など、思いまして、音楽をリアルミュージシャンの手に取り戻したいな、相対的小さい世界に、リアルな世界に取り戻したいな、無理だろな、でも抵抗すれば落とし所も見えるかな、など思ったあげくの「tiny resistance」。まだまだ続くから。
2020年05月08日
tiny resistance
なんかさ、今fbで流行ってるあれ、自分で音楽を作り続けることもできない(つまりはミュージシャンではない)奴らが過去の偉大な音楽を、オノレの値打ちを瞬間こくようなつまらん動機でさわんな、カス!
島に行ってすぐ帰る
突然、伊王島へ行く、と決める。
なんでかはようわからんのだが、今日はテレワーク辞めようと思った。こちらに来てあんまり「はい、1日今日は、休みね」ということはなく、まあそれは@大阪と変わりはないとはいえ、startrekもない、北欧ドラマもない、要は「普段の、別に自分にとっては普通であるところの、軽いわがままが、封印されている」そんなことからのescapadeが必要だった、というところだろうか。
めんどくさいな、キミ。
あったりまえやん。超めんどくさいよ、フツーで。
それを言うなら「非小市民」と、言ってくれ。
生まれる国と時代を間違った。naturally致命的なのね。だはは。しゃーないね、しゃーないよ。
まあ、でもね、コロナフリーの長崎でほぼ一ヶ月、過ごせたことだけでも「値打ち」よ。母親の晩年のあるperiodという意味も含んで。ありがたいことでもある。
あれ?おれはコロナに「感謝」してるのか?
そういう側面もなきにしもあらず。あり得なかったからね、この事態。
今日はバスで50分かけて伊王島大橋を渡り、2時間寿司屋にいて、20分で本土まで戻ってきた。何しに行ったのかようわからんが、強いて言うなら、教会をチラ見と寿司みたいな、なーんやそれ、なことなんだけど、他のオプションもありながらやっぱりそっちでした〜、っのがおれが思うに「値打ち」。そこには選択肢があったからね。見ず知らずの土地で失敗する人多いと思うが、いいんじゃないですか。
決定的に情報が足らんわけよ。
おれはそれを若い頃から面白がれただけ。情報ありき、ではないの。その場に居ながらも情報は逐一入ってきてるわけ。ただ、おれはそれを「情報」という湿度のないものとは捉えないだけ。じゃあそういうのなんて言うんすか〜?とか訊かれても、うーん、と、わからんフリするの、得意なんだけどね。
なんだっていいじゃん。
おれはムカついてることがあって、それはロックやパンクを大学で教えて教授とがなってやがるサルなんだけどね。
おれが、やろうと思えば「おちゃのこさいさい」で出来ることを「敢えて」触らず、「神聖」なものとして保存してたものを「商売」にしやがって食ってるアカデミアのクソがいる。路で会うたら覚悟しとけよ、カス。阪大にも1人おるが。
現在進行形のpop cultureで「食うな」。やるとするなら在野でやれ、ボケが。
なーんて、言いたくなるわけ。
おれは卒論までにしといたからさ。それが「節度」と言うもんよ。
脱線のまま終わる。