2020年05月13日

my most favorite in Neil Young

4. “Powderfinger”

Originally recorded as a solo acoustic track for 1975’s Hitchhiker, “Powderfinger” is a folk song at heart: the tragic first-person narration of a 22-year-old frontiersman who dies in a suicidal attempt to defend his home from an attacking gunboat. The lyrics are novelistic in their level of rich narrative detail; even a passing line like “Big John’s been drinking since the river took Emmy Lou” seems to beg for a separate song of its own. But while “Powderfinger” is impressive in any form, it’s the live version with Crazy Horse from 1979’s Rust Never Sleeps that has rightfully earned its place in the classic rock canon, with a twin-guitar line by Young and Frank “Poncho” Sampredo that sends the end of every verse rocketing into the stratosphere. Hoskins

最初、1975年の「Hitchhiker(ヒッチハイカー)」のためにソロのアコースティック・トラックとして録られた「Powderfinger(パウダーフィンガー)」は本質的にはフォーク(アコースティック)ソングである。最初に出てくる逸話の人物、攻撃してくる船から家を守るための死を覚悟して最前線で闘い死んだ22歳の若者の悲劇。その詞は豊かな細部の描写が小説のレヴェルに達している。

「ビッグ・ジョンは、河がエミー・ルーを奪った時以来、飲んだくれ」この一説を取ってみただけでもそれ自身また別のエピソードであるかのように思えるのだ。

「Powderfinger」はどう歌われ演奏されても素晴らしいのだが、やはりclassic・rockにおいて外せない揺るぎない地位を築いたのは、1979年の「Rust Never Sleeps」のCrazy Horseを従えてのライヴ・ヴァージョンである。そこでの自身とフランク”ポンチョ“サンペドロとのツインギターのラインは各verseの終わり=インターを成層圏まで飛ばしたものだった。


ここからはおれ:

ニールヤングは「戦争」の度に、この曲を演奏していた。もし、また戦争が起きれば必ずそうするだろう。自分もこの曲は演っている。おれも少々英語が分かるので、「22歳のワカモノ」が火薬と弾丸の世界から逃れたいと願いながら、この世に未練を残しつつも死んでいく様が歌われ、自分も歌いながら胸が熱くなる。

ライヴでは大盛り上がりの一歩手前でいつも演奏されていた。「Like a  hurricane」や「Rockin‘ in the free world」などの。

タメにタメて、やっと見た2002のフジロックを思い出す。ある程度大人になって、見た他のアーティストのライヴ、どれも素晴らしかった。ただそれとはファンとしての「年季」が違う、ってのが一つあって、自分の中での保存されたニールヤング用のラインがあって、そこは誰も他の人はもう習慣として入れない。大大大師匠である。50年間、ヒトの胸を熱くさせる音楽というのがある。おれが基本成長していないからかもしれないが。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。ニールヤングを見てて聴いてて思うこと、それは衝動の(というか怒りに近いものだが)重要性と小賢しいテクニックってさあ、ということだ。エレキギターのニールヤングは「誰でも弾けるようなラインを誰も弾けないように弾いてしまう」。アコースティックのときもかなり個性的な奏法だが、分かる人は少ないと思う。残念ながらおれは「分かる」。説明は難しい。そこまで行った人には説明できる。ギターの「深さ」みたいなものをニールヤングは教えてくれていて、そしてそれは教則本や市井のギター教室では決して教わることのできない類のものだ。アイデアが「豊富」なのね、実は。ギター弾けない人は軽々しくしくニールヤングを語っちゃダメだよ。disったりしたらおれが許さんぞ。いや、マヂで。






posted by 浪速のCAETANO at 18:39| 大阪 ☀| Comment(0) | my master(にいちゃんみたいな) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The LABEL Rafflesia 配信#7

世間の「空気」を全く読まず、配信は続いていきます。

第7弾は「束の間のiyashi」です。

変なタイトル!と思っていただいて正解です。

似合わんな。それもそのはず。marutanikaz、の唯一の著書にくっ付いたCDだったからなんです。

二つ目の著書、というか訳書だけど「How Music Works」by David Byrne ;translated by marutanikaz はこんなご時世になって、益々出版の現実性からは遠ざかっていくなあ。なんかなあ。

気を取り直すのだけど、このCDはリリース当時、「音楽雑誌」のレヴュー欄に取り上げていただいた。

その評がギターマガジンだったかなあ?コピーが当時の豊津の塾のホワイトボードの裏にマグネットで止まっていた。ちょうど20年前の話ね。当時、うちに来てた高校生とかさ、当然「ブルーハーツ」なわけよね。で、そのページには真島くんの記事も載ってて、その上部におれの本のレヴューも載ってて、ちょっとリスペクトされたん、思い出した。

評には「ビンボー人に優しい本、と書かれてた。だはは、CDは「単体でも」楽しめる」とも。

オリジナルの文章は「Savvy」の連載。

「束の間のiyashi 」と「《地域限定作り話》時のゆりかご」いくつかのエピソードに曲を付けた、というもの。曲から文章への「関数」にはなってます。その曲に相対する文章は必ずあります。最近は古本市場でも見かけなくなってきたなあ。おれも見つけたら買いたい。

連載ということで言うなら「Meets Regional」にもクルマ連載を5年ほどやった。これもまた本になってもよかった(と思う)。だが、江(editor-in chief)や青山ちゃんがどんどん辞めていった時期で、そんな話も種火のうちに消えた。

今回もそうなんだけど、ちょっと何かしらで初動が遅れ、おれがなんかする気になった時、世間や自分の周囲が決まってゴタゴタする、そんな運命みたいである。ま、いいんだけど。


配信は7曲だけど、本当はもっと入ってた。ラフレシア#4の「Parabola Spins」#5のmarutanikaz historia numero 1にクレジットされている曲は省いた。省略曲はオリジナルのそちらで聴いていただきたいことと、残りの今回の7曲は、前回配信されたmarutanikaz historia numero 2 同様(同時期)、Roland 1680で全くの1人で作った音源だから、それを際立たせたかったから。

省いた曲は「ハードコア」「手品師の帽子」「JHMYB」あとなんかあったかな?忘れてる?


では曲を見ていきます。

「バタームーン」

Numero1 にも入ってた。それは「Take2」。こちらは「Take 3」。

思い切り、澄んだ空気感の録音をしたかった。こっちが一番いい、と言う人と、こっちが一番ダメ、と言う人に分かれる。賛否両論の録音。当初目指した「澄んだ空気」はそこにあります。マルタニさんのオブリの方のギター、シブいです。


「春分だな」

これも「Take2」。おそらく次の配信と思われる「光合成の季節」by光合成オールスターズというアルバムにオリジナル版が入ってます。そちらは「綾&青美」のピニャ・コラーダ。こちらは「aqui e aomi」という瞬間ユニットです。jkあるいはjc女子のハートに寄り添ったつもりで、自分の量的に非常に残りわずかだった部分とも呼応しながら書いた曲。世の中は「純」→「スレ」→「また純」というように、過去へと回帰している印象を持ちます。二極化してるのかもしれないが、ガンガンいってない方の子たちって、ゲームやら今回決定的だがコロナ、だとかで内向するしかないようなことになっている、そんないんしょうがあるけど、これ読んでるおかーさんチーム、あなたどう思いますか?

ジェーンバーキン、BBとセルジュゲンズブールを気取ってみました。
マルタニさんのベース、この頃が最も「うまかった」。


「Mille Miglia(ミッレミリア)」

珍しく「インスト」。自分のクルマ遍歴の中でもイタリア車は、ほぼ半数まではいかんけども、重要な位置を占めてた。壊れても壊れてもまた乗ったし、買った。FIAT 2台、LANCIA2台、Alfa Romeo2台。台数合うてんのは偶然。

当時はF1とか大々的に取り上げられ(まだアイルトンセナがなくなる前)、
みんな楽しみにしてた。ただ、おれはボログルマ乗り続けてたせいか、なんかそのぅ、最新のマシン、なんてのが「ケツかいい」とこがあってですね、そんなんよりも公道のかつてのレースの方が「ロマンチック」だな。いってもWRCぐらいかな、なんて思ってて、それでもデルタイングラーレはなんか波長合わんな、でプリズマインテグラーレに乗ってたりしたのだけど。

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レーシングサーキットの綺麗に整備されたものより公道の凸凹をボログルマでクリアしていくことを脳内シミュレートしていたら「突然」できた曲。ボログルマでの急カーヴ、凸凹乗り越えみたいな、マニュアル車運転してちょっと無茶したことのある人には作曲者の気持ち共感していただける、と強く信じております。


「木の精の歌」

・・・・の歌、とかダッセー、そのセンス、とか言われたくてそんなタイトルにしてみた。ただですね、この曲はなかなか再現する機会もないし、貴重な曲です。

熊野へはおれは「後白河上皇」にはちと負けるが「後鳥羽上皇」よりは多く行っている、というほどの熊野フリークなんだけど、もちろんボロの伊・仏のボロ愛車を駆って、ですが、大抵、高野山で一泊して朝のお勤めをして、精神を清めた後「高野・竜神スカイライン」という史上最高の路をかっ飛ばして熊野へ向かうのだけど、龍神温泉から、ちょっとおもしろくなって地図で見ても細い路を串本まで下ろうと「魔が差した」ことがあり、当時のシトロエンBX GTiでその道に入ったわけですが、「なんでこれが国道やねん!?」という路でですね、ハイドロ・ニューサスペンションのBX、ハイドロだからか?面白いようにその凸凹を拾う。狭い路でもわるい路でもしかし、おれも容赦しないタイプなので、気にせずガンガンアクセル踏むのね。そのうちにダッシュボードは閉じても閉じても開くわ、上からルームライトは崩壊して落ちてくるわ、もう大笑いな惨状なわけです。いや、乗ってたらほんとに笑けてくるのね。で、そんな夢中になってる時に、森の精霊の存在が「ふーっと」そして「するりと」自分の中に入る、そんな体験をしたわけです。まあ、脳内物質過剰分泌のなせるわざ、だとは思うのだけど、妙にリアルな印象があって、連載でそれをモチーフにした「作り話」を書いた。その余韻がずーっと残っていて、新たにこの曲を書きました。当時よく聴いていたアイリッシュ・スコティッシュの詩のモチーフも参考になった。曲をアイリッシュ風にするとか、それは「アタマワリイ」よ、って誰に言うてんねん、おれ?
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書いてる文章に負けないように、と言うか、相乗効果も考えて詞を書いた。「いつでもそこにとまっているよ、誰も知らない白い小枝に」。


「青い花」

ここからの2曲は、「隠れファン」の多い曲。なんと全長10分の大作でした。

「人はどこから来てどこまで行くのか?」当時は意識して詩を書こうとは思わなかった。自然にできていた。努力も要らなかった。「嗚呼、我がgenius period,saudade」。

この曲の面白いとこは3部に分かれてるとこだろうか。数度ライヴでも演ったな。音楽的に言うならbossaがしぜんにハチロクになって最後は8で、みたいなことだが、あーつまんないな、こう言う言い方。生き物としてのスピリットに掠ったのではないか、と自分では思う。

ここでは「ブズーキ」という、おれのはギリシア産の八弦の複弦弦楽器を弾いている。散々展開した後のブズーキ・ソロ、おれは今聴いても「胸が熱く」なります。別れたヨメも別居寸前、この曲を聴いて「ほんとにいいわね」と言っていた。知らんがな。

第二部はこう続く「砂に足取られながら隊列は進んでいく
幾千の目に見えるもの、流れ星の彼方に、砂に足、、、、、、」

なんだかわからないが「大作」です。是非聴いてみてください。意外に短かい10分だったりします。



「終わりの始まりの終わりのワルツ」

隠れファンの最も多い曲、でいいと思う。毎年おれのAnniversario には「marutanikaz tribute」というものが開催されているのだけど、その中で最も取り上げられる頻度」の高い曲。おれはもう何十年も演っていない。

普通に素直にいい曲なんだろうね。録音はじゃあどなたに憑依させていただいたかというと、恐れ多くも先の副将軍、、、ではなく恐れ多くも、「the Band」だったりする。恐れ多いでしょ。しかもw/マック・レベナック(Dr. John)だったりする。

録音は、まだ覚えてるけど、楽しかったなあ。ワルツからハチロクへというダイナミズム、Fake New Orleans Piano、Robbie Robertsonになったつもりのギター、こんな楽しいことはないな、そう思いながら録音してた。

「泣き顔見せてよ、楽しすぎて落ち着かない。揶揄ってたのはため息のお返しさ。人が見てると余計やりたくなるんだ」なんちゅうやつや。

この曲の詞は、ある大切な人に会いに行く途中、五島列島の福江空港のカフェテリアでプロペラ機を待ってる時に書いた。ある女のことがモチーフになってる。彼女はその後パリへパタンナーの勉強に行き今東京にいる。5年に一度ぐらい連絡があったりなかったり。


「ワイルド イースト」

この曲も次の光合成のがオリジナルでこれは「Take2」。20sに書いた曲。こんな「誰にも似ていない曲」よう書いてたな。

「地面から生まれたいとこ同士I &I」。マルタニさんのギター、かなりいいと思います。




posted by 浪速のCAETANO at 17:00| 大阪 ☀| Comment(0) | The LABEL Rafflesia | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする