2020年07月03日

「好きな」人を

昨日からの感染者数の危機感と「同調圧」によるユリコへの票・注視している。都の現状への責任は都知事にある・とは「自明」だからね。

なんか、一世紀前のデジャヴュをジャメヴュしてるみたいな。

しかし、異様な状況だ。「岩手県知事選(岩手の方々・sorry)」ではないのだ。こちらの国の「首都」のGovernorである。災害でも、地方のそれには冷淡であるのに関東の災害なら大騒ぎするくせに、が各キー局メディアの一般的な態度。「何を近場で騒いどんねん」がこちらのシニカルな態度。


それが、おそらく「TVしか」見ないような人というか「政治が遠い人」にとっては、地球の裏側というよりも「月の裏側」ほどの出来事なんだろう。そしてTVではelectionはTopicではない。別銀河の出来事となる。

都民の選挙ブースでの「最後の『人としての』良心」に期待したいんだが、いや、おれは良く感じるのだが、あの「不完全に孤独な」不完全な個室、そこでの立候補者の名前がズラーッと並んでいて、そんな時、一瞬感じたことはないだろうか?自分は「権力者」なのだ・と。

三日に一回ぐらいのペースでそんなことがあればおれたちは「自覚も」できるのだろう。だが現実には3年に1回。もうちょっと頻度高いかな?高いね。だが、日々の生活に追われる身には、投票後はその権力からはフーッと遠ざかることになる。で、忘れる。アホですね。アホなんだけど、何度も経験している間にそのブースで取った行動とその結果に対する学習をするわけなんだけど、おそらく、おれたちは「自分の手先」でいろんなことを処理して、大きな考えに至らず、やってきたのだろう。だが、それには限度があり、それだけおれたちの生活の中の「ステアリングの遊び」みたいなものがどんどん圧縮されてきたということ。そうなると目の前に「政治」が立ち上がってくる。多くの人たちにとっては今そんな段階かな?でそこから先は「自分の利益」のための投票行動になる。

既得権益(大小問わず)と社会正義は整合しないことが多いのかな。そんな気がする・って人、多いんじゃないかな。

それも何も、お金が「化石燃料」のようなものとして捉えられていることが原因ですね。意識の上での「有限性」ね。実際は石油もまだまだ出るしね。だから、意識の上での有限性。

そして、人はおのれの優秀を証明するために、他人を貶める。そんな生産性を下げるようなことにエネルギーを費やすカスな存在であることをヤメたいものだね。多様性の否定にも繋がり、無駄なトーナメント戦の参加を余儀無くさせられる。おれたちは自分しか知らない「地酒」を愛でつつ、菊正宗と日本盛しかないような社会を作り出すことに貢献しているわけだね。アタマ悪いにも「程が有る」。


おれも今もう若くないから「イキリ」もなくなり、生物学的にもメスをゲットすることにも飽きてしまってるので、余裕こいてられるが、これが今若いオスだったら、と考えると、なかなかそれは「しんどい」ことであるとわかる。


今こちらの国に偶然生きている人の人生・生活を底上げするということの「one&only」の大切さにリーチするだけでいいのだ。政治の役割とは「それだけ」のことである。人は孤独であっても社会的である。それは否定できない。生身の人の肌の温もりからは遠ざかっていたとしても・だ。


政治家は自分の近くにいてうっとおしくない人がいいですね。pmもユリコもあんまり友達にはなりたくないわな。


孤独なブースの中はしかし「自由」な解き放された場でもあるよ。好きな人の名前書いてもいいんだよ〜。
posted by 浪速のCAETANO at 10:44| 大阪 ☁| Comment(0) | その嘘・ホント? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする