2020年07月01日

優等生はバカなのか?

Dr. Stephanie Keltonの主張(前記事にアップ)を「先入観を捨てて」読んでいただきたい。

都知事選の候補者の言ってることを聴いてて、ムカつくのは、まあ百合子は態度から何から全てムカつくが、維新推薦の・とかも宇都宮さんだって、おれから言わせりゃ「おんなじ」である。あなたたちちょっとそれ「悠長」ではないですか?おれはそう感じる。維新とかはどうでもいいのだが、宇都宮さんのこれまでの実績・思想、素晴らしいと思うのだけど、じゃあ何故、「政策が『できない』理由」を言いますか?

それじゃあ、宇都宮さんの言って来た・やって来たことと矛盾しないかなあ?山本太郎の主張と違うのはそこで、「問題の捉え方」も共通、なのに最後で「球お辞儀する」みたいな「尻すぼみ」ではあかん気がするけどね。結局・緊縮、ビビり、それは彼の弁護士としての有能さにも関わらず、経済のことを「不勉強」であるだけではなく、弱者に「本当に」寄り添うなんて姿勢も「中途半端」である、と判断せざるを得ない、そんな結論になる。結局、「弁護士」の限界を見るようで辛い気がする。法の正義・に殉じること、それはそれでいい。おれはだが、太郎ちゃんのやろうとしてることに対する彼の、おれが感じる「嫌悪感」のようなものが気になる。今の政権での「法解釈のデタラメ」に対するものと同様な感触を持ってるんじゃないかな・とおれは感じてる。

確かにさ、現政権の法解釈は「死んでしまえ」ほどの罵声を浴びせたくなる代物であり、そのマナーにおいて「共通」なものを感じ、それが嫌悪感につながる・とはわからんでもない。だが、本日発表された「景気の数字」は見たのか?『−34%』ですよ。


金持ちをさらに儲けさせるためと国家の土台を揺るがすかのような「法解釈」と「末端の人々」を救うための法解釈を、おれは同等には見れないです。ただ、太郎ちゃんはものすごく法順守に気を使っている。たとえそれが「抜け穴探す」であったとしてもである。金持ちとビンボー人が「同等」であるわけがない。法律的にはそうであっても現実はまた違う。金持ちは少なくとも「餓死」はせんでしょう。


宇都宮さんを「推薦」してる人々も、その名前の羅列から感じるものはといえば「サロン」である。そして何というか『旧い』。みなさん、例外なく旧い。山口二郎なんて、「お前、責任とったんか、いろんなことに」。いろんなこと・とはご自分でお調べください。

その「サロン」のようなムードがぬるい。冷静に考えるならば、彼らは「誰一人」として『生活に困っちゃいない』。とするなら、理念100%でいけるもんね。そこにも新自由主義の香りが(仄かながら)ある。いわゆる知識人のそれ。それは火の粉の降り注がない安全な場であるが、下の方ではエゲツない。

「総務省との交渉記録を出してみろ」のデマ(かどうかはこれから)拡散とか「足の引っ張り」がひどい。何なの?「二位」の座が大事なの?

憎しみの先・は「そっち」ではないでしょう。推薦者たちよりもっと雲の上の「歳費もらってあじゃーす」のバカたちでしょう。それよりも何よりも「立憲」支持者の56%がユリコに入れる事態を放置した責任とかないの?意味がわからない。山口・どやねん?


「災害認定」にしてもそこ確かにハードルではあるんだけど、ダイヤモンド・プリンセスには「自衛隊」入ったで。「100年に一度の・・・」とはあのアホも言うたで。その言質を取れば、「災害指定」は可能だとおれは思う。政治判断だからね。宇都宮さんの言ってる都の予算の組み替えだってハードルあるよ。そのハードル超えたところでショボいけどね。

太郎ちゃんへの攻撃には「悪質」なものを感じてる。それも何も「キミらが国の通貨発行権」に対する理解が低レヴェルであることからきてるのもわかってる。お勉強が良くできたやつが、「何でそれがわからへんねん?」というのが「現実」なんだよ。ちょっと「悔しいね」へへ。

あんさ、今、あのバカが言わなくとも「100年に一度の危機」で人はどんどん「落ちたり」「死んだり」してるわけよ。そこで二位の座を確保するために太郎ちゃんを「落とす」なんて、それはご本人にもその周囲にも言いたいが、そんな「セコい」ことやってる場合ちゃうよ。

国には「通貨発行権」があるんだから、それを「させる」ことこそがGovernorの義務であり、都民を救うことになる。できない理由を探すなんて、「だから優等生はダメなのよ」。スクエアすぎる。


話は別だが、これで百合子圧勝となれば(なるんだろうけど)、都民の皆さん・って府民の皆さんと「目くそ・鼻くそ」やで、と言い残して終わる。






posted by 浪速のCAETANO at 12:04| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ステファニー・ケルトン says

私達は「赤字神話」の嘘を暴く必要があります。政府の赤字について考え方を改める必要があるのです。

コロナ禍で世界中の政府の赤字支出が膨らみましたが、これを心配する必要はありません。

政府債務残高というものは貨幣発行の記録に過ぎず、民間の経済に対する貨幣供給の総量なのです

政府の財政と、通貨を発行できない家計とを混同するのは大きな誤りですし、米英日のような自国通貨を発行する国は破綻しないばかりか、支出するための税収さえ必要ありません

そして殆どの人が、政府債務は返済しなければならず、将来世代のツケになるとも考えています。

でも、例えば、第二次世界大戦の時の政府は巨額の債務を発行し続けましたが、その債務の大きさに関わらず後世の世代は平和に過ごしていましたよ。

政府債務を個人債務のように考えてはいけないのです。事実、政府は税金を原資に支払いをしていません

政府が私達から税金を徴収するのは、支出するためのスペースを民間の経済に作るためです。

そうやって私達はインフレ圧力を回避しながら公共サービスを享受できているのです。

全ての政府支出は無から貨幣を創造することによりなされます。しかしここには制約があります。インフレという制約です。

MMTは、実際にインフレを予算編成プロセスの中心に据え、インフレリスクからすべてを保護することができると考えます。

時に政府は巨額の赤字支出をした後に緊縮財政をしこうと考えます。赤字を恐れるあまり支出を抑えたり、公共サービスを縮小したり、経済を形作るあらゆる公共投資を控えたりするのです。

しかし、財政を均衡させることがゴールなのではなく、経済を均衡させることがゴールなのです。

もし政府がちゃんと経済を良くすることに予算を使えていたら、例え予算オーバーであったとしてもそれは実体経済にとっては重要ではありません。

重要なのは、多数の人々を繁栄させるべく、公平で健全な経済を提供するために予算を使うことなのです。
posted by 浪速のCAETANO at 07:57| 大阪 ☔| Comment(0) | the words | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする