たまたま(後で聞いたら、身内の葬式で)帰ってきてた友人と待ち合わせて、太郎ちゃんの話を「チョク」で聴いていた。
ちょっと寒かったから、あちこち移動しつつ、3次元的に角度を変えつつ聴いていた。籠池ちゃん夫妻もいらしてた。早よから。
千人じゃきかんな、数千人は集まってたな。だが数万人はそれを横目に・あるいは無視して・あるいは気づかず家路を急いでたな。これも・それも「現実」であるね。
その後に彼女と飲んだ熱燗がうまかった@新梅田食道街。
『虐待survivor』という言葉が衝撃的だった。鳥居ちゃんの告白も戦慄だった。まあゆっくりまた考えてみよう。
closed空間というのは「どっちにせよ」マズい。悪事は大抵「closed空間」で企てられるからだ。実行もclosedな中で行われるから虐待はさらにヤバいが。
「何でもかんでもdiscloseします」という太郎ちゃんの戦略は、それゆえ、好ましい。
最終盤の「経済論」・パネルも増え充実してきたが、そう簡単には一般の人が理解できるものではないだろう。おれもそうだが、早い話ミクロ経済とマクロ経済がそのコンセプトを「異」にするものであることを十分分かってる人間がすくないことによる。
「税金の意味」に関しても、おれたちは随分長い間・騙されてきたんだなあと思うもんね。だから、そこが(少しずつでも)周知されることになれば、みんなにとって「merit」であることは間違いない。おれたちは、ええ年になると余計に「おのれの経験則」に縛られることになる。おれたちの経済に関する経験則など大抵は「家計レヴェル」のことだ。ちょっとだけ規模が大きくなったところでおれなら「有限会社レヴェル」だしね。そこ「しか」知らないで、マクロ経済や国家的マネーの話を理解するのはなかなか簡単じゃない。
まあそんなこと。
国会議員でもよく分かってない。枝野の態度を見てればわかる。小川淳也くんでさえ、そっちである。
立憲も国民も5%には乗ってこない。
れいわは「独自」でいいんじゃないか。太郎ちゃんもそろそろ腹決めていると思う。それでいいんじゃないの?私見ながら。
音楽がそうであるように、政治もまた「人となり」である。最後はそこ。いまの社会を変えるには文字通り「左翼的」「保守的」その両方を持ってないと苦しい。そして「新自由主義」のことを『ウンコである』とちゃんと規定できないことには信用されないと思う。この3点は「絶対に必要」。
「右翼的」「売国的」「新自由主義者」のなんと多いことよ。その「右翼的」は真の右翼ではないよ。真の右翼は国売りません。
好きな外タレの全国ツアーみたいなもの。かつてSt.Vincentのworld tourを全部ネットで追っかけてたけれど、それに匹敵する。
今日は京都だね。そして明日からは関東に入る。初日は小泉の地元・横須賀だね。15・18の東京までに人がどんだけ増えるか・見ものである。
まあ自分のこともやんなきゃいかんのだけど、いろいろと。まあそれはそれ。
posted by 浪速のCAETANO at 15:21| 大阪 ☁|
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その嘘・ホント?
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