コロナ禍も少々客観的な目を持てる、と言うものだ。
中高も大学も予備校もいまだ始まらず、で、なんだか一生この時間が続くのではないかといった「錯覚」をおぼえたりする。
まあ、そんなことはないんだが。昨日はうちに泊まったこともあるスロバキア人が新たに働きだした、というバーに帰りに寄った。5年ぶりぐらいになるか。実際に会うのは2度目という妙な関係である。
スロバキアの首都も言えなくて、情けなかった。おそらく、ほとんどな方が言えないに違いない。チェコスロバキア時代なら「プラハ」なんてでてくるのだけどね。
「チャスラフスカ!」なんて。
コマネチ・に近いね。
社会は「様変わり」してしまったね。あれよあれよ、という間に、ね。
年齢高いほど「適応力」ないかもね。永年の習慣みたいなものは克服するの、なかなか厄介だし。
だがもう「変わってしまった」んだもんね。
同時に「民主主義」が「垣間見えたり」しないだろうか?おれたち。plus、MMTも当然、とならないといけない。
ここは「これまでのいろんなウソ」が集約されているところだ。おれたちは「いいように 」やられ続けて来たんだからね。もっともっと「生意気」になる必要があると強く感じてる。びんぼーにんであったとしても、だ。
そうなるだけで「新自由主義」はフーッと遠ざかっていくのがお分かりになるだろうか?カネを「相対化」できることにお気づきにならないだろうか?
自分もかつて多かれ少なかれ毒されていたネオリベ・マインド、ほんとに恥ずかしい。
コロナの功罪、さまざまあるが、そこは「功」だと思う。路半ば、ながら。