2019年05月31日

退行進化

希望がない社会。

もう30年ほど前から『冷徹な野蛮人』に囲まれて生活するようになるだろう、と言ってきた。

ヒトがヒトでなくなるという事はヒトを超えるものになるのか、あるいはヒト『以前』のものへ向かっているのか?

SNSでだけども、あまりに四足歩行の上手いオンナの人の映像があって、どこかで探せると思うのだけど、そしてこちらの国にも、いとうさんという一日6時間四足歩行してる社長さんがいるみたい。

おれが見た外国人女性、かなりすごかった。おれはサラブレッドのケツに「ほう、、」とため息をつくことがある。シマウマでもいいけど。美しいと思うのね。「種を超えたケツフェチ」なのだが、その外国人女性に対しては、人の女のケツに思う、というよりもサラブレッドのケツに思う、といった感情の方が大きかった。

彼女は「完璧な四足歩行」でさらにカッコいいのは「4足走行」時。ジャンプとかも完璧で、ちっちゃなジャングルジムを飛び越えてた。着地も完璧だった。筋肉の動きは正に四足歩行動物。

おれはOlympiadの100mに一人二人混じってる未来を幻視しましたけど。

ぜひ探して見ていただきたい。


ヒトがヒトであるための条件がどんどんないがしろにされていってる状況で、ということはそのbaseが揺らいでいってるのだが、そこみなさん無自覚過ぎないか?主に社会的な事。ヒトは集団でしか生きることが出来なかった。単独では単なる獲物。その戦略がコミュニケーション能力を育み、大脳新皮質の発達を促した。道具を発明したことからおれたちの生物学上の進化はほぼストップしてしまっている。新しいtoolがその代替機能を持つからね。

だが精神はまた異なる路を歩んでいる。生物学的には「死」を意味する孤独は、バルカン体質のおれなどにはなくてはならないものだし。だが一つ間違えると孤独は変容してしまう。孤立だけどね、孤立は、社会的な危機なのだが、そこに直面してる方々、大層存在している、が現状なのだね。

にわかにそれは社会的な話になってくる。おれは20年ほど前に突然もたらされた「自己責任」という概念がこちらの国の人々を足下から蝕んできたし、いまもそれは進行していると考える。その概念こそが人同士の繋がりを弱体化させ、協働のはずが競争相手にさせちゃってる。

自己責任に新自由主義となれば世の中はよりharshにならざるを得ない。さらに国は「貧乏人ははよ死んでね」である。こういうことは人心を安定させるわけがない。

人による惨劇はこれからも起こるに決まってるし、加速し、その規模は拡大するとしか言いようがない。じゃあ、それに対しては「管理」をキツくするしかなく、管理から監視へと向かうしかなく(実際そうなってる)、もう生きづらさはmaxへと向かう。それが人をさらに追い詰めることぐらい誰でもわかりそうな気がするが。dead endまで追い詰められたなら、誰にだって暴発の可能性はあるよね。

人はすぐに転落するものなのよ。だから他人事ではないのね。暴挙に出た人を対岸の怪物みたいに言ってる人間ほど「慈悲の心」を持たない。現状が進行するのをただ見てるだけ。無行動の根拠はおのれが食えてること。そんな「社会性のなさ」でええの、と言っときたいよ。


四足歩行になれば肩こり、腰痛なくなるというけどね。退行進化とも言うそうです。





posted by 浪速のCAETANO at 12:31| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする