2019年06月28日

ドサクサ紛れにウソをいう

バカが聞き捨てならぬことを言ってた。

「大阪は4世紀に仁徳天皇によって都に制定された」

バカだから不勉強なのは、しゃーないな。だが、世界に向けてウソ言うたらあかんですよ。

「へ〜そうなんだ〜」とか思ったひと!それは真っ赤な 「うっそ」よん。

古墳が世界遺産になったけど、ふーん、だったなあ、おれは。

デカけりゃエラいのか?

確かにデカいですね。伊丹空港に帰ってくるとき、おれもした見るのは楽しみ。造形も美しいと思うよ。前方後円墳ね。あちこちに点在する古墳の(あれが墓とするなら)権力者のものであることは間違いない。それも近畿の(河内の)権力者であることは間違いない。だが、、それが「列島の最高権力者」であったかと言うなら「non」である。

だが、被埋葬者と埋葬者たちはその「信仰」を「真の権力者」と同じくしていた。そして、そのことは彼らの「誇り」であった。

あの前方後円墳の方墳部分、そこでは「鏡のマジック」が行われていた。それはこのようなもの:

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これは卑弥呼(ヒミカです)の得意とするところ。

上のphotoはかつての倭国の一部・狗邪韓国(金冠伽耶=現在の金海市)の歴史博物館にあるもの。この鏡の儀式こそが、近畿の権力者たちが、饒速日(ニギハヤヒ)の国の被征服民に対して進行の強要のために行ったものである。

その建造に当たることを強要されたのも被征服民たちなのね。身に染みてわからんかい、ということね。

じゃあ、なんでそんな巨大な古墳が作れたのか?

ハイ、答言うよ〜。

「ヒマだったから」です。

だはは。だけど、これ真面目な話なんですけどね。

列島の真の王者は「倭国」「倭奴国」と言われた時期もある。サルのおっさんが「倭の奴の、、、、」なんて寝言を言うとったし、それがもはや「通説化」してるけどね。非常にレヴェルの低い通説です。金印の意味もな〜んもわかっとらん。金印などという100年に一度もないようなまさにゴールデンな出来事。それは与える側と授かる側は1 : 1。なんでまた漢のような大国が、例えば「大阪の中津のキミに」なんて書くかよ。国ひとつから国ひとつに与えられるものなのね。

倭奴、とは「ワンワード」ですのでそこんとこ、よろしく。匈奴に対する概念。「いい子ちゃんの奴」ね。匈奴は三原じゅんこ、ね。


宮内庁のホンネを言ったげようか。「発掘されたら仁徳陵で『ない』ことがバレる」ていうか「そもそも天皇陵でないこともバレる」「その辺のおっさんの墓っちゅうのがバレる」です。

ヒマだったから。

列島の真の王者はものすごく忙しかったのね、当時。高句麗との「半島での」血みどろの闘いのね。

先ほどもちょっと触れたが、半島にも「倭」があったのだ。これ、現在のnationalismの風味づけ、いらんからね。近代とは次元の異なること。倭国の成り立ちにも関係がある。玄界灘周りの海洋国家。都は博多。「大阪」が都になったことは「一度」もありません。白村江後の非常に微妙な時期(7世紀後半〜末)に今のNHK大阪の難波宮は倭国(九州王朝)の副都になったことはある。これは大化の改新(これもウソで本当は中大兄と鎌足による蘇我氏へのテロ)後、孝徳が難波に遷都したと言われるサイトのことね。作り話も、もうちょっとウマく作らないとね。

近畿は米よく採れた。経済力は九州に匹敵していた。ただし、磐井の反乱と通説では言われている、実は継体の反乱後、九州王朝からキツーいお灸を据えられ、超優秀な百済出身の財務官僚・蘇我氏をお目付役に派遣されていた。九州には「律令」がすでに5世紀にはあった。すごい先進性である。もちろん仏教も。近畿なんて701年(大宝律令)である。2〜300年遅れてる。

中国の史書には、「旧唐書」以前は「倭国のみ」、「旧唐書」には「倭国」「日本(ヒノモト)」の併記、そして「新唐書」には「日本のみ」。入れ替わったことがお分かりになるだろうか。「併呑」だけどね。

「白村江」がターニングポイントなのね。

白村江の相手は唐・新羅連合軍だったね。

本日は以上。

posted by 浪速のCAETANO at 22:13| 大阪 ☁| Comment(0) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日は晴れたね

降って湧いたような、G20の早起き。いいんだけどね。小商い。
G20、しかしメーワク。

だが「chairman」できるのか?まあしかし「やってる感」で言えばこんな舞台はないわけで。ジミーちゃん。

2000万貯めるのが、まあ普通無理なので、こうしましょう。LDP以外に1票を。

いい考え、かな、と思う。「現状だと野垂れ死」なので。

「死ぬ時も前のめりに死にたい」と言ったのは矢吹丈だった。

矢吹丈や星飛雄馬の生きていた「背景」、昭和30〜40年代だが、その時代に子どもだった人以外にはリアルにはピンとこんと思うんだけど、今思えばそれは貧しさだと言えようかとも思うが、当時はそんな感じなかったのが不思議なのね。それ・しか知らなかったというのがある。そしておれたちはその精神において「封を開けたてのスポンジ」みたいなものだった。テキストのない社会実験。被験者はオノレ。夢中だったのだと思う。来たるべきbetter worldの予感もあったしね。全てが新しく(自分以外のひとにとっても、おそらく)「諸外国」は今よりも等距離で、アメリカだけではなく、イギリス、フランス、イタリア、スペイン、そしてラテンアメリカの国、それらの文化は日替わり定食みたいだった。オヤジが「トリオロスパンチョス」「映画音楽」なんていうLPを持ってた。城卓也もあったが。まああれももとはカントリーシンガーだけどね。おれは小学校4・5年に従姉妹のねえちゃんにビートルズとエルヴィスのレコードの英語歌詞にカタカナを振ってもらっていた。

世界のポップとロックがないまぜになって津波として襲ってきたよね、その後。

結局、自分に関するなら、今と変わらないな。ずっと一貫してる。ただ、おれはマニアなとこはありそでウッフン、であるから、肉体化できる方がいいとなると演繹的である。量を求めるところもないわけではないが、しょっちゅうではない。情報化社会は好きではない。こんな簡単に色んなモノが手に入る、のに関しては苦々しく思うこともある。その対象の値打ちと、それを求め、ゲットする人の質が一般的に非対称だと思うからだ。時代に逆行、か。




各国首脳の来日にふと思う。とりあえずここまで。


posted by 浪速のCAETANO at 09:01| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする