昨日は「みずほ」の中でiPadで見てたが、隣に座ったチャラけた若者は、全く興味ないようだった。難波は大石あきこも加わって、3:30の長丁場。初めて、維新に「f●ck」と皆さんの前で言うてくれたね。
辻本清美も街宣やってたみたい。人いっぱいだったみたい。「ここ・大阪を主戦場」にしてくれよ。
橋下をTVに出すなという#もだいぶ流通してきた。「よう知らんねんけど、なんとなく「賛成」」ってアホですか・きみは。そんなことぐらい分かれよ・大阪人。
「大阪の成長を止めるな」が維新のキャッチだが、「大阪の成長」自体がフィクションなのでね。いちいち「fact check」必要なのね。「嘘を公言」が奴らのpolicyだった。
これしかし、「意外に」時間がない。押し切られそうなのだが、all 野党・ちょっと集結した方がいいね。総選挙は「アメリカ大統領」が決まり切るまではないだろう。だから。決まっても「決まり切るまでは」相当時間もかかるし、揉めるだろうからね。
となると、年末・年明け、ということになるが、「コロナ」第三波もある。何が起こるかわからない。流動的だね。
さて、やっと本を読む気になってきた。例外的な忙しさとクソ暑さで、脳内の一部は休眠していた。「夏に冬眠」がおれのアタマだった。
酷暑前にfreezeさせておいた読んだideaを解凍させてるところ。
どんなのかと言うと;
「時間は逆戻りするのか」高水裕一。
「人新世の『資本論』」斎藤幸平。
「「その日暮らし」の人類学」小川さやか。
「方法としての吉本隆明ーーー大和から疑え」室伏志畔。
「黒いトイフェル」フランツ・シェッツイング。
「新実存主義」マルクス・ガブリエル。
思うことは色々で、山本太郎が「今」を救う。そのあとはどうなるか?
king crimsonは量子力学を予見していた。「I’ve been here and I've been there and I've been in between」(I talk to the wind)
前近代的にまだ生きる余地って残されているのか?いわゆる「外部」での生活・人生に成り立つ余地ってあるの?
神武は近畿に来たのか?それとも豊前へきたのか?(九州王朝はデフォルト・そんなものがわからん歴史学者は『死んだ方がいい』・あ、また言っちゃった。だはは)
わかんないこと(興味を持ったことの中で)はそれをわかりたいと思うから「もう死にたい」という現実を忘れられる。そんな「おのれのメカニズム」も思い出す・蘇ってくる。ここ「大事な」とこだったよ。ありきたりながら「知的好奇心」しか自分のドライヴにならんなんてことも気温の低下とともに思い出す。思い出す・て「キミもまたアホですか?」そんな意見も流しとくわけであるが、それは酷暑が原因なのね。もっと言うと;
『太陽のせいさ』とでも言うておく。カミュか。