2019年08月27日

弦を替える

久しぶりにGibsonの弦を張り替える。acousticはもっと頻繁に替えるべきなのだが、もちろんそんな事をする「タイプ」ではない。劣化もまたアジのうち、である。そこにあんまり社会的合意はないが。

しかしながら、昨日の場合は劣化にも「程が有る」そんな事で、もう腐ってきていた。一年ほどになるかもしらんなあ。テレキャスターもそうだなあ。だが電気楽器はエフェクターでごまかしが聞く。おそらくギタリストのみなさん、弦さほど、かつてより替えなくなったのでは、と思っている。北村先生に訊いてみよう今度。

まあ、そんな状態で「録音」はやったのだが。だはは。ユルせ・モルモッツ。

だが、本音は、そんなの関係ないのでは・だ。腐った弦でもいいフレーズは弾ける。

テレキャスターの弦交換はいつの日か?ストラトの予定は・・ない。スペクトラム5・・もう一生ないかもしれない。

ただし、弦交換は「刀を磨く」とか「銃を掃除する」とかそう行った作業・にも似て何かしらある種の「心の安定」へとつながる何かが内包されている。

『型』があると思う。David Byrneの分析だが、我々は日々の行為を芸術的「型」にまで昇華する・らしい。ある意味、かなり西洋化しちゃったおれたちの生活の中にも、まだそういうポイントが見出せたりする。お茶やお花なんてのがわかりやすいが、歌舞伎、能なんてのもある。そこには所謂日本的洗練の極地が見出せるけれども。

おれ、近年「葬式」に出席することが多いけれども、あの中で行われるちょっとした「儀礼的振る舞い」など、録画して見て見たら」かなり面白い(興味深い)と思う。

identityの一つ・でいいのだろう。identityは「無意識の行為」の中に表出しそうだからね。となるとidentityとはかなり見分けにくいという気もしてくる。観察が必要というかね。


100均のしょぼいニッパを使って緩めた弦はそのままにエンドピンを抜いて行く。6つ抜き終えたら、その順に並べておく。これが順不同となると不具合が起こる可能性がある。すでに「各穴に馴染んでいる」と思われるからだ。糸巻きから654321の順に弦を外していく。で丸くまとめてゴミ箱へ。エコの人には「ここ」で怒られるはずである。新しい弦を袋から出し、ほどいていく。で、654321の順にエンドピンの中に弦のエンドを押し込みながら、エンドピンを固定する。弦はtoo longであるからadjustする。ニッパで切る。切った分はゴミ箱へ。またここで怒られるはずだ。糸巻きの穴に突っ込み、穴から5〜6mmほど出し巻き始める。ワインダーがあれば使うし、なけりゃ手でも。いつも億劫なのだが、やり終えるといつもやってよかったと思える。

じゃまくさがんなよ、とそしていつも自分が自分に言う。
posted by 浪速のCAETANO at 11:59| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする