2020年01月17日

ゆく川の流れは絶えずして、、、、、、、

あれから25年かあ。長かったような、短かったような。

その後も中越・博多・東北・熊本・こないだの大阪(高槻・茨木)など、どこに住んでるかによってイムパクトの大小はあるんだろうけれど、阪神淡路とこないだの大阪(高槻・茨木)を知ってる身としては『最初と最近』の印象・大きいな。


まあ、25年前からこの列島の「地面・地下」は『凶器』という性格を併せ持つ・そんな認識ができたわけで。


おそらく何十秒かのことだったのだろう。おれたちは基本「正常性バイアス」にとらわれているから、しかも地震というものに生まれてこのかた馴染みもなかったわけで(おれは特にそう)「ん?何・何?・エッ・あ・あ・あああ」そんな感じだった。震度でいうなら「5強」ほどはあったのでは。こないだの大阪市北区の「6弱」と同等・そう感じた。

おれは吹田だったから隣の人が生き埋めになる・亡くなる、なんてことはなかったが、それなりのダメージは受けた。共感能力って、双刃の刄でもある。


ひと月ほど、水は出なかったな。ちっちゃなコンビニもどきをやっていた塾の生徒のお母さんから水の差し入れなどあったなあ。ありがたかった。

猫たち(当時4名)もだいぶ怯えていた。シトロエンBXはいい仕事してくれた。あの時生き残った人々は「善意」に溢れていたと思うよ。その数ヶ月後にはオウムのサリン事件が起こる。善意とそれに隠れた悪意がそれぞれ露わになり、しかしおれたちが文字通り「拠って立つ」その大地の崩壊は、おれたちの精神に先駆けてわかりやすく進んでいた・というのがいまになってよくわかる。

25年。坂を転げ落ちるかのように。

25年前も服部緑地や中学校などにテントが長いこと存在したが、今も京都の大学へ向かう際に阪急から眺める景色の中には「ブルーシート」がある。本当
に、人を救わない国である。

declineとかshrinkとか、その形容として言葉が思いつくが、その中をおれたちは「ごまかしごまかし」生きてきたのだな・とおもえば、みなさんと手を取り合って「健闘を讃え合いたい」そんな気になったりもする。


そして実感として、この25年という長いとも短いとも言える時間ほどにもおれにはもはや「残っていない」ことをふと思う時、時間って貴重で残酷だなと思う。やや投げやり・入ってくる。そして先の不確実さが等比級数的に増していることとそこに対応する政治の不作為・経済の不平等を思えば、希望がどんどん薄れて行くのを感じる。

長期的展望がどうも人から力を奪う。おそらく皆さん、ぼんやりそんな感想だと思うのだけど、どんな立場の人間にも「時間」だけは平等であることを考えるなら、突然その視線の足場がぐいーっと上昇し、「無常観」にとらわれてしまうのだった。

「平家物語」とか「方丈記」をおれたちは「繰り返し」生きてるんです。











posted by 浪速のCAETANO at 13:25| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする