのまま自分の心に深く沈んでいくのだろうなと気づき、まだそこに至ってるってわけじゃないんだけど、その予感で酔えなかった。

確実に「終わりつつ」あるのだ、という、現実なのに予感としてしか受け取れないことへのもどかしさにややイラっときてた。自分にね。

それでも、自分の大事な何かがまた一つ終わってしまったことだけは、確か。


遠い結論
気をつけてドラキュラ(feat.すっぽんぽん‘ズ)
土曜を逃げろ
コンドル2
大快楽物質【E】



posted by 浪速のCAETANO at 13:23| 大阪 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月20日

さあ、final

明日はおれのfinal fandangoだが、本来なら今日などボーッとして過ごしたかったが、そうもいかん。

学校から帰ってきて、まだ仕事は残っているが、それが終われば明日は朝はゆっくり出来るだろう。分からんが。最終音チェックかな。結局バタバタやん。

その感傷に浸る間も無く、仕事は立て込んでいる。なんでこんな身入りが大したこともないのに忙しいのだ?新自由主義のせいである。ここが分からんやつ、意外と多い。

まあ分からんもんを無理やり「そやねんて」と主張してもめんどくさい。目の前に来て初めていろんなものが見えるやつもいるのだ。いるのよ。まあ、そんときに大変びっくりしていただこう。「完全に」手遅れ、だけど。

しかし、この余裕のなさにはイラつく。

カネもないくせに、ヒマもない。なんだよ、それ。

笑っちゃうのだが、まあいいさ。要は体力の尽きたときがこの世の終わり、である。これは当たり前か。いや、余裕のある人はもうちょっと生きるでしょう。まあ、おれの場合はそこでfin。清々しくていいじゃん。取り立てて「老後は遊びたいし」ということもない。

遊びと仕事の区別が非常につきにくい生活を送ってきたと思う。自分の裁量でやるとどんどん遊びの要素が増えてくるのがおれの傾向だったりする。知的な作業って多かれ少なかれそんなことではないのかな。

まあ「知的」にもピンからキリまであるけどね。

音楽も知的だよ。充分に。

明日も知的にいこう。choreographも入って。いろんな集約をお見せできれば。

明日のSentimiento ‘19は「北村くん、サントス、すっぽんぽん‘ズ」といった超意外なメンツです。
Final Fandango 。
posted by 浪速のCAETANO at 17:25| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月19日

Alabama

Alabama

You got the weight on your shoulders

That’s breaking your back

Your Cadillac has got a wheel in the ditch

And a wheel on the track

“Neil Young”


ねえ、アラバマ

その肩に乗っかってる重荷

それが背骨をへし折りそうだよ

キャディラックの片輪

ドブにはまってる

もう片輪だけで路を走ってる

「ニール ヤング」


アラバマ州の妊娠中絶禁止条例がいろいろ考えさせられる。人権とは誰に適用されるのか?利益相反する二者が存在するときに、その瞬間の強者の都合でもう一方の命を絶っていいのか。

それももう一方とは意思表示さえもできない立場であるしね。

いやあ、「現実的に」考えたらそれもしょうがないんじゃないの。というのが「先に生きた」者の意見と都合だけども。

レイプで妊娠した子を産むなんて。決して幸せにならないよ。そういう意見あると思う。複雑だね。

アラバマ州のの法律はそれさえ禁じるという。

現在の話ではなく、過去において、レイプで産まれた子どもたちは少なくなかったのではないのか?過去というのはもちろん人権以前の過去。紀元前、何万年前も含む。そういう統計はないけどね。想像です。

現在の尺度は、それによって救われる人たちが増えるからそれでいいのだけど「過去」のことばかりを考えてると、随分その利益は今生きてる人の方に傾斜しているな、との印象を持つ。

結論は出ない。アラバマ州の法律はキリスト教福音派の意見におもねたものとの指摘もあるが、その考えさえ、今じゃ「現実的」ではないにせよ、「当時」は広く納得されていたものなのかもしれないし。キリスト教の教え、がジーザス本人の教えとは大いに異なるのは、「おいといて」。


生まれてきて、その後愛されない子たちもいる。おそらく望まれた挙句のその運命におれたちは言葉をなくさないだろうか。

法律はその場にいる人に遵守を強いるものであるから、本当に必要な人は他州へ行くと思うが、法律はある考え、でもある。

なんか難しいねえ。


片っぽドブにはまりながら片足走行してるのかもね。そのままいつまでも走るしかない、そんな気もする。

posted by 浪速のCAETANO at 12:28| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月18日

おのれ内自然が

なんでこうなるかなあ、もう。

親知らずが南海トラフである。こんな動いてるのは初めてかも。喉も「うわー、真っ赤やんか@平成クリニックの院長」。右の親知らずと右の喉、あまりに部位として近く、親知らずが原因で喉インだんか、という気もする。どっちが先だったかなあ。又は同時多発だったのか。この歳になると、つい数日前のことを覚えていない。その時系列、甚だ曖昧である。日記付けとかなあかんな、と思う。なんか「ひと塊りの日々」がそこにはある。そんな感じ。


これはもう親知らずを抜く、という選択肢が現実的なのだがおれの右下親知らずは前向いて生えている。「うーん、もうっ!」だ。どエラい手術になるのは分かっているのだ。だからライヴ前とか学校とか大学とかが定期的に入っている今は「勘弁してよ」なのだが、自然災害はそゆこと考えちゃくれんわけだった。おれの身体=自然。

にわかに、自分の中にある「自然」に驚かされるわけだが。

自分って「どこまで?」などという根源的な疑問も立ち上がってくる。

ややこしいね。

おれがややこしんではなく、みなさん、ややこしいわけよ。ねえ、あなたのあなたたる所以はいったいどの部分なんでしょう?なんてこともちょっと考えてしまうもんね。

親知らずが動き出すと口の中の様子が変わってくる。言葉が喋りにくい。昨日も授業の時、喋ることに手を抜くと、というと変な表現だが、言葉がハッキリしない。で、正しく発音するように心がけた。あえいおうえおあお。ちゃんと歌えるの、あんた?など自問自答してしまったり。

痛み止め・抗生物質・経皮鎮痛消炎剤で過ごしている。しかもこの5月いっぱい忙しすぎる。分刻み。ライブ後症候群も考えられる。今回は短いからそうでもないかな。であって欲しい。

令和とかになってロクなことはないと思ってたが、思いがけないことが起こって「あららら」。そっち方面から来たか、とその意外性にちょっと躊躇う。

常に身体を意識してやってるダンサーとかアスリート、武道家でもいいが、おれなどよりもっとずっと自覚的なんだろうなあ、と瞬時に理解した。なるほどねえ。
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2019年05月17日

奇妙な風景

一瞬目を疑ったことがあった。

桃山台まで御堂筋線に乗ってた。時間は通勤の帰り。午後7時ぐらい。西中島南方の梅田方面へ行くホーム。おれはいつも最後尾に乗るから、それは反対のホームなら最前列ということだ。

OLなのか学生なのかは定かではない。女子。間違いなく20代だったと思うが、いやようわからんなaround 30の可能性もあるかな、まあその辺りの妙齢の女性である。

なんか食ってた。あのさ、おにぎりとかを食うのはわかる。おにぎりはそうゆう場でも食えるものである。サンドイッチとかメロンパンとかもその中に含まれるだろう。

だが彼女が食ってたのはなんと『冷やし中華」だった。コンビニで買ったのだろう。そういう容器だった。それを「箸使って」食っていた。立って食っていた。

ちょっと衝撃だった。

ラッシュの時間帯であるからもう電車来る。食い終わってる感じではなかった。どうすんの?

ホームで箸使って冷やし中華、にも驚いたが、あれでひょっとしたら食いかけのまま彼女は電車乗ったのではないか?ここは想像の域は出ないけれどね。そして、さらに想像するに、結構パンパンの車内で食い続けたのではないか?

何におれは驚いたのだろう?

ガバっとプラスチック容器を下から左手で支え、あまりに堂々と、ではなかったな、「普通に」冷やし中華を食ってる様子に、かな。ものすごく「チカラ抜けてた」印象があったのよ。


おれも旅行行った時とかならそんなこともする。鳥栖や博多のうどんは旨い。容器ごと車内に持ち込める。だが、あれ、旅行中じゃないでしょ。大阪を南北に結ぶ、最混み路線の最混み時間帯にそれかよ。

何かが崩れてきてることの象徴みたいに受け取ったおれは元文化人類学の徒だったことと関係があるのだろうか?

なんのイキッたとこもなく、何の外部からの視線への関心もなく、いたって「普通」に食ってたことに「んー」となってしまった。

法律を犯してるわけでもなく、だが社会の慣習として「すべきじゃないこと」への躊躇いがもうどんどん溶けていってるのではないか。もっと言うなら法律がおれたちにチョクに纏わり付いてしまってるんではないか?かつてなら法律とおれたちの間には明文化されていたとは言い難い社会の慣習というものがアンダーウェアのようにあった。

今それがもうなくなって、チョクに法律しかないとなると、実はやっちゃあかんことは随分減るのがお分かりだろうか?

これが今のみなさんの心象風景を形作っているんじゃないだろうか。

おれはあの女子の向こう側にバカタレント、バカ政治家の姿が見えた、そんな気がしたのね。

まあおれが見た奇妙な風景について。
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2019年05月16日

Fandango 永遠に

またプリウス、事故った?
何遍も言うがクルマはマニュアルでどうぞ。ヘタは運転しないほうがいい。年齢は一義的には無関係。

まあ、簡単てことはそれだけ危険回避のための手段も少ないってことね。手順の簡素化ってそうなる。オートマ車のことを言ってる。

マニュアル車ならなんでクルマが「動くのか」がその手順を通して体感できることになってる。手順=マニュアルなのだけど。


喉が痛い。例のやつ。親知らずもちょっと動き出してる。

イヤな感じ。

さて;

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fandango のホンマにホンマの最終回。シリーズ・ライヴをむーちゃんが仕掛けてくれてる。

【marutanikaz y sentimiento ‘19】は5/21に出演します。

こないだが実は最後のつもりだったから、演ってる最中にいろんなことを思い出してた。見える景色というのはそう変わってなくて、fandango のステージはもう死ぬほどいっぱい出たから、すぐにあのときどきの記憶が蘇る。

変わったのはおれだったりするかもしれない。いや、でも同じ現場の魔力みたいなものがあり、まあ、今回ホンマの最後に何をどう感じ思い出すのかわからないが、そのこと自体がまず楽しみ。

選曲は終わり。おれたちの一曲一曲は「長い」ので4〜5曲だけど、みなさんとともに楽しめればまたそれもいい。北林純と「編み出した」Punky  Zouk というBeat。当時は(30年以上前だが)こちらの国ではおれたち以外には演ってなかった。その後、誰かがそれをもってメジャーになったという話も聞かない。マシンを使えば簡単だが、あれを身体でやるってのがね。北林はおれを置いて先に逝きやがったが、ほんとは今回もおっちゃん生きてればいい冥土の土産になったのになあ、など思うが。

まあ、この歳になると常態的に「何かが終わっていく」現場に立ち会うのだがそれもまた不可抗力。自然体で見送る以外ないのだ。

記憶こそがnostalgia の根拠。いい老後を送りたい。現実はエライことになりそうだから、想像の中だけでも豊かなものはあった方がいいね。

北摂の誇りFandango 、おれも北摂の人間だったから「いい出会い」だった。清水さんと付き合いがあった頃「遊び場」を十三にに作るという話があって、おれも早速訪れた。その時にむーちゃんがいたと思う。1987のことだった。a long time ago。で、もうその月から出てたからね。で、スタッフもドシロートでアホやったから(褒めている)なんか際限ないというか限度を知らんというか、日が変わってもまだ演ってたこともあった。とにかく予定調和ではない興奮と熱狂はあって、ここはmad clubかCBGBかぐらいのつもりやったな、少なくともおれは。

当時は東京へもよくツアーで行ってて、そこそこ人気もあり、「追っかけ女子」などもいたのだが彼女らの中では「やっぱりA Decade-IN FAKE はfandango で見なきゃ!」が定説となっていた。おれもeggman la mama、loft、INKSTICK、CAY、VIVRE、大阪ではcandy、bourbon、banana、muse、quatro、sun hallいろんなハコ出たが、やっぱり当時、ホームはファンダンゴ。最も頻度高いのは今でもそうだし、fandango の10年目まではおれたちこそが最長演奏時間を誇っていたのだ。

あのちょっとぐらいしか高くないステージもいいのね。ちょっとぐらいしか高くないのに、上がるとまあまあ高い、そんな不思議なステージ。階段降りてステージへ向かう際のあの昂りは袖から行くステージとはまた異なり、お客の目線を感じ、さらにヤル気になっていくのだった。

しいちゃんのお母さんのあの、コンドル2の「一升瓶タイミング」最高だったし、その後のしいちゃん1Fでの朝までコースの打ち上げもまあセットで、そのカレンダーにはおれたちの次回予定が「マルちゃんのバンド」という言葉で印付いてた。むーちゃんが居なくなって足は1/2ほどに遠のき、おかあさんが病気になってまたその半分ほどになった。

2nd decade,3rd decadeは最初の10年みたいなことはなかったが、それでもポツポツ話があって、またおれも企画もしたかな。

3rd decadeにはおかあさん、ピリピリと追悼ライヴもあり、そのvenue としてはおかあさんはともかく、ピリピリのそれとかやっぱりfandango 以外には考えられないわけだった。おれの追悼が十三でできんのは悔しいで。

バンド名を「ソンナバナナ」に変えたのもfandango の年末オールナイトだったな。バナナ投げ。

初代ディケイド イン フェイク、カオリーニョ、岩崎、シーラのいた、後期ディケイド イン フェイク〜ソンナバナナ〜パラボラスピンズ、CVS カウボーイズ、内橋・カオル・誠一・カルテット、光合成オールスターズ、友野や岡島とのパラボラ3、リングリングサーカスのラッパ隊,ブルース・デッセルとの共演もちろんマルタニソロ、いろんな形態でお世話になった。おれもカオリーニョも北林もそこで自分の限界を超えることを経験したと思う。そんなハコって言うほどない。もうすでに管理の時代に入ってたからだ。

思い出は尽きない。

壁が音をほとんど反響しない理想のハコ。その壁には8ビート、16ビート、ワルツなんかとともにPunky Zoukのビートが、刻み込まれているはずである。それはおれたちだからね。

十三Fandango はおれたちの記憶の中にその時代とともにずっとずっと残り続けると思う。




posted by 浪速のCAETANO at 19:47| 大阪 ☁| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月15日

立場っちゅうのがあるっちゅうねん

初夏らしい日。

この状態が永遠続いていただきたい。ムリ、ね。

ムリなことこそ、「望まれるべき」ことである。

最近朝にMLBを音小さめでon tv。メジャーの球場はいいな。大谷くんはちょっとコンディション上がってきてるね。メジャーの野球(baseballだが)、これも好きだ。だから日本の野球もパシフィックが好きである。心理描写に傾いたり、必要以上にストーリーに傾斜するセントラルの野球は、しょーもな、と思ってる。minority?

そう、自分はminority なのだ。気分はmajor ながら。捻れてる。

Ballparkがいつもかつも煩くないというのがいいのだ。メリハリがある。日本の野球は疲れる。特にセントラルね。北朝鮮か?何でしょうね?この同調圧。

住んでる国と自分が合わない。そういうことを言うと、じゃ出て行け、と言う話にもなる。行けたら苦労せんわい。だが残りの人生はその可能性を追求するつもり。but how?

I ‘ve got an idea.


丸山くんの懲罰を話し合う維新のみなさんの末席に足立くんが座ってるのが「ワラける」。ゆくゆくは長谷川くんもそこにいることになるのだろうか?なかなかに壮絶なラインナップだと思う。それでもまだ支持するのなら大阪人、脳に虫湧いてるとしか言いようがない。パラサイトが思考に影響するのは、まあ「あり得る」。熱病ぽい。まあどーでもいい。

「好事魔多し」だからね。調子乗った時が一番怖い。

こういうことがポツポツ出てきて正体が「チョンバレ」というのを期待してます。アホの市長は「言論の自由」とか言うてたね。権力持つ側がそういうこと言うってのが最近の傾向。pmも。おかしいよね。

国会開催中なら「逮捕もされない」特権を持つ人々がその権利において下々同様と「開き直る」ことの醜さ・カッコ悪さ。

同様のことをトヨタの社長の言葉にも感じる。

終身雇用に関して「インセンティヴを感じない」と言ってた。

ここもまた「法人」であるから法律上、インセンティヴを感じたり感じなかったりするのは「構わん」けどさ、しかしその同一人物が、別の会見で「莫大な額の内部留保ができました」・『ここ数年、法人税払ってませーん』とも言ってる。

そういうもの言い、大きな、でもいいが、上の、でもいいが、その立場にいる人間が末端の者たち同様の「権利」主張してどうするのだ、ということ。先の三つの話の文脈は法人を超儲けさせてくれたそのエンジンである社員の生活を保障する気がないんだよね、ということね。非正規雇用ってのが理想じゃん、と言ってる。

アタマ悪すぎる。視野も狭すぎる。トヨタのクルマ、というか日本車全般だが、あまりのカッコ悪さに見たら、あるいは所有することになったとしたら「ごみ収集」でもするしかない、そんな気になるに違いないのね、おれの場合だけど。プリウスとかゲー吐きそうなんだけど。

そんなんならリーザチャチャの30年落ちに乗るわ。それほど嫌いだ。知らんか、リーザチャチャ。

もっと「大人(たいじん)」でいていただきたい。リスペクトされるヤツでいていただきたいと思う。まあリスペクトの対象は「カネ」しかない今の世ではあるがね。

立場の違いを噛み締めるべきだよね。まあ空気に向って言っている。







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2019年05月14日

不思議だらけ

不思議。
ウンコ漏らすpmという設定にブーイング。

あのさpmというのは職種であって「固有名詞」ではないだろ?

歴代pmというのがいるわけで。これまでは「代わって」きたわけでね。pmの設定は「現pm」に違いない、というのはアンタ方の「設定」に何か不調がないのかな?なんか夢と現実がかなり混同する、混乱脳の持ち主が30000000人ほどいらっしゃるみたいである。病院行ったほうがいいよ。

そこでは、永遠固定的職種みたいな設定になってるみたいですね。そっちの人々の脳内では。そういうのdictetorっていうんじゃなかったっけ?4選どころか改憲→非常事態宣言がデフォルトってことね。

もうなんて気持ち悪い国になってしまってるんだろう。クソガキが「戦争して」なんちってたり。Putinが聴いてるとこで言ってみろよ。でもその「原因」がpmの「失政」は明らかなのにね。

まあ、誰しもウンコ漏らすことはあるよ。


もう、あ〜あ、なことばかり。栃ノ心が今場所強いぐらいしか救いがない。

不思議。

大仙古墳をはじめとする古墳群がユネスコの、、というはなしになっちゃってるが、locoの人たち喜んでるが、じゃああれは「一体なんなんでしょう?」あのモノ自体は一体何なの?

「天皇」陵?

ふーん、あの時代に近畿地方に天皇っていませんが。いるも何も「天皇」と言う言葉すらありませんが。

大王(オオキミ・豪族の長だけど)はいたよ。その墓「かもしれない」そんな可能性はある。その巨大さがユネスコの何ちゃらの根拠とすると、岡山の「造山古墳」「作山古墳」という規模では匹敵する300m級の古墳もありますが。大きさが何かを「表象」するなら岡山(吉備)にも近畿に匹敵する大王がいたことを意味するし、それらを俯瞰するなら当時「イナカモン」の間では「とにかくでっかい墓を作るのが流行ってた」と言うだけのことではないのか。大小などというシンプルな二元論でものを作りたがるってのはその頭の中も相当「シンプル」だったんだね。イナカモンらしくって納得。

国の名、さえないような(日本紀には現れない)豪族集団の誰のものかのわからない(宮内庁は本格的発掘を許していない)ただ馬鹿でかい墓を、「遺産」として認める。全然その客観的値打ちも意図もおれはわからない。誰か説明して欲しい。おれの質問に答えながらね。ワリとキツいよ。

結局、誰も説明できんのではないか。思い込みの世界。イデオロギーといってもいいか、と。だけど、真実とは程遠い。

当時、倭国は好太王との半島での死闘。歴代中国の倭人伝、半島の史書にはその様子と背景が記載されている。倭王武(雄略天皇では『全く』ない、全くの別人)の宗・順帝への上表文にも明らかである。この中で武は朝貢に行く道を高句麗が邪魔すると言っている。

当時、半島南部、今の釜山と金海は加羅(伽耶)、倭人伝に見える狗邪韓国ですね。任那と言ってもいい。ただし任那「日本府」というのはイデオロギー入ってる。だからもう何度も言うてるが日本という国名が「存在しない」わけだから。日本は「日の本」ある地点から東を望むとその発想の根拠がわかるでしょう。

白村江後、近畿豪族による国家の簒奪という転換点に近畿側がその命名を決めた(670年@三国史記)。この661〜701(720)まではさまざまなことが起こり、そしてそれはほとんど記録されていない。記録がないということはこんなひどい話になるのだ。今のLDP政権の将来に対する責任の放棄と相似。

まあ近畿王家にとってはその正統性に致命的な傷をもたらすのでね。かれらも必死よね。その割には矛盾ドバー、だが。

あのさ、おれたちとおれたちの親、祖父母世代、曾祖父母世代を血迷わせ、過ちを犯させたのは間違いなく国家神道、その国家神道の根拠とは日本紀。そしてそれをauthorizeするバカ御用学者の責任は現在進行形で重たい。

戻るが、だから大仙古墳は一体どういう根拠で(ってことは確かな証拠付きだよ)申請をして承認されようとしてるのかがいろんな批判に耐えれるようでないと、意味がなく、危険じゃないの、ということを申し上げているのだけど。
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2019年05月13日

ドラスティックに準備は進まんが

今、学校帰り。もうホントはビールか泡かで食道を押し合いへし合いしたいのだが、中間テストゆえそれもできず、学生を自宅で待っている。
どんなうまいもん食ったろか、終わったら。そんな落とし前、な精神状態に陥りそうで怖いわ。

もうちょい大人っぽく過ごそう。作業もまだ残ってる。ま、それはあすあさっての昼間に。

なかなかタイト。


音源を作っていて思うこと。音を重ねる楽しみもあるが、いかにお腹いっぱいにしないか、ってポイントである。あれもこれも、と思うままに重ねてしまえば大変混雑した、それだけで完結してしまうものとなる。空間を空けておくのが大切で、そこを現場でなんとかする、がいいね。

今回はDr./Bがいない。片肺でその生きてる方も自然気胸の喩えはそういうことだった。だが、それがどうした。

以前よくそうやって1人ライヴをやっていた。なかなか清々しかったのだった。そんな人員的にはminimalも悪くないです。いろんな形態があっていいのね。楽しみもその分増えるというものだ。

いろんな制限があって、なかなかfull members でのリハたっぷりやった挙句のライヴが難しくなりつつある。おれのように有名時代がlong time agoともなると余計に、である。いろんなところで「格差」って広がるのよね。

だが、結果としての不自由さは創造にはエッセンシャルでもある。

ちょっと21のfinal Fandango、楽しめる気がしてきてる。スケジュールは超タイトながら。
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2019年05月12日

さてそれをどう形容するか、名付けるか?

■「岩は偶然ここにあるのではない。木は偶然ここに立っているのではない。そのすべてを造った者がいる。私たちにあらゆることを教えてくれる者が。」 【作者不明】

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トラフの南西端

中華焼きそばがloveね。本日の昼メシはそれ。

冷蔵庫の中をサーチすると、豚肉、エビ、ホタテ、ニラ、キャベツ、玉ねぎ、人参、もやし、シメジがあった。

豆板醤、オイスターソース、中華スープの素、紹興酒。最後に餡かけにするのがいいね。

休日の昼メシは麺がいい。

フライパン料理がいいと言うか。麺は卵焼き器で裏表を胡麻油で焼く。フライパンは具材のためだけに。

餡かけをカリカリの麺にかける。青冥でよく若い頃食べた焼きそばがこんなのだった。青菜は青梗菜だったね。だが味はかなり近いと思う。

まあもういつものことなのだが、異なるバイオリズムの波が重なって合成波の振幅がとんでもないことになる。大学が始まった上に中間テスト。重なっていたりバラけていたり。ライヴもある。リハがある。月末まで休めんな。そのモードになれば平気なのだが、ダラけ過ぎた。社会復帰途上である。過労死はイヤよん。


今最も気になってる災害の予感。日向灘。

南海トラフの南西端、と言ってもいい。それが「崩れてる」で間違いない。

おれが中津に来た時、やっぱり淀川近くだったこともあり、南海トラフももう周知のことだったから、よく地元民に訊いた。津波が遡ってきたらどうすんの?と。

おっちゃんらの答えは;

「梅田側より十三側の方がちょい低くなっててな、全部向こうに流れ出すことになっとんねん」だった。

「へえ、なるほどねえ。梅田守らなあかんもんなあ」とかそんな納得をしていた。


だがねえ、最近、おれんちの北側になんと「スーパー堤防」の建設が活発化してる。どーゆーこと?

まあ、こっちもあかんのよな。がおれの今んとこの結論。何か新しいデータ・計算が表面化したのだろう。で、おれたちには知らされない。

都構想とかやってる場合ちゃうで、が真相じゃないのかな。万博用の土地というか人工島というか水没でしょうね。津波が紀伊水道を駆け上り、かなりの高さとなりさらに淀川を駆け上るとき、どれくらい高さになってるか、予想もつかない。

大惨事であることだけは間違いなく、みんな「おのれの欲」に塗れて目先の小銭を求めて右往左往している間にも着々とカウントダウンが進行しているというのが「現実」なんじゃないかと思う。みなさん、「忘れたい」のはよくわかるが。

いや、日向灘、注視しとく。マヂで。



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2019年05月11日

母の日らしい

母の日、らしい。
どうもそういうのが苦手だ。

誕生日にも似て、年に一度のexcuse という気がしている。まあでも気がついた以上、なんかしななあ、と思い、写真のカーネーションをメールで送る。子ども騙し。昨日は猫だまし。騙しっぱなしである。


年号は時代の単なる区切り。とは言え、昭和と平成をevenで生きた身として、なんらかの「色」みたいなものはある。個人史としても環境史としても。

まあ、そこを狡猾に(というにはあまりに稚拙ではあるものの)利用しようとする人たちはいて、その戦略がまあまあ奏功しつつあることもあり、チラッとこないだ終わった平成の意味を考え続けてみるのもいいかな、と思う。

例えば、もうじき終了する十三Fandango の歴史は32年。ほぼ重なる。おれの自主レーベルを始めたのも1990年とほぼカブる。開店休業みたいな状態も多かったが。自分の意思で何かをやってきたという感覚の方、多いんじゃないだろうか、特に年齢近い方。まあそこの成功が今のひとりひとりの状況を形成していること間違いないのだが、そこおれの場合「うーん」だけど、swingの振れ幅大きすぎてね。それはまあどうでもいいが、それより、今につながるいろんなモノが出ては消え出ては消え、あるものは「死語的」に忘れられ、あるものは残り、今に至る。

世界環境だって変わった。変わりすぎぐらいのことだった。冷戦の時期、アメリカ一人勝ちの時期、Brics台頭の時期、そして今の2強の時期。あまりに大まかすぎたかな?しかしその間、こちらの国は一瞬強烈に持ち上がったものの、あと「沈みっぱなし」。俯瞰すればそういうことになる。あまり異存はないのでは。

問題は冷戦終了からアメリカ一人勝ちの頃、「資本主義の勝利」に誰もが無批判だったことだろう。この辺からヒトは醜くなってしまったな。竹中平蔵などという政商がいまだに影響力を持つことがその転換した状況が続いている証拠だが。

先駆けて醜くなってしまってるのが米・日・中ということかもしれないな。そしてその醜さを世界は追従しているようにも見える。経済という、これは錦の御旗だと思うけれど、キーワードを前面に出して。

経済というと論点がボヤけ、金持ちがより金持ちにみたいな意味に聞こえがち。要は日々のおれたちの暮らしだよね。今、一気に平成を遡り、昭和30〜40年代と同様な状態に戻りつつあるって気もする。明らかに今の政策はそういう状態をもたらす。違うのは「慈悲の有無」ぐらい。もちろん昭和の方が慈悲はまだあったと思う。一度「おのれが!」を経験した後、勘違いした個人主義体験の後だから、もう今の方が悲惨である。意識が肥大化した後の悲惨はそのガス抜きの対象を「戦争」に求めるしかないと思うが、これは実際の、という意味も含むが、「戦争的なるもの」要はターゲットを見つけてそこへ攻撃する事で「ウサを晴らす」わけね。満たされない誰もが多かれ少なかれそんなことをしている。充分harshな社会だった。ヒリヒリしない?おれはするなあ。

「欲」が判断基準になり、そこを批判するような言葉が不在の場合、これ大阪に顕著だが、もうどうしたらいいのかもわからんもんね。

未来にというか将来にだけど、おれでいうなら「近い将来に」希望が持てなくなるというのはなかなかに辛いことである。僅かな希望のかけらを拾い集めて、それらは過去に落ちているのだが、ヘンテコなものを作り上げるしかないな、と思う。今回のFandangoも言わば「セルフ-カヴァー」みたいな選曲である。それらの曲は、再度、録音してみてもいいな、という気さえしてくる。

それを今の時代に新曲として出してみるのもいいのかもしれない。いまだにこちらの国のリスナーは歌詞にしか反応しない方と、ビートにしか反応しない人が多数だと思うが、音楽はそれだけではないし、またそういう人の中で「化合物」が生まれる可能性だってなくもない。

そういうことは希望の一つにカウントできたりもする。ちっちゃ過ぎる希望かもしれないが、そうソングライターは思ったりもする。
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2019年05月10日

猫だまし

さて、仕事しなきゃいけない。非正規労働者はツラいよの巻であった。
帰りに飲んで帰ろう。

バカだった。

日本語のことをちょっと考えるが、英語・中国語に「逃げて」はぐらかすのはこちらの国の官僚・政治家得意だしね。

Tagであるとか飛翔体であるとか、まあ一般の会話では(文書においてもね)ほぼ使われることのない用語を絞り出す。人は(というかこちらの国の人)はすぐに慣れ・受け入れる。素直なことである。馴染みのない言葉が「嬉しい」かのような気さえしてくる。

用語とともにその概念まで新しければそれは新たな地平を開くという快挙だが、そんなことはなくただの「言い換え」にすぎんとこがイケてない。「猫だまし」である。

しかし、こちらの国の人々は充分「ネコ」である。猫騙される民。

ネコも本当は騙されるのは一回だけで次からは警戒してくるのだが、こちらの国の人は「同じ手の別用語」にまた騙される。

用語だけではなく政府と置き換えてもいいだろう。政権が変わってまた騙されている。もう6年騙され続けている。よっぽど、である。

「おお、飛翔体ってええ、」。何が嬉しいのかさっぱりわからない。岩屋くんは「ミサイルや」って言うてるで。メディアのバカさ加減がそこを「仲介(文字通り)」している。一局ぐらい、そこで「ミサイル」と言っていいじゃん。

しかし、情けないのはpmである。北方四島に失敗し、もう大変その解決からは後退してしまった。で、最後の手段、拉致に「やっとこさ」手をつけざるを得なくなっている。ほんとは「するするスルスル」と言い続けるだけのつもりだったのに、キムちゃんと「向き合う」ことが必要になってきた。出来るかね?ビビらずに。これは「予定になかった」はず。

まあ見ものではある。

お金だけ取られて「終わり」にならぬよう。口先だけ、はもう50000000人(まではいかんかなあ)にバレてるよ。

官僚や政治家はスノッブではいかんと思う。「分かりやすさ」は大事、というより、馴染みのある言葉を言い換えての猫だましはね。その際にお世話になる言葉が英語・中国語というのはなかなか「象徴的」なことだと思うよ。
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2019年05月09日

最低限、それは守らなきゃ

対向車と交差点で向かい合っていて向こうは直進、こちらは右折したい時には、こちらは待つ。直進優先だからだ。
大津の事故は、右折のおばはんが、直進するクルマに右フロントを当てている。その、最も分かりやすいルールを守ってないことが原因であることは明らか。

右折のおばはんが悪い。

ガードレールは行政の問題。

園児を引率していた保育士に落ち度はないよ。

バカ記者が園長を泣かしとったみたいだが、みんなさ、望月ちゃんを見習えよ。キミらは「抵抗できないウンコ」に集るハエなんだよ。自覚した方がいい。そうおれはおもう。こんなところにも橋下が突出する素地があるよね。

なんかドライヴァーのマナーというかがもうむちゃくちゃになってる気がする。マナーとは言うがそのマナーは「スープを音立てて飲むのはいささか、、、、、」というマナーとは次元が違う。そんなんで人は死なない。それは一種のスノッブ。そんなんとは異なり、凶器に乗ってる人間が「従うべき規則」である。

おれがクルマ乗らなくなって以来、最後のランチア手放して何年なるかなあ3年?、ドライヴァーのマナーは悪化した印象があるけどね。ばかドライヴァーのばか事故の報道に先入観、かもしらんが。

おれもまた環境が変われば、もう一台二台乗ろうかなとは思ってる。ヒマな時の機動性がやっぱり高まる。ヒマな時限定だけど。まあ、乗りたいクルマはそう多くはないというかほとんどないんだけどね。

クルマとネコを「辞めて」おれの生活から「アソビ」はかなり減ったが、以前は言わば「遊んでばっかり」だったわけで、それも遊びっぱなしの30年のツケを今「price to pay」そんな感じ。それももう受け入れてはいる。

クソ中津はクソ中津の分際で駐車場高い。3万てなあ。まあ一時は5台持ってたヤツが言うことではないが。

クソど田舎ならクルマは必需品だが田舎道をアルファで走ってもなあ、いや、「ハレ」時にはそれもよかろうが。それは大好きだけど。

まあ、以前のように熊野に行くのであるならね。待ってろよ、後鳥羽上皇。確かにR168もう一度カッ飛ばしてはみたい。高野龍神スカイラインas well。まあ、その高揚感は、音楽的でもある。プラトーが延々続くってのは往年の自分の曲みたいなとこ確かにある、あった。「プラトーのエクスタシー」。

だいぶ遠くまで飛んだが、戻るが、印象としてはクルマをナメたらあかんのね。年齢とかではなく、能力でなんらかのグレードにクラシファイすべきだと思う。要は「ヘタ」は運転すんな、という一見暴論に聞こえるが、実はそれがすべてなのではないかな。だって「凶器」を動かすわけだから。

直進車が対向車線にいるのに右折するようなバカは、そして対向車との呼吸に反応できんのはもう運転しちゃダメ。I suppose.
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2019年05月08日

生ハムとルッコラの、、、

生ハムとルッコラのピザでも焼こうかと思う。

今、「ザ モルモッツ」の録音をしている。全7曲。やっと「録音自体の」調子が出てきた頃に、お休みが終わろうとしている。「そんなもの」なのだが、「考えながら」と「手でやる」の原則であるから時間がかかる。アレンジもだいぶ変えた、というか付け足した。

手でやる、からにはその演奏の根拠はおのれの技量ということになる。おれはなんでもこなすが、超上手いわけではない。だが、録音となるとアイデアとプレイの差、時間とともには極小となってくる。ここがおれの潜在能力なのだが、普段何%で生きとんねん?みたいな、自分に突っ込むこと多しだが、普段しょっちゅう開けるわけではない奥扉を久し振りに開けた、そんな感じだ。

誰に言うわけでもないが、いいプレイが出来た時は、いいワイン飲ましたろか、ぐらいの気にはなる。

みんな、録音ビギナーズであるからなかなか大変だが、健闘はしてる。が、理想へはまだまだ遠い。おそらく、よくある勘違いなのだが、シロートというものは「ウマさ」への憧れとコンプレックスの狭間で悶死することが多いと思われる。ウマさと良さはまるで別のものなのだが混同しがち。そこをうまく持っていくのがproducer のウデなのだが、もうちょっとかかる。作業自体はおれが90%。残りの10%が彼らなのだったが、「ヴォーカル」というのはやはり、大きい。今回それを再確認する。

まあ、がんばる。

これが終わると、female vocalistのオムニバスアルバムを作りたいと思っている。それも少しづつ録音を始めている。途中でハードウェアが変わるかもしれないが、テレコがおれは好きなので、併用になるか、と思う。実感も大変大事。「必要以上の進歩はno need」それが日々思うところであって、much too well-madeなものが必ずしも普遍性を持たないことはこと音楽に関してはよくわかっている。David Byrneも言っていたが、「何故、子ども時代のあのしょぼい音でおれたちは人生を変えられるほどの衝撃を受けたのか?」ということである。

録音の現場、再生の現場、ラジオの音。

ニッチが埋まっていってることも関係あるだろう。だが、最新の、というキャッチコピーはもう完全に胡散臭いわけで、そんなことよりも偶然の、意図しなかった化合物、とかのほうに興味がある。予定調和ほど元気のなくなるものはないと思うが。そうでもない人も多いことも知ってるけどね。死ぬまで「水戸黄門」見てれば。

5/21は最後のFandango 。今回は「片肺というか、残ってる肺も自然気胸ほどの飛行」に喩えられるが、まあ、Fandango は最後だが、おれたちは途上、そんな気でやろう、と思ってるよ。その準備はまだ半分しかできてない。まあまあ忙しい。

さあクイックランチ後、作業作業。
posted by 浪速のCAETANO at 13:05| 大阪 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月07日

甘い混乱

【甘い混乱】


海から吹いてきた風が

あたしの耳元 くすぐったの

夢でも見てるみたい

大きな月が ほら 出てるわ



小さな混乱

月が言ったの

踊ろうか

甘い混乱

月に言ったの

好きにして


イヤだ なんだか変な気分


あの夏もこんな夜だった

子ども過ぎたから

気づかないのね

でも 今 もう わかってる

立ち上がると

声が漏れちゃう


小さな混乱

月が言ったの

踊ろうか

甘い混乱

月に言ったの

好きにして


イヤだ なんだか

変な気分

イヤだ ほんとに

変な気分

だれか あたし

さらって逃げて
posted by 浪速のCAETANO at 13:45| 大阪 ☀| Comment(0) | 歌詞 for Girls | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ちいさいなかでの悲劇に

世間の連休も終わり。おれはあまり変わりはない。もうちょっとすると(あと2・3日)激忙になる。そこから5月いっぱいは「死亡確実」。で6月になると、呼吸がやや回復し、脈も弱いながら打ち始めるだろう。で、そこからは今度は暑さとの闘い。去年の京都はホント死ぬかと思った。さて今年はどうだろう?
なんとなくだが本日から5月が始まる、そう思う人々、多いんじゃないか。そう言えば年号も変わったんだった。な〜んて。

最初っからミソついた令和だけど、しかし一般参賀の人々の多さと熱はいまだに大日本帝国が潜伏しているなあ、こちらの国には。そんな感想を抱く。

あそこにいた人たちって「天皇が好きだがpm にも無批判」か「天皇は好きだが今の政治はダメ」どっちだと思う?おれはほぼ前者ではないかと考える。そう考えて、あ〜あ、となる。今更ながら。


こないだの梅田のjk飛び降りの話を生徒のjkとしていた。おれの「その理由がしょーもない」に反応して、そうではなくて〜、と彼女が言う。

アイドルのコンサートチケットというのは抽選で、なかなか当たらない。ただ、人によっては母親や兄、姉もファンクラブの名義を持っていて、それで応募する人もいるらしい。当然、確率が上がる。その当たる・当たらない、行く・行けない、というのは高校であるとか仲間であるとかの小さい社会ではかなり決定的なことで、飛んだ彼女の絶望感はよくわかる、と生徒の彼女は言う。小さい社会=閉鎖的で、その疎外感たるや大きいのだとも言う。そこにしか「希望」がない、とも言ってた。アイドルにしか希望を持てないjkだらけだという。アイドルとは象徴的だが、domestic(ジャニーズ・エグザイル、その他)、korean、と選択肢はあるが、日々の辛さを忘れさせてくれる存在が「そこにしか」ないというのが見事に資本にやられているのだなあ、と。決して安くはないチケット、グッズ、交通費などで複数万円が飛んでいくという。

じゃ、なにが、そこまで彼女たちにアイドルを追わせるのか、というのは日々の辛さ、だと言う。教えてる彼女は「難関進学校」在籍している。競争して、それに勝って入学して、またさらに競争させられている。「その競争はあまりに小さい世界のそれだよ」とおれはよく言っているが、彼女らにとっての「社会=閉鎖空間」はそこにしかないのね。逆におれたちにはそういうとこ、見えていない。副産物としては女子特有の陰湿さ、などもあったりして、「なかなか大変」であるという。そんな中、唯一の救いであるアイドルのコンサートチケットが「延々当たらない」ってことがどれほど本人に大きいか、なんてことは周りの小ささと見事に「反比例」しているのだった。

「お金を使う気満々」なのに、使うことさえできない。そこにも競争がある。ズルしてる人は確率上がる。わたしは1人で応募。何回も落ちる。「なんでやねん!」

そういうことらしい。

非常に、微妙な気持ちになった。そこにしか「救いがない」ことに救いがないとおれは思った。いい金蔓になっちゃってるのだが、そこをおれたちがどーのこーの言っても「もう」始まらない。どうしようもない。その時空から「抜け出る」のを待つしかない。ある種の「通過儀礼」なのだが、通過儀礼にしてはお金かかり過ぎである。

そのシステムの残酷さに「うっ」となってしまった。女性の欲望の解放の大衆化、は「不況の予感の中」、こちらの国ではペ ヨンジュンによって、まずはお母さん世代に、もたらされたと思うが、その熱狂がデフォルトとなってしまった以上、ホンモノの不況においても下の世代に伝わらないわけはない。それはもっと強烈にね。だってエネルギーに溢れてるわけで。それを「取り込む」わけよね。ホンマ、お主ら「悪すぎる」で。社会のどの断片を切り取っても、そればっかり。熱狂は受け継がれていくし、熱狂は冷静さの対極にあるし、なんだか非常に「危うい」と感じてる。

同様の自死がないことを祈るばかりだが、「先例になるかも」とそのjkは言うのだった。

キミはやめてよね。
posted by 浪速のCAETANO at 11:35| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月06日

Drowning in my tears

【Drownin’  in my tears】

涙の海に溺れそうになったこと

嘘みたい

ほんと

暗くなる前に笑っていたいし

きっとそうなる  でしょ


急いでね もうここから

バイバイ するの

付いてきてもいいのよ

邪魔しないなら


涙の海に溺れそうになったこと

嘘みたい

ほんと

暗くなる前に 笑っていたいし

きっとそうなる でしょ


夕暮れの街はなんだか

ソワソワして

もうすぐ淋しさの見えない夜が来る


涙の海に溺れそうになったこと

嘘みたい

ほんと

暗くなる前に笑っていたいし

きっとそうなるでしょ

posted by 浪速のCAETANO at 19:44| 大阪 ☁| Comment(0) | 歌詞 for Girls | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

飛び散った流れ星

【飛び散った流れ星】


それは嘘でしょう

夢みてた

朝の空気は今 微笑んで

色が付いて 風になって

哀しみ追い払う

笑い声が聞こえる


あなた寝息たて 動かない

白い光の中 動かない

時間を止めて 朝を待って

飛び散った流れ星に

願いを半分だけ


ゆうべ愛し合った獣たち

ゆうべ見つめ合った 真夜中

いくつかの夜 分け合って

そして微笑みだけが

朝靄を舞い上がる


星の光 月明かりで 歩いていたとき

あなたのこと 思い出して

早足になった


それは嘘でしょう

夢みてた

朝の空気は今 微笑んで

色が付いて 風になって

哀しみ追い払う

笑い声が聞こえる



そして微笑みだけが朝靄を舞い上がる





posted by 浪速のCAETANO at 19:37| 大阪 ☁| Comment(0) | 歌詞 for Girls | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

透明人間

【透明人間】

なんておかしいの

そんなところで

深刻な顔が かえって逆効果

なんて悲しいの

あたしがこうして

そばに居るのに

気づかないなんて


どうしてかしら

空気みたいに



なんて楽しいの

夢の中では

あなたと向き合って

舌を絡め合ってる

その髪も唇も

あたしのものなの

夜明けが来るのが

なんだか怖い


どうしてかしら

空気みたいに

気にしないでね

なんでもないわ


あたしは透明人間

あなたをよく知ってるの


なんて切ないの

あたしの体が

朝になったら

すっかり消えていくわ

でもいいのこの際

あなたと一緒に

お風呂に入って

洗ってあげるわ


どうしてかしら

空気みたいに

気にしないでね

なんでもないわ


あたしは透明人間

あなたを良く知ってるの
posted by 浪速のCAETANO at 19:27| 大阪 ☁| Comment(0) | 歌詞 for Girls | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ずっとアホでした

ある方の指摘;

「あらせられますこと」を「あられますこと」と読んじゃって『しまった!』と気づいて言い直し、そして動揺したのか漢字が読めなかったのか、「願ってやみません」を「願っていません」と読んでしまった!


あららら、喧嘩売っちゃったね。でも何度聞いても「上記の通り」。言い逃れ出来ない。文書ならズルして書き直し、手を入れたりできるだろうけど、削除しても削除しても永遠のモグラ叩き。


でもこれはどうすんの?正式に訂正します、というアナウンスは見ていないが、原稿を公開して、「ほら原稿は不敬なことはなく、読んだ方が、とてつもなくバカでした」というか、じゃなけりゃ内閣総出で皇室に喧嘩売ったということになるよ。フォーマルにはそういうこと。


だから、前者の処置しかないんだけど、なんのアナウンスもないよね。


もっとブレイクダウンするなら、漢字を「知らなかった」のか、「意図的」に間違えたのか、ということになるが、これもまた、前者と言う以外にないよね。


つまり、「アホ」だったのか「不敬」なのかという二択しかない。


早く「告白」してしまいなさい。


「生まれてずっとアホでした」と。

posted by 浪速のCAETANO at 07:11| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月05日

梅田で、、

おれんちの目と鼻の先、梅田の高いビルからjkが飛び降り自殺したみたいで、バカたちがそれを動画に撮って拡散している。
スマホの機能にまではるかに達していないレヴェルのバカがスマホを持ってる。

もう自己増殖化が加速度ついてるテクノロジーに「対応」するのに精一杯で、それを使う「動物としてのヒト」がヒトであるための条件が放ったらかし、ていうかどんどん目減りしてると思う。

ヒトでないものに退化する生き物にどんどん進化する装置が与えられ続ける。もっというと、その仕組みはほとんどわかってないのに、利便性のさらに高まる装置がどんどん身近になっていく。

手作業とマシンのちょうどいい塩梅があったのだけど、その時代は遥か昔、となり、マシンは進化、その進化にヒトとしての何かを損なう原因はないのかどうか、そこは市場経済上、見て見ないふりってのが現状ちゃうんかな?

「刺激」に鈍感になりエスカレートする。別にこれ新しいコンセプションではない。その進行が緩やかだったときなら良かったのだ。

店を始めた頃、22年前だが、家の数千枚のCDと同じくこないだ地震の際に棚から集団で落ちてきやがっておれを殺しそうになったヴィニール(レコード)から、MDにダビングして、要はDJのようなことをして選曲・録音をしたMDを大量に店へと持っていってた。楽しかった。カセットよりも場所とらない。

それも「今は昔」。今店でたまに客に「あなた恐竜時代のお生まれですか?」みたいな言われ方をすることがあるが、ムカつく。

そのもはやあったり前となってしまったオマエらの音楽の聴き方が音楽の値打ちを下げとんやないかい!と言いたくなる、というか言ってる。

言われた人間は「?」みたいな顔してるが。だからそれ以上はこちらの戦意もなくなるし、カットアウトだけど。


ゲーム中毒。ゲームはカネになるから、あんまりカタいこと言わんのよね。game であるとかplayであるとか、何かに対する真摯さ、が欠けている。その何かが肉体を持った人間や身近な動物だったりする場合に、そこ突然真摯に、なんてことはならないのだ。「ゲーム感覚」という言葉が全てをすでに語っていると思う。

これってこちらの国だけではないが、一歩「進んでる」よね。肝腎なことはどんどん劣化していってるのにね。

ついこの10年ほどの環境の変化である。数百万年のサルからヒトになる過程に手に入れた「人類としての条件」をどんどん、安売りして手放して行ってる気がしてしゃーない。

記録、はしゃーないがせめて拡散はやめろ。人の命を弄んでることに気づけ、バカ!
posted by 浪速のCAETANO at 16:06| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月04日

玄界灘の朝日

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posted by 浪速のCAETANO at 21:41| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月03日

騒ぎの外で

5月も、はや(?)3日。今日は【憲法記念日】である。
はるか昭和の時代に「明治の人」がいた。祖父・祖母たちはみんなそうだった。ある種の、一定のと言ってもいいが、パーソナリティがあったような気がしている。

はるか彼方に生まれた人々、もちろんアウトオヴデイトなのだが、ちょっと逆らえない、というか、そんな存在だった。昭和という「新しい」時代に彼らは生きにくかったはずだが堂々としていたような気がする。

おれたちが今昭和における「明治生まれ」みたいな立場になっていることに気づく。

昭和元年というのは1925年である。普通選挙法と治安維持法の年で、この相反するかのようなアメとムチにも思える法の施行との類似性なども思うが、異なるのはもはや「厳かさ」がなくなってることかな、と思う。

昭和生まれは現在31歳の人々までそうなので、なかなか一色では描写しづらいものがあるから、まあ昭和生まれが一概にアウトオヴデイトと言われるにはもう少し時間がかかるだろうなあと思う。そんな言い方をされるのはおれたちが死んだ後ぐらいだろうね。知ったこっちゃないか。

元号とは遠ざかって生活している。意図的に。新聞も4月5月は取らないでおこうと決めていた。毎日、玄関を開けて新聞を取りに行く、もストレスだったことがわかった。どこかの電子版でいいかな、とも思ってる。東京新聞かな。日刊ゲンダイでもいいけど。


嫌な時間帯に入ってきたな、と思う。国民の分断を目論む勢力があって、それは小銭を餌にまあまあ成功してる。前々から言っているように「上vs下」という対立はもう避けられないように思う。明らかな上、明らかな下というのは分かりやすいが、おそらく「下なのに気分は上」この人たちが厄介かな、と思う。


分断は「住民(国民)投票」という形で結実する。これもまた英国などを見たら、なんだか悲惨だし、その実験は大阪で行われるだろう。モルモッツ=大阪市民、なんかそんな実験台は嫌だな。個人的な実験ならいざ知らず、そんなアタマの悪いかつ狡猾なヤツらの実験台になるというのが、だ。


それでも究極の選択である「国民(住民)投票」では決着をつけなければいけない。「勝つまでジャンケン」方式もあるんだがin Osaka 。それ反則やしな。

だいぶ(おれの周りでは極小だったが)元号盛り上がり、というのは確かにあったのだろう。まあこちらの国の盛り上がりって「人の噂は7.5日」の法則下にあるから、現場から遠ざかるのがやっぱり正解。元号が変わっても、平成からの積み残しが「どかーん」と存在する。そして、このままではおれたちは全く幸せにはなれない。そこまではもう自明であるけれど、じゃあそこからだ。ムードに弱い人たちにはムードは用意されていて、もうわかってるのに、そのムードにヤラレる人たちの未来はかなり悲惨な気がするし、そこが1世紀前の様子と極めて相似形であることは、もう大勢が決定してしまっていることを意味するかもしれない。

じゃあカタストロフがいつやって来るのか?

まず、ハッキリとみなさんに形が見えるのは(見える人には既に見えてるが)来年だろう。その前にはほとんどの人が気づいちゃいるけど気付かないフリ、という時期がある。それが今年。ラグビーw杯はどちらにどう貢献するか。それがolympiadを予見する。気づく人は増えて来るから情報はどんどん「統制」へと向かう。ヴォランテアの悲惨を踏み台にolympiadの取り敢えずの「成功」を、「最後の高揚」としての自覚を持ちつつ、虚しい盛り上がりがあるだろう。その後には腑抜けの100000000人がそこには「在る」だろう。

環境はさらに決定的に変わってるだろうな、と思う。当然ながらさらに生きにくく、モノを言いにくくなっている。ある種の高揚感の裏でそんなことは進行するのね。


この数日、騒いでいた人々がそんなときに何を思うのだろうか?




すごく不思議なこと。なんでLDPのpoliticianの「言うてること」、そう素直に信じるかね?なんで、そんなに批評精神に欠けるのだろうか?それを無批判に信じることとおのれの生活の劣化との相関は感じないのだろうか?そこは「全く」関係ないことだし、というか関数として無視できる、という確固たる根拠があってのことなのだろうか?あれば教えて欲しいと思ってるのだが。理屈の通った説明、聞いたことないけどね。










posted by 浪速のCAETANO at 11:17| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする