2019年09月23日

introrse nationalism

21centuryに入って以来、なんか変なんだよね。

覚えてる。

おれは見ちゃいないが、親父がまだ病気する前だったから、5年ほど前だったと思うが、pmは現pmだったと思うが、「紅白歌合戦」で美輪明宏が「えーんやこら」を歌った時があったでしょう。

あの時、 21centuryに入ってから着々と積み上がってきたものが「堰を切った」、そんな感覚を持ったことを。

GDPがchinaにはもう実際に抜かれてたのかも知らんが、それを今のように「諦観」を持って眺めては、まだいなかった。ただ、そうなってることはみんな薄々感じていたが、そこ「見たくない」そんなコンセンサスができていたように思う。

そんなことが背景の『えーんやこーら』だった。

なんだか、親父もお袋も、いたく感激していたような記憶がある。美輪明宏は彼らと「同世代」。「今の歌に比べて、なんと内容と心のある歌だろう」みたいなコメントをしていたように思う。美輪さんの歌に「泣いた」国民(特に高齢の方)多かったと思う。

で、その着々と積み上がってきて堰を切ったものとは何だったのかというと、それは一般的に言えば「ナショナリズム」だとおもう。

ナショナリズムに対する畏れの崩壊、がより正確かもしれない。


親父の立場に立ってみたい。

少年時代はどう考えても「不遇」だったと思う。世代的不遇 plus まあここで書くのが適当かどうか躊躇われる別の不遇もある。戦時中は「学童疎開」も経験しているし、関西〜九州〜関西・と転々とした。

親父は芋(サツマイモ)を食べなかった。少年時代に「芋しか」食えなかったから、と聞いたことがある。まあ昭和一桁生まれによくあることか、とも思う。

社会人になり、結婚し、子供が生まれ、昭和一桁生まれなりの「男尊女卑」のコンセプトを全面に押し出しつつ、それは時代の常識なのかもしれないが、家を建て、子どもを大学にやり、ある子どもからは孫が生まれ、おのれの遺伝子の継続も完了し、その社会的ベースになったものは高度経済成長だったが、壊滅的な国土の状況からの彼の人生が「国」の成長と寄り添っていたように感じているのもほぼ間違いなく、美輪さんのその時の歌にはnostalgiaもたっぷり含まれた上に、自分らが生きてきた時間と時代を「肯定する」響きがあったのだと思う。

「私たちは正しかったのだ。辛いこともあったが、あの廃墟から美輪明宏の歌のように母の必死で無償の愛に育まれ成長した私たちは同様のことを次の世代に対してなし、そしてその人生も終わりに近い(事実、翌年に大腸がんが見つかり、肝臓にも転移していて一年半の闘病後亡くなった)。」

そのような感慨を持ったに違いない。

大きな「自己肯定感」がそこにはあっただろうと容易に想像できる。ジャパンへの肯定感も当然そこには含まれる。食べ物や酒やいろんな社会的なことね。


エマニュエル・トッドの言う、ジャパンはナショナリズムではなくナルシシズムに覆われているのだ、という見解とも近いような気もする。周囲を極力視界から外した挙句の(koreaだけは別か)閉じた空間内でのtoo muchな肯定感。

だが、おじいさんがそう思うことと同じようなことをもっと相対的に若い世代も思う、というのはちょっと違うんじゃないかな?太郎ちゃんの言う「昭和のおっさんのメンタル」の無批判な継承というのがおれには「解せん」のよね。

それを無批判に継承することが「小銭儲かりますねん」であるとしたらバカにもほどがある。こちらの国の「正の遺産」をあまりに無駄に食い潰しすぎだ。


GDP/personがこの20年間で6位→26位と経済崩壊していく中で、ナルシシズムのような「内向きのナショナリズム」はさらに肥大していってるみたいね。こちらの国の正の遺産を食い潰して行くうちに、拠り所がなくなっていき、どんどん自分が「不確かなもの」になっていってるんじゃないかな。その空洞化した内部を包む薄皮がjapanという国名。それにしがみついてる人々が多くいる。

トッドが言うように、そのナショナリズムは「拡大志向」を内蔵していないこともあって、さほど近隣諸国に実質的メーワク・今回はかけないのではないかな。そもそも、そんなパワーはこちらの国には、もう、ない。koreaもムキにならずに静観しとけばいいんだよ。

ただ、厄介なのは、domestic。「内向き」なだけに、内部では「戦時化」が進む。進んでいる。誰とも・どことも戦争するわけでも(できるわけでも)ないにもかかわらず、戦時の体制が整いつつある。同時に「新自由主義」はきわきわまで進行する。国の崩壊が権力者の懐を潤わせるシステムはもう確立しちゃったね。pmの「外交」と言われてるもの、その姿勢と結果が象徴的だよね。まさにdomesticな「やってる感」だけ。実質・何もなし。それ以上に「マイナス」。

国民の大半にとっては地獄だね。バカウヨの人々は夢見といて。でもそれ「夢」よ。花が咲き乱れているのはあなたたちの大脳の中だったりなんかしちゃったりして〜。

その落とし前は「キミらだけで」つけてちょーだいね。

戦後を生きてきたおじいさんおばあさんの心情をベースに「もうなんでも国の・・・へと広く大きく取り込んで昇華するシステム」を作り上げてしまってるから、少々お勉強ができるぐらいでは見破れない。ラグビーの『one for all,all for one』だってそれに取りこまれていくことだろう。おそらく、ほとんどのJapanese、本質を知ることなく死んで行くのだろう。ただ、生活はどんどん苦しくなる。さらに苦しくなる。苦しいと思う人たちの絶対数も増えていく。なのに、声をあげることも出来ない、そんな社会。バカウヨの人々の生活もそれなりに苦しくなっていくのでは。お金持ちなんですかね・そんな人たちって?

日米FTAが締結されると、太郎ちゃんの政策の半分ほどは「絵に描いた餅」となる。これ国民にとっては「致命傷に」なりかねないヤバいこと。


そんな中、そんな人たちにお訊きしたいのだけどjrの「クールでセクシー」発言はどこら辺を『称賛』すればいいのか・と、speedとどっちがよりバカ・って思ってる?




posted by 浪速のCAETANO at 21:38| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モルモッツ・one of back stories

ザ モルモッツのCDが送られてきた。

the LABEL Rafflesiaとしては4枚目のアルバムになる。

ちゃんと売らなきゃな。前の3枚も「在庫はたっぷり」だはは。

おれは、もうそこら辺どうでもいいのだが、やっぱりproduct フェチなんだろうな。アルバムには思い入れがある。

しかも今回はちょっとした「コンセプト・アルバム」になってるから、まあ一通り「流れ」で聴いていただけたらな・と思う。

元は現代の男のmetaphorであるところの「実験動物・モルモッツ」の、飼い主からの無慈悲なtreatmentに翻弄されつつも、そこからの脱走・そして、敗北、帰還、諦観、服従、みたいな。

ただ、途中で高瀬が亡くなってしまう・というシャレにならん事件が起こってしまい、その後の展開が見えなくなってた。おれもちょっとダメージ大きくって、途方にくれてしまってた。


その時期は北林純が逝った直後でも有り、その後親父が亡くなった。

おれの周りで、死者が重なる時期というのがあって、それは2007あたりが第一回目で、知世ちゃんの兄貴の大蔵が、そしてHONZIが相次いで逝き、その後しばらく落ち着いたかなと思っていたが、まあおれもそうだがみんな歳を取っていってるのである。

しかし実に人がよく死ぬ。そのほかにもwonや松さん、最近ではしんごちゃん、橋本くん。様々な理由で。



「生きてるうちが花なのよ。死んだらそれまでよ」

身も蓋もない話だが、それ以上の「含み」がもうない・そんな気さえする最近ではあった。


そんな時、高瀬の両親から「アルバムを作らないか」とのofferがあり、ex-producerがいるのなら、ということで始まった。始まりは塾・大学が終わる3月。

自分の中では、動き出すにはもう一つ「条件」があって、それは大阪の地名の入った曲を書く・だった。これは曽根崎時代に「dead end street」のアルバムを作りたい、そう思って未遂になっていたprojectへの「ちっちゃな落とし前」でもあった。中津に来て以来、色々あって、まあよくその際に「自主制作弁当」とワインなどを持って淀川べりへと行っていた。

誰かと行った・というわけではなく、間違いなく一人だったが、その淀川体験も10年も続けてたら自分の中の心象風景にもかなりの変容が生じる。

最初は「死に場所第一候補」。あの葦の茂みの中。それが徐々に季節の変化を体感する場となり、その変化は寒さが緩んでくる時期が最適であることを体験的に知るようになる。端折っていうなら高瀬の転勤の噂の時期と微妙に重なっていた。あのバカの存在は、Todo O Mundoの中津の歴史とも見事にシンクロしていて、まあおれも大変救われた。北村先生との出会いも高瀬のおかげでもあり、藤井拓もまたそうであると言ってもいいと思う。

自分の気持ちも初期のマイナス100ほどがプラス50ぐらいにはなっていた。まあ10年だからさ。人はいろんなものに救われつつ生きて行くと思うんだけど、あの「川」の存在って大きかったな・と今思うのだ。

「淀川の水、温む頃」と最初のフレーズは決まっていて、「火星に転勤」とタイトルも決まっていて、それがやっと恒例の「お誕生日・トリビュート演奏会」に間に合った。3.6のことだった。物事が進むには「ドライヴ」が要るのね。イアン・ワトソン『川の書』なんてのもアタマの隅っこにはあったのかもしれない。

曲を書くことは小説を書くことにも喩えられると思うが録音をすることもまたそうであるとおれは思う。おれのスタイルは決まってることを弾く、ではなく決まってないが「モヤモヤしてること」を「作りながら・弾きながら具現化」して行く・だから。無意識のうちに自分を追い込んで行って、それで何が出てくるのか、そんな「楽しい自分SM」みたいなことか・と思う。そんな愉しみを久しぶりに味わえた。

今んとこ、Todo O Mundoで売ってますが、販路も少しずつ広げて行くつもり。

いいアルバムになってます。モルモットたちもまあ頑張ったよ。





posted by 浪速のCAETANO at 19:17| 大阪 ☁| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鯖サンドrecipe

鯖サンド:
マフィン〜粒マスタード〜さらし玉ねぎ〜クリームチーズ〜鯖〜バジル葉〜バジルペーストを塗ったマフィンで蓋。美味。
posted by 浪速のCAETANO at 08:33| 大阪 ☁| Comment(0) | めし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする