2020年03月26日

いちびんな

「安もんのSFというか近未来小説の書き手でも、どうやろ?採用するかなあ?」

『和牛』ですが。

スラップスティック。おれたちは「超安もんのディストピア小説」の中に強制的に住まわさせられている。

『魚』も加わる・という話がある。

マリー・アントワネットごっこ・なのか?


「知って・やってる」とおれは思う。だから、これは嫌がらせ・であって、イジメともいう。

dtの・johnsonの・putinの、なんと「頼もしく・かっこよく」映ることか。


野党=国民、そんな見立てで、最も「タチの悪い意地悪内蔵」しているのは厚労省の加藤とpmである。常に「マウント」取りに来るよね。「いい負け」たくない。いい負けたくない時にのみ・原稿見ないpm。


消費税0%と20万/month。これ以下だと、人は「どんどん」死んでしまう。死にたくない人も死んでしまう。

こんな弱者にキツい国になってしまった。勝ち組・負け組、そんな無体な言葉が「普通語」として使われ出した頃から、こちらの国は「全体が堕ちて」行った。無駄な競争と自己責任、つまりは「ネオリベ・マインド」を面白がり出した頃からの話。油断してた。何度もいうがその頃はまだ「過去の蓄積」が十分あったのね。社会も「プラスサム」だった。それが政府の「ドケチ財政政策」により「プラスサム→ゼロサム」となり、ネオリベはそのまんまだったから、いまの状況を導くことになった。全体の底上げがなくなった中で、奪い合いのマインドだけが残れば、そりゃ貧富の差は広がるわね。


そんな中で「奪うのがうまかった」のが堀江とか・ってことだね。「社会に還元」とかいう精神はないのね。「おれの実力でゲットしたもんやん」てことなんだろうけど、そいつら、なんだかみなさん、カッコ悪い。残念だね。おれがカネ持ってたときは「気前よくみんなに還元してた」けどねえ。


いいお店が、どんどん潰れますよ。カスみたいなんしか残らんよ。普通に仕事してる人がみんなdepressionの中に沈むよ。おれがよく言ってること:


友達が消えてしまって、一人だけ残されてなんかおもろい?


もっと深刻なことが続く。政府の経済月例報告から「回復」の文字が消えた。「奈落へと向かってます」と認めた。もう隠しきれなくなったね。もっと深刻な・とは、pmはユリコに「先駆けて・緊急事態宣言」出しますからね。ここ、バカの自己顕示欲・全開するよ。

さらにもっと深刻な・とは、需要の収縮による「供給能力」の収縮。これは、致命的。ハイパーインフレの「重要要件」とは「供給能力が堕ちてしまうこと」だったの覚えてる?「和牛やお魚」でいちびってたら、そうなるからね。

カネを「刷って」「配る」それしかないんだから。そうすればするほど、5〜10年後の「先進国」を約束します。







posted by 浪速のCAETANO at 17:52| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

河川敷の自由

昨日は、銀行周りで淀川大橋を渡り、安キアンティをカクヤスで見つけ、淀川右岸にて持参の自主制作弁とともに暖かい陽射しの下、「紫蘇たっぷりの卵焼き・鮭のハラス・ええ肉としめじのオイスター炒め・竹輪きゅうり挿入・キュウリもみ・十八穀米にのりたま・翁昆布・南部梅干し」といったなかなかのゴールデンデラックス版とともに・だった。やっぱり・弁当は「indee」に限る。

弁当も音楽も「プロデューサー」は楽しい。

その後、帰って、「塾まで」ちょい寝しよう・と思いソファ寝してたら、「塾始まっても」まだ寝ていた。気がつけば電気の」ついていない部屋に高二男子と新中一女子が立っていて、おれは夢の途中だったみたいだが、やつらにしても、「普通に塾に来たら暗い中、先生がソファで本格的に寝ていた」というシュールな光景を見れて・・・・・・良かったね。だははは。


まあそんなことも・ごく稀に、ある。酔い覚めも中途半端で、だが、そんなぐらいで丁度いい。底に流れるintimacy・がうちのいいとこ。キアンティ・一口だけが残っていた。そんなぐらい、気持ちよかったのだ・淀川右岸。左岸より、どちらかといえば右岸が、見える景色としては上だ。まあ・気分によるが。


おれは高瀬が死ぬまではあんまり右岸は行かなかった。この4・5年かなあ。どっちの岸で時間を過ごすかは気分による。左岸はやはり近い。さっと行ける。お袋とも歩いたこともある。葦の「小さな森」があり、いろんな鳥がいる。葦の森や鳥・そして川の流れは、新コロナにも、五輪にも、ファシズムにも関係なく、そこに在る。「変わりつつ・変わらず」そこに在る。内部は変容しつつありながら全体のフォルムは変化しない。


神崎川ほどではないが、淀川というメジャー河川においても、河川敷は「治外法権」の香りがおれを惹きつける訳である。その値打ちはもっとよく考えないといかんな・とおもう。神崎川のそれのようなエアポケット感はグッと落ちてしまうが、「閉じつつ開かれた」淀川左右の岸は、その水の流れがどこからやって来てどこへ行くのか・といった単純な発想からものすごく広がるvisionもあって、イアン・ワトソンの名作SF「川の書」のような「幻視」も可能になる。


これだけリアルが「Shit」だと、逃げたくなる。それもリアルには逃げられないから意識において「逃げる」。逃げる際に、川というのは・そして鳥の能力・はおのれの意識を『外洋へ、上空へ』と連れて行ってくれる。あまりにshitなリアルがそのドライヴのポテンツを下げる傾向があるし、おれも最近はリアルに負けがちなのだけど、まだ「負け切って」もいないのね。リアルってほんとイマジネーションの「天敵」であって、どんどん「つまらん人間」になって行ってる・そんな自覚もあるのだが、まあ残り少ない余生・ファシズムの下での、出来るだけ「自由を謳歌」したい・と思っている。「自由のニッチ」はview point次第でまだまだ見つかる・という希望は捨てたくないですね。








posted by 浪速のCAETANO at 11:33| 大阪 | Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする