2020年11月28日

母親と

JRの東おおさか線だっけ、変なルートだなあ。大阪の東からやってきて神崎川を南北そして北から南へと2度横断する。グルーっと左回り回りして新大阪に着く。

実家にいる。お袋の体調を観察し、テレワークをし、買い物に行き、メシを作り一緒に食う。

今回はお袋の昔の文章がいっぱい「発掘」されていた。

高校時代のもの、長崎に来てからのもの、堀内薫について、高取英宛のもの(未完)、生まれに関すること、寺山のこと(修ちゃんと言っている。最近は)、もう多筆。いくつかはエッセイとしてもかなり秀逸かもな、と思っている。

おそらく、値打ちがある。旅行記のようなものもある。乳癌治療の際の思いとかも。

生活の不調・不満が動機となって深夜親父が寝静まった頃に書き出して朝まで、みたいなことだったらしい。おれは家を出て45年、その様子を知る由もないが、想像はできる。

動機はどうあれ、文章は美しい。不満や未練たらしいとこはほとんどない。ある種の「昇華作用」が書くことにはあったみたいである。世界とか宇宙を「そこに瞬時に創造する」そんな才能があるのだろう。

まあ確かに、おれのような門外漢にとっても、何かしら「変わっている」。お袋の句、だが。パンク俳句とまでは言わんが、視点のユニークさ・かな。多くのファン(まあまあいる)は「視点が新鮮」すぎてその発想はどこから来るのか?みたいなことは何度も聞いたことがある。おれは敢えて、その世界からは距離を置いてきたが、お袋の晩年である今、ちょっと向き合う必要性(必然性ともいえるか)も高まってきた。まあ、めんどくさいのだが、やらざるを得んよなあ。

まあ分析嫌いのおれが、分析しようとは思わないが、金持ちだったら句集を出してあげたいが、まあ今は「ネット上にアップする」という手もある。

ほんと言うと、お袋の句を「英訳」してみたいと思ってる。世界最小(最短)の文芸芸術である俳句。外国人で好きな人も多い。Slapp Happyのピーター・ブレグヴァドとかね。「haiku」という曲があるくらい。

はよ、それやれよ、と別のおれが言うのだけど、まあ些事にかまけてしまっている。おれも忙しいのよ。ビンボーのくせに。ビンボー故にという見方もある。そっちですね。だが、いつまでも言い訳こいてちゃいかん。

高校時代の、寺山たちとの「伝説的・俳句結社=牧羊神」のこともその当事者たちが、多くが鬼籍にに入ろうとしてるギリギリのタイミングでもある。年上優先かなあ。


なんか「大阪からは出ないでね」要請があったみたいだけど、おれはフライング。

正月はどうなるのだろう?とかちょっとは心に留めおきつつ、母親のいろんなサポートはやんなきゃな、めんどくさいけど。俳句バカ・と自称するお袋に対して「音楽バカ」とは言い切れない自分がいて、それは興味の幅が広すぎるからなのだが、だが、いつだって、generalist はspecialistに道を一歩譲ることになるのである。なんか不思議にそうなるのね。

ま、ええか、母親やし。
posted by 浪速のCAETANO at 10:54| 大阪 ☀| Comment(0) | 丸谷たきこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする