2019年05月11日

母の日らしい

母の日、らしい。
どうもそういうのが苦手だ。

誕生日にも似て、年に一度のexcuse という気がしている。まあでも気がついた以上、なんかしななあ、と思い、写真のカーネーションをメールで送る。子ども騙し。昨日は猫だまし。騙しっぱなしである。


年号は時代の単なる区切り。とは言え、昭和と平成をevenで生きた身として、なんらかの「色」みたいなものはある。個人史としても環境史としても。

まあ、そこを狡猾に(というにはあまりに稚拙ではあるものの)利用しようとする人たちはいて、その戦略がまあまあ奏功しつつあることもあり、チラッとこないだ終わった平成の意味を考え続けてみるのもいいかな、と思う。

例えば、もうじき終了する十三Fandango の歴史は32年。ほぼ重なる。おれの自主レーベルを始めたのも1990年とほぼカブる。開店休業みたいな状態も多かったが。自分の意思で何かをやってきたという感覚の方、多いんじゃないだろうか、特に年齢近い方。まあそこの成功が今のひとりひとりの状況を形成していること間違いないのだが、そこおれの場合「うーん」だけど、swingの振れ幅大きすぎてね。それはまあどうでもいいが、それより、今につながるいろんなモノが出ては消え出ては消え、あるものは「死語的」に忘れられ、あるものは残り、今に至る。

世界環境だって変わった。変わりすぎぐらいのことだった。冷戦の時期、アメリカ一人勝ちの時期、Brics台頭の時期、そして今の2強の時期。あまりに大まかすぎたかな?しかしその間、こちらの国は一瞬強烈に持ち上がったものの、あと「沈みっぱなし」。俯瞰すればそういうことになる。あまり異存はないのでは。

問題は冷戦終了からアメリカ一人勝ちの頃、「資本主義の勝利」に誰もが無批判だったことだろう。この辺からヒトは醜くなってしまったな。竹中平蔵などという政商がいまだに影響力を持つことがその転換した状況が続いている証拠だが。

先駆けて醜くなってしまってるのが米・日・中ということかもしれないな。そしてその醜さを世界は追従しているようにも見える。経済という、これは錦の御旗だと思うけれど、キーワードを前面に出して。

経済というと論点がボヤけ、金持ちがより金持ちにみたいな意味に聞こえがち。要は日々のおれたちの暮らしだよね。今、一気に平成を遡り、昭和30〜40年代と同様な状態に戻りつつあるって気もする。明らかに今の政策はそういう状態をもたらす。違うのは「慈悲の有無」ぐらい。もちろん昭和の方が慈悲はまだあったと思う。一度「おのれが!」を経験した後、勘違いした個人主義体験の後だから、もう今の方が悲惨である。意識が肥大化した後の悲惨はそのガス抜きの対象を「戦争」に求めるしかないと思うが、これは実際の、という意味も含むが、「戦争的なるもの」要はターゲットを見つけてそこへ攻撃する事で「ウサを晴らす」わけね。満たされない誰もが多かれ少なかれそんなことをしている。充分harshな社会だった。ヒリヒリしない?おれはするなあ。

「欲」が判断基準になり、そこを批判するような言葉が不在の場合、これ大阪に顕著だが、もうどうしたらいいのかもわからんもんね。

未来にというか将来にだけど、おれでいうなら「近い将来に」希望が持てなくなるというのはなかなかに辛いことである。僅かな希望のかけらを拾い集めて、それらは過去に落ちているのだが、ヘンテコなものを作り上げるしかないな、と思う。今回のFandangoも言わば「セルフ-カヴァー」みたいな選曲である。それらの曲は、再度、録音してみてもいいな、という気さえしてくる。

それを今の時代に新曲として出してみるのもいいのかもしれない。いまだにこちらの国のリスナーは歌詞にしか反応しない方と、ビートにしか反応しない人が多数だと思うが、音楽はそれだけではないし、またそういう人の中で「化合物」が生まれる可能性だってなくもない。

そういうことは希望の一つにカウントできたりもする。ちっちゃ過ぎる希望かもしれないが、そうソングライターは思ったりもする。
posted by 浪速のCAETANO at 13:23| 大阪 ☀| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする