2019年05月29日

憎悪・暴力はトリクルダウンがある

昨日は登戸の事件で大変だった。普段は地上波など見ないが、続報を求めてずっと見てしまった。時々、空母上のpm、dtの訓示が混じる。

「なんで?」がよくわからないが、悲劇はおきてしまう。

カーッとなっての衝動からくるものではないのだけは確か。

そして「無差別」でもない。弱者を狙ってる。おそらく彼自身もそう。だから更に弱いものを狙ってる。

命をそんなに粗末に扱うのならば、もっと他にも人間もいるのに。「そこ、違う」

富のトリクルダウンは起こらないが、憎悪というか暴力のトリクルダウンは確実にある。

「死にたかったら1人で死ね」

そういいたい気持ちはわからんでもないが、それもできない「淋しがり」だったりする。そんな淋しがりいらんで、とは思うが、淋しがりかどうかなんて他人に決められたくない、ぐらいのプライドはあったのだろう。

「そんなプライドいらんし」

そこはしかし、またまた他人にどうこう言われたないとこだったりする。

傷つけられた方、特に小学生たち、怖かっただろう。トラウマ残る。かわいそうである。

悪は連鎖する。この場合は「憎悪を伴う暴力」だが、大抵はみなさん耐えてるのよね。頭の中や、最大でも言葉まで、で。だが弱者(自分より)へ向かうとこが最低なのだ。そこ復讐にさえなってない。

すごく「虚しい」。虚しさが漂う。盲目的な犯罪だと思う。最低限同情的に言うなら「敵」はそこじゃない。目が見えてない。凶悪大犯罪を犯すほど腹座ったのなら、もっと「他に」あるやろ。

やっぱり「目が」見えてなかったか。理不尽だよ。被害者の気持ちに寄り添うなら。

こんな理不尽が日常となるのが戦争である。奇しくもpmは空母の上にいて、アライアンスの「不可逆的な蜜月」という主旨で訓示を行っていた。dtはこの事件に対するお悔やみを口にした。アメリカはこの手の事件起こってるから経験があったともいえる。だが、pmのアタマの中はおのれと自衛隊員と空母とアライアンスのことしかなかったと思える。まあ、自分の言葉を持たない(ヤジぐらい)人間だから、そんなんにお悔やみを言われてもお悔やみになってないかもしらんが。ひらがな読めんみたいだし。


飛んだが、「1人で死ねるヤツ」はまだ強いのよ。だから、一人で死ねない、これからの予備軍に、一人で死ね、とは言うべきじゃないと思う。感情としてはわかるが。被害者の娘の父とかだったらそこまで冷静ではいられないと思うけどね。

一人で死ねなかったヤツにはその高ぶった感情はもう届かないんだから。これからの未犯罪の犯罪者にはそれを言っちゃ、なあ。


おれはやっぱり政治だと思う。今、飛躍があると思った人も多かろうと思うが、でもね、人が人をケアするには余裕が要る。その余裕は精神的・経済的両方。だが精神的余裕は経済的余裕に依拠するよ。これだけ痛めつけられてる人々が量産されてる世の中というのはヤバい人々も確実なパーセンテージをもって量産されてるわけよ。太郎ちゃんの言う、「生きててくれよ」の世界は「文学的表現」ではないっちゅうことよ。

不公平がこうあからさまにに行われれ、人の間には不安と不満が充満するのを見て見ぬ振りをするってのが既に犯罪的だとおれは思うが、どうかな?その不安と不満はモンストロウザ(膨張怪物化)する。現在進行形で進んでる。

もっと悲劇が起こる、とおれが考える根拠だけど。もう運に頼るしかないけどね。みなさんの幸運を祈るが、犠牲はきっと出る。それも今よりも高い頻度。おれが、あるいはその身近な人が被害にあうかもしれない。そこはまさに「運」。

だから一番弱い人間をどうにかして救うことを考えないと。困ってる人の話を聞いてあげるだけでもいいんだよ。そのセーフティネットはコミュニティのものだが、そのセーフティネットを担保するのが個人の生活。そこに目が届くかどうかは政治の仕事。

今の政治を容認することは悲劇の量産に手を貸すことに繋がるとおもうし、それはまた悲しみを定期的にもたらす、というとこまで人の意識が繋がるか。そこを冷静に論理的に考えること、こちらの国の人々の最も「苦手」なことだと思うが。

おれはあんまり期待できないと思ってる。なにもかもが「単発」で終わる。愚かだなあ。選挙も近いけど。




posted by 浪速のCAETANO at 11:10| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする