2008年06月17日

いっそ宦官にでも

 自分の「同世代」に猟奇殺人や無差別殺人者がいないこと、これは「喜ぶべき」ことなのか。

 宮崎勤の死刑が、忘れられた頃に執行された・という報を聞く。

 ふーん。気分のいい話ではないね。弱者に向かう衝動・暴力というのを「思いついた」世代が宮崎の世代だったのかな・と思う。ただ、思いつく前のもやもやした時期というのはなんとなくあった気がしてる・おれたちの世代にも。ただ、そんなことすることは憚られた。というのは、そんなことするのは「モテないくん」だったからだ。かっこわりいことだったような気がする。当時から憎むのであれば「大きな」ものを憎んだ。全共闘世代の残りかすの残りかす・の空気を文物として呼吸していたからかもしれない。

 ただし、80年代に入って、「消費者」がえらいというのと同時に「差異」なんてことに敏感になった世代でもある。それと同時に欲望の対象が360度に広がってしまうのも「差異」の一環として認めてしまったわけで、そこんとこ資本主義の必然とは言え、自分がやってる分には面白いのだが、それを何年かのスパンで結局みんながやるようになると「チッ」だった。80年代は「消費」と「差異」がやはりキーワードでおれも今よりも遥かにチョーシ乗ったバカだったから、同じようなことを10才ほど下のバブル世代が集団で一般化してやってるのを見ると、「オエー」だった。オエー・という資格ないのに。ただ一点・誰もがやりだす・という大衆化に「オエー」だったのだ・やっぱり。

 もてる・もてない・などという、異性をある意味「商品化された価値観」で眺めるようになったのもその頃だったなあ・と思う。他人の欲望がオノレの欲望であって、他人が欲しがるものをオノレが持っていることが快感だったし、その感覚はアッという間に蔓延して行ったと思う。それに対するアンチである「マニアック」な趣味というものもアンダーグラウンドで形成され、ちょっとぐらいマニアックさがないと、「正常位オンリー」的なおもんなさ・を感じたりしたものだ。

 そんな中現れたのが宮崎勤だった・と思う。その逸脱の度合いはやはりまあ予想は超えていて、ただ、しかし、その病理に関して先ほど言ったようなマニアックという本来の語意からは薄められて、日本ではよくある話だが、いかに自分が安全な場所から、ヤバいことを出来るか・みたいなそんな物言いで、ウチの店で、「おれの方が宮崎よりすごい」なんてわけのわからん張り合いをしていた駿台の数学教師の○×くん、お元気ですか?

 前例の中の要素で後発の者たちは自分の都合のいいところだけを模倣したりするものだ。その後の「変態」と「無差別殺人」の「展開」はまあみなさんご存知の通りなのだけども、法の下での宮崎勤の刑の執行には主体的な感情を述べるのは控えるが、その前に犯行に至る精神の解明ってちゃんとなされたのだろうか?

 変態と無差別殺人は根っこは共通な何かから派生しているのかもしれない・と思うが現象としては、かなり遠い。それはやはり都合のいいとこ・の模倣から来ていると思うのだが,社会が急激に冷酷になったことと関係がきっとある。分断された「個」というのは深く沈降してモンスターとなって再浮上するか、突然暴発するか、というような危惧を持たざるを得ないところまできちゃった・と思う。なにかの弾みで二転三転したあげくの話だけれど。

 それでも日本の犯罪は「減っている」という報告もある。ほんとなのだろうか。エキセントリックな犯罪が多すぎて、麻痺する感覚があるが、おれはものすごく、「不思議」なのだけど、他人を殺せるほど憎めるものなのだろうか? 他人にいらいらして暴発することはあるが、それでもそこには誤解が蔓延していて、タイミングも悪く、ただそんなことも「すぐ忘れるアホ」だから、一応平穏に生きていられるのだろうか。

 その「殺すほど憎い」という感覚が掴めないし、ただ意味なく殺す・という感覚もわからない。普通虫は殺せると思うが、虫と人間・動物でも良いが、それこそ「差異」ありすぎじゃない?

 おれはサカナもカオがついてるとよう捌かんアカンたれであるから、そこんとこがほんとによくわからない。

 宮前勤の場合は、病的に冷酷な変態だと思うが、許容範囲をどの点で超え、またどごを超えたらそうなってしまうのかが、実感としてわからない。理解を超えるから「モンスター」なのだけど。

 ただ、一つ思うのは、そっち系の犯罪者、まあ「監禁王子」を除けば、大体がルックス・バッドではある。監禁王子に関して「あんなんやったら監禁されてみたいわ」と言っていた欲求不満の母親一人知っているが、そしてあれはMの生活を被害者が受け入れれば、犯罪にはならん気もするからおいとくが、やっぱ、その他の人々に関して言うなら、不遇な現実・というものがベースにあった・と思う。そこには「欲望を喚起しつづけられる環境」があり、それはまさに「消費者」の時代である80年代に端を発する・という気がするのだ。そして欲望を喚起する側はいろんなノウハウを手に入れ、ちっとも反省がないところに問題があるし、経済が滞る現在に於いては、経済活動というおっきな括りでそこんとこ100%容認されちゃってるとこがコワい気がするのだ。

 男子というのは、特に今キンタマ元気だと、生きるのがムヅかしい・ほんとに。
posted by 浪速のCAETANO at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | あれやこれや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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