2019年06月21日

時にカッコ悪いはカッコいい

どなたかがlate show w/lettermanでのDr.Johnの出演をまとめていて、朝からシブい用事で早起きして出かけて帰ってきたが、それ流してたら紛れた。

Bonnie Raittと誰やったかな、keep your mouth shutって歌詞の、と言えば、そっち方面詳しい方なら名前出て来るだろう。最近固有名詞が出て来ない。まあ出て来ないのを「楽しんでる」けど。へへ。

朝から、そうや、コパやんか、と思い出し、daznに即席で入って、見ていた。残念ながら、vs チリというのは見逃してしまったのだが(0・4の惨敗)今日のウルグアイ戦はスアレス・カヴァーニの世界最強2トップ相手にまあいい試合してた。ドロー。だが、迫力はやっぱすごいな、ウルグアイ。いかつい。

しかし、無形文化というのは儚いものだな。

その人の存在とともにあるものはその人の不在とともに消滅していく。そのために「記録」があるのだが、その人の存在が現実にないという事実はその記録を「歴史」へと変えて行く。何を当たり前のことを言うとんねん、なのだけど。

あのピアノプレイのあの縦横無尽の動きも豪快なshotもそれらの連携も、失われていくということだ。失われるために存在している、でいいと思う。textureという概念があるが、もっともダメッジが大きいものがその喪失感ではないかな。textureは触覚だけのものではないからね。

robbie robertsonのギターなんかもそうだ。he is still alive.だが。Jim keltnerのドラミングとかね、分かりやすいとこでいうなら。ワカモノには通じんか。通じんでもええが。通じるやつもいるのでは?

本当に、先が見えない。そう思っている人も多いことだろう。その程度には人は知性的だろう。だが、生きていくのに忙しい。ものをじっくり考える暇もない。何かにいつも「追われている」。あんなに「追われてなかって遊んでいた」おれがいま、追われているぐらいだもん。「早く死にたいが時間はもっと欲しい」そんなcontradictionを生きている。不思議な気がするが、割と一般的ではないのだろうか?みなさん「消滅の危機感」を持って生きている、そんな気がしている。こんな世の中に誰がした?そう叫ぶことも憚られる空気が蔓延しつつあるよね。

小銭があったところで、生きるmotivationに欠けると生きるのしんどいだろうなと思う。良かれと思っていらんことする高齢者、増えそうね。

小銭は要る、のだがそれが余生を担保するものでもなかろう。おそらく近い将来だが、「安楽死法案」のようなものが国会を通るはずである。生き続けるも死ぬもどちらも地獄・そんな社会は意外とその到来は早い、っていうか既に?かな。今、まだみなさんその事実から目を逸らすことができてるのだろう。高村さんの言うように、スキャンダルを含む情報の洪水とそのreceiver(スマホだけどね)が機能してるうちは、かな。だが、人はいつか、気づく。というか気づいてることを「認める・認めざるを得ない」時期がくる。さらなる殺伐が現実になるのはその時で、考えるだけでも「おお怖」だが、それもまた、意外にすぐ。

おれはそこを悲観してネガティヴになってる、とはちょいと違うのね。そういった事に感情的にもう反応しなくなりつつあるのね。肯定的でも否定的でももはやないなあ。自分の好まざる方向へと社会が動いていくことはもうずっと前からわかっていたし、自分の寿命の後半において決定的かつ不可逆な変化が起こることもわかっていた。その中で、上下前後左右の壁が加速度を持ちつつ狭まってくる中で、何ができるかな?その試行錯誤を自分に課しているだけで、それを自分の言葉では「実験」と呼んでいた/いる。

pm一味に罪があるとするなら、その時期を「かなり」早めた・ということね。もう少しゆっくりならカウンターを試行錯誤する時間もあったろうに。この6年、そして今後の3年でもう片がつきそうだ。まあそれも運命。だが、可能性(ニッチとも言う)がある限り、ジタバタはするつもり。そんな時のカッコ悪い、はまあまあカッコいい。




posted by 浪速のCAETANO at 12:58| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする